幕間 「自由になった少女《The girl Became Free」

 むせ返るような男の臭いに耐えきれなくなって、私は渋々と目を開けた。

 視線の先には薄板を貼った天井。ただしあまりにも近い距離。違う。これはなんだ? 

 記憶が混濁している。たしか私は自由を手に入れて……、そうだ。私は腹が減っていたのだ。ベタつく食べ物を口にしたところまで、思い出して。それから自分の新しいご主人様のことを思い出した。

 体を起こすが、狭っ苦しい空間ではごつんと頭をぶつけてしまう。

 仕方ないので明るい方向へ這っていく。さっきから下品で大きい笑い声ばかりが耳に届いていた。

 顔をひょっこりと出せば、全ての視線が私に集中するのがわかった。


「おっ、美少女。目ぇ覚めたか」


 いの一番に、ご主人様が声をかけてくる。


「……た」


 何か言おうとしたが、喉が絡まって声が出ない。


「おいおい、女の子ビビってんぞ、リーダー」


「下心バレたかー?」 


「うるせぇ! テメェらの悪人顔よかマシだよ」


 周りのヤジに怒鳴り散らしてから、私より歳上にしか見えない男は、姿勢を下げて目線を合わせてきた。


「なぁ。お前、腹減ってない?」


「減ってる」


「だよなぁ! あんなクッソまずいパン、ガッツガッツ食ってたもんな! おい、バルガ! 食糧庫からなんか掻っ払ってこい! できれば肉!」


「無茶言わないでください。下手すりゃあ、撃ち殺されちゃいますよ」


 バルガと呼ばれた小柄な男が、俺ぇ?とばかりに自身を指差している。


「あんなウスノロ兵士に見つかるタマじゃねえだろ、お前。あー、わかった。地元帰ったら村の女紹介してやるから。潮風で育った女はいいぞー?」


「あんたそれ言えばみんなが言うこと聞くと思ってるでしょ。まあ、行きますけど」


 行くのかよ!という周囲の笑いを受けつつ、小柄な男は薄茶色の布を蹴散らして外へと出ていく。ここはどうやら、巨大な天幕の中のようだ。


「ちょっと待ってろ。うめぇもんいっぱい食わせてやるから」


 と、その小柄な男よりも小柄かもしれないご主人様は、ニッと笑う。


「あ……どうして、」


「『おおっ⁉︎』」


 私が初めて言葉らしい言葉を喋ったからか、一気に注目が集まる。

 ……大勢の人間に囲まれるということ自体経験ないことだったから、言葉に詰まる。それを察してくれたのか、威圧を解くように手を払ってくれた彼に対して。


「……ご主人様は、どうして私を助けてくれたの?」


 私が真剣に思った一つの疑問に、空間が一瞬だけ固まる。

 そして、その直後、一気に爆発する。


「ぶっははははははは‼︎ ご、ご主人様⁉︎ リーダー、すでに手篭めかよ!」


「どんな鬼畜プレイしたんだ。このロリコン変態ドS野郎!」


「うわー、いきなり連れ帰ってきた時から怪しかったけど、正直引くわー」


 皆、一様に私の台詞に対して反応している。

 なぜだろう。主人と奴隷の存在が、ありえないみたいな言い方じゃないか。

 周囲の男の一人が「可哀想に……」などと頭を撫でてくる。ウザい。


「違う違う! ガウル、その気持ち悪い演技はやめろ! 何もしてないって、本当に! ていうか何言ってんだお前⁉︎」


 そして、一番動揺していたのは、当のご主人様だった。

 余計にわからない。


「何って、……施しをしてくれたじゃない。…………あ、いえ、施しを下さりましたので。御恩をお返しできるよう、精一杯、奉仕させていただきます」


 もしかして敬語じゃなかったのがいけなかったのか。それなら納得がいく。元ご主人様に対しては反抗的な態度ばかりだったので、ついその癖が出てしまったのだ。


「うおぉ……なんか、プレイってよりガチな感じするぞ」


「リーダー……あんた、妻子がありながらこんな若い娘に本気で……」


「だーかーらー、知らねぇっての! おい、美少女! あんま適当なことばっかり言うな! オレの名前はご主人様じゃにい!」


 親指で自信満々に胸を張るご主人様は、どうしてか顔がみるみる赤くなっていく。


「あ、噛んだ」


「動揺してる」


「いっつも大事なところで噛む」


 それでも結局彼は、冷やかしらしき声を無視して、



「オレは、カイトだ」



 私の目を見て、まっすぐ。


「はい、カイト様」


「違う。カイトだ」


「カイト」


「そう、そうだ。様なんてつけるな」


「かしこまりました、カイト」


「……なんか違うけど、とりあえずいいや」カイトはこめかみを指で掻いた後、「それで、お前の名前は?」


「…………」


 名前。……名前。

 もちろん意味はわかる。個人の識別するための呼び名だ。けど、私が知っている私の呼び名は、「名前」ではなく、おそらく「記号」。


「二二番です」


「二二番?」


 意味不明という反応をされる。やはり間違っているらしい。


「いえ、なんでもありません。私の名前は……」


 ない、と言った方が話が早いのだろうけれど。

 二二番という「記号」を捨てた今、どうにも疼くものがあった。



『**』



 顔も忘れてしまった、けど、暖かな笑顔。



『**』



 名前というものを呼んで。



『ニア』



 血みどろの体を抱いて、


「愛してる」と、彼女は。



「——ニア、です」



 忘れていたそれを、思い出す。

 彼女が何者なのか、母親なのか、知る術はない。

 彼女はもうきっと、この世界にはいない。

 だけど、もらった永遠なまえは受け取っておこう。


「ニアか。スッキリしてて、いい名前だ」


 カイトは、にかっと笑って私の頭に手を置いた。

 線の細い体のくせに、その手はかなり大きく感じた。



「よろしくな、ニア」



 私のご主人様、改めカイト。

 彼と、彼の仲間たちは傭兵だ。隣の大国レムナンティアとの戦争に駆り出されているらしい。敵の派兵を退けた帰り道、行き倒れている私を拾ったのだそうだ。

 初めの二ヶ月は泥臭い野郎共と寝食を共にし、最低限の脂肪と筋肉を取り戻した。 

 傭兵たちは定期的にミュール森林前街道(私が逃げ出してきた方角であるらしいプリスト領付近)まで戦闘に駆り出されてはいたが、基本的に雑で気さくな彼らが戦いの中に身を置いている人間とは思えない。

 傭兵とは見事に男ばかりなようで、皆、私に対して、華がある、見てるだけで癒されると、持て囃してくれた。だから、普通に輪姦まわされたりするのかななんて思っていた。

 が、無駄に声をかけてくるところがウザかったとはいえ、まるで……友達(知識の上ではそうとしか呼べない)みたいで。

 カイトは、そんな男たちをまとめるリーダーだった。

 傭兵は国の兵士と違って明確に組織化されているわけじゃないが、彼が勝手にまとめて、勝手にリーダーになったようだ。

 不思議と彼には、人を惹きつける魅力があったらしい。

 傭兵たちの中で誰よりも小さいのに。

 誰よりも強く、美しい。

 かっこいいなと、そう思った。

 ただ私は、一人では広すぎる天幕の中でぼーっとしていただけだったけれど(私が使っているベッドはカイトのものだ)、それでも、彼が帰ってくるのをいつのまにか心待ちにしていたほどで。

