第34話 「弱き罪《Weakness Dies》」

アイトスフィア歴六三五年四ノ月二九日



 だんだんと、風が強くなってゆく、夜。

 冒険者街や歓楽街ならいざ知らず、闇が落ちた第零都区は、雄大にそびえ立つ王城を除けば、瞬く光が点々としているだけであった。

 それを見下ろすは、首都内壁壁上に佇む人影。

 この国、この街で七番目に強いと謳われる「少年」は、そんなことはないよな、と諦観の気持ちで息を一つ、吐く。

 冒険者になって異形ヴァリアを狩り尽くすことには、なんの造作もなかった。初めて奴らの肉を叩き斬った、その感触は今でも覚えている。まあ、特になんとも感じたわけではなかったが。よっぽど「人の肉」の方が、があった。あの頃のニアは今よりもさらに若かったし、そういった感情でさえ成長過程の「傷」に過ぎない——そう、思っていた。

 成長、とは、本当に成長なのだろうか。

 今はそう思えてならない。

 あらゆることを知れば知るほど、自分に弱いところが増えていって。

 ——何も知らずにいられたら、もっと自分は強く在れた。


「なぜ、弱い奴は奪われるんだろう」


 傷だらけになった手のひらを見つめて、そこからこぼれ落ちてしまったものを想う。

 弱くなったから、守るものが増えてしまったから、自分は奪われてしまった。

 化物にですらなく、人の手で。


「なぜ、弱かったら、理不尽な目に遭うんだ」


 アイネは、ライネは、まだ子供だ。

 子供とは、弱い生き物だ。守られるべきもので、かつては誰もがそうだった。


「なぜ? ——弱かったら悪いのか?」

 

 世界は、悪いと答える。


 ——人類が今、存亡の危機に晒されているからだ。


 この街の中にいればとてもそうは思えないけれど、外に出れば地獄だ。弱くては生きていけない、弱き者は守らねば死ぬ。

 それぐらい、この世界に生きる者全てが知っている。弱い者も、強い者も関係ない、全て。自分を含めて、彼らはおかしい。


 ——だって、なお、この「星」の半分を滅ぼした化物ヴァリアを前にして、我欲のために戦っている。


 アイトスフィア大陸、対異形ヴァリア最前線国家の要——都市国家アドベント。

 この国が堕ちるとおそらく、世界は異形やつらに滅ぼされるだろう。


 「異形ヴァリア」——人類に仇なす謎の生命体の総称。


 クソッタレな「敵」は、五〇年の時をたっぷりと使って、人類の半分を喰らった。

 言葉だけでは信じられないほどの悪虐をしでかした奴らについて、わかっていることが多いとは言えない。

 見た目は、全体的に暗いところと薄汚れた血の如き赤黒い瞳を除けば、通常の生物から大型化した亜種のようなものがほとんど。共通して、表情が固定化されていること。

 ——そして、

 「人類に敵対的」、という点だ。

 なぜこうも大量の人が死んだのかと問われれば、それが理由だと答えていい。

 もちろん異形ヴァリアにも個体差はある。

 大きい個体、小さい個体、中くらいの個体、交戦的な個体、臆病な個体、無気力な個体、多種多様だ。

 けれど、結局、喰う。

 最終的に人間は喰い殺される。

 だが、言ってしまえば、人間にしか興味を示さないのであればやりようはまだあった。動物の力を借りたり(例えば飛竜とか)、機械の力を借りたり(例えば戦車とか)、いろいろと。

 でも現実は、人類に厳しかった。厄介なことに、危険が差し迫った場合に限っては(例えば、馬に乗った人間と対峙したなど)、人間以外へ優先的に襲いかかるという妙な習性を持っていたのだ(姑息な知恵が回るとでもいうべきか)。

 恐ろしいことに小手先では……、本当に恐ろしいことだが、「戦術的」に叩き潰されるのであった。

 …………と、まあ、長々と語ってきたが、一番の問題は、

 ——数だ。

 おそらく、奴らには限りがない。噂に聞く飛行艇とやらで偵察に繰り出したチャフト(大陸西に位置する科学技術立国)によると、他の大陸は「人の住む世界ではない」らしい。

 蛆虫の如く湧き出す異形ヴァリアどもは、海を渡ってやってくるのだ。

 まるで海そのものから産まれるかのように、海岸線から奴らが這い上がってくる様を目撃した者は五万といる(なお、目撃者の中で生き残った者がどれだけいるのかという問いには、口をつぐまれることの方が多いのだが)。

