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第一部:Tamer's Mythology
第一話:……ここはどこだ

「ありえない……ここはどこだ……」


 燦々と輝く太陽の光。

 露天の呼び込みの声、喧騒、エンジンの音に排気ガスの匂い。四脚動体の鉄の足が金属の床を打つ音。


 反射的に自分の頬をつねる。


 痛い。


 幻でも見ているのか?

 ゆっくりと周りを見渡す。幅二メートルの四脚動体が楽にすれ違える程の大通りのど真ん中に、僕は立っていた。

 流体的なフォルムの機動鎧を着たヒューマンや、三メートル程の背の高さの機械人形が、僕に、まるで珍しいものでも見るかのような視線を投げかけてくる。


「おい、お前そんな所に突っ立っていると邪魔だ!」


「す、すいません」


 後ろから突き飛ばされ、ふらふらと道の端まで歩いて行き、座り込んだ。

 湿気のない熱気がじりじりと皮膚を撫でる。

 頬を触る。汗をかいていた。


「暑い……?」


 馬鹿な、今は冬だったはずだ。

 この暑さ、どう考えても冬のものではない。


「落ち着け……」


 太陽を見上げる。

 これは夢ではない。幻でもない。

 そしてこの嗅ぎ慣れない排ガスの匂い……


 正面を見据える。

 昨日まで僕が住んでいた王都では考えられない幅広で金属製の道を、六脚動体が六本の脚を器用に動かし、凄いスピードで通り過ぎていった。

 余りの騒々しさに耳を塞ぐ。


 よし、決めた。とりあえず一旦常識は捨てよう。

 僕はどうやら、相当な長距離を転移させられたようだ。


 転移は並の魔術とは比較できないくらい凄まじい量のエネルギーを使う。

 僅か数メートルの転移でさえ、宮廷魔術師クラスの一級の魔術師が全魔力を使い果たしてなんとかできるといったレベルの最上級の魔術だ。

 だが、それは逆に言えばエネルギーさえあれば長距離でもなんとかなる、という事でもあった。


 瞼の裏に張り付いている、アリスの笑顔と、その身体から迸る異常な力。


「そうだ……アリス……!」


 慌てて周囲を見渡すが、銀髪の少女の姿はかけらもなかった。

 不審な表情で、機械でできた犬がこちらを見ていた。


 よし、落ち着こう。

 僕は目を閉じて、意識を集中してアストラルリンクを探る。

 いつも通り、自分の魂と繋がっている糸を探そうとして、そこで自分が孤立している事に気づいた。

 それでも、数度試した僕を褒めてほしい。

 本来ならどこにいてもアストラルリンクを探れない事なんてーーないはずなのに。


 乾いた笑いしか出てこなかった。

 今日何度言ったかわからない言葉が、再び口から漏れる。


「ははは……そんな馬鹿な……魂の盟約の証たるアストラルリンクが……繋がらないなんてーー」


 今更ながら、何か……ぞっとしない冷たい何かが背筋を駆け巡った。

 僕は、考えている以上に異常な事態に巻き込まれているのかもしれない。


「馬鹿な馬鹿な馬鹿な……アストラルリンクが切れるなんて、今まで聞いたことがないぞ!?」


 頭を抱える。

 もうパンク寸前だった。強すぎる魔王、ありえない長距離転移、切断されたアストラルリンク、まるで僕の見知った世界が僅か一日でガラリと変わってしまったかのようだった。


 ともかく、アストラルリンクが切られている以上、信じたくないが、僕は身一つでなんとかやっていかなくてはならない。

 従僕(スレイブ)とセットでようやく一人前とされる魔物使い(マスター)たる僕がたった一人で……



「…………」



 顔を上げる。

 お腹がぐぅと小さな悲鳴を上げた。


 よし、悩んでも仕方ない。とりあえず元の場所に戻る所から始めよう。

 ともかく、まずは現状の把握をしよう。ポケットの中を探る。

 がちゃがちゃとなる金属の音と感触。

 取り出してみると、金貨が一枚に銀貨が十枚、銅貨が五枚程入っていた。


「ふむ……まー宿泊費を考えると……三日といった所か」


 物価が全くわからないが、少なくとも王都なら三日だ。

 心許ない。非常に心許ない、が、金が入っていただけマシだ。入っていたのは奇跡だった。何しろ、魔王の討伐に金はいらないのだから。


 続いて腰につけた道具袋を探る。


 小さな丸薬のような回復薬が一ダースに、ピンポン球程の大きさな珠ーー煙玉が二つ。入っていたのはそれだけだった。いくら探ってもそれ以上は出てきそうにない。


 天を仰ぐ。

 やばい、これはやばい。荷物を全部アリスにもたせていたのは失敗だった。ナイフの一本もないとは……

 そして何よりまずいのは……


「ギルドカード……家だ……」

 

 ギルドの登録員である事の証明書。身分証明書の代わりでもあり、キャッシュカードの代わりでもある、ギルドカードを持っていない。

 だってほら、魔王討伐に必要ないし、万が一紛失したら面倒なことになるから……


 ……


 あああああああああああああああああああ!


