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第一部:Tamer's Mythology
第四話:……手ぐらい、いつでも握れますよ

 ベンチに座っていると、前の方からさっきのレイスの女の子が近づいて来るのが見えた。

 電光掲示板を見たいだけじゃないだろう。さっきから僕の事じっと見てたからなぁ……

 目の前までくると、僕の事を強い視線でじっと見下ろした。左手には先ほど渡した革袋が握られたままだ。

 僕もその視線に答えるように、じっと女の子を見上げる。

 淀んだ薄墨色の虹彩、恐怖の雰囲気。装備を見ても、周りの重装備の探求者と比べると数段劣って見える。冒険者になってから一年はたっていないだろう。

 しかし……銅の剣でモデルドッグを切り裂けるのだろうか。鉄の剣でも傷つける事すら難しいだろうに。


 少女が口を開くのをじっと待つ。どうせ時間はいくらでもあった。

 恐怖の気配が身をじわじわ蝕むのを感じながら待った。

 数分も見つめ合っただろうか、少女がやっと口を開く。


「あの……これ、どういうつもりですか?」


 革袋を突き出してくる。


「いや、どういうつもりも何も……僕にはいらなかったからあげただけですが。僕は二度目の登録なので……」


「……何故私にくれるのですか?」


「え……いや……」


 未だ疑心暗鬼な眼で見てくる少女の瞳。

 理由なんてない。が、そう答えた所で信じてくれないだろう。

 悪性霊体種と呼ばれるレイスは基本的に他者の善性を信じない。

 言葉を選ぶ。


「僕の仲間に貴方と同じレイス種がいたので重なっちゃって……って答えではダメですか?」


「仲間にレイス種が?」


 僕の言葉に、初めて少女の表情が純粋な驚きに変わった。

 なかなかかわいい顔をするじゃないか。

 よく見てみると、恐怖に邪魔されてわかりづらいがなかなか整った表情をしている。十人中七、八人は美人だと言うだろう。

 歳も僕より若干若いが親子ほどの大きな差異はないし、これでレイスではなく、スピリットだったら真剣に契約交渉していたかもしれない。

 行きずりの初心者の探求者にモーションをかけざるを得ないくらいに、今の僕には戦力がない。


「はい。まぁ、仲間と言うよりはスレイブですが……僕は魔物使いのクラスなので……」


「……冗談は嫌いです。プライマリーヒューマンがレイスと契約なんてできるわけが……」


 少女が即刻僕の言葉を切り捨てる。

 その言葉は一般的に言ってもっともな意見だ。

 だが、僕はそれが哀しかった。

 確かに、有機生命種にとって、常時発動型のスキルである『恐怖』を纏い、憑依し魂を貪る悪性霊体種は本来天敵でしかない。だが同時に同じ意志持つ存在でもある。

 分かり合えないはずがないのだ。

 まぁ、ハードルが高いことは否定しないが……


「確かに、レイスにとってプライマリーヒューマンはただの獲物かもしれませんが、プライマリーヒューマンに取ってレイスは必ずしも敵ではありません」


 諭すように言う。

 これは僕が初めて魔物使いになるために読んだ教本に書いてあった一節だ。

 人に取って悪霊は決して敵ではない。ネクロマンサーと呼ばれるレイスと専門で契約して力を行使する職がある事からしても、それは確実だ。まぁヴィータの総人口の割合が多い王国ではレイスが身の狭い思いをしているのは間違いないが……一般人に取ってヴィータを専門に食い散らかすレイスは恐怖の対象でしかないし。

 だが、それでも僕はその可能性を信じているし、信じたかった。

 だからこそ、寿命が縮むような思いをしながらもアリスといる時間を増やしていたのだから。


 僕の言葉に、少女が少し逡巡したように言った


「なら……ならば、人間。私の手を握れますか?」


 少女が恐る恐る右手を差し出す。

 僕はその姿に弱さを見た。


 ここだ!

 求めるものに与え給え。


 かつてアリスに手を差し出した時のように、僕は何も考えずに本能に従い、即座にその手を強く握った。

 同時に脳内をしっちゃかめっちゃかにされるような恐怖が身体全体を貫く。

 予想外の衝撃に、胃の中をぶちまけそうになるがなんとかぎりぎりで耐える。ここで吐いたら探求者としても魔物使いとしても人としても最低だ。そのプライドだけが僕の精神を支えていた。

