第7話 「意気地なしは変わらない」
ドキドキワクワクの初デートから二週間が過ぎようとしていた。
あの刺激的な一日から、何かオレの生活が変わったのかといえば、一言で言って特に変わりはない。
一ノ瀬……いや、時雨との関係も、お互いに名前で呼び合うというところまで進展したものの、直接呼び合ったのは、あの駅前が最初で最後だ。
それは当然オレが超絶ヘタレだから…………てわけでは今回はなくて、会う機会が学校に限られるから、である。
学校における立ち位置、というものは順風な学生生活を送るために重要な点だ。それ故、対極的な人間関係を気づいている一ノ瀬時雨と弥生翔は、ただのクラスメイト以上の関係であるのは「普通」ではない。
もちろんオレだって、時雨との青春学園生活をエンジョイしたいさ。
放課後。ぞろぞろと人気がなくなっていく教室。鞄を持ち寄ると隣にやってくる美少女。
一緒に帰ろっか、カケル。
…………。
改めて自分でキモいと思うけど、やっぱりそーいうのって憧れるよなぁ。
メール等では会話しているものの、現代の電子の海に慣れ親しんだ我々オタクに、現実感を抱かせるには薄い。
「あー、ジュリエットに会えない時の気持ちって、こんなんなのかね……」
「鏡の前で独り言なんて趣味は、ロミオにはないと思うけど」
「うおっ!」
ぬぼーっと背後から現れた影に、およそ男らしくない驚き方でオレは飛び跳ねた。
「やっほー、カッケー。なに物思いにふけってんのさ」
彰人はペカッとした笑顔で気さくに手を振る。
「相変わらず神出鬼没だな、彰人。あと別にふけってねえ」
「そう? カッケーのあんな憂いを帯びた顔、僕見たことないよー」
「いろいろとあんだよ」
「青春だね」彰人はうんうんと頷きつつ、「でも、トイレを一人で占拠するのはやめようね。ヤンキー漫画の主人公じゃないんだからさ」
「は?」
いつものトーンで繰り出されたアッシュの言葉に、きっとオレは怪訝な顔をしたに違いない。声は間違いなくそうだった。
「いやさ、トイレの鏡の前で顔だけヤクザがたむろってるから、困ってたみたいなんだよ」
「……ほう。そんな奴が」
「で、そのそんな奴と仲良い僕がたまたま通りかかったら、お願いされたわけ。トイレに入りにくいからやめるよう説得してくれないかって」
そう、現在は昼休み。オレは今トイレの鏡台の前にいた。ほら、あれだ。なんとなく鏡見ていろいろと悟った気になる時間。それを堪能していたわけだ。
「誰だそいつ」
チラッと入り口を見て確かめるが、隠れているのか姿は見えない。
「お、シメるの?」
「するか! あんまそいつの方見ないようにしようと思ってな。これからも勘違いされかねん」
悲しきかな、こういうのには意外に慣れっこだ。
「ついに、ヘタレヤンキーがヤンキーにジョブチェンジかー。いいよ、僕も協力するぜ」
「いや話聞けよお前」
……おっと。いつもの通り雑談に突入しそうになったが状況が状況だ。
「仕方ねえな。おい、舎弟。さっさと行くぞ」
「了解です、ボス」
いやそれマフィアだろうよ、とは思いつつ。
トイレからオレは出た。
「そういえば、ボス。ちゃんと手は洗ったんですか?」
「洗ったわ。てかそのノリいつまで続くの?」
フロア端にあるトイレと一番遠い距離のオレたちの教室にたどり着く。
と…………、
「った、」
ぽすっと、小さな衝撃が胸元で弾けた。
あまりにもアホなやりとりに夢中で、教室から出ようとする人物とぶつかってしまったのだ。
「あっ、悪い……」
やべえまたやらかした、と恐る恐る視線を下ろすと……。
可愛らしくおでこをさすっている、時雨がいた。
「し、……一ノ瀬」
顔を引き攣らせながら、彼女の「苗字」を呼ぶ。
彼女もオレに気づいた様子で、超至近距離で目が合う。
「ご、ごめん! かっ、かっ、カッケー⁉︎」
「へ?」
