幽霊は、どのような存在なのか。一般的には見えない、
だが、その否定には根拠があるのか?無い。無いのだ。無いのである。科学的に説明しても、目の前にいる人間が納得するような説明は、どんな肩書を背負ったお偉方がしようがどんな大先生がしようが幽霊という存在を完全に否定出来ない。科学的、理論的に論破しようとも心の奥底に残る「
そしてそれはまた、幽霊現象とは
十月十八日 ㏘2:04
「あなたが田野美香さん、でよかったでしょうか?」
目の前に現れたのは、休日だというのに制服姿の女の子。年頃のキラキラしたアクセサリーなどはつけず、それでいて誰もが可愛いと声を挙げるだろうその容姿。電話をかけたときもそうだったが、こういうのはもっと高齢の人だとイメージするため一瞬、戸惑った。
「はい、あなたが…。」
「えぇ、幽霊関係全般全てお任せのボランティアです。」
─篠崎恵、と申します。
休日の昼下り、指定された喫茶店は自宅のマンションから少し遠く、電車を使った。だがそんなことはどうでもいい。背に腹は変えられない。あの胡散臭いとも言えるホームページに頼る程、私たちは追い詰められている。
「では、早速ですが詳しい話を聞きましょうか。」
彼女はそう言って、私が事前に陣取っていた窓際のテーブル席、その向かい側に腰を下ろす。すぐやってきたアルバイトらしきウエイトレスにはアイスコーヒーを頼んで。その制服に似合わぬ大人びたオーダーである。
「その…渋いですね。」
「え?…あぁ、甘ったるいジュースは苦手で。」
─それに今から真面目な話をするんです。そんな甘いモノ、邪魔ですから。
あまり彼女の表情は柔らかくは無かった。私の表情も同じようだったからだろうか。
「それでは。まずは私を呼んだ訳について聞きましょうか。」
彼女は早速本題を切り出した。
「はい…、その、どうやら私の彼が…、恋人が、幽霊というものに取り憑かれているみたいなんです。」
「…みたい?」
「はい、私はあんまりそういう…、霊感?みたいなものがないので、わからないんですが…。」
アイツが…いる…。
それが優希の第一声だった。
結婚を前提にした同棲生活が始まって三ヶ月。忙しいけれども、順調、と思っていたのに。
怯えるような、いや怯える声で、そこに何かいるような目。初めはまだ耐えてはいたが日に日にその現象は酷くなっていき、彼はまともな生活を送れない程衰弱してしまった。
色々考えた。まさかこの部屋が事故物件だったのか?いや元々私の部屋なのだ。賃貸契約を結ぶ時だってそんな説明なにもなかったし、実際管理人や隣の住人などに聞いても私の部屋にそんな話は無かったという。それに彼が来るまで3年ほど暮らしていたが、何の異常も無かった。私に霊感が無いとはいえ、3年もいれば流石に何か異常に気付くはずだ。
引っ越しも考えたが、私達にはそんな余裕も無く。いたたまれなくなって、スマホでネットを漁った。そして辿り着いたホームページ。そして今に至る訳だ。
「なるほど、つまりあなたのマンションで同棲生活を始めてからあなたの恋人、浅野優希さんは見えるはずの無いモノが視えている…幽霊現象にあっている、という訳ですね。」
確認をとるように言葉を綴る彼女。至極当然のように幽霊という言葉を言った彼女に、私は質問した。
「あの…。」
「何か?」
彼女が私の話をまとめたところで、前々から気になった疑問を投げかけた。
「その…、幽霊って、本当にいるんですか?」
彼女はその質問を、質問で返した。
「…多少は信じているから、あなたは私を呼んだんでしょ?」
彼女の敬語が、少し崩れていた。ぐうの音も出ない正論。私は正直に言ってしまうことにした。
「その…、正直信じられなくて。そんな非現実的な幽霊なんかが、あり得るんだろうかって…。」
少し縮こまって言うと、彼女はクスッと少し笑いながら答える。
「…いえ、いいんです。それで。それが普通なんですから。インチキだなんて言われないためにも、これボランティアとして無料でやってるんですし。」
やっぱり無料なのか。ホームページでも見た時も電話で聞いた時もそうだったが、お金を取らないのは驚きだ。本物なら大金を巻き上げても問題ないだろう。
「じゃあ、やっぱりお金は。」
「いりません。そう他人の困り事に付け込むほど生活には困窮してませんから。」
彼女そうキッパリ答える。その顔には何故か少し陰りが見えた。気のせい、なのだろうか?
そしてもう一つ、さっきから気になった疑問をぶつける。
「それにしても、あなたはまだその、十代ですよね?」
「はい、花の十七歳ですけど、何か?」
道理で制服が似合うと思った。彼女は学生が本業なのである。
「その、親御さんとかは、この活動を了承してるんですか?」
相手が未成年となると、流石に慎重になってしまう。すると彼女はため息混じりに返した。
「…さぁ?母は仕事で全国飛び回っているので滅多に帰って来ませんし、父は両親が幼い頃に離婚して親権は母になってるので。」
少し地雷を踏んでしまったらしい。
「そう…、ごめんなさい、悪いこと聞いちゃいましたね。」
「いえ、お気になさらず。それに成人の保護者は一応居ますし。」
─ちょっとワケアリですけど。
彼女は呟くように補足を付け足しながら言った。その顔を見るにどうやら地雷ともなんとも思ってないようだ。
「そう、なんですか…。」
「なんですか、そんな顔して。同情なんていりませんよ。だって…。」
─他人に同情なんてされても、ただのありがた迷惑ですから。
その言葉にはどこか重みがあった。こんな十七歳の高校生から発せられる言葉なのに。
ふとウィンドウの方に首を回す。休日とあって人通りは皆カジュアルだ。笑顔が広がっている。店内にいる、私と彼女を除いて。私はとても笑顔にはなれないし、彼女もまたそんな私を察して笑顔など見せない。
「それで、どうしましょうか?」
そんな私を見て、彼女は問いかけてきた。
「え、あぁ。その、彼に取り憑いている幽霊をなんとかして欲しいんです。」
すると彼女は、私の言葉を質問にしてきた。
「なんとかして欲しい、とは?」
「えっと、つまり、その除霊?というものを。」
上手く説明が出来ない。こんなの一生にあるかないかの状況だ。説明出来るという方が異常なのではないだろうか?