 冷水を頭から被ったかのように体温が一気に下がる。強烈な寒気が連続して意識を揺さぶる。


 思い当たるものは二つしかない。レイスの種族特性である……『恐怖(フィアー)』と『ライフドレイン』


 まさか……この子、恐怖とライフドレインの操作していないんじゃ……


 そんな馬鹿な考えが浮かぶくらい強烈な衝撃だった。格が遥か上であったはずのアリスに触れた時でもここまでの衝撃はなかった。直で魂を奪われるかのような悪寒。


 いやいや、そんな馬鹿な……人の生活圏内ではライフドレインはオフに恐怖は最弱に設定するルールのはずだ。

 忘れていた、何て言葉では済ませられない。破っている事がバレたら、討伐対象として認定されてもおかしくない……


「あ!」


 少女が驚いたように手を引こうとする。

 力を込めてそれを引き戻す。


「……手ぐらい、いつでも握れますよ」


 顔は真っ青になっているはずだが、なんとか笑顔でそう言った。

 折れそうになる精神を魔物使いとしての矜持が凌駕している。

 レイスの手一つ握れず何が魔物使いか。僕はレイスと接吻さえした男だ!!


「わ、分かりました。だから、手を離してください。死んじゃいます……」


「そんな馬鹿な……直接命に影響するライフドレインさえオフになっていれば手を握っただけで死ぬわけが……」


 そう、オンオフが不可能なスキルであるフィアーはあくまで恐怖を与えるだけのスキルだ。生命に直接の影響などない。それはどれだけレイスの格が高くても同様だ。ライフドレインは生命エネルギーを直に吸い取る凶悪なスキルだが、こちらは自由にオン・オフができるスイッチスキルと呼ばれるスキルなので、オフにしていれば特に効果はない。


「あ……!」


 しまった、みたいな不吉な声を少女が上げた。

 同時に、寒気が急速に収まっていく。

 朦朧としていた意識が戻る。心拍はまだまだ早鐘のような速度で打っているが、先ほどと比べたら雲泥の差だ。

 そして僕の状況とは正反対に、少女の顔は真っ青だった。


 ……おい、ちょっと待て……! さすがに文句言うぞ!


 じっと睨みつける。

 少女はすっと眼を逸らして一言言った。


「……合格です」


「合格じゃねえ! ちょっと待て、待ってくれ。どれくらい吸った!?」


 さすがに許容できる範囲を超えている。

 レイスのライフドレインは一般的に効果が小さいとされるスイッチスキルの一つである癖に極悪だ。

 人の生命力を測る値にHPと言うものがあるが、その上限を減らすのだ。当然吸われた相手は衰弱し、死を免れても、寿命が大きく削られる。


「……ごめんなさい、初めて吸ったのでちょっと……」


「返せ! 今すぐ!」


「それも……ごめんなさい……」


「どういうことだよ! 吸ったもの返すだけだろ!」


「……返し方がわかりません」


 少女が申し訳なさげにそうつぶやいた。

 その口調に肩の力が抜けると同時に怒っていたことが馬鹿みたいになってしまった。


 馬鹿だった。予想以上に馬鹿だった。

 ライフドレインを切らずに、貧弱な僕に触れればこうなることは目に見えた結果だったはずだ。

 むしろ僕が死んでないのが不思議なくらいだ。何しろ僕は、一般人が無意識に張っている精神的な障壁まで全部意図的に外し、一切の抵抗をしていなかったのだから。

 少女に表情に嘘をついている様子はない。それがますますたちが悪い。


「あの……」


「……何?」


 口調が若干不機嫌そうなものになってしまうのは仕方のない事だろう。

 ギルドのど真ん中で殺されかけたのだから。


「手、離したほうが……」


「……ああ」


 繋ぎっぱなしだった手を離す。最後まで身体を蝕んでいた恐怖の気配が消えた。

 肩を軽く回して身体の調子を確認する。冷静に、そう、冷静になるんだ、フィル・ガーデン。

 若干ライフドレインの影響でだるいが、許容範囲だろう。生存活動に影響があるほど吸われたわけでもなさそうだ。これくらいなら、この子が魂をフィードバックできるようになるまで生き延びる事くらいはできるはずだ。


 冷静に、そう、冷静になるんだ、フィル・ガーデン。ここでキレても意味が無い。


 海よりも寛大な心で許すことにするんだ。これくらいでギャーギャー言っていては魔物使いとして生きてはいけない。

 深呼吸を何度も繰り返し、憤怒を沈める。そう、大丈夫。死ななければいいだけだ。幸いなことにこの子は馬鹿だが悪意はない。少しの間魂を貸しているだけ。そう考えるんだ、フィル・ガーデン。

