高校一年生の少年であった上条当麻は、空から落ちてきた少女、インデックスを救うため戦った。
どこにでもありそうな展開、誰もが予想したハッピーエンド
…は、実現されなかった。
上条当麻は記憶喪失になってしまった。
記憶喪失といっても様々だが、上条の場合、『思い出』を記憶する『エピソード記憶』と『知識』を記憶する『意味記憶』のうち、『エピソード記憶』が破壊されるといったパターンである。
『意味記憶』と『エピソード記憶』の堺は曖昧であるのだが…、小難しい話は置いておこう。
ひとまずこれだけ理解してほしいのだ
彼の記憶からが思い出が消えてしまったことを。
肉体は生きている、障害も残らず、退院すれば普通の生活が送れるだろう。
しかし、彼には『上条当麻』がどんな喋り方だったか、自宅の場所も友人の顔も思い出すことはできない。
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震える足で、インデックスは病室のドアの前に立っていた。
まず、最初は挨拶からだろうか?
いっそ、ショック療法で最初に頭に噛みついてみようかとも思った。
次に笑顔の練習をした。
とびきりの笑顔で迎えたかった。
次は、と考えたところで、思考を止めた。
いつまでうじうじしてても仕方ない、と頭を振って、汗の滲む手でドアをノックした。
「はい?」
聞きなれた声に、インデックスは本当に何も考えずにスライドドアを開け、激しい音に慌ててそっと音のしないように閉じた。
そして、まるで怖いものでもみるように、おそるおそるそちらに目をむける。
真っ白な病室に、大きな窓から真っ青な空見え、開けられた窓から入った風でカーテンが緩やかに揺れていた。
その中に、少年がベットに上半身を起こして座っていた。
医者に説明を受けていたとはいえ、姿を見て『生きている』ことにインデックスは心から神に感謝した。心の中で十字をきっておく。
しかし、喜びも一瞬、インデックスは体を固くした。
「…っあ、」
少年の目が、違う。
親しげに自分にむけられてた暖かな目ではなく、
ただただ怪訝そうな、他人を見る目に、インデックスの足は少年に駆け寄る前に止まってしまう。
「あなた、病室を間違えていませんか?」
「…っ!」
インデックスは、ふるり、と体を震わせた。
恐怖に飲み込まれそうで、この場から逃げ出したくて仕方なかった。
真っ白な修道服を握りしめる。
(皺が、よったら、あんろんしなきゃって怒られちゃう…)
湧きあがる記憶に、インデックスは頭をふった。
なんでも覚えていられる自分のかわりに、少年は全部忘れてしまったのだから。
「あのぅ…?」
何も答えないインデックスに少年は心配そうに声をかける。
そんな状況にした張本人を心配する少年に、インデックスの涙腺が緩みそうになる。
それを、インデックスは一歩踏み出すことで我慢した。
にっこり、いつもの笑顔を作る。
少年の隣にいれば、いつも自然とこの表情になれたのだ、笑えないはずがない。
「あの、大丈夫ですか?なんか、君、すごく辛そうだ。」
しかし、その必死の笑顔さえ、少年は見抜いてしまう。
その鋭さに、優しさに、思い出が暴れだす。
それでも、胸を抑えつけて、インデックスは笑顔を崩さなかった。
「ううん、大丈夫だよ?…大丈夫に決まってるよ。」
笑顔は崩れなかった、少し上ずった声には目を瞑ってほしいけれど。
数秒の沈黙のあと、少年が先に口を開いた。
「もしかして、俺たち知り合いなのか…?」
心が、張り裂けそうだと、まるで小説のようにインデックスは考えた。
こんなに辛いことが、逃亡生活から救われた先に待ってるとは思わなかった。
幸せな何気ない日常が、その先には待っていると思っていたのに。
「…っうん、そうだよ!」
インデックスはとびきりの笑顔で答えた。真っ白な病室にたつ真っ白なインデックスは、そっと、溢れないように思い出のふたを開けた。
完全記憶能力をもったインデックスにとって思い出す行為は、もう一度同じ体験をするようなものだ。
暖かな思い出から、インデックスは1つ1つ思い出していく。
「とうま、覚えてない?私たち、学生寮のベランダで出会ったんだよ?」
――不安なときに、話し相手になってくれた。
「俺、学生寮なんかに住んでたの?」
少年の返答に、言葉がつまる。
インデックスは笑顔をそのままに次の思い出を拾い上げる。
「…とうま、覚えてない?とうまの右手で私の『歩く教会』が壊れちゃったんだよ?」
――わざわざご飯を恵んでくれた
「あるくきょうかいって、なに?『歩く教会』……散歩クラブ?」
