第43話 「はじまりはいつも戦いから《The beginning is always from Battle》」


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第43話 「はじまりはいつも戦いからThe beginning is always from Battle




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アイトスフィア歴六三五年五ノ月二八日



 空をゆらめく炎が、オレの頭上を高く超えていった。

 「魔法」と呼ばれるその炎球は、前方に着弾し火の粉を散らす。進撃していた「敵」の動きがわずかに鈍った。

 敵——異形ヴァリアと呼ばれるそれは、鬱陶しそうに頭を振るって残り火を払う。その隙を見逃すほどオレは素人ではなかった。


「ふ……」


 小さく息を吸い、剣の血を跳ねさせる。

 普段なら戦利品の一つを漁ろうというところだが、あいにくそんな悠長なことをしていたら地面のシミだ。


「ったく、ついてねえなぁ」


「ああ、いっつもそうだ」


 横を追走する相棒の気丈な声に、こちらも負けじとなんでもない風に返す。

 相棒・アッシュとともに駆ける見晴らしの良い草原——その視界いっぱいに、荒ぶった黒獣が跋扈している。奴らは一様に禍々しい角を額に備えており、見目だけを見るとサイと言っていい。ただ、通常種よりも一回り大きいともなれば、恐怖感も倍増である。


「にしても、今回は最悪のタイミングだな、ヒロ。いくら守護者アテネポリスの援護があるとはいえよ、一時間は固ぇぞ、あの量は」


 オレたちは今、朝一番の依頼クエストに出陣しようと街を出た直後に、「ミリー・ライノ」の群れに足止めされていた。アドベント南門付近にいる冒険者へ急遽、防衛任務ミッションってやつが発令されたからだ。

 簡単に言っちまえば、街に迫ったクソったれ異形ヴァリアを殲滅するまで依頼クエストはおあずけ。


 で、問題なのがアドベント外壁から飛来する支援魔法。効果ないわけではないが、奴らを直接削るにはいかんせん心許ない。対異形ヴァリア最前線を謳う割には、お粗末な防衛ラインだ。つい最近、世界情勢を改めてレクチャーしてもらった身として、不安になるくらいには。


「門前に第一位がいたんだろ? そいつは何してんだ?」


 たしか偶然、あいつがそうだと教えてもらったばかりだったが。


「エリアルの姉様な。ある意味、彼女がこのチンケな援護の原因だよ。最強戦力が控えてるんだから人員は他に回せってな、たぶん」


「んな、迷惑な話があんのか。前線で戦う奴の身になりやがれ! その女、引っ張り出してこい!」


「無茶言うな!」ミリー・ライノの角を叩き折りながらアッシュは、「……俺なんか突っ掛かったら瞬殺だ。第四位とまともにやり合ったってんなら、一位様のえげつなさくらい予想つくってもんだろ!」


「じゃあ尚更だ!」


 あの殲滅力が、喉から手が三本くらい出るほど欲しい。オレたちを含む数十人の冒険者がそこら中で戦っているが、先の景色は角だけだ。視界いっぱいの敵って、普通にやべえ物量だろ!

 アッシュは経験あるみたいだが、こんな大乱闘、オレは初めてなのだ。はっきり言ってちょっと怖い。皮肉にも自分が普段戦っている敵の恐ろしさを今、肌で感じている。


「ま、落ち着いてけ、ヒロ。一体一体の力量じゃあ、ヘル・オーガにすら及ばねー奴らだ。それによ、さっき一時間はかかるっつったが——オレらだけの場合だぜ?」


 直後、赤い流星がオレたちの間を駆け抜けていった。

 その小さな星は異形ヴァリアどもの大群に突っ込み、血飛沫を弾けさせる。


「遅いぞ! アンタら!」


 血霧から届くその声は、間違いなくもう一人のパーティーメンバー。いいや、ひょっとしたらパーティーリーダー、絶級冒険者ランク5序列第七位、ニアだ。

 横凪にミリー・ライノたちが蹴散らされていき、何よりもそれが彼の進行方向だとわかる。オレを含め、傍目に見える冒険者たちもあんぐりと口を開けている。


「……一段と気合入ってやがるな」


「あいつ、退院明けなんだろ? いかにもジッとしてられませんって感じの奴じゃん。ちょうどよかったんだって、この状況」


 なるほどな。たしかにこんなバケモン、一人いりゃあ十分だよな。

 ほんっと、あれで第七位ってなんだよ、おい。オレひょっとして、とんでもねーことやっちまったんじゃねえか?

