第15話 「度胸が大事、何事も」



「おー。やっぱりすごい人だねー」


「……やべぇ、祭りなんて久々すぎて落ち着かねえ」


 オレの家の近所にある、方正神社の鳥居前。

 ずかずかと並ぶ屋台をえんやえんやと行き交う人々に、さっそくオレは圧倒されていた。


 なにせ縁日に赴いたのなんて、ここに越してくる前、小学生の同級生と行ったきりだ。こんなに騒がしいもんだったっけか。


 キョロキョロとオレが辺りを見渡していると、前を進む時雨が振り返った。


「何してんの、カケル。早く行こーよ」


「……ああ、行くか」


 鳥居をくぐって喧騒の中へ。


「カケルはどんなことやりたいの? 男の子はやっぱり射的とか?」


「うーん、……とりあえず腹減ったな」


「もー、まだ六時過ぎだよ?」


「健康な男子はこんなもんだろ。だいたい」


 夜遅くまでゲーム付けのオタクが健康な男子かって言われると疑問だけどな。


「逆に時雨は何やりたい? そっちに付き合うよ」


「うーん、型抜きとか?」


「え、型抜き……」


「なに、不満なの? やりたいの聞いてきたのはカケルじゃん」


「いやそうじゃなくて、時雨に型抜きとかできんのかなぁって思って」


「あー! 馬鹿にしてるでしょ! ちゃんとできるところ見せたげるから、びっくりしないでよ」


 今時、型抜きなんかあんのかねー、と思いつつ、目的の出店を探していると。


「あ、あったー」


 「かたぬき」と描かれた屋台に、時雨はトテトテと駆け寄っていく。


「すみませーん。二枚お願いしまーす」


「あいよ、ねーちゃん! 一枚一〇〇円!」


「ほら! カケルもやろ!」


「おう」


 一枚一〇〇円か。意外とリーズナブル……。


「ほいよ、にーちゃん」


 コイン一枚と引き換えに、ピンクの菓子を受け取る。なるべく簡単な三〇〇円相当のやつだ。

 えーと、この爪楊枝で綺麗に切り取りゃあ、いいんだよな?


 ちらと横を見ると、鼻歌を歌いつつ既に挑戦している時雨。表情とは裏腹に、その手つきは異様に慎重だ。


 よし。オレもやろう。

 しっかし、なんだ。この変な型は。宇宙人か?

 そう形容するしかないような、二頭身モンスターが、オレに渡された型だった。

 まずはどこから……足からいくか。

 パキッ。


 ……あれ?

 秒でひび割れてしまう甘菓子。


「残念、にいちゃん。不器用だねー」


「……うっす」


 は、恥ずかしい。時雨に言っといて本当になんだけど、自分もこーいうのは点でだめだ。


 じゃあ時雨はどうなのかと見てみれば、可愛らしい蝶々のマークを切り取っていた。賞金表を見ると……なんと二〇〇〇円。


 大丈夫なのかな。こういうのってちゃんと貰えたりするんだろうか。テキ屋の高額景品・賞金はやばいと、ネットに親しんだオレらの世代ならよく知っている。


 とはいえ、そんなことで彼女の集中を憚るのは良くない。

 固唾を飲んで見守ること数分。


「できた!」


 見事、時雨は切り抜きを成功させた。素人目でも完璧に切り抜けているように見えるが、あいにく判断は店主が全てだ。


「おっ、じゃあ確認するよ!」


 時雨から菓子を受け取って、入念に裏表を観察していく店主。


「…………うーん。触覚のここ。ちょっとヒビ入ってるね」


 うおーい! やっぱりか!


「えー! 嘘! 完璧だと思ったのにー!」


 店主の声を聞いて、ガックシとうなだれる時雨。

 しょうがねえよ。やっぱテキ屋ってこんなもんだよ。


「……でも、他は完璧だ。満額とはいかないけど、半分の一〇〇〇円、持ってきな!」


「ほんとですか!」


 パッと時雨の笑顔が弾ける。


 なんと想定外。さっきまで嫌味に見えた店主のおっちゃんのニヤニヤが、今はとても親しみやすく見えた。



「意外と良心的だったな」


「ほんとにね!」


 カモられたかなって時に、ああいった手合いに文句をつけると裏から怖いおじさんたちが出てくるのは、もはや王道だ。


 荒事にならなくてよかったよかった。彼女の前でカッコつけるのは構わないけれど、人相という武器を除けば、オレに何ができる。生まれてこの方、喧嘩の経験などありませんことよ(小学生の時の喧嘩って、喧嘩に入るのかねえ?)。