 何度も言い聞かせ、精神を整える。


 気をとり直して、何かを確かめるかのように右手を開閉している少女に聞く。


「名前は?」


 いつまでたっても少女と言い続けるのも変な話だ。


「え……? は、はい。私、アムといいます」


 アム。アム、ね。

 呟いていると、ようやく動悸もようやく治まってきた。

 深呼吸して息を落ち着ける。ようやく人心地がついた気分だ。


「僕の名前はフィル・ガーデン。プライマリーヒューマンのフィル・ガーデンだ。一応魔物使いのクラスについている。よろしく」


「フィル・ガーデン……」


 もう一度右手を差し出す。ここに来てよろしくもおかしな感じだが、名乗りと挨拶は大事だ。

 アムは、不思議そうな顔で右手をじっと見ていたが、やがて恐る恐る指先で掴んできた。

 すかさず手を捕まえる。ちょっと冷たいが、柔らかい、普通の人間のような手だった。再び恐怖が身を貫いたが、先ほどと比べたら微々たるものだ。そうだよなあ……抑えてあのレベルの影響を有機生命種に与えてたら、人の生活圏で生活できるわけがない。


「あの……大丈夫ですか?」


「全然大丈夫だよ……ライフドレインさえ受けなければね……」


「うっ……」


 嫌味を言うくらい許されるはずだ。

 十秒程握手して手を離した。悪い子ではないんだろうが、余り関わりあいにならないほうが良さそうな子でもある。うっかりで殺されたらたまらない。

 アムはまた、何か解せない表情をしながら手の平を見ていた。


「で、信じてくれた?」


「え……?」


「いや、ほら……僕がレイスと契約してたってこと」


「あ……」


 まさか忘れてたのか……自分で試すようなこと言っておいて。

 まぁ、先ほどの合格ですの台詞が誤魔化しとかじゃないのなら、信じてくれたんだろう。


「あ、あの……もう一つだけ、試してもいいですか?」


「……で、今度は何をすればいいの?」


「だ、抱きしめてもらえませんか?」


「……」


 アムは僕を殺す気なのか?

 手一本であそこまで吸い取られたのに、抱きしめた状態でライフドレインを食らったら一瞬で意識が消えるだろう。さすがに耐え切る自信はない。


 よしんば、ライフドレインを使う気がなかったとしても……


 アムの表情をちらりと確認した後、それなりに人がいるギルド内を見渡す。それなりに人がいた。当然ながら、衆人環境で女の子を抱きしめている猛者は一人もいない。


 この中で抱きしめろと!?


 絶対に注目される。僕だって注目する。

 アムは始めに手を握れといった時とは違い、何かを期待するかのようなきらきらとした表情でこちらを見ている。

 これは……裏切れない。だが果たして、抱きしめる行為に何の意味があるのか? それで何がわかるのか? 握手では何が足りないのか?


 常識とアムの期待に満ちた眼と僕の魔物使いとしてのプライドが心の天秤の中でせめぎ合う。


 ギルド中の探求者がこちらに注目しているかのような錯覚を覚える。

 周りをそーっと見回すが、当然ながらそれは錯覚だ。カウンターの職員は受付にきている人の応対で精一杯だし、今入ってきた機械種の男性も、掲示板を見て依頼を探している様子の機械種の女性も、特にこちらに注目している気配はない。

 何より、ここまで期待されて断る事は魔物使いとしての矜持が許さない。元々疑心暗鬼気味だったアムの精神に傷を残してしまうかもしれない。それは何よりも避けるべき事だ。

 ごくり、と自分の喉がなる音が耳の奥に響いた。

 僕は異国の地に骨を埋める覚悟をした。


 なるべく時間をかけてベンチから立ち上がる。

 アムがビクリと身を震わせる。彼女の表情には期待と恐怖がないまぜにされた感情が込められていた。


 魔物使いの心得第一。


 ターゲットとはまず信頼を結びましょう。ターゲットの中には主人を試してくる場合も多々存在します、期待を裏切っては行けません。腕の一本や二本くれてあげる心構えで挑みましょう。大丈夫、上級の回復薬があれば腕くらい生えてきます。


 腕は生えてきても失った命は戻らないよなぁ……

 頭の中で心得をリフレインしながらも、僕は笑顔を作って両手を広げた。


「さぁ、アム。おいで」


「……」


 僕の動作に、アムが一瞬固まる。

 予想した通り、いくつかの視線がこちらに集まるのを感じる。観察した所、このギルドではプライマリーヒューマンは少ない。ただでさえ少ない種族がぱっと見でもけっこうな美少女であるアムに向かって招き入れるかのように腕を開いているのだから、その注目度は相当なものだ。