 第四位のフェイリスって、あいつより強いんだよな? まあ、フィニッシャーはアッシュで、しかも不意打ちだけどよ。


 でもそれで横の伊達男は、「よっしゃ。これでオレら、第三位名乗れるな。ニアより上だぜ?」……なんて笑って言うのだから面の皮が厚い。


 と……オレが悶々と考えつつ敵を少数ながら葬っていると、外套まで真っ赤に染めたニアが、どうしてか宙を舞っているのが見えた。

 すわ吹っ飛ばされたのかと一瞬肝を冷やしたが、彼の片手には長銃。普通ありえない滞空時間の中で、回転しながら鉛玉を撒き散らす。

 タダダダダダダッ‼︎

 群れの奥深くまで切り込んでいるので流れ弾こそないものの、強烈な銃撃音が耳を刺激する。


「なんか曲芸やってらぁ」花火を見るみたいに楽しそうなアッシュ。


「金払って観たいとは思わねえけどな」


 あんな物騒なサーカス、とてもじゃないが客を呼べない。

 とはいえ、ニアの死を振りまく舞踏は一気に敵の「面積」を減らし、視界が開ける。獣一色の景色に緑が見えたのだ。ニアも一通り撃ち尽くしたのか華麗に着地し、白兵戦に切り替える。


「よっしゃ、もう一踏ん張りだ」


「おう」


 ニアの縦横無尽な殺戮によって、冒険者たちの士気も高揚している。流れは完全にこっちのものだ。

 何を弱気になってたんだ、オレ。負けてられねえぞ。

 一度ポンと胸を叩いて、オレはニアの後の追った。



 ミリー・ライノの殲滅後、つつがなく冒険者たちは依頼クエストに赴くことができた。

 異形ヴァリアの死体がそこら中に散らばっており、悪臭もひどいもんだったが、こういった際は「回収屋」と呼ばれるギルドの職員がなんとかするらしい。それこそ低ランク冒険者にでも任せればいいのではと思わなくもないが、戦利品ルートの不正取得防止とやらが問題になってくるようだ。組織ってのはいちいちめんどくせえ。

 というわけで、難しいこと考えるのが嫌いなら前線で体張るしかない。

 言われた通りに敵を倒す。

 これほど簡単な話もないわけで。

 しかしまあ、単純には終わらない依頼クエストも多い。今回は「ロッド・ビー」とやらの蜂蜜が必要って奴らのために、メルバ山で狩りをすることになった。

 だが、分布がある程度わかってるといっても、敵さんがどうも獲物ですと出てきてくれるわけでもない。どれだけ強い味方がいようと関係ない。三人揃って野山を半日、駆け回る羽目になった。

 ともあれ用意してきたタンクへたらふくの蜜を絞り込み(生きたままの異形ヴァリアを無理やり屈服させるってんなら、上級冒険者ランク3以上でないとダメなのはわかる)、日が暮れる前には下山できそうだった。

