「とうま、とうま?」
「…あ?」
「あ?じゃないんだよ、あの子帰ったよ。でんわばんごう?っての置いていったみたい。あとで詳しいこと連絡するって。」
少女は、願いを述べたあと、「落ち着いたらまた連絡する」と去って行ったらしい。
呆けた俺の代わりにインデックスが送り出してくれたようだ。
「しかし、なんかすごい願いすぎて現実味ないな…。」
「まあ、とうまはね。私はああいうときの気持ちわかるなぁ…。何回も経験してるから。」
インデックスが遠くを見るように、目を細める。
実際に、遠く、俺には想像もつかない昔のことを思い出しているのだろう。
薄れてしまうほど遠く、それでも輝く記憶とはどんなものだろうか。今の俺には分からない。
少々感傷に浸ってしまった気持ちを振り払って、俺はインデックスに聞かされた話を思い出す。
「俺、地獄までついていったんだっけ。」
「救い出してくれたの。…まあ、地獄まで来てくれたのに変わりはないけど…。」
そこで疑問が生じた。
何回も経験してるってどういうことだ?
「あー…、ゴホン。えっと、あれ、お前、一年ごとに記憶消されてる、とかじゃなかったっけ?」
「…ちゃんと説明したんだよ?っていうか、とうまのおかげなんだよ?」
むっつりとした顔でこちらをみてくるインデックスに、慌てて考え込むが、俺の記憶にそんなものは詰まっていなかった。
俺の脳みそは想像以上に物忘れが激しいらしい。
「………なんだっけ?」
「もう!」
インデックスが怒り顔で、でも、説明するのが楽しいという風に人差し指をこちらに突きつけてきた。
インデックスは自分の知識を話すのが楽しいらしい、無理やりでも記憶してしまうものとはいえ、言ってしまえば知識オタクなのだから仕方ない。
「私が一年ごとに記憶を消さなきゃいけなかったのは、私の上司の魔術が頭を圧迫してたからってのは覚えてる?」
「あの、自動なんちゃらってやつ?」
「自動書記、ね。」
インデックスが自分の細い首を擦る。
喉の奥にあったという、その『首輪』。悪意に満ちたそれを善意と騙されてきたインデックスのパートナー達。
そんな話、したな、と上条は今更ながら思いだす。
だが、どうしてもそこから先が出てこない。
とりあえずインデックスの上司が最悪な人間なのは理解した。
何人、人を不幸にさせたんだろうか。何度、インデックスに涙を流させたのだろうか。
むかむかしてきた俺は温くなっていた麦茶を飲みほした。
「で?それがどうしたんだよ。」
「その中に、魔術で消していた私の記憶も入れてあったんだって。」
「は?」
意味が分からなくて、俺は口を開けたまま固まった。少し口から麦茶が漏れたのを見て、インデックスが慌ててティッシュを渡してきた。
さっきまで文句言っててすみませんと言うべきか、やったことには変わりねえとキレるべきか、とりあえずむかむかが行き場を失って消えた。
インデックスが言うには、『こうなる可能性』も考慮してあったらしい。
インデックスからの信用回復のために、保存されていた記憶。
それが、今回の件で返却されたのだ。『上条当麻』という首輪ができたからだろう。
なんというか、手の上で踊らされているようで癪に障るが、ここはバカらしく踊っておくのが一番だ。
それで平和が得られるのなら。
「…俺が記憶失って、お前が取り戻すとか……、笑えるな。」
「だからこれ入院中に説明したんだよ!?」
インデックスが強く机を叩いた。
チョコ菓子の包み紙が机から落ちるのを目で追いながら、首を傾げる。
「んな重要なことそう簡単に忘れねえよ、絶対寝ぼけてるときとかに話しただろ。」
「そんなわけないんだよ!ていうかそれって自分のこと棚にあげるっていうんだよ!?上がったならぼたもちでもおとしてほしいのかも!!!」
「夕飯なら落としてやるぞ?」
「………。」
「…背に腹は変えられねえもんな……。」
流れるような動作で正座したインデックスと同時に鳴り響いた盛大な腹の音に、俺は苦笑しながら立ち上がった。
