第26話 「冒険者の墓場《Adventurer's Graveyard》」

 沈み切った気分を払拭するためかいつにも増してハイテンションなアッシュを、理解しつつも適当にあしらっていると…………、「おっ」と奴は声を上げた。 


「見えてきたぞ」


「……あれがそうなのか」


 ほい、とアッシュが指を指す先。店の玄関頭上には、デフォルメされたどでかい文字で、物騒な店名が刻まれていた。


「『冒険者の墓場』……か。一応レインからは聞いてたけど、縁起の良い名前とは言えないよな……」


「なんでも、ここの店員のほとんどは元冒険者らしいぜ。しかもどういうわけか、とんでもねー腕利きばかり。食い逃げなんかした日には、店員総出でお礼参りに来るそうだ。おっかない店だぜ、まったく」


「はあ……なるほど。どおりで『墓場』ってわけかよ。二重の意味で恐ろしいな」


「店長のオヤジという唯一にして最大の欠点を補って余るほどに、酒と料理の味、それと店員さんの可愛さは、俺とシーナさんのお墨付きだ。今日は……残念だが、次に来た時は酒盛りだぜ、ヒロ」


 アッシュはともかく、あの人まで何を査定しているのだろうか。


「……耳寄りな情報だな。楽しくなってきた」


「おうよ。さ、とりあえず入ろうぜ」


 アッシュが両開きの扉を開けると、チリンチリンと鈴の音が鳴り響いた。呼応するように、いらっしゃいませー、お好きな席へどうぞー、と、ちょっとばかし際どいメイド服のウェイトレスたちが澄んだ声を奏でる。

 彼女たちから意識的に視線を外して店内に設置された時計から時刻を見ると、一七時を過ぎたあたり。ピーク時ではないのか、店内に客はいるもののまばらだった。

 テーブル席の間を抜けて、ずんずんと奥のカウンター席まで歩いていくアッシュに続く。その奥にいるのは店主らしき老人だ。

 アッシュがカウンター席にどかっと腰を下ろすと、それに気づいた老人は、 


「おう、いらっしゃ……って、なんだ……まーた、お前さんか」


「客に向かって『また』とはどういうこった筋肉ジジイ。水臭いこと言うなって!」


「お前がまともな客でいられるのは、せいぜい数分だろうが!」


 お互い気兼ねない態度で、悪態を交わし合うアッシュと店主と思しき老人。

 若い頃は黄金色だったであろう髪に白髪が混じっているのを見ると、やはり年齢を感じさせられる。六〇歳前後くらいだろうか。「オヤジ」や「ジジイ」呼びも違和感はない。

 ただし、二メートルは易々と超える身長、筋肉と硬そうな脂肪に包まれた強靭な肉体は見る者を圧倒し、年齢による衰えを感じさせない。

 考えるまでもなく、巨人ジャイアントの種族だ。

 そんなバカでかいオヤジはアッシュのそばに立つオレに目線を移すと。


「おっと、坊主……で、いいんだよな? どっちにしろ見ねえ顔だが、この馬鹿が連れてくるのがうちの店とは思えん」


「あ、はい……坊主であってます。アッシュと一緒に冒険者アドベンチャーをやってる、キサラギ・ヒロです」


 威圧感に気圧されつつも、簡単に自己紹介する。

 というか……初対面で性別を間違えられそうになるというのはやはりめんどくさいのだが、過去の自分は言われ慣れてしまったのだろうか。彼はどうやら、「アッシュの連れ」という部分で判別したようだった。


「はぁー、アッシュとパーティーを組んでると。変わってるの……」


 数奇なものを見るような目でオレとアッシュを交互に見やるオヤジ。


「うるせーやい。俺とヒロは生涯マブダチなんだよ!」


「わかったわかった。とはいえ、こんな早くにお前が来るのは珍しいの。今は暇だが、冷やかしならお断りじゃぞ」


 アッシュの言を軽くいなしてオヤジは目的を問う。


「ちげえよ。今日の目的は酒盛りじゃなくて、ヒロの人生相談だよ人生相談。年寄りの知恵を借りたくてな。ちょっとは時間取れるだろ?」


「人生相談……?」


 当然ながらオヤジは首をかしげる。説明不足を補うためオレが引き継いで、


「そんな大層な話じゃないですけど。実はオレ、こちらで働かせてもらってるレインと一緒に暮らしてるんです。いつもお世話になってるんで、一度ご挨拶しておこうと思って……」


