さて、いきなりだが、あなたに質問だ。あなたは幽霊という現象を信じているだろうか?
…というより、まずこの世に幽霊という現象が存在しているのだろうか。
科学では説明できない、死んだ者が万有引力、物理学を無視して、透き通った身体で存在、否、視える超常現象。そんなものが、いったい存在するのだろうか?
あなたが首を横に振る、つまり否定すれば、それでよい話だ。だが、その首を縦に振るものならば、私はあなたを嫌いになるだろう。稚拙で幼稚な表現だが、実際私は幽霊を信じる者に負の感情が湧き上がり、次に会うときには苦手意識まで持ってしまうだろう。これを嫌いになるという他に何と言うのだろうか。
何故、なのか。理由を話すとなるとちょっと話がややこしくなる。なので端的に言おう。私はこの謎の答えを知っている。幽霊というのは
少し話が逸れた。本題に戻ろう。私はさっき、
が、それにも理由があるのだが。別に言い訳ではない。まぁ、今はいいだろう。こういうコトは、後にとっておいた方が私は好きだ。私が好きなのでそうさせてもらう。
それでもせっかちな人ならば、言えよ、言ってしまえと思うだろう。そういう奴はネタバレなんかどうでもいいタイプなのだろう。…あぁ、私は好きではないな。では一言、ヒントを与えよう。それをもってこのくだらない前説の締めとさせて貰おう。
幽霊というのは、神様と並ぶ“
十月三日 ㏂7:15
「朝ですよ、お嬢様。」
「…んっ、…あと五分。」
「これでもう三度目です。ということでもう十五分経ってますよ。」
飛び起きた。流石に不味い。時計を見ると七時十五分、そして十五秒。
「…流石、コンマ一秒まで正確に起こしに来るなんて。だけど、無理やり叩き起こすという選択肢はないのかな、葵?」
──私の二度寝癖、知らないワケないよね?
立ち上がりベッドの上で仁王立ちをして見せる私。無駄に広い部屋と無駄に高そうなベッドの天蓋に声が響いた。…あまり大きい声ではなかったのだが。向き合う相手は勿論私の睡眠時間を強制終了させたメイドである。
「あまりにも心地よく寝ていらっしゃったので。ま、ギリギリになってくるとフライパンでも持ってきましょうか。」
「そんなので私が起きるとでも?それとフライパンが傷つくからやめて。」
私は朝が苦手である。理由は明白なのだが。こうやってメイドの葵に起こして貰っているが。どうも彼女ではパンチが弱い。だったら目覚まし時計でも使えばいいと思うだろうが、あれはもっと苦手である。機械の分際で私の睡眠時間を終わらせるなど、腹が立って仕方が無い。
「ほんと、急に朝に強い体になってくれないかな…。」
「そう思ってる時点で諦めた方がいいですよ~。それにまだそんなに急がなくても大丈夫じゃ…。」
確かに学校はここから車で十五分とかからない。かからないのだが…。
「余裕を持って準備したいの。ほら、こうやって話しながら朝の支度をするなんて、好きじゃないし。それにあなた、最終手段として
「お嬢様を学校に遅刻させるわけにはいきませんから。」
「心臓に悪いんだよなぁ、アレ…。」
一瞬で目が醒める観点からしたらアリかもしれないが。あれを回避するために朝は余裕をもって起きると決意したのである。
が、まだ睡魔は勝てない。私はこうと決めたら最後までやり遂げたい性分である。だが、この「早起き」だけは上手くいかない。自分の身体の問題というのに。あぁ、腹が立つ。
制服に着替える。
朝食のイスに座るため、この広くて息の詰まる部屋を出る。装飾されたドアノブに手をかけ押すと目の前に広がるのは、また息の詰まる、長い回廊。何度見ても思う。暮らしていても思う。思ってしまう。
…馬鹿じゃないの。
そんな私をよそに、葵が気付いたように問いかける。
「あぁ、そういえば。恵お嬢様、今日は何か取材とかなんとかありませんでしたっけ?」
「…あぁ、うん、だから応接間と…一応客間の掃除、お願い。」
「分かりました。けど珍しいですね、お嬢様が取材を受けるなんて。」
「うん、まぁ。」
取材を受ける気なんて全くない、けれどね。
九月二十九日 ㏂9:56
「…ないなぁ、気になるモノ…。」
相変わらずの波乗りにも、飽きがきてしまう。
フリーライターになって数か月。企画を持っていっても門前払い。日々の生活も成り立たずバイトに明け暮れ食い繋ぐ毎日。そんな自分に、嫌気がさす。
自由だと夢見て就いた職は、ただの張りぼてだった、か。
そんな日々の夜。酒を浴びつつ何かいいネタがないかとネットサーフィン。チューハイのおかげで漂流して、そして行き着いた。
『幽霊関係全般、請負ます。』
謎のサイト。あるのはその他には電話番号のみ。なんだコレ、胡散臭いと鼻で笑いタブを閉じようとして、思いつく。
…いいネタじゃない?コレ。
本当ならオカルト雑誌に売り込めるし、インチキならそのタネを暴いてやって記事できる。
金になるぞ、コレは。酒が入った状態とはいえ、もはや金しか考えない下衆である、私は。