 たった二ヶ月の短い期間でも、むさ苦しい男たちの空間は、十分に自分の居場所として馴染んだ。


 ただ、平穏な時は続かない。


「——撤退だ」


 いつにも増して赤い泥だらけになって帰ってきたカイトは、私の顔を見るなり言った。


「何かあった?」


 私は気軽に、そして気さくに尋ねる。私は彼らの友だと言われたから、変な気遣いは無用だと言われたから。


「戦線が後退してな。プリスト領はもう、敵に落ちたも同然だ。下手に抵抗した領主もぶっ殺されたらしい」


 えらく無表情で告げるカイトに、私はどんな顔を返したのだろう。

 ……そうか。あの醜い豚は死んだのか。今のご主人様はカイトであるからして、別にどうでもよかったのだが、それはそれとして奴の醜悪な顔は忘れようにも忘れられないのだ。


「負けたの?」


「まだ、負けてない。だが戦争ってのは一人でどうにかなるもんじゃねえからな。オレの全盛期ならともかくよ」


 今までないことが当たり前だった、左腕がの空間をポンと叩いて、彼は白々しく笑う。

 無理やりな笑みだとわかった。


「……ねえ、バルガとガウルがいないんだけど」


 そんな小さな違いより気になったことについて尋ねる。

 三〇人余りの小隊。全員が全員、ちゃんと話したわけじゃないけれど、名前と顔くらいは覚えている。増してや今挙げた二人は、よく私に絡んできた方だ。


「あー、あいつらはちょっと上に報告に言って——」


「その二人は死んだよ」


 カイトの横で、テリーが言った。たしかガウルと特に親しくしていた男だ。


「おいお前、」 


「隠しても意味ねえだろ、リーダー。ニアもあいつらと知らない仲じゃねえし、何も知らない子供でもねえ。ちゃんと知っとくべきだ」


「……そう、死んじゃったんだ」


 なんとなく、雰囲気的には察していたが。でも本当にひょっとしたら、ちょっと別のことをしていていないだけかもしれないし、そうだったら悪いと思って聞いただけだ。


「悪ぃ、ニア。どうにもお前のこととなると慎重になっちまう」


「あんたは過保護すぎだ。……それはそうとニア、この陣地からは今すぐ撤退しなきゃならん。動けるか」


「ええ、いつでも行けるわ」


「何度も言うが、他に行くとこはないんだな?」


「ないわよ。ここで死んでもそれまで」


 本当にしつこいくらいに問われた質問に、同じ答えを返す。


「よし。じゃあこれを被っていけ。偉いさんたちはどうせ、オレらの顔なんて覚えてないからな」


 マックスが言う。バルガと二人、よく喧嘩していた男だったはず。


「これは……バルガの?」


「ああ、ちっとボロボロだしお前には大きいかもしれんが、使ってやってくれ」


「うん」


 私は、年季の入った深緑のロングマントを羽織った。


「お前は絶対、死なせないからな」


 カイトがぽつりと言って、私の肩を掴む。


「え……」


「リーダーは自分の子供と重ねてんのさ。しっかりと守られてやんな、ニア」


 テリーもカイトの肩を掴んで言う。

 カイトの子供。息子がいると、本人からうるさく聞いてはいたけれど。

 見たこともない同年代の男なんて、正直知ったことではない。

 でも、初めて興味を持った。

 カイトの中で、そいつと私の差はどれくらいなんだろう、と。



 プリスト領近辺から撤退し、王都へと帰還した王国軍。それに追随した傭兵隊には、軍の兵舎の一角が貸し出された。

 一角とは名ばかりの離れだったが、一個小隊規模が過ごすには十分な広さである。

 リーダーであるカイトには、仲間からの厚意によって一人部屋が与えられるも、本人は落ち着かないなと話していた。もっとも、私もそこに住むことになっていたので、何も言うことはなかったが。

 むしろ、なぜここまで私のために尽くしてくれるのかが気になる。

