第12話 「見せてやる」



 クスクスと笑い続ける鈴羅木に、今日はあいつのことを任せてくれ、と言い置いてきた。

 時雨の荷物を保健室へ運び届けた後、オレは、一人でトボトボと帰る……ではなく、今度こそ彼女と一緒に帰ることにしたからだ。

 最初はいつも通り、誰にも見つからないように帰るつもりだった。

 しかし、力なく「ごめんね」なんて呟く時雨を放っておくのはどうなのか。幸い、校舎内でたむろっている学生はほとんどいなくなっていたし、そもそと今の時雨をそんなリスク程度で放ってはおけない。放ってたまるか。

 それに、一緒に帰るか? と聞いたら、向こうもあっさりと頷いてくれた。

 校門を出て、二人並んで歩く。

 いや……時雨の方は人一人分遅れている。オレがペースを緩めても、同じだけ彼女も遅れるのだ。

 そして会話もない。いつもならオレが一言喋る頃には三つも四つも喋るような女の子なので、逆に落ち着かない。

 結局まともに話さないままに学校の最寄駅に着いてしまった(ちなみに最寄駅は二つあり、オレが日頃利用しているところとは正反対の駅だ)。


「ついてきてくれて、ありがとね。カケル」


 改札の前まで来ると、ようやく時雨が言葉を発した。


「もう大丈夫だから」


 言って、かすかに笑う時雨の表情は、どこか歪で。


 ふふっ。と。

 いたずらに、可愛らしく、そんな顔が好きなのに。

 どうして、悲しそうに笑うんだろう。

 決まっている。傷ついたからだ。

 傷つけない、とは言ったけれど。

 今回、彼女はきっと深く傷ついた。もちろん不可抗力だ。どうしようもないことだった。ていうか、彼女の不注意だ。

 どうにか誤魔化せたし、時が経てばなんとでもなる。

 でも、このまま有耶無耶にするのは、どうしても嫌だった。


「また、明日ね」


 いつも通り。

 似せて。

 そう言って去ろうとした時雨に。


「なあ」


 オレは声をかける。

 彼女の首だけが、そっと振り返る。


「今から時雨ん家、寄っていいか?」



 学校帰りに彼女の家に寄って帰る、なんて。

 数ヶ月前までの灰色じみた学校生活では、考えられない出来事だ。

 けど、人間関係を広げていくってのはどうにも、楽しいことばかりじゃないらしい。

 一ノ瀬宅に相変わらず無言で到着したオレたちは、細長い庭(?)を通って玄関前へ。今度来る時は手土産でもって考えてたが、オレにあげることができるのはノープライスレスな硬い笑顔だけだ。

 鞄から取り出した鍵を、時雨はかちゃりと回して、


「ちょっとあたし、部屋を片付けてくるから。待っててくれる?」


「お、おう」


 バタン。

 返事が聞こえたのかどうかわからないくらい早く、時雨は家の中へ消えていった。

 あのオ部屋(オタク部屋)なら散々堪能させてもらったのに何を今更と思ったが、オレの来訪は突然のこと。見られたくないもんの一つや二つあるか。

 タタッと——おそらく——階段を駆け上がっていく時雨を見送りつつ、オレは玄関で立ち惚ける。うーん。特に案内されなかったし、上がらない方がいいよな? とはいえいきなりお父上が帰ってきたりしないだろーな……。

 周りが他の住宅に囲まれてる故、逆に逃げ場がない。

 落ち着かないまま過ごすこと、約二〇分——。

 …………遅い。

 いやま、あのオタク屋敷と化した部屋を片すなんて二〇分でできるはずないので、余計なものを隠すための時間だと思っていた。押入れに詰め込むにしても五分とかからんだろうし、それとも中で何かあったのか。

 片付けのドタバタ音が聞こえるわけじゃなく、聴こえてくるのはひぐらしのかすかな合唱のみ。夏だなって感じだが、風情を楽しむ時間はとうに過ぎた。


「時雨ー? 入るぞ?」


 玄関の扉にノックというのもおかしいが、一応しておいて、入る。

 まず目に入ってきたのは脱ぎ散らかされたローファーだった。前に来た時はちょこんと揃えてあったのに、だ。彼女が家に入った後、慌てて駆けていく音が聞こえたので、きっとそういうことなのだろう。


