権力者が死ぬまで待つ

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生き残る人間というのは九死に一生を得る悪運の強さもあるだろうから、必然的な結果として説明することはできないが、それでも、それなりの理由はありそうである。19世紀後半の清王朝において、なぜ西太后が長期に渡り権力を握ったかと考えると、いわゆる現状維持バイアスというか、あの当時のリーダーになど誰もなりたくないし、羨ましくないというのが大きかったであろう。西太后は現代では悪女として嫌われているようだが、同時代人からは意外と憎まれてないはずである。西太后に劣等感が刺激されることもないし、憎めない存在だったのである。気位が高いとしても臆病なタイプではないから、頼りがいもあった。光緒帝が西太后に反逆しないのも不思議であるが、西太后のパワハラに悩まされながらも、彼女の図太さに頼っていた側面はある。康有為に唆された戊戌の変法などもあったが、西太后を排除すればどうなるわけでもなかった。西太后は当時としては72歳とかなり長生きしているが、周囲はなんとなく死ぬのを待っていたのもあるだろう。1908年に西太后が死んで(その前日に光緒帝は毒殺され)、愛新覚羅溥儀が皇帝になったらあっという間に清王朝は終わってしまったが、もし西太后が80歳まで生きていたらどうだったかわからない。西太后が咸豊帝の後宮に入ったのは太平天国の乱(1851-1864)の最中、1853年であるが、1856年に同治帝を出産し、1861年に同治帝が即位してから権力を握り始めることになる。やはりこの時期の中国でトップに立つのはかなりのストレスである。やはりまったく羨ましくないのである。日清戦争(1894-1895)とか、義和団事件(1900年)で失脚してないのも、やはり羨ましくないからであろう。いわゆる老害的な人物が権力を維持してしまうのは、排除することで薔薇色になるわけでもなし、泥舟から逃げられないひとびとが模様眺めをしてしまう弱さである。
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