そして何を考えたのか、勢いでサイトの電話番号を携帯に入力してしまった。電波を通して聞こえてきたのは、私より年下であろう同性の声。
『何かお困りごとですか?』
いきなりの台詞で、酒が入った私も驚いた。挨拶も名乗りも無い。まるで、電話してくるのが分かっていたかの様な声のトーンに、困惑した。
「あぁ、いや。そちらは幽霊退治を請け負ってるっていう…。」
そんな私の問いかけに声は感情が感じにくい声で答える。
『…まぁ、そうですね。その他にもやってますが。で、なんですか、いたずらですか。』
いたずら前提かよ…。と突っ込みたくなる。そんな気持ちを抑えて、本題に移る。
「いや、私フリーライターの
『…あぁ、ごめん。そういうのは断ってるの。じゃあ。』
露骨に口調を変えてきた!?これはお客様じゃないと分かった瞬間態度変えてくタイプだ。
「…待って待って!」
切られる、と思って慌てて引き留める。このネタをみすみす見逃す訳にはいかない。幸い相手ほ私の言葉に耳を傾けてくれた。
「その、気になるんです。あなたの仕事が。その、特殊じゃないですか。だから…。」
次の台詞を言う前に、相手がブロックした。
『あのね、一つ勘違いをしてない?』
「…え、何が。」
『仕事、じゃないから。ボランティア、だよ?お金は一切頂いてません。』
なん、だと。てっきり「請負ます」と言ってるからにはきっちりとるものはとると思っていた。
…ますます気になってきた。
「ではそのボランティア活動を取材させて…。」
『だからそういうの自体を断って…。ん?小谷って言った?』
「え?はい、そうですけども。」
『コダニサオリさん?』
「はい…。」
私の名前がなんというのだろうか。
『…ちょっと待ってて。』
声が遠くなり、しばしの沈黙があった。小さく紙の擦れる音が聞こえる。スケジュールを調整してくれているのだろうか。しかし妙だ。私に何かあるのだろうか。まさか知り合い?思い当たるような人物はいない。取材は受けないと頑なだった様子なのに。
『………のかな。』
なにか言ったような気がした。電話越しでは殆ど聞こえない声。
『分かった。いいよ。今週の金曜日の午後四時半ぐらいでいい?』
相手の手のひら返しに、ついていけなくなってしまう。
「…え?ちょっと待ってその日は…。」
バイトが…なんて口が裂けても言えない。
『その日ぐらいにしか、空いてないから。それ以外はNGで。それと時間厳守でお願い。早く来られても、まだ学校だし。』
「え?まだ学生なんですか?」
『えぇ、バリバリの女子高生、ですよ。』
十月三日 ㏘4:25
未だに謎だ。何故アポが貰えたのだろうか。自分でも分からない。こんなしがないフリーライターに。
約束の午後四時半、の五分前。取材道具やカメラと共に電車を数本乗り継いで辿り着いたのは…。
「なにココ、すっごい豪邸じゃない…。」
なんだ?私の実家と…、いや比べるのがおこがましいほどこ豪邸なんですが?というか宮殿じゃないか?…合ってるよね?住所。
「あってるよ、そんな予想通りな顔しないで。」
後ろから声。振り向くとそこには、黒塗りの高級車。その窓から顔を覗かせる、一人の制服姿の少女。淡く濃い茶髪を肩より少し伸ばして、惹きつけられるような顔立ち。クラスにいたら一目置かれる存在だろう。
それにしても私の心でも読んでいるのだろうか。というかなんだ予想通りの顔って。
車のドアが開き、ゆっくりと車を降りてくる。身長は私より少し小さいくらいか。私は結構背が高いほうのでまあまあといったところだろう。
そんな彼女をまじまじと見ようとしたら、運転席から声が聞こえる。外車らしく左ハンドルだった。
「じゃ、お嬢様。私は車を停めてきます。」
「ハイハイご苦労様。急がなくてもいいわよ、私が適当にやっとくから。」
メイドだった、黒髪の。
え、メイド?…。初めて見た…。そして中々の美人である。年は…姉と一緒だっただろうか。
車が走り去った。どうやらガレージは裏にあるらしい。
「さてと。…はじめまして、私の名前は篠崎恵、花の十七歳。」
花の十七歳。言い方に少し腹が立った。立ってしまった。決して敗北感からではない。ないったらないのだ。
「ええと、私は…。」
名刺を渡しながら、自己紹介をしようとするが、名刺を受け取った彼女が遮った。
「小谷沙織、フリーライター…。といっても
「な……!」
何故初対面の相手にそのような口が聞けるのだろうか。それも年上に。
「ま、入って。
いや遠慮します。しない方が無理です。門がこんなにデカくて、
「い、いや…。こんな豪邸にお邪魔するのは初めてで…。」
謙遜するなぁ…、してしまうなぁ…。なんて思っていたら彼女はさらにとてつもない一言を言い放つ。
「…いや、というか遠慮
まさかの命令形。そういえば何故さっきから上から目線なんだ?富の違いか?私有財産の違いからか?…悔しい、そうなるとどうにもできないのが悔しい…!
