あいさつ

あと半年もしないうちに自分が40歳になるというのが、どうにも信じられない。

別に40歳になりたくない、というわけではないが、「現実感がない」というかなんというか。

もともと日本語を始めたときには40歳になったら止めようと決めていた。

なにしろ飽きっぽい性格なので、それまでにはどうせ飽きているだろうから、という気持ちで、

40歳」は、無限遠点のようなものだった。

それが、あと半年に迫っている。

不思議な心持ちがする。

長いあいだ日本語を続けていると、予期しなかったこともある。

これは日本語に限らないが、段々、自分の生活について書けなくなってくることが、そのひとつ。

モニとわしの目が届かないところにいることがあるようになってから、小さい人たちについて書くのは、一切やめた。

日本に住んでいる人はピンとは来ないかも知れないが、危ないからです。

現代世界では子供は麻薬と並ぶ地下経済の大スターで、特に白人の子供は高く売れる。

シャブ中の人々の憧れの的、垂涎の日本製覚醒剤と同じようなものと言えば言えるのか。

あと、こちらは明瞭に意識して自己規制しているわけではないが、オカネについても、そもそも自分でたいした興味があるわけではなし、書くのは避けることにした。

それが単に子供のときから見知った方法だというだけで、オールドマネーの世界で育ったので、かーちゃんととーちゃんが家業として継いでいる不動産と、所有不動産の開発みたいなことには馴染みがあって、そのうち、子供として見ていても忙しそうな商業不動産は、時間を食われそうで嫌なので住居不動産に絞ることにした。

ブログを読んでいる人は気が付いたとおもうが、いま住んでいるニュージーランドには、そんなにたくさんはなくて、初めからロンドン、ニューヨーク、バルセロナが多かった。

オーストラリアではメルボルンで、東京は特殊な市場におもえて手を出さなかったが、

残りは、これは予想外と言ったほうがいい不動産バブルに巻き込まれて、巻き込まれて、では折角の神様の善意に悪いか、乗っかって、自分で書いていて、考えて、恥ずかしくないの?というくらい「資産」が増えてしまった。

住居不動産は時間を生みだしてくれるという点で良くて、個人の大家さんは、維持やテナント探しで大変なはずだが、管理会社をつくってちゃんと動くようにしておけば、後は、やる気になればほぼ自動運転でいけます。

オカネをつくる才能は、たいしてあるとは思えないが

いま考えて見ると、浮沈が最も少ない投資でもあって、もちろんバブルは崩壊するもので、

借金がある投資家は拳銃をこめかみに宛てたり、自分のビルの屋上から飛び降りたりするだろうが、借金を最後にしたのは妹からハンバーガーを買うカネを借りて、踏み倒したのが最期で、それ以来、貸したことはあるが、借りたことはない。

何度か書いたが、オカネをまず人生を開始するにあたって作ってしまおうと考えたのは、

「時間」を作りたかったからです。

もうひとつは、オカネのことを考えるのが、めんどくさいから嫌だった。

気に入ったジーンズがあるとするでしょう?

そのときに値段をチラ見して買うのは嫌だった。

マイケル・ジャクソンだったか、クルマとチョコレートの価格の桁が異なるのを知らなかったというが、それはそれで楽しかったはずで、「オカネが意識に存在しない世界」「時間が掛け流し温泉であふれてくる世界」は、人間の生活を楽にしてくれるものの双璧です。

それだけのことで、十億円稼いだから百億、百億円は達成したから一千億、という人とは異なって、どちらかといえば、今年は、もうオカネのことなんかどうでもいいや、と決めて、一年くらい行方不明になるほうが自分の好尚にかなっている。

ガメ、どこに行ったか、知ってる?