「なんだ、坊主が店のみんなが噂しまくってた例の恋人か?」


「いや、まあ……一緒に住んでるってだけですけど、それよりオレたちの噂って、そんなに知れ渡ってるんですか……?」


 恋人うんぬんを否定してもややこしいから曖昧にごまかして尋ねると、オヤジはなんともなしに、


「ああ。うちで働いてる奴らは全員知ってるんじゃないかの」


「全員って……いったい誰がわざわざ広めたりなんか……」


 じろりと一番怪しい人物を睨むが、視線に気づいた容疑者ことアッシュは、


「女じゃあるまいし、わざわざ他人の色恋を吹聴する趣味は俺にはねえよ」と、否定。


 ……その一言で妙に納得できるのは良いのか悪いのか。


「しっかし、あんな鋭利な刃物みたいなレインが惚れたというから、どんな屈強な男かと思ったら……意外とひょろっちいの。女子かと見間違えそうにもなる」


 じろじろオレの体を見回してくるオヤジ。彼からすればたしかにオレの体なんて、貧弱なもやしっ子どころではないのだろうけれど。


「そう思うだろ? でもよ、実は俺より強いんだなぁ、これが。戦っても勝てない勝てない。実力だけならきっと超級冒険者ランク4はあるぜ。実績が伴ってないだけで」


「ほお……そりゃおもしろい。人は見かけによらないってことかの」


「言いすぎだっての……」


 割り込んできたアッシュの過剰な持ち上げ方に、居心地悪く肩をすくめる。

 オヤジは改めて店内の時計の方を見やってから、


「さて、客が押し寄せて来るまで一時間ってところか……。アッシュは余計だが、レインにはよく働いてもらってるしの。店員のことを知るのも店主の務めよ。話くらいなら聞いてやらんでもない」


「……よろしく、お願いします」


 そもそも成り行きに身を任せただけだったが、一応ぺこりと頭を下げた。


「そうこなくっちゃな。俺をないがしろにしてるのは気に入らねえけど」


「話をするのはお前じゃなかろうが。文句があるなら出ていけい」アッシュへの言葉もそこそこに、オヤジはこちらを向くと、「ヒロって言ったかの? 立ち話もなんだ。とりあえず座んな」


