幕間 「ダイちゃんとしーちゃん」



 夕陽が沈もうとする公園の真ん中で、あたしは泣いていた。

 人目を気にせず、大きな声ではないけれど、大粒の涙をこぼしていた。

 周りの子供たちはそれに気づく。気づいているが、どう声をかけていいかわからないくらいの悲壮感を漂わせていたのだろう。見てみぬフリだ。

 やがて、ぽつりぽつりと人影が少なくなる。

 やがて……あたし一人になった、

 泣きつかれたあたしは、近場のブランコに腰を下ろす。やっぱり、涙がこぼれ出た。


 けれども、泣いたところでお母さんは帰ってこない。

 「死」というものを、ギリギリ理解できる年齢だった。

 それがすごく、つらい。

 と、……公園に一人の男の子が入ってきた。

 普通はもう帰るような時間なのに、一直線に、あたしめがけてやってくる。


「なにしてんの、お前」


 興味津々といった様子で尋ねてくる男の子に、私はムッとして。


「……なにもしてない」


「そうなのか? めちゃくちゃ泣いてたけど、なんか悲しいことでもあったんじゃないのか?」


「…………」


 無視してやった。失礼な子だなと思ったから。

 けど、男の子は気にしないといった様子で、


「オレは陣代じんだいかける! みんなからはダイちゃんって、呼ばれてる。君は?」


「……」


「なんか言ってくれよー」


 男の子はあたしの隣のブランコに勢いよく乗りかかり、ブラブラと揺らす。ギィギィと軋む音が響き渡る。


「それやめて」


「名前教えてくれたらやめてやる」


「…………時雨」


 意地になっても仕方ないので、渋々名乗った。


「しぐれか……。しーちゃんだな」


「へ?」


「しぐれだから、しーちゃん! 良いあだ名だろ!」


 自信満々な感じで笑う男の子。


「別にそのまま……」


「気に入らないのか?」


「……どっちでもいいけど」


 えらく距離感の近い男の子に、あたしは少しうんざりしていた。


「なんで泣いてたんだ?」


「……教えたくない」


「絶対?」


「絶対」


 自分で母親が死んだのだと、口にしたくなかったのだ。

 まだ受け入れたくなかった。


「そっか。じゃあ、聞かねー」


 しかし男の子の方は、あっさりと引き下がった。

 質問責めを覚悟していたので拍子抜けしてしまう。


「……君は、なんでここに来たの?」


 だからつい、自分から会話してしまった。


「だって、しーちゃんが泣いてるのが見えたからさ」と、なんでもない風に言う男の子。


「それだけ?」


「うん」


「…………」


「…………」


 場を、沈黙が支配する。

 この気まずい空気を打ち破りたかったが、何を喋って良いかわからない。

 と、


「しーちゃんってさ、アニメ好きか?」


「アニメは、よくわからないかも」


「もったいないなー、いっぱい面白いのがあるのに」


 そうは言われても、何が何だかわからない。


「だから知らないって……」


「じゃあオレが教えてやる!」


「いいよ、教えてくれなくて」


「いいからいいから」


 そう言って、男の子は喋り始める。

 例えば、ゲームの世界から出られなくなるお話。

 例えば、魔法少女になってしまうお話。

 例えば、タイムマシンが出てくるお話。

 いろんな作品を語り始める。


「……それで、入れ替わってどうなるの?」


 そして、男と女が入れ替わってしまうお話。


「最初は驚いてたけど、だんだん慣れてきたら女の子の体でイタズラするようになって……あ、でもこの先を言っちゃったらつまらないな」


「え〜! 教えてよ」


 …………すっかり話に聞き入ってしまっていた。


 絶対に無視してやるとかいった考えは、すぐに吹き飛んでいたのだ。


「ダメだ。ネタバレは一番やっちゃいけないことだって、父さんも言ってたし」


「でもあたし、それ見れないよ」


「うーん。観てほしいけど、映画はとっくに終わってるしな……。どうしたらいいんだろ」


「ダメじゃん……」


「……あ、そうだ! DVDだ! しーちゃんの家でDVD観れるか?」


「テレビのやつ?」


「そうそう! 最近DVDが出たから、オレん家買ったんだ。しーちゃん、明日もここに来れる?」


「うん、家近いし」


「よし! じゃあまた明日な。同じ時間にここの公園。絶対だぞ!」


