第42話 「失格《FIRE》」

 月夜の下で、鼻歌を口ずさみながら歩く女がいた。闇に溶けるような群青の髪は、月光に照らされてより美しく輝いている。


「月が綺麗な夜って、なんでこうロクなことが起こんないのかしら」


 シーナ・シルヴァレンにとってロクでもないこと。

 それはキサラギ・ヒロに危機が迫ることだ。


 始まりは、アッシュが宿泊先に帰ってこなくなったことだ。置き手紙には、「仲間を助けに行きます。一週間、お暇をもらいたいです」とだけ書かれてあった。こういうのは「上」に連絡してほしいとは思うのだが、シーナを通した方が融通が利くと考えたのだろう。


 シーナも一年以上、「前線」を退いていた身。いくら「最強戦力」でも肩身が狭いというのに。


 ……ともあれ、アッシュの仲間であるということはヒロの仲間であるということだ。頭を下げるのに抵抗はない。


 あとは無事を祈るだけ……のはずだったが。

 結局、気になって気になって仕方がなかった。


 そんなシーナは、居ても立っても居られなくなり、彼が暮らすログハウスで待たせてもらうことにしたのだ。


 コンコン、と。軽く戸を叩いてやれば。


「誰だ」


 くぐもった低い声が響く。


「あたしよ、あたし。ヒロの、そして貴方の親愛なる家族」


「……名前を言え」


「シーナよ」


 言うが否や、扉は開かれた。


「急に何の用だ。ヒロならいないぞ」


「知ってる。だから、帰ってくるまでちょっと、お話ししない?」


「……酒はないぞ」


 飲まないわよと言いつつ、自分の家みたいに上がっていく。別にそう広い家ではないが、完成当初に間取りを確認しただけだったので、インテリアを見るのは初めてだったのだ。


 小綺麗でシンプルなベッド、L字型のソファ、二人分のクローゼット。遊びと言えるのは、やけに高さのある本棚くらいか。……その他飾り気は一切なく、どちらかといえば無機質な部屋だった。


(お互い、無頓着すぎるでしょ……)


 まるで仕事人みたいな部屋だった。


(というかこの子たち、この狭っ苦しいベッドで寝てるの?)


 そんなこと当然ヒロができるはずもないのだが、ベッド以外で寝るという選択肢がないシーナにとって、ソファで寝るなど考えつかない。


「あんたたち、仲良いわね」


「……? まあ、悪くはないと思う」


 と、頭に疑問符を浮かべる彼女をほくそ笑みつつ、シーナはどかっとソファに座ったが……レインは側に立ったままだ。


「座らないの?」


「他人がいるとどうにも落ち着かないのだ。……酒はないが、果汁ジュースでも絞ろう」


 と、すっかりウェイトレスが板についてしまったレイン。距離感がある意味バグっているシーナ(自覚は一応ある)が急にやってきて、戸惑っている様子だ。こんな愛らしい少女が、一師団を血霧に変えてきたとは思えない……。


 キッチンに消えていったレインではあるが、それぐらいで逃しはしない。


「今宵の戦姫ヴァルキリー……じゃなくて、プリンセス救出作戦って、あんたが焚きつけたの?」


「いや……自分はあくまで協力しただけだ。誰かに助けを求められたら絶対に逃げない、ヒロはそういうひとだと、貴女が一番知っているはずだ」


「……そう、よね。あたし自身もあんたの救出劇を見送った身だからね。なんとなくわかるわよ」


 記憶を失っても。

 それでも、変わらないもの。


「……まったくしょうがない奴だって、澄ました顔してるけど、実はあんたも心配でたまらないんでしょ。ついていけばよかったのに」


 レインがこの短時間で何度も時計に目を向けているのを、見逃すシーナではない。


「ヒロは……自分が戦うと言うと、絶対に留めてくるのだ。今回もそうだった。大抵は言うことを聞くのだが、なぜかそれだけは譲らない」


「健気な話ね。あんたの方が一〇〇倍強いとしても?」


「だとしてもだ」


「どっちも頑固じゃどうしようもないか」


 ある意味で、お似合いの二人だ。


 ……そうして話しているうちに、二つのグラスが運ばれてくる。絞られた柑橘系の匂いがするそれは、シーナが送った果物を絞ったものだろう、きっと。


 しなやかな女豹の如き手つきでグラスを手に取り、あおる。


「そんなに喉が渇いていたのなら、もう一杯入れてくるが……」


「こーいう飲み方が好きなの」シーナはよしなさいよと手を振って、「それよりね。あんたに頼みがあるの」


 声のトーンはわざと変えず、あえていつも通りに。


「……頼み、とは」


 グラスを小さく傾けていたレインの手が、止まる。


「すぐに何かしてとか、そういう話じゃないわ。でもヒロが、この国の「深部」に踏み入ってしまったことは理解しておいて。——そしていざという時、自分の手を汚すことを厭わないで」


