<R15>15歳未満の方はすぐに移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕 〔15歳未満の方の閲覧にふさわしくない表現〕が含まれています。苦手な方はご注意ください。
ショートショート。本当に太郎がザリガニを食うだけの話です。
太郎は一年に一度、祖父母の暮らす田舎町を訪れる。美しい自然と新鮮な空気が混在する郷愁の町――そんな町から少し離れた山の麓に、太郎のお気に入りの場所がある。それは祖父母の家の近くにある川である。太郎はそこで気持ちよさそうに泳いでる魚を観察したり、水遊びをしたりするのが好きで、今年も真っ先にその場所へと向かい、無地のTシャツと茶色のズボンを履いたまま、浅い水面下に勢いよく飛び込むのであった。
ひんやりとした冷たい水が全身を包み込む。夏の訪れを感じた太郎は、しばらくの間水と一体になっていると、黒い影が一瞬目に映った。びっくりした太郎は、思わず立ち上がって周囲を見渡した。しかし、謎の生物をすぐに視認することはできず、気のせいかと思った太郎は再び、水の中に潜り込んだ。
すると、さっきの黒い影が岩の下に潜んでいることが分かり、太郎は恐る恐る近づいて、その影の正体が何であるのかを突き止めた。――そこにいたのは正真正銘の『タラバガニ』だった。
今、太郎の目の前にはありえない光景が広がっていた。この場所に、絶対に存在しないはずの生物がいるのだ。太郎は一度水中から顔を出し、何度も自分の目を手でこすり、これが見間違いであることを祈りながら、もう一度だけ潜ってみた。
しかし、やはりどう見てもタラバガニであることに間違いはなかった。なぜなら去年、父と初めて蟹を食べに行った時に出てきたものと色、かたち、大きさ、その全てが一致していたからだ。
ここで太郎の脳裏に二つの選択肢が浮かび上がった。
一つ目は『捕まえて今日の夕飯にする』である。メリットとしては、第一に話のネタになる。『タラバガニを川で捕まえた』となると、きっとメディアなどで報道されてクラスの人気者になれるかもしれない。それに太郎はあの日以来、大の蟹好きになったのだ。あんな美味しいものをもう一回、しかもただで食べられるかもしれないのだ。こんなチャンスを逃す手はないという言い分もあるが、勿論デメリットもある。そもそもタラバガニを捕まえられなければ、話にならないわけで、生憎太郎の手元には網すらない状況である。果たして素手で捕まえることは可能なのだろうか、もしかしたら逃げ足がとんでもなく速いかもしれない。さらには他人に信じてもらえないケースもあるわけで『自作自演』と言われ、クラスのみんなから馬鹿にされるかもしれない。
二つ目は『見て見ぬふりをする』である。「最初からそんな奴はいなかった」と思い込むことで、心の平穏を保つ作戦である。現実なのか夢なのかよく分からない現状の中で、これが最善の判断だと太郎は感じたが、果たして本当にそうなのだろうか。こんな幸運は恐らく、二度とやってくることはないだろう。宝くじの高額金を当てる確率に等しいものが、確かにそこにあるのだ。触れるか否か。その激しい葛藤は、太郎のメンタルを傷つけていた。
だが、そんな太郎のもとに救世主が現れた。つやつや光り輝く赤の甲羅、太くて立派な鋏、その美しい姿、立ち振る舞いはタラバガニをも凌駕する。太郎はあっという間に救世主の方に心を奪われていた。――救世主の名は『アメリカンザリガニ』である。
第三の選択肢が誕生した。『ザリガニを喰らう』である。太郎の頭の中はもはやザリガニのことでいっぱいだった。ザリガニは一体どんな味がするのか、またどう調理して食べたら美味しくなるのか、そんな想像が次々に浮かんでくる。「タラバガニなんてパパに頼めば、いつでも食べられるじゃないか」といつの間にか短絡的な思考に陥った太郎は、鋏で攻撃されないようにザリガニの腹のあたりを丁寧に掴んだ。
こうして太郎は無事に食材を手に入れた。ちょうど小腹が空いていたので、昼食後のおやつとして祖父母にバレないように、こっそり食べることを決意した。
♢♢
さて、ザリガニを食べるという斬新な発想に辿り着いたものの問題は山積みである。まずは、ザリガニをどう調理するかである。火を使ってじっくり炙るのか、それとも野性的に生で食すのか、太郎の行きついた答えは当然『火で炙る』だった。