「何を突っ立ってるの。取材、受けないよ。」
やはりどこか上から目線で言われる。
「!…ごめんなさい、失礼します…。」
「何謝ってるの?別に謝らなくてもいいのに。」
そういうワケじゃないんです。
門が開き、中に入った。門の内側にはこれまた広い庭。整えられているのを見るに、手入れされているのがを分かる。…どうやら彼女と私の住む世界は違うらしい。
彼女はただ玄関に向かって行く。広く整えられた庭には一瞥もくれず。見慣れているのだろうか。
玄関のドアも、流石に大きい。さらに装飾もされている。私のアパートの味気ない玄関ドアとは比べものにならない。いや、もはや比べてはならない。
「どうしたの?早く入って。」
キョトンとせざるを得ない私に対して、彼女は急かす。
豪邸の玄関、も外見通りだった。広さと比例して開く音も大きく響く。そしてその響きが、どこだか寂しい感じもする。私たち二人しかいないからだろうか。というより…。
「出迎えとか、ないんですね。」
「え?」
「あ、いや。その“お帰りなさいませ、お嬢様”みたいな。」
彼女は呆れたため息を吐いて、答える。
「ドラマの見過ぎ。まずここには私と葵…さっきのメイドしかいないの。」
「え、じゃああのメイドさん一人で
「やってるわけないじゃん。もうちょっと考えたら?私より年上でしょ?」
何故そこまで言われなければいけないの!?確かに年上だけど!だからこそ腹が立つんだけど!
そんな私を尻目に、彼女は続けた。
「葵は私の身の回りの世話をしてくれているけど、それは必要最低限の生活範囲だけ。この家も私達が使ってる範囲でしか掃除してないの。」
廊下一つ曲がると埃まみれよ、と彼女は言う。
「へぇ…。じゃあ庭は…。」
「仕方ないから業者に頼んでる。遊ばせるわけにも行かないし。」
こんな豪邸に、たった二人。人口密度低すぎでしょ…。
そうこうしているうち、応接間に通された。どうぞとけだるけにソファに招かれ、座った。フカフカである。さらに彼女は聞いてきた。
「コーヒー?紅茶?」
「あ…、じゃあコーヒーで。」
分かったと言って彼女は部屋を出た。必然的に私は一人となる。彼女自身が淹れてくれるのだろうか。メイドさんは車を停めている最中だろうから。
一人になって色々と疑問が湧き上がる。まず彼女の両親、もしくは親族は何をしているのだろうか。そして幽霊退治などという行為を容認しているのだろか。必然的に気になって、立ち上がり辺りを見渡す。応接間なら、何か家業を誇示しているかもしれない。
が、何もなかった。表彰状も、商品も、肖像も。この応接間には、必要最低限の物しか置いていない。客人のもてなしが出来ればいい、そんな部屋だった。
「何もないよ。」
「あ…。」
いつの間にか彼女は戻ってきていた。二つのコーヒーカップをトレイに載せて。
「元はどっかの金持ちの家だったらしいから、肖像とか壺なんかあったんだけど、引っ越してきたときに、いらないから全部処分しちゃった。」
といいながらトレイから机にカップを移す。そしてすとんとソファに落下するように座る。
「やるなら早くしよう?私の気が変わらないうちに。」
こうして、彼女への取材が始まった。
十月三日 ㏘4:44
「録音、いいですか?」
「いいけど、一つだけ。記事書いたらさっさとデータは消すこと。いいね。」
「はぁ…。」
レコーダーを置いて、電源を入れる。頭の中で用意していた質問はさっきからの驚きの連続で消えてしまっていた。情けない。メモぐらいとっておけば良かった…。
「…まず、あなたは幽霊退治をボランティアでやっている。間違いありませんよね。」
「だからあなたはここにいる。そうでしょ?」
肯定と受け止めていいのだろうか。彼女の品定めをするかのような声は、何かはぐらかされたようにも聞こえる。
「…そうですね。では…。」
「あぁ、その前に。」
「?…何でしょうか。」
「こっちから質問いいかな。これは依頼者全員に聞いてるんだけど。」
──幽霊って、あなたは信じてる?