「二階、だよな」


 ちょっと迷った末に自分の靴と彼女の靴を揃え、一歩ずつ階段を上がっていく。

 父親の書斎的なところを通り過ぎて、時雨の部屋の前へ。


「時雨、大丈夫か?」


 コンコンとノックしながら言う。

 ガタガタっと、何かが崩れる音が中でした。本が落ちたのか。


「悪い、勝手に上がって。ただ……あまりにも反応がないから、なんかあったのかと」


「…………」


 あれれー。おっかしいな。反応がねえ。

 ここでグイグイ押していいものなのか。女心をぜんっぜん把握してないオレにはわからない。クソ、もっと鈴羅木に時雨のこと聞いとくべきだったか?

 しかしここにはオレしかいない。


「何も食わずに帰ってきたから、腹、減ったよな。キ、キッチン貸してくれれば、なんか作るけど?」


 普通に卵焼きとか炒め物くらいしか作ったことないですが何とかします。てか愛さえこもってれば何でもいいよね?(暴論)


「…………」


 ガタッ。

 お、興味を示したか⁉︎

 何か捕獲すんのかいとは思いつつも。


「さらに、デザートにはカトレーヌのケーキを買いに行こう。あれ好きだって、前言ってたよな。今回はオレが奢るよ」


「……」


 ガタガタッ。

 さらに反応あり! 

 ……財布は寂しくなるが、彼女を元気付けるためのものだと思えば必要経費である!

 もう一声か。


「……あー、せっかくの夏休みに入ったことだし、近いうち一緒に出かけないか? ほら、一回アキバとかブクロのオタロードを回ってみたいとか、言ってただろ?」


「………………」


 ……。反応がない。

 なんとも、ウィークポイントがわかりやすい話だった。

 うーむ。彰人云々の話で薄々わかっていたが、よっぽどバレかけたのがこたえているらしい。

 ……でも、あの天真爛漫を権化といえる時雨がここまで落ち込むのはちょっと異常である。しかもバレたわけじゃないのだ。そこはちゃんと、彼女自身も認識してるはず。

 なのに、なのに。


「……なあ、部屋、入っていいか?」


 うん。やっぱりオレ程度がいくら分からん。こーいうのは直接聞くに限る。

 それがたとえ無粋な行動なのだとしても——オレを選んだのは、彼女だ。

 カチャ。

 扉は、なんの抵抗もなく、呆気なく、あっさりと開いた。

 ——やっぱり鍵は、かかっていなかった。

 暗く、陽光がかろうじて窓の隙間から差す——空間。

 オブジェが並んでいると言って差し支えないほどの、本の山。

 その奥に、時雨はいた。

 元気さの奥に淑やかさがこもっていたというか、要するに女の子らしさをオレの目の前で絶対に崩すことのなかった時雨が、……手足をだらしなく放り出して、仰向けになって寝転んでいた。

 慌てて、駆け寄る。ひょっとしてまた体調が——。


「しぐ、れ?」


 逆にか細くなってしまったオレに、虚ろ気味の視線が刺さる。


「ごめん……一度寝転がったら、ちょっと立ち上がりたくなくなっちゃってさ」


 意識は、はっきりしている。よかった。


「あー、あるあるだな。よくあるよ」オレは無理やり笑ったフリして、「…………。オレも横に……座っていいか」


 寝転んでもいいかだとセクハラっぽいので、とっさに自重したオレです。はい。


「うん……いいよ」


 お、おう。

 やっぱりこいつ狙って言ってんじゃねーのって気もするが……違うのだ。これが時雨なんだ。

 とすん。ベッドの脚にオレは腰をかける。


「学校でのアレ、気にしてるんだよな?」


 なるべく、いつも通りに。


「……」


「でも、なんとか誤魔化せたろ? 自分で言うのは違うかもだけど、とっさにしては上手くいった方だと思うぜ?」


「わかってるよ……。それはほんと、すごーく。感謝してるよ」


 あいも変わらず力なく、彼女は笑って。


「じゃあ、何が心配なんだ? こんな言い方しかできなくて悪いけど、全部の泥は彰人が被ってくれたんだ」


「泥……?」


「誤魔化してくれたってことだよ、あいつが。彰人のおかげで、なんとかバレずに済んだ」


 実際、めちゃくちゃやばい状況だったのは間違いない。あの時、あの場所、あのタイミングで彰人がいてくれたから。オレのチンケな脳みそでも最適解を導き出すことができたのだ。