「……どうでもいいが、本格的に腹が減ったな……」


「しょーがないなぁ、何食べる? 賞金ももらえたし、今日はあたしが奢ってあげる!」


「つっても一〇〇〇円だろ」


「いいからいいから。お腹すいたんでしょ?」


「あのな。あの時のフルコースが異常すぎただけで、別に少食ってわけじゃ……」


 そんなこんなで食べ物屋の屋台を見て回る……。


「あ、あれ! 卵せんべい! 食べたいかも!」


「オレの意見フル無視じゃねえか……」 


 目移り激しく駆けていく時雨。オレはベビーカステラを所望したはずなんですけどね。


「ほら、おいしそー!」


 でも、ホクホクの顔で運ばれてくる卵せんべいに、口の中の涎がじゅるり。


「サンキュー」


 彼女の強い意志もあるので大人しく奢られることにして、それこそ久々に見るマヨネーズに彩られたせんべいをパクリ。


 う、うめえ。

 自分でも驚くが、三口で平らげてしまった。


「すごい食べっぷりだねー」


「いや、予想以上にうまくて」


 大した料理じゃないはずなのに。これが彼女と来る(ここ大事)祭り効果か!


「型抜き頑張った甲斐がありますなぁ」


 なんだかほんわかした雰囲気でせんべいをかじる時雨にほっこりしつつ……喧騒を縫っていく。


「今日の晩飯は、祭りで済ます予定なんだよな?」


「そうだね。太らないだけかちょっと心配だけど」


 お腹をさすりつつせんべいを睨み始める時雨。 あんだけ部屋がだらしなくても、やっぱそういう部分は女の子なのね。ちょっと安心。


「まぁ、一日くらい大丈夫だろ」


「無責任なこと言ってー」


 ごめんな。女慣れしてないからこういう時どんなことを言えばいいかわからないよ。


「とりあえず、落ち着ける場所、探すか」


「あ、うん」


 これ以上、余計なことを言う前に話題を逸らす。

 ……しっかし、どこもかしこも混んでんな……。


 神社の敷地内であるからして謎に階段とかが多数あるが、そんな格好の場所はとっくに占拠されている。


 二人くらい紛れ込むのはいけるかもしれないけど……情け無い話、あの陽キャ感満載のキラキラしたステージに入り込める気がしない(精神的な話な)。


「あたしは別に、食べ歩きでも構わないよ?」


「いやそりゃオレはいいけどさ——」


 時雨は下駄だし、


 そう言おうとして、ふと視線を何気なく横に寄せた時。


「あ」


「——あれ、弥生じゃん」


 見知った顔があった。


 いろんな意味で顔を合わせるのが気まずかった少女、鈴羅木美香が、やっほーといった感じで手を振っていた。


 ……よりにもよってじゃん。


 生垣の淵みたいなところに座っている鈴羅木は、例のごとく着飾っていた。薄い桃色の着物は、目鼻立ちのはっきりしている彼女の美貌を、より一層、際立てていた。


「……奇遇、だな」


 残念なことにそれしか言うことがない。


「なにしてんの……って、聞く必要はないけど、一人?」


「え? いや」


 何言ってんだ、と思うがさっきまで真横にいた時雨がいない。代わりにオレの服の背中が、ぎゅっと掴まれる感触。


「どーしよどーしよやばいやばいやばい。なんで、なんで美香がいるの⁉︎」


 目敏いですねー。もう隠れてましたか。


「君、一人でお祭りとか来るようなタイプじゃないでしょ。……時雨と一緒じゃないの?」


「…………もう諦めろ。普通に考えて無理だ」


「だ、だよねー」


 しょぼしょぼと出てくる時雨を見て、いつも冷静な感じの鈴羅木がギョッとしていた。


「ちょっと……時雨、だよね? なにその地雷メイク」

「み、美香〜。違うんだよー! これは、その〜!」


 顔を隠して手足をジタバタさせている時雨。飼い主に意地悪される小動物みたいで可愛らしい。


 それはそうと。


「地雷メイク、ってなんだ?」


「なにって、……見ればわかるでしょ。てかよく見ないとわからないくらいにはすごいことになってるじゃない」


 何言ってんだとばかりツッコまれたが、時雨は……時雨だよな。


「たしかに水色の髪はヤンチャしてるなって感じだけど……」


「呆れた。鋭いのか鈍いのかどっちかにしなさい。こんなケバケバしいメイク、キャバ嬢くらいしかやんないわよ」