いきなりの質問に、困惑する。というより私が質問する方なのだが。
「あの…。」
「答えて。じゃないと取材はここで終了。」
挑戦的な口調で、追い打ちをかけるかのように。何故私は彼女に主導権を握られてしまっているのだろう。やりにくい…。
若干投げやりになって、正直に答えてやった。
「信じてません。ただの迷信です。」
─いないに決まってます。だって
彼女はキョトンとした顔を見せる。なんだ可愛いじゃないか。と思ったのも束の間、顔を戻した彼女から核心と突かれる。少し口角を釣り上げて。
「じゃ、あなたの目的は胡散臭いボランティア活動のインチキを暴こうとしようとしてるって感じかな?」
「あっ…。」
詰めが甘い、いや甘すぎだ。完全に失言、完全に私の落ち度である。正直に言ってしまったら、本音が芋づる式に出てしまった。
が、彼女はそんな私に言い放つ。
「フフッ、いいよ。
「は?」
出発という言葉に、首をかしげそうになる私に、彼女は続けた。
「
─百聞は一見にしかず、ってことね。
そう言って机のレコーダーを取り上げて、勝手に電源を切った。
「あぁ、今のは別に消さなくていいよ。あなたをからかうのに、丁度いいから。」
嬉しくない前言撤回だった。
十月三日 ㏘9:54
満月が綺麗だ。何処かで虫が鳴いている。広い庭のお陰で響いてで心地が良い。
指定された時間となり、私は篠崎邸の門前にいた。首にはカメラを下げて。午後十時前。本当ならそろそろ帰らなければ終電に間に合わないのだが、
「今日は泊まって行きなさい。部屋は腐るほどあるから。」
と彼女に言われた。まず部屋は腐るものではない。いや遠慮しますと断ったら、
「だから遠慮するなと言ってるでしょう?まぁ怖くなってお家に帰りたいなんて思っているのなら話は別だけどね。」
と一言で今夜私の乗る電車は無くなった。
篠崎邸は外見に違わず広い。廊下、というより回廊は長い。この時点で私のアパートは負けている。…やめよう、虚しくなる。葵さんというメイドに案内された部屋は下手なホテルのスイートルームよりも広い、だろう。残念ながら私はそんなスイートルームに宿泊した経験が無い。
が、意外な面があった。夕食だ。ドラマで見たような長いテーブル。まっさらなテーブルクロス。今いる人数に対して数が多すぎる椅子。こんな
「オムライス…。」
「食べないの?葵の作った料理は絶品だよ。」
オムライスとスープ、サラダ。そう、意外に庶民的なメニューなのである。だがまたこれが彼女の言う通り絶品なのである。あれ、オムライスというのはこんなにも味わい深いものだったか?夕食は数時間前だったというのに、まだオムライスによる感動が頭を離れない。オムライスで人を感動させるとは、あのメイド、只者じゃない。
…と、オムライスの感動は置いておこう。今は彼女のボランティア活動に集中しなければ。
黒塗りの高級車が私の前に停まる。時を同じくして彼女が門から出てきた。その姿は、
「制服なんですか…?」
日中と同じ姿だった。
「えぇ、なにか悪い?」
「いや…この時間帯はちょっと不味いんじゃ…。」
「いいの、制服は身分を証明するものなんだから。」
そうやって彼女は車のドアを開けて、言った。
「さぁ、パトロールの始まりよ。」
彼女と私は後部座席に座った。発車してしばらく、車に揺られながら、私は何処に行くのか聞いた。
「さぁ?どこでしょうね。ルートは葵に任せてるから。」
彼女の答えはあっけらかんとしていて、私の質問に対して「そんなことはどうでもいい」という本音が見え透いている。
質問は無駄だったな…、なんて思いつつ、ちらりと運転席の方を見ると、葵さんがハンドルを握っている。(ちなみにメイド服のままである。着替えたらいいのに。)私の視線に気づいた葵さんはバックミラー越しに、愛想笑いを返してきた。