「やはり、ヒロが挑んだ相手は貴女の『敵』なのか」


「うん、まあ、かなり『奥』に近い方かも」


 ……ヒロは存外に鈍いので気づいてないかもしれないが、当然のようにレインは、シーナが「裏」に関わっていることに気づいていた。

 さすが、闇で半生を過ごした女だ。


「手を汚すことについては、問題ない。もともと汚れ切った体なのだ。ヒロは自分が絶対に守る。……だから、貴方もアッシュも、死なないでほしい。ヒロが悲しむのも見たくない」


 一方のレインも、現状どこまでシーナが暗躍してるかは聞かないでおくことにした。彼らが正義なのか悪なのか、操り人形として生きてきたレインにはわからない。


 ただ、死なないで。

 それを悲しむ人が、傍にいるから。


「当然。あたしを誰だと思ってるのよ」


 艶っぽく微笑んでいうが、「ならいい」と顔色変えずに言う堅物には、サービスの無駄だった。

 これじゃあ意味ないじゃないとは思うも、胸の谷間に手を突っ込んだ。


「あと、気休めなんだけどね」


 胸から取り出したのは、手のひらに収まるサイズの卵型をした物体だ。上部に設置された通気口みたいな線の穴と、中央下部のボタン以外は特に機能もなさそうな代物。


「なんだこれは」


 レインはいちいち、なぜこんなものを胸の谷間に入れていたかなど問わない。レインもシーナほど、いやそれ以上の肉塊を胸元にぶら下げているのだ。そんな無粋なことを聞くはずがない!


 だから、取り出されたもの自体に興味がいくのは自然なこと。


「これはね、肉声反応する防犯用グッズよ。普通は紐を引っ張ったりするタイプが多いんだけど、これは合言葉に反応するようにできてるの。起動させたら、あたしの携帯念話ケイタイに連絡が来るようになってる」


「なるほど。肝心の合言葉は?」


「お姉ちゃん助けて」


「は?」


 レインはつい、間抜けな声を出してしまった。


「お姉ちゃん助けて、よ。それが合言葉」


「…………わかった。お姉ちゃん助けて、だな」


 ようやく事態を飲み込み、素直にレインは頷く。


 この女は意味もなく戯けたことを言うのが好きなのだと、短い付き合いでも知っているのだ。


「あたしも忙しい身だけれど、……それが発動した時だけは、何を置いても駆けつけると約束するわ」


「それはわかった。が……意味など必要ないとはいえ、もっと他の合言葉はなかったのか?」


「もう取り消しはできないわよ」


「……そうか」


 レインはめんどくさくなって、深く突っ込まないことにした。


 と、

 シーナの胸元が青白く発光し、振動する。


「あら、誰かしら」まるでポケットみたいに胸元を利用するシーナは、携帯念話を取り出して耳に当てる。「もしもーし」


 最初、適当だったシーナの表情が、段々と真剣味を帯び始める。


「ええ……、なんですって⁉︎ 腹に風穴⁉︎ ちょっと大丈夫なんでしょうね⁉︎」


 いつもの余裕を放って荒ぶり出した艶女をレインは澄ました顔で見つめていたが、内心では気が気ではない。すでにいつでも動ける心持ちであった。


「……なら、いいわ。とりあえず今から行くから。え、定時報告? そんなのアッシュがやってくれてるわよ。じゃ、後でね」


「今回は、遅れを取らないぞ」と、シーナが会話を終える頃にはレインはすでに上着を羽織っていた。


「準備がいいこと。——行くわよ」


 白黒の衣服をはためかせ、颯爽とログハウスを出て行くシーナ。

 レインもすぐさま後に続く。


「ねえ、烈風かぜに乗っていくつもりなんだけど、本気出しちゃっても大丈夫?」


「問題ない」


 まったく迷うことのない返答に。


「最高」


 シーナは軽くレインを抱きかかえると、夜の風に流れていった——。



 その光景を、は視ていた。


 首都アドベントの端から端までを見渡せる性能の望遠鏡を使えば、人間一人の表情でさえ容易に見て取れる。

 王は、「烈風の魔女ブラスト・ウィッチ」シーナ・シルヴァレンが動いたとの報告を側近から受けた。かの魔女には十分な心の傷を与えたつもりだったが、調子を取り戻してきたらしい。