 だから聞いた。一度目は、はぐらかされてしまったから。

「なんで、私を助けたの」と。

 けれど、見惚れるような流し目を向けた彼は、「なんとなく、放っておけなかった。それだけだ」と、そう言った。

 結局、二度目もはぐらかされたのだった。



 王都に移ってきても、私にとっては変わり映えのない日々が続いた。

 たまに、思いっきり馬鹿騒ぎして。

 たまに、戦場に飛び出して。

 たまに、誰か帰ってこない。

 兵舎の離れで過ごすようになって、三ヶ月。

 三一人いた傭兵隊は、二〇人を切りそうになっていて。


 今日も、一人帰ってこなかった。


「マックスが死んだ」


 雨に濡れた瞳で、カイトはそれだけ言った。


「そう……」


 私は答える。いつも通りに、表情を殺して。

 ただ、壁にかかったロングマントを見た。

 バルガが、ひいてはマックスが託してくれたものだ。ずっとずっと、出かける時は使っている。


「……お前、泣いてるのか?」


「え」


「いや、今のはオレが悪かった。それが普通だ。なにもおかしくない。泣くなんて、普通のことなんだ」


 カイトの言っている意味がわからない。

 泣く、とは。涙が出るということか。

 そんな経験などついぞしたことが……、

 ぽたっ。

 擦り切れたぶかぶかのズボンが、ほんのわずかに滲んだ。ぽたっ、ぽたっ。続いて二滴。


「あれ……、これが、泣く?」


 私は生まれて初めて、

 感情が爆発したというわけでもない。心は冷静だ。でも、体が、目元だけがいうことを聞かない。

 とめどなく溢れるものが。


「人は、なんで泣くの? カイト」


「嬉しい時、悲しい時、なんでもない時、どんな時でも、泣く時は泣くよ。人間はそうできてる」


「じゃあ、私は人間?」


「間違いなくな」


 ただ、男は女を泣かせたらいけない、と言った。

 絶対に、と。


「マックスには妻がいた。帰ってこないと悲しむ人がいた。だから奴は、死んじゃいけなかったんだ。……死なせちゃあ、いけなかった」


 固く、カイトは言う。

 でも、私にはわからない。悲しい、はわかる。

 でも、


「女は違うの? 女は男を泣かせてもいいの?」


 私の疑問に、彼はフッと笑う。


「そういうことじゃ、ねえよ。——だけど大切な人を悲しませるのは、大抵、男の方なんだ」

 

 私は、強くなりたい、と言った。

 なんでだ、と聞かれた。

 泣かせたくないから、と答えた。

 誰を、と言われた。


 わからない、でもその時が来ても大丈夫なように、と私は言った。

 わかった、とカイトは約束してくれた。



—————————————————————————



 あれから私は、カイトに師事した。

 彼が持ちうる戦う術を、出来うる限り吸収しようともがいた。

 やはり「武器」を扱うことに関してはそれなりの才能があったらしく、一月もしないうちに様になった。そんな私が、いかにして一振りを早くできるかについて試行錯誤していた時だ。


「図書館に行くぞ」


 突然、カイトは言い出した。


「急に何言ってんの」


 滴る汗を拭いつつ、意図を問う。ボケっと寝っ転がっていたのに、急に起き上がったかと思うとこれなのだ。


「お前、文字の読み書きできないだろ」


「ええ。あいにくお勉強をできる環境で育ってないから。カイトの言う一般常識だって、やっと覚えてきたところなんだから」


「非常にまずい問題だとは思わないか?」


「全然。ペンを持たなくても生きていけるわ。文字で空腹は紛れないでしょ」


 花より菓子という言葉を教えてくれたのは、カイト自身ではないか。


「それは甘い考えだぞ、ニア。この先、どうやって生きていくにしても、書面でのやりとりってのは絶対にある。そん時、文字が読めなかったらどうなる? 大人しく騙されるか?」


