アイヌ語
あいぬご
日本語とならび古来より日本列島で話される言語。北海道のアイヌ民族固有の言語。第二次世界大戦終結までは樺太(からふと)(サハリン)南部およびいわゆる「北方領土」でも話されていた。また本州東北地方北部では江戸時代まで、北千島列島では1884年の日本政府による強制移住まで話されていた。時代をさかのぼるとさらに広く分布していたことがわかっており、北はカムチャツカ半島南端から南は東北地方南部までアイヌ語による地名が残っている。現在は北海道に少数の話し手がいるだけで、日常生活では使用されていない。しかし近年アイヌ文化の保存・復興運動の機運が高まるなかで言語復興運動が続いており、わずかながら新たな話し手が育ちつつある。
[丹菊逸治]
伝統的には文字を用いないが、明治時代以降はローマ字、カタカナなどを用いて表記されることもある。カタカナ表記のさい、ローマ字表記のtuを表すのにトに半濁点を用いることがある。
[丹菊逸治]
地域的な広がりのわりには日本語ほどの方言差はない。北海道方言、樺太方言、北千島方言に大別される。そのうち北千島方言の話し手はすでに存在しないといわれている。なお、東北地方でも独自の方言があった可能性がある。これらのうち北海道方言がもっとも話者人口が大きく研究も進んでいる。
[丹菊逸治]
極東アジア北方の諸言語のなかでは比較的簡単な音韻体系をもつ。母音はa,e,i,o,uの五つ。北海道方言は高低アクセントをもつ。樺太方言には長母音と短母音の区別がある。子音はp,t,k,c,s,r,m,n,w,y,h,ʔ。日本語とほぼ同じだが、清濁の区別はない。音節構造も単純だが、日本語と異なりp,t,kなどで終わる閉音節をもつ。
[丹菊逸治]
語順はSOV(主語・目的語・動詞)であり、助動詞などの語順も日本語と似ているが、否定詞は動詞に前置される。日本語と異なり時制をもたない(動詞に現在形・過去形の区別がない)。núman sirpirka「昨日は晴れていた」tanto sirpirka「今日は晴れている」。形容詞と動詞の区別がない。たとえばporoは文脈により「大きい」と「大きくなる」の二つの意味をもつ。動詞にはかならず人称接辞がつく。ku-sina「私が・~をしばる」eci-sina「あなたたちが・~をしばる」あるいは「私があなたたちを・しばる」など。基本的な動詞には単複の語形変化をもつものがある。an「ある」oka「(複数のものが)ある」。基本的に接尾辞しかもたない日本語と異なり、接頭辞が発達している。sina「~をしばる」ko-sina「~に・~をしばる」yay-ko-sina「自分の体を・~に・しばる」。また接辞と動詞語幹の間に目的語などが挟み込まれることがある(目的語包合)。kina ku-kar「草を 私は・取る」に対して、ku-kina-kar「私は・草・を取る」そのため動詞が前後に長くなり、まるで文章のような単語ができることもある。si-e-apa-maka-yar「自分・について・戸を・開ける・させる」=「人に戸を開けてもらう」。
[丹菊逸治]
日本語における漢語ほど多くはないが、隣接諸言語との間に古い借用語がみられる。アイヌ語rakko→日本語「ラッコ」。日本語「杯(つき)」→アイヌ語túki。ニヴフ語tlangi→アイヌ語tunakay→日本語「トナカイ」。また日本語の「神(かみ)」とアイヌ語のkamuy「神/自然」など借用語かどうか判別できないほど古い共通語彙もある。
江戸時代には松前藩の政策によりアイヌ民族の日本語習得が阻害され、明治時代以降は逆に日本語の強要とアイヌ語への圧迫が行われた。文字を使用しない文化であったため、書物の翻訳を通じた語彙の増加もなかった。そのため近代的な語彙が不足している。たとえば時・分・秒といった単位を表す言葉だけでなく、「時間/時刻」という概念を表すぴったりの語そのものがないというケースもある。しかし、狩猟・漁労などに関する語彙は非常に豊かである。口承文学においては独特の語彙が用いられることもある。元来、造語能力の高い言語であり、語彙の全体像はつかめていない。
[丹菊逸治]
諸説あるが系統関係は不明である。類型論的には接尾辞の発達したトルコ語、モンゴル語などのいわゆるアルタイ諸語的な特徴と、接頭辞の発達、名詞包合などチュクチ語などの古アジア諸語的な特徴の両方をもつ。
[丹菊逸治]
もっとも古いアイヌ語の記録は、不明確な日本古代の資料、元代の中国資料にみられる人名を除けば、17世紀のキリスト教宣教師アンジェリスによるものである。ほぼ同時期に日本の蝦夷通詞(えぞつうじ)による語彙集が成立している。日本の鎖国が終わり19世紀になると宣教師バチェラーによる文法記述が行われ、辞書が刊行されている。20世紀になると金田一京助が本格的な研究をはじめ、知里真志保(ちりましほ)に至って現代的な研究の基礎がつくられた。