車は高速道路に入る。免許をまだ取っていない私は、夜のドライブというのはときめくものだと勝手に妄想していたが、女三名で、それもまだ知り合って半日も経たない人間…うん、緊張しかない。
やがて彼女はイヤホンで音楽を聴き始めた。窓にもたれて、流れる車窓の景色を眺めている。その表情は、流れる電灯とカーライトのせいで…分からない。
そんな彼女を見ていた私に、運転席から声がかけられる。
「今のお嬢様には何を話しかけても無駄ですよ。集中してるんです。」
「集中…、とは?」
さぁ?と言って葵さんは小さく首を傾げる。集中、か。今から何をやろうと言うのだろうか。自ずと目的がわかるその行動には精神とか体力を使うものなのだろうか。
いつの間にか高速を降りていた。降りた先は、工場の夜景が煌びやかな湾岸。
車は誰もいない道路を走る。不意に彼女が口を開く。
「…停めて。」
「かしこまりました、お嬢様。」
車は主の命令によって停まる。夜でも眩しい工場港に。
「あの…なにか…。」
私の問いに、彼女はイヤホンを外しながら、
「降りるよ。」
と短く言い放つだけだった。
十月三日 p.m10:19
車から降りると夜の寒気が上着を突き刺して伝わる。潮風が吹き、星空は…、残念ながら曇って見えずらい。無機質なコンテナが立ち並ぶ。
葵さんは車に残ったので、彼女と二人となった。
車を降りてからというもの、彼女は無言だった。私はズンズンと歩いて行く彼女についていく。というかいくしかない。暫く歩いて、辿り着いたのは、夜だからこそ眩しい港湾。
彼女は一点を見つめる。それはまるで、
いる、のだろうか。
「こんばんは。良い夜ですね。」
彼女は静かに目の前に話しかける。夜の虚空に。
「えぇ、あなたが視えます。あなたの声が、聞こえます。」
その声は優しさを帯びていて、そして。
「そしてあなたを、消せます。」
そしてその優しさには似合わない、言葉だった。
夜風が、冷たい。暗闇の海から、遠くでタンカーの汽笛が聞こえる。忘れ去られた様な外灯が懸命にチカチカ光っていた。
「そうですか。はい。えぇ。」
誰もいない目の前に話し、相槌を打ち、聞き続けている彼女。そして、おもむろに時代遅れな手帳を取り出し、記入し始める。
「あぁ、ごめんなさい。これは消す前に、人となりとか、聞いてるんです。だって…。」
───あなたの最後の会話相手は、私になるんですから。
彼女は会話している。視えない誰かと。
「まず、あなたの死因を。」
「なるほど。」
私は視えないが。
「じゃあ次に、家族関係を。」
「大家族、だったんですね。」
私は聞こえないが。
「どうして、ここに?」
「そうなんですか。」
私は話せないが。
「充実した、人生でしたか?」
「それは、良かったです。」
私は感じないが。
目の前にいるのは、どんな人なのだろうか。男なのか、女なのか。歳は?容姿は?
あぁ、駄目だ。
いつに間にか、私は本当にそこに誰かがいるんだと認識していた。
視えないのに。聞こえないのに。話せないのに。感じないのに。
あぁ、そうか。それほどまでに彼女の声は、優しかったのだ。
そうして彼女は、こう言い放った。
「一つ、聞きます。この世に未練は、もうありませんね?」
あぁ、これは。このセリフは。
遂に始まるのかと、カメラを構えた。何も除霊する道具を持たずに、彼女は除霊しようとしている。では呪文か?レコーダーは…どこだっけ?
そんな私に構わず、彼女は次のアクションに入っていた。
「では…。」
──
別離の言葉。目を閉じて、そして右手をゆっくりと前に伸ばす。そして。
パチン。
指を鳴らした。
音は夜の暗闇に響き、消えていく。
目を閉じて息を吐いて、立ち尽くす。目をゆっくりと見開いた彼女は無表情のような、それでいて何処か切ない表情をしていた。
指を鳴らした、たったそれだけ。それだけで彼女は、そんな表情をしていた。
「…疲れた。今日はもう帰る。」
…………え?