「そんなの……カイトがやってくれればいいじゃない」


 少なくとも私は、物事を適切に判断する力を持ち合わせていない。いざとなったら力ずくでどうにかしてやれと考える程度の頭だ。

 カイトは私のご主人様なのだから。獣を手名付けることを選んだのだから、捨てるまでは、責任を持ってもらわないと。


「お前な……」けれどなぜか、カイトは呆れたような表情で、「あー、いや、そんな生き方しかしてこなかったんだもんな。無理はねえか」


「私がカイトの武器になって、代わりにカイトが私を飼う。すごく合理的な関係だと思うけど?」


「オレは納得いかねぇの。……というわけで、ニア! お前には文字を覚えてもらいます」


 私の目を見て、はっきりと、言った。

 こうなった彼は頑固だ。それこそ大人しく従うしかない。


「……私が出歩いて大丈夫なわけ?」


 私は傭兵登録すらされていない身。実際には今だって、外にいては怪しまれるので、修行は全て部屋の中で行っていたのだ。(ペットを隠れて飼うようなものだろうか。この場合、ペットはもちろん私自身なのだが)。


「前も言っただろ。偉いさんは、オレらの人数なんていちいち覚えてないって。いいから行くぞ。善は急げだ」


「わかったわよ」模造の剣を置き、深緑のロングマントを羽織る。「図書館って、本を借りるところよね。どんな本が置いてあるの?」


「いろいろだぞ。異形ヴァリアの図鑑だったり、宗教の聖書だったり、ちょっとエッチな本とかな?」カイトはニヤッと口の端を緩めて、「言語学の本なんかもあるが、全く初心者のニアには難易度高いだろうし。無難に童話とかから始めないとな」


「童話?」


「子供でも読みやすい本のことだ。『裸のプリンス』とか、『空飛ぶ城』とかな」


「変なタイトル……」


「まぁな。でも、興味惹かれるだろ? 読んでみると、大人でも結構ハマるんだな、これが。ちょっとは興味出てきたか?」


「別に。ただ、行くのは行くわ」


 嘘だ。内容はともかく、本というもの自体には少し興味がある。かつての夢で見た、「お気に入りの本」にも出会えるかもしれないし。

 こうして。

 私は文字を学ぶこととなった。



 カイトとの日々は続く。


「服を買いに行くぞ」


「いらない」


「即答かよ。しかしな、ニア。一回自分のボッロボロの服を見てみな?」


「無理よ。この部屋、鏡なんかないじゃない」


「相変わらず連れねえなぁ」


 意気揚々と洋服店のカタログを持ってきたカイトを、私は三秒で撃沈させる。だって、めんどくさいのだ。


「私は十分、今の服で気に入ってるわ」


「そりゃ、体格が大して変わらねーオレの服でも間に合ってるんだけどよ」


 男としてはいささか小柄すぎるカイトのこと。出会ってから大して成長してない私ではあるが、もともと体格差なんてあってないようなものだった。


「それに、ニアちゃんにみすぼらしいカッコさせるなって、あいつらもうるさいし……ここはオレを立てると思ってさ」


 こういう時、私は必ずこう返す。


「命令なら命令って言えば。なら是非もないわ」


「ったく、お前。オレがしないこと前提で言ってんじゃねえのか? んじゃ、いいぜ。オレ一人で買ってきてやる」


「そう。好きにすれば」


「ただし! 覚悟しとけよ?」それこそ是非もないと適当に答えると、唐突に彼は声を大きくした。「オレにファッションの全てを委任するってことが、どれだけやべーことか、お前は知らねえみたいだからな」


「ど、どういう意味よ」


「言っとくがオレのファッションセンスは壊滅的だ。センスない、気持ち悪い、そんな針の言葉を嫁や仲間から飽きるほどもらった。そのオレが言ってるんだぜ、一人で買ってくるって」


「…………」


「お前、素材は一級品なんだ。メイド服! ロリータ! バニーちゃん! 冷たいニアにはボンデージが最適か⁉︎ さぞ男の願望が詰め込まれた衣装がやってくるだろうなぁ……。もちろん、オレだけじゃなく我らが仲間の意見も参考にさせてもらう! それぞれの思惑が合体したカオスな代物が出来上がるかもしれないぜ⁉︎」