 彼女を観察していたのはあくまで気分だ。

 別に、いちいち監視するほどの存在でもない。本当に邪魔になれば、少し手間はかかるだろうけど消せる、そんな存在。

 ただ、この国で二番目に強い人間である。

 広報、名声、しがらみ。まだまだ利用価値はある。


 ……実際にそんな代替が利く女よりも、王は「もう一人」に注目していた。


「ようやく見つけた……」


 まったく、こんなところにいたとは。いくら国外を探してもいないはずである。

 灯台下は闇というわけだ。


戦姫ヴァルキリーの写鏡、いや、逆か……」


 どっちが上か下かは、大した問題じゃない。

 流れる「血」こそが重要。


「俺の感だと、彼女が本命かな」


 そろそろマッドから戦姫の実験データが送られてきてもいいはずだが……また夢中になりすぎて忘れている可能性も十分にある。


 ……と、傍のモニターに馴染みのある顔が映った。


「どうした、ペトラ?」


『お休み中のところ失礼致します。ブーストマン計画の経過について、緊急でお耳に入れたいことが』


「なんだ、トラブルでも起きたのか」


『被験体Bが何者かによって奪取されました』


「……! ついさっきか?」


『はい。先ほど、マッド様ご本人から連絡がありました。大変、落ち込んでおられます』


「奴のメンタルはどうでもいい。必要データは取れたのか、それが重要だ」


『これだけは伝えてほしいと仰られていました。『彼女はちゃんと悪魔の血をついでるよ』と」


「———。そうか、やはり……間違っていなかったか」


 画面に映る女の言葉を聞いて、口が裂けるような笑みを浮かべた王。


『被験体Bについてはどう致しましょう。必要に迫られれば我らで追跡・捕縛しますが……』


「いや、別にいい。目的を果たした以上、逃す理由もないが捕らえておく理由もない。……それにもう、後なら、そいつの命は吹けば飛ぶ」


『承知いたしました。それでは、失礼いたします。——良い夜を』


 プツン。

 映像は途切れた。

 アドベント主城最上階。王の間でくつろぐ儚げな美少年は、宙に伸ばした手を強く、握りしめる。



「会いたいな、レイン」



 ——アドベントの「闇」は、さらに加速する。



 オレが目を覚ますと、眼前には見知った天井が映し出されていた。


 何か薬を打たれているのか、体が非常にだる重い。腹部がズキズキと鈍く痛いので、傷跡のせいでないことは確かだった。


 というか、


「痛ぇ……」


 意識がはっきりしたことで、鈍痛を最大限に実感してしまう。かといって起き上がることもできないのだから溜まったものではない。


「ジェーンさん……はいないのか」


 キョロキョロと見回すが、変な口調の陽気なお姉さんの姿はどこにもなかった。

 このまま耐えておけとは、酷な話である。どうにかして連絡を……と踏ん張るが、薬の力には敵わなかった。

 たしかマスイ? とか言ってたっけ


「病人は大人しく寝とけ」


「……⁉︎」


 聞き覚えのある声に飛び起きる(勢いで目を開く)。


「正面だ」 


 ギリギリ、見えた。


 不貞腐れたような表情のニアが、椅子にもたれかかる形でオレを眺めていた。いつものコート姿ではなく、自分と同じ碧い病衣だ。……胸の起伏は……ないに等しかったが。


「……ニア? そんなところで、何を?」


「暇潰し」


「暇潰し……か」


「そうだ」


 答えながら立ち上がって、オレの横へとニアは移動してくる。


「そのけったいな首の動きを見るに、起き上がれないのか?」


 そして、変な笑みを浮かべた。