「あ、えと、あ! ほら中岡がいつもそう呼んでるからさ、あたしもいいかなーって」
動揺しすぎだろ! オレも怪しかったけど、擬態剥がれかかってるぞ、おい。
「やったー、仲間が増えたよ。てかさ、カッケーはこのあだ名ずっとセンスないって言い続けてるんだけど、一ノ瀬さんはどう思う?」
「え、うーんと、かっこいいと、思うよ?」
「だよねだよね」
空気の読まない彰人の発言が、より時雨に追い討ちをかける。いや、ある意味で助かったのか。オレも。……正直言って、さっきから柑橘系の香りが脳を支配していたもので。
「改めて、悪かったな」
そうやって一応、笑いかけてすれ違い、教室へ入る。
まともに目を合わせたのはそれこそ二週間ぶりだったのでかなり気恥ずかしかったし、何度も言うが学校でのオレたちは見つめ合う関係ではない。
ただ、寂しいな、とふと思ったりはして——。
「こわー、あの目見た? 絶対睨んでたよ」
「一ノ瀬さん、さすが勇気あるよね」
「ね。中岡くんしか呼べないよ、あんなの」
「そういえば中岡くんってなんで、弥生……くんと仲良いんだろ」
「さあ? 幼馴染だって聞いたことはあるけど、だからじゃない?」
そんな淡い感傷は教室奥から聞こえてくるノイズによって吹き飛ばされたが。
もーちょい声のトーン落とせ、お前ら。当人に聞こえてちゃ陰口にならねーぞ。……あと、こんなへんちくりんと幼馴染ってどこ情報?
「大人気だね、カッケー」
「うるせ」
こそこそと笑う彰人は本当に楽しそうだ。
「それより、僕とカッケーが幼馴染ってこと、予想以上に広まってるみたいだね」
「初耳だよ。誰が流したんだか」
「僕」
「……なんで、とは聞かなねえけど。……やっぱりなんで?」
「だってその方が話しやすいでしょ?」
「う……まあな」
言われてみれば一理ある。そっちの方が、自然な在り方だ。
話しながら窓際により、お互いの座席にたどり着く。昼休みは普段、各々の時間が続く。オレはぼーっと窓の外を眺めていて、彰人は読書なり手芸なりやりたいことを好き勝手やる(それに飽きたらオレに話しかけてくる)。
授業までの短くも長くもない中途半端な時間、そうやって「いつも」が始まる、……はずだった。
「あの、弥生」
最近よく意識している甲高い声が、鼓膜を震わせる。
「……っ」
間違えるはずもない。硬く唇を結んだ時雨が、いつのまにかオレの近くに立っていた。
後を追ってきたのだろうか。なにせ席に座ろうとした直後だったので、腰を浮かせた変な格好のままオレは固まってしまった。
一方の時雨も妙に真剣な表情でこちらを見ている。
そう、まるで——まるで今から告白するみたいな、そんな顔で。
「どう、した? なんか用か?」
なるべく小さな声で、オレは尋ねた。
さっきすでに注目を集めた身。時雨に隠れて見えないが、絶対にクラスの視線はオレたちへと引き寄せられている。
時雨も小さく「よし」と言ったと思ったら。
「弥生に、手伝ってほしいことがあるんだけど」
殊更明るい声で、言葉を続けた。
「……手伝い?」
思ってもなかった言葉に、心の中でガクッと崩れる。
「うん。現国の課題運ぶのを手伝って欲しいんだ。弥生ってなんでも係でしょ?」
「なんでも……あ、ああ」
クラスでは一人一人に何かしらの役割が定められている。
一番わかりやすい例を言えば学級委員だが、その他にも各教科の担当教員の補助する係など、多岐にわたる係がある。
そしてオレが務めているなんでも係。
えらくキャッチーなフレーズだが、言ってしまえば体のいい雑用係である。各係が欠席などで穴が空いた際、その部分を補填する役割だ。
もっとも四月に就任してから三ヶ月、一度も稼働したことはなく、もはやそのことさえ今の今まで忘れていた。……クラスメイトとのやりとりが増えるじゃねえかとか考えてた時が懐かしいぜ!