「…………っ」


 説得……とはいえない、もはや脅迫の域の言葉を立て続けに喋り散らすカイト。その熱量に気圧されて、私は息を呑むしかできない。

 彼の言葉をとりあえず考えてみる。……自分の服装に大した執着はないが、着せ替え人形にされるとなるとより面倒な気がした。


「けど、ニアも一緒に行くってんなら話は別だ」私の思考がまとまるのを待っていたとばかりにカイトは、「お前が気に入ったって服を買ってやる。服じゃなくてもいい。アクセサリーでも、オモチャでも、今まで贅沢してなかった分、たくさん言え。予算の限りは叶えてやる」


「…………。……そこまで言うなら、行くわよ」


「おう、遠慮すんなよ」


 どうやら、服はとっかかりに過ぎなかったようだ。求めることをしない私に、与えようとしてくれているらしい。

 お節介だとは思った。でも、きっとカイトはそういうお節介な人間で、彼を主人と定めてしまったのも自分だ。


「……私も、服なんてどう選んでいいかわからないけど」


「なに。最悪、店員に丸投げすりゃあいい」


「じゃあ、意味ないんじゃ……」


「意味あるさ。着飾った奴は、男も女もそれだけで魅力が一〇〇倍増しだ。何度も言うが、お前、素材はいいんだからよ」


 魅力的。

 傭兵隊の男たちからは日々チヤホヤとされているが、それはあくまで女であるからだと思っていた。異性だからと。実際に今も思っている。


「着飾るって、難しい」


 ふと、思いがそのまま口に出てしまう。

 それを聞いたカイトは、何でもないことのようにこう言った。


「深く考えなくていいさ。自己紹介みたいなもんなんだから、自信持って堂々としてりゃいいんだよ」



 日々は続く。


「うっ…………。なんでいつも、朝からこんな量を……」


「こんな量って、朝食だぞ。一日分のエネルギーを最初に取らないでどーする」


「だからって……」


 私は、テーブルに並べられた大ボリュームの朝食に辟易していた。いつも通りではあるのだが、昨日の実戦に近い訓練(カイトと真剣で丸一日、斬り結んだ)の疲れが残っているからか、食指が重い。


「朝に無理やり食べなくてもいいじゃない……。あー、吐きそう」


「そりゃ無理はしなくてもいいぜ。特に女だったら、体重とかスタイルとか、色々あるらしいからな」


 ベルも体重めちゃくちゃ気にしてたしな、とケラケラ笑って。


「でも、そうできる環境があるんなら、一日三食、きちんと取っとけ。特にニアみたいな成長期、ちゃんと食っとかねーとオレにみたいになっちまうぞ?」


「……じゃあ、食べるわ。食べて食べて、強くなってやる」


 なんて効果的な脅しだろうか。体づくりが大事なのは認めよう。

 何より私は、もっと身長が欲しいのだ。胸はもう頼むから大きくならないでほしいけれど。


「おう、頑張れ!」


 私が初めて食べたパンに不味そうにかぶりつきながら、カイトはグッと親指を立てた。



 日々は——。


「なぁ、ニア。お前は何色が好きだ?」


「いきなり何?」


「なんとなく。いいから答えてみろよ」


 ベッドの上、ベッドの横、視線を合わせず、けれど当たり前の距離感で私たちは言葉を交わしていた。


「赤、かしら」


「理由は?」


「なんでかしらね。強いて言えば、血の色に似てるからかな。血って、とっても綺麗じゃない?」


「…………」


「共感できないって感じね」


「いや! いいと思うぜ、オレは。そう、クールで」


 気まずそうな声が届いた。

 別に構わないが。血は、綺麗じゃないか。鮮やかでも、どす黒くても、生きてるという証だ。


「ならカイトは、何色が好きなのよ」


「オレは黒だ」


「黒? そういえばいつも、何かしらの黒い服を身につけてるわね」


「ああ。黒は信念の色なんだ」


「信念……」


「どんなピンチでも折れない、何色にも染まらない、そんな色だ。何かの本で読んだ聞き齧りの知識からだけど、なんでだか強く覚えてんだよ」


「私と違って、大層な理由があったのね」


「そりゃ皮肉か?」


「別に」


「そうかよ。まぁ、重要なのは理由なんかじゃない」


 オレが言いたかったことはだな、と。


「お前自身の好きな色が、お前にとっての信念の色だ」


 きっと、カイトは酔っていたのだと思う。

 度数の強い酒を煽るように飲んでいた。


 また一人仲間を失って、誰一人死なせないというそんな馬鹿みたいな信念を勝手に掲げて、一人、陰りに落ちて。


 そんな彼を、私如きが変えることはできない。

 でも、変えられなくとも。



「カイトが望むなら——私はずっと、傍にいるわ」



—————————————————————————



 私がカイトの元へ身を寄せてから、季節が一周しようとしていた。

 ちょうど戦争の方も、一周年を迎える頃合いらしい。

 傭兵隊の人員は、私が最初に出会った時から半分を割っていた。

 これはつい最近知ったことだが、彼らは戦闘力の高さを名目に何度も最前線に放り込まれていたらしい。彼らの一人一人が、かつて世界で名を轟かせた強者だったのだ。……ただし、引退した身である、という注釈がつくが。