「除霊、ね…。」
彼女はため息混じりにつぶやく。
「ダメ、なんですか?」
「いや、全然そんなことはないんです。ただ私は今まで除霊というものはやったことはありません。」
「え?ど、どういうことでしょうか。」
彼女の予想外の言葉に少し焦ってしまう。
「…私は幽霊が視えます、幽霊の声が聴こえます、幽霊と言葉を交わせます、そして幽霊を
消、す?
物騒な言葉に私は心の中でたじろいた。
「まぁ、信じなくても結構ですけど。とにかく私は今まで除霊という行為をやった覚えはないです。ですから除霊じゃなく、幽霊を消して欲しいという依頼なら受けます。除霊というのなら近くの神社にでも頼んで下さい。」
「は、はぁ…。」
実は半分理解出来ていない。どう違うのだろうか?
私が少し変な顔になっていたのだろうか、彼女はフッと少し笑みを浮かべて付け足した。
「…まぁ、別にいいんですけど。私自身の問題なので。分かりました、依頼、お受けします。」
良かった。というのが頭の中で広がる。ようやくこれで…。
そんな時、携帯が鳴った。…彼だ。
「すみません、少し外します。」
…これは、迷惑になる。
「えぇ、どうぞ。」
彼女は特段気にする様子もなく、笑みを浮かべて見せる。私はトイレのマークに向かった。
私のスマホは、何故か重かった。優希、と表示された画面をタップして、彼と向き合おうとする。
「もしもし。優希、大丈夫?」
『…いる、いるんだよ…。アイツが…!』
「…心配しないで、もうすぐ、もうすぐ私がなんとかしてあげるから。」
『ごめん、ごめん…。』
「大丈夫、優希、大丈夫だから。」
大丈夫では、ない。だがこの言葉しかかける言葉がない。
『すまない…、許してくれ…。』
…やめて。
「優希!しっかりして!」
こうしたやり取りは、何度目だろう。回数など数えても無駄だがもう嫌になるほどしている。
もううんざりだ。だから、だからこうして藁にもすがる気持ちで、今ここにいるのだ。
席に戻ると、彼女は手帳を手にして、何かを書き込んでいた。スケジュール帳だろうか、しっかりしている。
「すみません、お待たせしました。」
私はさっきの席に戻りながら言った。それで彼女はその手を止める。彼女のアイスコーヒーは半分に減っていた。
「いえいえ、こちらとしても助かりました。」
「えっ?どういう…。」
「…お気になさらず。それで、今すぐにでもそちらに行きましょうか?」
「え、今すぐですか?」
「はい、どうやら一刻を争うような案件みたいでしょうから。」
その言葉と好意は嬉しいが、今彼は…。
「いや、ここから少し遠いですし…。」
「それならご心配なく、車を呼びますから。」
車を、呼ぶ?
彼女はおもむろにブレザーのポケットから携帯を取り出しトントンと画面をタップする。そして失礼と一言詫びて携帯を耳にあてた。
「もしもし、葛城?あぁ、うん。それなんだけど予定変更。今から依頼受けて現場行くから、車お願い。」
『……!……!』
詳しい言葉は分からないが、電話の相手が少し焦っていることは分かった。まるで使用人に命令する主のような抑揚の言葉を発する彼女。一体、何者なのだろうか?
「はいはい、じゃあよろしくね〜。」
『!……。』
反論しようとする相手を彼女はタップ一つで切り捨てた。
それにしてもすこし霹靂してしまった。彼女の砕けたこの口調が、本来の口調なのだろうか。
「すみません。ガソリン無いから給油まで待ってて欲しいって。」
彼女は苦笑にも似た笑顔を私に返した。
「それは別にいいんですけど…。」
多少強引ではないだろうか?
「今から行くんですか?その、準備もあるだろうし…。」
「えぇ。それに私実は明日も予定詰まってるんで。…心配せずともすぐ終わりますから。」
─多分ですけど、秒で終わります、ハイ。
いつの間にか彼女の言葉は混ざり合っている言葉になっていた。
「いや…、今から行ってもまだ日中ですよ。」
幽霊というモノは大抵夜など暗い時間帯に現れるものでは無いだろうか?