「見ての通り。前にも体験したけど、痺れで全然体が動かねえ」


「ったく、情けない奴だな。こういうのは気の持ちようだ。強い意志で、ほら!」


「言ってること無茶苦茶じゃねえか! んなこと言ったって、起き上がらねえもんは起き上がらねえよ」


 指の感触さえ曖昧になってしまっているのだ。


「じゃあ、手を貸してやろう」


 と、いつの間に取り出したのかニアの手には、人間の体を開く時——「手術」ともいうらしい——に使うような小さな刃物が握られていた。

 なぜそんな物騒なもんを、と問いかける前に、薄く肉を切り裂く狂気がオレの足元に振り下ろされる。


「おわああぁっ!」


 オレは醜い叫び声をあげて、たっぷり三秒間経ってから、自分がベッドのヘッドボードへ張り付いているのを認識した。


「な? できただろ?」


「っ、何考えてんだテメェは!」


「目覚ましの手伝い」


 オレの気勢を涼しい顔でニアは流して、ベッドの下中央——おそらく足があった場所を割るど真ん中から刃物を抜いて、器用に手元でくるくる。


「ジェーンさんに怒られても知らねーぞ……」


 あの凄腕治癒術師、腕は確かだが銭には非常にがめつい。以前厄介になった時から、身にも財布にも沁みている。


「入院費用はとっくに全額、前払い済みだ。二人分……というより、主にアンタの分をな」


「そりゃまた準備のいいことで」


「状況が状況だ。当然だろう」


「……ってことは、お前はとりあえず無事なんだな」


 こうまでいつもの調子を取り戻しているということは。


「まぁな」


 小さく。無理やり流すような感じで。

 素直な言葉が出てこないところはどこまでも「彼」らしい。


「そっちこそ、ぶっ倒れたことは頭から飛んじまってるようだな」


「ぶっ倒れって……まずい。記憶にねえな」


「どこまで覚えてる?」


「屋敷を脱出して、それで、お前の家まで送り届けたとこくらいか」


「なら正常だ。人ん家の軒先で倒れたこと以外はな」


 どうやら今回は無事、記憶を持ち越せたらしい。


 よかった。もっともあの後、狂気のセカンドステージなんて始まっていようものならオレの体は持たなかっただろうが。


「にしても、ジェーンさんとお前に繋がりがあったとはな」


 おかげでより適切な処置ができたことであろうと思ったが、


「あるわけないだろう。近場の治療院に運ぼうとしたところを、あのスカした茶髪が掠め取ってったんだ。『殺す気か』、ってな」


 どうしようもないという感じの声をしたニアだが、こちらとしては肝の冷える話だ。それだけやばい状態だったのだろう。自分で思っていたよりも。


「ま、結果的に生きてるんだからいいか。二人ともな」


 そう。無事に、五体満足に帰ってこれた。

 それだけでも今は、喜ぶべきだ。


「結果ね……。結果結果、豚のクソ計画の顛末について、話とくか」


「ブーストマン計画ってやつか。……っ、そういえば地下に閉じ込められてたっていう子供たちはどうなったんだ?」


「じゃあまず、そこから話そうか」ニアは弄んでいた刃物をピタリと止めて、「あの屋敷にいた金髪の女って言って、アンタわかるか?」


「ああ、派手なドレスの女だろ?」


「そうだ。アイツとアンタの親友が、地下でかち合ったらしい」


「そういやたしかにアッシュも、そいつを知ってる風だったな」


「で、子供たちをどうしたって聞いたら、なんとまぁ、全員親元へ送り返したと答えたんだと。実際に屋敷を出た後、確認したそうだが、二一人、一人残らず帰ってきたってよ」


「……、わけわかんねーな」


「当時の記憶を失っている以外は心身に異常もないみたいだし……、おれが言うのもなんだが——なんのための計画だったんだか」