 彼らは正規兵ではない。

 強い要請があったとはいえ、基本的には金で動く存在だ。

 強制的に戦地へ送られることはない。敵前逃亡をしたところで、追いかけられることもない。せいぜい、国に居られなくなるだけ。

 だけど、降りる者はいなかった。一人も。

 カイトだけじゃなく隊のみんなにも聞いてみたが、揃って出てくる答えが「故郷くにのため」だ。

 全くわからない。

 守りたい人のために戦う、というのなら理解できなくもない。ただ、それならば近くで守ってやればいいのだ。形が曖昧な「国」を、どうして守りたいと命をかけられるのだろうか。

 カイトはそれを、「愛国心」というものだと教えてくれた。

 故郷とは、祖国とは、たとえどれだけ腐っていたとしても、帰ってくるべき、失くしてはいけない場所なのだと。

 全くもって、よくわからない。

 でも、キラキラとした顔でそう語る彼らを否定できるほど、私は潤沢な人生を送っていない。

 そうなんだ、と頷いておいた。

 今の私にできることは、ただ剣を振ることのみ。この剣を研ぎ澄ませていけば、彼らの「国」を守る力になれる。

 思えば、傭兵のフリをしてここへ潜り込んだ時から決まっていたのだ。

 私は、彼らと一緒に——、



「そんなの、絶ッ対ェダメだ」



 自分の気持ちを伝えてみた結果がこれだ。

 ご主人様へ送る初めてのわがままは、呆気なく否定される。


「なんでよ。私も戦える! 剣の腕も、銃の扱いも、みんなにだって負けてない!」


「ニア、たしかにお前は強えよ。あいつらよりも、今のオレよりも」


 苦い顔で話すカイトは、平坦な声だ。

 普段、自信に満ち溢れている彼からこういった言葉を聞いたことには、少し驚く。


「紛れもなく天才だし、それを伸ばすための努力をしてきたことも、このオレが一番知ってる。……だが、お前が戦場に立つことを認めるわけにはいかねえ」


「……私が、なんのために戦う訓練をしていたのか、もうわかってるんでしょ?」


「ああ……。でもな、まだ汚れていないお前が、簡単に人を斬っちゃダメなんだよ」


「覚悟が足りないって、言いたいわけ?」


「……そうだ」


 ——冷静に説き伏せようと思っていたのに、無理だった。


「私はクソ醜い豚を斬るのに何の戸惑いもなかった! 実際にその子豚は斬った! もう私は人を殺してるの。ラインを超えちゃってる……! 戦場で同じことをして、どこに問題があるっていうのよ!」


「——それは憎しみがあったからだ。憎しみで殺すことと、敵だからと殺すのは、全然違う。オレらはもう麻痺しちまってるが、『初めて』はそれでも覚えてる。一生分、他人の重みを背負う覚悟がいるんだよ」


 覚悟を語る口調は、とにかく彼らしくない。


「カイトは、後悔してるの?」


「後悔はしてねえ。だけど言っただろ。覚悟はしてる」自然な動作でカイトは、左腕の付け根に右手を寄せる。

「人を斬ったのなら当然、斬られる覚悟もしなくちゃいけないんだ」


「それを私が理解してないと、本気で思ってるわけじゃないわよね」


「…………」


「カイトの考える私はそんなに子供?」


 今度は自制して、淡々と言い放つ。

 こう当たり前の問答をやり取りするのは、そろそろウンザリだった。

 私の射抜く視線にカイトはたじろぐ。だけど目は逸らさない。そうした睨み合いが続く中、彼はぽつりと。



「…………子供に殺しをさせたい親が、どこにいるってんだよ……っ!」



 血を吐くような声を出した、カイト。


「……っ」


 その覇気に、被せる言葉は出ない。


「気持ち悪いこというかもしんないけどさ、この一年を一緒に過ごしたお前を……娘のように感じちまってるんだ。他人には見れない。自分の娘を戦わせたいっつー親なんて、いないんだよ」


 彼が語ったのは、家族の親愛だった。

 私が手に入れるはずのない、ものだった。


「私のこと、心配してくれるの?」


「心配するに決まってんだろ! 訓練の時だって、怪我しねえかな? 傷が残らないかな? とか結構気を使ってるんだぜ」


「カイト、明らかに手を抜いてたし、とっくにわかってるわよ」


「お、そうだったのか。なんかバレたらバレたで恥ずかしいな……」


「話を逸らさないで! カイトはいつも戦争の話題になると、そうやって別の話に持ってこうとする」


「……そりゃそうだろ。まず言っとくがな、オレは戦争が嫌いなんだ。大っ嫌いだ。この戦争が終わるってんなら腕のもう一本くらいくれてやるさ」


「またそんな……、私はただ、どうしてカイトみたいな『良い人』が、命をかけて戦わなきゃいけないのか……わかんないの」


 彼の命も、みんなの命も、私なんかよりずっと尊い。


「……良い悪いなんてねえよ。どっちも自分が正しいと思って戦ってるのが、戦争ってもんだ。んで、勝った方が正義を振りかざす。どっちが良い悪いじゃなくて、勝った方が良い奴なんだ」