「オレが取り立てて何かしたわけじゃないのは、情けねえよなって思ったけどさ」


「バレずに……済んだ」


 小さく。言って。


「ああ、そうだ」


 オレが、自信満々に頷いた後に。


「うん……そうだね。中岡、意外にはね」


 痺れを切らしたように、……時雨は言った。


「あ……」


 思わず、正直な声が漏れた。

 どこかで、どこかでオレは勝手な考えを持ってしまっていたのだ。

 オタク同士ならバレても別に問題ないだろ、と。

 他人に自分をさらけ出すことの怯えを、オレは一番彼女から聞いていたのに……。


「どうしようもないことなのは、わかるけど……怖いの。なんで、なんでなんだろ。中岡は、すごいよね。私たちみたいに自分を隠さないで、好きなことに全力で、……私とは、どうして違うんだろう」


 私たちみたい……か。

 耳が痛い話だ。程度の問題なだけで、オレも時雨と変わらない。バレるのを、恐れて。彰人をスケープゴートに使って。

 たしかにあの場面、彰人になすりつけるのが自然なのは絶対なのだ。適任。間違いない。

 でも……あいつがあそこにいなかったら?

 オレは、時雨を庇うために動けたのか?


 浅知恵を働かさずに、あのエロいのはオレのもんだって、そう言えたか?

