第28話 「どうやって作る《How to make it?》」
その日は猛烈に目覚めの悪い朝だった。
「っ……」
ガンガンする頭を押さえながら、オレは怠く重い体を起こす。起き上がる時の手に触れる感覚が妙に固い。……家の床だった。どうやら床に寝っ転がって寝ていたらしい。
ふと横を見ると、仰向けのちょっとだらしない格好で寝ているレインがいた。
……こんな油断しかしていませんよという姿で寝ているのは信頼の証なのか、はたまた警戒されていないだけのか。とりあえず言えることは、「仰向け」はオレにとって目の保養でもあり毒にもなるということ。
「おい……レイン。起きろ。仕事に行く時間もうすぐだぞ」
ゆさゆさと彼女の肩を揺する。時計はとうに九時を回ったあたり。レインがいつも出かけるらしい時間なのを思い出したのだ。
「…………。うーん……もう、飲めない」
「ん……?」
「ヒロ……飲み過ぎ、だ。そっちは自分じゃない。クローゼットだぞ」
どんな寝言だよとは思うが……実際、オレは昨日のことをまるで覚えていない。
「あー、そっか。今日は休みか……」
お互い今日が休みなので、昨日はたしか、オヤジが以前の礼だといってくれた酒で晩酌をしていたのだが、つい酒が進むと話が長くなってしまって……寝落ちしていたのだろう。
というか、オレがずっと愚痴を言っていただけのような気がする。たぶん、レインは、ずっとそれを聞いてくれていた。
はあ……。
とはいえ、やってしまったことはしょうがない。
「とりあえず移動させるか」
どうやってレインを持ち上げるかを数秒迷って、やっぱり定番のアレしかないかと、彼女の体の下に手を入れる。
軽い気持ちでやったことを後悔した。
「——重っ!」
予想外に両腕にかかった負荷に、オレは思いっきりバランスを崩す。なんとか彼女を押し潰さないようギリギリで踏みとどまったが、それでも肉体は急接近してしまう。
こいつ、この体格でどうしてこんな重いんだよ。
でかい胸のせい? それとも筋肉か……? ……あ、義手とかのせいか。
失礼なことを考えてから、邪念を振り払うようにガバッと顔をあげたところで…………。
バルコニーから顔を覗かせているアッシュと目があった。
アッシュと……目が、あった。
「ん……ヒロ?」
オレの真下で、ゴソゴソと動きがある。レインが目を覚ましたのだ。
「っ……また、どうし、て。上に……」
寝起きのぼーっとした顔から一転、頬が薔薇色に染まりつつある……。
なんで……こうなんだよ。
口の中だけでオレは嘆いた。
一方で、固まっていたアッシュだったが、それでもなお平静を保とうとしたみたいで、
「俺……は、良い土産を持ってきたんだが…………取り込み中だったみたいだな。出直してくるわ」
「おい待て」意外と冷静な声が出たことに、自分でも驚きつつ、「これはそういうのじゃねえ」
「いや気にすんなって。そもそも発破をかけたのは俺だしな。俺は嬉しいよ、うん。悪かったな」
早口で捲し立てた後、ごゆっくり、と本気で立ち去ろうとしているアッシュを、今度は無理やり、物理的に止めに行った。
「んだよ、そんな怖い顔して。悪かったって言ってんだろ? それともあれか? シテるとこ見てほしいとかそういう鬼畜趣味あったの、お前?」
「もうそれでもなんでもいいから」オレは強く、念押して、「シーナさんとか他の知り合いには言うなよ……」
「…………ったく、ただの事故かよ。このラッキースケベ野郎が。つまんねえの」
なんとなく態度で理解できたのか、口を尖らせるアッシュ。
「……どうでもいいけど、アッシュがここに来たのはなぜ?」
そこで、いまいち状況を理解していなかっただろうレインが口を開いた。
「おう、そうだったそうだった。シーナさんがよ、二人のためにっつって食料品くれてるぞ。主に保存食だがな」
「食料品は……ありがたいけど、自分たちはそこまで食うに困っていない」
「心配なんだとよ。ヒロが飢えてないか見てきなさいって、言われたわけ」
「そう。……あと、さっきヒロとはなんの話をしていたの?」
空気が、凍る。
おいおいおいおい。何お前まで気まずくなってんだ! あんな会話始めたのは誰のせいだよ、このクソ野郎が!
「んー、なんつーかな」アッシュは頭をぽりぽり掻きながら、「さすがにお前らの歳で子供ってのはちっとばかり早いと思うからな。男がちゃんと責任を持って気をつけろよ。まあ、キスくらいにしとけ」
「責任も何も、手なんか出してねえっての……」
モラルの欠片もありゃしない。
「大丈夫。もしそうなってしまった場合は、私もちゃんと責任を持つ。……そもそも私たちはまだそういう関係ではない。だから口付けとかもまだしない」
「はは、キスなら子供とか関係ねえんだから、いくらでもやっちまえよ」
笑って言うアッシュだったが、レインは澄ました顔で、
「そんなことはもちろん知っている。お互いが子を望めば、いつかなんとかドリが運んで来てくれると、レイス姉に教えてもらった」
「「運んで来ねえよ馬鹿野郎!」」
さすがにノータイムで突っ込んだ。
二人揃って強く否定され、
「え? え……? でも……昔レイス姉に聞いたらそうだって……」
と、明らかにポーカーフェイスに動揺が走るレイン。
ったく、何吹き込んでくれてやがるんだよ、誰かも知らねえレイス姉! 仮にもレインって元王族だったんだよな? せめて性教育ぐらいちゃんとしておけよ!
「ぷっ、ふっ、はは! 面白えな、おい! そうかよ。ふははっ!」
なんか転げ回りそうな勢いで、爆笑している男までいる始末。
「——じゃあ子供は、どうやって作るんというの?」
「いや、それはまあ……なあ?」
純粋な疑問にそれこそどう伝えていいかわからないので、アッシュに助けを求めてしまう。
「なあって、そりゃもちろんセ——」
「直接すぎるんだよ、クソ野郎!」
思わず胸ぐらを掴んで怒鳴りつける。
「痛い痛い!」
「……何をそんなに怒ってるの、ヒロ? それに……セックスは仲を深める行為のはずじゃ、」
「「そうなんだけどそうじゃない!」」
本気で言ってるのかよって感じで、またしても突っ込む。
「ほらアッシュ、お前! レインがなんか特大の勘違いしてるじゃねえか!」
「ああん? そんなもんもともとお前が…………あー、クソ、わかったっての! どうしても知りたきゃ図書館にでも行って、専門書読めばわかんだろ!」
「…………頭いいじゃねえか、お前」
アッシュを揺さぶっていた腕が止まる。口で説明するよりか、よっぽど良い提案だった。
「二人が知っているなら、この場で教えてくれればいいのに」
「俺の持ってる知識じゃ、ちょっと説明が難しいんだよ。本で読めば細かいとこまで書いてあるから一発でわかるぜ」
そういうものなのか? とレインが見やってきたので、オレもそっちの方がいいと思うと伝える。
「……わかった。なら、さっそく借りに行こう」
こうして、本日の目的が決まった。
子供の作り方を調べるために図書館に向かうという(アッシュはどうやら気を遣って消えてくれた)、普通に生きてれば絶対にないであろう経験を得るため、
「なあ、レイン。腹減らないか?」
「……たしかに。今日の朝は何も食べていないな」
別に一食抜いたところで死にやしないが、なんとなく一日三食でないと落ち着かないのだ。育ちが良いというやつなのだろうか。
「今日はあれにしようぜ」
店頭に「今日のイチオシです!」と並べられた、みずみずしいリンゴを指さす。
「わかった。買ってくるからそこで待ってろ」
「おう」
……当然の如く、財布の紐はレインが握っているのだ。
レインが果物屋の店主に話しかけようと、一歩踏み出したところで……。
オレは。
目の端に小さな女の子を捉える。
……周りに保護者のような大人はいない。
女の子は、誰かに助けようとしているのか視線を彷徨わせているが、その涙を浮かべた瞳に答える者は誰もいない。
なんつーか。どうしてこういう場面にオレは遭遇すんだ?
それでも結局。気づいてしまったのなら、オレの良心は見過ごすことができない。
「適当に買っといてくれ」と、レインに言い残して女の子の元に向かう。
彼女は特に何か言及するでもなく、一個多めに買っておいてあげる、と謎のサービス精神を見せて見送ってくれた。
そうして第一声をどうするか考えながら近づいて、
「なあ、君。どうしたんだ?」なるべく穏やかに話しかけたのだが、女の子にはビクッと驚かれてしまう。「あー、悪いな。オレは君の父さんじゃねえ。君は、迷子なっちゃったのか?」
笑顔、笑顔、と引き攣った笑みを浮かべる努力をするオレ。
「う……うう。…………ううぅ、ひぐっ」
急に、ポロポロと涙を流された。
「え、あ、ちょ……」
…………ついには声をあげて、えんえんと泣き始める。
「ああ、おい。泣くなよ……。お兄ちゃんは悪い奴じゃないぞ……?」
ど、どうすりゃ正解なんだ? レイン? そうだ、レインを呼ぼう。
と……あたふたしながら助けを乞おうと即断した、その時——、
「————そこの変態、ライネに何してる」
なぜだか聞き覚えのある、女性にしては低く、男性にしては高い声が響く。
振り返ると…………さて、そこにいたのはニアだった。
お互いを、見て。
あ……といった感じでお互い口を開く。
ニアの横にはもう一人、幼い少女がいて、オレとニアとの間で視線を行ったり来たりさせていたが。
「アンタ……! この前はよくも上手いこと逃げてくれたな!」
「いや別に、逃げたわけじゃねえ」
そっと、目を逸らす。
「はあ? 連絡先すら告げない馬鹿がどこにいるんだ!」
「なっ、それこそお互い様だろうが!」
バチバチと睨み合うが、ニアの方はふと思い出したらしい。
「……あ、というかライネ‼︎」
ギャーギャーと目まぐるしく表情を変えるニアは、相変わらず睨みを効かせながらも、ライネと呼ばれた女の子とオレとの間に割り込み、庇うように引いていく。
挙げ句の果てには、
「誘拐されかけたのか、いや、そうだ。こいつは変態だ。そうに違いない」
と、ゴミを見るような目を向けられるが、ニアの横にいた少女が、そんな雰囲気をあっさりとぶち壊す——。
「ひょっとしてもしかして、この人、ニア兄ちゃんの彼女?」
「なっ、冗談! そんな風に見えるのか? こいつは今、アンタの妹に襲いかかって泣かしていた変態野郎だぞ?」
烈火の若き勢いでニアは否定する。
「でも……私たち別に、この人がライネを襲うところなんて見てないでしょ」
「いや、それは……」
「私には、助けてくれてるように見えたけど?」
「……はいはい。わかったよ。こいつは男が好きな真性の変態だからな!」
「変態変態言うんじゃねえ! 誤解されちまうだろうが!」
散々言われ放題。さすがに突っ込みたくもなる。
「……ん? やっぱり彼女さんなの?」
「「だから違う!」」
奇しくも声が重なった……。
「うわっ、びっくりした。彼女さんじゃないのかぁ……。でも、珍しいね。ニア兄ちゃんが他の人と話してるのって。しかも女の子と」
「……あー、違う違う。見かけに騙されちゃダメだぞ、アイネ。なよっちい格好してるけど、こいつは立派な男だ。アレがついてる」
「え、男の人なの? かっこいいお姉さんじゃないの?」
アイネは、ほんとにー? といった顔をして見やってくる。
「おう。これでも立派な男だぞ」
「そ、そーなんだ。じゃあ、あなたもお兄さんなんだ」
「こういう風に、格好から騙してくる不審者もいるから気をつけろ。自分の身は自分で守らなきゃダメだぞ?」
「そろそろオレを不審者扱いするのやめろよな」
「ライネが泣かされてるかもしれない状況見て、怪しまない馬鹿はいないだろ? さ、ライネ。もう落ち着いたか? この変態……おにーさんには、本当に何かされなかったか?」
ようやく見知った顔を見て安堵したのか、えーとね、と迷子の女の子ことライネが話し始める。
結局、たどたどしい口調の、「誰も話しかけてくれなくて、寂しくて、声をかけられて安心して泣き出してしまった」という説明がなされ。
その姉であるアイネが、やっぱりね、と付け加えることで、容疑は晴らされた。
「……とのことなんだが」
と、ヒロ。
「こういう大人しそうな顔の奴こそ、下手な強面より何考えてるかわかんないから怖いんだ。疑うのも仕方ない」
と、開き直るのはニア。
「無茶苦茶言うなよ。こんなこと自分から言いたくはねえけど、こっちは親切心だったんだからな?」
オレはたまたま見知った顔だったからいいけど、下手なおっさんが善意で助けてたりしてたら、ロクな目に遭ってねえぞ。おっさんが。
「……っ、わかってる! 助けてもらったらお礼はしろってくらいは、ちゃんと教わってるからな……。…………だから、その、……一応ありがとう。ライネを助けてくれて」
「……ああ」
歯切れ悪いながらも途端に殊勝になるニアに、若干居心地が悪くなっていると、
「さあて。それはそれ、これはこれだ! なんでアンタがおれの誘いから逃げたかについて聞こうじゃないか」
またしても急に転調するニアのテンションに、ちょっと引く。
こいつさては、アッシュと同じタイプか……?
「だから逃げたわけじゃねえって。ただそっちだって何も言わなかっただろ?」
「それはアンタが、『悪い、ほんとに今日はもう時間がないからまた今度な』って、すごい勢いでまとめるから、こっちも思わず頷いちゃっただけだ。そんなの後で考えたら逃げたと思うしかないだろ?」
「たしかにそうだったかもしれねえけどさ……」
おいおいこの際どっちが悪いんだ? 教えてくれよ、裁判官!
……はいるわけないのだけど、つい己の非を認めたくない気持ちが前面に出て、第三者に意見を求めたくなる。ニアも同じなようで、アイネとライネの方を見やっていた。
真剣に何やってんだ、オレ……?
それこそライネは小首を傾げるだけだったが、アイネはさすがお姉ちゃん。うーん、と目をつぶってきっかり五秒間。パチっと目を開く。
「ニア兄ちゃんも悪いとこあるよ」
「うぐっ!」と変な声を出すニア。
「妥当だろ」とオレは返す。
「まぁ……アイネが言うならまぁ、おれもちょっとだけ、ちょっとだけは非を認めてやる。だけどな、
「わかったわかった。しばらくは一緒にパーティー組んでやるよ。それでいいだろ」
「投げやりにするな。そもそもなんでおれが下手にでなくちゃ…………まぁ、わかったんならいいけど」
突き刺さる幼い視線に、渋々とニアは言の刃を抑えた。……なにかもうそのプライドの高さには関心しかできなかったが、とあることが気にかかる。
「……つーか、一つ気になったんだが、お前よくオレのことが初見で男ってわかったな。自慢じゃねえが、見破った奴はいなかったぞ?」
本当に自分で言ってて悲しくもなるが、そういえば彼は出会った時から、オレが男であることを前提として会話していた。
「そんなの簡単だ。臭いだよ、臭い。男臭い臭い。プンプン臭ってるだろ。おれは臭いがわかるからな」
「体はちゃんと洗ってる……って言いたいとこだが、そういうわけじゃなさそうだな」
「まぁ、これは体質みたいなものだから。一度会った奴の臭いは忘れないってわけ」
ふん、と一息。
その人を舐め腐った態度に、世界最高に臭いって噂の煮物でも近づけてみてえ、とか考えていると……、
「随分と盛り上がって、何かあった?」
背後から、声。
リンゴを詰め込んだ袋を小脇に抱えた——レインだった。
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