 わざわざ彼女たち自身が計画用の子供たちを攫っていたという。

 いくら守護者アテネポリスを丸め込んでいたとはいえ、一定のリスクは付き纏うはず。そのリスクを冒してまで捉えた子供たちサンプルをあっさり手放すとは、わからない。



『地獄にも花が咲いてたってだけだ』



 アッシュは確か、そう言っていた。

 良心の呵責か。罪滅ぼしか。それとも単純に命惜しさか。

 幻想投影クリエイターを助けにきたことといい、一概に悪と断ずることもないのかもしれない。


「でもまぁ、計画が全面凍結したことは間違いない。実験協力の報酬とアフターフォローは一切ないが、バラバラにされずに済んだことを今は喜ぶべきかな」


「ということはニアも……あー、メア、だったか? メアの体にも、なんの異常もなかったってことだよな?」


「……そうだ。そう聞いてる」


「何か変なことをされたとかは?」


「覚えてる限りでは、特にないらしい。強いて言えば、血液を多めに取られたとは言ってたが……まぁ、ヤブ治癒術師からオールグリーンが出てるから、大丈夫だろう」


 律儀に答えながらも他人事風な態度に、つい笑ってしまいそうになる。

 今、「彼」の顔色はどうなってるのだろうか。明後日の方向を向いているのでわからないのだけど。


「メアには一つ、謝らなきゃいけないことがあるんだけど、伝えといてくれるか。殴っちまってすまんって」


「殴った?」


「いやほら、アイネを運んでる時、ちょっと揉めたろ。お互い殴り合いになって……」


「え、あー……、そういえばそれも聞いたな。急に殴ってきたとか言ってた」


「そう、それ。直接言えたら良かったんだけどな」


「……そんなにメアに会いたいのか」


 ニアが、消え入りそうな声で呟く。


「会いたいというか、いろいろ不躾なことしたし一度……って、ニア?」


 と、話の途中で自然に部屋を出て行こうとしている。


「た……たまたま、じゃなくて、メアもこの治療院で治療を受けてる。そうまで会いたいなら、合わせてやるよ」


「ちょ……」


 返事は、無機質な扉の開閉音だった。

 相変わらず話聞かねえ奴だな……。メアの方とは、どう話せばいいかわからんのに。


 待つこと数分……。ガチャリ。


「お見舞いってやつに来たわよ」


 今度は、「少女」がやってきた。

 先ほどの「少年」と顔から服装まで一緒だが、纏う雰囲気は全く違う。それはそうとして不思議なのが、胸元に変化があることだ。

 突っ込めないけど、気にはなる。


「なによ……だらしなく口開けちゃって。アンタが会いたいっていうから、わざわざ来てあげたんだからねっ」


 ズンズンと近づいてくる少女の足取りは、言葉とは裏腹に軽い。


「にしても暑いわね、ここ。陽が差してるし、窓開けるわよ」


「いいぜ」


 しかし、どこまでもふざけた作劇だ。

 けど、オレも道化を演じたことのある身。舞台に上がるのも一興だった。


 両開きの窓が開くと、外の空気がいっぺんに流れ込んでくる。風が強い日だったのか、病衣をめくり上がらせるほどに。

 オレの視界に、柔肌に彩られた墨が、一瞬だけ映る。


「……見えた?」


 振り返りつつ、はだけた病衣を整える「彼女」。なんでもない風だが、今まで肌を晒すことを拒否し続けていたことが全てを物語っている。


「ほんの少しだけ」オレは正直に答えた。


「まぁ、一回見られてるし、何回見られたところで一緒よね。もうちょっとの辛抱だし、いいわ」風で流れる髪に「彼女」は手をやって、「で、兄ぃから聞いたけど、どうしても私に話したいことがあるって?」