[丹菊逸治]
『『知里真志保著作集』全6巻(1973・平凡社)』▽『『金田一京助全集 第5~12巻』(1993・三省堂)』▽『ポン・フチ著『アイヌ語は生きている』(1976・新泉社)』▽『ポン・フチ著『ユーカラは甦える』(1978・新泉社)』▽『ポン・フチ著『ウレシパモシリへの道』(1980・新泉社)』▽『北海道ウタリ協会編『アコロイタク アイヌ語テキスト1』(1994・クルーズ)』▽『中川裕・中本ムツ子著『エクスプレス アイヌ語』(1997・白水社)』▽『知里むつみ・横山孝雄著『アイヌ語会話イラスト辞典』(1988・窩牛社)』▽『服部四郎編『アイヌ語方言辞典』(1964・岩波書店)』▽『J・バチラー著『アイヌ・英・和辞典』第4版(1938・岩波書店)』▽『知里真志保著『分類アイヌ語辞典』(『知里真志保著作集』別巻Ⅰ・Ⅱ所収・1975~1976・平凡社)』▽『中川裕著『アイヌ語千歳方言辞典』(1995・草風館)』▽『萱野茂著『萱野茂のアイヌ語辞典』(1996・三省堂)』▽『田村すず子著『アイヌ語沙流方言辞典』(1996・草風館)』▽『村崎恭子著『カラフト・アイヌ語』(1976・図書刊行会)』▽『久保寺逸彦著『アイヌ叙事詩神謡・聖伝の研究』(1977・岩波書店)』▽『知里幸恵著『アイヌ神謡集』(1978・岩波文庫)』▽『知里真志保『アイヌ民譚集』(1981・岩波文庫)』▽『田村すず子編『アイヌ語音声資料1~11』(1984~ ・早稲田大学語学教育研究所)』▽『萱野茂著『カムイユカラと昔話』(1988・小学館)』▽『田村すず子著「アイヌ語」(『言語学大辞典 第1巻 世界言語篇(上)』1988・三省堂)』▽『片山龍峰編『カムイユカラ』(1995・片山言語文化研究所)』▽『上田トシ著『上田トシのウエペケレ』(1997・アイヌ民族博物館)』▽『萱野茂著『萱野茂のアイヌ神話集成』全10巻(1998・小学館)』
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アイヌ語
アイヌご
Ainu language
アイヌ民族の言語。平取 (ひらとり) ,様似 (さまに) ,釧路,旭川などの北海道方言と,第2次世界大戦後,サハリン (樺太) から北海道に移住した引揚者による稚咲内 (わっかさくない) や常呂 (ところ) の樺太方言がある。千島方言はすでに絶滅。他の方言もごく少数の古老が記憶しているだけで,滅びる寸前にある。他言語との親族関係は未確立。人称接辞による主格活用,目的格活用,両者を合せた抱合的活用があるのが特色。たとえば,沙流 (さる) 方言では,nukar「見る」に二人称複数主格の人称接辞'eci-が接合した形式'eci-nukarは「あなたがたが見る」を意味し,一人称単数目的格の人称接辞'en-が接合した形式'en-nukarは「私を見る」を意味する。「あなたがたが私を見る」は'eci-'en-nukarで表わされる。アイヌ語に入った日本語は tuki (杯) ,puta (ふた) など多数。日本語に入ったアイヌ語はそれほど多くなく,「ラッコ」 rakko,「トナカイ」 tonakkayなど。北海道から東北地方にかけての地名にはアイヌ語起源のものがあり,かつてのアイヌ語の分布領域を示している。生保内 (おぼない) ,長内 (おさない) などのナイは nay (沢) ,苫辺地 (とまべち) ,馬淵 (まべち) ,登別 (のぼりべつ) などのベチ,ベツは pet (川) からきたものである。
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アイヌ語【アイヌご】
日本列島固有の言語のひとつ。北海道方言,樺太方言,千島方言,本州東北方言のうち千島方言と東北方言は消滅。第2次大戦後,樺太方言の話者はほとんどが北海道に移住。アイヌ語を母語としている人はごくわずかだと思われるが,近年その復興運動が盛んになってきている。北海道から東北北部地域にかけての地名には,アイヌ語起源と考えられるものが数多くある。日本語をはじめ,他の言語との親縁関係については不明であり,日本語同様孤立した言語として扱われている。元来文字を持たず口承による文学を発達させたが,中でもユーカラ〈英雄叙事詩〉は有名。現在ではカタカナをベースとした文字が使われることが多い。子音12個,母音5個。高さアクセントを持つ。語順は日本語とほぼ同じだが,豊富な接頭辞,接尾辞に加え,目的語,主語や副詞などを動詞に取り込んで,ひとつの文の意味を一語で表わすことができる,いわゆる〈抱合性〉が特徴である。→アイヌ
→関連項目アイヌ文学|金田一京助|金田一春彦|コタン|シャモ(和人)|チャシ|知里真志保|ニブヒ語