「時間なんて関係ありません。夜だろうと昼だろうと視えてしまうものは視えるんです。」
彼女は私の頭の中の疑問の回答をする。心でも読んでいるのだろうか。だがその答えは私を満足できるものでもない。
少し時間が出来ちゃいましたね…、と彼女は腕時計を確認しながら呟く。その腕時計もまた年頃のものとは思えないクールなものだった。
「一つ、いいですか?」
私は彼女に質問をすることにした。
「何でしょうか?」
「いつからこのボランティアを?」
「…五年、ですかね。中学に入る頃に始めてましたから。」
─まぁ、ホームページを始めたのはつい最近ですけど。
まだ五年。いや彼女の年齢を考えれば相当だが、まだ五年。なのにこの貫禄、というか彼女のそのオーラは、普通ではない。
「で、何故そんなことを?」
「あ…、いや、単純に気になったので…。」
正直ながらも言葉に詰まった私を、彼女は微笑みを返した。
「そうですか。」
十月十八日 ㏘2:34
しばらくして、彼女の携帯が鳴った。どうやらさっきと同じ相手であろう相手の電話越しの声を聞いて、私たちは店を後にした。
店の前に停まっていたのは黒塗りの外車。左ハンドルの運転席から降りて来たのは着崩したスーツ姿の人物だった。
ドアを開けて開口一番、降りて来た人間が声を発した。
「ったく、お嬢。流石にいきなりが過ぎるぜ?もっと早く言っといてくれよ…!」
その声で女性だと分かる。しかしその姿と口調から、事情がありそうな人なのだということも分かる。
……というより、さっき聞き間違いでなければお嬢なんて言われてなかっただろうか?彼女は本当に、本当のお金持ち…?
「はいはい、結構な緊急案件だから、文句言わない。」
運転手の言葉を受け流す彼女。それは少し慣れているような口調で。
「…まぁいいか…。んで、今日の依頼者は、その人か?」
「うん、だからくれぐれも失礼の無いように。」
「…へいへい。」
そんな不服そうで適当な返事をした運転手は私に向き直し、さっきまでの口調とは打って違った会釈を交わした。そして車のドアを開けて私に乗車を促す。
「どうぞ。」
明らかに声のトーンが変わっている。さっきからあまり状況が飲み込めていない。このスーツ姿の女性は誰だろう?この黒塗りの外車は何なんだろう?この制服姿の彼女は一体、何者なのだろう?
「早く、乗ってください。すぐ向かいましょう。」
「は、はい。」
彼女に急かされ、吸い込まれるようにそのまま乗ってしまった。車内は外見に違わず高級感溢れる内装だ。彼女はこんなものに毎日乗っているのか。
「シートベルト、ちゃんと付けてくださいね。」
当然の注意喚起をしながら、当然のように車に乗り込む彼女。もしかして、いやもしかしなくても私と彼女とでは住む世界が違うのではないだろうか?
…さっきから心の中で「?」マークが連発している。驚き過ぎだぞ、私。
そんな私に、彼女は気付いたようで。
「どうかしましたか?」
「いや、あなたと私は、住む世界が違うんだなぁ、と思ってしまいまして。」
すろと彼女は、フフッと少し笑って。
「なに言ってるんですか。同じ世界に住んでますよ。」
──こうして、私とあなたは同じ地面に立って存在している。そうでしょう?
妙に説得力のある言葉は、私の脳裏を過ぎ去っていった。
十月十八日 ㏘5:13
私のマンションに到着したときには、もう夕方になっていた。
どこにでもあるマンションに、高級外車が停車する。普段の場所が、その存在一つで違和感を覚えてしまう。
移動中の車内では、彼女はイヤホンをして隣にいる私には見向きもしなかった。そのうちにこの車の運転手が口を開いた。
「お嬢は今集中してるんだ。話しかけても反応はないぜ。」
ちょっと荒々しい言葉だった。だが、
「何?」
その集中しているという彼女が反応した。イヤホンはしたままで。器用な耳だ。
「!…いや、何でもねぇ。」
反応した彼女に、運転手は驚いているようだ。それはいつも通り、ではないことは十分に通じる。
「そう。」
そんな運転手を彼女は別に気にすることもなく、そのままさっきの調子に戻っていった。目的地まで、それを変えることもなかった。だが何故だろう。不思議と、その態度に腹が立つことがなかった。
「着いたぜ。…すまねぇ、渋滞に引っかかって。もうこんな時間になっちまった。」
「いいのよ、別に。」
運転手の到着の言葉でようやく彼女はイヤホンを外した。
「行きましょう。案内してください。」
「は、はい…。」
何事もなく、車のドアーを開きながら。私も勿論それに続いた。
「葛城、あなたはここで待ってて。…多分だけど、すぐ終わるから。」
「了解。ま、ここの道路広いんで暫くは停車してても大丈夫だろ。急がなくもいいぜ。」
二人の会話は視線も身体も合わせてはいなかった。だがその声は繋がっている。この二人の信頼が篤いのだろう。
マンションはオートロックだ。このマンションの関係者ではない彼女はここで必然的に歩みを止める。私がオートロックを開ける。ここで始めて私が彼女の前を歩いた。そういえば家に上げるほどの友人はここ最近いなかったし、家族も来るはずもないので優希以外を連れて人を連れてこの自動ドアをくぐるのは久しぶりだ。
私の部屋は4階にある。普段ならたまに階段を使ったりするのだが、こうして客人がいる。当然、エレベーターのボタンを押した。だが。