 それは。

 自分たちが支配者だと微塵も疑っていなかった領主や人攫いたちの考えと、大して変わらない。

 極論だが、私の生みの親は奴らとの「戦争」に負けて、その対価として己の命と娘を奪われたのだ。

 でも、


「そんな前提は聞いてない! 私が、私が言いたいのは……、」


 なんでわたしをおいていくの、と。

 拾ったものは、捨てないでほしい。ちゃんと使い尽くしてほしい。


「…………オレはな、自分の大事なもんのために戦ってんだ。もちろんこの国も大事だが……もっと大事なもんがある。このまま帝国に侵略されたら、家族が傷つくかもしれないだろ? あいつらもきっとそうなんだ」


 カイトは視線だけを、外の広場で騒いでいる仲間に向ける。

 明日にも出撃だというのに、いつ隣にいる者が死ぬともしれないというのに、楽しそうに笑っている彼らに。


「ニアも例外じゃない。長い人生生きてたら、自分にとって『特別』な、大事なものが見つかるはずだ。友達でもでもいいし、物でもいい。親としては悔しいが……男でもいいぞ!」


 もはや、娘みたいどころか娘同然の発言だった。

 まぁ、嫌じゃないけど。


「特別で大事なものが、私にも……」


「ああ、絶対に見つかる。前に教えてくれただろ。人攫いに遭った時、忘れてしまった誰かがいたって。その人も、お前を失いたくなかったんだよ。難しく考えなくていい。守りたいものを守る時ってのは、体が勝手に動くんだ」


 一度も振るったことなんてないだろう護身用のナイフを、拙く、それでも躊躇なく人攫い共に突き刺してかかっていた誰か。

 彼女は結局、多くを奪われた。

 でもそう、彼女は一つだけ守り通していた。本来は邪魔だと「殺されるはずだった」幼子を、身を挺して守ったのだ。

 かすかな記憶だけど、たしかに覚えている。

 行動の意味を理解していないわけじゃなかったが。こうやって改めて言葉にされると、より実感する。彼女は間違いなく、私の母だったのだ。


 そして、ここにいるのは。

 私の父だった。

 たとえ血のつながりがなくとも、積み重ねた時間が少なくとも、この男は、れっきとした私の父親だった。


 ……ああ、そっか。私の「特別」は——、



「私が失いたくないものは、カイトよ。——お願いだから、死なないで」



 心からの想いを、「初めて」、ぶつけた。

 どうしようもない、私の本音だ。


「…………オレは死なねえよ。たとえ死んでも、お前たちの心の中で生き続ける。……あー、今のはちょっとクサかったか……?」


「冗談じゃ、なくて……、」


 カイトは強い。それは十分に知っている。

 けれどもカイトは、とても優しい。

 それは明るくて眩しくて、私の閉ざしていた心に火を灯してくれたのは間違い無いけれど——その優しさは危うさを孕んでいると思うのだ。

 でもやっぱり、カイトは優しげな顔をして。

 私を強く、抱きしめる。


「——わかってる。オレの守りたいもんが一個増えちまったからな。簡単にはくたばれねえよ。戦争が終わったそん時は、村に帰ってうちのバカ息子と戦ってみろよ。どっちが勝つか、楽しみだ」


「……ねえ。その息子って、どんな奴?」


 何度も何度も教えてもらったはずなのに、今までの私は自然と「彼」を拒んでいたから。


「そうだな……。優しい子だったよ」


「優しい?」


「ああ、五歳だったか六歳だったか、そんくらいまでは虫を殺すのすらかわいそうだ〜、なんつったりする可愛らしい奴だったよ。まあいつだったか、だんだんふてぶてしくなったがな。あれから妙にかっこつけ出したし、気になる子でもできたんだろうさ」


 ふははっとカイトは笑う。

 その「特別」を想う彼の声は、本当に清々しいものだった。


「……。もう、着いていくなんて言わないから、最後に一つだけ教えて」


 あえて顔を見ずに、問う。

 どうしてもいつか聞きたかったこと。

 前は曖昧になってしまったけれど。今なら、きっと。

 


「カイトはなんで、私にここまで尽くしてくれるの?」



「——お前の顔がベルに……死んだオレの嫁に、そっくりだからだ」



 その声には、かすかに雫が滲んでいた。


「そっか。教えてくれて、ありがとう」


 十分だった。

 理由としては、そんなものだろう。

 自分だけが「特別」じゃない。

 だけど、きっかけがどうあれ、私がカイトと過ごした日々は本物だから。


「あー……、ダメだ、オレ。こういうシケっぽい空気は苦手なんだ」ゴシゴシと顔に腕をやり、無理やり流れていたものを拭ったカイトは、「さて。突然だが、ニアにプレゼントがあります」