 ニアはまだまだ余裕そうではあるが、朝方の戦闘の疲れがあるオレとアッシュの間にくだらない会話は発生しない。つーかニアが元気すぎる。

 冒険者の往来が多いとはいえ地形は厳しいし、山を降りるだけでも結構な体力を使う。だから、麓が見えてきたとあれば少々、気持ちが緩んでしまうのも仕方がないのだ。

 だが、


「——!」


 先陣を切って進んでいたニアが、かすかな物音に反応するネコみたいにぴくりと一点を睨みつける。さすがにそこは冒険者、オレとアッシュもほぼ同時に身構える。


「大した敵じゃない。ただ、気になる臭いだ」


 言ったニアは、手でオレたちを制しながら、獣道を外れて茂みに入る。ガサ、ガサ。ピタリ。一時の静寂の後、雷光のような素早さでニアが「何か」に飛びかかる。

 一〇秒ほどの格闘の後……茂みから満足げな表情の彼が出てくる。

 その小さな手は、体格に見合わないゴツい獣が掴んでいた。


「珍しい獲物を捕まえたぞ」


「そいつは……イノシシか?」


 死んでるのか気絶してるだけなのか、紛れもない二本の顎牙・イノシシが、足首を掴まれたまま力なくぶら下がっている。


「ああ。殺さずとっ捕まえた。これを牧場に持ってけば、蜂蜜以上の金になると思わねえか?」


 土地が限られているのもあるが、満足に畜産業を展開できていないのは野生の獣が減少しているからというのも大きい。なぜか? 全部決まってる。異形やつらだ。


「そりゃそうだけどよ。専門の道具もなしに運ぶのか?」


 アッシュがもっともな指摘をするも。


「いるか、そんなもの。適当に背負って持って帰るから。縄もあるしな。おい、どっちかおれの分の蜂蜜も持て」


 タンクを下ろしたニアは、どこから取り出したのか麻縄でイノシシの足を縛り上げ、一丁前に担ぐ。大して強そうに見えない見た目のパーティーなのは間違いないが、その中で一番小柄な奴がそんなワイルドなことをやっているのだから面白い。

 ニアは何事もなかったかのように帰路を進み始める。

 一方のオレたちは漢の「闘拳」の結果、貧乏くじを引いたオレが蜂蜜を余分に持つことになり、ひいこら言いながら仲間の後を追う羽目になった……。



 大自然のさざめきから、人々の喧騒がうるさいくらいの街へと帰還する。

 生身のイノシシをそのまま担いでいる冒険者というのはさすがに目立つ。それを嫌がったニアは、先ほどとは真逆にオレたちが持つ蜂蜜を奪い取り、イノシシを丸投げしてきた。

 農業地帯は我らが第四都区にあるので道に迷うことはないのだけど、目を覚ましたイノシシが暴れ出しやしないかが一番の問題だったりする。……が、アッシュと二人がかりで慎重に運搬し、人獣互いに無傷で引き渡すことができた。

 このご時世では、イノシシに限らず野生の鳥獣を健康状態の良いまま捕獲するのは至難であるためか、それはそれは大変喜ばれたもんだ。

 そうして「代金に」と、我々庶民ではなかなか手の届かない豚肉(アッシュが言うに、「豚は貴重だな、あと牛もか。背伸びすりゃあ食えねえこともないが、贅沢ではあるな」)を貰う。しかも、明らか三人では食べきれないくらいの量をだ。


「街中で見かけるはずないから気づかなかったけど、野生動物ってそんな貴重だったんだな」


「なんせ『前線』だからな。かといって北に行くほど寒ぃから、畜産に適した土地も少ねえし、輸送コストもかかる。ってなると、いくらでも湧いてくる奴らの肉で我慢するしかねえわけだが……」


「まずい、よなぁ」


 最も美味しいと言われているメリー・シープの肉でさえ、「柔らかい」という補正があるところが大きい。そりゃ噛み切るのも苦労するナイル・ワイバーンの肉と比べたらマシだっつー話だ。ぶっちゃけ新鮮なジャガイモとかの方が美味い。

