樺太・千島交換条約(読み)からふとちしまこうかんじょうやく

世界大百科事典 第2版 「樺太・千島交換条約」の意味・わかりやすい解説

からふとちしまこうかんじょうやく【樺太・千島交換条約】

1875年5月7日,ペテルブルグ榎本武揚ゴルチャコフ両全権の間で調印され,日露両国間の領土問題を解決した条約。同年8月22日批准,11月10日布告。明治政府が旧幕府からひきついだ北方領土の状況は,安政1年12月21日(1855年2月7日)調印の日露和親条約以来,樺太(サハリン)は日露両国民雑居の地とされ帰属未解決のままであり,千島(クリル)列島は択捉(えとろふ)島,ウルップ島の間を日露の境界とし,その以北をロシア領としてきた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内の樺太・千島交換条約の言及

【アイヌ】より

…72年〈北海道土地売貸規則〉〈地所規則〉を制定して北海道の土地に対する私有権を認めたが,アイヌは対象外とされ,和人のみに土地を与えたため,アイヌ民族は〈旧土人〉として身分差別とともに本来の生産・生活の場さえ失うに至った。(2)75年の樺太・千島交換条約により,樺太アイヌ108戸,841人が北海道宗谷へ強制的に移住させられ,次いで翌76年石狩の対雁(ついしかり)に移住させられた。84年には千島列島の占守(シユムシユ)島のアイヌ97人がこれまた強制的に色丹島に移住させられた。…

【ロシア】より

…63年(文久3)には通商条約も結ばれて,箱館にロシア領事館がおかれた。 維新後の1875年には樺太・千島交換条約が調印されて,千島列島は日本領とされ,サハリン全島はロシアに帰属した。その後中国東北部と朝鮮半島をめぐって日本とロシアの二つの帝国はするどく対立し,95年の三国干渉を経て,1904‐05年には日露戦争が起こった。…

※「樺太・千島交換条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

カッシーニ(Giovanni Domenico Cassini)

イタリア系フランス人の天文学者。カシニともいう。ニース近郊に生まれ、ジェノバで聖職修業中に、ガリレイの弟子カバリエリに師事して数学・天文学を修得し、1650年25歳でボローニャ大学教授に任ぜられた。惑...

カッシーニ(Giovanni Domenico Cassini)の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android