「あ、何番ですか?」
「え?」
「田野さんの部屋番号。何番ですか?」
「…404ですけど。」
「じゃあ四階ですね。階段は…。」
「え、階段?もしかして…。」
「えぇ。あ、あなたは結構ですよ。エレベーターで先に行っておいてください。」
「え…、でも。」
すると彼女の声は、少し小さくなる。
「…その、今ダイエット中で。」
そういうことか。なんだ、ちゃんと年頃の女の子だ。…私の目にはあまり必要もないようにも見えるのだが。
「わかました。先に部屋の前で待ってます。」
その言葉を言った時には、エレベーターが来ていた。
エレベーターで四階に到着するまでに、時間はさほどかからない。一息なんてつく間にも、目の前のドアはもう開いている。
このごろ、ここからの足取りが重い。たった数十歩が、鉛のように。どこにでもあるマンションの四階廊下。以前までは連日の仕事による疲労くらいがのしかかってくるだけだったのに。それ以外の重圧が、それだけで、重くなる。
夕日はもう殆ど沈んで、廊下の電灯がなければ真っ暗だっただろう。そろそろ冬に向かってくることもあってか、外の空気は、冷たい。なのに。
「優希…。」
彼は、そんな空気にさらされながら私達の部屋の前でいた。いや、うずくまっていた。
「美、香…。」
「何してるの…、体、冷えちゃうよ。」
ラフな部屋着のまま。うずくまっている体は、震えている。
「いるんだ、いるんだよ!」
何度も言われた台詞。彼の必死の訴えも、私は十分に分かち合うことが出来ない。
「分かった。分かったから。」
表面だけの言葉しか紡げない。彼を抱きしめる。冷たい。体の芯まで冷え切っている。まさかさっきの電話からずっと外にいたのだろうか。
「さ、中に入ろう?風邪ひくよ。」
「嫌だ…、嫌だ!アイツが、アイツがいるから…!」
「大丈夫。もう大丈夫だから。」
彼女はまだこないのか、そろそろ来てもいいのに。震える彼の背を必死にさすって、必死に慰める。そんな時間が暫く続いた気がする。
「何が…。何が大丈夫だよ!」
「もうすぐ…、もうすぐ何とかなるから…。」
早く来て…。お願いだから…。
「…すみません。お待たせしました。」
来た。ローファーがコンクリートに当たる音とともに、制服姿が。髪を四階の風になびかせて。
「そちらが、浅野優希さんですね。」
「…はい。」
彼のこんな姿を、見せたくなかったけれど。
「だ、だれ、だよ…。」
「幽霊退治を、引き受けてくれたボランティアの人よ。」
幽霊退治という言葉を聞いた瞬間、彼の目が変わる。そんな優希を尻目に彼女は404のドアに向き合っていた。
「404。ここですよね。すみません、中に案内してください。」
「分かりました。」
玄関のドアを開ける。鍵は…掛かっていない。視線に広がるのは、靴が散乱した玄関。どうやら優希が外に出るときに蹴っ飛ばしたらしい。そして薄暗い廊下。玄関の灯りはセンサーで自動点灯するものの、それでもまだ、暗かった。
…何故だろう、今朝とは、今までとは違う、部屋の違和感。心のざわめきが、凄い。
「どこの部屋とか、分かります?」
彼女は顔色一つ変えずに、問いかけてきた。場慣れしている、という訳なのだろうか?
「そ…そんなの…、関係ない…。」
すると後ろから優希が口を開いた。
「アイツはどこにでもいるんだよ…!」
震えている口調。誰がどう聞いても怯えている。こんなの彼じゃない。
そんな彼を、彼女は何も言わず、ただ見つめる。…見下しているような視線。やめてほしい。
そしてその視線を外して、彼女は口を開く。
「…わかりました。取り敢えず部屋全体を見て回りましょうか。」
そのまま彼女は丁寧に散乱した靴たちを避けながらローファーを脱いでいく。プライベートなどお構いなしの様子に、私は慌てて彼女に続いた。…優希は中に入ろうとはしない。
…もう、知らない、なんて言えない。見捨てることなんて出来ないから、彼女を呼んだのだ。
リビング。何処にでもあるような間取りは、物が散乱している。…昨日片付けたのに。今朝ダイニングテーブルに置いていた優希の昼食は食べかけで、コップは倒れお茶が溢れていて。食べていた最中だったことは、誰の目にも明白だった。
─いい加減にしてよ。
彼女の視線は、変わらない。ただその目の形は、集中しているようだ。なのに、何故か。その瞳は気だるそうに見えて仕方がない。
彼女は無言で、無残なリビングを見て回る。そして。
「…次、行きましょう。」
「えっ?」
「ここにはいません。次行きましょう。」
ここには居ない。そんな言葉一つで、この惨状が馬鹿馬鹿しく見えてくる。
その後も彼女は部屋を見て回った。私の部屋、風呂、トイレまで全て。だが彼女の誰かを見つけたという目は無く。最後の部屋となった。そこは…。
「…優希の、部屋…。」
一番いない、と思いたかった部屋。実は彼女を案内する際にはこの部屋をわざと遠ざけていた。
「そういう事なら、一番居る可能性が高いですね。」
私の思惑とは裏腹のセリフを、軽々と呟く。ドアノブに手をかける彼女は、さっきと様子は変わらない。
ドアを開く。なんの変哲も無い、ただのドアなのに。その音に私の心音が比例して大きくなって。額が少しヒヤッとして。汗、なのだろうか?
「いません、ね。」
…は?