知らない? まだ社長やってんだっけ。

うん。社長は社長だけど、噂じゃネルソンの北西にあるジャングルの岬で見つけたジャイアントモアに踏み殺されて死んだって言うわよ。

くらいのほうが、良いに決まっている。

困ったことに、むかしから、自分では止められない「表現欲」があった。

なにか目で見たり、聴いたり、考えたりしたことを、言葉にして、それがピタッと表現されて「決まる」と、おもわずニンマリしてしまう、あれです。

言葉や表現には、ぼんやりしていると見えにくい定型があって、ちょうど彫刻の部分、例えば腕が樹に埋もれて彫り出されるのを待っているのに似ている。

言語の形を、そっくり取りだしてくる発掘は、母語でも外国語でも、あんまり変わらないので、

いろいろな言語に手を出すことになる。

だんだんやっているうちに判ってきて、例えば燦めいている陽光ひとつをとっても、

それを見た人の頭のなかに想起される言語によって、異なる情景を生みだしている。

一方では、犬さんや猫さんが見ているものとおなじ「原光景」も見ているのでしょう。

しかし、人間はそれに加えて、言語でも光景を観ている。

日本語でいえば有名な「木洩れ日」という日本語の特徴を備えた表現は、

光に動きがあることで、写真でばかり木洩れ日を見ていると気付かないが、

朝の軽井沢、鹿島の森を歩くと、カラマツの枝をすり抜ける光が動いているのが見てとれます。

「木洩れ日」という日本語を使う人は、光の美しさと動きとを同時に表現する世界観を自動的に身に付けている。

そういうことが、どの国語にもあって、言語が異なれば見ている世界が異なって、

それが極まってゆくと、自分自身、と感じられる「自我」も異なるのだと判るころになると、

なにしろひとつの人生で何人もの人生を生きているのと同じなので、病みつきになって、止められなくなる。

日本語は、話者からの敬意もなく、長い間、放擲されて、だいぶんオンボロになってしまったが、それでも往時の片鱗は残っていて、取り分け現代詩や短歌で、ぎょっとするような、現実がそのまま飛び出してくるような表現に出会えます。

だから考えてみると、止められるわけがない。

人によっては、言葉を使う人は、もともと頭が計画した語彙を吐露しているのだと考えていて、

それを巧妙に排列するのが言語表現だと思い込んでいる人がいるが、簡単に言ってしまえば、そういう考えはダメで、観念のレベルがあがった、集中力が高い、シュルレアリストの自動筆記を思い浮かべれば判りやすいが、言語表現は「言葉が言葉を連れてくる」もので、

最もすぐれた表現者は、時折、自分が書いたものを読んで、びっくりしていたりする。

本人が考えているのではなくて、言語が考えているからです。

ネットの世界に対して偏見があって、初めから仮想世界というものを、十全には信用していなかった。

いまふり返って考えても、矢張り、正しい方針だったので、

現物が出てこないので、ブログを読んでくれる人たちは、物足りないに決まっているが、

わしはルールとプロシージャの人間であって、いったん規範と手続きを決めてしまうと、自分の理性や感情ではなくて、ルールに判断してもらうことになっていて、どんなに日本語が好きで、その言語世界を気に入っていても、なりゆきで、というのはつもり矢っ張り認めたくないことを認めると母語が優先されて、英語が主体の生活なので、この「現実」には触らせないことにした。

自分でも、アホみたい、と思わなくはないが、二重にも三重にも「正体」が判らない仕掛けがしてあって、日本の人で英語わしを知っている人は、義理叔父と従兄弟以外にはいないはずです。

もちろん、ガメわしと同定しない形では、たくさんの日本の人を知っているが、いちどだけ、見ず知らずの人に

「ガメさんでしょう?」と見事に言い当てられて、びっくりしたことがあるだけで、他にはいなかった。

日本にいるあいだは、初期に義理叔父に、なあんとなくわしのような顔してもらったことがあったが、

あんまり必要もないのでやめてしまった。

嘘はよくないので日本語の本を出すときに英語名を付けたが、小さい声でいうと、法的に名乗ってもいいことになっている親戚の姓を使わせてもらっているので、普段は、知り合いうちでは、若い時の呼び名リチャードか、いまの振りだしに戻ったジェームズか、知り合った時期によって、どっちかで呼ばれるが説明しても判ってもらえるわけもなし、多分、いままでも日本語本を出したときの編集友も含めて、説明したことはないはずです。