インデックスの笑顔が崩れた
上ずった声で、次の思い出を拾い上げた
「………とうま、覚えてない?とうまは私のために魔術師と戦ってくれたんだよ?」
――地獄から救ってくれた
「とうまって誰?」
インデックスの瞳には今にも零れ落ちそうなほど、涙が溜まっていた。
それでも、今伝えなければ、と不器用な笑顔を作る。
インデックスが、一番伝えたいことを伝えるために。
「とうま、覚えてない?」
ぼろり、と大きな雫が瞳から零れた。
「インデックスは、とうまのことが大好きだったんだよ?」
――いつの間にか、その優しさが、手が、声が、全てが、大好きだった
「インデックスって、なに?人の名前じゃないだろうから、俺、ペット飼ってたの?」
耐えられない、と言った風にインデックスは顔を歪めた。
ここで泣いては、ただでさえ不安そうな彼を不安にさせてしまう、とインデックスは病室から出ようと一歩後ずさった。
「なんつってな、引ーっかかった!あっははーのはー」
シリアスな病室に高らかな笑い声が響いた。
「え…?」
愉快そうなベットの上の少年に、インデックスの涙が引っ込む。
さっきまでの不安そうな少年の様子とはうって変わって、今までインデックスが見てきたような、いつもの少年の表情だった。
ぱちくり、とインデックスは大きな目を何回も瞬きさせて、ついでに頬も抓る。
「ペットって言われてナニ感極まってんだよ、いつから目次に『マゾ』追加してんだ?」
悪戯っ子のように邪悪な笑みを浮かべながら、上条当麻は自らの手を掲げた。
「え?え?だって、脳細胞破壊されて記憶が、なくなったって…あれ?」
「何言ってんだよ、忘れたのか?俺の手の能力!」
シャドーボクシングで見えない敵をアッパーでKOさせながら、上条は手振り身振り、表情豊かに説明していく。
ここで少年は、1つミスを犯した。
彼女の特性をわすれていたことだ。
「……あ」
「魔術のダメージなんかこの手で簡単に打消しちまえるんだよ」
「……うん。そうだったね。」
「ざまーみさらせ!」
「…」
「これでお前の自己犠牲精神もどうにかなるだろ!猛省もうせーい!」
「……」
「…ってあれ?インデックス、さーん?」
「………」
「あの、もしかしなくても…、本気で怒ってます?」
ゆらり、とインデックスが上条へ近づく。
ひぎゃああああ!?と情けない恰好で頭を庇った上条。
その悲鳴が病院中に響く、はずだったのだが、一向に予想していたような痛みは襲ってこなかった。
おそるおそる目を開ける。
少年の前にいたのは、既に涙腺が決壊してぼろぼろ涙を零すインデックスがいた。
しかし、不格好ながら笑顔を浮かべていた。
「お、おい、悪かった!そんなに心配してくれたのかよ!?男冥利に尽きる!ってヤツだな!」
「…っふぇ、ぇ、」
「わ、わ、ごめんって!!」
泣き崩れて、上条に抱き着いてきたインデックスを上条は慌てて受け止めた。
「お、おい、インデックス、」
「あ、りがと…っ、とうま…」
「…どういたしまして……?」
「………嘘ついてくれて、ありがと」
『少年』が固まった。
インデックスは少年の腕の中で笑う。
「とうま、とうまの能力はね?右手だけなんだよ?だから、とうまは最初に説明してくれるとき、手なんて一言も言わなかった。右手って言ったの。」
黙ったままの少年にインデックスはしてやったりと不敵に笑った。
「ほんの少しの間でも、私には完全記憶能力があるからね!ふっふーんだ!簡単な嘘は見抜けちゃうんだよ!」
「…何バカ言ってんだ、俺は、」
「いいんだよ。」
小さな体で胸をはって、インデックスは透明な少年にいった。
「記憶を失おうと、あなたは『とうま』なんだよ。私の大事な記憶を救ってくれた恩人で、今私が悲しまないように『上条当麻』を演じてくれようとした。覚えていなくても、言葉が違っても、仕草が違っても、とうまの優しさだけは変わらないね!そういう『たち』なのかも、きっと。」
呆然としたままの少年を、上条当麻を、インデックスはそっと抱きしめた。
「今度は、私の番。とうまがどんな覚悟で私のまえで『上条当麻』を演じようとしたのか、私には分からない。でも、とうまのことだから、一生そうするなんて、割と簡単に決意してそうなのかも。もう、そんなことさせない。とうまが救ってくれた私で、今度はとうまを救って見せるから。」
インデックスは、今こそ自分の完全記憶能力に感謝したことはない。
もし記憶が自分になければ、少年の癖など見抜けるはずもなかったのだから。
病室に、上条の予想していたような自分の絶叫ではなく、小さい自分の嗚咽と、それを隠すようなインデックスの歌声が響いた。