【アナザーストーリー】

特別編 「決して消えない傷も消せる《There's nothing that can't be erased》」

アイトスフィア歴六三五年五ノ月二日



 自分とそっくりの人間に出会うというのは、あまり良いことではないらしい。


 ここでいうそっくりとは、顔の造形のことだ。

 レインにとって、顔の造形の美醜など些細な問題であり、むしろ特徴的であればあるほど覚えやすいなどと思っている。


 なので、「瓜二つの顔」などあっては困るのだ。

 例えば勤め先のリンとレン。彼女たち姉弟を見分けるのは本当に苦労する。前からならまだしも、後ろ姿ではお手上げだ。


 レインは根本的に人を覚えるのが苦手なのだった。


 けれど、さすがに自分のそっくりさんとあっては、印象強い。

 だからニアに呼び出された時は何事かと思った。わざわざ直筆の手紙をしたためて、「貴女の力を貸してほしい」、だった。


「入っていい?」


 治療院の奥にある、そう多くない個室群の一室を訪ねる。

 ノックの答えは、「アンタ一人?」と不機嫌そうな声だった。


「手紙に書いてあった通り、一人で来たぞ」


「そう。入っていいわよ」


 お許しが出たので入室する。お見舞いとは少し違うかもしれないが、ヒロ以外の病室を訪ねるのは初めてだ。

 呼び出し主の少女はベッドに腰掛けており、レインの顔を見るなり苦々しい顔をする。


「やっぱり気味悪いわね、おんなじ顔の人間がいるなんて」


「まったくその通り。自分も不思議で仕方がない。おまえに心当たりはないのか?」


 呼び出しておいて早々、失礼な物言いの少女だが、レインがその手の言葉を気にすることはない。表情一つ変えずに、そして「先日の件」に触れようともしないレインに、彼女は何かを感じたか、口を尖らせて言う。


「……恋人殺しかけた女の呼び出しに、よく応じる気になったわね」


「……? おまえが殺そうとしたわけじゃないでしょう?」


「…………そうね」


「あとヒロは恋人ではない」


「はいはい、わかったわよ」


 こいつに何を言っても無駄だと言わんばかりに。


「じゃ、アンタはあいつのこと好きなの?」


「ヒロのことは好き、だ」


「人として? それとも男として?」


「……それは同じ意味ではないの?」


「ないのよ。でも、アンタに言ってもしょーがないってことはよくわかったわ」


「そう、か」


 気まずい雰囲気が流れるのだが、案の定、レインにとってはそよ風と大差ない。


「でも、同世代の女の子と話すのって初めてなのよね」


「それは自分もそう」


「アンタ、雰囲気的にはだいぶ上に見えるんだけど、同い年なのよね?」


「うん、一六」


「一緒ね。……余計なお世話だけど、話すの下手でしょアンタ」


「よく言われる」


「調子狂うわね……」ニアは軽く頭を抱える。


 ただ、勘違いしてほしくないのは、レインがここまで無愛想なのはニアだからではない。ヒロ以外の全員に対してそうなのだ。彼女は、職場でもこんな感じである。


「……まぁ、お願いする立場だし、これ以上文句言えないわね」


「うぅん。魔法の墨を消してほしいとの手紙だったが、どの部位だ。詳しい話は本人から聞けとヒロには言われたのだ」


「ゼンタイよ。…………見た方が早いわよね」


 女同士であるからか、躊躇いはあったもののニアは病衣を自らはだけさせるニア。さすがのレインも、「芸術」と評してさえ違和感のないびっしりと埋められた「絵」に、目を見開く。


「これは……また派手にやっている」


「なかなか良い趣味してるでしょ? 私のセンスでやったんなら、喜んで見せつけてやるとこなんだけど……」


 開放的な格好ができないのがちょっとね、と彼女は言った。

 首や腕回りのワンポイントであれば街中で見かけても珍しくない。が、乳房からへそに至るまで、肌を塗り潰さんが如く彩られているのだ。故意でないのなら、これほど肌を晒しにくいことはないだろう。


