第8話 「彼女の手料理」
そんなこんなで。
はじまりの書店近くの駅前に降り立ったオレは、手元にあるコピー用紙と睨めっこしていた。
なにせ時雨の家は入り組んだ住宅街にあって、土地勘のない人間はお断りという状況なのだ。
うちの家、変なところにあるからねー、と時雨は器用にもめちゃくちゃ綺麗な自宅周辺地図地図をアナログで描いて(本当に思わぬ才能だった)、メールで送ってくれたのだが、それ故に最大級の問題が発生していた。
ぜんっぜん正しくねえじゃねえか!
そう、限りなく丁寧に描いていただいた地図なのだが、地図上の建物と現実の建物が、ほとんど一致しないのだ。
しかし厄介なのが、一番の目印になりそうなコンビニの位置は正しかったため、ここかー、とちょっと勇気を出しつつチャイムを押したら、格闘ゲームのミラー対決よろしくな強面おにーさんが顔を出した。
「どこの組のもんだ、テメェ」、確かにそう言った彼の目は、明らかに筋者の目だった。
間違えました! と、もちろん即座に退散。情けないが、逃げ足だけには自信がある。逃げてしばらくは追手が来ないかとビクビクしていた……。
とはいえ、時雨との約束時間である一一時は、とっくに過ぎてしまっていて。
「にしても、……なんで出ないんだよ」
当然、オレもただで手をこまねいているわけではなかった。
時雨のスマホに三回は電話をかけたのだが、一向に反応がない。
恐る恐る付近の人に道を聞いたりもした。交番も近くにあったので訪ねようとして……これはやめておいたが(深く突っ込まないでほしい。父さんの件で警察には不信感しかない)。
当てもなく歩いているとつい一〇分前に見た、建築関係の工房が目についた。どうやらぐるっと一周して同じところに戻ってきてしまったらしい。
「はあ……」
オレはグランドキャニオン並みのため息をついた。
時刻は昼前。オレの育ちざかり(とギリギリまだ言えなくもない)の腹が悲鳴を上げている。
不幸にもコンビニがおいでおいでと明るい色を放っている
頑張れ、オレ。いま、腹ごしらえはできないだろ。
とりあえず目先の誘惑から遠ざかり、いい加減にダラダラと流れてきた汗を乾かしに木陰に入った。しゃがみ込む。あー、ちょっと涼しい。
でも、下手すると、あと何十分もこの初夏の外を歩き回る羽目になる……。
「どうすっかな……」
せめて詳しい住所を聞いておけば良かった。今時はそれをスマホの地図アプリに入力すれば一発だ。オレは時雨の謎の才能を恨んだ。
「君、何してんの?」
と、
突如として、低めの女の声が頭上から届いた。
なんか聞き覚えが……とか思いながら見上げると、どこか地雷臭漂うキラキラした服飾の少女が、腰に手を当ててオレを見下ろしていた。
「具合でも悪いの? ……って、君、弥生?」
「……そういうあんたは、鈴羅木、だよな」
なんと、オレに声をかけてきたのは時雨の一番の友達(らしい。本人談)である鈴羅木美香その人であった。とにかく綺麗な女の子ではあるのだが、なにしろ学校でのメイク具合からして露骨に浮いている彼女。しかしなぜか他人との距離の取り方がうまく、人望が厚い。オレたちの学年の中で彼女を知らない者は、きっといない、そんな少女。
なんでここまで知ってるかって? 言わせんな恥ずかしい。学校で特にすることねえから必然的にいろんなもんが目に入るんだよ。趣味、人間観察。
「顔色は……悪くなさそうね。やばいなら救急車呼ぶけど」
「あ、いや、呼ばなくて大丈夫です。休憩してただけで……」
どうやら疲れもあり唸っていたのがいけなかったのか、鈴羅木は本気で心配してくれているご様子。慌てて否定したものの、もっと良い言葉があったんじゃないかと思う。てか、敬語て。
「ならいいけど。……それにしても、君、この辺に住んでたの? 見ない顔だけど」
「いや、たまたま来ただけで……家は、違うとこ」
ちくしょう。うまく喋れねー! やっぱり女の子との会話が難易度高い。それに、何気に鈴羅木とまともに話したの、これが初めてかもしれない。
「……なんが学校と雰囲気違うわね」
「そう、か?」
「うん。学校ではもっとトゲトゲしてるし」
う、うーん。わからん。
「そういえば、鈴羅木はよくオレのこと、わかったな。あんま関わりないのに」
「あんまりどころか全然だけど。でも、少なくともうちのクラスで君を知らない人はいないと思う」
トゲトゲの意味は相変わらずわからなかったが、同じ空間で同じことをするという学校という世界では、彼女と同じく出る杭であるオレは、やはり多少なりとも目立っているらしい。
照れる、とは言えないけれど。
「一応、心配してくれてありがとう。もう大丈夫だから、オレ行くわ」
「…………ひょっとして、時雨のところ?」
「……っ」
確実にオレの肝は冷えたね。
何より問いただすような感じではなく、ごく当たり前のことのように言ったのが一番きた。
「は、違うけど?」
明らかに反応し過ぎたが、誤魔化すよりほかない。
よりにもよって時雨と一番近しい人物にバレるのはまずい。
「なんだ、違うの。最近、時雨が時々だけど君といるのを見かけたから、てっきりそうだと」
「あー、落とし物拾ったり、運ぶの手伝ったり、ちょっと話すことは多かったかもな。だからってそんな休日に会いに行くなんて……」
「……でも、その木のある家の隣、時雨のとこなんだけど」
「へ?」
今度こそ間違いなく、オレは心臓は一瞬止まった。
え、え? 本当に?
