第40話 「罠《trap》」
——ニアは、夢を見る。
幸福な時間は、いつまでも。
『
仮面の騎士の仲間はみんな、いなくなってしまいました。
死んだわけじゃありません。
死ぬ気で立ち向かったわけでもありません。
逃げました。
圧倒的な力の将軍を前にして、みんな、逃げたのです。
将軍は言います。
「貴様はなぜ、逃げない」
「僕は、姫様を取り返すまで絶対に逃げない」
「なぜだ? あの女の家族でも婚約者でもない貴様が、なぜそうまでして命を賭けて戦う?」
仮面の騎士は、ボロボロです。
血もたくさん出て、今にも倒れてしまいそうです。
けれど、決して背中を向けようとはしません。
「道化の技だと馬鹿にされていた僕の剣を、彼女は綺麗だと言ってくれた。素敵だと言ってくれた」
「たったそれだけか」
「たったそれだけだ」
一対の剣の、仮面の騎士は、再び立ち上がりました。
』
「——ざっけんじゃねぇぞ!」
殺しの一撃が瞬間的に迫る中、がむしゃらにフェイリスは手を伸ばす。いつものようにシールドを生成するが、接近を許しすぎている。
(間に合わねぇ——!)
ズシャア! と。
極薄の盾を一瞬で斬り裂いた斬撃が肉を裁断する音とともに、くるくると宙を舞うフェイリスの左腕。
「——ちぃ!」
燃え上がる痛みすら置き去りにして、フェイリスは後ずさる。なにせ、刃を返したヒロの追撃がやってくるのだ。
苦し紛れにフェイリスも剣を手に取るが、息もつかせぬ連撃を防ぐ盾を創り出すのに精一杯で、剣を振ることすらままならない。
「クッソ、鬱陶しいんだよ、ちょこまかと!」
先ほどからフェイリスの周りには、無数の武器が浮かび上がっている。しかし、まともな造形を形作る前に霧と化してばかりだ。
フェイリスの魔法。
あまりにも、「刺激」が強すぎる魔法。
もともと魔法を行使するには
だから彼の頭の中では、常人の数十倍もの世界が広がっている。当たり前だ。大抵の魔法使は元から世界に存在する要素を糧として、魔法を繰り出す。
ただし。
フェイリスが持つ
この魔法は物質を無から創り出す。もちろん、魔法の性質上、物質を作り出すこと自体は他の魔法と比べるまでもなく簡単だ。だが、チンケな
そんなものに価値はない。せいぜい年端もいかない子供に、リアルなおもちゃとして喜ばれるのが関の山。
ただし——。
極めると化ける。
例えば彼が拳銃を作り出す場合、その銃の構造を徹底的に研究・熟知する。製造工程を全て一人で賄えるくらいに、銃を理解する。それを想像して創造する。
しかも、今の例は具現化魔法の序の口でしかないのだ。
まさに。
第十の魔術へと至り得る——力。
まだその域には達していないが、この魔法は、魔術にも届きうる
この「上」にたどり着けば、「第一位」をも凌駕する可能性すらあるのだ。
……まあ、とどのつまり、魔法を行使中の彼の脳内は、全ての魔法使の中で一番、忙しいほどに回転する。そんな中、どうやって己の細かい動きにまで気を遣えるというのだろうか。
逆も然り。
自分が斬り殺されそうな時、どうして満足に空想に耽ることができるだろうか。
一歩の距離。
その間合いだけが、遠距離最強の
「テ、メェ……!」
ついに業を煮やしたのか、フェイリスは右腕を強引に振るう。デタラメな一閃はたしかに凄まじい速度を誇るが、ヒロは容易にそれを弾く。
隙を見せた代償。フェイリスの右肩から血飛沫が飛んだ。
とはいえ、彼も脳内物質によって痛みが麻痺しているのだろう。犬歯を剥き出しにして剣を振り回し、単純な膂力だけで戦いを拮抗させている。
(……なん、で……なぜ当たらねぇ‼︎)
しかし、攻撃は当たらない。
ヒロの斬撃は確実にフェイリスを削っているのに、フェイリスの刃は掠りすらしない。
もちろん、ヒロの剣技が卓越しているというのもある。双剣、それを使わせて彼の右に並ぶ者など、両手の指で数えるほどしかいない。
だが、それらを加味したとしても、フェイリスの剣技はあまりにもお粗末だった。まだ
それもそのはず。
そう、逆に言えば。
技術を習得する必要がない。
小手先の技で翻弄している暇があったら、
ましてや、彼にとって剣とは振るうものではなく、撃つものである。
インファイトに持ち込まれた時点で、勝負は大きくヒロへと傾いていた。
だが。終われない。
こんなところでは終わってやれない。
実際にフェイリスは、負けることが許せないのではない。
別に「最強」ではないのだから、今まで何回も負けたことがあるし、今現在よりももっと、命の危険に晒されたことがある。
自尊心。プライド。そんなもの、ゴミだと知っている。
ただ、いまこの瞬間、
負けることが許されない、から。
だから足掻く。必死に無様に足掻いている。そしてようやく、耐え忍んだ甲斐があった。屋敷のもう一対の階段。見えた。
たん、と床を大きく踏んで後方に飛び上がる。待っていたとばかりに踏み込んできたヒロへと向けて。
とっておきだ、と。
固く握りしめていた剣を、パッと解き放った。
「て、……えあああぁ‼︎」
恐れず、もう一歩踏み込んだヒロは、頬の一端を抉り取られつつも、突き進む。
