第3話 「さっそくすれ違い後、仲直り」



「……っ」


 オレは浅い眠りから目覚めると、顔を上げる。

 薄ぼんやりとした視界で辺りを見回すとそこは通い慣れた教室だ。ただし、周りには人っ子一人いない。

 俺はすぐに、教室の机で突っ伏して寝ていたことに気づく。

 教室の黒板の上にかけられた時計を見ると八時のちょっと手前。登校している生徒は部活生くらいしかいない、絶妙に静かな時間。

 オレをよく知る者ならここで疑問に思うはずだ(ツッコミどころ)。

 なぜオレがこんな早くに学校にいるんだ、ってな。

 突然だが、オレは朝が弱い。であるからして、普段ならば八時台を三分の二回ったあたりで教室駆け込むのが定石なのだ。

 だが、今、オレはここにいる。

 なぜか? 教えてやろう。

 そう、オレに彼女ができたからだ! はーっはっはっは!


「うおおおおっ。もー、マジかよ。マジで? 何回も確認したけど、ほんっとに夢じゃねえんだよな」


 思い出すだけで胸の高鳴りが最高潮になる。少女漫画のヒロインだって、こんなにドキドキしたりしねえよって、断言できる。

 ああ、神様。

 あなたは、オレを見放してなんかいなかったんですね。

 ニヤニヤが止まらない。くうっー、と幸せを噛み締めながら、あの娘のことを思い浮かべる。

 ふわっとした茶髪。くりっとした、お目々。童顔巨乳。積極的な性格だけど照れ屋。

 役満だろ、これ。

 オレはイカつい見た目で敬遠されることが多いから、なんかそばにいてくれても違和感ないような娘がいいとは思っていたが、ある意味その条件に適した存在に向こうからアプローチをかけてこられるとは。

 オタク趣味に関しても、まあ、問題ないと言っていい。一ノ瀬がどんな系統のものが好きなのかはわからないが、仮にどぎついBLが好みだとしても妄想で済ませてくれるならオーケーだし、そもそもオタク同士だからって無理に相手の領域に踏み込む必要がない。

 同じ作品が好きでも、「推し」が違うだけで戦争が勃発するような世界だ。お互い、気が合うものだけ共有すればいい。

 もっとも、そんなことを心配するよりも、付き合うってどういうもんなの? って状態なのだが。

 昨日は連絡先を交換したはいいものの、興奮とは裏腹に一行だってメッセージを送れなかった。結局相手からのメッセージもなかったので、そうだ、向こうも同じなんだ、スマホの前でどうしようどうしようって悶えてるんだ、と妄想することで、己も送らないことを正当化する始末。

