第5話 「一目惚れの理由」
予定通り、映画終わりにはちょうど昼時だったので、学生の味方、有名チェーン店「モックドナルト」へ訪れた。
人生初デートの第一ステップで、テンションをどん底に叩き落とされたわけだが、幸いなのは、一ノ瀬が細かいことにこだわらずにすぐに調子を取り戻したことだ。このまま暗い気分を引きずるのは男らしくないと、オレも頑張って明るい話題を振った。
そして、腹ごしらえもそこそこに次の目的地へ向かう。
世のリア充であるならば、ちょっとオシャレなアパレルショップでも……となるかもしれないが、あいにくと一丁前のオタクが二人。
某アニメ・漫画専門店へ顔出しするのは必然だった。
「すっごーい! ネットで見た通り本がぎっしり!」
いつにも増して顔の表情がうるさくなっている一ノ瀬。
「来るの、初めてなのか?」
「当然だよ! いつもの格好で入ったら目立っちゃうしね」
今のあなたの格好もだいぶと目立ってますよ、と言ってやりたかったが、「ほら、行くよ!」と手を引っ張られてしまっては、頬を緩めるしかないというものだ。
とりあえず何を買うとかを決めてるわけではないので、立ち並ぶ書棚を順番に見て回る。
最初はアニメ雑誌コーナーだ。
「そういえば、あたしたちが会ったのもこういう雑誌コーナーだったよね」
「めちゃくちゃ懐かしそうに語ってるけどまだ一週間も経ってないからね?」
「……あたしにとってはかなり長かったの」
「ふーん、まあ人それぞれだしな」
「……っ、弥生のばか!」
突然、べーと舌を出して先に行ってしまった。
「えぇ……」
女心は難しいなと、いそいそと後に続く。
順繰りに店内を回って……。
最後に訪れたのはラノベコーナーだった。
「一ノ瀬はこういうのって読むのか?」
ラノベコーナーに並んでいるのは多くが男性向けだ。女性向けもわずかながらあるが、それ専門の店ではないので、有名どころだけだ。
「うん、結構読むよ」先ほどの不機嫌が嘘のように軽く答える一ノ瀬。「ネット小説みたいなファンタジーなのはよくわからないけど、恋愛要素が入ってるやつは好きかなぁ。主人公じゃなくて、ヒロインの気持ちになってることが多いけど」
ふむ、なるほど。
小説媒体なんてものは特に、主人公に感情移入して読み進めるものだとは思うが、たしかに主人公でなければいけないわけでもない。
それこそヒロインたちはたくさん転がっているので、ロールプレイ感覚で楽しめるものなのかも、しれない。
「にしても、男向けの作品って、女側から見て気になったりしないのか? 普通、女の子はこんなこと言わないよ、とか」
オタク女子に、一度は聞いてみたかったことだ。ちょうどいい。
「んー、まあ、物語だしね。目立ってる……というか、個性っていうの? そーいうのがラノベとか漫画のキャラは大事じゃん。弥生もオタクならわかるでしょ?」
「男でも少女漫画を読んでみたら意外とハマったみたいな話か。いや、一回聞いてみたかっただけだから、大した話でもねえんだけどな」
「…………それに、現実でもあるんだよ」
「あるって、何が?」
か細い声ではあったが、聞いてしまったからには無視できなかった。
「女の子が恋に落ちる瞬間、とかさ」
………………。
わお。
なんて甘美な響きなんでしょう。
恋に落ちるって、あなた。そんな詩的な表現使えまして?