ドアが開いて、しばらく。唐突なセリフとともに、彼女はおもむろに指をある形に構える。
「お疲れ様でした。さようなら。」
─パチン。
そうして彼女は、指を鳴らす。か細い彼女の指から発した音は何故かマンションの部屋中に響いていた。
フリーズしてしまう私をよそに、彼女は振り返って、
─それでは、お邪魔しました。
無責任な捨て台詞だ。たまらず私は、
「ちょっと待って…!」
引き留めようとして、次の瞬間それが出来なくなる。
「……ううぁぁぁぁ!!」
優希の叫び声。玄関の前に居たはずの彼が、そこにいた。恐怖そのもの、恐怖しかない表情をして、そこにいた。
「優希…!」
駆け寄る私。彼は腰が抜けながら、誰もいない部屋を指差す。その指は、そしてその体は震えている。
「いる…!そこにっ…!ほらっ…!…がぁ…!」
「優希っ…!落ち着いて…!」
必死になだめる。背中を擦って、抱き寄せて。
そんな私達を、彼女は見下していた。さっきと同じ表情で、さっきと同じ目。なのに哀れみではなく、同情でもなく。明らかに私達を軽蔑の目で見ていた。
「失礼します。」
その声はトーンそのままで、彼女は立ち去る。玄関に向かった歩みを止めたのは優希だった。
「ごめん…!なぎさっ…!ごめん…!」
なぎさ。その名前を、聞かれた。
しかし彼女はその名前に歩みを止めても、振り返ることはなかった。ほんの少し足を止めただけ。そしてまた玄関に向かっていく。
─どういうこと…?
幽霊はいない。そんな彼女の言葉を否定するかのようなに優希は私の腕の中で怯えている。
優希を一人にするのは、少し気が引けた。だが、私は彼女を問いたださなければならない。うずくまる彼をおいて、私は彼女の後を追った。
十月十八日 ㏘5:43
彼女に追いついたのは、マンションを出たところだった。黒い高級車が、彼女を待っている。そのまま車に乗り込むなんて、させはしない。
「ちょっと待ってよ!」
私の言葉に、ようやく彼女は足を止めた。振り返って、私の顔を見て、愛想笑いのような要らない微笑を浮かべる。
「どうかしました?」
悪びれては、いない。その表情、そのトーン。私の中には自然と怒りが湧き上がる。
「…っ!説明してよ!なんで優希はまだ怯えてるのよ!幽霊はどうなのよ!説明してよ!」
絞るように怒鳴ってしまった。説明を2回求めてしまったなんて、言ってから気づいた。でも、もうそんなことなんてどうでもいい。
「言葉の通りです。あの部屋には幽霊は居ません。」
絞るように声を出しているのに、彼女はサラッと言い放った。
「じゃあなんで優希はあのままなの!?おかしいでしょ!?」
「…別におかしくありませんよ。」
何一つ表情を変えない彼女に、私は不意に一つの結論に達する。
「…ハハッ、そっか。騙してたのね、そうやって!」
その結論は100%が感情でできていた。そして彼女はようやく私の方に向き直す。私は続けてみせる。
「どう?楽しかった!?私達をからかって!何がボランティアよ、それからどうせお金取るつもりだったんでしょ!?」
怒鳴り続ける私に彼女は、呆れたようにため息を一つ吐いて。
「…まだわかんない?」
言葉を崩し始めた。
─何を?
「…優希さんが視ているものは、幻覚よ。あんまり
彼女は私などお構いなしに、一方的な話をし始めた。
幽霊っていうのはね、大半がただの見間違いなの。そして
さらに、当人が無意識に感じてしまっていることもまた幻覚化を助長する。幽霊なんていない。そう心で思っていても、心のほんの片隅に、疑心が芽生えている。幽霊はいない、って信じてる人が全人類の総意?違うよね。幽霊はいるのかって疑問を投げかけたら、いるって答える人、いるはずよね?もしくは、
優希さんの場合、元々精神状態が良くないこともあって…いや精神状態が悪いからこそかなり悪い状態になってる様子ね。
もうこうなったら私はもうお手上げ。精神科医をお勧めするわ。残念ながらこういうことには私は専門外。
彼女の話は半分もわからなかった。そして辛うじてわかったことも、受け入れられない。優希が幻覚を視てる?…ウソだ。
「…ふざけないでよ!あなたがわからないから、そんなこと言ってんじゃないの!?」
「まぁ理解しろ、なんて言っても無理か。…あなたが、あなたたちが視えていないだけ。」
──まぁ、幻覚に関しては私も視れないけどもね。
「じゃあ誰のよ!いったい誰の幻覚を視てるっていうの!?」
すると彼女は、ある人物の名前を出した。…予想は出来ていても、もう回避など出来ようもない、確信の瞬間。
「荻野なぎささん。…わかるよね?」
「!!」
─やっぱり。やっぱりあの女か…!