 だが、せっかくできた理想的な学園生活へのキップ。こんなチャンス二度と訪れないかもしれない。

 だからこそオレは、対一ノ瀬時雨への作戦会議を展開することにした。

 家でやってもよかったのだが、母親から独り言はモテないぞーという悲しき忠告を受けてしまい、耐えきれなくなったのだ。

 で、誰もいない教室で考えこむことにしたはいいものの、眠気に襲われてしまったというわけで——、



「気持ち悪い顔してどうしたの?」



「どうぁぁ‼︎」


 目の前にグリン! っと現れた顔。

 情けない悲鳴とともに危うく椅子から落ちかける。

 座席前方の机の影から、ホラー映画の演出よろしく飛び出してきたのは、オレの唯一の盟友である彰人だった。


「あ、きと……てめえ! なんつー登場の仕方しやがる!」


「いやぁ。こんな早くに学校に来たら、なんでかカッケーも登校してて、しかもだらしない顔でぶつぶつ呟いてるんだよ? そんなの脅かすしかないでしょ?」


「演出がガチなんだよ……。趣味が悪い」


 ドキドキはいいけど、ドキッは勘弁。


「だって、教室に入った時カッケーに声かけたけど、無視したじゃん。因果応報なんだよ」


「そうなのか? 聞こえなかったんだが……」


「もー、ほんとに考え事に夢中だったんだね。なんか悩み事?」


「悩み事っちゃ悩み事だな。……嬉しい方の」


 どうしよう。こいつに彼女できましたって、伝えてもいいのかな? 正直、こいつは毒にも薬にもなる存在だから、できればそっとしておいてほしい気持ちもあるんだが。


「なるほど……? 僕らは若人だからね。散々悩むべきだと思うよ。ただ、クラスのみんなが登校するまでには、その笑顔とも呼べない何かは直す練習しないとね」


「うっせ」


「あ、そんなことよりさー」思いついたように彰人は話題を変える。「一ノ瀬さんのことなんだけど」


「あー、一ノ瀬なぁ……ってえええええ! 一ノ瀬がなんだって⁉︎」


「……何焦ってんのさ。カッケー」


 焦るさ。焦るだろ。いきなり名前出されたら。


「別に……焦ってねえよ?」


「病院行った方がいいんじゃない?」


「そうかもしれねえ。いや……やっぱ行けねえわ」


 ——すみません先生。最近胸の動悸が激しくて苦しいんです。夜も眠れません。助けてください。いえ、特に持病があるわけではないんですけどね。ある日突然そうなりました。ひょっとすると精神性のものなのかもしれません。実は、少し人間関係で悩んでるんです……。特にとある女の子の前では症状がより激しくなりまして——恋の病って、保険が降りるんでしょうか?

 精神病棟に放り込まれそうだ。


「まあ、いいや。それでさ、一ノ瀬さんを昨日見かけたんだよ」


「なっ、どこでだ?」


「駅前だよ。めちゃくちゃ上機嫌でスキップしてたんだ。周りから変な目で見られてもお構いなしって感じだったし、なんかいいことでもあったのかな?」


「さあ、宝くじにでも当たったんじゃねえの?」


 適当に答えるが、内心それどころじゃない。

 駅前って、オレと連絡先交換して別れた直後じゃねーか。

 オレは電車に乗って帰るが、あの書店は一ノ瀬にとっては近所だったらしく、駅で解散となったわけだ。


「だから、初めての彼氏でもできたのかなぁ、って」


 はうっ⁉︎ ドンピシャストレート⁉︎


「そ、その心は?」


「いやね。ああいう周りに合わせた感じの派手な娘って、意外と奥手な娘が多いんだよ。そんな娘があれだけはしゃぐのはそれぐらいしか思いつかないし、僕のレーダーは七割は当たるからね。あれは男だよ、間違いない。残念だったね、カッケー」


「キモチワルイ、レーダー、ヤメロ」


 つい、カタコトになる。変にあってそうなのが怖えんだよ。


「というかだな、彰人。お前こそなんで、こんな早くに学校にいんだよ」


 深く考えないことにして、突っ込む。


「大した理由なんてないよ。ただ、人がいない教室でいちゃついてるカップルは現実にもいるのかなーって調査してただけだし」


「間違えるな。それは大した理由だぞ」


 もうこいつの発想力やべえよ。潜在的なサイコパス入っちゃってるよ。


「ま、調査結果は、独り言を呟きながら時々笑う強面がいましたってオチだったけどね」


 なるほど。

 まったく、ひでえオチだ。



 ようやく教室に騒がしさが訪れてきた……。

 朝練を終えた部活生、普通に登校してくる生徒。

 なんでもない学校生活が始まりつつある。

 そして、オレの彼女である一ノ瀬時雨も、教室にやってきた。


「おはよーっ」


 元気な声で挨拶。これには全国の校長先生も笑顔になること間違いない明るさだ。ただしもちろんそれはオレに向けられたものではなく、主に彼女らのグループに対してだ。

 いや、知ってたけどね。

 付き合いたてのカップルがやりそうな、「あ、弥生くん……お、おはよう」、「おう……、お、おはよう」なーんて、照れ照れした会話を展開しようものなら、クラスという枠を飛び越えて、学年中に広まっても決して驚きはしない。

 それでもちょっと目線くらい送ってくれてもいいじゃない? っていうのが、男の悲しき性だった。一応、恋人同士としての学園生活初めての日なのだから、まったく気にしてくれないというのは寂しいものだ。

 ……なんだろうな。考える時間くれないか? とか言ってたオレが一番喜んでる気がする。やべえ、オレって束縛癖でもあったりするのか……。

 自分の思わぬ性格の発見にワナワナしていると……。


「あ、やばっ」


 手持ち無沙汰にスマートフォンで何かのサイトでも見ていたのであろう彰人が、焦った声を上げる。


「現国の課題、再提出しないといけないの忘れてた! 締め切りが登校時間までだったから早く来たのに!」


「馬鹿すぎんだろ……」


 なんで主目的を先に遂行しとかねえんだよ。

 つまりこいつは、本気でカップル探しを敢行していたということになる。


「行ってくるねー」


 乱暴に己の鞄の中からファイルをつかみ出すと、慌てて駆け出していった。


「ったく、朝から騒がしい奴だな……。オレも頭の中は騒がしかったけど」


 彰人を呆れながら見送ったオレは、放課後には一ノ瀬にメールしてみるかな、なんて考えていた。

 だから……その張本人が机の前に来たのに、ギリギリまで気づかなかった。


「ちょっと、弥生!」


「んお」


 びっくりした。


「な、なに変な声出してんの……。気持ち悪いよ」


「気持ち悪い言うな。……って、いいのかよ。オレなんかに話しかけて」


「いいに決まってんじゃん。一応こい……クラスメイトなんだから」


 あ、言い直した。それでもちょっと嬉しい。


「ちょっと来て。話があるの」


 言うだけ言って、教室の外に向かう一ノ瀬。

 ふと周りを見渡せば、オレの座席近くの生徒は、目を丸くして見ている。やっぱりオレに話しかける一ノ瀬というのは、皆の目には新鮮に映るようだ。


「強引な奴だな……」


 居心地が悪くなりつつも、オレは一ノ瀬の後を追った。



 ゆるゆるした茶髪を追いかけて行った先は、階段の踊り場。


「話っていきなりどうしたんだよ。結構目立って気まずかったぞ」


「だって、あそこで話せる内容じゃなかったし……でもすぐに聞いておきたかったし」


「わかったよ……。それで、話って?」


 どうにも意図が読めず、尋ねるばかりになってしまう。


「確認なんだけど、あたしって、弥生と付き合ってるってことで、いいんだよね?」


「あ、ああ。いいぞ。いい、いいに決まってる。少なくともオレはそう思ってるんだけど」


 え、え? なんの確認? これ。


「なら、いいんだけど。その、弥生は……あたしのこと、あの……なんていうか、そんなに好きじゃなかったりするのかなー、って思っちゃってさ」


「好きじゃないって……そりゃ、いきなり付き合ったんだから好きとかいう感情はわからねえけど、決して嫌いとかじゃないぞ。その……付き合ってんだから」


 少女漫画みたいな甘酸っぱい両想いならいざ知らず、ちょっとずつ好意を知っていくのが普通だろうからな。いや、知らんけれども。


「そ、そう。でも、メールしても返してくれなかったし、帰り際にあたしなんか悪いことしたかなぁって」


「メール? なにそれ?」


 知らない。

 オレも花の高校生である。現代社会の闇であるスマートフォンの魔力に取り憑かれており、まず片時として手放すことはない。だから、メールなんて見逃すはずがないのだが……。


「え? あたし送ったよ」


「届いてないんだけど」


「うっそー! なんでなんで! 二時間も考えて送ったのに!」


 可愛い宣言は嬉しいのだが、ほんとに覚えがない。


「ちょっと待ってろ」


 急いでスマホを取り出し、電話番号と繋がっているメールアプリを開くと履歴を見る。


『送信元 母さん/母さん/母さん/母さん』


 トップページには、ものの見事に母親からの着信しか残されていなかった。これを見せるのは一瞬憚られたが、目の前で若干瞳を潤ませている一ノ瀬に、下手な隠し事をするのはまずい。


「ほら」


 スマホの画面を彼女の目の前に差し出す。


「ほんとだ。あたしの名前がない……って、全部お母さんからじゃん! 寂しっ! マザコン!」


「マザコン言うな! これはオレのメール相手が母さんしかいないだけだ!」


「弥生それ、自分で言ってて悲しくならない……? あれ、でも弥生って、中岡と仲いいよね。メールしてないの?」


「あー、あいつは必要以上にメール送ってきてうざいから、迷惑メール設定にしてる」


 オレの数少ないメール相手を削るのは限りなく辛いが、だからといってSNS代わりにメールを送ってくる輩の相手をするのはだるい。現に、迷惑メールボックスには何百件という奴からのメールがあって……。

 そこまで考えて。


「っ、迷惑メール!」


 急いでそっちのメールボックスも確認する。

 一番上の欄には彰人の、『朝の学校って空気が美味しいよねー』というクソみたいな感想があったが、その下に。

 『しぐれ』と、デフォルメされた名前の人物から、メールが届いていた。


「その、悪い。一ノ瀬のメール、迷惑メールになっててちゃんと届いてなかったみたいだ」


「ひどっ……あたしの勇気のメールが迷惑扱いされてただなんて」


「悪かったよ……。……よし。もう解除したからこれからはいつでも送れるぞ」


「それだけ⁉︎ こっちはいきなり嫌われたのかなって、本気で落ち込んだんだよ⁉︎」


「すまん……」


 うおおお。膨れてる姿は可愛いけど、こういう時世のリア充共はどうやって機嫌を取ってるんだ? 対人スキルのない人間は謝ることしかできない。共感出来る人は結構いると思う。