と、よくよく考えて普通の表現が彼女の口から飛び出したことに、きっとオレは驚いた顔をしている。てか、驚いた。
「……一ノ瀬にも、やっぱりあったのか?」
「…………。ふーん……聞きたいの?」
「そりゃあ、聞きたいだろ。いまさら改めて話すのもなんだけどオレたちほとんど話したことないし……オレは、クラスの連中には疎まれてた側だからさ」
「……そこまで言うなら、いいよ。ここじゃあれだし、端に行こっか」
なんだかイケナイコトをしてるような気になるのは気のせいだろうか。妙な背徳感が全身を駆け回る。
そうして。
オレたちは、店内エレベーターがある階段横の踊り場に場所を移した。
ちょこまかと進んでいた一ノ瀬は、壁にたどり着くとくるっと振り返って、
「じゃあ、聞いてもらおうかな」
ごくり、とリアルに息を呑むオレ。
「弥生が……その、あたしを助けてくれたからだよ」
一ノ瀬は、ちょっと俯きながらぽつぽつと語り出した……。
私、もともと髪の色が薄くてね。あ、白髪とかじゃないから! 一応。
それで……うちの中学はそーいうの厳しかったから、髪の毛染めさせられちゃって。まあ、あの時は眼鏡かけてたし、あ、今はコンタクトなんだけど……とにかく地味な見た目だったんだよね。
え、なんの話って……うーん、話すのって難しいよー。
それでさ、黒髪で地味っ子だった私は、今よりもずっとずっと暗い女の子だったから。今と違って一人ぼっちだったんだ。
それに、弥生も知ってると思うけど、あたしちょっとドジなところあるじゃん? ……うっ、そんなに頷かれると傷つくけど。
えーととにかく、そのドジをしちゃって、ちょっと怖そうな男の人たちにぶつかっちゃったの。
あたし、身長低い方だから、ぐおーって感じで囲まれちゃって。
ごめんなさいごめんなさいって泣いて謝ることしかできなくてね。
うまくいかないことばっかりで、ボロボロだった。
——そんな時に現れたのが、弥生だったんだよ。
本当に恥ずかしそうに言って、はにかんだ一ノ瀬。
その頬は熱した鉄のように赤かったが、瞳だけは真っ直ぐにこちらを見据えて。
「あたしを庇うように立ってくれて、『やめろよ』って」
この熱い想いにどう言葉を返そうか、粋な答えは……出ない。
だって、だって。
「………………あったっけなぁ、そんなこと」
身に覚えが、なさすぎる。
「うーん、言っても思い出してくれないかー、ちょっとショックだなー」
投げやりな口調ではあるがさすがにそこに寂しさのようなものがあるのはわかるので、それこそ口の中だけで「ごめんなさい、ごめんなさい」とお経のように唱える。
おっかしいなぁ。
そんな一般英雄じみたことをやったとしたら、その晩は回想だけでご飯三杯は食えるぜ?
「オレ、忘れ物激しいからな、ハハ」
乾いた言葉しか出ない。ほんと。
「まあ、『あの時』はほんのちょっとの時間だったからね。忘れてたことは許すしかないかな」と言いいつも、未だに一ノ瀬は唇を尖らせつつ、「一年間、勇気のなかったあたしもあたしだし」
「一年間も、ねえ。つってもマジで、一ノ瀬とは関わりない系の人種だったからなぁ」
そう、何を隠そう。
彼女、一ノ瀬時雨は去年もオレと同じクラスだった。
ついでに言ってしまえば一ノ瀬がいつもつるんでいる残りの陽キャラどもも、丸ごと一緒に引き継ぎだ。
忘れもしない一年の春、入学初日にキャピキャピと幸いでいた奴らを、コミュ強モンスターなんて名付けてたものだ(だって初日だぞ⁉︎)。
「クラス初めの自己紹介? みたいなやつで弥生を見つけた時、びっくりだったんだから。何これ? 運命? 運命の人? みたいな感じでね」でもさ……、と一ノ瀬はそこで一旦区切り、なんだかオレを睨みつけるようにして、「よく見てれば、クールとかそういうレベルじゃないほど根暗だし、なんか一人でいる時変な顔したりしてるし……」
いろいろ言いたいことは浮かんだが、まず先に一つ。
「オレ、そんな変な顔してるときあるのか……?」
「あるよ。ありありだよ。自分で気づいてなかったの? ふとした時に急にニヤけたりとか。いつもやってるみたいだけど、気持ち悪いからやめた方がいいよ、それ」
根暗はともかく、そんな気持ち悪いことを無意識のうちにやってしまっているとは……!