 ギルドカードくらい嵩張らないんだし、持ってくればよかった。

 身分証明書さえあれば、ギルドで金も借りられるし施設も優先して使える。宿でも安く宿泊できたりするし、何より初対面の人に対する信頼が違う。


 信頼。それは魔物使いのクラスにいる僕に取って、金より価値の高いものだった。


 武器がない。僕の攻撃力じゃ毛ほどの傷も付けられないから。

 防具もない。僕の防御力じゃどうせ一撃も持たないから。

 金も身分証明書すらない。魔王討伐に必要ないから。


 そして……


 見たこともない周囲の景色を確認して、頷いた。


 知り合いも一人もいない。

 下手したら初めて王都に上都した時よりも状況は悪いかもしれなかった。


「……まぁとりあえず現状把握から始めるか……食事でもしながら……」


 ふらふらしながらも何とか立ち上がる。幸い魔王との戦いで消耗したのは精神であって、ほとんど突っ立っているだけだった僕の体力はまだ残っている。

 太陽は丁度真上に出ていた。太陽の高さからすると、今は丁度お昼ごろだろうか。


 騒々しい音を立て道を行き交う無機生命種……通称機械種の乗り物を眺めながら、適当に脚を進める。

 周囲を行き交う人を眺めながら歩いて行く。

 改めて観察すると、割合的には無機生命種が七割、その他が三割といった所だ。

 有機生命種がおよそ五割を占める、僕が元住んでいた王都、グラエルグラベールとは分布に大きく差異がある。

 また、道端の人の話し声、客を呼びこむ露天の売り子の声、言語が違う。

 南半球の一部地域で広く使われているマキリッシュと呼ばれる言語だ。多くの無機生命種にプリインストールされている言語体系でもある。


 やばい、勉強しておいてよかった。

 

 人々を観察しながら、余り流行っていなさそうな個人経営の料理店を探す。できれば、無機生命種(マキーナ)有機生命種(ヴィータ)……特にプライマリーヒューマンが営む店がいい。プライマリーヒューマンである僕と親和性がある。だが、店の外見からは見分けられないだろう。贅沢はいうまい。

 程なくして、傾きかけた看板の小さなレストランを見つけた。

 看板の今にも消えそうな文字を呼んだ。


「小さな歯車亭、か……」


 立て看板のメニューを見る感じでは、こんな名前でも、有機生命種向けの料理店のようだった。

 看板をもう一度一瞥し、ポケットの金貨をつまむ。

 看板のメニューの金額を見る限りでは、物価的にはこちらのほうがやや安いようだ。

 だが信じられない事に、通貨の単位が違う。

 もう一度言う。単位が違う。

 世界で最も通用している共通通貨なのに、もしかしたら連合通貨(ヴェル)はこの地では通用しないかもしれない。

 看板に記載されている価格はマキュリ通貨(キリ)だった。


 気を取り直して、半端に煤けた扉を開ける。

 流行ってなさそうなみすぼらしい内装に、店員のいない薄暗い店内。

 一応立て看板が出ているってことは営業はしているはずだ。


「すいませーん! 誰か居ませんか?」


「あー、はいはい! お客さんですか?」


 店の奥から出てきたのは、中年の太った女性だった。

 身長は僕より数センチ低い程度、耳が尖っているわけでもなく、金属質でもなく、アンテナもなく、しっぽや獣耳でもなく、翼もなく、何より実体がある!

 僕は心の中でガッツポーズを取り、実際にも拳を強く握った。

 ラッキーだ。プライマリーヒューマンだ。


 店員さんも、久しぶりの客だったのか、拳を強く握ったのが見えた。今僕はこの人と分かり合っている!


「ここって『ヴェル』って使えますか?」


「ああ……一応使えますよ。お釣りはマキュリ通貨(キリ)になりますが」


「よかった……大丈夫です」


 店内に三つしかないテーブルに案内された。当然客は僕一人だ。

 店内は薄暗いが、清掃はちゃんとされているようだった。

 ハンバーグ定食を注文すると、運ばれてきた冷水を飲んでやっと一息ついた。


 さて、現状把握をしよう。


 念のため、再度アストラルリンクを探る。


 全く繋がらない事を確認する。これは想定以上に由々しき事態だ。


 アストラルリンクと言うのは、魔物使い系のクラスの者が使用する契約手法の一種だ。だが、これは一般的な魔物を仲間にする際に使用する契約とは全く異なっている。

 これは従者(スレイブ)主人(マスター)の魂ーー存在を結びつける究極の契約手法である。

 それには双方の同意と信頼が不可欠で、そして一人が一体としか結べず、そして、従者か主人のどちらかが死亡するとそれに魂が引きずられてもう片方も死亡する。

 双方の同意さえあれば契約の解除も可能だが、それ以外の外部からの影響では絶対に解除できないと言われている。

 精神体のつながりであるが故に物理的な距離によらず、単純であるが故に強固。


 何より、これを結んでいるとアストラルを通じて距離を無視してスレイブを召喚できるのだ。逆に言えばこれがないと魔物使いでは、召喚魔術師(サマナー)のクラスのように、距離を無視してスレイブを呼び出したりはできない。