「そ、そーなのか?」


 派手には違いないけど、結構、イカしたメイクに思うが……。


 ……でも、顔を伏せるどころか耳まで塞いでいる時雨を見るに、クリティカルヒットする部分はあるのだろう。


「まあ、ウィッグとかメイクに関しては正直どうでもいいんだけどね。君たちの関係性がバレないようにって変装なんでしょうし。……けどねぇ、時雨。先に約束した私じゃなくて男と選ぶなんて、随分と成長したわよねえ」


 うおお。

 なんで女って、こんな嫌味な言い方できるんだ。言葉のチョイス以上にすげえよ。


「うう〜、ごめんー。美香ぁ」


 なるほどなぁ。


 時雨は時雨で、トップクラスに会いたくなかった相手なわけだ。どれだけ化かしても、マスクとサングラスを使うくらいじゃないと、彼女は誤魔化せないと知ってたわけだ。


 彼女も時雨の秘密を知っている身。

 なんだよもお。最近、気まずい奴しか会わねえな。もう、もういないよな? そんな奴。


 …………そんな考えが天に届いてしまったのだろうか。



「あれ、ひょっとしてショウ君かい?」



 イケボとしか形容できない爽やかな声が。

 浴衣に身を包んだ三十路のイケメン、御影さんがペットボトルを持って近づいてきた。


「み、御影さん?」


「おっと、ここでその名前を呼ばれるのは恥ずかしいね。できれば、蓮って呼んでほしいかな」


 照れ臭そうに笑う彼だったが、むしろそのかっこよさげな名前が似合いすぎるので、まったく違和感がなかったのだが。


「なに、君たち知り合いなの?」


 隣の鈴羅木は目を丸くしている。


「一応は、そうだな」


「とあるイベントでちょっとね。……それはそうと、ショウ君。彼女をほったらかして別の女の子とだなんて、隅に置けないなぁ。男同士だし、見なかったことにしてあげるけどさ」


「え。あー、そうじゃない……いや、でも」


 謎にウインクする彼の勘違いを、さっきの今のやり取り故に、さすがに気づく。


 しかし。これ以上時雨の醜態を広めてしまうのもどうなのか。ただでさえ時雨はバタンキューしてしまっているというのに。


「なーに勘違いしてんの。その子が時雨よ」


「え、そうなの⁉︎ 背格好はたしかに似てるけど……、シグちゃんだったの?」


 一瞬でバラされた挙句、御影さん改め蓮さんに問われてこくりと頷くしかない時雨。なんってことを……。


「ごめんね、この前とだいぶ雰囲気違ったからさ」


「い、いえ……」


 そういえば御影さんと時雨って、あの時も別にそこまで話したわけでもなかったな。最初は時雨、引っ込みまくってたし。


「それより……」なのでオレは彼女を救出すべく話題を変える。「二人はどう言う御関係なんですか。やっぱりお祭りに二人きりってことは……」


 鈴羅木って、歳の差とか気にするようなタイプじゃないよな?

 オレの確信的な質問に、何気なくといった感じで顔を見合わせた二人は、


「「どんな関係って……兄妹だけど」」


 同じ顔をして、言った。


「あー」


 なるほど。そーいうパターンね。もう大丈夫です。


「え、美香ってお兄ちゃんいたの⁉︎」


 思わずとばかりにずいっと前に出てくる時雨。


「いたわよ。ていうか、時雨には教えたはずだけど?」


「あれ、そうだっけ。あれ?」


 一気に便りなさげになる時雨だった。


「小さいことはいいじゃないか。ほら、レモンティー買ってきたから」


「ありがと……って、これ微糖って書いてあるんだけど。甘いのが好きって言ったよね?」


「だってこれしかなかったんだよ。いやなら、こっちのお茶でもいいけど」


「別に、飲まないとは言ってない」


 ツンと言って、鈴羅木は蓮さんからペットボトルを引ったくった。

 なんか、クラスメイトのすげえ一面を見た気がするぜ。


「ふふっ、美香ってお兄ちゃんっ子だったんだね。思い出したよ、よく家族がうるさいって言ってたもんね。あれって蓮さんのことだったんだ」


「別に……文句とか言ってないわよ」


「はは、美香はいつもこんなだよ。今日だって、フラれたから代わりに着いてきてよって言うくらいだし」言わないで! と怒った鈴羅木を押しとどめつつ、蓮さんは、「二人とも、引き留めちゃってごめんね」


