水晶の夜
1938年のナチス=ドイツで起こったユダヤ人排斥事件。ドイツ全土でユダヤ人商店などが襲撃、破壊された。
ナチス=ドイツ時代の1938年11月9日~11日にドイツ全土でナチ党の指令で都市のユダヤ人の居住区ゲットーが襲撃され、破壊されたユダヤ人排斥事件。襲撃されたユダヤ人商店のガラスが散乱した様子から「水晶の夜」と言われた。襲撃の口実は、7日にユダヤ人青年によってパリのドイツ大使館員が銃撃され負傷したことであった。ナチス=ドイツのヒトラー政権は、すでに1935年9月にニュルンベルク法を制定し、ドイツ人の人種的優位と同時にユダヤ人を劣等民族と規定し、人種差別を合法化しており、その具体的な行使のチャンスを狙っていた。この事件によって国民の反ユダヤ人感情を刺激して支持を得るためと、政権の強権支配を印象づけるために、ヒトラーとゲッベルスの指令で行われた。
(引用)1938年11月7日、ポーランド系ユダヤ人の17歳の若者H・グリュンシュパンは、両親がナチスによりドイツからポーランドへ強制輸送で追放されたことを知って、パリでドイツ大使館付書記官E.V.ラートを狙撃し、重傷を負わせた。ヒトラーは11月8日のミュンヘン一揆記念日のためにミュンヘンに来ていた。9日にはゲッベルスもミュンヘンに駆けつけた。9日夜会食中のヒトラーとの席にラートの死が伝えられた。ゲッベルスは当時チェコの女優リダ・バーロヴァとのスキャンダルでヒトラーの顰蹙をかっていたので、彼の機嫌を取り戻すよいチャンスと考え、ヒトラーと二人だけでうちあわせをし、ただちにユダヤ人に対する報復行為開始を指示した。その結果、11月9日夜から11日にかけ、全国で大迫害が起こり、7500に及ぶユダヤ人住居、商店、デパートなどが破壊掠奪され、数百におよぶシナゴーグ(会堂)が破壊放火され、また数百近いユダヤ人が殺され、有産者を中心とする3万人近くが逮捕され、強制収容所へ送られたのである。ラートの出身地フランクフルトでは特にひどく、市内の5つのシナゴーグはすべて焼き払われた。」<大澤武男『ヒトラーとユダヤ人』 講談社現代新書 P.158-162>