第5話 庭
中心街にある一軒の雑居ビルにははっきりと『退魔局裡辺支部 魅雲支局』とあった。
「柊が居を構えた魅雲支局を本当の本部っていう人もいるけど、本部はこの法泉県の燦月市にあるのよ」
「柊は元々この辺の出身なのか? 平安の妖だよな」
「生まれはもっと前。六世紀くらいに生まれたらしいわよ。欽明天皇の時代って言ってたし。この辺の山で暮らしてたみたいね。さあ、入ろっか」
椿姫の案内で魅雲支局に入り、燈真は綺麗に清掃が行き届いたロビーを進んでいく。
受付で椿姫が挨拶して、「私のところに来た子なんだけどさー、結構筋いいから見てもらってもいいですかね」と単刀直入に口にする。
受付の単眼の鬼族の女性は「そうですね……
「いいんじゃない? 遅かれ早かれ顔合わすんだし」
「そうですね。わかりました。少々お待ちください」
内線電話をかけ、待つこと数分。受付嬢は微笑んで、「三階の第二小会議室へどうぞ」と言った。
椿姫が「行くわよ」と歩き出し、燈真も続く。階段を上って三階まで行くと、突き当たりにある第二小会議室の前で立ち止まった。
ノックを三回し、椿姫が「稲尾椿姫です。入局希望者を連れてきました」と来意を告げる。入れ、と低い男の声がした。
燈真と椿姫がそこに入ると、適当な席に腰を下ろしていた中年の男が紙巻煙草を咥え、火をつけていた。
灰皿を手元に手繰り寄せ、銀縁眼鏡越しにこちらを睨む。
「私は久留米。久留米
「よろしくお願いします。漆宮燈真です。えっと、本日は退魔局の——」
「ははっ、はははは……くっくっく」
唐突に久留米が笑い出し、燈真は何か地雷を踏んだのかと身構えたが、
「いやすまない。君は見るからにやんちゃ少年に見えたからね。急に礼儀正しくされて驚いた。気を悪くしないでくれ。……退魔局に何をしにきた?」
「入局しに」
「なんのために?」
「退魔師になって、魍魎や呪術師と戦って……それで、」
久留米は言葉を待つ。椿姫は何も言わない。
燈真は何を言えば印象がいいだろうかと少し打算を巡らせたが、やめた。そういう半端な覚悟でここに来たと思われるのは——癪だ。それに、なおさら落とされる要因になるだろう。
本音をぶつける。男同士、腹を割って話すというのが一番いいかもしれない。
「それで、自分の正しさを確かめるために戦う……つもりです」
「自分の正しさを確かめる、か。……柊様から聞いたが、さっき前科持ちの悪ガキ三人と乱闘したそうだね」
「ええ。間違ったことをしたとは思っていません」
きっぱりと断言する燈真に、久留米は目を丸くして、また吹き出した。
「面白い少年だ。普通は体裁を取り繕うために適当な言い訳やなんかをするものだが……くっくっく、なるほど、椿姫さんが推すわけだ。てっきり個人的な感情で推したものかとも思ったが、違っていたらしい」
椿姫の眉がかすかに跳ねたが、それに対して久留米は肩をすくめるだけである。
「リスクは承知しているか?」
「死の危険が付き纏うと。……正直実感が湧きませんが」
「素直でよろしい。それはおいおいわかるだろう。柊様のところの子ということで僻目に見られるだろうが、腐らずに活動するといい。と言っても当分は五等級——見習いとして活動してもらうことになるがね。実技試験に関しては悪ガキを無傷で制圧したことで突破としようか」
燈真の顔がぱあっと明るくなる。
「じゃあ……」
「ああ。ようこそ魅雲支局へ。椿姫さん、受付に言って身体検査と妖力検査の用意をしてもらえるかい?」
「はい、久留米支局長。行くわよ燈真」
「ああ、おう。ありがとうございました、久留米支局長」
久留米は灰皿に灰を落としながらひらひら手を振った。あとからやってきた女性が「こんなところで煙草を吸わないでください!」と怒る声が聞こえた。
×
諸々の検査を終えて帰路に着く。中心街から家までは少し距離があったが、別段苦になるほどではない。起伏に富んだ道のりだったが、燈真も椿姫も体力が有り余る年齢である。腹ごなしのいい運動になったという程度でしかない。
「妖気濃度ランクがB+か。まあ、悪くないんじゃない? 椿姫に頼んで蔵の中見せてもらおっか」
「蔵?」
「呪具が保管してあんのよ。術師と戦うにしろ魍魎を相手にするにしろ、妖力単体で扱おうなんて初心者には無理。だから道具を借りる」
「なんかそれって……ズルじゃない?」
燈真が眉を顰めると、椿姫は意地悪そうに笑う。
「あんた、弾丸だけ渡されてそれを一キロ飛ばせって言われて、どうする? しかも銃は使わずに」
