日本大百科全書(ニッポニカ) 「水晶の夜」の意味・わかりやすい解説
水晶の夜
すいしょうのよる
Kristallnacht ドイツ語
Reichskristallnacht ドイツ語
1938年11月9~10日の夜にドイツ全土のユダヤ人を襲った迫害(ポグロム)。同月7日パリのドイツ大使館の書記官ラートvom Rathがユダヤ系ポーランド人の一少年に暗殺されると、宣伝相ゲッベルスは報復を呼びかけポグロムを組織した。ほとんどのシナゴーグ(ユダヤ教会堂)が焼討ちにあい(191)、打毀(うちこわ)され(76)、7500のユダヤ人商店が破壊された。街路がガラスの破片で覆われて輝いたので、「水晶の夜」とよばれる。この迫害によるユダヤ人の死者は91人で、2万6000人が強制収容所に送られたという。ヒトラーはユダヤ人に贖罪(しょくざい)金10億マルクを課すとともにさまざまの規制を強め、大規模な国外追放を始めた。これはユダヤ人の合法的存在を否定するもので、反ユダヤ主義はユダヤ人の絶滅という「最終的解決」に向かって新たな段階に入ったといえる。
[吉田輝夫]