いいとしこいて、世間知らずのまま来てしまったが、まあいいや、ということになっている。

もともと古典が好きで、古典が好きなわりにラテン語がバカだが、それは心に秘めた傷として置いておくとして、古英語やラテン語や、もう死語の体系と化してしまった言葉で、本を読んでいる。

ヒマな奴、という言葉があるが、そういうカテゴリがあれば間違いなく「世界一のヒマ人」としてギネスブックに載ったはずの人生を、もう20年近く続けていて、ずっとあとになって、日本語ですら「ノーマッド」という言葉が流行りだして、なんとなく興醒めで、使わなくなってしまったが、もともとは、イスタンブルで会って話したことがある、本物のノーマッドとは関係がなくて、大好きだったゲームHeroes of Might and Magic の妖怪として出てくるノーマッドのキャラクタが好きで、気に入って、「ノーマッド日記」を書きながら、世界中を、のおんびり、1ヶ月この町に住み、3ヶ月はこの都会に住みで、甚だしきは東京とニューヨークとバルセロナには長期滞在するのに不便なので家まで買ってもっていた。

遊んでばかりいてバカになってしまったが、ウッディ・アレンに依れば、バカであることは、

幸福に至る第一条件なので、バカバカしいくらいバカであっても、悪いことだとばかりは言えないでしょう。

いまのところ日本語を書くのを止めるつもりはない。

判れば判るほど美しい言葉で、手放すわけにはいかない。

Twitterみたいなものは、さすがに場が、がさつ過ぎて、いい年をしてあんまり使うものでないような気がするが、ここはここで、良い友達がたくさん出来ているので、その場が壊れてしまうまではときどき遊びに行くくらいがよいのかも知れないが、アカウントを閉じる必要もなさそうです。

ブログは、おおきく性質が変わるが、たとえヘタッピな短編小説や詩が並ぶことになっても、日本語が大崩壊を遂げて言語の体をなさなくならない限りは、やっぱり書くのでしょう。

日本語は、なつかしい家のようなものだとおもう。

もう13年も訪問していないので、記憶もあらかたなくなったり、変形したりしている。

いつも可笑しいとおもうが、記憶のなかの日本の情景には空中の電線がなくて、むかし撮った写真の、夜更けに妖怪たちが綾取りをして遊んだあとのような、入り組んだ電線が走る町の情景を見ると、ずいぶん記憶と違うね、と考える。

いまは航空券を買う必要もなくなったので、スッと行けばいいじゃないかとおもうが、

日本が嫌いになったとか、そういうドラマティックな理由ではなくて、

もう十分堪能したというか、日本にいたとき、「いつでも行ける」と思って韓国には結局いちども行かなかったが、それとおなじことで、来年からは欧州とニュージーランドと、子供のときと同じで半々になりそうだが、欧州にいるときは行ったことがない、と述べて年中、ひとに驚かれる、北欧や中欧、東欧にも出かけたい。

なにしろ世界中誰でも知っているとおり、マジメなだけの小役人に強大な権力をこうなる、という点で、東條英機と瓜二つのプーチンが頑張っているので、危ないが、そんなことを言っていてはマンハッタンのほうが、よっぽど、ドラグ&ドライブ、クルマに轢かれたりして危ないので、気にしても仕方がないようです。

年を取ると、周囲のプレッシャーがかかるが、この日本語ブログに戻ってくれば、相変わらずオバカなガメで、実物は遙かに聡明でなくもないモニさんとも、バカップルの部分だけを拡大して、自分で可笑しがっていればいいだけで、広々した気持ちになるので、

きっといつまでも、でも、なんだか初めの頃に戻って、ここに「日本語わし」は居続けるのでしょう。

記事をときどき読み返して、くっだらねー、と呟いて、非公開にしてしまうのは相変わらずでしょうけど。

では、また。



Categories: 記事

%d bloggers like this: