第31話 「崩れつつある日常《crack》」

 強い風の日だった。


 アドベントの第四都区、迷宮街ラビリンスと呼ばれる居住区には、子供たちのために作られた公園が点在している。

 とある公園では、もう日が暮れようかという時、四人の子供たちが走り回っていた。彼らは仲睦まじく遊んでいるが、実は今日会ったばかりの面々だ。幼さからくる適応性は大人にはないもので、まさに昔ながらの友達のようである。


 ……しかし、帰宅の時間は刻々と迫っていた。

 誰が言い出したのか、そろそろ帰ろうと子供たちは公園の出入り口に向かう。「また遊ぼうね」、「約束だよ」、そう言い合いながら。


 と、


 ——彼らの前に佇むは、赤いドレスの少女。

 子供たちが知る由もないが、夜の街を男連れで歩いていても違和感のない華美な服飾である。


「ねえ、君たち。ちょっといい?」


 聞くものを虜にする、妖艶な声音だった。

 少女は子供たちに、困っていることがあるから助けてほしいと語る。お礼に、甘いお菓子を食べさせてあげる、とも。

 なんだかんだで離れたくなかった子供たちは、もう少し皆と一緒にいれるということを理解すると、行こう行こうと賛成し始めた。


 でも、ちょっと聡明な眼鏡をかけた子供が言う。知らない人について行くのは危ないよ、と。

 それを聞いて、他の子供たちも迷い始める。どうしようどうしようと言い争いを始めてしまった。

 ……でも、そんな状況下だとしても、少女は笑っていた。


「じゃあ、今からお姉さんと一緒に遊ばない? そうすれば知らない人じゃなくなるでしょう?」


 それに、と少女は振り返って、


「大人がいれば、みんなまだ帰らなくていいしね」


 少女の視線の先——。

 これまたとてつもない美貌の青年が立っていた。

 柔和な感じではなく、どこか鋭い目。それでも「整っている」という言葉がふさわしい、バランスの良いパーツが揃った顔。


「やあ、よろしく」


 声も、とても優しいとは言えないものだったけれど、


「——俺は、奇術師マジシャンだ。面白いもんを見せてやるよ」


 好奇心の魔物に勝てる子供など、そうはいない。

 少女と青年の言葉を聞いて、子供たちの中で答えは決まったようだった。


 そして。

 少女が、一人一人の顔をしっかりと見て、名前を聞いていく。子供たちは、ただただ彼女の瞳に魅入られていた……。



 その晩、子供が帰ってこないと、居住区の一区画で大騒ぎが発生することとなる——。



—————————————————————————




第31話 「崩れつつある日常crack




—————————————————————————



アイトスフィア歴六三五年四ノ月二五日



 ストレンジ・ホースとの激戦の次の日、は休みだった。

 たしかにメルバ山の中腹まで走破し、激しい戦闘の数々で足腰はガタガタ。超級依頼クエスト達成報酬により潤沢になったことは非常にありがたかったが、それはそれとしてとにかく、疲れた。


 だから、ニアから次の合同パーティーは明後日だと聞かされた時には(なにやら例のアイネだかライネだかどっちかの妹(?)と以前からの約束があったのだそうだ)、正直、ありがたかったと言える。

 多少、暇ではあったが、図書館で借りた本を読み漁ることで、割と有意義な一日を過ごしたと言えるだろう。一日中、冒険者の墓場で働いていたレインにはちょっと申し訳なかったとはいえ……。

 そんなこんなで、さらに次の日を迎えたわけだが——。


「なんで来ねえ」


 ニアは待ち合わせの時刻になっても現れなかった。

 ……これはもうお手上げだった。

 不幸にもオレたちは即席の関係に等しいので、何か他の連絡手段を持ち合わせていたり、居住地を知っていたりはしない。


 あいつ、なんとなく、プライベートはノーセンキューって感じだったしな。

 しかも、しかもだ。


「ただでさえ、アッシュが最近付き合い悪くなってるってのに、どーしろってんだ」


 そう、アッシュの奴もなのだ。

「シーナさん絡みの案件で」、みたいなことを言ってたが、あれで彼も私生活に謎の部分が多い。


 ……ってか今気づいたけど、オレってアッシュが住んでるとこ知らねえな……。

 もっと他人に興味を持てと今の自分には言いたくなるが、とどのつまり、オレは現在一人だった。

 噛み合わねえ時は、こんなに噛み合わねえもんかよ……。別に、示し合わせたわけじゃないってのに。


「しょうがねえ、帰るか」


 一人ソロ依頼クエストを受けてもいいんじゃないかと示唆されたこともあったが……やっぱりやめておく。


 レインと、約束したからな。

 まあ、後が怖いってのもあるんだが。



アイトスフィア歴六三五年四ノ月二六日



 幸いにも、翌日は「お仕事」をすることができた。

 側から見ても、今日のヒロは活き活きしていたと思われる。

 これはオレの元来の性格なのだろうが、どうにも他人に任せて家でじっとしてるとなると、肩身が狭い。レインはむしろ、たまには休むことも大事と言ってくれているが、そっくりそのまま返すと答えると、自分は問題ない、少し働き足りないくらいだと真顔で言っていたので、諦めた。


 ともあれ、本日選んだ依頼クエストも難なく達成することはできたのだが……。


「んじゃー、また明日なー」


 まだ明らかな昼下がり。何やら今日も「用事」があるらしく、金の分配を終えたアッシュは、急ぎ気味に荷物をまとめるとオレの前から去っていき。

 ……また、空き時間ができてしまったのだった。

 気の済むまで剣を振り続ける……と言った選択肢もあるにはあるが、今日はどうにもそんな気分にならない。


 斬りたい。

 ……いや別に戦闘に狂っているとかではなく、ただ単に、誰かと、何かと、斬り結ぶことで成長できるという実感があるのだ。


 素振りは悪くない。だが、それはあくまでも己の中で想像する幻想の敵との立ち合いに等しい。

 でも、その幻想の敵は強さにならない。

 端的に言ってしまえば、ただ、自分と戦っているだけで、「高め合う」ことができない。

 過去のいつか、レインと特訓の日々を行なっていたとうのが本当だとしたら、頼み込めばまた、剣を取って教えてくれるだろうか。


 ……もっとも、その道を阻んだのが他でもないオレであるわけだが、そういう風に考えてしまうくらいには、ここ最近の自分は消化不良であるのだ。


「どのみち、一旦着替えてから考えるか」


 実は今日、仕事用のバッグを忘れてしまい、受け取った報酬をお金ですよと言わんばかりの皮袋に入れて持ち歩いている状態だ(ヒロの戦闘装備にポケットのようなものはない)。

 割となんでもありな街であるので、浮ついた小金持ちが仕様のない犯罪グループに狙われるということなど茶飯事。自分の舐められやすい容姿をよくわかっているヒロは、金を持ってうろつくのは芳しいとはとても思えないのであった。



 いつも通りの帰路を辿りログハウスに帰り着くと、オレはようやく息を落ち着ける。

 脱ぎ去った装備を丁寧に仕舞い込み、フレッシュな部屋着に着替え……ようとしてふと、ダイニングテーブルに詰まれた数冊の本に目が行く。

 そういえば今日が返却日だったっけか……。

 朝、準備自宅の最中にレインがそのようなことを言っていた。仕事が終わり次第返しに行く、とも。


 当然、オレも着いて行く気でいて、帰りついでになんか食べに行くかという話に落ち着いたのだが、いま冷静に考えてみると、図書館の閉館時間は午後の五時である。

 つまり普通に仕事終わりでは、間に合わない。


 ……不幸中の幸いってところか。

 たしかレインの借りた『仮面の騎士』は人気本だったらしいので、一日でも返却が遅れるのは顰蹙というものだ。

 それに、また新しい本借りてもいいしな。

 各種異形ヴァリアの細かい生態にも切り込んだ図鑑は、想像の五倍は面白くて。

 今度こそはとバッグを手にして、まだ高く陽が昇る都市に、オレは繰り出した。



 図書館の司書とは、やはりプロだ。

 お客様がどんな本を借りていようと笑顔で対応してくれる。ヒロの、それぞれ「人目についても大丈夫な方の本」の間に、「人目についたら恥ずかしい本」を隠すというささやかな抵抗が破られた時も、何一つ動じることはなかった。


 ……むしろ微笑ましい目で見られていたのは、きっと気のせいであろう。


 当初の予定通り、ついでに図鑑の続編借りてくかと、件のコーナーに向かったのだが、それらがあるはずの場所には「貸出済み」との無機質なプレートが置かれてあるだけだった。

 どうやら、異形ヴァリアの図鑑も人気本だったようだ。司書が言うには、五巻全てを借りない人の方が珍しいとのこと(つまり一巻だけ借りる奇特な方は珍しいというわけらしい)。増刷すればいいんじゃないですかと伝えると、複本はすでにしておりますが、それでも借りられる方が多いのです。詳しくお調べになりたいのであれば、ギルド本部の資料館を訪ねられてはいかがですか、ともっともなことを言われた。


 したがって、本日のオレの予定は、いよいよなくなってしまった。

 今は、いっそギルドの酒場とかで即席のパーティーでも探してみようかと、頭を捻らせて騒々しい道を歩いている最中で。


「……ん?」


 と、雑多な人混みの中に、どうにも見覚えのある姿が混じっていた。

 あのちっちゃいロングマントは……。

 先日、先々日と、パーティーの約束をすっぽかしてくださった少年——ニアだ。


「おいニア、お前」


 小走りにかけたオレは、ちょこまかずんずんと歩く彼の横に並び立つ。

 が、

 無視。悲しいくらいに無視。


「聞いてんのか?」


 視界に入っているはずなのに、入っていない。なので、目の前で手を振ってやると、ようやくニアの瞳がオレを認識した。


「……アンタか」


「え……」


 と同時に。

 彼のロングマントの内側が(外もそれなりだとはいえ)戦場を駆け回ったのかというほどズタボロになっていることに…………気づいた。

 顔に目立った傷はない。ただ、体周りがボロボロ。ギラギラと赤く輝いているはずのインナーの上には、雑に包帯が巻かれていた。


「ああ、そういえばパーティーを組んでたんだったな。行けなくて悪い。いろいろあって無理だった。文句を言いに来たんなら聞いてやるからさっさと言え」


「……っ」


 粗暴で、上から目線なのは変わらない。変わらないのだが……どこかおかしい。

 ニアほど表情がコロコロ変わる人間をオレはそう多く知らないので、そのニアがこうにも感情表現に乏しいと、頭の端々に浮かんでは消えていた文句の一つも、言う気にはならない。


「お前、何があったんだよ?」


「何が? 何がって、ちょっと喧嘩してただけだ」


「喧嘩ぁ?」


「そう。相手が重火器や爆発物を使うなんてこの街では珍しくもないだろ?」ニアは薄い笑みを浮かべつつ、「だから、ちょっと汚れてしまうのは当然なわけ」


「じゃ、せめて着替えるかなんかしろよ。目立って仕方ねえだろ」


 すでに数十歩一緒に歩いているだけで、奇異の視線が集まっているのがわかる。


「ってか、思いっきり包帯から血が滲んでんじゃねえか。しかも取れかかってるし……」


「血ぃ?」


「右腕の包帯がな。にしても……こんな怪我するほどの喧嘩って、お前」


「んなもん、舐めてりゃ治る。気にすんな」


「猫か! こっちは気になるんだよ、ったく。ちょっと見せてみろ」


 手首周りの包帯を、自分一人で巻き直すのは難しいだろうからと手助けしようとしたのだが……、



「——触るな!」



「……っ」


 痛烈に、差し出した手を弾かれる。もはや反射的とも呼べる速度に、オレとしても驚く。ニアは庇うように右腕を抱き寄せると、……気色悪いだろ、と言った。

 怪我見るのに関係ねえだろうがとは思うが、この少年が自分を超えるほどに頑固な性格であることは、ここ数日で身に染みている。


「……それで、結果は?」


 よって、別の方向で話を広げることにする。


「結果?」


 眉をほんのわずかに上げる彼に、オレはおいおいと。


「喧嘩の結果だよ。お前とまともに喧嘩できる奴がどれだけいるのか知らねえけど」


「結果は……そうだな。勝負はいきなり始まった。卑劣にも不意打ちだ。奇襲は確かに完璧に成功して、身につけているものはオシャカになった。しかし最強の七人である絶級冒険者ランク5は伊達じゃない。

 ——勝負は一方的な結果だった」


 ぺらぺらと、喧嘩の末を語るニアだったが、どうにも感情が乗っておらず、平坦な声音だ。

 内容を聞くに勝つのは勝ったのだろう。並大抵の重火器を使ったくらいで、あの研ぎ澄まされた戦い方をこなす「戦姫ヴァルキリー」とやらに勝てるとは思えない。

 ——それこそ彼を倒すには、絶級冒険者ランク5を引っ張ってくる必要があるだろう。


 ただ、ニアからしてみればいくら奇襲とはいえ傷を負ったこと自体が腹立たしいのだろう。だからこその不機嫌。

 ……子供かよ、ったく。

 負けず嫌いも甚だしい話だった。

 血の気の多いニアのこと、前例もあるのでやりすぎてないかが心配である。


「喧嘩相手、生きてんだろうな……?」


「当然、生きてる」


「ならいいけどよ」


 しかし、いったい何を思ってその喧嘩相手はニアを襲おうなどと思ったのか。たしかにムカつくクソガキといってもまあ大半が納得してくれるだろう彼だが、向こうは向こうで明らかに「ちょっとした恨み」を超えてる。

 一応「仲間」として聞いてはみたいが、それこそかなりのプライベート。実際に、絶級冒険者ランク5の力をもって撃退したようであるし、ここは自制するが。


 ……とはいえ、放っておけない部分もある。


「まあ、さっきも言ったけど格好が目立つから、せめて前のボタンは留めろ」


「変な目を向けられることには慣れてるからな。気づかなかった。留めればいいんだろ、留めれば」


 ニアは投げやりに、忌々しいと言わんばかりに吐き出す。言ったからには止めようとしたのだろうが、ボタンを留めようとした段階で、ポロッと外れて地に落ちてしまった。


 これには言い出したオレも気まずくなってしまい、「お前、ほんとに大丈夫か?」


「……さすがに少し疲れたけど、アンタに心配されるほど落ちぶれてない」


 隙さえあれば噛み付いてくるのはいつも通り。でもそこには、千切れてしまった布を雑に縫い直したような歪さがあって。


「そんな大口が叩けるなら、問題ないとは思うけどよ……。オレたちは一応は仲間だろ。なんかあるのなら、話聞くくらいはいくらでもするぞ」


 かつて、初めての討伐依頼キルクエストに挑む時、密かに不安がるオレの緊張をほぐしてくれたアッシュのように、言ってみる。


 と——、


「は……」ようやく、表情が薄かったニアの顔が和らいだ。「仲間って、調子に乗りすぎだ、ばか。アンタとあの茶髪は、おれの『奴隷』と言っただろ」


 ようやく、そこには.いつもと同じようにいたずらな笑みを浮かべた少年がいた。

 少年は、でも、と。


「もう大丈夫だ。いい加減、機嫌は直す。だから……アンタはこれ以上余計なことを言わなくていい。わかったか?」


 怪我のしていない左手の指を突き出し、有無を言わすまいと問うてくる。

 ——やっぱり、こいつは、素直じゃない。

 オレはそう思いつつも、わかった、ご主人様、と言ってやった。


「よろしい」はっきりした声でニアは言って、「……にしても、このボロボロさは言われたら気になるな。お気に入りだったのに……新しいのを買いに行かないと……」


 さっそく、ワイルドになってしまっている自分の服を見やっていた。奇抜すぎる己の服装にようやく恥じらいの感情が戻ったようだ。


「おう、そうしろそうしろ」


「んじゃ、おれはもう帰るから。明日の依頼クエストには……一応行くつもりだ。前と同じ時間で集合でいいな?」


「それでいい。とにかく連絡取れないのが問題だっただけだからな」


「そうか。じゃあな」


 とにかく本当に疲れた様子だったので、ちゃんと来いよ、とか変に声をかけることもできず、なんとなく黙ってその後ろ姿を見届けていると……ピタッとニアの動きが止まった。そのまましばらくの間、立ちずさんでいる。


 ……?

 声をかけようとすると、ガバッと振り返った。こちらもこちらで見ていたので目が合ってしまい、思わずドキリとする。

 後ろ姿を目で追ってたのはマズかったか……?

 オレのしょうもない杞憂をよそに、大した反応をするでもなくため息をついたニアは、なぜかツカツカと戻ってくる。


「どうした?」 


「昼食」


 ニアはそれだけ言った。


「は……?」


 昼食? いきなり何を……。

 …………もしかしてオレに奢れと?


「なんだよ。絶級冒険者ランク5様とあろうものが、服を買い揃えたら一文無しになるってのか?」


 苦肉の返答に、ニアは首をふるふると振ると——、



「…………アンタに、昼食をおごってやる」



「は…………?」



 まったくどうして、

 この少年は、突飛なことを言い出すのが好きなのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク
  • LINEに送る

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る