もう終わりなのだろうか。ちゃんと除霊が出来たのだろうか。私には分からないので、解説が欲しいところなのだが…。
「あ、あの…。」
「話なら明日聞くから。車に戻るよ。」
彼女はそう言って、来た道を戻って行く。私はただ彼女についていくしかない。
帰り道、そして車の中でも彼女は表情を無にして黙っていた。車の中ではイヤホンをし、行きと違って流れる景色は見ていないようで。その姿はまるで話しかけないでと言わんばかりで。そのオーラに流されるまま私は、声を掛けることができなかった。
篠崎邸に着いた後も、彼女は変わらずの様子で。私に眠れなかったら葵さんに言ってホットミルクでも作って貰いなさいと言って自分の部屋に消えていった。
葵さんはそっとしておいてくださいと呟くように言う。
…そっとなんてしなくても、私は彼女に話しかけることなんて出来なかっただろう。
こうして、パトロールだという夜は終わりを告げたのだった。
十月四日 ㏂7:16
「オイ、朝だぞ。
彼はベットの上にドカッと座ると、結構大きめのぶっきらぼうな声で私を起こしにかかる。
「…うぅ…。…今日土曜日でしょ?…寝かせてよ…。」
やっぱり朝は苦手だ。
「…オイオイ。あの客はどうするんだよ。」
「あ~、そうだった…。すっかり忘れてた…。」
睡眠というのは怖いもので、頭に入っていたはずの情報がするりと抜けてしまう。
「…ったく、大事なお客だろ?」
彼は若干呆れている。…呆れても、決して放ってはおかないのが彼なのである。
「…あぁ、うん、まぁ…大事では…ないけど。」
「なんだよソレ?訳アリってことか?」
煮え切れない私の返事に、彼は疑問を呈する。
「…まぁ、特別ってトコかな。…それにしても、
煮え切れないまま、話題を彼に移す。
「…そうだな。結構長かった、今回は。」
「私が知る限り最長だったよ。いつもなら四日くらいだけど。」
世間ではどう見ても特殊。だけど、これが私達の日常。
「まぁな。
「別にいいんじゃない?私は別に構わないし。」
「…そういう問題じゃ無いんだよなぁ。まぁいいや。それよりもだ。お嬢が客呼ぶなんて、始めてだよな?なにかあんのか?あの客に。」
「まぁ、そんなところ。」
「なんだそりゃ。」
「フフッ。朝ごはんは何?」
「フレンチトースト。」
「そう。…いつもありがと。」
「何言ってんだ。俺は
執事、ねぇ。だったらその着崩したようなスーツは、まるで似合わないんだけど。
十月四日 ㏂8:32
次の日は土曜日だった。
「今朝は眠れた?」
「おかげさまで…。朝食までご馳走になるなんて…。」
やはり美味しかった。ただのフレンチトーストのはずなのに。美味しかったのだが…。
私は今、彼女の部屋にいた。天蓋付きのベッドに、そこらの家具量販店ではまず見かけることのない家具。相変わらず豪華という一言である。
意外にもカジュアルな服装だった彼女はそのカジュアルには合わない重厚感溢れる椅子に座っている。出窓から差し込む日光が、彼女を照らす。そして私は傍にあった椅子に座る。
「そう言えば、今日は何か用事でもあったの?」
突然に聞いてきた。
「えっ…?」
「昨日ここに泊まるのに躊躇してたから。」
「あぁ、いや。大したことでは…。」
「ふう~ん。まぁ大方バイトがあるとかでしょうね。」
何で当てるんだ。というかなんで当たるんだ。
態度に出そうになるのを抑えて、私は彼女に聞いた。
「…昨日、
昨夜の疑問を、彼女に直接ぶつける。
「えぇ、
彼女は至極当然のように答える。
「じゃあどんな…。」
「その前に。」
次の問いに移ろうとする私を、彼女は遮る。
「
「種、明かし?」
そう、種明かし。幽霊とは何なのか、教えてあげる。
まず事実から言おうかな。この世界に幽霊なんて存在しない。
「えぇ!?じゃあ…!」
話は最後まで聞きなさい。予想通りの反応をしないで。全く面白くない。…確かに幽霊は存在しない、
「本来…なら?」
そう。死者が魂だけ残って現世に残るなんて、非科学的にも程があるでしょう?まぁ私に科学を語る筋合いはないけど。まず私は文系だし。
原初、人類が生まれてすぐの頃、幽霊なんていなかった。というか考えてもみてよ。死んだら魂とかいう思念体が身体から抜けてこの世に彷徨う?そんな機能の必要性ある?生き返る訳でもなく、永遠にそのままなのに?他の人には視えもしないのに?触ることも出来ないのに?