「大丈夫です。ちょうど、歩き疲れてたところだったんで」


「そうかい。それじゃあよかったら、この場所を譲るよ」蓮さんは言って、鈴羅木が座っていた三人くらいが座れるスペースを指し示す。「僕たちはそろそろ帰るつもりだから」


「まぁ、楽しんできたらいいんじゃない。大事な大事なデートなんだから」


「ごめんって、美香〜。この埋め合わせはちゃんとするから〜! ほら、あれ,カトレーヌのチーズケーキ、今度奢るよ!」


「…………許す」


「よかった〜」


 胸に手をついて一安心、な時雨。


「じゃ、行こうか」


「ええ。時雨、弥生、またね」


 こうして。

 麗しき兄妹は仲睦まじく去っていった。


 あ、あー。腕とか組んじゃって。ほんとに兄妹?

 これでもし実は違うとかだったら、恐怖だなぁとか思うオレだった。


 義理とかじゃないパターンね。


「美香のお兄さんが、御影さんだなんて、びっくりだよ」


「ほんとにな。世の中って、意外と狭いもんだ」


 どっからどう見ても高校生と大学生のカップルにしか見えない兄妹のことを思い出して、オレたちはしみじみとする。


「……にしても、気づかないもんなんだな。今日の時雨のメイクって、そんなやばいのか?」


「……! ダメ、もうその話禁止! ほら、カケルお腹空いてんたんでしょ、早く何か買いに行こうよ」


「お、おう。でも……せっかくこの場所空けてくれたんだし、使わしてもらおうぜ。オレが食べ物買ってくるからさ」


「ん……それもそうだね」


「何がいい?」


「やっぱり安定の焼きそば? あと、わたあめとリンゴ飴!」


「焼きそばとセットのメニューか? それ」


 つーか、そんなに食うのかよ、とは言わない。言えるわけない。


「いいの。飲み物は……お茶でいいかな」


「オッケー。じゃ、行ってくるからしばらく休んでろ」


「うん」


 こうしてオレは一人、食糧の買い出しへ。


 念願のベビーカステラをいの一番に買い付け、時雨のオーダーを忠実に回っていき、あとはたこ焼きくらいかなぁと思っていたところで、ベビーカステラが冷めてしまっていることに気づいた。


 しまった。順番間違えた……。


 とはいえ人を待たせてる身。彼女を差し置いて先につまみ食いなど卑しい真似をできるわけもなく。少ししょぼんとしながら、時雨の元へと戻った。


「たしかこの辺だったはず……」


 一応、目印となる物は覚えておいたが、似たような景色が続いているので確信も持てない。


 …………まさか、知り合いと遭遇して連れ出されたとか? 


 学校から特に離れすぎているわけでもない。十分あり得る話だ。今まではバレてもギリ大丈夫な人たちとしか会っていないが、クラスメイトにでも会おうものなら質問攻めにあってもおかしくない! 