 なので今、オレたちは宝を持っているに等しい状態なのだ。

 人によっては確実に現金以上の価値。特に戦う以外は酒飲んで女を抱くことしか考えてない冒険者連中にとっては、「食」が最後の原初的欲求である。

 ご丁寧に牧場印の袋に詰め込んでくれたのだが、あまり見せびらかしておきたいものではないので、さっさとニアと合流したい。


「あいつはどう言うと思う? やっぱ売るって言うかな?」


 合流してから話せばいいものを、オレはいちいち聞いてしまう。


「そーだなぁ。食にこだわりがあるようなタイプじゃなさそうだし、……あいつ普段何食ってんだ?」


「レストランじゃ普通にハンバーグ食ってたけどな」


「ひき肉って、それでも高えだろ」


「クソ高い。会計で目ん玉飛び出そうになった」


「おまっ、食ったのか?」


「すげえ美味かったな」


 人の金だからと遠慮せず注文したが、さすがに後で申し訳ないとは思った。


「おいおいおい、いつの間にそんな贅沢してやがった」文句たらたらのアッシュだが。


「あー、ほら。あれだ。この前助けた時のお礼っていうか、それで奢ってもらったんだよ、うん」


 全然違うが、めんどくさいからそれでいいや。


「じゃあー、オレにだって権利あるじゃねえか! なに? オレ省られたの? ひょっとして嫌われてる感じなの?」


 ダメだった。アッシュがこうなってくると余計にめんどくさい。


「さ、さあ……。表だった印象とかもあるし」


「だー、ちくしょう! ヒロにいいところ譲るんじゃなかった。むしろオレが颯爽と駆けつけてやるべきだったぜ! 決めた! あいつにこの肉はやらん。売りたかろうが食いたかろうが、絶対に渡さん‼︎」


「はいはい…………じゃ、それちゃんと本人に伝えろよ」


 会話が盛り上がってきたところで、待ち合わせ場所に到着する。そこには相も変わらず不機嫌顔のニアが。


「遅い。アンタら、いったいどこをほっつき歩いてた」


「いや、どこに引き渡すのが一番いいか、ちょっと迷ってな。悩んだ甲斐あって貴重なもんが手に入ったぞ」


「あ!」というアッシュのぼやきは無視して、肉の入った袋を渡す。


「ん……肉か。こんな高級品、アンタ買って大丈夫なのか?」


「買ったんじゃなくて交換したんだよ。買取してもらうっつっても、正規の業者じゃないし、値段が定まってるわけでもないから簡単にはいかなくてな。唯一、個人で取引に応じてくれるってとこが、物々交換だったってわけだ」


「理由はわかったが……騙されたりしてないだろうな」


「そこは多分、大丈夫。アッシュによると、豚肉の相場からすれば貰いすぎかもしれないって話だし」


「なおさら心配だ」


「テメェやっぱりオレのこと嫌いなんか⁉︎」


 アッシュの絶叫に、「目利きについては信用しているつもりだが、感情が邪魔をする」と謎の持論を展開したニアは、袋に詰まった「食」を見つめ熟考する。


「売るにしても……結局はどこかへ卸す必要があるし……元々が臨時の戦利品……。……よし、食うか」


「なら話が早い。さっそく三等分して……」


「おい待てお前ら、いくら高級食材とはいえ調理しなきゃただの肉塊だぞ。この貴重な貴重なお肉様をちゃんとメイクアップできんのか?」アッシュが人差し指をふりふりして忠告してくる。


 ……妙にムカつくのは声色のせいだろうか。


「まあ、食えるもんにはするつもりだけど」


「マチルダが腕を尽くしてくれるだろう」


 オレとニアがそれぞれ答えるが、アッシュは「甘い」と、


「オレはどーすんだ。言っとくがシーナさんも俺も、まともに料理なんかできねえぞ」


「「知るか」」


 はい解散とばかりに三人分の分配を始めようとするが、


「待て待て、待ってくれ! せっかくこんだけの量があるんだ。家庭の味もいいが、せっかくだしプロの味も試してみねえか? もちろんレインちゃんとか、ニアの家族も呼んだらいいし」


「プロ……ね。アテがあるのか?」ニアが少しは興味惹かれた様子で言う。


「当然。人の話ってのは、ちゃんと聞いとくもんだぜ。——何事もな」



「で……アテって、ここかよ」


 意気揚々と案内を買って出たアッシュの行先は、馴染みの酒場だった。

 冒険者の墓場。中央通りセントラル・ストリートに面した恐ろしげな名前の店は、今宵も明かりをふんだんに灯している。


「こんな安酒屋がなんだっていうんだ? まさかここの店員に調理させようってんじゃないだろうな」


 ニアが当然のように突っ込むが。


「そのまさかさ。一流のシェフだって、素材が悪けりゃ実力を発揮できねえってもんよ。まあつまり筋肉ジジイが悪い」


 手をひらひらと煽って、扉をくぐって店内に消えていくアッシュ。訝しみながらもオレとニアも後に続いた。

 いらっしゃいませー、と活気溢れる掛け声の中。手当たり次第にウェイトレスに笑顔を振りまくアッシュは、当たり前みたいにバックヤードの方へ向かっていた。何やら奥に声をかけている。