グラトニーな居候に、安くて上手い飯を作ってやらねばならない。
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「本日の上条クッキングー。」
インデックスがテレビを見ながらまばらに拍手するなか、俺は冷蔵庫の中身を確認する。
最初に目に入った卵に、退院祝いだし、と鶏肉も取り出す。
確か玉ねぎもあったはずだ。
「今日は親子丼?」
「ご名答。」
料理と言っても、俺が作るのはざっくり簡単なビバ☆男の料理だ。
期待はほどほどでと願いたい。
それに退院して初めての料理なのだし…と思ったが、そこは大丈夫そうだ。
体が覚えてくれていた。
玉ねぎを適当な大きさにざく切りして、熱したフライパンに油をひいて放り込む。
玉ねぎが目に染みるのが嫌なヤツは換気扇と、水で洗いながら皮むきをするといい、幾分かマシになる。
玉ねぎをある程度炒めたら、小さく切った鶏肉も放り込む。
鶏肉の中まで火が早く通るよう、小さめに切る。ごろごろしたのが好きなら大きくてもいいが、案外小さくても肉感は十二分にでる。
それに早く作らないと、シスター様が痺れを切らして噛みついてくるのだ、タイムイズライフ、命がけの料理である。
鶏肉に火が通って、玉ねぎが飴色になったら、本だしと水を入れた卵を投入。
分量?適量だ、感覚で覚えるしかない。
ここでめんつゆ入れるのもオススメだ。
つゆだくや、ご飯に味が染みるのが好きならめんつゆ多め。
「ま、卵と肉なんて組み合わせ、そう簡単にまずくなんねえよな。」
じゅわっと美味しそうな音を立てて、卵がフライパンの中に投入される。
ふつふつとあがる気泡を潰しながら、どんぶりにご飯をたんまり盛って半分ずつ注ぎ分ける。
ここまで30分もたっていない。
暴食姫の機嫌もななめにならないので素晴らしい限りだ。
丼もの万歳。
深めのスプーンを出して、コップに麦茶を注ぐ。
インデックスがそわそわとスプーンを構えている。
「んじゃ、手を合わせて?」
「「いっただきまーす!!」」
俺は、まるでマジックのように消えた山盛りの白米に、大食い大会にでも出したら生活費が稼げるんじゃないかと考えてしまった。
「…いっぱい食うのはまだいが、噛まずに飲み込んでるだろ!?一口百回噛め、百回!」
「百回?飲み込めたらいいんじゃないの?」
「んな訳あるか!胃に悪いぞ、よく噛んで食え。」
真面目な顔でむぐむぐと口を動かすインデックス。
少しペースの落ちついた食事に、会話を挟み、時間を稼ぐ。満腹中枢は食べ始めてから15分で反応し始めるらしい。
許せ、インデックス。お前の暴食は本当に家計に辛いんだ。
「明日から、お前はどうするんだ?暇だろ?」
「とうま、学校は?」
「補修は免除だって。そのかわり、宿題をするのと自分の記憶をしっかり照らし合わせときなさいって言われた。」
電話をしてきた教師の声は涙声だった。
いい担任の先生に恵まれていたらしい。
「…とうま、明日はちょっとお散歩してきたらどうかな?」
インデックスがスプーンを咥えながら唐突に提案してきた。
きらきらと幸せそうに食べるのは嬉しい限りだが、行儀が悪い。
これは徹底して日本のマナーを教えるべきだ。
「スプーンを咥えたまま喋るな。…散歩?どっか行きたいとこでもあるのか?」
「ううん、私も散歩してくるけど、とうまとは別行動。…とうまの知り合いに会えるかもしれないでしょ?」
ああ、なるほど、と俺は納得した。
この学園都市内なら、学区次第だが、知り合いに一人も会わないなんてことはなさそうだ。
「ついでに自分の口から説明してきたらいいと思うな、記憶喪失になったって。」
「…まあ、学校に行ってからまとめて説明よりもマシか。」
「友達の住所とか分かったらよかったのにね。」
残念ながら、資料には俺との関係以上の個人情報はのっていなかった。
相手との距離はこれから俺が計っていかなければならない。
「で?インデックスはどうするんだよ、俺と別れて散歩とか、危なくないか?」
