第2話 稲尾家の屋敷


第2話 稲尾家の屋敷



「極道?」


 稲尾家の屋敷を見た燈真が真っ先に言い放った言葉がそれだった。失礼千万極まりない発言だが、そうとしか言えない威容がそこに待ち構えていたのである。


 車から降りた燈真たちがいるのはガレージのそばの砂利が敷かれた前庭。そこには御影石で通路が用意され、その先には今し方通ってきたセンサー式の門と築地塀が佇立している。

 奥へ進めば縁側から望む庭があり、池には錦鯉が泳いでおり鹿威しが高らかな音色を立てていた。

 手入れされた盆栽に、松の木、花壇——しかも屋敷は二階建て、その二棟が中庭を跨ぐ通路でつながっている。


 言うに事欠いて極道呼ばわりの感想を漏らした燈真の尻を椿姫が軽く蹴り付ける。彼女の一房にまとめた後ろ髪が大きく揺れた。


「失敬な。退魔師よ退魔師。柊の代から術師を続けてきて、私が今の代の退魔師。人間社会の勉強のために高校に通いながらやってるけどね」

「退魔師、ねえ……それにしてもでっけえ家。何坪あんだろ」

「さあね。山もあるから……東京ドームホニャララ個分みたいな感じじゃない?」

「ぶふっ」


 テレビでしか聞いたことのない例え話に燈真咳き込んだ。

 伊代に背中をさすってもらいつつ、「入りましょうか」と言われて手にした荷物を提げて家に入る。

 鍵は開け放たれており、椿姫ががらがらと引き戸を開けると「ただいまー」と言って上がっていった。

 玄関の靴は整理整頓されており、靴箱にも男物、女物の靴が並んでいる。


 稲尾一族だけでこれほど暮らしているわけではないということは知っていた。

 稲尾家が歴代に渡って仲間に加えてきた妖怪や術師一族がこの屋敷で暮らしているらしく、稲尾家当主の意向でそれらをひっくるめて家族と呼んでいるらしい。とんでもない大家族である。現状燈真を入れて十一名が暮らしているらしい。

 燈真も靴を脱いで揃え、「お邪魔します」と言いながら玄関から上がる。


 すると上の階からどたどたと大きな足音が聞こえた。


「おねーちゃんパンかってきた!?」

「ぐおっ」


 飛び出してきた白い影が燈真に抱きつき、万力のようなハグをかましてきた。


「こら菘! 僕の漫画返せよ!」

「にいさんそんなんじゃカノジョできないぞー……って、あれ……?」

「あっ、菘、そのひと姉さんじゃない」


 燈真から離れる二尾の可愛らしい狐少女と、その数歩後ろの三尾の狐少年が若干固まっていた。

 燈真も固まっている。


「えっと……初めまして……?」


 恐る恐る燈真が声をかけると、妖狐二匹が顔を見合わせ、うんうん頷く。


「とうまでしょ。わっちはいなおすずな!」

「初めまして、稲尾竜胆いなおりんどうです。改めて、こっちは稲尾菘。はい、これ返してね」

「あぁーいいとこなのにぃー」


 菘が持っていた少年漫画をさっと取り上げる竜胆。

 それぞれ十歳ほどの少女と、十四歳くらいの少年だ。いずれも驚くほどの美形で、菘の髪の毛は長く伸ばされており、椿姫のように後ろ髪を房でまとめて縛ってある。竜胆は男子にしては長めであるが、肩にはかかっていない。


 菘は桃色の着流しを、竜胆は水色のを着ており、礼儀正しくお辞儀してきた。燈真もあわてて居住いを正し、一礼する。


「とうまのふくろ、うつみやのやつ? おいしそうなにおいするね」

「菘ちゃんのは椿姫が持ってるよ」

「お? じゃあおねえちゃんにもらってこよーっと。あ、あとちゃんはいらないからね。わっちととうまのなかだからな!」


 すとととととーっと走っていく菘。


「俺と菘の仲……十年前に会ってたりしたのか?」

「会ってるよ。僕も会ってる。菘はほんとにちびっ子だったけど、僕はもうあのとき三〇手前くらいだったから覚えてるよ」

「わぁすっごい噛み合わない実年齢」


 ということは竜胆はもう四〇歳以上ということになる。

 この外見で、四〇……。


「……何?」

ひとは見た目によらないんだなって」


 何? と聞いてきた低い声音といい半眼になる感じといい、椿姫そっくりだったのが印象的である。


「それより上がりなさいな。手洗いうがいして、居間に来てね」


 伊代に促されて燈真は廊下を奥に進み、竜胆の案内で洗面所に向かう。

 大家族が使うためか、ちょっとした民宿のような広さのそこに幾つかの蛇口がある。そのうちの一つからキンキンに冷えた水を出して手を洗い、ついでに顔を洗った。


「はい、燈真」

「ありがとう竜胆」


 タオルを受け取って手と顔をぬぐい、取っ手に引っ掛けると居間に向かう。

 襖を開けて中に入ると、すでに椿姫が菘によってたかられて押し倒されていた。ついでのように一匹の黒猫が椿姫の顔の上でふんぞりかえっているが、ただの猫ではないことは尻尾が二本あることから明らかだった。


