第18話 「たすけて」
あたしは夜の住宅街をひょこひょこと歩いていた。
いくらサイズを合わせたとはいえ、下駄で走り回ったおかげで足はボロボロだ。
どれもこれもみんな、カケルのせいだ。
あたしは今、ヒジョーにモーレツに怒っていた。
別に、全部忘れているなら忘れているでよかったのだ。仕方ないかなって思った。
けど、思わせぶりな態度を取るから、聞いてみたらこれである。
思い出。約束。こーいうのに女は弱いのだ。
そんなこともわからないから、カケルはきっとモテないに違いない。顔とかじゃない。むしろ顔はかっこいいと思うし!
……はあ、なんだか複雑って気持ちだ。
あの公園にいたら、昔を思い出してつい、カッとなってしまった。
何やってんだろ、あたし。引っ越しがあったとか、お父さんが亡くなったとか、ちゃんと聞いたじゃん。たぶん、あの時いろいろあったんだよね。高校生なんだし、今はわかるよ。
でも、やっぱり、覚えててほしかったな。
それが本音だった。
公園は自宅とほど近い。走ったせいもあって、五分とかからずに着いた。
汗もだくだくだ。うん、こーいう時はと寝て忘れよう。後でごめんねのメールして、明日謝って——。
ふと、気づいた。
あたし、馬鹿だ。
何を今、考えてたの?
明日。明日やろうって。明日に会おうって約束して、何年も会えなかったじゃんか。
学校もないし、カケルにだって用事があるかもしれないし、明日会えるかなんてわからない。
あたしは、玄関まで来て、Uターンした。
靴ぐらい履き替えればいいのにと頭では言ってるけど、無視した。なんか負けだと思ったから。
カケル、まだいるかな? 電話は……いいや。ここで電話したら変になる。
直接会って、ちゃんと話そう。
あたしたちはこんな約束したんだよって。
…………今度は一〇かけて、公園に戻ってきた。
もちろん最初に滑り台の上を見たけど、そこには人っ子いない。
「やっぱり、帰っちゃったか……」
そりゃあ、急にどっか行っちゃったもんね。怒るよね。
予想はしてたことだ。切り替えろ、しぐれ。
追いかけるんだ。
迷惑だって思われても、今日だけは、ちゃんと伝える。
あたしは振り返って、駅に向かおうとした……んだけど。
いつの間にか、目の前に知らない人が立っていた。
めちゃくちゃ痩せた、とても顔色が悪い男の人。
その人は——包丁を持ってた。
「へ? ……え?」
ギラギラした目は、あたしを見ているようで見ていない。
でも、ちょっとずつ近づいてくる。
「なんで……なんで、お前が生きてる?」
掠れるような声を、男は発する。なのにはっきりと聞こえるのが不思議だ。
「ちゃんとさぁ。しっかり絶対、殺したよなぁ。なんで生きてんだよお前ぇ!」
「あ、……」
一気に力が抜けた。この人何言ってるかわかんないし、ほんとやばい。
あたしは地面にへたり込んで動けなくなった。
「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」
呪いの言葉みたいに「なんで」を繰り返す男は、ついに無茶苦茶に包丁を振り回し始めた。
「ひっ……!」
それでも、あたしは動けない。
普段使ってる便利な調理道具が、今、あまりにも恐ろしい。
怖いよ。怖い怖い怖い。なんで、はあたしの方だ。
あー、パンツがちょっとあったかいなぁ。恥ずかしいとか言ってられないけど、でも、腰抜けちゃった……。
包丁をこっちに振り下ろされても、動けない。
運良く、包丁はあたしの横の地面に刺さる。
「クソババァ、ちくしょ、ちょこまか逃げんじゃねえよ‼︎」
「う……ひぃ……」
こいつ、あたしを誰だと思って……。
そんなどーでもいいことは頭に浮かぶけど、命乞いの言葉すら出てこない。
なんでこんなことになったんだっけ? このまま死ぬのは嫌だなぁ。
すごく一秒が長い気がする。走馬灯ってやつだろうか。
光を知った小学校、闇を知った中学校、楽しみを知った高校、その他いろいろがパーッと思い浮かんで、最後に残ったのは、鋭く優しい目つきの、男の子。
「た、たすけてぇ……。カケルぅ」
死にたくない。
たすけて。