「消せそう?」


「魔法の類であれば、必ず。大仰な用意は必要ないし、触れるだけでいい」それよりもだ、とレインは、「最後に聞くが、本当に消してもいいの?」


 それこそ必ず、聞いておかねばならぬことだ。


「自分の魔法は『殺して』しまったら、もう取り戻すことはできない。その墨も、消したら戻ることはない」


「構わないわ。やって」


 迷いすらない、答えが返ってくる。

 目は、頼むと言っていた。


「わかった。……触るから我慢して」


 さらけ出している肌に、レインは手を差し出す。ニアも、気持ちばかり前に体を出す。

 ぺとっ。

 肩に触れると、じんわりと温かい感触。


「いけそうか?」


「…………」


 ニアが不安げに尋ねてくるが、レインには答える余裕がない。なにせ本来、レインの魔術はあらゆるものの活動を終わらせる力だ。扱いを間違えるとニア本人を殺しかねない。


「とりあえずは、消えた」


 レインはゆっくりと左手を離す。ニアの視線が恐る恐るその先に移動する。


「…………すごいわね、アンタ」


 ニアの肩口は、ぽっかりと日焼け跡みたいにタトゥーが消えている。


「こんな力が役に立つことがあるとは、自分も驚いている。だが、予想以上に緻密な魔法がかけられている。部分部分を触って解呪していく必要がありそうだ」


 表面をなぞるだけだとしても一気に力を伝えると、細胞ごと殺してしまう恐れもある。


「……ってことは、」


「悪いけど、全部脱いで。その方が手っ取り早い」


 一歩間違えればただのセクハラ発言。ただ、何度も言うがレインにその手の意図はない。


「う、うぅ。わかったわよ、わかった。ったく、なんなのよこの情けない、ほっそい体は! 無駄な贅肉は多いくせに!」


 と、見る人が見れば羨望の眼差しを向ける——特に男が——胸部を憎々しげに睨みながら、病衣を脱いでいく。

 普通、どうにも怒るというか恥ずかしがるポイントがズレているだろと思うところだろうが、レインはレインで、足元がパッと見えないのはデメリットだななどと共感しているのだった。


「少し時間がかかりそうだけど、許して」


「え、ええ」


 ペタペタとニアの体を端から触っていく。

 手首、肘、腕、舌など、そこら辺ならまだいいが、デリケートな部分だと少々ニアも難色を示し始めた。


「あ、ちょ、揉むな。そんな力入れなくてもいいでしょ!」


 例えば胸とか。


「く、くすぐったいわよ。早く、早く次行って!」


 例えば脇とか。


「ねえ、なんでそんな強く触るの、ねえってば!」


 例えば尻とか。


 変に艶かしい悲鳴が、治療院中にこだまする。

 途中、「何しとんや、あんたら⁉︎」とジェーンが押し入ってきそうになったくらいだ。


 全てのタトゥーを消し終わったのは、作業を始めてから二時間後だった……。


「よし、終わった」


「……まさか…………アンタが、……そっちの人、だったとはね……」


 息をぜえぜえさせて、ベッドへ倒れ込むニア。

 最初こそ綺麗になっていく体に目を輝かせていたが、下半身周りに移行したあたりでだんだんと元気がなくなっていったのだった。


「そっちの人……とは」


「なんでもないわ……。ちょっとだけ、アンタのこともわかった気がするし。すっごい疲れたけど」


「うぅん。自分も少し疲れた。何か淹れてこようと思う。おまえはコーヒーと紅茶、どちら派?」


「紅茶……って、アンタ、ほんとマイペースね。ほらもっと……見返りっていうか、代金とかって、請求するものじゃないの?」


「もともとそういう契約だったのなら別だけど、自分は手紙で頼まれ、それを承諾しただけ。処置も済んだのだし、この件について話すことはもうないはず……」


「アンタね……ほんっと、こーいうの、こっちが言うべきじゃないんだけど、そんな生き方損するわよ」


「損などしていない。自分は今、一番幸せな時間を過ごしている。同僚にそれを話したら、その幸せを振り撒いてこいと教えられた。おまえは今、少しでも幸せになれた?」


「にふふっ、ばか。アイト教団の勧誘じゃないんだから。もう少し欲深くなってもいいんじゃないってことよ」


 真面目に答えたレインだったが、逆に笑って返される。彼女は彼女で、ニアという人間のことがわからなくなった。


「うん。では、これからもヒロのことを頼もう。おまえは強い奴だと聞いている。今度はおまえが、ヒロを助けてあげて」


「アンタたち自己犠牲精神強いわね……って思ったけど、私もあいつにそう言われたんだっけ? 私たちばか同士、お似合いかもね?」


「何か一緒にされるのは違う気がするけど……まあいい」


 ちょっと待っていて、とレインが席を外そうとすると、


「ねえ!」


 なんだ、とレインは振り返る。



「…………ありがとね、レイン。いろいろと」



 明後日の方向を向いていたけれど。 


「うん。気にしなくていい、ニア」


 気持ちは十分に伝わった。



 これは、激戦の後の記録。

 お互い知るはずのない、「似た」もの同士の物語。



「私はメアよ。ニアは私の兄ぃ」


「……うぅん? 何を言っている? おまえはニアだろう」


「ちゃ、ちゃんと手紙の宛名にも書いてたでしょ!」


「ヒロは、ニアからの手紙だと言っていた」


「あいつ……ッ!」



 こうして、平和な日々は今日も過ぎていく。



 この時、レインは。

 妹というものがいたらこんな感じだろうか、と考えた。

 下の兄弟は世話が焼けるとリンが言っていたからだ。



 ——なんとも皮肉なお話である

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