「あ、燈真君じゃん」


 ボフッと煙を上げて変化する猫。

 黒髪をいわゆる姫カットヘアにしたグラマラスな少女が四つん這いで近づいてきて、燈真は思わず視線を逸らす。

 着ている服がVネックのニットのせいで、谷間が思いっきり見えていたのだ。しかもノーブラだ。


「どうかした?」

「なんっ、なんでもない!」

「椿姫、私なんか——いだっだだだだだ!」


 猫又少女にヘッドロックをかける椿姫。彼女もまた豊かな乳房をしているので、艶かしい狐娘と猫娘のキャットファイトに燈真は生きた心地がしない。


「何よもう!」

「うるっさいクソ猫」

「なんだと女狐」


 菘が燈真と竜胆を交互に見て、


「おんなってこわいねー」


 と他妖事のように呟いた。


×


 かくかくしかじか——諸々の事情を説明し、燈真たちは居間でパンを食べていた。


「じゃあ改めまして。私は霧島万里恵きりしままりえ。絶賛彼氏募集中。料理上手だし尽くすタイプだからよろしくね♡」

「はあ……」


 万里恵の隣でクロックムッシュを齧る椿姫が鬼のような視線をこちらに向けてくる。はっきり言って普通に怖い。


 菘は芋パンに夢中で、竜胆もテレビに流しているアクション映画を見ながら海老グラタンパイを齧っている。


「竜胆、昔のフィルムが好きなんだな」

「うん。僕が生まれる前の俳優だけどね。姉さんが子供の頃の映画だよ。昭和、平成くらいのさ」


 昭和、平成、令和、灯黎とうれいを経て芽黎。ある段階で科学技術が頭打ちを迎えるとされ、事実それは訪れた——らしい。

 技術的特異点の回避のため科学技術の大半は平成末期から令和初期ほどに制限されている現在、詳細は不明である。

 そこまでして科学を制限する理由は、行き過ぎた科学技術のせいで滅んだ国が既に存在するからだというほどだ。この辺はもう都市伝説である。


 竜胆が見ているのはまさにそれで、高度な人工知能が人類を殺戮するため機械の兵隊を差し向け、それに抵抗する人類がタイムスリップして機械側の未来改変を阻止しようとしている話である。

 盛り上がりのシーンに入り、製鉄所で激戦を繰り広げる俳優たち。当時の撮影技術をフルに用いた映像の中で、目まぐるしく銃声が轟く。


「燈真、女より映画の方がいいみたいね」

「男ってほんっとどいつもこいつも幼稚なんだから……」

「おとこはいつだってどうしんをわすれないものだよ、おねえちゃん」


 知ったふうにしたり顔をする菘に、椿姫と万里恵がじっとりした視線を向けるのだった。


 そうこうしてパンを食べ終えると、燈真は自室に案内されることになった。二階の奥が燈真の部屋らしく、例によって竜胆に案内されてそこに向かう。


「燈真は姉さんが退魔師だって話は聞いた?」

「聞いたよ。でも退魔師がなんなのかよくわからないんだよな。悪霊みたいなのを退治する仕事ってのはわかるんだけど」

魍魎もうりょうのことかい? そうだね、あれはまあ悪霊のようなものだよ」

「その魍魎ってのを退治するわけか。……邪龍みたいなもの、なんだろ?」

「うん。でも邪龍ヤオロズの方は魍魎の王って言われてて、今はもういないけどね。ただ魍魎は未だに生まれ落ち続けてる。あれはヒトの負の感情が消えない限りはね……」


 燈真の部屋の前までやってきた。『TOMA』とある。わかりやすい。


「いろいろ必要なものは揃えたって伊代さんが言ってたから、問題ないと思うよ。僕らは一階にいるから、何かあったら降りてきてね」

「ああ。ありがとう」


 外見は子どもでも中身は大人なんだなと燈真は思い、竜胆に素直に感謝しつつ自室に入るのだった。


×


 その日の夜遅く——時刻が七月七日に変わった頃、闇夜を疾駆する影があった。


 魅雲村の市街地——その繁華街を駆け抜ける影はやにわに一匹の狼に化身すると地面を踏み締め、人通りの少ない路地裏へ消える。

 そこへ追い縋るのは白い五尾の狐——少女の姿をした稲尾椿姫である。


「色狂イのメぎツネのおでマしか」

「何が狙い?」

「怖イ怖イ鬼ノコにとってクわれるナヨ」

「はあ?」


 狼がざあっと粒子になって消える。

 分身術だったのだ。妖力の圧が高く、術だと見抜けなかった。


「…………ふん」


 椿姫は手にした刀を背中の鞘に戻し、鼻を鳴らした。

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