「うわああああああああああっ!」
めちゃくちゃ情けない叫び声が聞こえてきた。
同時に、包丁の男は勢いよく吹っ飛ぶ。何者かが男に体当たりしたのだ。その何者かも勢い余って倒れていたが。
「あ、ああ……」
あたしはその何者かを知っている。
今の今まで想ってた。
「すぐ逃げるぞ! 時雨!」
カケルが、顔に見合わない綺麗な手を差し出してくる。こんな時に、なんでこんなしょうもないことが次々浮かぶんだろ。わかんないけど、うん。すっごく安心した。
「……っ、もう持ち上げてく!」
モタモタと起き上がるあたしを見て、カケルはいきなりあたしを抱き上げて走り出す。流石にお姫様気分とはいかないけど、カケルの大きな体がとても頼もしい。
「あ、あいつは⁉︎」
ハッとして声を出すが、「知るか!」と大きな声で返される。
揺れまくる視界の中で包丁男の方を見ると、奴は……腕を振りかぶっている最中だった。
「やば——」
言う前に包丁は投げられて、あたしはつい目をつぶってしまう。すぐに開けた時には、「ゔっ」というカケルの声。
「カケルっ⁉︎」
ぐらっとあたしたちは崩れて、足が止まる。地面には黒っぽい赤の液体。
「いってえ……」
「大丈夫⁉︎ 大丈夫なの⁉︎」
あたしには血は見えるだけなので、どうなったのか気になって仕方がない。
「心配ない、太腿たぶん、かすっただけ……!」
言って、再び走り出そうとするカケル。
「あっ、包丁!」
「え⁉︎」
「包丁、拾っちゃえば!」
「……あ、そうか!」
あたしはさっきまでお漏らししていたくらいなのに、カケルが来た途端、急に冷静になれた。カケルはすごい。
カケルは器用に私を膝で支えて、血のついた包丁を器用に片手で掴む。そして、ちょっと悩んだあと近くの側溝に放り込んだ。頭いい!
後ろからは奇声って感じの怒鳴り声が聞こえるけど、不思議と追ってこない。二人揃って見てみると、今度は遊具に向かって拳を振るい始めた。
「じゃ、じゃあ時雨は警察に電話してくれ。また襲ってくるかもしれないから、一応逃げよう」
言いつつ、カケルは歩き出す。若干変な走り方が、やっぱりひどい怪我したのかもと不安になる。
「降りるよ、あたし。自分で歩くよ」
「今はいいから、裸足だし。それより早く電話」
「う、うん……!」
下駄が脱げてるのに、言われるまで気づかなかった。とりあえず着物の内から携帯を取り出して警察に連絡しようとする。
が……、
「け、警察って何番だっけ!」
「え、あー、百十番、百十番!」
「百十番……百十番って何番⁉︎」
「一一〇だよ!」
「あっ、そうだ」
やっぱり怖いのか、焦ってテンパりまくるあたし。けどなんとか電話をかける。
すぐ繋がった。
『はい、こちら百十番警察です。事故ですか? 事件ですか?』
「じ、事件ですっ。その、包丁持った人が急に襲ってきて……!」
『っ……、落ち着いてください。あなたは今無事なのですか?』
「はい! えっと今はカケルと逃げてて、並木公園の近くにいて! 犯人はたぶん公園の中で一人で暴れてます!」
『お連れの方がいるのですね。場所は、はい。並木公園ですね、こちらでも位置確認が取れました。今からそちらに向かいますが、あなたはお連れの方と一緒に逃げてください。決して犯人を刺激しないように。あなたのお名前と携帯電話番号を教えていただけますか?』
「一ノ瀬、時雨です。えーと電話番号は……」
あたしは番号を伝えた。
『ありがとうございます。お気をつけてください』
プッっと電話が切れる。
「で、電話したよ」
「ありがと」
「と、とりあえず時雨の家に向かってるけど、いいか?」
「もちろん! あ、……さすがにもうお父さん帰ってると思うけど、そんなこと言ってる場合じゃないし。いいよ、全然」
「オッケー。……ああ、やべ。もう大丈夫かと思ったら力抜けたかも」
「やっぱり、あたし降りるよ」
「だからいいって」
結局あたしは、最後まで抱き上げられたまま家へ戻った……。
あたしの彼氏は、冗談抜きで世界一かっこいいなって思った。
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