仮に何処かの神様がこの機能を人間に与えたとしても、よ。よく考えてみて。生物の進化、その神秘は凄い。だけどそれは恐ろしいほど
だけど今、幽霊は存在する、
世界中で幽霊や、それと似たような伝承が沢山ある。大昔から、ね。科学という存在が無く、全ての現象は神の仕業だとされていた時代から。
始まりは何処かの誰かさんの他愛のない法螺話、なんでしょうね。知らないけど。だったらその誰かさんに惜しみない賞賛を送らないとね、その話術に。
お酒の肴なのかは知らないけれど、人々はそんな他愛もない法螺話を信じた。信じるって怖いよね。信じたその日から、部屋の隅に、木の裏に、棚の陰に、何かいるのかと思い込んでしまうのだから。そして不安と恐怖から生まれたその思い込みが、ある筈もないモノが視える現象…幻覚を生み出した。
幽霊を見たことがあるっていう人の大半は、自身の脳と眼から生み出した幻覚なの。幽霊なんていないって口では言っても、深層心理では本当はいるんじゃないかと少しだけ思っている…。その隙間に付け込まれるの。後は夜目による何かの見間違いとかね。
こうして幽霊という法螺話は都市伝説となった。いるかいないかは分からないけれど巷でまことしやかに囁かれる噂として。さらには世界中に広がり、創作物などで描かれる程になった。
ここまでなら幽霊の本質は幻覚…、だったら良かったんだけど。さらに余計な力が介入して来た。
昨日消した幽霊は、言葉に宿る力…言霊から生まれたの。ここからはその言霊について種明かししていきましょうか。
物理学、化学、力学を無視した謎の力…。言葉に霊的な
だけど言霊が長い時間をかけて数万、数億となれば話は変わってくる。その言葉は現実になってしまう。
まぁ、そんなことは滅多に起こりえないんだけどね。
噂の広がりもそうね。特定の地域や地方の噂止まりならばそれでおしまい。噂をする頭数が少ないから、それだけの数じゃ言霊は動かない。
だけど幽霊は別。というか別格。幽霊って、世界最古クラスで世界最大規模の都市伝説ってわけだし。昔から創作物の題材にされる程ね。色々あるでしょう?お化け、ゴースト、ファントム、ゲシュペンスト、その他多数。共通してるのが「死者である」「霊体と言われる触れられないものである」「夜や墓場、病院など“死”に関係する場所に現れることが多い」…ほら、属性は一緒でしょう?ほんと、弱点属性の全体魔法で一掃したいところね。
それに、否定する力も比較的弱いからね。「幽霊なんていない。ただの迷信だ。」って言っても、あなたはその言葉を信じる?出来ないよね。それには
つまり端的に言っちゃうと、未だに科学的に解明されてない幽霊という存在は、今や言霊の力で独り歩きをしているってワケ。
あ、そうそう。一つ言っとくと、この世に未練があるとか何とかは、まるで関係がないから。死んで幽霊になるのはランダムでレア。私の経験上、天寿を全うしてもう未練がないっていうようなお爺ちゃんお婆ちゃん達は沢山いたし、反対に不慮の事故事件に巻き込まれたような人達も一杯いた。怨みや心残りのあるなしは関係ないから。もし死んで幽霊になったらツいてるんじゃない?