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アイヌご【アイヌ語】
アイヌ民族の言語。かつては本州の東北地方から北海道、サハリン南部、千島列島にかけて分布していたが、現在は北海道にごく少数の話者が残るにすぎない。口語と雅語(叙事詩ユーカラなど)があるがもともと文字がなく、17世紀以降ヨーロッパ人(ラテン文字やキリル文字)や日本人(カナ)による語彙(ごい)の採集や記録が行われ、19世紀には辞書の編纂が、20世紀に入ると金田一京助、知里真志保(ちりましほ)らによる本格的な研究が始められた。音韻では、5つの母音と12の子音をもち、音節の多くは子音で終わる閉音節で、アクセントは音の高低による、文法的には、膠着語的な性格をもつ、動詞の派生は多くの要素を連ねてかなり自由に行われる、などの特徴がある。アイヌ語は古アジア諸語に含められることもあるが、他の言語との系統関係は今も不明である。
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アイヌ‐ご【アイヌ語】
〘名〙 アイヌの言語。現在、日常会話語として使われることはほとんどなく、古い祈りのことばや昔話などを覚えている人がいる程度といわれる。ユーカラに代表される口承叙事詩など、優れた口承伝承を残す。日本語と深い関係にあると思われるが、系統は不明。日本語に入ったアイヌ語の単語としては、東北、北海道の地名のほか、コンブ、シャケ、ラッコなど少数。これに対し、アイヌ語に入った日本語は非常に多い。カムイは日本の古語の kamï(神)の借用語であるとされる。
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デジタル大辞泉
「アイヌ語」の意味・読み・例文・類語
アイヌ‐ご【アイヌ語】
アイヌの言語。文字をもたず、系統について諸説ある。母音は日本語と同じ五母音で、子音は少なく、有声・無声の対立はない。時制の区別はなく、動詞や名詞に人称を示す接辞がつく。
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アイヌご【アイヌ語】
アイヌが使用してきた言語。かつては東北,北海道,樺太南部,千島列島,カムチャツカ半島南端にわたって話されていたと推測されるが,現在では北海道内のごく少数の古老たちに記憶されるにとどまり,日常会話には用いられていない。記録に残されている諸方言は,大きく北海道,樺太,千島に三分され,北海道方言については,さらに北部(宗谷),東部(釧路,北見,十勝,日高東部),中部(石狩,天塩),南部(日高西部,胆振),南西部(後志)の五つに区分することが考えられている。
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世界大百科事典内のアイヌ語の言及
【数詞】より
… 数詞の構成は,日本語や英語などでは十進法であるが,英語でも11eleven,12twelveのあとは13thirteen,14fourteen…となっていくところに十二進法が,20をscoreといい,twoscore,threescore…が40,60…を表している例に二十進法の姿がうかがわれる。アイヌ語も二十進法の一例とされ,30=2×20-10,40=2×20,50=3×20-10,…,100=5×20の表現形式をとっていて減法の例でもある。フランス語は,80quatre‐vingtsが4×20,90quatre‐vingts‐dixが4×20+10でそのなごりをとどめる一方,20vingt,30trente,40quarante,50cinquante,60soixanteといいながら70soixante‐dixは60+10となるので六十進法のなごりをもとどめている。…
【知里真志保】より
…アイヌの叙事詩ユーカラの伝承者として有名な金成(かんなり)マツをおばとし,《アイヌ神謡集》(1923)の知里幸恵(ゆきえ)を姉として,現在の北海道登別市に生まれた。金田一(きんだいち)京助の文法を出発点としながら独自のアイヌ語文法体系を構築し,またJ.バチェラーや永田方正など先人のアイヌ語,地名研究を鋭く批判した。その《分類アイヌ語辞典》(〈植物篇〉1953,〈人間篇〉1954,〈動物篇〉1963)は,アイヌ文化研究者にとって必携の書となっている。…
※「アイヌ語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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