四月三日(九年前) ㏂11:41
その子と初めて出会ったのは、高校の入学式だった。
荻野なぎさ。引っ込み思案で、控えめの性格、ということは雰囲気で分かった。飾り気のない眼鏡に無頓着そうな髪型。全体的に芋臭い、化粧っ気もない。
校内に知り合いもいそうになく、式が終わって、自由になっても、一人教室を立ち去ろうとしていた。
「待って、…もう帰るの?入学式なのに?」
「…はい…。」
私の声に、立ち止まってくれた。へぇ…、そんな声、してるんだ。やや一方的な話をしていくうち、その子はボッチ体質らしい。
あぁ、これは。これは
なぎさは、私の言うことを聞いてくれた。
勿論、金を貸せ、なんて言わない。それは流石に私のポリシーに反する。だから、
この服が似合うと言ったら、なぎさはすぐ言うとおりに買ってくれた。
眼鏡やめてコンタクトにしたら、なんて言ったら数日後からコンタクトレンズに変えてくる。
このコスメがオススメだよ、なんて言ったらなぎさはホイホイと買った。
どんどん変わっていく彼女。それに比例して彼女の周りには人が増えていった。自分で言うのも何だが、悪く言ってしまうとなぎさは私の着せ替え人形。けど私は別に強制はしていない。買えなんて命令形は一つも言ってない。彼女の意思だ。それに、私がいなければそのままボッチだったのだ。逆に感謝してほしいくらいだ。
なぎさは頭が良かった。私に勉強を教えてくれたし、そのおかげもあって私は勉強を疎かにすることなく、程よい大学にも行けた。なぎさも勿論、同じ大学に
大学でも私達の関係は変わらなかった。そしてどうやらなぎさは家族との関係が悪くなって行った。あまり多くは語らなかったがなぎさ曰く、進路で揉めたらしい。そのうち居づらくなったのか、私の家に泊まることも多くなった。私は勿論大歓迎。
気持ちが良かった、彼女と友達になるのは。なぎさは私の思い通りになる。なぎさと出会ってからの七年間の学生生活は、本当に楽しかった。なぎさもまた楽しかったに違いない。
だけど流石に就職先は同じにすることは出来なかった。なぎさは就職先としてアパレルを選んだのだ。その話を初めて聞いたとき、私は思わず小躍りしてしまうくらいに喜んでしまった。私のおかげで、彼女は夢を見つけて未来を拓くことが出来た。私がいなければ地味でつまらない人生を送るはずだった人間が、私のおかげで変わったのである。
素直に嬉しかった。私は彼女の人生を変えてやった!その事実だけで、心が満たされる。
そうしてこれからも私達の関係は変わらない。時々なぎさが私のマンションに泊まったり、買い物したり。
社会人になっても、二人とも仕事は大変で忙しいけれども、いつまで経っても私となぎさは変わらない。
…そう思っていた。あの日までは。
一月二十七日(八ヶ月前) ㏂11:09
それはいつもどおりの休日の買い物の約束をして、いつもどおりの待ち合せ場所で、なぎさは一人の人物を連れて現れた。
「ごめん、待った?」
いつもどおりの様子のなぎさに、そばにいる男性。優しいオーラと整った顔立ち。イケメンというものだ。
「ううん。…あの、その人は?」
「…うん、美香には紹介しなきゃと思って。…私、この人とお付き合いを、してるの。」
「あ、こんにちは。浅野優希といいます。なぎさからよく話は伺ってます。」
─は?
言葉が出なかった。文字通りの絶句。なぎさに、彼氏?…
「同じ職場でね。ちょっと仕事で辛いときに、よく助けてくれて、それから…。」
そこからは、彼女の言葉は私に響かなかった。
私の中が、途端にグチャグチャになる。二つの感情がみるみるうちに渦巻いていく。
目の前の男に対する、ときめきと、目の前の女に対する、苛立ち。
私はあまり男になんて興味なかったのに。
なぎさが、一人で決めた。私を置いてきぼりにして?
私より背が、丁度良いくらいに高い。いつか夢見た、理想の男性。
私のおかげであなたは今そこにいるのに?
優希、か。いい名前…。
私のおかげで今のあなたがあるのに?
彼女と同じ職場ってことは、アパレル関係なのかぁ…。
勝手にした。こっちはあなたのために時間を割いてやったのに。
二つの感情は、やがて一つの結末へと私をいざなった。
『やっぱり、駄目だよ…。』
『…何が、駄目なの?』
『なぎさは…、なぎさにどう…。』
『…いいのよ、別に。』
『え?』
『大丈夫なの。もう、なぎさは。…それよりも、あなたといたい…。』
『田野、さん…。』
『やめて…、美香、って、呼んで?
私はなぎさから、奪ってやった。優希は、私のものになった。
当然、私はなぎさとは
そうしたら、しばらくして、なぎさは。
なぎさは勝手に死んだ。
六月七日(四ヶ月前) ㏂9:03
スマホの画面に映る、ニュース記事。
【娘の無念晴らす 両親会見で涙】
【荻野さんの元同僚語る 想像を絶するモラハラ】
なぎさは自宅で亡くなっていたらしい。家族への久しぶりのメッセージが遺言になった。そしてその死は、世間を大きく騒がせることなった。彼女の死後明らかとなった、職場のイジメ。
【あんたに才能なんてない、辞めれば?】
【なんでここ来たの?血迷っちゃったのかなぁ?】
【真似っ子ばっかり、恥ずかしくないの?】
記事に書かれている、なぎさの上司だった人物の発言集。問題になってからは依願退職したとも書かれている。だが、そんな程度では許さないのが今の世の中、全てが攻撃していた。テレビも、記事も、SNSも、私の職場の同僚でさえも。ネットでは「特定」が進み、無責任な罵詈雑言が飛び交う。
なぎさは私に何も言わなかった。泣き言、相談、何も私には言わなかった。そして死んだ。
─なんで勝手に死んでるのよ、なぎさ。
なぎさが死んで初めて思ったことは、それだった。そしてそれだけだった。哀れみでも、悲しみでもなく、自分でもわからないくらいの、呆れ。なぎさに向けた感情は、その程度だった。そしてそれよりもこの攻撃の矛先が私たちに向けられるのではないか。なぎさを死に追いやった本当の犯人なのだと。そうした恐怖が、私を、そして優希を支配していく。
その後優希は、仕事を辞めた。問題を受けて傾いた会社、そして罪悪感から、逃げた。同棲は、私から誘った。元々上手くいけばこうするつもりだったし、収入の無くなった彼に、できることはしてあげようと。そして二人でいつかくる、くるかもしれない「断罪」に怯え続けた。
そうして優希は、おかしくなって。
十月十八日 p.m5:53
そして、不意に、気付く。
「何で…、あなた…知ってるの…!?なぎさと私たちに、関係があることに…!?」
すると彼女はまた、
「だって、さっきまでいたから。」
─あなたのそばに。
「…は?」
その瞬間、身体が震えだす。
「待ってよ…、幽霊はいないんじゃ…。」
「えぇ、あなたの部屋には、ね。幽霊自体がいないなんて、私は一言も言ってないけど?まぁ、あなたも優希さんも
いる、の?いた、の?なぎさが?
