第7話 野望撃沈
「お姉さんなにしてんのこんなところで」
魅雲村にいくつかある児童公園の一つ。ブランコに座って眠っていた妙齢の女性に、若い男が声をかける。
男は一人。その鼻にはガーゼが当てられ、いつものツレ二人は暴行が理由で現在自宅で謹慎中だ。彼は実際には手出ししていないため、自由になっているが——昨日のあのガキのことを思い出すと腹が立ってくる。
女も妖怪も人間の男の物だ。意志など必要ない。肉塊のように横たわり、男のために働き、男に金と体を差し出せばいい。
この酔っ払いもそうだ。適当に家に持ち帰って遊んでやる。顔はいいし、スタイルも悪くない。なんならここの便所で適当に犯す。避妊など知ったことか。ゴムなど持ち歩くのは楽しむ気がない腰抜けだ。
「あー……君は?」
女がぼんやりと寝ぼけたような声で誰何してきた。
金髪の女の顔は日本人の顔立ちである。地毛が黒くないし、染めているようには見えない。眉も金色だし、おまけに目は赤色。十中八九妖怪だ。
メス妖怪。
人間原理主義の男にとって、気に食わない存在だ。
「俺? 俺は近所に住んでる飯島ってもんです。困ってるんなら、うちに来ます?」
ちょっと無理があるか——しかし女は満面の笑みを浮かべた。
「ああ、助かる! お腹が空いてたんだ」
「へえ。まあ冷食しかないけど。それでいいっすか?」
「食べられればなんでも」
妖怪ってのはバカ舌だな。内心吐き気がした。だが最近ヤってないし誰でもいい。
実際には近所に住んでいないが、適当な場所に入って——
「あの、私お金ないんで……ね、ほら。わかるでしょ?」
女はセックスジェスチャーをしてトイレを見た。
ああ、運がいい。
飯島はにやけづらいを提げながら公衆トイレに入り、次の瞬間首筋が熱くなって体を凍りつかせた。
「サカりのついた男はすぐに釣れる。バカが」
女が牙を首に突き立てていた。それから、あっという間に血を吸い上げる。
ずるるるっ、と音を立てて急速に血を吸われた飯島はミイラのように乾き切り、頽れた。
「まっず。若いから酒も煙草もやってないと思ったのに。どっかにいいオスガキはいないかしら」
×
「いってらっしゃーい」
「らっしゃーい」
竜胆と菘に見送られ、燈真たちは家を出た。何が楽しいのだろう、菘は尻尾をプロペラのように回して竜胆の体をボフボフ叩いていた。
例のパン屋、うつみ屋の近くにバス停があり、そこでバスを待つ燈真、椿姫、万里恵。
今朝方動画サイトのニュースで見た、裡辺フカヒレが日本国産フカヒレとして世界で人気だとか、リヘンオオカミの駆除が罰則化され人里に入ってきた個体に関しては警察に通報することや事前に呪具で動物よけの香を焚いて対処するなどの話題に関し、燈真たちは若者なりに議論を交わした。
若いから社会に発言権はないし、そんな話は無意味——決してそうではない。議論することに意味があるのだ。
そうこうしている間にバスがやってきて、三人(妖怪も人の姿の際には人という数え方をすることがある)は乗車した。
県立魅雲高等学校は稲尾家の屋敷の対角線上に、中心街を挟んで位置している。
距離が少しあるため歩いていくと時間がかかるのもあり、稲尾家ではバスを使っていた。田舎のバスは一時間に一本もないと思われがちだが、人も妖怪も多い魅雲村ではそんなことはない。
女が多い稲尾家では洗面所争いが熾烈だが、幸いリフォームされて洗面所が広くなってからは比較的争いも鎮静化しているらしく、今朝方椿姫と万里恵がドライヤーの行方を巡って軽い口喧嘩になった以外は平和そのものだったらしい。
そういった事情もあり朝早くに起きていた二匹だが、今はバスで互いに頭を預けて眠りこけている。