 とはいえ、そんなチンケな「習性」よりも、喰らう理由が生きるためではないのは道理に合わないだろうと、ニアは思う。奴らは、食事を必要としない生命だ。人は、生きるために喰うのであって、喰うために生きているわけじゃない。だけど奴らは喰うだけ喰って終わり。捕らえた異形ヴァリアを掻っ捌いてみたところ、おおよそ消化器官らしきものがなかったという。動力源も、超常の力としか言えないときた。

 ただまあ、仮にも生命の形くらいは保っているらしく、人間でいう心臓部分に「異核」と呼ばれる弱点があるのが救いか。

 数トンのハンマーで叩いても割れない皮膚を持ってようと、液体状に近い軟体を持っていようと、その部分を大きく損傷するだけで異形ヴァリアは即死する。

 ギルドの戦闘アドバイザーから、いの一番に教わることだ。守護者アテネポリスの研修教官からと言い換えてもいい。発注される依頼クエスト、出動要請のの大半が、異形ヴァリアとの遭遇を避けられないものなのだから、無理もないだろう。

 生きたければ、殺せ。

 強さこそが華とされる「前線都市」、アドベント。強ければそれだけで勝ち組。

 でもそんな生き方は、とても寂しいものだったから——。


 ニアは、「家族」を欲した。

 「家族」は、やはり良いものだった。


 シークリット家の四人は「避難中に」、どこの馬の骨ともしれないガキを、助けてくれた。

 世の中には腐ってる奴もいれば、清らかな人もいる。ごく当たり前のことを、彼らは「再び」気づかせてくれた。

 だから報いたかった、のに——。



「——強化人間、ねえ。そうまでして子供を戦場に放り込みたいかよ」



 ブーストマン計画、というものがあるらしい。

 初めから断っておくが、別にニアは計画の詳細を知っているわけではないし、いちいち調べようとは思わなかった。そもそも調べられるとも思えない。

 ただ、年端のいかない子供に過酷なカリキュラムを課して、当人に応じた薬物を投与する。そりゃあ大半がダメになっちまうだろうが、少年少女が一五の歳を上回る頃には一騎当千のソルジャーが、はい、完成。もっともそいつらが表に出回る頃には、行方不明になった子供のことなんて世間の記憶から消えてるだろうがな、と。

 自身を叩きのめした奇術師マジシャンは、言った。



『テメェは、彼方に飛んじまったもんに手を届かせてみたくはねえのか?』



 そう言って、軽薄に笑った男だ。

 あの忌々しい邂逅は、ニアがライネと幼年者向けのイベントに訪れた日まで遡る。本来は母と子の三人で行く予定だったようだがアイネが熱を出してしまったので、看病に勤しむ母の代わりをニアが務めたわけである。

 苦労して入手した限定グッズとやらが強風に煽られて飛ばされ、泣き出してしまう「妹」を見て、ニアが動かないわけがない。

 わずか数十秒のことだ。

 たったそれだけの時間、目を離した隙に、誘拐魔は現れた。

 ニアでなければきっと、攫われたということにすら気付けたかどうか怪しい。ニアだって最初、跡形もなく消えたライネに困惑した。

 だけど「育った環境」により嗅覚が異常発達しているニアだからこそ、彼の醜悪な臭いを辿ることができた。

 夕闇に暮れる街中を大胆にも姉妹であるかのように振る舞う女からライネを奪い返すと、その「下手人たち」を相手にせず家まで無事に送り届ける(周囲の目を気にしたのか、特に抵抗されることはなかった。泣き虫のライネがなぜか落ち着いていたことはかなり不気味だったが)。普通、ニアの精神構造上、誘拐なんて外道的行為に身内が巻き込まれたのであれば、犯人の片腕程度は切り落としていてもおかしくないのだが、今回ばかりは事情が違う。

