サマディ  神の証明

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イエスのところで書こうと思ってるんですが、不思議な記述が有るんです。

で、わたしはこれもイエス・キリストは仏教かヨーガの修行者だった可能性を示していると考えてます。

   (ここ参考にしてねイエスと釈迦の不思議な不思議な類似)←まだ続き書きます。

 

 

 

アベンジャーズのニューヨーク決戦でね、ビル街に巨大なアザラシみたいなチタウリの戦艦が暴れてて、アベンジャーズのメンバーはこれに手を焼いています。

アイアンマンがそこで

                          

「ジャービス、ヨナの話知ってるか?」

「ああ、トニー様。それはお止めになった方が・・・」

 

 

ヨナの話?

旧約聖書のヨナ書にあるんだけども、ヨナが神の用意した巨大な魚の腹に三日三晩いたと言う話です。

 

 

これを受けて、イエスが「救世主の証明して下さい」とパリサイ人に言われんだけど、イエスがこのようにそれに返答します。

 

 

 

              マタイによる福音書12章38-50節

パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。

「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」

しかし、イエスは答えて言われた。

「悪い、姦淫の時代はしるしを求める。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられ無いであろう。

ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるだろう」

 

 

みなさんはどうして、地中に三日三晩いれば救世主の証明に成るのか不思議じゃありませんか?

 

 

 

今、インドで神の称号を正式に政府から拝領された日本人女性がいます。

ヨグマタ相川圭子さんという方です。

ヨグマタってのは、ヨーガのマーター(母)という意味ね。

 

どうして、神なのでしょう?

相川圭子さんは、トリック無しで地中に五日、酸素無し、水なし、食料なしで籠もれるんですよ。

 

 

なんでこんな事するかと言うと、インドでは

「わたしはサマディに入れる」といえば、神と讃えられ、楽してドーネーション貰って暮らせます。

サマディに入れるのは神に到達した聖者の証明なのです。

 

 

そんな訳で古来、詐欺も沢山登場しました。

 

しかし、サマディの間は呼吸が停止していることは様々な聖典に記されていますので、水中でずっとサマディに入ったり、土中に何日も籠もることでこれを「証明しなければならない」のです。

 

 

じゃ、どうしてインドのサマディの証明が、イエスの口から飛び出たのか?

不思議でしょ(^^)

 

 

ね。

そして、釈尊は出家修行者にはサマディを指導されていたのですね。

 

 

ここから本題です。

「なげーな枕が・・・」申し訳ありません^^;

 

サマディを全く説かない仏教はおかしいんですよ、だから。

無明の破壊を説かないとかね。

 

サマディに入るには、その前に正しい瞑想が達成されねばなりません。

正しい瞑想は、その前に正しい努力が必要です。

正しい努力は間違った生活をしていては無理です。

正しい生活は正しい行為によって支えられます。

正しい行為は、正しい言葉使いから生まれます。

正しい言葉は正しい心の持ち方を背景に語られます。

正しい心は、間違った価値観からは生まれません。

 

これが八正道なのね。

 

つまり整理しますよ、サマディに入ればもう解脱直前なのです。

ヨーガのセクトによっては、サマディ即解脱と説くのもあります。

 

「正しいサマディ」を一つのゴールと釈尊は考えておられ、その前段階として何が達成されていなければならないか?

という条件を語っているんですね。

 

実は八正道を解説した書籍は沢山あるんだけど、みなデタラメが書いて有るんです。

わたしが見た限りにおいてね。

 

例えば第一の「正見」を

前世が釈迦だというTさんやOさんは

「正しく見るとは、曇った目で見ず、虚心坦懐になって見ること」とか
「神の視点で見ること」だとか

「今日一日を振り返って正しく生きたか?と振り返って見ること」とか言ってます。

ま、おしなべて大なり小なりみんなそんな調子です。

 

 

これはただ「正見」という漢字の印象で好きに語っているだけで、実際はニカーヤという経典群の

「八正道相応」という中に、カチッと釈尊によって定義がなされていますね。

 

 

で、今日言いたいのは釈尊によると、わたしたちがこの輪廻の苦海にいるのは

八邪道を成就したのである」からだと言うの。

 

いいかな、行くよ(^^)

1,無常を正しく見ず、幸福が有ると誤った見解が有る   (邪見)

2,それにより、貪瞋痴が生起              (邪思惟)

3,これを縁とし、悪口、両舌、妄語、綺語を生じさせ   (邪語)

4,暴力、偸盗、邪淫が生じ               (邪業)

5,蓄財を最上の生活とし                (邪命)

6,更にそれらに対し奮闘し               (邪精進)

7,悪いイメージを生じさせ               (邪念)

8,魂を下向させる、下劣なサマディが成就        (邪三昧)

 

邪三昧を成就したから、わたしたちはこの肉体や心を自分だと思い込み、それから離解脱しないのね。

 

 

初めてこれを目にした時は感動が湧きました(^^)

一つ仏教が解ったような気がしたの。