「謝ったらいいと思ってるでしょ……」彼女はぶつぶつ文句を言っていたが、やがて少ししおらしくなり、「あたしだって、……誰かと付き合う……とかするの初めてだし。その、どんな感じでいればいいかとか、わからないんだから」


「それは、意外だな……。彼氏の一人や二人、一ノ瀬ならいると思ってたんだけど」


 オタク趣味はあれど、あそこまでリア充グループに溶け込んでいるのだから、基本的には馬鹿な男に隠し通すくらいわけないと思うのだが……恋愛面になるとそうはいかないらしい。


 彰人すげえ。お前の予想見事に当たってんじゃねえか。

 オレは普通にビッチでもおかしくないと思ってた。一目惚れとか言っちゃう娘だしな。


「ひどっ! あたしそんなに軽い女じゃないし!」


「え? あ、なんかごめん?」


 嘘だろ。考えてることバレた? あたし実はエスパーなんですとかいう感じ?


「あ、あたしは……浮気なんか絶対しないよ……」


 時雨は明らかに頬を赤らめて、後半はほとんど萎んでいくような声で呟く。


 なーんで、恥ずかしがってるんですかねえ。感情表現豊かな子ですこと。


「浮気って、なんでそんな話に?」


「え? だって弥生言ったじゃん。彼氏の一人や二人って」


「一人や二人? ……あー、まさか」


 言葉通り「二人の彼氏がいる」って捉えたわけか? そういう「表現」だってわからないのかよ! やっぱりだいぶアホの子? なんかもう訂正すんのもめんどくせえ!


「その、ちょっとした言い間違いだったんだよ。気にしないでくれ」


「怪しい……弥生、隠し事できなさそうなタイプだし……」


 謎にオレの品格が疑われる始末。あのー、正直者って言葉知らないんですか? ……しかしジトっとした目で見つめてきていた彼女は、やがて盛大にため息をつく。


「でも、やっぱり思い込み激しいよ。あたしなんか全然だし……まあ、美香には昔は付き合ってた人いたって嘘ついたことあるけど」


 なんでそんなしょうもない意地を……とか思ったが、よく思い出せば、俺も彰人に似たような嘘をついたことがある。ちなみに二秒で看破されたが。

 多分その美香——リア充グループのリーダー的存在である鈴羅木すずらき美香みか(おそらく同学年であれば知らない人はいないくらいの有名人。しかも成績は学年トップクラスとウルトラハイスペック)もそんな嘘は見破っているはずだ。

 そういう時の女の感は、かなり鋭そうな気がする。


「とにかく、用はそれだけだったんだな。びっくりしたぜ、まったく」


 あまりにも突然のことだったから吹っ飛んでいたけど、学校で女子と二人きりなんて初めてなので、遅まきながら緊張が溢れてくる。


「そ・れ・だ・け〜?」


「いやいや、非常に重大な用事だった。今後の関係を見直す良い機会になったな、うん!」


 一気に詰め寄られて顔が引きつってしまう。近い、近いっ!


「ほ、ほら! もうすぐチャイムなるだろうからさっさと戻った方がいいんじゃ——」


 と——。

 無常にもホームルームの始まりを告げる鐘が響き渡る。


「……なんか、こうなるような気がしてたぜ」


「……うん、あたしも不思議とそんな気がしてた」


 一ノ瀬も、あーあと言った感じで同調してくる。

 いわゆる——お約束というやつだ。



 とりあえずオレは、腹を壊したからトイレに行っているという教師への言伝を、一ノ瀬に頼んだ。

 内容は、腹を壊したのでトイレに行ってきます、だ。

 ベタで十分。クラスの中心に位置する彼女の発言なら、一定の信頼はあるはずなので、おそらく教師も深く考えはしないだろう。

 問題は鈴羅木美香をはじめとするリア充グループの方々だ。

 なんというか、一ノ瀬。良くも悪くも嘘がつけなさそうなので、オレが必死にそれっぽい言い訳を考えるしかないのだ……。

 結果、オレが財布を落としたのを時雨が拾って、中の学生証から持ち主がわかり、それを渡すために彼女がオレに話しかけた、という筋書きだ。……いやこれもベタですけどね。

 ただ渡すだけでいいだろとか、いろいろ突っ込みどころがありまくるが、まあ……一ノ瀬がオレを無理くり連れ出した時点で誰もが疑問に思うのは必至。

 もう、どうしようもねえ。

 だからこそ、とりあえずでもいいから理由付けが大事なのだ。時間さえ経てば、どれだけ下手な言い訳でも、「なんだったっけ? まあいいか」と人は勝手に処理してくれる……はずだ。