 言われるがままに、アッシュの隣に腰を下ろす。


「せっかくだからレインも呼ぼうかの……って、ん? たしかあの子は……」


「働きすぎだから休みをもらった、って言ってました。オレも、レインが働いてる時にはちょっと行きづらかったので、ちょうど良かったです」


「おお、そうだったそうだった。……なるほど、挨拶とやらに今日を選んだ理由はそういうわけか。ふむ、心は見た目通り繊細よの」


 ぐうの音が出ないほどその通りだった。


「で、酒はどうする?」


 さすがは酒場。兎にも角にも酒がないと始まらないというわけか。


 でも、オレにはここで冷えたエールを嗜むのことはできない。酒にはそこまで弱くはないが、飲んで帰ろうものならレインは普通に気付くだろう。

 何も頼まないのは顰蹙だが、ここは素直に、


「すみません。オレはこの後、約束があるから酒以外のもので」


「そりゃあ、残念。次に期待させてもらおうぞ」


 強面から放たれる意外にも愛嬌のある笑顔に、申し訳ない気持ちがさらに強まる。


「俺は当然、キンキンに冷えたエールを頼む」


「……まいど」


「ヒロとの反応が違いすぎないか⁉︎」


 その言葉は非情にも無視されてしまっていたが、ともあれ。

 アッシュの注文も経て、待つこと少し……。


「ほいよ」


 二つのジョッキが、ドンッ! とテーブルに叩きつけられる。片方はただの水だが。

 アッシュは待ってましたとばかりに、ジョッキ持ち手を引っ掴むと、ぐびりと一気に半分ほど飲み干した。


「くぅ〜、美味い! やっぱり、仕事終わりの冷えたエールは最高だぜ!」


 とびっきりの笑顔で口元を拭うアッシュを見ていると、欲にそそられるが我慢だ……。



 それからしばらくは、オヤジとの何気ない談笑を楽しんだ。

 オヤジも元は「腕利き」の冒険者アドベンチャーだったらしく、どおりで先ほどのアッシュの台詞に強く反応していたわけだ。鍛え上げられた肉体にも納得がいく。

 一応今でも資格ライセンス登録はされているようだが、一線を退いて、稼いだ金をほぼ全てつぎ込み、この酒場を開いたそうだ。……正直なところ、彼はあまり冒険者時代のことを話すのは乗り気じゃないようだった。

 さらには、何気なく周りを見渡していると気付くこともあった。

 店内で給仕をしているのは、皆ウェイトレス。ちょうど見える位置にある厨房で働いているのも、少女と呼べる年齢の女の子たちが多数。年長者も三〇歳に届くかどうかといった妙齢の婦人——とどのつまり、店員が全て女性だった。

 常連のアッシュも、この店がお気に入りなのは女の子が可愛いからだと言っていたが、女の子しかいないとは言ってなかったから、オヤジになぜなのか尋ねてみると、「野郎が運んでくる酒が美味いか?」とのことだった(理由を聞いたアッシュは、「じゃあ、なんで俺にはオヤジがエールを持ってきた⁉︎」と憤慨していたが……)。

 店員には過去にいろいろあった人たちが多いらしく、年寄りとはいえ強面の男が経営する店なんかに女性店員が集まるのも、元冒険者が多いというのも、「経歴不問」という対応がからくりらしい。

 一通りの店の解説を聞いた後、話題は移り変わってゆく……。


「まあでも、真面目な話だがの。言いたいことがあったら、言えるうちに言っておけい。後回し後回しにしてたらろくなことにならんぞ」


 気さくそうなオヤジが、えらく真面目くさった口調でオレの目を見て、


「伝えたいと思っても、その時に相手がそばにいるとは限らないんだからの」


「……はあ」


 妙に含蓄のありそうな言葉を吐いたオヤジは、ゆったりとした重い口調で、


「そう……忘れもしない。二〇年前のあの日、わしは——」


「待て待て待て! もうその話はなんっかいも聞いたからもういいっての!」


 低い声で語り出したオヤジの話に、アッシュが待ったをかける。


「あんたが女だらけの酒場の店主として、毎日を過ごしていたとしても、嫁さんを大切に思ってんのはよくわかってるからさぁ……。——もうちょっと明るく頼むぜ!」


 結構な頻度で入り浸ってるのが理由か、ヒロにとっては重い告白のように思える話も、アッシュにとっては聞き馴染みのある話のようだ。


「……ッ! お前に話してるわけじゃないわい! まったく、調子が狂うの……」


 軽薄な横槍に怒鳴りつけるオヤジを物ともせずにアッシュは快活に笑いながら、


「ヒロぉ、お前もお前だ! ビビってんじゃねえ! 勇気を出せ! 男を見せろ!」


 と、急な激励を送られるが、パッタリとテーブルに突っ伏してしまう。

 顔も赤いし、酒臭い。

 こいつ……またか。


「まったく、ありえねえくらい酒癖の悪い男よの……。おーい! 誰か手の空いてる奴はこっち来てくれい!」


 オヤジの呼び声に、はーい! という二重奏な返事とともに二人の女性店員がやってきた。

 ……さて、その顔は瓜二つである。

流麗な黄緑色の髪をした少女たちだが、髪型は長髪と短髪で分かれている。しかし、なんといっても特徴的なのが、見るものを魅了するような蠱惑的な相貌と尖った耳。

 亜人デミ・ヒューマン——森人エルフだった。

 優れた魔法特性を持つことで有名な森人エルフ。彼女ら自体はこの街では珍しくもなんともないが、大抵は冒険者だったり、魔工技師だったりと、その資質を活かす職に就くことが多いらしいので(プライドも高いと聞く)、酒場で働いてるとは意外だ。