「なにをしている、あいつは。ここでも働いてるのか?」


「いわゆる常連っているだろ? あれの究極版みたいなやつで、ほぼ毎日通ってるらしい」


 オレも最近聞いたばかりだけど、やらなきゃいけない用事ってこれかよ、とはなった。そしてその一番の要因が、おそらくだが「女」というのが始末に追えない。


「今日も来てくれたんですね、アッシュさん!」


 ウェイトレス姿の森人エルフが、ぴょこんと飛び出してくる。女の武器とも呼べる胸を揺らして愛らしく笑う彼女の名前は、リン。

 なぜか、アッシュにとても入れ込んでいる少女だ。


「よお、リンちゃん。一日ぶり! 今日は君に折り入って頼みがあってさ」


 なんですか? と首を傾げるリンの鼻先に、ユーノー牧場の買い物袋を突きつけて。


「これで、さいっこうにジューシーな料理を作ってほしいんだ。もちろんお裾分けもするぜ」


「はあ……。……え、このマーク…………生の豚肉ですか⁉︎ しかもこんなにたくさん? え、アッシュさん、泥棒に入ったとかじゃないですよね?」


「違う違う! パンチ強いジョークだね、リンちゃん。ま、ちょっとばかし野生のイノシシ捕まえてさ。その返礼品ってことでこんなにどっさり」


「なんだ、そうだったんですか。それなら安心です。でも……せっかくの高級品、私なんかに任せちゃって大丈夫なんです?」


 リンは差し出された高級素材に目を輝かせてはいるものの、遠慮がちな声を出す。


「大丈夫も何も、君だからいいんだよ。はっきり言って、こんな男臭い職場じゃなくても、その道で食ってけるくらいの腕前があるんだから! オレが保証する!」


「……そこまで言うなら」もじもじと髪を弄りながら、リンはこくりと頷いた。


 チョロい。あまりにもチョロい。


「なんて浮いた会話だ……。風俗じゃあるまいし」


「その感想はさすがにどうかだけど、リンさんがアッシュのどこに絆されたのかは、今のオレ史上、最大の謎だよ」


 席に着くわけでもなく、「どんな料理がいいです?」、「やっぱり定番のステーキだな。食い損ねたし。あ、でも生姜で焼くのも捨てがたいな……」なんて戯けた会議を見守っているオレとニア。