「私は私で、思い出せた記憶を確かめに行きたいの。あ、学園都市から出るわけじゃないよ?学園都市内にいる私の昔のパートナーに会いに行くの。」
「…気をつけろよ?」
「大丈夫だよ、記憶が正しければ。」
楽しそうに笑うインデックス。
自分の記憶に疑問を持つことへの新鮮さがたまらない様子だ。
そんなインデックスを見ているとこちらも明日が楽しみになってくる。
俺の友人は、日常はどんなものだったのかを考えるとわくわくが止まらない。
モチロン不安でもあるが。
名無し少女についても少しは考えておかなければならない。
話を少しでも聞いている時点で、巻き込まれていると考えていた方が得策だ。
聞く限り、相当の巻き込まれ体質に不幸体質が加わって、入院回数がすごいことになっていたのだから。
「…そういや、あの白い子。いつまでも名無しじゃ呼びにくいな。」
インデックスが、ギラリと目を光らせて、こめかみに指をあてた。
「このインデックスが!ぴったりの名前を見つけてみせるんだよ!」
「名無しの権子ってのは―」
「却下」
「うっす。」
完全記憶能力フル活用。
カタカナ名前じゃないことを祈りたい。キラキラネームは将来恥をかく。
「んじゃ、任せた。じゃ、俺は寝る。」
「え、え、ちょっと待って、とうま!?」
「…なんだよ。」
病み上がりでただでさえ体力がないというのに、両親に謎の少女にとはちゃめちゃだったのだ。
眠らせてほしい。
速攻で入り込んだ布団から上半身だけ起こしてインデックスの方を見ると仄かに頬を染めておどおどとこちらをうかがっていた。
それを見て、なんとなく察しがつく。
「その…ベットは1つしかなくてね?」
俺の不能な脳みそがうねりをあげて思考を働かせる。
まず、インデックスはベットで寝せなければいけない、それは絶対だ。
しかし、俺と同じ部屋というのもどうだろう。男女が一つ屋根の下というか部屋の中、おまけに二人っきり。何か、何か起こってもおかしくない健全な高校生男児と美少女。
俺が何もしないことは、俺自身が分かっている。
インデックスは、シスターなのだ。それに見た目年齢、14か15歳の本当に少女であるインデックスに何かしでかしたら逮捕以前に俺の良心が悶え死ぬ。
それなら、大丈夫じゃないか?と脳内の俺が囁く。
「一緒に寝たらいいじゃねえか。嫌なら風呂場ででも寝れるし。」
確実に、囁いたのは悪魔な俺だ。
天使未登場とはどういうことだろうか、大丈夫だろうか。
そんな葛藤をする暇はなかった。
ぼぼぼっと真っ赤になったインデックスが目の前にいた。
途端に、優越感と余裕が生まれる。もちろん、悪魔な俺に。天使な俺は余裕なく潰れてしまったのだ。
仕方なく悪魔な俺が考えているだけなのだ。
そんな思考も置いてけぼりで、俺はインデックスのその小さな体を強引に引き寄せた。
「わ、わわ…!?」
そんなに柔らかくない安物の布団にインデックスが倒れこむ。
驚いているからか、または確信犯か、全く抵抗しないインデックスは俺になされるがまま、布団に引きずり込まれた。
「ほら、考えるのは布団の中でも、なんなら明日でもいいだろ。」
すっぽりと腕の中に納まったインデックス。
もぞもぞと寝心地のいいところを探す猫のように体勢を整えてから、ちらり、と布団の隙間からこちらを覗いてきた。
ばっちり目があって、心臓が一際高鳴った。
インデックスはそのまま、幸せそうに頬を緩ませて、白い肌を耳まで赤くさせて、可愛らしくこちらにすり寄ってきた。
「…えへへ、おやすみ、とうま。」
「………………おやすみ、」
間もなく、聞こえてきた寝息に俺はため息をついた。
眠れるだろうか。
やわらかい感触があちこちに伝わってくる、男とは全く違う体つき。
ほんのり香る甘い匂い。
「…寝れるかよ、ばーか。」
呟いた声は震えていた。
起こさないように、そっとインデックスに背を向けて、俺は耳から出てしまいそうなほど高鳴る心臓の音を押さえつけるように、ぎゅっと目を閉じた。