こんにちは、いつもご覧いただきありがとうございます(^^)

 

さて、どこまで行ったかな?

そうそう、四無量心の悲哀と慈心ですね。

 

一度に四無量心の瞑想を解説しても、消化しきれないと思いますので、今日はちょっと周辺の知識みたいなことを書こうと思いますよ。

 

 

 

チベット仏教、ニンマ派のケツンサンポ師によると、ニンマ派の伝統では悲心を育むために、次の様な観想を行うそうです。

「あなたは今、自分が両腕のない母だと想像しなさい。

そしてここに不意の悪天候で、鉄砲水が生じ、幼いあなたの愛する子供がその、濁流に飲み込まれた!

 

ああ、神よ!どうかわたしの愛する我が子が無事でありますよう!

再び、愛しい我が子がこの手に戻りますよう!

 

あなたに出来る事は、ただ神に祈るばかり」

 

この気持を喚起しなさいと。

そうしてその「何を置いても真っ先に愛しい我が子を救いたい!」という気持ちを全ての衆生に振り向けなさい。

 

 

ねえみなさん、素晴らしい観想だと思いませんか?

腕のない母が、我が子を苦痛から解放したい。

しかし自分にはその術が無い。

もう胸は今にも張り裂けんばかりだと言うのです。

 

だとしたら・・・幸い腕を持つ私達は・・五体を有する私たちは、この日本に住むわたしたちは

希望を実現する自由が許された素晴らしい国に暮らしています。

 

わたしたちが、他の魂の幸福を願い、自己をそれに足るマテリアルとすること。

道徳を完成し、四無量心を完成し、まあ神変までをも起こせたら凄いですね(^^)

 

 

 

ね、実はこの四無量心は誰のために実践するかと言うと、それを実践する人ね。

その人が比類ない価値を有する存在になる為の実践なのね。

 

 

そして、その強い動機がわたしたちを最終の状態へ導いてくれる原動力なのだと大乗仏教では 言っています。

 

 

ここで、是非、明らかにしておきたいのですが、そもそも 仏教における救済というのは、

  1. 解脱させること。
  2. 悟りを得させる事。
  3. 例えそれが失敗しても、次の生で必ずやそれを達成させるという風に釈迦牟尼は修道論を組んでいます。
 

世紀末救世主伝説「北斗の拳」ってのが昔有りましたね、仮面ライダーにしろウルトラマンにしろ、あんなのは

ヒーローでもなんでも無いです。

 

わたしたちの苦悩というのは、単に暴力や腕力で解決する類のものばかりではありませんし、「自分と価値観が異なる者」を何でもかでも悪党とレッテルを貼り、これを力で叩き潰そうというのがそもそも間違いです。

 

 

そこで、大乗の菩薩がどうして「人中の獅子」とか「英雄」なのかと言いますとね。

その名に相応しい理由があります。

 

 

想像してね(^^)

あなたが悟りや解脱を得て、もう自分の苦悩というのは全て消滅してしまったとしますでしょ。

放っておけばそのまま涅槃に入り、もうこの苦悩の世界とは完全に縁が切れたとしてね。

 

釈尊はそういう方なんですが・・・

 

ところがここに、四無量心を徹底的に修習した魂がいたと、しますわね?

彼(あるいは彼女)は、そこでこう思う。

 

菩薩の誓いというのが有るんだけども。

 

自分が成就出来たのは仏祖である釈尊のお陰である。

その恩を返すには、過去の自分である苦悩を抱える魂を苦海から解放する仕事をするしか無い。

 

全ての魂は、無始の過去から無数の転生を繰り返す間の、わたしを慈しんでくれた両親であり、わたしの愛した家族であった魂に他ならない。

わたしは自分だけが救われたらそれで良いとする、そのような選択はしない。

 

 

・・・と言うわけで、解脱してもまた苦海に戻り、一から修行してブッダになり、縁ある魂を救済しようという誓いを立てた人々がいます。

 

 

つまり、何度も何度も・・・また、すごろくのスタートに戻るんですよ。

で、「願わくば、わたしこそが涅槃する最後の魂でありますよう!」

 

解脱したのに、また一から生死をやるんですよ。

やってらんないでしょ?

 

だから英雄なんです。

 

 

この時ね、まかり間違って普通の凡夫に落ちたらどうしよう?

また普通に輪廻に落ちたらどうしよう?

 

これが最大の恐怖です。

 

一応ね、その生でブッダとして成就するけれども、また私たちの世界に帰って来る人が「菩薩」と呼ばれますよ。

 

その場合、流石にですよ、怖いので一応、予防線は張ります。

 

本来この技術を「ポア(意識の移し替え)」とか、「トゥルク(転生仏)」と言います。

 

天眼通というので、来世の生存状態を確認してから、仏教あるいは真理が説かれている土地ね。

または、人々の機根が善良で、真理が広まりやすい土地。

 

このような転生先を選んで、両親を選んで生まれ変わって来る。

これが大乗の菩薩という存在ね。

 

 

定義に依ると、そのような形でブッダとなる魂は10億の宇宙で唯一人!

というくらい希少な人らしいです。

 

 

そこで、日本の仏教(一応、大乗を看板に背負ってますので)では、以上の様な背景を踏まえ、「四弘誓願」を唱えます。

宗派により多少相違はありますが、だいたい以下のような文言ね。

衆生無辺誓願度( 地上にいるあらゆる生き物をすべて救済するという誓願)
煩悩無量誓願断(煩悩は無量だが、すべて断つという誓願)
法門無尽誓願智( 法門は無尽だが、すべて知るという誓願)
仏道無上誓願成  (仏の道は無上だが、かならず成仏するという誓願)

または

未度の者を度せしめん いまだ済度せざる者を済度せしめんとす
未解の者を解せしめん いまだ理解せざる者を理解せしめんとす
未安の者を安ぜしめん いまだ安心せざる者を安心せしめんとす
未涅槃の者を涅槃せしめん いまだ涅槃せざる者を涅槃せしめんとす

 

とね。

 

この話はまだ続く・・・