変な微生物や雑菌などが体内に潜んでいる可能性があるため、水で綺麗に洗い流してもそこまで効果がないと太郎は考えたのだ。よって、加熱式のコンロが必要だという結論に至り、太郎は早速祖父母の家に戻り、祖父と祖母が楽しく談笑をしている隙を狙って、キッチンの下の戸棚からキャンプ用のコンロを取り出し、裏手の扉から音を立てずにそっと抜け出した。
コンロを手に入れることに成功した太郎は、次にどこの部位が食べられるのかを検討すべく、ザリガニを解体することにした。そのためにはまずザリガニを殺す必要があるので、とりあえず両腕の鋏の部分を捥いで、それから足の方も切断すれば身動きが取れずに、自然と死んでいくだろうと、太郎は近くに転がっていた石ころを拾い上げ、そのまま右腕の付け根あたりを強く押し付けて、無理矢理胴体から切り離そうとした。
ザリガニはすぐさま抵抗して、鋭利な鋏で太郎の指を激しく挟んだ。「痛っ」とその場で声を漏らしたが、今更引き下がるわけにはいかないと太郎は力いっぱい、ありったけ込めて石をえぐりつけた。すると、ぶちっと小さな音がして見事に右腕と胴体を引き剥がすことが出来た。
太郎はその後自分の指を確認すると、出血していたので、急いで水で洗い流してポケットに入れていた絆創膏を付けた。続けて左腕の方も切断しようと石を押し付けるも、今度は抵抗する素振りもなく、ただただ弱々しく動いていた。
あっけなく左腕を引き剝がした後で、太郎は足の付け根も全て切除した。ザリガニはガサガサと左右に揺れていたが、数分経ってピクリとも動かなくなった。
死骸となったのを確認した太郎は、可食部分を探してみるものの、これが思ったよりも少なく、背中からほんの僅かに出てきた『身』と、かつて鋏の役割をしていた腕の中から出てきた数センチの『身』だけだった。太郎は少し落胆しながら、それをコンロの網の上に乗せた。
火はあらかじめ付けていたため、じゅわっと音が鳴り響いた。思ったより焼き心地が良かったのか、太郎はテンションが上がり、ついでに足と尻尾も一緒に焼いたのだ。
その時だった。臭み抜きを怠ったためか、ザリガニが放つ独特な香りとドブ水の臭いが交じり合った異臭が煙と共に充満した。太郎は急いで火を止めて、何とかこの臭みを解消する方法を考えた。数分が経ち、ようやく閃いたのか太郎は、また祖父母の家に戻って今度は半分に切ったレモンを持ち出したのだ。
「レモンは臭みを消す作用があるって、おじいちゃん言ってた」と焼き肉屋を訪れた時の記憶を思い出した太郎は、それがザリガニにも有効であると思ったのだ。しかし、実際には多少有効なだけであって、独特の臭みを完全に打ち消すことは出来なかった。
それでも太郎は最後まで諦めることはなく、紆余曲折を経てついに実食までこぎ着けた。太郎が最初に食したのは、こんがり焼けた背中の『身』である。味の方は……、はっきり言って微妙だった。風味は蟹に似ているが、食感はほぼエビで量が少ないのかあまり食べ応えがない。これまでにない新たな味に出会えるかもしれないと大きな期待をしていた太郎は、非常にがっかりした。次に食した腕の『身』も先ほどに比べればちょっぴり歯ごたえが増したが、ほぼ味の変化はなく蟹のようなエビのようなよく分からないものを食べている気分になった。
最後に足と尻尾を食したが、まぁこれがとてもまずかったようで、足の方は特に味がなく、まるで細い枝を食べているようで、尻尾の方はエビの尻尾とまるっきり同じ味で、パリパリとした食感が口全体に広がるだけである。
そして、太郎が何よりも嫌悪感を示していたのはやはり「臭み」である。どれを食べても感じずにはいられない独特の臭い。もし仮に打ち消すことが出来たとしても、タラバガニには到底及ばない味であったことを悟った太郎は、調理方法以前の問題であることに気が付いた。
正気に戻った太郎は、ひどく後悔した。「何であの時、タラバガニじゃなくてザリガニを選んだんだろう。よくよく考えてみれば、タラバガニの方が絶対に美味しいはずなのに……」
太郎はかつてタラバガニがいた場所の辺りまで戻ってきて、もう一度探してみるが、既にその姿はなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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