「は……そんなの無理だろ」
「ええ。でもライフル本体があれば可能でしょ。それこそ狙撃銃とか。そういうこと。
優れた術師は
なるほど、確かにそれなら呪具を使う理由がわかる。弾丸だけで、しかも撃発するための銃を持たずに戦うことは素人には無理だ。
実際妖力を出せ、飛ばせと言われても今の燈真にはできそうもない。
「呪具の扱い方、その種類に応じた戦闘技能の基礎を叩き込むところから始まるわよ。言っとくけど呪具は常に持ち歩くこと」
「椿姫は今手ぶらじゃないか」
「これ」椿姫が懐から式符を取り出した。「ここに愛刀が収められてる」
妖術ってのは便利なものだなと思いながら、燈真は見えてきた屋敷に向かって足を進める。
面接自体はあっさりしたものだったが、その後の検査やなんかで手間取り時刻は午後五時に差し掛かっていた。
ふと視界の隅を何かが横切る。野犬かなんかだと思ったが、次の瞬間異質なねっとりした空気が頬を撫で、椿姫がばっと手を出して止まるよう促す。
「なんだよ」
「おあつらえ向きなのが来た。見ていなさい」
椿姫が式符に念じるように力を込めた。おそらく妖力を流したのだろう。それを軽く振るい、煙と共に一振りの刀を鞘ごと顕現した。
吊るし紐に肩を通して背負うと、左肩から抜刀。
直刃の美しい波紋が刻まれた刀身が顕になり、黄昏の夕日を照り返して鋭く煌めく。
「凶餓鬼……三等級か」
凶餓鬼と呼ばれたのは十中八九魍魎だろう。黒いモヤのようなものを放ち、爛々と煌めく金色の目を椿姫に向けている。
醜悪な顔にはところどころ皮膚がなく筋繊維が剥き出して、口周りなどは大きく裂けていた。一つ目で頭部には小ぶりな角が三本あり、耳は三角形に尖っている。
翻って胴体は不摂生が祟った中年のようなビール腹で、折れ曲がっているのもあるが極めて短足。しかし腕は長く、手は人の頭を握り潰せるほどに巨大で鉤爪が備わっていた。
「来い」
陰から現れ、合計三体の凶餓鬼が椿姫を睨む。さっきの悪ガキ三人とは訳が違う。
一体、弾丸のように突っ込んだ。たわめられた足を全開に伸ばしてすっ飛び、轢殺せんと椿姫に突進を仕掛ける。
しかしあっという間に身を躱し撃墜。いつの間にか振り下ろされていた刀が凶餓鬼の首を両断し、黒ずんだ墨汁のような血を吹き出させる。
二体がそれぞれ左右に散開。右の方が早く、椿姫は鞘を引っ張って腰の辺りに固定すると納刀。電光石火の納刀術である。
すれ違いざまになってようやく抜刀し、空を裂く鋭い炸裂音と共に魍魎を切り裂いてみせた。
「そうね……記念に見ておきなさい」
静かに言い、椿姫がもう一度納刀。腰を落とし、鞘をほぼ真後ろへ。身を捻って静かに時を待つ。
凶餓鬼がかすかに攻めるか否かで動きを止めたが、彼らが生得的に持つ生物への攻撃本能を抑えきれず、突っ込んだ。圧倒的な力を前にした際には恐怖を覚えるらしいが、今日は違ったらしい。
それが、命取りだった。
「〈
パンッ——と空気が爆裂する。
燈真の頬を烈風が叩いていき、激しく舞い上げられた砂利がぱらぱらと落下してくるのを慌てて防ぐ。
魍魎を目で追うとすでに霧散してかき消え、刀が振り抜かれた軌道上には大きな裂け目が生じていた。
「それどうすんだよ」
あんな大きな傷、修繕費がとんでもないことになるだろう。そういう意図の質問だった。
しかし椿姫は血振りして肘で刀を拭い、納刀しながら、
「大丈夫、戻るから」
「…………?」
なにを、と思っていると、空間が波打って生ぬるいような甘ったるいような嫌な空気がさり、嫌に濃い黄昏の光が去っていった。
周りを見ると戦闘の痕跡はない。ただ、椿姫が手にしている宝石のような黒い石だけがそこにある。
「なんだったんだ……」
「今のは魍魎の庭。庭っていうのはまあ、そいつが持つ亜空間みたいなものね。だから庭の中の傷あとは現世には還元されないの」
「そういうことか……。その石は?」
「魍魎の持つ妖涙石。知ってるでしょ、妖涙石は」
それはもちろん知っている。妖力が結晶した石のことで、山や地下から掘り起こされることもあるものだ。
「魍魎のものは浄化のプロセスを挟んで妖力を取り出さなきゃいけないけど、妖気濃度が高いからエネルギー効率がいいのよ。これが魍魎討伐の証拠にもなるわけね」
「へえ……」
「さあ、帰ろっか。可愛い弟妹が待ってるわよ。それに、明日からは学校だしね。早く休まないと」
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