…………気をつけよう、マジで。
「まあ、それはどうでもいいんだけど、そうやって弥生を見てたらさ…………あたしとおんなじだって、気づいたの」
おんなじ。同じ。
オタク、ということだろう。
世間一般から見ればバッドと言って差し支えのないいステータス。
たとえテレビCMで、萌え萌えとした宣伝が流れる時代になった今でも、
——結局はコソコソと隠れる。
仮に露見したとして、あー、実はそうなんだ、と笑って誤魔化す、そんな習性がオタクの中では根付いていると思う。環境によっては一ノ瀬やオレみたいな悟らせることすら避けたい人間も、いる。
でも、オレたちの考えは自然だとも思う。
一番ナイーブな時期、また大人になりきれていない時期に、風当たりの強い趣味を、堂々と公言できる強心臓の持ち主がどれだけいるだろうか。
……何事にも
「これも素直に気になってたんだが、オレがオタクで、一ノ瀬はどう思ったんだ?」
詳らかにしている世間のオタクカップルは関係なく、オタク趣味を隠してしまうリア充系女の子、一ノ瀬時雨その人は、どうなのか。
「……ギャップは、すごかったよ。さっきも言ったけど、だいぶとイメージと違ったしね」
一瞬、迷ったような素振りを見せたが、だんだんとはっきり言う。
「けど、弥生がオタクだってわかった時、嬉しい、って思った。趣味が否定されたりすることはないんだって、自然体でいれるんだって! でも、でもね! 弥生がクラスで浮きまくってるからさ!」
突然語気を強めて言うが、自分でも熱くなったのに気づいたのか、「話しかけづらかったな……」と、すぐさま声を落とした。
「でも、高校生になって手に入れた自分の居場所っていうの? そっちも大事だったから、クラスのみんなから避けられてる弥生が好きだなんて知られたら、変に思われるかもしれないって思っちゃったんだよね」
……それで曖昧にしてるうちに時間だけが過ぎてって、それで本屋さんでたまたま、あんな風になって、後はつい、勢いで言っちゃったんだよ……、と。
後半になるにつれ、小さくなっていく言葉と相対して、再びほんのりと赤くなっていく一ノ瀬の顔。
恋愛偏差値が三五くらいのオレはつい視線を彷徨わせてしまう(ギリギリ存在しそうな偏差値というのがポイント)。
「でも、結局言い訳だったかなぁ。教室で弥生に話しかけた時も案外みんな気にしなかったし。なんかクラスの美香以外の娘には、『一ノ瀬さんってああいうのがタイプなの?』とか言われたけどね」
「気にされてんじゃねえか」
「大丈夫大丈夫、優しい人がタイプって、ちゃんと言っておいたから!」
「なおさらおかしいなぁ、それは」
「大丈夫だよ、弥生は優しいから」
「そんなの急にわかるか?」
「わかるの。弥生は優しいよ」
「そうかい」
まあ、一ノ瀬が強引なのはいつものことだ。
「それにさ」
なんだか笑うように声を弾ませた一ノ瀬は、
「オタク趣味と一緒だよ。——好きになっちゃったものはしょうがないじゃん」
ドキン、とオレの心臓が高鳴った。
……そうだ、よくよく考えてみれば、オレがいつも変な顔をしたりしているなど、ずっと観察しないとわからない。
正直言って、今の今までどこかで一ノ瀬の告白を疑っていたが、さすがに彼女の気持ちがいっときの感情だけのものではないと理解する。
基本的にオレは友達が少ない。
というか一人しかいない。
けど、人と関わってこなかったわけではない。
そう、人の悪意というものは意外とわかりやすいものなのだ。
彼女の告白は、リア充どもが考えだすような告白ゲームみたいな陳腐なものではなく、彼女がただ、自分の気持ちを伝えてくれただけだと、オレは確信を持つ。
……ってか、これが嘘だとしたら、オレはもう女という生き物を信じられなくなるよ。
けど、そんな不安さえもようやく綺麗さっぱり吹き飛んだってわけだ。
——ならば、ちゃんと言うべきだ。
「……オレも、わかった気がする」
「何がわかったの?」
「自分の気持ちってやつ。マジでいきなりの告白だったから、一ノ瀬に対する気持ちの整理が急にはできないってのは、言ったよな」
「うん……まあ」
少々、オレの意味深な態度に不安を覚えたのか、一ノ瀬の声は小さい。
いかんいかん、これは安心させるための宣言だというのに。
「けど、このデートまでを通して、お前がずっと見てくれてたこととか、自分のことを変えようと頑張ったこととか、素直に感情を伝えてくれるとことか、そんなお前を見て、『すげえな』って思った」
一週間にも満たない時間。
強引で無理やりに始まった関係かもしれないけど、たったそれだけの時間で一ノ瀬時雨という人間の魅力を教えてもらった。
「だから、もっと一ノ瀬と話してみたいなって。……あ、別に友達としてとかそういうこと言ってるんじゃなくて、男女の関係にそもそも友情なんてあってないようなもので、
つまり何が言いたいかと言うと、」
ええい、ままよ!
「……オレも、お前のことが好き……なんだと思う」
つい誤解を生むような発言をしでかしたことに気づき、結果超早口になるというオタク特有のスキルをこの場でかましてしまった。
そして当然、こんな台詞を相手の目を見て言えるほどの勇気は備わっていない。
あとはもう、ごまかす!