当然学校という組織柄、そこに通う妖怪は人間に近しい姿に変化するのだが、稲尾家にいる妖怪の半数近くは世代交代の間に人間の血が少なからず入っており、人間と妖怪の間——人間素体に尻尾とケモ耳の姿が過ごしやすいらしい。
妖怪だからといってみんながみんな獣やなんかの姿じゃないんだな——と燈真は思いながらバスで揺られていた。
曲がりくねった道なのと高校が山道の向こうにあること、それから椿姫たち自身が「退魔師として体力を温存しておきたい」という理由からバス通学になったらしい。
直線距離でゆうに八キロを超えるため人間基準の歩行速度では二時間かかるし、やはり体力の温存という観点からもバス通学が都合が良かったのだ。
それに魅雲村は初見では迷路のようなもので、無計画な建築物の乱立と曲がりくねった道路舗装のせいで昨日も椿姫の案内なしには帰れなかっただろう。
やがてバスは小高い丘の魅雲高校前に停まった。二匹を起こして定期券をスキャンし、バスを降りる。
「どう? 久しぶりの高校は」
「燈真からしたらトラウマもんだよね」
「椿姫、万里恵、うるさい。気にしてんだから煽るな」
×
場所がないからという理由でしばらくの間応接室で待機させられていた燈真は、頃合いを見て一年一組の教室前に来ていた。
身につけているのはラフな私服。
何はともあれ燈真は目立たず野暮ったくないコーデを椿姫にしてもらい、初夏のファッションにふさわしい落ち着いていて爽やかな外見になっていた。
学校というものに拒否反応を示してしまう燈真だが、よもやあんな濡れ衣を二度も三度も着させられることはあるまい。
けれど馴れ合い要員に思われ、面倒なひとづき合いに振り回されるのもうんざりだった。
可もなく不可もない——そんな、ぼんやりした生徒として過ごそう。燈真はそう決めていた。
「じゃあ、入ってきてもらうぞ。入ってくれ」
担任の犬飼ミロの声に従い、燈真は教室に入った。
田舎の高校なので二クラスのみ。村とはいえ八万八〇〇〇平方メートルという広大な敷地面積を誇るため、全校生徒は二四〇名ほどいる。
半獣人のケモケモしい犬妖怪である女性教師ミロから、「簡単に自己紹介しな」と言われ、燈真は口を開く。
「漆宮燈真です。好きな飲み物はコーヒー、趣味はゲームと読書です」
クラスからぱちぱちと拍手があがる。それが落ち着くのを待って椿姫が挙手し、「はーい、最近始めたことはなんですかー」と余計なことを聞いてきた。
知っているくせに、言わせる気かよ。と燈真が無視しようとすると、「無視しないでくださーい」としつこく聞いてきた。
「……退魔師見習いを始めました」
おおっ、とどよめきが生まれた。稲尾家にいると忘れてしまいそうになるが、退魔師はどちらかといえばマイノリティだ。消防や警察よりは少数である。クラスに家族が警官だとか医者、自衛官だ、という者はあまりいない。
若い退魔師はいるにはいる。魍魎を始めとする事件が悪辣かつ凶悪で、対処できる者が限られるため退魔師になれる年齢制限が広いのが理由だ。
それでも十六歳で退魔師は珍しく、クラスメイトは興味津々だった。
「はい、じゃあ漆宮は稲尾の隣の席に行って。みんな、仲良くしてあげて」
はーい、と声が上がる。
燈真は最後尾の窓から二列目——窓際は椿姫だ——に着席し、隣の椿姫を半眼で睨んだ。彼女は悪びれもせず舌を出して茶目っけたっぷりに笑うだけだった。
朝のホームルームが終わり、燈真はクラスメイトに取り囲まれた。
稲尾家の居候であるということは万里恵が吹聴していたらしく、男子からは美女揃いの家で羨ましいだのと言われ、女子からは退魔師に関するあれこれを聞かれる。
ぼんやりいるかいないかわからない生徒として過ごすという燈真の野望は、狐と猫によってあっけなく打ち砕かれてしまった。
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