「もう一人の子が休んじゃってて、……さすがにあたし一人で運ぶのはきつい量だからさ。お願い!」
「おう、いいけど」
拍子抜けしたものの、自然な形で時雨と話す機会ができたのは……よかったかもしれない。
「男の見せ所だね、カッケー」
「んな、大袈裟なもんじゃねえよ」オレは彰人の囃す声をあしらいつつ、「……じゃ、行くか」
「うん!」
なんだか嬉しそうな返事を聞いて小っ恥ずかしくなり、そそくさと教室の後ろを横断する。
ノイズはあえて削ぎ落とした。
課題がある場所はどうせ職員室だ。案内してもらう必要はない。
廊下をずんずんと歩いていると、背後から小走りで駆けてきた時雨が並んだ。
「ありがとね、カケル。手伝ってくれて」
こそっと、ウインクして言う時雨。
うっ……破壊力が高い……。
「そりゃ全然いいんだけどよ。い……時雨が変に思われんじゃねえのかなって」
平成を装って、むしろ心配している風に言葉を返す。
「ちゃんと理由があったからね。大丈夫大丈夫」
まあ、クラスでトップカーストに位置する人間の行動だ。多少の荒でその在り方が揺らいだりはしないと踏んでいるのだろう。
「それにさ」
もっともらしい理屈をこねくり回していたら、
さらなる攻撃が飛んできた。
「学校でももっと、カケルと話したかったし」
〜〜っ。
熱い。
いま、オレは猛烈に熱かった。
なんだ。彼女もちゃんと、同じ気持ちだったのだ。
絶対に赤くなった顔を見せたくなくて。
「そういや、いつものお友達三人はどうした? 昼休みは大体一緒にいるんだろ?」
「美香たちは今食堂でお茶してるよ。あたしは仕事があるからって抜けてきたから、平気だよ」
「ふーん」
「だから、ちょっとは一緒に、ね」
オレたちは並んで歩いている。
けど手を繋ぐどころか、距離感は他人のそれに近い。
でも、心の距離はきっと、強く触れ合っていたに違いない。
職員室に着くまでの短い時間、たわいのない話しかしなかったけれど、今までのどんな昼休みよりも楽しかった。
そうして、夜。
オレは一人、自室のベットの上で悶々としていた。
いや、別に変なことを考えてるわけじゃない。淡い淡い、青春の話だ。
『カケル。明日、うちに来ない?』
時雨は確かに確実に絶対に、はにかみながらそう言った。職員室の帰り、雑踏に紛れたその一瞬、ただそれだけをオレの耳元で告げたのだ。
詳しくはまた後でねという言葉ですら満足に受け止めきれず、午後の授業をそれこそ悶々と過ごす羽目になった。
そして、下校途中の電車に揺られていると彼女からメールが届く。
『弥生がよかったら明日の土曜日、あたしの家に遊びに来ない? お父さんは仕事だから、あたし一人だし、大丈夫だよ』
あたし一人。
一人。
さて、どう捉えたものか。
ここでまあ表択を考えるなら誘っているというやつだ。でもしかし、彼女はどれだけ取り繕おうとも真性のオタクであり、見た目の割には純情な女の子だ。裏択として試しているという可能性もある。
ここでオレが狼になればアボン! だ。
時雨は結構いい加減な人間ではあるが、オレみたいな対人関係希薄男など、簡単に謀ることができるだろう。
…………まあ、長々と語ったが、結局は気持ちのままに送ったに一票なわけだが。
そこを指摘されると「違うから!」なんて慌てるような、無頓着な娘でもある。
だからこそオレはメールを受け取って、明日の土曜日が楽しみで楽しみで仕方なくなって、「じゃあ、お邪魔させてもらうわ」と即座に返信したくらいだ。
そう、オレが悶えているのはこの恋人っぽいやり取りに耐えがたい恥ずかしさと嬉しさを抱いていたからなのだ。
「まじかー、女の子の部屋ってどんなだろ」