「一応、殴ったのを謝っとこうと思ってな。喧嘩だっていえば、お互い様だけど」


「それがわかってて、なんでアンタは謝るのよ。……私の性別のせいってんじゃないでしょうね」


「違えよ。あれは自分のことしか考えていないオレの、八つ当たりだったんだ。半分も年下のアイネに諭されて、ようやく気づいた。だから、『ごめん』だ」


「なんかよくわからないけど、アイネは賢いのは同意。『メアという妹がいる』、ってことにも、気づいてたみたいだし」


「はっ……そこまで気づいてたのか、あの子」


「知っていた、よ。ついでにその両親もね。やっぱダメね、家族に隠し事は」


 家名はないと言っていたはずなのに、「家族」という言葉を使っている「彼女」。

 やはりどこまでも素直ではないのだ。もしくは遠慮か。

 どっちにしろ羨ましいな、とは思う。


「こんなこと言う義理はないけど、大事にしろよ。家族。オレもちょっと話しただけだけど、すっげえ良い人たちだった」


「ほんと、アンタに言われるまでもない……むしろ、こっちが言ってやりたいわよ。あんな、無茶な戦いして……普通に死んでもおかしくなかったんだから」


 オレの体に残った傷は、治すどころか消せてしまうものだ。

 偶然、幸運、治癒術師の腕によってか、元より綺麗になったぐらいである。


 けど、それは命があったから。傷は戻せても命は戻せない。



『生きとるんやったら、どうにかしたる。完璧に元へ戻したるわ。——でもな、魂を受け止める器が壊れてしもたら、もう終わりなんや』



 ——目が覚めた時、ジェーンから聞いた言葉は。

 この世の誰もが知っていて、実感する時には遅すぎる話だった。


「アンタの友達だか家族だか知らないけど、あの馬鹿乳女。ここまで運んできたアンタを、血相変えて奪い取ってったんだから。生きてて良かった〜、ってね」


 自分の胸部をさておき、「彼女」の中でその呼び方は決定しているらしい。


「そう考えると、謝らないといけない人はいっぱいいるな……」


「……ねえ。これ、聞いていいのか微妙なとこなんだけどさ、アンタの親って、もう亡くなってるのよね」


「ん……ああ、レインから聞いたりしたか?」


「まぁね、そしてもう一つ質問。アンタの苗字、『キサラギ』っていうのね?」


「そうだけど」


「で、……父親の名前がカイト」


 ああ、とオレは頷く。


「…………はぁ。偶然ほど怖いものはないわね」


 軽く天井を仰ぎ見て、メアは言う。

 心から面白くてたまらないと、そんな顔で。


「知り合いだったのか?」


「そうねー、アンタに言うのはおかしな話なんだけど、あたしのお父さんって感じかな」


「……はあ?」


 戸惑うオレに、「彼女」は「過去」を話してくれた。

 なんだかいろいろと省かれてそうな部分はあったけれど、父との出会い、そして彼の死に様について、知りうる限りを語ってくれたのだ。

 ほかの誰でもない、アンタだけは知っておくべきよ、と。


「だからね、あの溟海アクアは元はと言えばアンタのものなの。あたしは預かってただけで、手順は違ったかもしれないけど、ちゃんと元鞘に戻ったのよ」


「あの剣が、母さんの……」


 もはや名前でしか知らない存在になった、両親。

 「剣」と「技」で繋がっている父親に対して、母親は本当に空白の存在だ。全くもって、思い入れというものがない。

 でも、興味がないわけじゃないのだ。

 ただ、昔使っていただけの武器だとしても、それは紛れもなく母の形見なわけで——。


「ようやく荷運びから解放、ってね」


 めちゃくちゃな嘘だったけれど、「彼女」は、なんだか晴れた気分だった。


「にしても、ちっちゃい癖に豪快な人だったわよねー。腹が減ったら剣が振れねえとか言って、三食ばかばか食べてたし」


「……なんかすっげえ、懐かしく感じる言葉だな」


 オレからすれば。

 どこか遠く、霞がかかっているのだけど、そんな言葉を聞いた気がする。

 とてもとても、よく耳にしていた。


「変な言い回しね。アンタにとっても思い出深いんでしょ?」


「…………いや、まあ……、お前には言ってもいいか」


 今度は、オレが語る番だった。

 レインとの出会い。ノールエスト国王の暴虐。戦争の終結。

 そして記憶の、喪失。

 多くは語れないけど、だからこそ全部。


「そんな秘密、私なんかに聞かせてよかったの?」


「オレも、お前の秘密を知っちまったからな。お互い様だろ」


「ひ、秘密なんかないわよ。どれよ」


「さあ、な。オレの思い込みかもしれないし、気にすんな」


「……、誰かにバラしたらどうなるか、わかってんでしょうね」


「言わない。約束する。なんのことかわからないけど。それよりもさ、『オレたちの父さん』のこと、もっと聞かせてくれよ」


「ったく……私の話は、結構長いわよ?」


「いいぜ。茶菓子は奮発してやる」


 レインが腐るほど持ってきたしな、と。

 お互いの間で……小さく笑いが起こる。

 こんな普通に笑い合える日常が帰ってきたのが、嬉しい。きっと今、オレたちの中にあるものは一緒だ。


「ねえ」ひどく整った流麗な眼が、オレを見据える。「しつこいかもしれないけど、もう一度聞かせなさい」


 「彼女」はスッと息を吸って。



「——ニアを助けてくれたのは、なんで?」



 その言葉にちょっとだけ考えはしたが。


「仲間だから」


 同じことを、やっぱりオレは言った。


「そ」


 予想していたし、的な声を出した「彼女」だったが、どことなく不機嫌になったような気がした。何か別の言葉を期待していた、みたいな。


 オレが言葉を重ねる前に、唇に人差し指が突きつけられる。


「そーいえば、兄ぃが、アンタに伝えときたいことがあるって言ってたわね」


 思い出した風に、わざとらしく——「彼女」は言った。













「——アンタ、奴隷失格だってさ」






                    Fin


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