「だからまあ、なんだ。これからもよろしく、ということで」
もはや明後日の方向を見てオレは、言った。
「…………」
反応はない。
反応は、
ちらっと、さすがに見ると。
ふふっ、と。
彼女の最も威力の高い笑顔が炸裂した。
「何言ってんの、もうっ。慌てちゃって。おかしい」
「う、うるさい」
オレはとっさに返しつつも、たぶん笑っていた。
そう。
一ノ瀬は、ちょこっと笑うところが一番可愛いのだ。
そういうことをわかる時点で、やっぱりオレは一ノ瀬のことが好きなんだろう。
……そう、自分で考えて、一気に恥ずかしくなってきた。
やばいな。その場の勢いって。夜中に悶えること確実案件だ。
いや……いっそ今もう叫び出したい。それだけきた。
が、これでもあの彰人にTPOを説いた身。
大人にならなければ。
「……人の気持ちに踏み込んでいけるって、やっぱりすげえよ。なんでお前らって、そんなにすぐ仲良くなれるん?」
雰囲気を変えてしまうような話だが、気になってしまったら尋ねてしまうのがオレの悪い癖だ。なかなか直らない。
「適当に頷くだけっつっても、限度があるだろ」
「えー? そうだなぁ……相手の話を盛り上げるように持ってければ、会話なんてなんとかなるもんだよ」
お、おお。なるほど。
さっきの話を聞く限り、実は一ノ瀬も元陰キャラ。
彼女がキャラチェンするために考え出した答えが、それというわけか。
…………でもそれって、キャバクラとかホストみたいじゃね? 本職に言ったら怒られるだろうけど、高度な技術ですよと言っているのだ、要は。
「……頑張れば、オレもできるかな……」
「大丈夫、メールでもリアルでも、あたしとは普通に喋れてるじゃん。冗談とかも言ったりもするし、話せる時点で中学のあたしより全然マシだよ?」
「そりゃ顔の違いですよ、あなた」と、いつも通り言おうともしたが、女の子と話す機会が一気に増えたゆえに(一人だが)、その言い訳すらなんだか惨めに思えてくる。
というか。
「…………。そういや言われて気づいたけど……なんで一ノ瀬とはこんなに話せるんだろうな?」
初めて受けた告白だったこともあり、最近の自分がハイになっているという自覚はあった。
ただ自分の知っている弥生翔という人間は、女の子との会話なんて一度すると、緊張で言葉がうわずってしまうような男の子だ。
実際、一ノ瀬にジュースを引っ掛けられそうになった時も、まともな返答はできなかった。
それ、なのに。
こうして今、曲がりなりにもデートというものを成立させている。
「んー、恋人になったから。責任感? みたいな」
「いやそれは違うと思う」
一ノ瀬もそれとなく答えてくれたが、やはり彼女の日本語は唐突だ。
「なんつーかな。あれだ。最初は話すのに緊張するけど、一日一緒にいれば普通に話せるようになる、みたいな。久しぶりに会った従兄弟とか幼馴染とか、そんな感じ?」
「なにそれ、よくわかんないよ」
「えー、いや伝わんねーかなぁ。ちゃんとした言葉にするの難しい例えなんだよ」
「じゃあやっぱり恋人になったからだよ!」
「だから関係ないって……」
こう、わちゃわちゃと他愛もない話をするのが、今は楽しい。
彰人とはよくする中身の全くない会話なのに、それとは比べ物にならないくらいにもっとしていたいと思う。
思ったのだけれど……、
「————ゴホンっ」
明らかにわざとらしい咳払いが聞こえた。
おそらくオレと一ノ瀬は同じ瞬間に振り向き、同じ瞬間に苦い顔をした。
若い男のスタッフさんが苦い顔をしながら、通路前に立ち塞がっていたからだ。……いや、立ち塞がっているのはオレたちの方だ。
「すみません、お客様。そちらスタッフの専用の出入り口前ですので、移動していただきたいのですが……」
エレベーターあり控室ありと、この店はかなり詰め込んだ構造になっているらしい。
そんなどうでもいいことを考えてしまうくらいには、彼からはなんとも言えない視線を送られていた。
「あっ、すみません」
帽子をあげてとっさに謝ったのだが、動揺は自分で思っていたより大きかったらしく、後半、ボソボソ小さくしか声が出ない。
ひっ、と明らかに漏れ出たといった感じの悲鳴。
これは……やった。いつもの勘違いだ。
「すみませーん。お邪魔ですよねー」
だが、一ノ瀬が持ち前の明るさを発揮しつつペコペコ頭を下げて、「行くよ!」とオレの手を引っ張る。
「こ、こちらこそお邪魔してしまって……」
と、非常に引き攣った表情で小さく言うスタッフさんの横を、目を背けながら通り過ぎた。
ほんと、ごめんなさい、嫌な思いさせて。
カップルに話しかけるのって嫌だよな。自分に相手がいないのなら、なおさら。
絶対にオレの方が年下だろうに。
わかるわかる。ほんと。辛いよなぁ。
オレたちはわたわたと活気溢れる売り場へと戻っていった……。
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