 そんなわけで、オレは五分ばかり遅れて教室に戻ったのだが。


「お、やっと帰ってきたか、弥生。これからはちゃんと焼いてから豚肉を食べるんだぞ……」


「へ、あ、はい?」


 なぜか同情的な口調の先生にまさかと一ノ瀬の方を見る。ぱちっとウインクされた。

 おいおいおい。余計なことは言わないでって言ったよなぁ。

 ……ちなみに、先生の発言に失笑に包まれていた教室は、よっぽどの形相でオレが振り返ったのか一気に静まり返った。

 一体なーにをやってんだか、オレ。


 ——こうして、激動の一週間、最後の一日が始まる。



 さて、激動の一週間最後の一日はあっさり終わった。

 いきなりの弥生翔強制連行事件についても、腐ってもスクールカースト一軍というべきか、なんでもない風に誤魔化してくれておいたらしい。ひょっとしたらオレの滑稽な生焼け豚肉腹壊し事件(仮)のインパクトのおかげで注意が逸れたのかもしれないので、あれについては甘んじて受け入れることにした。


「まったく一体全体どうしたってのさ、カッケー。いつの間に一ノ瀬さんと仲良くなったわけ?」


 終礼が終わってとっとと帰ろうすぐ帰ろう、なんだか今日は疲れたー、と立ち上がろうとした瞬間、前の座席に座っている彰人が一八〇度回転してきた。


「どーいう意味かわからんのだが」


 唐突なことに驚きはしたが唐突なのはいつものことなので、普通にすっとぼける。


「またまたぁ。やけに視線が気になるんだよ。はっきり言って回数が異常なの。これに深い意味がないと考えないわけにはいかないよねえ?」


 あんにゃろー。隠すの下手か。


「いや待て。あくまで視線を感じたのは彰人なんだろ? 奇行が目に余ったんじゃねえの?」


 実際こいつは授業をまともに聞いてないどころか、机の下で漫画だのアニメ雑誌だのを読んだり、ひどい時にはフィギュアを作ったり(手先器用すぎだろ)している。

 オレと彰人の席は教室後方端というラノベ主人公もいいところの席に配置されているため(なんと一年間、席は固定らしい)、バレることはないのだ。

 ……もっとも隣の女の子なんかは、それはもうドン引きもいいところなのだが……。


「いーや、視線は僕の後ろだったね。間違いないよ。まさか噂の彼氏が手を出す前に、手篭めにしたってことなのかな? いやー、大胆なことするねえ」


「なんつー、発想の飛躍だよ」


 そこまで考えられて、なんでオレが付き合ってるかもってならないんだよ。そんなにありえないと思われてるわけね。ひどい。


「馬鹿なこと言ってねーで帰ろうぜ」


「はいはい」


 そんな彰人な返事すらも背後に置いて、教室の出口へ向かう。


 ちらと教室の前方を見やると、「帰りどこ行くー」「わざわざどっか寄らなくてもいいだろー」「てか今日のモリシンさー」などとカースト一軍どもがワイワイとたむろっている。


 オレの経験則では、奴らは必ず放課後は教室で群れたがる。なんでそんなに一緒にいることを是とするんだろうね。疲れそうだよ。

 しかし、この陰キャ代表のオレにも、か細いとはいえ彼らとのつながりができてしまった。だから普段なら無理やりにでも目を逸らす彼らに視線を向けてしまったわけで……。

 彰人の言う通り、やはりもともと気にかけていたのか、オレの視線に彼女はめざとく気づく。当然何も言いはしなかったが、パチっとまぶたを瞬かせた。ウインク気に入ってるんだな……。

 それからオレも陰キャ必殺の「ウッス」といった感じの会釈をして、教室を出る。

 階段を降りて、閘門を潜って、駅までの道すがら……大して慣れない着信音が鳴る。


 メールのバナーには『おつかれ! 今日はお腹大変だったね。ていうかちゃんと届いてる?』と表示されていた。


 ……。

 なんかこう、グッとくるものがあった。


『勝手に人の腹を壊すな』と送り返した後も、頬の緩みは止まらなかった。


「カッケー、顔怖いよ」


「うっせー、いつものことだ」


 そう、これがきっと、いつもになる。


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