 なぜだか顔が知れ渡っているオレがいるから、ウェイトレスさんたちには変な目で見られてはいないけれど、少々居心地が悪い。

 と、


「なんだ、恋人との夜が待ちきれなくなったのかの? 心配せんでも、レインならそろそろ上がりだぞ」


 ズシズシと豪快な足音とともに、しわがれた声が横から飛んだ。オレたちに影を差すのは、身長二メートルを超える巨漢。


「オヤジさん……。そんな言い方よしてくださいよ」


「おや、恋人じゃなかったんだかの? すまんすまん」


 そっちじゃねえよ。相変わらず豪快な人だ。


「なんだこのデカイのは」


 ニアがグッと見上げつつ、訝しげな声を漏らす。


「そういう嬢ちゃんはえらくチッコイの」


「あ゛? おれは男だ」


「おや、それはすまん。ともあれお前さんははじめましてだが、ヒロの知り合いか?」


 恒例のやり取りに相変わらずブチギレそうになっていたニアだけど、オレがこづいたことでなんとか落ち着きを取り戻す。


「……そうだ。こいつの『仲間』だ。ついでに、そこで女とくっちゃべってる奴とも」


「ちなみにニアっていいます」


 本人がどうにも言わないので、なぜだかオレが補足する。


「ニア……。はて、どっかで聞いたことあるような……それも最近……」


「別にどうでもいいことだ。それより、あの茶髪と話している女、明らかに給仕の見てくれだが料理なんてできるのか?」


「リンのことを言ってるのかの? あの子はすごいぞ〜、なにせうちの開発エースだからの。何を隠そう、うちのメニューの半分以上が、あの子が作り出したもんだ」


「そーだったんですか」


 普通に初耳だ。たしかにレインも料理教えてもらったとか言ってたけど、そこまでだとは。


「なら、期待は持てるかもな」と、ニア。


「おうよ。うちは大衆向けの店だから目立ちはせんが、一流のシェフってのはああいうセンスがある子なんだろうと常々思うの」オヤジはうんうんと頷いてから、「その逸材をあの馬鹿、たぶらかしおって……今度はどんな厄介ごとを持ち込んできたのやら」


 億劫そうに、二人だけの空間を築き上げている男女を見やる店長。


「まあしかし、お前さんらに罪はねえわな。カウンター席なら空いとるから、せいぜいゆっくりしていきな」


 言って、オヤジはアッシュたちの元へと向かっていった。どうせ、いつものように言い合って、最終的にはアッシュの口八丁にオヤジが折れる形になるのだろう。


 オレとニアは、端の方のカウンター席にどかっと座ると、メニュー表をペラペラ。ニアは横で、「思ったより高いな……」なんて呟いている。

 アッシュがどう交渉を転がすか知らないが、ここは無難に麦酒で喉を潤わせることにしよう。ニアからも、決まったぞと促されたので、「すみませーん」とウェイトレスを呼ぶ。

 とっとっと。無駄に上品な足音が鳴った。


「職場にはあまり来ないでほしいと、言っただろう」


 無感情に感じるけれど、聞くものが聞けば感情を読み取れる女の声。ちなみにちょっとだけムッとしているのが、オレにはわかる。


「……それは覚えてるんだけど、今回ばかりは不可抗力なんだよ」


 振り向き様、ウェイトレス衣装に身を包んだ少女へ、オレは体裁の悪い言い訳を繰り出した。


 金色の髪を美しく伸ばした少女は、無表情の仮面の中、色艶のある唇を少しばかり尖らせていた。この酒場には見目麗しい女たちが揃っているが、彼女はプラスしてとんでもないスタイルの良さである。