勢いよく木陰から飛び出……たいところを抑えて、尋ねる。
「……そうなのか?」
「うん。個人情報だけど、友達ならいいわよね。ほら、そこに脇道みたいなところがあるでしょ」
鈴羅木が示す指の先、二軒の一軒家の間に、幅三メートルほどのタイルが敷いてある。
「……見たほうが早いか。着いてきて」
言って、歩き出す鈴羅木の跡を追って、「脇道」に入る。個人の庭だと思っていたそこは、確かに庭ではあったが、オレが涼んでいた木がある家とは別のものだったらしい。
——わかるかよ。こんなの。
そう。その「脇道」の奥、隠れるようにして「一ノ瀬」と書かれた表札があった。
「ややこしいよね。こんな感じの家、私も初めて見た時は驚いたよ」
「……おー、まあ、すごいところにあるな。し……一ノ瀬の家」
「よかったわね。これでもし、弥生が遊びに来る時があったら迷わずに済むし」
「機会が……あったらな」
それが、今なんですが。そのインターホンが遠い。
手の届く範囲にあるゴールにもどかしさを感じていると……、
「…………やっぱり怪しい。君、時雨となんかあったの? めちゃくちゃ見てるけど」
「だからなんもないって」
うー、そっちこそやっぱり鋭いよ。
騙せてる気がしねえ。これは本格的に時雨に忠告しておく必要がある。
じーっとジト目で見られ、居心地悪くしていると……ふと。
「……まあ、傷つけないでくれたら、いいわよ。時雨もあれで難しい子だからね」
おお。さすがは親友。コミュ強の裏に隠された不安定さをわかってらっしゃる。
「傷つけはしねえよ」
それだけは、心の中で強く約束して。
「じゃあ本当にこれで」
これ以上、彼女と話をするのはボロが出そうで怖い。
手をサッと上げて、オレはそそくさとその場を後にした。
背中に注がれる視線が、どうにも気持ち悪かった。
思わぬ遭遇からきっかり三〇分。
耐え難きを耐えて、再び一ノ瀬の自宅の前に戻ってきた。
クソ暑くなってきた時間帯をコンビニで立ち読みして過ごそうと思ったのだが、最近の雑誌は立ち読み防止で閉じているらしい。慣れないことをしようとするもんじゃなかった。
安全マージンは十分に取ったので辺りに人影はない。
ここまで警戒したのだ。最後までオレは気を抜かない。とりあえずインターホンを押すと、すかさずカメラの範囲から出た。
鈴羅木が実は時雨の家に遊びにきていました、なんつー特大トラップを避けるためだ。
これは全部、電話に出てくれない時雨が悪いのだが。
と、二〇秒ほど経って、ずっと聞きたかった声が聞こえた。
『はーい。…………って、あれ。誰もいない。カケルじゃないの? ピンポンダッシュってやつ?』
あっさりと出たオレの名前に安堵しつつ、カメラの前に顔を戻す。
「お待たせ」
『もー、遅いよっ。ずっと待ってたんだからね!』
「そっちこそ電話出てくれよ。ずっとかけてんだから」
「あっ、そうなの? ごめん。料理に忙しくて気づかなかったな。あんまり手、離せないから入って入って。鍵は空いてるから」
ガチャ。
インターホンの通話が切れる音がした。
女の子が一人なのに、鍵空いてるって……なんて不用心な。
どこか抜けてるところが良いという話なので、今更ではあるが。
それに、今日の主目的といって過言ではない「彼女の手料理——これはどんな一流シェフが高級素材で作った絶品料理にすら勝ると噂の料理——を食べに来たのだ。
自分のために頑張って作ってくれているという事実だけで、許せてしまうというものだ。
オレはついスキップしながらも、一ノ瀬家の敷居を跨いだ。
「お邪魔しまーす」
マナーとして、しっかりと挨拶。
「どうぞー」と奥から、時雨が律儀に返してくれた。
簡素な調度の玄関で靴を脱ぎ、いつにも増して丁寧に揃える。ややこしい立地とは裏腹に家屋自体は普通の二階建て一軒家なので、特筆すべき光景はない(とはいえ上物の革靴——おそらく時雨の親父さんのものだろう——が並んであるのには一瞬ドキッとしたが)。
ただ、これでもかと鼻に刺激を与えてくる肉汁の匂いに、オレは誘われるように玄関を上がる。声のした方の扉を開けると、キッチンで何やらジュージューしている時雨が首だけで振り返った。