 男の子はブランコをパッと飛び降りると、あっという間に走り去っていった。


「……変な子」


 DVDとやらが観れるとか、まだ言ってないし。

 まぁ、気になるのは気になるけど。

 突然の来訪者。悲しみが消えたわけではないけれど、少しばかり気分は晴れた。



 翌日。

 私は夕暮れ時に公園のブランコで待っていた。

 相変わらず、他の子供たちは帰ってしまうような時間だ。

 お父さんには少し心配されたけど、友達と大事な約束があると言って来てしまった。友達なんて、まだ一回しか会ってないのに、つい言ってしまったのだ。

 ダメかな、と思ってたけど、遅くなりすぎないようにしなさいと許してくれた。

 DVDも、観れるということだった。


「おーい、しーちゃん!」


 手を振りながら、男の子が走ってきた。

 別にあたしはそう呼んでほしいと言ったわけじゃないのに。すっかり男の子の中で決まってしまったらしい。


「ほんとに持ってきてくれたんだ」


 そう言いつつあたしも、律儀に待っていたのだが。


「当たり前だろ、約束したんだから。はい、これ。『君を探して』」


 男の子は透明なケースに入ったディスクをそのまま渡してきた。

 せめて、何か袋に入れてきてほしいと思う。


「昨日会ったばかりの人に、貸しちゃっていいの?」


「大丈夫大丈夫、父さんがふきょーも大事だってさ」


「……ありがと」


「うん。じゃ、また明日な! ちゃんと感想聞かせろよ」


 言うだけ言って、また男の子は帰っていった。

 手元に残されたのはDVDディスク。


「夜更かしして、怒られないかな……」



 そして翌日。

 当たり前のようにあたしはブランコを漕いでいた。

 男の子がやってくる。


「どうだった、しーちゃん! 面白かっただろ?」

「観た。超おもしろかった!」


 それを、特大の笑顔で迎える。一刻も早くこの気持ちを伝えたかったのだ。


「やっぱり! 特に雨が降ってさ、主人公が空に向かって叫ぶところとかやばいだろ?」


「わかる! 好きな子のためにあそこまでできるのすごいよね‼︎」


 お父さんに頼み込んで昨日中に視聴した結果、期待値通りというか。あたしはすっかり『君を探して』という作品の魅力に取り憑かれた。

 今にして思えば、これが「最初の作品」だったという部分も大きいかもしれない。

 今まで想像もつかなかった世界を、ハイクオリティに見せられたのだから。

 今のあたしの趣味からはちょっと遠いけれど、これが「きっかけ」なのは間違いない。

 二次元の存在を素晴らしいと思えたのは、これが初めて。


「いやー、まさかしーちゃんがそれだけハマるとはなー」


 語り合う、というほどでもないけれど、お互いが「好き」を喋り尽くした後、男の子はカラッと言った。


「だって、すごい……感動したんだもん。こんな面白いものがあるんだって。それに、人気の作品なんでしょ?」


「うん、まあ、人気なのは人気だよ。でも、オレたちみたいな小学生は、あまり観てないみたいなんだ。高校生とかがよく観てるんだって」


「高校生か……よくわかんないね」


 実際、当時のあたしたちからすれば、高校生なんて大人も同然だった。


「だろ? 従兄弟とかにもいないし、映画の話する相手いなかったんだ。だからしーちゃんがハマってくれて、すっごく嬉しい!」


「そうだったんだ……。あたしも、嬉しいよ。君が教えくれたから、知ることができた」


「君なんて言うなよ。ダイちゃんでいいって」


「ダイちゃん……」


「そう!」


「なんか、変かも……」


「え、ひどっ! オレは結構気に入ってるんだけどなー」


 男の子は、大袈裟に驚く。


「他に呼び方はないの?」


「他って……ダイちゃんが嫌ならカケルでいいよ。母さんとかはいつもそう呼んでるし」


「カケル……カケル! こっちの方がいいかも」


「そっか。じゃあカケルでいいや」


 ニッと歯を見せて男の子……カケルは笑う。

 今のやり取りを経て、あたしは一つ、言ってみることにした。


「あたしも、しーちゃんじゃなくて、時雨って呼んでくれないかな」


「あ、しーちゃん嫌だった?」


「別に嫌じゃないんだけど……時雨の方が、いい」


「しぐれか……時雨。わかった、時雨だな」


「うん、ありがと。カケル」


 何度もお互いに名前を呼んで、受け止めた。