 それに対して、逃げ出したくなるような羞恥を感じつつ、心の中に言い聞かせる。

 これはただのいつものスレイブに対するスキンシップだ。魔物使いとして、契約者としてスレイブのメンタルケアは義務の一つであり、信頼性を高めるための要求はこちらとしても望む所だ。

 そう、これは当然の事なのだ。信頼を得るために必須な行為なのだ。

 この論理の唯一の弱点はアムが別に僕のスレイブじゃないという点だった。


「アム……おいで」


「あの……」


「おいで」


「あ、あの……えっと……」


「来ないの?」


「えっと……い、いえ」


 アムがおずおずと僕の腕の中に身を投じてくる。頬が真っ赤に染まり、極度の興奮が見て取れる。

 僕は、彼女が自分の意志で腕の中にしっかり収まったのを確認して、抱きしめた。

 再び身体を恐怖が貫く。が、心配したような極度の心拍の低下などは見られない。どうやらしっかりライフドレインはオフにしてくれたようだ。


 心地よい重みが身体にかかる。

 具体的な種族にもよるが、レイスといえども実体はある。


 十秒程しっかり抱きしめた後、背中に伸ばしていた手を上にあげて髪を梳いてやる。基本的にこの辺りは相手にもよるが、表情や雰囲気を確認しながら触る箇所を変えてやるとよい。今回は髪で正解のようだった。肩の力が少し弛緩したのを腕の中で感じる。ただし、髪をすくでも背中を擦るでも耳を触るでもなんでもいいが、スレイブに尻尾があった場合は、尻尾だけは避けたほうがよい。性的なモーションと勘違いされる場合が多々あるからである。特に衆人環境で行った場合、スレイブには受け入れられても通報されて警官のご厄介になる可能性がある。


 とまぁ、魔物使いとしてのスキンシップ方法について脳内でレクチャーした所で、身体を離した。

 アムの顔はまだ真っ赤だったが、ふらつきながらもその場にちゃんと立った。


「満足した?」


「……はい」


 とか何とか言ってるが、アムの顔はまだどこか不満そうだった。

 機械種が多い街ではレイス(悪性霊体種は度々そう略される)は生きづらかろう。本能が生命種を求めているのだから、最低限の接触がないと欲求がたまる。これもまたレイスの性と言える。


「で、信じてくれた?」


「は、はい……。でも、それならその契約している仲間はどこに?」


「……はぐれた」


「はぐれた!?」


「ああ……ちょっと想定外の事が起こって……本来ならマスターがスレイブと離れることなどほぼないんだけど……」


 スレイブは魔物使いに取っては武器であり、防具でもある。

 故に、はぐれてしまった場合は戦力が格段に落ちる。個人の資質にもよるが、魔物使いのクラスについているものは剣士や魔法使いのクラスに何らかの理由でつけなかったものが多いので、それはなおさらだ。

 ついでに、新たなスレイブとの契約は剣士が新しい剣を買うのとは難易度が違う。


「はぐれたってことは……フィルさんは今はお一人ですか……」


「ああ……まぁね……召喚術(サーモニング)が使えればよかったんだけど使えないし……とりあえず新しいスレイブを探してるんだけど、いい子が見つからなくて……」


 カウンターの方に視線を投げる。

 まだ小夜さんは戻ってきていなかった。大分無茶を言っているのは自覚しているが、こちらも生死がかかっているので妥協するわけにはいかない。

 アムがもじもじとした様子で口を開く。


「あ、あの……それって私とかでもーー」


元素精霊種(エレメンタル)善性霊体種(スピリット)で、僕と同じか少し年下くらいの女の子を探しているんだけど……知り合いにかいない?」


「……いません」


 意気消沈したかのような声。

 思い当たる仕草だ。基本的にスレイブの契約はマスター側からのスカウトで結ばれるが、逆もたまにある。

 レイスはもうアリスと契約しているため、契約できない。もしかしたら……考えるのも嫌だが、アリスはもう消滅しているかもしれないが、消滅をこの眼で確認するまでは新たな子と契約を結ぶのは、アリスとの契約違反になる。

 最初にはっきりと条件を述べておいた方がよいだろう。


 しかし、そうか……アムの知り合いにはいないか。

 

 ギルドに登録していたメンバーに好ましい対象がいなかった以上、野良で見つけるしかないが、適当にスカウトしてそうそう引っかかるものでもない。知り合いの紹介など、コネで見つけるのが一番簡単且つ安全だが、そうだとしても条件が合うとは限らないのだ。