 とりあえず、本来ならばありえない事だが、リンクが切れてしまった以上は対面して契約を結び直すしかない。昔ならともかく、今の彼女が僕とアストラルリンクを結んでくれるか、不安が残るが……

 方針を決める。


 まずは王都に戻る事。これが第一だ。シィラ討伐については再度集まって検討し直す。

 あの強さは異常だ。少なくともアリスで傷ひとつ付けられなかった以上、今の僕には倒す手段がない。


 そこまで考えた所で、ハンバーグ定食が運ばれてきた。

 手の平2つ分程の大きさの大きめのハンバーグに、丸いパンが二つと野菜の入ったスープが付いている。

 ハンバーグをナイフで小さく切ると、フォークで突き刺し口に運ぶ。


 うん、普通だ。特筆すべき特徴がなにもない。


 魔王と戦闘を行い、長距離転移を経験して空腹でなければ特に足を運ぶ必要性を感じない味だった。

 ただ淡々と口に運び、ほんの十数分で料理を全て食べ終える。

 ナプキンで口元を拭くと、さっきからこっちをじっと見ていた店員のおばちゃんを呼んだ。


「すいません。ここって何て街ですか?」


「え? そんな事も知らずにここまで来たのかい?」


 おばちゃんが呆れた顔でこちらを見る。

 僕がその立場でも多分そうするだろう。街の名前も知らずにその街に入るなんて、普通ならありえない。


「ええ、ちょっと迷っちゃって……なんとかここまでは辿りつけたんですが……」


「へぇ……見たところただのヒューマンなのによくここまでつけたねえ。外は敵性の機械種だらけで苦労しただろう? それとも、見かけによらず……失礼、凄腕だったりするのかい?」


「まぁ、僕もプライマリーヒューマンですが、一応探求者なので……ただ、逃げるのに必死で愛用の武器とか道具とか身分証明証とかなくしちゃいましたが……あはは」


「あらあら……それは大変ねえ」


 おばちゃんが気の毒そうな表情でこちらを見る。

 武器がなにもないのが本当に痛い。魔物使いの武器はそう簡単に手に入るものではないというのに……

 僕は空気を変えるように笑顔で話を続ける。


「しかし……この街は驚きました。町中まで機械種がいっぱいだし、道路も金属でできてるし……」


「まぁ、レイブンシティは機械種の街だからねえ……と言っても、この辺の街はセントスラムもリュクオシティもみんなこんな感じだけど……あんた本当にどこからきたんだい?」


「なるほど……あ、失礼しました。初めまして、僕の名前はフィル・ガーデンと言います。グラエル王国から来ました。グラエル王国、知ってますか?」


「グラエル王国というと……まさか境界外から!? ……フィルさん、信じられないくらい遠くから来たんだねえ。まぁ連合通貨(ヴェル)が使えるか聞かれた時点で予想はできてたけど、実際に言われるとやっぱり驚くねえ……」


 舌打ちする。

 やはりここは境界を挟んで南側になるらしい。言語と通貨、時差がある程度予想はしていたが、最悪のパターンだった。

 境界と言うのは、南半球と北半球にまたがる巨大な神々の棲まう峰、世界山脈と呼ばれる霊峰とその下に広がる広大な森林群を指す。

 境界の南側ということは、グラエル王国までは最低でも五万キロはある事を示しており、陸路の踏破は難易度が凄まじく高く(というか前代未聞)、海路は時間が掛かり過ぎる。


 世界を真っ二つに割る一本の線。だからこその境界。


 同時にゾッとする。五万キロ以上の距離の転移……まさに神の御業だ。ありえない。一体どれだけのエネルギーを使うのか、想像すらできない。実際に転移されていなければ、鼻で笑っていただろう。


「アリス……」


 銀髪の少女。いつでも笑顔で僕に忠実だった悪性霊体種の少女の従者の事を思い出す。

 こんな事になるとわかっていたら、もうちょっと優しくしておくべきだったかもしれないな……。

 数秒間目をつぶって感傷に浸ると、

 まだうんうん頷いているおばちゃんの胸に付けられた『アネット・ヴァーレン』と記載されている名札を確認して、声をかけた。


「あの……アネットさん。ギルドの場所だけ教えて頂いていいですか? ギルドカードの再発行をしたいので……」


「ああ、はいはい。地図を描いてあげるよ。ちょいと待ってな」


「あ、ありがとうございます! この御恩は忘れません!」


 アネットさんに心を込めて頭を下げる。


「いや、いいんだよ……私にもフィルさんくらいの探求者の娘が居てね。人事だとは思えないんだよ」


「探求者の娘……」


 頭を下げたままの姿勢で、僕は口の中で呟いた。

 アネットさんの娘ということはプライマリーヒューマンの可能性が高い。

 同族同種で且つ同年代で異性。役満だ。親和性は最上位だった。


 探求者ということは、僕より弱い可能性は高くないだろう。

 もしかしたら僕が帰るのを手伝ってもらえるかも知れない。


 僕はあまり味がよくない小さな歯車亭のお得意さんになる覚悟をした。

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嘆きの亡霊は引退したい。

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