埼玉県「水着撮影会」中止を“表現弾圧”と大騒ぎ…「表現の不自由展」騒動とは大違いの不思議
■「表現の不自由展・その後」の中止には鈍い反応
ネット上では、《音喜多氏の言う通り。表現の自由を壊す共産党》《日本の自由と民主制を守れ》《さすが維新だ》との声も見受けられるのだが、同じような騒動で思い出されるのが、2019年8月に愛知県で開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」だろう。
平和の少女像などが展示された展示会は抗議が殺到し、わずか3日で中止が決定。当時、日本維新の会代表だった松井一郎・大阪市長は芸術祭の開催を猛批判し、維新の常任役員だった大阪府の吉村洋文知事(47)も、芸術祭の実行委員会会長を務めた愛知県の大村秀章知事(63)に対し、「辞職相当だと思う」などと発言していた。
時の権力者が芸術祭の可否や内容について恣意的に判断することの方がよっぽど「表現の自由」を侵害していると考えるべきなのだが、不思議なのは、この時はなぜか今回のように《表現の自由を守れ》《中止するな》と言った声が強く出ていなかったことだ。
「表現の不自由展・その後」の中止は仕方がないが、「モデルらの水着撮影会」の中止は「表現弾圧」――。世間一般的に言えば、こういう姿勢を「ダブルスタンダード」「二枚舌」「ご都合主義」というのではないか。言わずもがな「表現の自由」を理解しているとは思えない。