 ライネの手を引く女の傍にいた男が、あまりにも大物すぎた。

 誰かを守りつつ戦えないと思った。

 ……そこから先は、はっきりとは覚えていない。

 自身の嗅覚と怒りに任せて「第四位」の野郎を見つけ出し、勝負を挑んだ。それだけは確か。

 結果、散々に打ちのめされたニアは、丸一晩は気絶していた。

 奴が命まで取らなかったのは、憐憫か、余裕か。

 もっとも、生死のプライドのようなものは暗く濁った地下に吐き捨ててきているので、命あること自体は素直に喜んだのだが。


「……あいつのタイミングも、妙に悪いしさ」


 ボロボロになったニアが、初めての「仲間」と呼べるかもしれない少年と出会したのは、本当に偶然だ。

 生の執着にプライドがなくとも敗北は時にそれを超えるもの。精神衛生がめちゃくちゃだったあの時の自分は、どんな余計なことを言っただろうかと、ニアは考える。

 良くも悪くも等身大な彼の前では、口を滑らせてしまう。

 大事な「家族」を任せるくらいには、気を許していたことにも、今更になって気づく。


「でもさすがにもう、アンタの出る幕はねえよ」


 自分の始末は、自分でつける。

 もう誰も、こんなくだらない争いに巻き込まない。


 ——ニアはそう、決めた。


 夜風に揺れて目にかかる髪を、うざったいとばかりに払うと、背中に背負った自分の身体とは釣り合いの取れない「武器」を、軽々と己の手前に持ってくる。

 小型電磁投射法ミニ・レールガン

 電磁気力を用いて極限まで加速させた金属弾を射出する「兵器」。それに長距離狙撃スナイピング機能をつけた対物ライフルである。

 三メートル厚の鉄板を軽々と貫通し、一〇キロ先の標的をも補足できる照準器スコープ、それに準ずる射程レンジ。カタログスペックだけでも「兵器」と形容するにふさわしい逸品であった(ただし訓練を受けた屈強な成人男性でさえ、扱い方を間違えれば骨が砕けるような反動があるわけだが)。

 そんなとんでもライフルを、ニアは膝立ちで構える。

 より正確に狙撃するだけならば伏せ撃ちの方が良い。しかし、狙撃時に発生する膨大な反動をより自然に受け流せることが、膝撃ちの姿勢を強要させていた。

 キリキリと、針を通すような緻密な動きで、このライフルの糧となった一角獣の角を模した銃口は、冷徹に「標的」へと注がれていく。

 スコープの中で拡がるは、見るからに豪奢なといった造りの屋敷。ここまでの規模であれば普通、誰かしらの邸宅であろうが、そこに家主と呼べる存在がいないことをニアはなんとなく知っている。

 スコープの中心点に映るは、屋敷の一室で優雅にくつろぐ青年。自身の容姿に絶対の自信を持つニアでさえ、つい華を感じてしまうほどの美貌の男は、優雅なティータイムを満喫していて。

 その薄笑みの浮かんだ顔が、どこまでも神経を刺激する。

 できればこの手で斬り刻んでやりたいと、ニアは本気で思う。しかし叶わないからこそ、遠回りで確実な手段にいるのだ。


「距離二・五キロ。絶妙に遠いな」


 難しい作戦だ。ニアが今まで経験したことのある狙撃距離は二・三キロメートル強。狙撃は二キロを超えた時点で難易度が一気に跳ね上がる。ましてや試し撃ちすら満足にできていない代物を扱っているのだから尚更だ。


「照準補足、五度修正……いや、四度か」


 ただ、超一流のスナイパーから見れば付け焼き刃程度でしかないニアの技術でも、二・五キロ先の目標を射抜こうと思えるほどの照準器補正があれば、あるいは。

 気の遠くなるような数秒を使って、微調整を完了させる。

 初撃を外すことはできない。装備が整ってなかったことを加味しても、己を正面から叩きのめした相手と再びやり合うことは、目的にそぐわない。

 ニアは、甘く、引き金に手をかけた。

 この指先に力を入れることの意味を、ニアは深く理解している。それだけで、屋敷の端から端までをぶち抜くであろう弾丸が、青年の肉体を一瞬で「人間だったもの」にしてしまうことも……織り込み済みである。

 だから——迷いなく引き金は引かれる。

 高エネルギーが銃口に集中したことを感覚で察知した瞬間、身体中に痺れる衝撃が走る——それこそ比喩抜きに、電流が肉体全てに響いたかのようで。

 発射音の方は、その轟音さゆえに聴覚の限界を超えて聞こえない。電磁を纏った嵐は電光色の青白い軌跡を描いて、標的へと吸い込まれていった。

 ニアは一つ、息を吐く。

 