そのものは角度的に見えないが、さぞ腕を振るってくれているらしい。
「いらっしゃいませ」
「店じゃねえんだからよ……」と、オレは思わず突っ込む。
「こういう時ってなんて言うんだっけ?」
「さあな……。あと、前向いてないと危ないぞ」
「あ、はいはい」
変に器用にこなしているので心配はないだろうけど、一応ね。
「どこで待ってればいい?」
「ソファーに座ってていいよー。あとでテーブルに持ってくからさ」
「おう」
いそいそとリビングに足を踏み入れて、なぜだか丁寧にちょこんと座る。なんかあれだ、友達の家のソファーとかに初めて座る時とか、緊張するだろ。そういうやつ。
別にスマホをいじって待っていてもよかったのだが(普段なら確実にそうする)、雰囲気も大事だ。むしろそんな態度を取れる関係ならたぶん同棲的な感じだと思う。
飛躍し過ぎてしまった発想をブンブンと振り払い、手持ち無沙汰を解消するべく付けっ放しのテレビに目をやる。芸能人がわけのわからないロケをやっている、よくあるローカル番組だった。あ、あの芸人久々に見たな。懐かしいぜ、『ナゲッツ‼︎』。
さて、ちょうど一〇分経った頃。
できたよー、と念願の声が届いた。
運ぶのを手伝おうと、オレもキッチンに出向こうとしたが、「いいから、いいから」とダイニングへと座らされた。
そうして、時雨の手によって色とりどりの料理が並べられていく。
一品、二品、三品、…………………………一二品、
「はい、たんと召し上がれ!」
合計、一三品。
唐揚げ、豚カツ、焼きそば、お好み焼き、焼き魚とサラダを挟んで、ステーキ、焼き肉炒め。
なかなか大きいなーと思っていたダイニングテーブルのほとんどを猛々しい男料理が埋め尽くしていた。緑はあまりに少ない。
いや……そうじゃなくて。
一三。なるほどね、最後の晩餐ってことね。さすがに二人で再現は無理じゃないかなぁ。
中華屋の厨房みたいな匂いが、玄関先まで漂ってきていた理由がやっとわかった。
「この量、何?」
オレはそれだけしか言葉が出なかった。
「気合い入れて作りました」
非常にニコニコして両手を差し出す時雨。
目が食べろ食べろと言っている。
「ひょっとして、時雨って大食いファイター目指してたりするのか?」
「そんなわけないじゃん、太るのやだし。あたしはこっち」
よくよく見れば、テーブルの端にちょこんと可愛らしいワンプレートのハンバーグ料理があった。オレも、オレもそんなんでいいよ!
「これ、オレが食える量だと思ったの?」
「だってヨシマサくんとかファミレスでそれぐらい食べてたし、ケイちゃんもモックでハンバーガー一〇はいけるって言ってたから。
男の子はこれくらい食べるのかなーって」
後頭部に手を当てて、てへぺろ(死語)じゃないんです。
「あんな恵体馬鹿と一緒にすんじゃねえよ!」
あいつらバチバチの運動部だから!
帰宅部とは消費カロリーが圧倒的に違う。
「け、ケータイ?」
「オレとあいつらじゃ、体型が違うってことだよ」
「で、でも、男子とかって早弁してたりするし!」
「にしても限度があるだろ……」
明らかに相撲取りの一日分くらいはあるのだ(たぶん、ヨシマサとケイやらの二人でトントンってところだ)。
……しかし、こうやって言い合っても仕方がない。
「でもまあ、張り切って作ってくれたのは、十分伝わったぞ」
「う、うん。もちろん頑張ったよ! 美味しいよ、絶対」
「その気持ちもめちゃくちゃ嬉しいし、頑張って食べるけど……時雨も手伝ってくれよな?」
二割、いや最低でも三割は食べてほしい。
じゃないと死ぬ(オレの胃袋が)。
「う……残したらもったいないし……ね。今日、晩御飯食べれないなぁ……」
とほほといった感じで席に着く時雨。顔が引き攣っている。
オレもムンムンとする肉の香りに立ち向かうべく、腰を下ろす。
これだけ文句を言ったものの、料理自体はどれも美味そうで、諸々のトラブルも相まって腹は減っている。食指は勢いよく動いた。
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