「なあ、時雨。『君を探して』ごっこしようぜ」


「ごっこ?」


「ほら、ちょうどオレたち、男と女だろ。かっこいいとか感動したシーンとか、オレたちで真似してみよう!」


「面白そう! やるやる!」


 どのシーンからしようかと。

 話し合って決まったのは、やっぱり一番盛り上がるシーンだった。


 あたしたちは公園の中で一番高い場所に向かう。中央に佇む滑り台だ。

 ヒロイン役のあたしだけが駆け上り、カケルを見下ろすと頷く。

 彼も、頷いて。言った。


「ずっとお前を探していたんだ」


 作中、主人公がずっとずっと言えなかった言葉をヒロインに伝えるシーン。


 ヒロインは一言だけ言う。「ばーか」と。


 たったそれだけの、視聴者が待ち望んでいたシーン。


 あたしは、あたしは、


「あたしもずっと、探してた」


 悲しみをぶち破ってくれる人を。


「……え?」


「……あ」


 思いっきり、本音が出てしまった。


「なにやってんだよ、時雨ー。全然セリフ違うぞー?」


「ご、ごめんー! なんか間違えた!」


 つい、おかしくなってしまって吹き出す。

 カケルも、それに釣られたのか頬を緩める。

 もう暗くなり、電灯が点き始めた公園で、あたしたちは笑っていた。

 さながら、喜劇のロミオとジュリエット。

 それからあたしたちはあーだこーだとやりたいことをやり尽くし、最終的には疲れ果てて、滑り台のてっぺんで寝転んでいた。


「あー、楽しかった」


 正直、映画を見ていた時と同じくらい楽しかった。


「時雨、真似下手すぎだろ」


「カケルこそ、噛み噛みだったよ?」


「いーんだよ、最後だけバシッと決めたらさ」


「そうかなー?」


「……なー、時雨って、この近くに住んでるのか?」


「うん。近くだよ」


「そっか。……オレ、実は結構遠いんだ」


「そう……なんだ」


 なんとなく予想はしてた。だけどあまり、今は考えたくないことだった。


「今日、実は……父さんに連れてきてもらったんだ。昨日はさ、買い物帰りに用事があるから、その間、公園で遊んできていいぞって言われた。でも、今日はお願いして来たんだ。一人で来れないから」


「……」


「オレ……たまたまだけど、時雨と仲良くなれてすっごく嬉しい。こんなの話す友達いないし、もっと話したいから。会えなくなるのは、寂しい」


「あたしも……寂しいよ」


 あたしだって、こんなの話す相手いない。


「父さんも仕事があるから毎日頼めないし。けど、オレ頑張るから。実は自転車乗れないんだけど、頑張って練習して、ここまで来れるようにするから」


「ほんと……?」


 この時、あたしの方から行くという選択肢は全くなかった。

 なんてワガママな奴なんだろう。


「約束する」 


 グッと親指を立てるカケルは、とても頼もしく見えた。

 今から思えばなんてことない距離でも小学生、ましてや低学年の行動範囲はたかが知れている。

 隣町でさえ、どうしようもない隔絶感があるのだ。

 それでも、その壁を越えてくれるとカケルは約束してくれた。

 とりあえず現実的な話として、家の電話番号とか、そういうのも教えてもらうことになったのだが。


「えーと……覚えてないや。ごめん、明日も来れるか?」


「うん、大丈夫だよ」


 我ながら予定の少なさにびっくりだけど。


「オッケー。明日は父さんも仕事休みだから、もっと早く来れるようにお願いしてみる。昼の二時でいい?」


「いいよ」


「わかった。じゃ、また明日な!」


「うん、また明日!」


 そうしてあたしたちは、手を振って別れる。

 暗くなりすぎて心配したのか、カケルのお父さんらしき人が公園の出口へ迎えに来ていた。すっごい怖い顔だったけど、カケルが笑顔で話しかけてるので多分そうだ。

 送ってあげようかとも言われたけど、本当に家の近くなので断った。

 そのかわり、また明日もお願いしますと言っておく。

 明日も会えると信じて。

 明日が楽しみだ。



 でも、その翌日。

 カケルは公園に現れなかった。

 きっと何か事情があったんだろうと、その日は思った。


 次の日も、その次の日も。


 一ヶ月、通ったが。




 約束した日以来、カケルが二度と現れることはなかった。



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