བོད་པ རོལ་གཞས/Chanting by the Gyuto Monks
続・イタリア紀行(Chanting by the Gyuto Monks)
もっとも、この寮自体がとてもつもなくおんぼろだから一般の人から見たらここで寝ていることは野たれ死んでいることと同義かもしれない。まぁ、それはそれで寝られる居場所があって息ができて、その上勉学まで出来るのだから大分ましと言うものだ。トルストイの上には上がある。下には下がある。犬に喰われるくらいに自由ならば、人非人の芸の世界に生きてソロモンの王すら越えていかなる俗界の寵児よりも幸福になることだってできる。天国地獄も胸三寸。奨学金からこうした必要経費を引いてみると、だいたいこれで2万円だからこれを先の5万1千円から差し引くと残るのは3万円。これであと一ヶ月の残りの生活費すべてを賄わねばならない。一日に使えるお金は千円である。一日千円というと以外に多く思われるかもしれないが、本当にそれだけで全ての生活必需品を補うのである。シャンプーもリンスも洗剤も、歯磨き粉もAmazonもすべてこれだけでマネージメントしていかねばならない。だから食事はダライ・ラマをはじめとするチベットの僧侶に習って一日一食に抑えることにした。その為、空腹を紛らわす為に身体が適応してビリルビンの値が高くなった。これにより治験のアルバイトでは毎回検査に引っかかるようになったからそのバイトも止めにした。このビリルビンは黄色のへムの分解代謝物で血中の値が高くなると空腹を感じさせない機能があると治験の検査医から言われた。一日三食食べた方が健康に良い、今はいいけれども歳をとってからツケが回って来る、そのことばが印象的であった。理想はこっちだって分かっている、好きでそんな生活をしているわけではないのだから、はいそうですか、じゃあ、そうします、と生活スタイルを