世界大百科事典 第2版 「樺太・千島交換条約」の意味・わかりやすい解説
からふとちしまこうかんじょうやく【樺太・千島交換条約】
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
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…72年〈北海道土地売貸規則〉〈地所規則〉を制定して北海道の土地に対する私有権を認めたが,アイヌは対象外とされ,和人のみに土地を与えたため,アイヌ民族は〈旧土人〉として身分差別とともに本来の生産・生活の場さえ失うに至った。(2)75年の樺太・千島交換条約により,樺太アイヌ108戸,841人が北海道宗谷へ強制的に移住させられ,次いで翌76年石狩の対雁(ついしかり)に移住させられた。84年には千島列島の占守(シユムシユ)島のアイヌ97人がこれまた強制的に色丹島に移住させられた。…
…63年(文久3)には通商条約も結ばれて,箱館にロシア領事館がおかれた。 維新後の1875年には樺太・千島交換条約が調印されて,千島列島は日本領とされ,サハリン全島はロシアに帰属した。その後中国東北部と朝鮮半島をめぐって日本とロシアの二つの帝国はするどく対立し,95年の三国干渉を経て,1904‐05年には日露戦争が起こった。…
※「樺太・千島交換条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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