まぁ、色々一方的に話ちゃったけど、私が伝えたいことを纏めてみると、
幽霊は本来は存在せず、
幽霊をみたという人の大体は幻覚か見間違いで、
昨日の幽霊は言霊から生まれた存在だ、
ということ。
以上、篠崎恵の幽霊講座でした、と。
途中からは何も口をはさめなかった。
一方的過ぎてついていけない。纏めてくれても分からなかった。というか纏め切れていたのか?慌てて途中でレコーダーに録音したが、私では何度も聞いても理解出来ないだろう。というか
「何か質問ある?」
彼女は講師のような口調になっていた。たまらず私は、
「すみませんついて行けません。」
正直に言った。
「でしょうね。だから
その言葉に、私はすぐさま反論する。…してしまった。
「なっ…!まだ私はこの仕事を始めて数か月しか経ってません!」
「時間を言い訳にしないで。才能に長い時間も要らない。長い時間をかけて才能が開花したなんて、それは
要らない情報も添えてしまった。
彼女はおもむろに手帳を取り出す。ページをめくり、目的のページに辿り着いたようだ。
「ハタナカエイゾウさん。男性。享年八四歳。職業元タンカー船員。世界中の海を航海したそうよ。」
手帳を基に音読してみせる。その内容は…多分…。
「家族構成は息子さんと娘さんがそれぞれ二人。孫は十人もいるんだって。奥さんは…先で待ってる、らしい。」
「あの…。」
「死因は老衰、らしいの。そこは本人も分からないって。意識無かったそうだから。」
そんな人、だったのか。
「死んでまだ一週間程度で、港にいた理由は見ておきたかったから、半生を捧げた仕事場を。」
あぁ、やはり。
「それは、やっぱり昨日の。」
「えぇ。お爺さんが海の方向を向いてポツンと佇んでいたの。私が話しかけたらビックリしちゃってた。当然よね。視えて、聞こえて、話せて、そして
「あぁ、そう言えば…。」
気になったことがあった。
「何であなたは、その、視えているんですか?」
その問いに、彼女は勝ち誇った笑顔で答える。
「フフッ、視えてる
答えになっているようには…、聞こえない。
「特別、とは。」
「私は生まれて来た時からこうだった。羨ましい?そんな事もないよ?みんなには感じないモノが視えて、モノの声が聞こえて、モノと話せる。そしてその摩訶不思議なモノを
話がそれたね、と彼女は話の軌道を戻す。
「私が何故こうなのか、それは私も知らない。正しく神のみぞ知るって感じ、かな。けどそれ以外は至って普通。運動神経も、頭脳も、人並みといったところ。」
家の財力は、人並み以上ですが、というツッコミは、喉の奥にしまっておいた。
彼女は椅子にもたれつつ、窓のほうを向いて答える。その横顔の表情は何処か呆れているような、悲しいような…。何とも言えなかった。手にはその年齢には似つかわしくない手帳。
その手帳に、私は疑問を持った。
「その手帳、もしかして今までのを記録しているんですか?」
「えぇ。まだ自我があった人だけだけどね。」
…自我の、あった人?
私の疑問をよそに、彼女は続けてしまった。
「…まぁやらないといけない使命的な何かはないけど。あくまで趣味の範囲。」
「それに何か意味が…。」
「ないよ。」
即答だった。そして彼女は続ける。
「ないけど、残しておきたいの。だって、その人の最後の会話だよ。会話は生きている間は何万回、何億…最早数にするには
考えれば残酷である。ならば…。
「じゃあさっさと成仏すればいいのではないでしょうか。」
「…それが出来れば私なんて要らないでしょ?」
若干呆れられていた。なんだそれは、あんたは警察か何かか。
「残念ながら幽霊になったら、自分で消えることは出来ないの。ただ彷徨うだけ。何年も、何十年も、最悪永久にね。」
言葉が詰まってしまう。残酷だ。言うなれば世界規模でシカトされ続けるのだ。孤独で、押しつぶされそうになろうとも、消えない。死ねない。だってもう死んでいるのだから。
「それから解放出来る方法はただ一つ、
何処か自信ありげに彼女は言ってみせる。少し腹が立つ。
「あなたが、幽霊を…除霊出来る…方法?」
「そう、私は幽霊を
「違いが、あるんですか?」
私の当然の問いに、彼女はあっけらかんと答えた。
「わかんないから。」
「え?」
「私にはわからないから、次に行き着く場所が。天国か、地獄か、はたまた極楽浄土か、それとも転生か。分からないでしょ?死後の世界があるかないかなんて。私はまだ死んだことなんてないし。それに…。」
「それに?」
「除霊なんて、
──なった本人は、まったく罪が無いのに。
どうやら彼女のポリシーらしい。…が、消すなんて言葉は、なんだか乱暴な気もする。
「で、話を戻すけど。消すのは簡単。昨日の夜みたいに右手の指を鳴らすだけ。ワンモーションでおしまい。」
そんな簡単な行為で霊は消せるのか。データを消すよりも簡単だ。聞く限り呪いのような幽霊現象から、彼女はその指だけ解放出来るのだ。
「何で、その、あなたは消せるんですか?」
「知らな~い。メカニズムは全くの謎。どうやら生まれつきなんだよね。」
──というか、本人もわからないこと、質問しないでくれる?
すみません、質問するのが私の仕事の一環なので。
そして彼女は突拍子も無く半ばアクセサリーと化していた手帳を閉じて私に投げた。オイいいのか。
「読みたいでしょ?どうぞ。幽霊のことしか書いてないけど。」
彼女の好意に甘えて、重厚な革が高級感を引き立てる手帳を開いた。中には丁寧に書き込まれたプロフィール状の故人達がずらりと並ぶ。最新のページには昨日のお爺さんらしき人物がいた。
そして、
今年の二月二十六日のページ、その名前に、私は凍りつく。
続く
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