野郎の部屋ならば彰人に限らず何度も上がったことはあるが、思い返しても女の子の部屋なんて想像でしか語れない。気持ち悪い話、どんな匂いがするんだろうとかすごく興味ある。
きっと柑橘系の香りが溢れているに違いないが、ともあれ部屋を感じてみたい。
いかん、おかしくなってるな。これは現実か? よしよし、さっきのメールを見て確かめよう。
そうして勢いで吹っ飛ばしてしまったスマホをごそごそ探していると——、
コンコン、ガチャ。
「ちょっと、翔」
「どわああぁっ!」
突如現れた侵入者に情けない悲鳴をあげる。
もっともその侵入者は人生で一番見慣れた顔、母さんだ。
「ノックしろよ、マジで」
「さっきからドタドタうるさいよ。それに今の声もうるさい。そんな驚くってことは、なにかやらしーことでも考えてたんでしょ」
「違うし。そんなんじゃない」
自分でもわかってる。子供っぽい反応だなって。
でも、高校生が母親に対してどう落ち着いて対応できる方がおかしいと、思う。
「まあ、どうでもいいけど。それより明日、デパートに買い物行くんだけど、あんたの服も買うから。サイズ合わせないといけないし用意しといてね」
「いや……服なんて自分で買うからいいって」
「でも、あんたの買う服センスないからねー。ただでさえインパクトのある顔なのに」
「う、うるせえ」
それが実の息子の容姿に対する反応か! 服のセンスはともかく!
「どうせ予定ないんなら、付き合ってくれてもいいのに」
「ふざけんな。あるよ、予定」
「あらそう。じゃあ、勝手に買ってくるけど文句言わないでよ」
「いや買うなよ。いいって言ってんじゃん」
「もうボロボロなの。あんなよろっちい服着てたら恥ずかしいでしょ」
「あー、はいはい。じゃあお願いするよ」
でもさ、なんかほら、あれじゃん。親が買ってきた服を着るのって精神的に屈辱だよな。だから無理して自分で買ってくるわけだけど、残念ながらセンスはないらしい。
まあ、良くも悪くも親の評価だ。
深く考えないのが一番。
「ほんと、お父さんと一緒で服には無頓着なんだから」
まだ文句が言い足りないのやら、ブツブツと呟いている母さん。
「もういいだろ。出てってくれよ……」
なんというか、家族であるが故にパーソナルスペースに入られるのが気に食わないのだ。友達とかなら大丈夫なんだけどな(まあ数に関しては以下略)。
「はいはい。……で、ちなみに明日、誰かと遊ぶの? 予定があるなんて珍しい」
「……彰人のとこだよ」
とっさに嘘をつく。考える間もない、本能的な返答だった。
「あら、彰人くんなんだ。てっきり女の子の家かと思ったんだけど」
しかし呆気なく度肝を抜かれる。
「は、いや、違うわ。オレに女の子の友達なんていねえ、から」
「何悲しいこと言ってんの。でも、翔、さっき『女の子の部屋がどんなのかな』みたいなこと言ってたじゃない」
聞こえてたのかー!
オレの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。浮かれて大声出しすぎだろ、おい!
「それは……オレの、願望ってだけ、だよ」
「より悲しいわね……。まあ、あんたと仲良くなってくれる子がいるってんなら、大事にしなさいよ。その顔を怖がらない人材は貴重なんだから」
あー。これはもう母さんの中で固まってるなぁ。
こういう時の親は、異常に鋭い。少なくともうちの母さんは。
「……なあ、ちょっと聞きたいんだけど、母さんは、父さんのどんなところが好きだったんだ?」
「そうね。顔じゃないことは確か」
なんの躊躇いもなく、あっさりと母さんは言った。
なるほどなるほど。
男はやっぱり「心」ってことだな!
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