 我ながら危ない橋を渡っているものだ。そうなったらオレか時雨どっちかがトンズラしなきゃならない。……その場合、確実にオレだな。


 しかし。

 結果的にいえばそうではなかった。


 ある意味、それよりよっぽどやばかった。


 水色の髪をした女の子が、明らかに派手な連中に絡まれてるのが視界に入ったのだ。


 その光景は言っちゃなんだが……お似合いであった。悲しいことに。いるよなぁ、あんなカラフルな髪の奴って感じ。


「って、言ってる場合じゃねぇ!」


 セルフツッコミしてすぐ、現場へ駆けつける。この世知辛い世の中、手を差し伸べてくれる連中などそうはいない。


 しかし。しかしだ。


 一般的なナンパ風景とはちょいと様相が異なる。

「……へー、女の子だからやっぱり、ジェリーズとか好きなの?」


「そ、そーいうのはあんまり、かな? どっちかといえば、BTEとかの方が好きかも……」 


「あー、あの韓流の! ちょうどいいじゃん、オレ実はコリアンハーフ! こーいう顔好きなんでしょ?」

「ぷっ、ケンちゃん純日本人じゃん!」


「うるせ、言うんじゃねえよ。顔はそっち系だから半分間違ってねえよ」リーダー格っぽい男は続けて、「ねえ、時雨ちゃん、さっきお腹空いてるって言ってたし、一緒に食べ物屋台、見て回ろうよ」


 な、なんで名前まで知ってんだ。時雨の表情はタジタジだが、男たちは今だ押せと言わんばかりにギラギラしている。


「でも……買ってきてくれてるから、待ってるんだし……」


 時雨の方はビジュアルとは正反対にナンパ的なものに慣れていないのか、オフ会の時レベルでコミュ障化している。


 とはいえ仕方ない部分もある。おそらく大学生くらいの男たちは、明らかに年上って雰囲気だし。 

「なに、そいつって男? でもひどいよなぁ。こんな可愛い子、置いてどっか行ってるんだろ? そんなのよりこっちの方が楽しいぜ?」


「いえ、全然楽しいですけど……」


 あー、これ以上は埒があかねえ。

 急なことでチキっていたオレだったがさすがに見ていられなくて、声をかける。


「おい、大丈夫か」


 男たちの背中越しに声をかけると。


「あっ、カケル!」


 明らかに嬉しそうに時雨は反応する。


「……なんだ、お前。他人が口突っ込むんじゃねえよ」


「他人じゃないですよ。そいつの連れですし、問い詰めるのやめてもらっていいですか」


「チッ、んな睨むんじゃねえよ、彼氏くん。ちょっとお話ししてただけだろ?」


「あーあ、ケンちゃんがモタモタしてるから」


 取り巻きの男が囃し立てる。


「うるせ。時間無駄だったな。行くぞ」


「うーい」


 オレの威圧(オートモード)を感じたのか、即座にゾロゾロと退散していく男たち。


「……邪魔だ」


 その線上にいた時雨が、苛立ちをぶつけられる形で追い出される。


「ちょっと、何やってんすか」


 反射的に口から文句が出る。


「チンタラしてる女が悪ぃんだよ」


「女に手をあげるとか、最低ですよ」


「あ、なんか文句あるわけ? 大人しく引いたからって、あんま調子乗んな、ぶっ殺すぞ?」


 顔だけ振り返っていたリーダーの男が、本格的に立ち止まった。

 こ、怖え。


「……っ」


 時雨も横でビクビクとしている。

 だから、ここで謝るのは違う。今のオレは一人じゃないのだ。

 時雨を庇うように立ち塞がった。


 無駄にタッパだけはあるオレ(一七七センチ)は、近年の日本男児としては高い部類。特別なめられることはないはず。


「……あんまりしつこいと、警察呼びますよ」


「サツにビビると思ってんのか? てめぇを殴ってさっさと逃げりゃいいだけだ」


「最近は神社にも監視カメラとかあるんで、そう簡単に行きますかね」


 睨みながら、うろ覚えの知識を羅列していく。


「…………」


「…………」


 チッと、特大の舌打ちが響く。


「行くぞ」


 男は身を翻してズカズカと歩き出した。


「怖え。ほんとに殴ると思ったよ、ケンちゃん」 


「マジ一触即発じゃん」


 取り巻きたちがこちらをチラチラと見つつも、金魚の糞みたいについていく。


 は。本当に殴る奴はとっくに殴ってるっての。膠着状態になった時点でこっちのものだったのだ。


 ハッタリ勝負では、負けねえぜ。


「…………ありがと、カケル」


 時雨がオレの服の裾を摘んで言った。


「ああ……うまくいきすぎてオレも自分でビビってる」


 彼女の目に映るオレはまさに救世主ってな感じだが、当のオレは喧嘩になったらどうしようとしか考えていなかった。実際にオレの台詞を思い出してみればわかると思うのだが、他力本願な台詞しか吐いてない。