 レイン。オレの同居人にして、「代わりのない人」。


 文句のつけようがない麗しの美貌は、誠に失礼な話ではあるがいささか酒場には不釣り合いなようにも思える。


 ……なんでこんな褒め称えているのかといえば、彼女に直接それを伝えたところで怪訝な顔をされるだけだからだ。

 例えば、


「お前に会いに来たって言ったら、どうする?」


 こう言ったとしよう。というか言ってやった。


「……わからない。じきに帰ることはわかっているであろう」


 鈍感さが限界突破しているレインのこと、やっぱり通じないと思っていた。


「だよな。実は、豚肉を手に入れてさ。アッシュがリンさんに料理してもらうからって、連れてこられたんだよ」


「ふぅむ。その袋の中身、全部そうなのか?」


「おう。レインも食うだろ?」


「くれるというなら是非もない。頂くとしよう。だが、終業までまだ半刻あるのだ。待ってもらうことになるが」


「大丈夫だ。どの道、リンさんが引き受けてくれるにしたって時間はかかるんだから、ちょうどいいくらいだろ」


「そうか。ならいい」言ってレインは去ろうとするが。


「良くない。アンタ店員なんだろ。麦酒二つだ。さっさと持ってこい」


 ニアがおいおいと待ったをかける。それに、半身だけ振り返ったレインは、


「なんだ、二人ともいま飲むつもりなのか」


「まさかボーッと待っておけと言うつもりか? 酒場で?」


「前に一回ここで、冷やかしみたいになっちゃったことあるから、ちょっとな。一杯だけだよ」


 と、理由は明確なのだが妙に嘘くさい説明をしてしまう。


「まあ、構わんが。あまり酔っ払うのではないぞ」


 小さく息を吐いたレインは、そう言い終えて今度こそバックヤードへと消えていく。


「酒場で働いているとは聞いていたが……あの馬鹿乳女、こんなところで働いてたのか」


「可愛くて綺麗で強い女の子募集って、求職所に貼られてたんだと。で、行ってみたらその日のうちに合格って感じで」


「んな明らか怪しいフレーズのどこに惹かれてたんだ……。『強い』意外、当てはまることもないだろうに」


「それ回り回って自分に帰ってきてるんじゃねえか……って、強い、のは認めるんだな」


「何を当たり前のことを。あんなやばそうな臭いしてる奴、絶級冒険者ランク5くらいしかいないぞ。はっきり言って、アンタの強さの半分はアイツのおかげだろう」


 騒がしい客たちを鬱陶しそうに眺めながら、ニアは語る。強者のオーラが彼女にある、という点はオレにも理解できる。所作の一つ一つに無駄がないとでも言うんだろうか。


「たしかに、レインからはあらゆる戦い方を学んだ……らしいな。直近でも世話になったし。お前、そんなこともわかるのかよ」


「アンタの動きは荒削りすぎるんだ。わかりやすく言えば、才能がないのに才能のある奴みたいに戦おうとしてるというか」


「随分キツいこと言ってくれるな……」


 魔法で基礎スペックを誤魔化してるのは自覚してるけどよ。


「これでも一応、褒めたつもりだぞ。まぐれだろうと気まぐれだろうと、絶級冒険者ランク5と本気でやり合って生きてるんだからな。……自分で言っててもおかしく感じるな。アンタなぜ普段あんなに弱い?」


「わかってたらお前に余裕で勝てるだろうよ。火事場の馬鹿力ってやつじゃねえの」


 そも魔法なんてわけのわからない力が宿ってる時点で、人体の神秘は未知数だ。

 ……それこそ半分、レインの話をしているうちに、当人がグラスを運んでくる。


「麦酒二つ、持ってきたぞ」


「おい馬鹿乳、おれたちは客だぞ。お待たせしましたじゃないのか?」ニアが挑発的な問いを投げる。


「……申し訳ありません、お客様。お待たせしました致しました、お客様」


「おお、ちゃんとした店員になった……。なんか違和感もあるけど」


「何かおかしいところがありますでしょうか、お客様。もう下がってよいでしょうか、お客様」


「あ、ああ。もういいよ」


 う、レインの奴。明らかにムッとしてる。絶対わざとだ!

 こーいうシュールなギャグをかますのが、彼女の得意技でもある。どこから得た知識なのかさっぱりわからんが。


「ではごゆっくりどうぞ、お客様」


 ご丁寧に一礼までしてレインは立ち去る。一丁前の高級レストランもびっくりの深々としたお辞儀だった。


「急になんだ、アイツ……」


「鈍感な奴だけど、通じたら通じたで負けず嫌いだからな、レインって」


 掴めない奴だ、とニアはぼやいた。

 実際レインは、察しの悪さがなければ正直めんどくさいタイプかもしれない。……オレ含め負けず嫌いな奴しかいねえな……。


「……どーでもいいけど、アイネちゃんとか連れてこなくてよかったのか?」


 レインは結果的に合流することができたものの、ニアの家族もたまたまいましたなんてことは起こるわけない。


「最初は悪くないと思ったよ。でも、よく考えなくてもこんな店に子供連れてくるの厳しいだろ。アイネはいけるかもだけど」


「それもそうか」


「どうやら茶髪は、己の分の肉を振舞ってくれるみたいだからなっ。分の肉は、予定通りマチルダに任せるとする」


「そりゃいい考えだ」


 アッシュの奴、リンに袋丸ごと渡してたからな。後で分けろとせがまれたって、絶対渡してやらないでおこう。



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「ちょっと救いのない話」


 ウェイトレスは皆、半袖で胸をはだけさせたりと解放的な格好ですが、レインだけ長袖で胸は覆われています。実は以前、レインのその凶悪すぎるバストを間近で見ようと彼女へオーダーが連日殺到し、その光景をたまたまヒロにも目撃されてしまいました。

 耐えかねたレインは、自分だけ仕事着を変えることを打診し、オヤジも渋々とですがそれを受け入れました。



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