「監督」とは? 岡田彰布はかつて衝撃の直訴を受けたことがあった。2008年、独走状態が一変、巨人の強烈な追い込みに屈し、歴史的なV逸。責任を取り、阪神の監督を辞した。翌年は評論家でネット裏から勉強し、そのオフ、オリックスから監督就任の要請を受けた。
「新たなスタートやと思った。パ・リーグで強いチームを作る。オレも熱くなっていた」。当時の岡田は52歳。意気込みは想像以上だった。だからコーチ、選手に対して、強く当たり、張り詰めた空気を常に漂わせていた。
「そんなん、当たり前の姿と思ってたわ。でも、な。選手からすれば、何か特別に感じたんやろな」。監督2年目のシーズン中、それは起きた。試合前のベンチ。岡田の下にレギュラーの2選手が近寄ってきた。「監督、お願いがあります。ベンチで選手を怒らないでください」。
岡田が問う。「なんでや?」。すると2人はこう答えた。「怒られることで、みんな、萎縮してしまうからです」。
「わかった」と岡田は答えたが「これはアカン。そんなふうに考えるんや…と。その後? 普通にやってたわ」と振り返る。
2012年にオリックスを退団。監督と選手の関係を考えさせられる3年間だった。昔はこうだった…と言う気はない。だが、きつく言われることを苦痛に感じ、萎縮してしまう選手がいることが、岡田にはなかなか理解できなかった。
「こういうのも時代というものなのか」と思い返しながら、世代間のギャップについて、考えることもあった。
あれから13年。65歳になった岡田は阪神の監督として、マスコミを通じて怒り、叱責(しっせき)、呆れを発信している。開幕から2カ月半、岡田が言及したのは青柳、ノイジー、西純、森下、ミエセスなど。そしてついに、それは投打のキーマンに及んだ。
6月11日の日本ハム戦に、岡田は佐藤輝を起用しなかった。代打もなし。佐藤輝がこれほどの扱いを受けたのは、3年間で初めてではなかったか。「なぜ? そんなん状態が悪いからや。それだけやんか」。岡田の理由付けは明解だった。
同じ試合、9回裏にマウンドに送ったのは湯浅だった。そこまで続けてクローザー失敗を重ね「ボールがいってないもんな」と配置転換やむなしをにおわせながら、最後のチャンスを与えることになった。
このようにボロカスに言いながら、直後にフォローするのがいまの岡田流といえる。ノイジーには「何度言うても同じよ。同じことを繰り返しているだけよ」として、先発起用を1度は止めたが、すぐに使っている。アメとムチではないが、この使い分けが65歳監督の特徴といえる。
改めて今後、岡田が考えるキーパーソンを尋ねた。「打線? そんなん決まってるやろ。佐藤輝よ」と言い切った。佐藤輝については「不思議なバッター」という表現をした。「いい状態になったと見ていたら、それが続かない。逆の時もある。こんな選手、いままで見ることはなかったな」。岡田が表現する不思議ちゃん。そのポテンシャルは認めている。だからこそ、今後の攻撃のキーマンになると表明した。
続いて守りに関しては「湯浅を含めたブルペンがキーを握る」と明かした。これから始まる「熱い夏」の戦い。勝負はブルペンが握る…と、岡田は展開を読む。「いまの野球はホンマ、ブルペン勝負の世界。ここが強ければ、十分に戦える」。
だからこそ、岩崎-湯浅に結ぶ線を確立させたいと願う。クローザー失格の烙印(らくいん)を押す手前で、岡田は手を打った。同じポジションで投げさせ、結果を出させることで、呪縛が解かれる。それを湯浅に施した。マスコミへの発信とは正反対の方策で、キーマンを蘇生させた。厳しく、きつく言うばかりでない。最年長監督は、フォローの方法も分かっていた。【内匠宏幸】
(敬称略)