「あなたと会った時から、そばにいたんだよ。…正直、それから大体は
彼女から発せられる言葉の衝撃が、私の全身を襲い初める。
「嘘、嘘よ!だってあなた、そんな素振り一度も…!」
私の反論を、彼女は鼻で笑うことで一蹴して、続ける。
「そりゃあそうよ。私、生まれてこの方いつも幽霊が視えて声が聞こえているんだよ?
─そうでもしないと世の中からハブられちゃうじゃない。
十月十八日 p.m2:13
『あの…。』
意を決して、話しかけたようだ。
「………。」
敢えて黙ってみる。
『…やっぱり視えてない…のかな…。』
「…フフッ…!」
その反応に、噴き出してしまった。
『……えっ!?』
「いや、ごめんなさい。ちゃんと視えてますよ、はい。」
その幽霊は彼女について来るように現れて。彼女がトイレに向かったタイミングを図ったようだ。まるで十中八九電話がかかってくることがわかっていたような、そんな感じ。
『…は、はい、そう…ですか。』
驚きが隠せず、ちぐはぐな口調。…いやこれが普段の彼女だったのかもしれない。
「一応名前、お聞きしてもいいですか?」
敢えて少し捲し立てるように言ってみる。
『えっ…!?あ、あの…。』
「あぁ、いつも聞いてるんです。こうやって話せる幽霊と出会ったら、名前と、それまでの経緯を。…まぁ、ニュースとかであなたの顔は見かけたことあるんですけど。」
私の言葉で、困惑の表情に陰りがみえた。
『あ…、そうなん、ですか。』
「…嫌なら、いいんです。」
『あ、いや、そういう、のじゃないんですけど、その…。』
…どういうものだろうか?
「なんでしょうか?」
『…彼女からの依頼、私からもお願いします。』
その言葉で、今回の依頼に裏があるのを確信する。…彼女を視たときから、薄々予想はできていたが。
「…どういうことでしょう?今回の原因は、あなたではないと?」
『いや…、そういうことでは…、ある、のかな…?』
…煮えきらない言葉と、少し時間が経ちはじめていた。なので…。
「…とりあえず話を聞きたいんですけど、田野さん、そろそろ戻ってくるみたいですし…、とりあえずそのまま
『…え?』
喋っておいてくれ、なんてなかなかしない要請だろう。
「大丈夫です、ちゃんと聞いていますし。」
なんて言いながら、手帳を取り出す。
『…?それは…。』
いきなり出たアイテムに、疑問を呈するのは、やっぱり当然で。
「あぁ、これ?これは…。」
─記録ですよ、あなたがたが確かに存在したという、記録です。
十月十八日 p.m5:19
私はマンションの階段に座り込んでいた。なぎささんに私ができることを説明した上で、確認をするためだ。
「それで、どうしましょう?」
『…え…?』
私の言葉の意図がわからず、なぎささんの表情には困惑があった。
「これからどうしましょうか、…あなたは。あなたの話では、私の経験上、多分優希さんが視ているというのは精神的なものの幻覚。心から来ているものだと私は推測しています。そうなると、私は専門外。優希さんに関してはどうにもできません。」
『…はい。』
彼女の表情がすぐに曇ってしまう。
「…もうここで消しましょうか?あなたを。」
『…いや、でも…!優希が…本当に幽霊を視ている可能性だってあるわけですよね…!』
縋り付くような、声。自分以外の人間のためにそんな声が出せてしまうのだ、彼女は。
「まぁ、その可能性もあるにはありますけど。生前あなたは幽霊を視たことがなかったそうですね。」
『…はい。』
「なら可能性もあります。幽霊になったからとはいえ、他の幽霊が視えるようになることはないですから。」
幽霊には生前の体質が適応される。何しろそれがその人間なのだから。
なぎささんは存在しない頭を下げてくる。
『なら、最後までお願いできますか…!もう優希があんな姿でいるのは、イヤ…。それが今の私の存在のせいだったのなら…、もっとイヤ…!』
…そうなれば、私には断る理由が無くなってしまう。
「…分かりました。」
十月十八日 ㏘5:56
「なぎささんから、
大体、という言葉が、脳裏に響いて、私の口から声が漏れだす。
「…んて…。」
怯え、からだろうか。声が上手く出ず、か細い声しか出なかった。
「何?…ごめん、聞こえなかった。」
彼女は聞き返して来た。表情一つ変えない。その顔に、その言葉に、腹が立った。
「なんて言ってたのよ!なぎさはっ!」
…自分でも驚くような声を出した、出せた。
「私への恨み言?そうね、そうよね!?奪ったからでしょ!?優希をねっ!だったら言ってやってよっ!