「あの……エレメンタルやスピリットはいないですが……レイスとかは……」


「レイスはもう一人契約してるから無理なんだよ。彼女との契約に同種との契約を行わないって内容があってね……」


「彼女……」


 食い下がるアムに懇切丁寧に説明してあげる。

 そもそも、レイスが、無機生命種(マキーナ)の多いこの地で大きな戦果をあげられるかは甚だ疑問だ。まぁ、最低級のレイスでも僕よりは強いだろうし、そもそも目的は王国への帰還なので必ずしも戦闘力が高い必要はないのだがそれでも、高いに越したことはない。


 かといって、このマキーナの割合が高い地にそんな都合よくエレメンタルとスピリットがいるかというと……可能性は絶望的なまでに低かった。

 エレメンタルは魔物使いとは異なる精霊使いのクラスも契約するので魔物使いと契約する個体数が少ないし、スピリットはそもそも、水と油の関係であるレイスと既に契約済みの時点で断られる可能性が高い。

 ほとんど詰んでいるといっていい。


「でも、そのレイスの人、今はいないんですよね?」


「いないけど契約を破るわけにはいかないよ」


「……その契約には、『側から離れない』という条項はなかったんですか?」


 ちょっと考え、アムがぼそりと呟いた。

 鋭い。非常に鋭い。

 確かに契約には『常に付き従い、指示に従う事』という条項が存在していた。物理的な距離についての記載はないが、見方によってはアリスの強制転移という行為は、僕のためとは言え、明確な契約違反といえた。

 向こうが違反したからこちらも違反していいというわけでもないが、考えようによっては今の状況はアリスのせいともいえる。


 契約の穴。


 何も言わずともそれに気づいたアムの事をしげしげと観察する。

 そうだな……ちょっと興味がわいた。視野が狭くなっていたかもしれない。


 探求者としてはなりたてかもしれないが、頭も悪くなさそうだし、実力も僕よりは上だろう。

 レイスなのでヴィータの僕とは相性が悪いが、元々レイスとは契約していたので十分経験で補えるし、レイスについての基礎知識もある。

 歳もまぁそれ程離れていないし、異性なので年齢、性別は申し分ない。何より、スレイブ側からのアプローチなので信頼(ラポール)も現段階では負担にならないくらい十分に築かれていそうだ。

 アリスへの言い訳が厄介だが、それは僕の方で交渉すればいいだけの話だ。さすがにレイスとはもう契約を結んでいるので永続に契約を結ぶことはできないが、期間限定で契約する分には申し分ないだろう。出会いは偶然だが、一期一会という言葉もある。


 時間もないし……条件を聞くくらいなら罰は当たらないだろう。 


「条件は?」


「え……?」


「契約の条件を教えてほしい。契約してくれるなら、だけど」


「え……えっと……はい! えっと……」


 アムが陰のない満面の笑みで返事をした。笑顔を見せてくれるのは、レイスとの契約を結ぶ上で第一の関門だ。やはりラポールは十分だ。

 初めての契約で何もわからないであろうアムに助言してあげる。


「第一に報酬、第二に期間、第三に禁則事項の三つかな。報酬っていうのは、力を貸す代償に何を求めるのかで、マキーナの場合は通貨、それ以外の場合は魔力が多いけど、レイスなら魂とかの場合もある。後は、栄光の強制とか……魔王クラスの魔物の討伐とか、その辺りの『指針』を条件にしてくるものも多い。第二の期間は永続か短期か、短期ならいつまでか。ここは今回の場合は永続は僕の方の都合で無理だから、短期だけど。期間は契約時に決めなくてもいい。第三の禁則事項は、基本的にはマスター側の指示で動くわけだけど、指示されては困ることを定める。大体が性的奉仕の命令とスレイブの生存権を著しく損なう可能性のある命令……死令・性令の禁止である場合が多いかな。後はその他に何かあれば追加でつける事もできるよ」


「ちょ、ちょっと待って下さい……。えっと……報酬は……」


 アムが目を白黒させて指を折り始めた。

 魔物使いにとってもスレイブにとっても、契約のプロセスは最も重要なものだ。ここで詰めておかないと後々スレイブ側に不満がたまって本気で戦わなくなったり、主人側のスレイブへの愛情が薄れてスレイブへの虐待が発生したりしてしまう。

 僕は幸いなことにまだ経験がないが、これが原因で魔物使いの職を辞めてしまう者も後を立たない。特に複数と契約を行う場合、相性などもあるので難易度は段違いになる。


「とりあえず何か飲みながらゆっくり考えようか」


「あ……は、はい」


 とりあえず、立ちっぱなしで必死になって考えているアムの手を取って、ギルドに併設されている酒場に連れて行った。

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嘆きの亡霊は引退したい。

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