フェイリスは浮いている。剣も手放している。
絶対に回避不可能な間合い。全体重を乗せた渾身の一撃が、今度こそフェイリスの肉体を斬り裂かんとして——。
ニヤリ、と「狩人」は笑う。
——壁から飛び出した一本の槍が、ヒロの腹部を貫いた。
「ぐっ、は……」
一瞬、呼吸が止まったヒロは、潰された小動物のような喘ぎとともに地面に転がる。
(な、何が……)
ヒロからすれば、全くわからない。突如、腹部で燃え上がった痛みに悶えることしかできない。
「
今までの鬱憤を晴らすかのように、必要以上の罵倒をフェイリスは吐き出す。狂笑を浮かべて体中から血を滴らせる狩人は、まさに悪魔のようで。
「……あ、く……」
「しつけぇよ」
取り落とした剣を探すヒロの右手は無惨に踏みつけられ、愛剣は隅の方へと蹴り飛ばされる。懐のナイフをまさぐろうとした左手も、容赦なく踏み躙られた。小気味よく骨が折れる音がした。
「……なぁ。テメェは男だよな」
と、片膝をついてしゃがみ込んだフェイリスが、苦鳴を上げて地べたを這うヒロの髪を掴んで、言う。
「なにを、いって……」
「体格的に間違いねぇな。……いやなに、侵入した馬鹿が男なら、一匹捕らえとけって命令されてんだわ。即死できねぇとは、テメェも運が良いんだか悪いんだか」
ヒロが動けないことを確認して立ち上がったフェイリスは、悠然と階段の淵へ歩いていった。
これも亜人の力か、左腕を失ったとは思えないタフネスである。
「——メイド共ぉ! 全部、終わったから上がってこい! 後始末だ!」
そう呼びかけた後、フェイリスは思い出したように左腕があった場所を見やって、「ったく、やってくれやがって」と、生成した止血帯を巻きながら、左腕を拾いに行った。
奇術師という通称は伊達ではなく、自らの腕を空中に投げて弄ぶという常人が見たらギョッとするような仕草で時間を潰す。
やがて、トタタタっと。焦った足音がやってきた。
「——きゃっ! フェイリス様! その腕はど、どうなさったんですか!」
駆け上がってきた赤髪のメイドは、当然の如く血みどろの光景に小さな悲鳴を上げるつつ、おっかなびっくり「現場」へと近づく。……むしろ、パニックになって逃げ出さないところに、プロ意識さえ感じ取れた。
「問題ねぇ」フェイリスはめんどくさそうに言って、「それよりなんだ、テメェ一人か」
「はい……想像以上の戦闘音に、みんな怖がってしまいまして……」
チッとフェイリスは舌打ちしながら、親指を背後へと指し示す。
「まぁ、いい。そこのネズミをマッドのところまで運べ」
「彼女を……ですか? 見たところ瀕死ですが……」
「彼、だ。おそらく急所は外れてる。サンプルが手に入ったって言えば、喜んで『修理』しやがるだろうさ」
「……かしこまりました」
「ああ、抵抗されるのが不安だったら足の骨を砕いてやってもいい。最悪、生殖機能がありゃ、あの実験狂も文句は言わねぇだろ————あ?」
適当に言いながら振り返ったフェイリスは、
見た。
長大な槍に穿たれてなお——敵に武器を突きつける仮面の男の姿を。
「………………テメェはなんで、立ち上がる?」
「みんな、……そうだ」少年は、言う。「みんな必死に無様に足掻いて、歯を食いしばって……大事なものを護るために戦ってる」
少年は、掠れた唇で。
「人の生き方を嘲笑うテメェなんかに、絶ッ対ェ負けねぇ」
一歩、一歩と。
体中の血が全て流れ落ちてしまったような感覚を覚えながらも、前へ。
朦朧とした意識の中で、己のなすべきことを。
果たそうと。
「はぁ——いい加減、聞き飽きたぜ、そういうの」
特大のため息を、ついて。
凶狼の鋭利な瞳に怒りが灯る。
「——んなこたぁ、知ってるってんだよぉ‼︎」
黒い武器が、一斉にフェイリスの周りに浮かぶ。一、二、三——二〇。
人間を一秒で蜂の巣にして、屋敷の通気さえ一変させてしまえる凶器が並ぶ。
そんな状況に——。
ヒロの本能は今すぐに逃げろと訴えていた。
絶体絶命。地べたに這いつくばって命を乞うたところで、きっと敵はもう許しはしない。
でも、でも、ギリギリの状況でもヒロは希望を捨てていない。
なぜなら————。
——今だ、アッシュ。
先ほどまで、ぷるぷると震えるメイドがいた場所に立つ——アッシュ・グラハムその人を見て、ヒロは、口の中だけで呟いた。
乾いた銃声が一発響く。
銃弾はフェイリスの胸下あたりを貫いた。
続く。
パン、パン、と。もう二発。
「なっ——ちく、しょう……。てめ……やりやがったな…………!」
フェイリスに空いた三つの風穴。たとえ対物ライフルの弾丸を防げる高硬度の盾を創り出せるのだとしても、生身の肉体を保護する術を、奴は持たない。
過信、油断、情、たったそれだけで勝負は決まる。
……付け加えるとすればだが、ニアがあれだけの白刃戦闘力を持っていながらフェイリスに惨敗した理由はただ一つ。
手数が足りない——つまり、一人で戦ったことだ。
「——
なすべきことは、「陽動」。
フェイリス・アーロンは——足から崩れ落ちた。
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