──なぎさが
怒鳴るような声、若干震えていて。なのに彼女は、私と見事に反比例するような澄ました顔で。
「………。」
目も当てられないだろう私を、彼女は冷たい目で見ていた。
「何か言いなさいよ!ねぇ!」
その言葉で、彼女はようやく口を開く。そしてその言葉は、
「…いや?特に何も。」
あっけらかんと放たれて。
「…え?」
その言葉は、
「…何も言ってなかったよ、あなたのことは。」
私がもう何も出来なくなる言葉だった。
「……は?」
「なぎささんはただただ優希さんを心配しているだけだった。本当にそれだけだった。あなたのことに関しては、特に何も。」
なぎさは、私の話を、しなかった…?
「…安心して、もうなぎささんは
そして彼女は車に乗り込む。窓越しの彼女の口は「いっていいよ。」という動き。シートベルトはしっかりと着けて。黒塗りの高級車はエンジンがかかり、走り去る。置いていかれたような格好になってしまっている私は、その場に膝から崩れ落ちていた。
特に激しく動いてもいないのに、心臓は激しく鼓動をしている。
崩れ落ちて膝がアスファルトの地面に直撃しても、痛みは、感情でかき消されてしまう。
私の脳内に溢れ出る、「何故」という感情。
なぎさは私のおかげでここまでがあったのに。
なぎさは私がいなければならなかったのに。
なぎさ、は?
………。
「………なぎさぁぁぁああぁぁぁ!!!!!!!」
叫んでしまっていた。絶叫、マンションの前で。…あれ、雨だろうか。頬に水気を感じる。
「どうしてぇ!?どうしてよぉ!あなたに私は欠かせない筈でしょおぉ!?」
天を仰げば、夜になりつつある黄昏の空。
「あなたは…!アンタは!私がいなければ何もできない、できなかったくせにぃっ!」
溢れ出す、必死抑えていた…、ため込んでいたもの。
「何よっ!!何勝手に死んでんのよ!!無責任なのよ!!」
マンションの窓から、ベランダから、私の声を聞いてしまった住民たちが覗いている。視線を感じる。それはまさに、私に降り注ぎ、貫く槍のようで。それでも、まだ、私の中には残っている。
「っ………。」
喉が、限界を迎えた。私の顔は、どうやらさっきとはまた違う目の当てられないものになっているらしい。私を心配したのか興味があるだけなのか、管理人や住民の人だかりが、私の周りに出来ていた。この状況でも、それらが他人事に思えてしまう。
叫んで、叫んで。ようやく、全部吐き出せたら、残ったもの。
「……ごめん、なさい、なぎさぁぁ……。」
十月十八日 p.m5:58
マンションが見えなくなった。それを確認して、シートに倒れ込んだ。シートベルトは想定外の動きを去れて驚いたようにピンと伸びる。
「オイ、シートベルト延びるからやめろよ、お嬢。」
咎められた。だけど、反省よりも徒労感が勝ってしまっていて、気にすることが出来ない。
「はぁ~、疲れた。葛城、帰ったら真っ先にお風呂入れて~。」
「いや、お嬢。あんた特に動いてねぇだろ。まぁ、お嬢が激しい運動なんてしてるとこなんて見たことねぇけど。」
その言葉は流石の私も反応してしまう。
「失礼ね!?こう見えても中学は水泳部でした!」
「いやそれは知ってるけどよ。」
事実を述べた上で不服そうだ。
「…あのね、葛城。こういう活動は、精神的に疲労を感じるの。そして、こういうときはお風呂が一番効果的なの。」
ならばと二つの事実を突き付けてみせる。
「何を根拠にしてんだ、それ?」
「100%私の経験上。」
「…なんかあてにならねぇな、それ。」
本当に失礼だ。私の経験というのは他とは違うんだそ?
「はいはい、つべこべ言わない。」
「へいへい。」
うやむやに話を終わらせて、ようよく私は正しい姿勢へと戻る。それから暫くして、葛城はおもむろに口を開く。
「なぁ、お嬢。今日は、
「うん、いたよ。」
小細工なしのド直球ストレートみたく正直に事実を話す。
「…もしかして、この車にも?」
「うん。…あ、もしかして気づいた?」
「…いや、残念ながら、な。オレは生まれてこの方
それは知っている。もう四年も雇用関係が続いているのだ。
「じゃあ、今のは当てずっぽう?」
「いや、お嬢、あんたの
流石、という他ない。葛城でも葵でも、基本的に優秀なのだ。細かいことにすぐ気づいたり、もはや一級品とも言える気配りもできる。この仕事は
「…ちょっとばかり特殊だったからね、今回は。緊急って言ったのも、そのせい。」
「…あぁ、そうだお嬢!何だよ急に呼び出しやがって!今日は天気もいいし気分がいいから電車で行ってくる、とりあえず話を聞きに行くだけだし車はいらない、なんて言っといたくせによ!オレとこの車は鈴をならせばすぐ来てくれるトラなんかじゃねんだぞ!?」
─こういう所さえ、直してくれればなぁ。
「あぁ、ごめんごめん。緊急になっちゃったから…。」
まぁ、それは贅沢というものである。個性を殺してまでも、する仕事でもないのだ。
「…たくっ。買い物途中だったから荷物まだトランクの中だぜ?今日は生物や冷凍食品はなかったから心配ねぇけどもなぁ…。」
その一言で、もはや私は悪者である。
…ごめんね、葛城。私は、私はね?幽霊から頼み事されたら、断れないの。
だって、その人はもう、私にしか、私だけにしか頼ることができないんだから。
“頼る”OL 了
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