「なに、喧嘩?」


「女の取り合いとかじゃねえの?」


 気づけば、いや気づかなくともオレたちには視線が集中していた。彼らは助けを差し伸べないとはいえど、悶着に興味がないわけではない。


 居心地が悪いどころの話じゃなかった。


「ここ離れるか」


「そうだね」


 ナンパ集団はそそくさと立ち去っているので、今は押しつけられる相手もいない。

 クソ、せっかく落ち着ける場所見つけたってのに。



 この神社の境内には裏山がある。

 屋台から少し外れてみれば、そこら中に雑木林が乱立しているのだ。人目を避けるにはもってこいだった。

 比較的綺麗そうな木立に、二人して腰を下ろす。


「あー、せっかくのご馳走が……」


「……ぐちゃぐちゃになっちゃったね」


 いかんせん時雨救出のため、買ってきた食べ物類は袋の中に無理やり押し込んだ。「生身」の食い物も包装されていたので惨劇は訪れてないが、冷めるわ形は整ってないわ、カオス状態だった。


「とはいえ捨てるのももったいねえし……食うよな? 嫌ならオレ一人で食べるけど」 


「もちろん食べるよ! お嬢様じゃないんだから」


「たしかにお嬢様はこんなところ来ないか」


「そうそう。あ、喉乾いたからお茶とって」


 シェイクされたとはいえ、当然だが味は変わらない。

 ドタバタした末のことだったので、あーんなんてイチャイチャするのすら考えもせずに、普通に美味しく、平らげた。


 ……というかですね。食べ終わってから気付きました。雰囲気が! 雰囲気がほんわかしてたから付け入る隙なんてなかったんです。


 そんなオレの心の葛藤を知る由もない(知られたら知られたで嫌だけど)時雨は、「疲れたー」っと、伸びをする。


 クソの役にも立たないギャラリーから逃げてくるのに、そこそこ急いだのだ。下駄を履いてる時雨は、より体力を消耗しているだろう。


「……そういや、さっきナンパ野郎に押されてたけど、足の指大丈夫か?」


 そういえばと思い出した。履き慣れない下駄ではちょっとのことで怪我をする可能性もある。


「大丈夫、ちゃんとサイズ合わせてきたからね。足の指の怪我なんてお約束には、バッチリ対策してきたよ!」


 キラリとピースサインな時雨。

 さすがオタク。足を怪我して背負われるなんて王道のコンボは対策済みか。


 まあ、オレも正直小柄とはいえ人一人背負うなんて普通に初めてですからね。いざやれと言われたら情け無い姿しか見せれなそう。


「どうする? 腹も満たしたし、また別の屋台巡るか?」


「うーん、どうしよ。行きたいところがあったのはあったんだけど……ちょっと気分乗らないかも」


「そっか、そうだよな」


 無理もない。たった数分のことだろうけれど、男からの質問攻め、しかも歳上の相手を丁寧にしてたなんて、時間以上に疲れたことだろう。


「じゃ、少し早いけど帰るか」


「そうだね」


 人通りの多い通りを離れて、二人で夜をそぞろ歩く。いつのまにか話題も尽きて、コツコツと下駄の音だけが響く。

 オレはそんな時間がどうしようもなく心地よかった。


「ふふっ」


 と、時雨が急に笑う。


「どーした?」


「いやだってカケル、すっごく二やついてたから何がそんなに嬉しいのかなって」


 おっと。また顔に出てちまったか。普段ならごまかしてしまうのかもしれないけど、な

んかまあ、いいや。


「すっごく楽しいんだよ、今。なんていうか、なんていうかな。楽しい」


 二人でいると、とは言えない。そんな恥ずかしいこと。

だけ、ど。


「あたしといるから?」


 そうやって聞かれてしまえば、逃げようがないではないか。


「まあ、うん、…… そう。………… かも、なんて」


そこまで言って、慌てて口をつぐむ。ばかばか釣られんな!

また笑われてしまうと恐る恐る時雨の反応を窺った…… が、

 オレの横には時雨はいなかった。

 …… いつのまにか、下駄の音は止まっていた。


「時雨?」


 振り返る。

 そこには、とても、なぜか—— 泣き出してしまいそうな顔の彼女。

 少なくともオレにはそう見えた。


「ねえ、カケル」


「ん?」


「ちょっと寄りたい場所があるんだけど、いいかな


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