 不思議と、その感触だけは明確だった。

 ……しかし、どうもおかしい。沸き立つ煙が少なすぎる。もちろんまともな試射をできていない都合上、こういうものだと言われれば何も言えない。だが、もしも、その出力ごと相殺されたのであれば——。

 と、わずかばかりの粉塵から「何か」が飛び出した。


 ——ああ、ちくしょう。

 来る。


 素早く小型電磁投射法ミニ・レールガンを背負うと、ニアは躊躇いなく壁上から飛び降りた。ブーツ底にある噴出口からガスを射出し、着地の衝撃を軽減すると、加速。通りを二つ渡った家屋の陰に身を隠した。ここは「内側」なため、いろいろと警備がうるさい。派手なことはせずに済むだろう。……ついでに煙幕弾を撹乱目的で三方に放った。

 が、

 ヒュゥゥゥッ——と、風を裂く音が聞こえたと同時、豪風が吹き荒れる。次いで、日の出を彷彿とさせる眩い光が視界を覆った。


 ——来る。


 先ほど背負ったばかりの得物を間髪入れずに持ち直し、撃墜の構えを取った。

 ったく、見誤ったか。暴れる気満々じゃないか!

 非常にまずい展開になった。城壁の破損まで厭わないとなると、「冒険者だけの権限」を超えている。守護者アテネポリス以上の奴らが出てくることも警戒しなければならない。

 ニアの焦燥をせせら笑うかのように。

 粉塵が晴れた先で物々しい機械群を展開した男は、煙突の先端に器用に立ち、照らされた上街を見下ろしていて。


「——しつこい野郎だな。風穴開けられたいってんなら素直に言いやがれ、コラ」


「その言葉、そっくり返してやるよ!」


 容赦なく、発射。体幹を固定せずの動作だったため衝撃でよろけるも、正確に撃ち抜いた自信はあった。

 ただ、


「……。魔法がイカれてんのか、反射神経がやばいのか、それはどっちだ……?」


 おそらく両方、なのだろう。

 凝縮された電磁力により射出された弾丸は、瞬時に創り出された極硬質の盾に、威力を完璧に封殺されていた。防御力もさることながら、その速度たるや尋常ではなく——。


「肥溜めのクソより気に食わねえ獣の血ぃだが、こういう時にだけ役に立つ」


「わかりにくいな。立派なお耳はどこへやったんだ?」


「言ったろうが。肥溜めに捨てたよ」


 事故か故意か、「亜人デミ・ヒューマン」の外見的特徴である「耳」が、彼の頭にはない。見た目だけは、ただの「人間ヒューマン」なのだ。

 あの鋭敏な聴覚は、まずもって狼人ワーウルフ才能センスであることに間違いはないのだろうが……。

 組み合わせ次第で、こうまで化けるとは。


「……で、なんでテメェがちょっかいを出してきたのかをまだ聞いてねえんだが?」


 まさに、羊を狩る狼と言える狂熱の表情を浮かべる男は、己が創造した剣の切先を緩やかに撫でた刹那——音速を超える速度で射出される。

 飛来する剣をとっさに首を捻って回避するが、掠ったのか、頬にジクジクとした痛みが広がっていくのを感じた。

 幻想投影クリエイター

 相変わらず厄介すぎる攻撃だ。


「おいおい……黙るなよ。俺だって暇じゃないんだ。茶会を邪魔されたアリアの機嫌を直す手段を教えてくれるってんなら見逃してやってもいいぜ?」


「…………アンタが女のケツを追っかけ回してるだけの色男なら、物騒な真似はしなくて済んだんだけどな」


「止せよ。あいつが色仕掛けに靡くようなタマなら、俺はあいつと組んじゃいないさ」


 どうにも話が噛み合わない。いや……初めから合わせる気がないのか。完全に狩り取る側にいる相手に、媚を売るような「命乞いの言葉」を持ち合わせているはずもないニアは、ただ皮肉を吐くことしかできない。