 それはそうとして彼女たちは、明らかに双子と識別できるくらいには似ていた。髪型以外の大きな違いは、長髪は巨乳で短髪は貧乳という見事なまでのコントラスト。……双子の遺伝子でここまで差が出るのか、と思わざるを得ない残酷な事実だった。


「なんですか、店長」


 胸の大きい方の少女が、オヤジに問う。


「この馬鹿がまた潰れたんでの。リンでもレンでもいいから適当に相手をしてやってくれい」


 この店もアッシュの酒癖には困らされているらしい。扱い方も手馴れたものだった。


「また、アッシュさんですか……。わかりました。私はこれからやることがありますし……レン、お願いできる?」


 レンと呼ばれた胸の小さい(というか全くない)方の少女は、


「えー、やだよ、リン姉ちゃん。この人、ボクが男だとわかった途端、引くぐらいに露骨に態度変えてきたし……。めちゃくちゃショックだったんですけどぉ」


「一応、お客様です。わがままを言ってはいけません」リンと思わしき少女がレンという少女をたしなめる。


 そこまではいいのだが……。

 ……いま、とてつもなく不思議な会話に聞こえたような気がするぞ。


「……………………男?」


 オレが思わず漏らした声に、「少女?」は、ん? と顔を向けてきて、「なんだい、おねーさん? 見ない顔だけど……男がこんな格好してちゃ変かな?」


「いや……あまりにも自然すぎて気がつかなかったっていうか…………男?」


 おねーさん発言を突っ込むことができないくらいには不思議だ。

 ……だってありえない。声は高く、体も細い。せいぜい胸に起伏がないのは事実だが、ウェイトレスの格好と繊細で可愛らしい顔立ちも相まって、女性と言われても疑うことなく信じられる。

 …………オレは少なくとも、声はそこまで高くないぞ! 服だって男物だからな!


「そういや坊主はレンとは初対面だったの」


「え、坊主⁉︎」 


 チラッチラッと「少女(仮)」に見られ、うんと頷くオレ。気まずい空気が流れるが、それをオヤジが無理やり引き取る。


「ま、まあ、みんな最初はそうやって驚くんじゃ。そこのアッシュなんて一晩中デレデレしながら話しとって、レンの性別を知った途端、その場に崩れ落ちてたのは、ほーんと笑えたの」


 オレの疑心を覆すように補足するオヤジ。アッシュのクソくだらない悲劇を思い出したらしくニヤニヤしている。


「うるせー、このやろう! 純情な男の心を弄びやがって! ボクっ娘かぁ、なかなかいいじゃねえか……と思ってたら『実は男でした、ごめんね?』って、酷すぎるだろうがよぉ!」


 オヤジの言葉に反応するように突っ伏していたはずのアッシュが声を引きしぼるように口を挟む。結構な古傷のようだ。こいつがそこまで言うならそうなんだろうな……。

 この店の従業員の受付要項は前述の通り、「経歴は問わない。ただし女性のみ」と一風変わった募集だが、その内容は正確ではないみたいだ。……可愛ければいいらしい。


「そんなこと言われてもなぁ。勝手に勘違いしたのはそっちだろー」


 ベー、と舌を出すレンちゃん——改めてレンくん。そんな仕草の一つ一つも愛らしい。

 だが……男だ(そうだ)。


「くそっ、世界は残酷だぁ……」


 テーブルに拳を叩きつけるアッシュは、そのまま再びぺたんと突っ伏す。


「アッシュさん! しっかりしてください」


「あぁ……。それに比べてリンちゃんは優しいなぁ……」


 自然な動作で手を握るアッシュに、リンは顔をパッと赤くして、


「ちょ、ちょっと!  ……もう、しょうがないですね。少しの間ならお話してあげますから。ほら、端っこに行きましょう!」


 アッシュの手を取り立ち上がらせると、そのままカウンターの端へと向かう。

 ……そういえば、あのリンという少女が最近仲良くなったという例の店員らしい。なかなかどうしてアッシュの扱いに手慣れている。とりあえずあいつは、愚痴を聞いてもらうだけで満足するのだ。


「ねえねえ、店長。この黒髪ちゃん改め、黒髪くんはいったい誰なのさ? 店長がわざわざ長話をするなんてよっぽど気に入った子なの?」


 一人で妙な関心をしていると、レンはオレに興味が尽きないのかオヤジに尋ねている。


「ああ、この坊主はヒロといっての。あのレインの恋人だ」


「んな⁉︎ この子が噂に聞くレインの恋人くんなのかぁ! …………へぇ〜。改めて見ても、ボクに劣らず可愛い顔してるねぇ。ひょっとしたら……いやひょっとしなくても女装が似合っちゃうかも……なんて」


「じょ、女装……? ……は、ちょっと無理ですかね」


「ええ、なんでなんで! 可愛い服選ぶのとかって楽しいよ? 女の子の心をちょっとでも知れれば、レインちゃんを喜ばせられるかもしれないしさ!」


「いやぁ……オレはさすがに、君みたいな可愛い系にはなれないっつーか」


「じゃあ綺麗系だったらいいってこと⁉︎ ……ははぁ、なるほど。髪が長めだからナチュラルに魅せれるかもね!」


「うーん、そういうことじゃなくてだな……」


 クソ、会う人会う人キリがねえ! 

 どうかな? どうかな? と迫り来るレンに、オレはタジタジ。

 できるだけ困った顔をして、店員の暴走を抑えてもらうべく店長を見やるが……、


「うーむ……店員はまだまだ募集中だからの……。なんなら、坊主もレインと一緒に給仕でもやるか?」


「あ、それいいね、店長! 仲間が増えるのは大歓迎だよ!」


 仲間⁉︎ どんな仲間だ⁉︎

 悪ノリするオヤジに、本気で賛成しているらしいレン。これは悪い流れ気がする!


「ぜっったいに、嫌です!」


 もちろん断固拒否だ。

 突きつけられた答えに対し、「彼」は本当に残念そうに、


「え〜、いい案だと思うけどなぁ。……ま、いっか! 気が変わったらいつでも待ってるからね、ヒロくん!」


 悩殺ウインクをかました後、給仕のお仕事へと戻っていった……。


「ふう、やっと落ち着いたの」


 他人事のように言うオヤジだったが、彼も途中から乗り気だったことをオレは忘れていない。


「……何もしてないのに、どっと疲れました」


「うちには個性が強いの娘らが多くての。大目に見てやってくれい」


「たしかに、見てて飽きないです」


「だろう?」


 こんな個性の殴り合いみたいな職場なら、レインが特に浮くこともないだろう。店主の性格にしても、本当に良い職場を見つけたものだ。


「……しっかし、お前さんも大変だの。あんな奴とパーティを組んどるなんて」


 カウンターテーブルの端っこで、へべれけになりながらリンと会話するアッシュを見やって、やれやれと首を振りながらオヤジは言う。


「いつも苦労してます……」


 身内の恥を見せつけられた感はこちらとしては普通に恥ずかしかったが、一方のリンはといえば、なんだかんだで楽しそうである。女の子からすればいい感じにダメで、母性本能をくすぐるのかもしれない。


「悪い奴じゃないってのは、見てればわかるがの……。もうちょっと他にいなかったのか?」


 もっともな疑問だが……違うのだ。


「そう、ですね……。たしかにあいつはどうしようもなく馬鹿だけど……それでも、オレが困ってる時には必ず助けてくれるような、そんな奴なんです」


 オレは、過去のアッシュなど知らない。だけど、一緒に過ごしていればわかる。

 人との関係は、時間だけじゃない。

 アッシュへの好意的な言葉が思いもよらなかったのか、オヤジは目を丸くすると……やがて良いことを聞いたとばかりに薄く笑った。


「……友達、か。お互い、良い友人を持ったってわけだの」 


「はい」


 白髪が混じった頭をぽりぽりとかいたオヤジは、一つ咳払いをして、「そういや、坊主はさっきっからまともに食ってないの。酒は置いとくとして、何か飲まんか? 今日はサービスしとくぞ?」