 本当に唐突に、言い出した。

 立ち上がったカイトは、クローゼットの横に立てかけた愛剣を手に取ると、差し出してくる。


「この剣を、お前にやる」


「それって、カイトの……」


「ああ。前に話した通り、ベルの形見の剣だ。あいつから託されたもんだ」


「そんな大切なもの、私なんかに渡していいわけ? ほら、それこそカイトの息子とか……」


「おいおい、そりゃ語るに落ちたって奴だぜ。言ったじゃねえか、お前もオレの子供なんだ。娘に託して何が悪い」


 カイトは言って、ずっしりとした重みのある剣を私の腕に落とす。


「……私がカイトの嫁に似てるから、じゃなくて?」


 受け取りながら、私は意地悪な質問をしたが。


「ち・が・う。こーいう高性能な武器ってのは、手負いの老兵なんかじゃなくて、若く才能のある奴が使うべきなんだ」


「なら、プレゼントだなんて言い方しなくても」


「いいや、プレゼントだよ。運命のいたずらかね。今日が何の日か、知ってるか?」


「知らない」


 知るわけがない。 


「お前が初めて、オレと会った日だよ」


「…………」


 一年。

 時の流れはわかっていた。

 けれど、それの何が。


「わかるだろ? 誕生日プレゼントだ」 


「たんじょうび……」


 私が——カイトの「娘」が生まれた日は、今日だったのか。

 たしかになんとも、まぁ。

 偶然にしては出来すぎてる。


「大人しく受け取ってくれよ。その溟海アクアを」


 銘を、溟海アクア

 「海の悪魔」リヴァイアスの鱗を用いた、絶級の剣。

 彼の妻の遺志を継ぐ武器。


「わかったわ」


 やっぱり誕生日プレゼントなんて嘘よ。

 絶対に私がその人に似てるからでしょ。きっとそう。

 でも受け取っておいてあげる。そんな顔で見られたら、断るわけにはいかないじゃない。


 この時のカイトの顔は、お嫁さんには悪いけど、私だけの秘密だ。

 


 その晩は、一緒の床についた。

 もちろん体を重ねるわけじゃない。

 ただの、私のわがままなのだ。

 家族の温もり、確かめてみたいって。

 もっとも、カイトはすごく喜んでいたからご褒美なのかもしれないけれど。

 これじゃあ、どっちがご主人様だかわからないわね。

 でもまぁ、どうでもいっか。



 翌朝。

 私が目覚めると、カイトは既にいなかった。

 兵舎の離れの中は、閑散としている。皆、とっくに戦地へと向かったのだ。

 まったくひどい話だ。

 せめて起こして、行ってくるぐらい言ってくれればいいのに。

 普段は勝手に見送っている私が寝てしまっていたのも悪いとはいえ。


 その日は一日中、ボーッと過ごした。


 その次の日は、さすがにお腹が減ったので、炊事場で適当に調理をした。相変わらず不味い料理しかできなかったが、腹は満たされた。


 その次の日、溟海アクアを振ってみた。初めてなのに、驚くほどに手が馴染んだ。ちょうどいい。これならカイトに勝てるかもしれない。そう思った。


 カイトは、帰ってこなかった。


 一〇人までに減った傭兵隊の中に、無傷な者は一人もいなかった。

 カイトの腹心の部下であったテリーは、感情を押し殺したような声で、伝えておくことがある、と言った。


「リーダーからのだ。『自由に生きろ、ニア』だそうだ」


 彼は、それだけ言ってシャワー室へ消えていった。後に聞こえてくる、すすり泣き。

 ……他の隊士が、カイトは自分たちを逃すために犠牲になったんだと教えてくれた。

 最期までカイトらしいな、と思った。

 不思議と涙は出ない。なんでだろう。運命のいたずらが、別れの寂しさを無くしてくれたからだろうか。

 いずれにせよ、もう彼はいない。

 嘆いても欲しても、帰ってこない。

 自由に生きろ。

 自由。

 肥溜めのような地下から這い上がった時、求めたもの。

 漠然としすぎて結局、何が何だかわからなかったもの。

 でも今は、指針があった。

 ——冒険者だ。

 冒険とは、自由な旅だとカイトは言っていた。

 なら、目指してみようじゃないか。

 それが自由な生き方かはわからないけれど、いま、私がやりたいことに変わりない。


「私、アドベントへ行くわ」


 傭兵隊のみんなには、その日のうちにそう告げた。

 お前の意志ならそうすればいいと。皆、背中を押してくれた。


 そして。

 誕生日おめでとう、と。

 祝福してくれた。


 忘れない。彼らのことは絶対に忘れない。

 この傭兵隊三一人は、私に色彩をくれた家族。

 野蛮で粗野で喧嘩早い、男臭い男たちが、私の憧れ。


 そうだ。「私」はここまでだ。

 弱く一人では生きていけない甘えた「私」、女々しいニアは、彼らの元に置いていこう。



 ——は男らしく、強く在りたい。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク
  • LINEに送る

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る