人間失敗は早いうちにした方が良いというのが僕の考え方です。

もちろん、そういう考え方には大反対の人も大勢いることは知っています。

大多数の人はなるべく人生の道を踏み外さないように、痛い目に遭わないように、堅実で、ちゃんと見通しの立てられるライフプランを知らず知らずのうちに選択します。

僕も最初はそうでした。

でも(これって、本当に正解なんだろうか?)という気持ちがある日湧いてきて、冒険する気になったのです。

それで大学の先輩から強引に引っ張られて、深い考えも無く選んでしまった一部上場企業をすぐ辞めて、世界を飛び回れるプラント輸出のコンサルタントの仕事に転職しました。

「石の上にも3年といってね、すこしはおなじところで頑張ってみるものだよ」

という風に親切な忠告をしてくれる人が当時の僕の周りには沢山居たし、正直なところ自分も(俺って、すでに道を踏み外してしまったのかな?)と思いました。

プラントの仕事ではクウェートをベースに中東を飛び回りました。

第二次オイルショックが1979年で、僕が中東に入ったのはその3年後ですから、ちょうど高騰する原油価格を見てプラント商談が最高潮を迎えるピークでした。でもそれは今、振り返るからこそ言えることで、当時は自分が経済のサイクルのどこに身を置いているのかなんて、これっぽっちも自覚していませんでした。

クウェートの製油所建設現場は約1万人の労働者が働く、強制収容所みたいなところでした。

英語の表現に:

Out of the frying pan, into the fire.

というのがあります。フライパンが熱いのに飛び上がって火の中に飛び込んでしまうことを指します。つまりもともとバカな選択をしたのに、それに気がついて挽回しようとして、一層、墓穴を掘るという意味です。僕の境遇は大体そんなところでした。

その現場にはパキスタン、インド、フィリピン、中国、韓国、イギリス、アメリカなど世界中から喰い詰めた連中が出稼ぎに来ていました。

イギリス人やアメリカ人はマネージメント(管理職)、フィリピン人は溶接工、中国人は土木、パキスタンは運転手など、大体、出身国別で職域がハッキリわかれていました。

キャンプ(宿舎)は国籍別に分かれていて、フィリピンや韓国人のキャンプは思わず顔をそむけたくなるような、かなり過酷な住環境でした。僕の仕事はそういう現場で働く人たちの身の回りの世話をしたり、ビザの更新の手続きや工事契約に基づいた人員計画など、いわゆる事務方の仕事でした。

製油所建設は京浜工業地帯をいっぺんに作ってしまうような大掛かりなプロジェクトで、クルマで敷地の外周を一周するだけで30分かかってしまうほどのスケールです。

現場にいちばん近い街はファハヒールという町で、今はネットなどで見るとかなりモダンになっていますが、当時はかなり荒んだワーキングクラスの吹き溜まりみたいなところでした。

ずっと昔にこのファハヒールの町のはずれにあるファハヒール・ハイ(高校)の話をブログに書いたことがありますけど、9/11と、それ以前に起きた1993年のワールド・トレード・センターの地下爆弾テロの首謀者、カリード・シーク・モハメドが高校生時代を過ごしたのがこの高校です。
Khalid_Shaikh_Mohammed_after_capture

故郷を追われたパレスチナ人がたむろしていて、街角では機会あるごとに「イギリスは悪い」とか「アメリカは悪い」という声を聞き、反英、反米感情が根強いことを認識しました。

ある夜、そのファハヒール高校の近くの、流しのタクシー(「ジプシー・キャブ」と呼んでいました)を拾って宿舎に帰ろうとしました。パレスチナ人の巨漢の運転手は白い服に赤と白の格子模様のかぶりをしていて、それが「オバケのQたろう」に似ていることから日本人には「オバQ」というあだ名がつけられた身なりをしていました。

タクシーを拾うときから、なんとなくヘンな予感みたいなのは、ありました。

僕:「KNPC(クウェート石油公社)の第2キャンプへ行きたいんだけど?」
運ちゃん:「ピキピキ。ピキピキ。」
僕:(わかってんの、こいつ?)
運ちゃん:「ピキピキ。ピキピキ。」

ピキピキというのはセックスという意味です。

僕:「第2キャンプに行けるのか、行けないのか?どっちなんだ?」
運ちゃん:「乗ってけ!」

なんとなく運ちゃんの目がとろーんとして混濁していて(こいつヤクでもやってんのかよ?)と思わせるものがありましたが、どうせここは砂漠のうらぶれた労務者の町。京都のMKタクシーのような礼節正しいサービスを期待する方が間違っているわけです。

(ま、いいか)

そう諦めてトヨタのピックアップ・トラック(流しのタクシーは全てこのスタイルです)の助手席に乗り込みました。

最初は何もなかったのですが町を出て砂漠のさびしい一本道を工事現場にむけて走り始めて暫くして、タクシーの運転手が突然、ヘッドライトを消しました。

そうかと思うと舗装された道をはずれて、真っ暗闇の砂漠の中に猛スピードで突入していったのです。

砂漠はデコボコですから僕は天井にアタマを打つくらい跳んだりはねたりしました。

僕:「おまえ何やってんだ。はやくクルマを道路に戻せ!」

運転手は目にもとまらない早さでドアをロックしたかと思うと、丸太のような太い腕で僕の頸部をわし掴みにしました。

(強盗する気か?)

そう思ったのですが、運転手の股間を見るとオバQの白装束が異様な「盛り上がり」を見せています。

(やばいな、こりゃ)


つまり強盗ではなく、強姦です。

僕は首根っこを思いっきり強い力で掴まれているのでだんだん気が遠くなりました。それでも逃げようとして足をバタバタ蹴ったのでフロント・ガラスにはヒビが入ったし、ダッシュボードのグラブボックスは壊れています。

これは認めてしまってはいけない事なのかも知れないけれど、恐怖と同時になんとなく甘美な世界に入ってしまったというか、Mにめざめたという事が一瞬、アタマをよぎりました。

僕:「おまえ、こんなことして、オレはKNPCで働いているんだから、宗教警察が黙ってないぞ!」

そう苦し紛れに言うと運転手が一瞬ひるみました。そのすきを見て僕はクルマから飛び出したのです。

運転手は砂漠の中をぐるぐる旋回して僕を捜しています。

僕は砂丘のくぼみになっているところに腹這いになって身を隠しました。

運転手は5分ほど探し回った挙句、諦めて帰ってゆきました。

トヨタ・ピックアップのヘッドランプが遠くへ行ってしまうと、あたりは全くの闇です。星の光を頼りにキャンプの方向へ歩きはじめましたけど、こんどは(辿りつけるだろうか)という不安が襲ってきました。

もがいて暴れたせいで足の付け根の関節がどうもおかしいし、体中がズキズキ痛みます。

(こんなところでサソリにでも刺されたら、終わりだな)

そう思いましたけど、良く見ると工事現場で履く、足の甲を保護する鉄のカバーが入った編み上げの作業靴を自分が履いていることに気が付きました。これなら刺される心配はありません。

そうやっててくてく歩いて、やっとの思いでキャンプに戻ったのです。

当時の僕は23歳になったばかりだと思いますが、(砂漠でパレスチナ人のオバQに強姦されそうになるなんて、オレも堕ちるところまで堕ちたな)と思いました。そう思ったとたん、(くっくっくっ)と笑いがこみ上げてきたのです。

人間、一旦しがらみを捨ててしまえば、怖いものなどありません。

怖いのは1回しか無い人生を(失敗しないように)とビクビクしながら生きることです。