 ……待て。

 そういえば言っていなかった言葉がある。初めから諦めていたというか、当たり前すぎて、する意味のない発言だと思っていた。


「アイネを……返せ」


 実際に、ただそれだけがニアの望み。

 あの聡く幼い少女を、一刻も早く日常に返してあげることこそが、「家族」を守りきれなかった自分の贖いだ。


「アイネ……? アイネ、ねえ……。その名前には覚えがあるぞ。最後に確保した二二番だな」


「二二番、だと……」


 およそ人間に使う通称ではないのに、その言葉が表す意味は容易に予測できる。


「ブーストマン計画の概要は、異形ヴァリア共を単体で蹂躙できる存在——いわば俺たち絶級冒険者ランク5を人工的に創り出すことだ」青年はどこか歌うように軽やかな口調で、「綿密な訓練過程カリキュラムを組んではいるが、最終的に残るのは


 これがどういう意味かはすでに伝えたはずだぜ、と第四位は嘲笑った。


「どこまでも腐ってやがる……」


「そう、この腐った計画には頭数は多くいらない。……実のところ効率よくカリキュラムを消化するなら、一六人が限界なんだ」彼はつらつらと余裕を持って、「先に確保した最初の十六人ファースト・チルドレンを本科生とするなら、残りの次の六人セカンド・チルドレンは予科生……要するにバックアップだな。そいつらは地下で冬眠処置を施されている」


「……早い話が、アイネはまだ変なことはされてないってことか」


「それだけじゃねえ。言っただろ? 『予備』、なんだ。——一人欠けたところで支障はでねえよ」


 ニアには、彼が言っていることが、頭では理解していてもよく飲み込めなかった。


「返して……くれるのか?」


 悔しいことに、縋るような声が漏れ出た。

 人間とは、自分の都合の良い方法に考えてしまう生き物だから、笑顔さえ見え隠れしていたかもしれない。


「ああ……まあ、モノは相談って言葉もあってだな」しかし狂狼は、その言葉を待っていたとばかりに自身の犬歯を剥き出しに笑って、「等価交換と行こうじゃねえか」


 と——話している最中にも際限なく創り出されていた刀剣の弾丸が、一斉に牙を剥く——。


 急な範囲攻撃に、身動き一つできない。

 目を覆いたくなるほどの連弾が終わった後……、自身の「体の縁」ギリギリに突き刺さった刃を数々を見て、ニアは不覚にも戦慄する。

 冷や汗を滴らせるニアの目の前に身軽な着地を決めた青年は、慄くニアの顎を持ち上げて、吐息を吐くような声で、囁いた。



「端的に言おう。——テメェの体を寄越せ」



   ○○○



 同時刻——。

 緊迫した状況とは裏腹に、雲一つない夜空には満点の星々が輝いている。

 普段なら寝転んで眺めたくなるような空の下を、オレは、全力で走っていた(交通手段はこの時間ほぼ死んでいるので走るほかない。金があればまた違っていたのだが)。

 たとえニアの目的がわかったとて、彼がどこにいるのかなんてわかりようがないし、見つけるアテもない。ただ、わからないから下手に動かないなんて冷静で現実的な行動ができるのならば、初めからこんな怪しげな事件に関わろうとはしない。

 闇雲に探すことが無謀なのは承知の上。アテはないが、アタリをつけて探し出すしかない。だから街の中心部へと、オレは向かっている。

 特権階級でなければ住むことは愚か、入ることすら制限がかかっている第零都区。当然、「特権」を持ち合わせているはずもないオレが自由に出入りできる場所ではない。だからこそ、一番に探しておく必要がある。

 事ここに至っては、無断侵入くらいは辞さない覚悟でいた。

 愛用しているマントの視認性の悪さに、オレは信頼を置いているのだった。

 と……、

 視界の上の方で光るものがあった。

 遅れて轟く砲音のような音。まさに目的地であった内壁、その壁上付近が音源であることが沸き立つ煙ゆえに見て取れた。


「……賭けてみるか……」


 この街の夜は荒事が多い。反逆の徒が活発化しているのもあってか、外で爆音や閃光があったからといって、いちいち物見に出てくる余所者すら少ない。


 だが、

 このタイミング、この状況である。


 本来、博打というものは性格的に気に入らないのだけれど、賭けても良いという根拠のない確信があった。


 そうと決まれば、というやつだ。オレは走る速度を上げる。

 なにせ街を縫って進むのだ。目に見える距離よりもその距離は遠い。


 遠い——。

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