 こうやって悩む時点で、答えは不透明だ。


「オレは……オレはさ。昔からこーいうオタク趣味が好きだった」


 だから……言葉で誤魔化すことしかできずに。


「小学生くらいまでは、そういった話題で楽しめたよ。でも中学生にもなったら、みんな卒業していくし、だんだん大っぴらに話すのを、恥ずかしく感じた」


 世の中、少数派の肩身は狭いのが当たり前。


「そんなオレだし、時雨が隠したいって気持ちはめちゃくちゃわかってるつもりだ。でも、本当に言い方悪いんだけど、そこまで塞ぎ込む理由がわからねえ」


 そんな悲しい顔して語るくらいに。



「——むかし何か、あったんだろ」



 何かが。トラウマが。


「…………うん」


 視線をわずかに空しつつも、時雨は頷く。


「もし大丈夫なら教えてくれないか? 話してどうにかなるとかじゃなくて、知っておきたいんだ。——そのトラウマをぶち破れるくらい、オレを信頼してくれてるんなら」


 また、時雨はこっちを見る。視線がかち合う。

 彼女の体は震えていた。それだけ、つらいことなのだ。

 それを強いているのは、オレだ。

 目を逸らすわけにはいかない。


「……そう、だよね。言っておかなきゃ、だよね」


「頼む」


「わかった」


 ようやく時雨は力を入れて、起きあがろうとする。

 オレは自然に手が伸びた。

 愛らしい手を、がっちりと掴んで。


「どんな話でも、ちゃんと聞くから」


 こくり。

 頷いた時雨はゆっくりと語り始めた……。



 中学生の時、あたしは普通の女の子だった。

 別に今が特別とかそういうのじゃないよ。

 前にも言ったけど、もっと地味で……女の子らしくない女の子だったの。でも、それでよかった。

 こんなオタク趣味を一緒に楽しんでくれる友達がいたし、そんな毎日が楽しかった。

 ……でもある日、クラスの……なんていうかなぁ。変な言い方だけど、ちょっと気の強い子? みたいな感じの子がさ。いろいろ言ってきたんだよね。

 そんな子供っぽいの見てて、恥ずかしくないのって。

 その時から、アニメや漫画はあたしの中ですっごく大きいものだったからさ。つい……カッとなっちゃって。喧嘩しちゃった。

 あ、アニメみたいに叩いたりはしてないからね。一応。だけど、なんか空気みたいなのあるじゃん。ノリっていうか……大人しい子が急に怒ってみんなびっくり……みたいな。

 結局、喧嘩は先生が来て終わったんだけど、次の日から、みんなの見る目が変わって……こういうの、なんて言うんだっけ。 ……そう、それだよ、浮いてるって感じ。

 仲が良かった子とも、だんだん話さなくなって……。あれだけ毎日話してたのに、そういうのもう飽きたとか。………………いじめ、っていいのかはわかんないんだけどね。

 あんな酷いこと言うから時雨が悪いみたいなこと、言われ、て……。

 それで、

 ……ううん、大丈夫。ちょっと思い出しちゃっただけだから。ほんと。大丈夫だって。

 ええと。

 それからは。学校行くのが怖くなっちゃってね。

 ……中学校は結局、家で卒業したんだ。

 お父さんは義務教育がーって怒ってたけど、たぶん、あたしの落ち込みようがすごかったから、諦めたんだと思う。

 ほんとに悪いことしちゃったな……。

 で、もともと歩いて行けるような進学校に行く予定だったんだけど、なるべく家から離れた浜町を受験して……オタク趣味は絶対に隠し通すって決めたわけ。

 ……ま、まあ!

 カケルにはあっさりバレちゃったけどね!



 ところどころ。

 崩れるところはあったものの。

 彼女は、どうにかクラスの華役の一ノ瀬時雨を演じて、最後は明るそうに笑った。

 まあ、正直。

 そんなところだろうなというお話ではあった。

 オレみたいな馬鹿でも予想がつく、簡単で、単純な、きついトラウマ。


「大変、だったな……」


 うまいこと言えなくても、せめて。

 支えでありたくて。


「むしろそんなことがあったのに、だよ。不登校になるくらいまで落ち込んだのに、自分を変えようとしたって、よく考えてみろ。すげえことだ」


「そう……かな?」


「ああ。オレなんて自分の『顔』を言い訳にして、今を変える努力をしようとしなかったんだぞ」


 もし失敗したらどうしようとか、変なプライドだけがあった。


「あたしも、……ちゃんと変われたとは思ってないよ。無理やりやってるうちに明るく振る舞うのには慣れたし、今が楽しいのもほんとのほんとだけど、いろいろ気づかれてないかなって不安にもなるよ」


「……まあ。なんだかんだで詰めが甘いしな。鈴羅木なんてとっくに見抜いてたし」


 迷ったけど、オレは勢いで言ってしまった。


「え?」


 時雨の顔が、ビデオみたいに綺麗に固まる。


「時雨が保健室に行った後、ちょっと話したんだけど。その時に言ってた」


「嘘。え? 美香にはぜーったいにバレないようにめちゃくちゃ気をつけてたのに! あたしの家に遊びに来た時だって、部屋には入れなかったし……」


「でも、知ってたぞ。ていうか、知ってたこと自体は重要じゃなくてだな」


 本題を早く言わなければ、だ。

 オレは、少し声を大きくして。


「時雨がどんな趣味してようがどうでもいいって、そう言ってたんだ」


「………………ほんと?」


 ビクビクしっぱなしだった彼女の体の震えが、ようやく収まる。


「他の奴がどうかは知らねえし、仮に時雨がオタクだったとしてどう思うかなんてわかるはずもないけど。少なくとも、鈴羅木は大事な友達なんだろ? その言葉を、信じてみてもいいんじゃねえかな」


 あー、なんだろうな。

 結局、こういうのに憧れてたのかもしれねえな、オレは。

 歯の浮くような台詞を言って。ヒロインにかっこつける。

 そんなありふれた主人公に。

 憧れていた。


「まあでも。そんな長年のトラウマをはいそうですかで消せるわけじゃないし。又聞きじゃ説得力にも欠けることはわかってる」


 そりゃあこんなのはさ。

 とてもとても小さなお話かもしれないけど、

 現実ここが、オレの、戦場だ。



「だから、オレが見せてやるよ。——男とオタクの意地ってやつをな」



 好きなことに自信を持つ、勇気を。


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