 しんみりとした雰囲気を切り替えるように、笑いかけてくれるオヤジ。今のところ、アッシュと一緒に酒のつまみ程度のものを少しかじっただけだった。

 けど……、


「あ、いや……成り行きでちょっと長居したけど、今日はもともとレインのことでお礼に来ただけだったんです。すみません、なんか冷やかしみたいで」 


「なら構わんが……晩飯は食っていかんのか? ちょうど飯時だしの」


 特に伝える機会がないので黙っていたが、別段と隠す理由もない。客足も増えてきたし、いい頃合いだ。


「実は、家でレインが飯を作って待っててくれてるんです。だから、そろそろ帰らないと」 


「なんだと?  ……なら、こんなところで油売ってる場合じゃなかろう」遅まきながら告げられる事情に、オヤジは強く言った。「男が待つのはいいが、女を待たせるのはいかんの。さっさと帰ってやんな」


 さっきとは別人のような、真剣な目でオレを見つめている。


「……そうさせてもらいます。ご馳走様でした」


 ……と、オレが席から立ち上がると、オヤジが改まった声で、


「おい、坊主」


 思わぬ呼び止めに、再び向き直ると。


「早く帰れとか言っといてなんだが、最後に一つだけ……いいかの?」


「なんですか……?」


「レインのこと、大事にしてやれよ。待ってくれている人がいるというのは、何物にも代えられない幸せだ。あの子にむかし何があったかは知らんが、今はお前さんが支えてやらんとの」


「……わかってます」


 オヤジさんの顔をよく見ると、まなじりには涙が滲んでいた。


「いや……悪いの。お前さんを見てると、ちょいと思い出すんだ。二〇年も前に死んだカミさんのことが今でも忘れられないなんて、自分でも女々しいと思うんだが、どうも……の」


 オヤジの奥さんは、先の発言から予測できるよう、やはり他界していたらしい。今、彼の遠い目には、最愛の人物が映っているのだろうか。 


「……そんなこと、ないですよ。奥さんも忘れられるより、覚えていてほしいはずです」


 今の自分は、人の死を本当の意味で知らない。

 過去の経験を鑑みれば嫌というほど味わってきたはずなのに。

 ……でも、月並みな言葉しか言えなくても、少なくとも今のオレはそう思った。


「こんないい年のジジイが、夜中にふと思い出してメソメソ泣いていてもか?」 


「そんな日があっても、いいと思いますよ」


 オヤジとて二〇年も経てば、すでに自分の中で決着をつけているはずだ。ただ、口に出したい時もあるだろう。それがたまたま今だっただけだ。


「そうかの?」


「きっとそうです」


「……悪かったの。引き止めて」


「こちらこそ、個人的で急な話なのにわざわざ聞いてもらったから、お互い様です」


 何よりも、人の想いの大切さを学んだ気がする。オレと一緒で口下手そうなオヤジが、一生懸命に何かを伝えようとしてくれていたのは十分にわかった。


「まあ、なんというかの。——頑張れよ、ヒロ」


 強く、背中を押されたような気がした。


「……ありがとうございました」


 オレはオヤジに頭を下げてお礼を言うと、「冒険者の墓場」を後にした。



 人の良い巨人ジャイアント店主の店を後にして、第四都区まで戻ってきたオレは、すっかりと見慣れてしまった丘の道を、ゆっくりと登っていく。慣れたと言ってもせいぜい三ヶ月くらいだけどな……。

 でも、とても

 オレには記憶がないはずだ。しかし、記憶がなかったとしても、彼女に元へ向かう時の、期待や喜び、幸福感には、とても既視感を覚えた。

 いつだったか、「オレなんかでいいのか?」と聞いたことがある。その時レインは、「おまえがいい」と答えた。

 ……まったく、今思えば馬鹿らしすぎる質問だよ。

 オレたちが住むあの小屋にしてもそうだ。ギルドから遠く離れているし、立地的には便利とは決して言えない。シーナさんによれば、安くてもっと良い物件なんていくらでもあるらしい。

 だけど、レインはこの場所を選んで建てたのだ。

 二人の思い出の場所に一番近いから、と。

 ……考えれば、ずっと受け身だったと思う。

 向こうから差し出されたものを受け取るばかりで、こちらからは何も動くことはなかった。

 甘えて、いたのだろう。

 アッシュやシーナさん、レインの優しさに。そして、自分自身に。

 心のどこかで、記憶を失っていた自分は可哀想だから仕方ないよな、と。

 だけど……ありふれた日常の中で気づかされた。

 過去の自分が欲していたものは、きっとすでに手に入れているんだということを。

 レインには、この数ヶ月でたくさんのものをもらった。記憶を失う以前の自分も、いろんなものをもらってきたのだろう。


 けど——。

 そのもらっているだけの関係は、いったん終わりにしよう。


 オヤジさんとの会話でふと思い当たった、今朝の出来事。レインが不自然に、オレの寝ているところに潜り込んできたことだ。普段なら散々言及してきそうなものだが、意外とあっさり引き下がった。寝ぼけたというのもどこまで本気かわからないし、気にすることはないだろうと思っていたが……。

 もし、夢などがきっかけで過去の恐怖を思い出していたとしたらどうだろうか。

 レインだって、ただの普通の女の子なのだ。

 普段は毅然としていても、たまには誰かにすがりたい時もあるかもしれない。


 だったら。

 今度は——オレがレインにあげる番だ。


 一歩一歩、レインが帰りを待つ家に向かって、オレは足を進める。

 何気なく見渡せば、広がる絶景。月明かりに照らされた川の水面と濃緑の木々。それらを越えた先、繁華街や歓楽街、各ギルドを筆頭に、灯りが爛々と輝いている。

 借金のおかげで生活は貧しいが、この場所を選んでよかったと、改めて思わされた。

 そして——、


「外で待っててくれたのか?」


 小屋の前に佇む少女に声をかけた。彼女の顔には、怒ったような、でも安心したような、そんな表情が浮かんでいた。


「いや。なんとなく予感がして、今出てきたところだ」


 この際、彼女の言葉が本当か嘘かはどっちでもよくて。とりあえずは、おきまりの言葉を伝えておくことにした。

 ……言い訳は後でできるしな。


「ただいま、レイン」


「おかえり、ヒロ」


 レインはようやく嬉しそうに、やんわりと微笑んだ。


「もう食事の用意はできているけど、お風呂も焚けている。先に食事にするか? それともお風呂に入る? どっちがいい?」


 よくよく見れば小屋の裏側からは湯気が上っているのがわかった。いつもは風呂から先に入っているが、今朝に大見え切った手前もあり、食事の方も早く食べてほしいのかもしれない。

 どうするかな。……よし、決めた。

 「三択」にしてやろう。


「じゃあ、レインで」


「…………何を言っているかわからない。頭でも打ったのなら今すぐ病院に行こう」


 素で返される。

 やべえ、さすがに滑ったか。


「あー、変な意味はなくてだな。ふと思ったんだよ。オレは散々自分のことは教えてもらったけど、レイン自身のことについてはあんまり知らないなって。……だから…………つまり、お前のことをもっと教えてほしいって感じだな」


 オレの言い訳じみた台詞に目をぱちくりとさせるレインだったが、存外にその気にさせることができたみたいで……。


「……大して面白い話はないが、ヒロが聞きたいというなら話そう。でもまずは、食事の感想をもらってからだ。——さあ、早く入れ」


 彼女はせかすように、風で髪をふわっと揺らしながら小屋の中に舞い戻る。

 紅のリボンは、よく似合っていた。

 …………オレは自分で笑みがこぼれているのを感じつつ、その後に続く。


 ——今日の夜は、少し長くなりそうだ。

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