【レイン・オブ・レース】

第1話 「“死神”と”英雄”《THE DEATH AND THE HERO》」

 ——夢を見ていた。



 みんなと幸せに笑っていられる世界を。


 でも、でも。


 吹雪いて舞い散った桜のように。

 夜空に瞬いて消えた星のように。

 失ったものが、あって。


 世界は非情だ。


 どうして。

 どうして、こうなってしまったのだろう。

 力をどれだけ尽くしても、大切な存在は消えてゆく。

 自分の前から、去ってゆく。


 “約束”は、とっくにもらっているのだけれど。

 私は貴方すらいない世界で、耐えて生きて、いけるのだろうか。


 常にそう、考えてしまう。


 だから問うた。

 絶望に争い続けた彼、絶望を超えて立ち上がった“英雄”へ。

 生きて、戦う意味を。

 ……彼は笑って言った。



 ——未来のためだろ、と。



 ああ、なるほど。

 築き上げた屍の山に、未来の答えがあるのなら。

 “死神”も、再び立ち上がれる。






「——ヒロ、全てが終わったら子供を作ろう」






 どうしようもなくリアルな夢を見ていた気がする。

 もう思い出せないけれど、鮮明な情景が過ぎ去っていった。


 いや、いい。

 そんなことはどうでもいい。

 頬を伝うものが血か雨か涙か、それが重要だ。

 きっとどれでも大差ないのだろうが、自分が今どういう顔をしてるか見てみたい。


「これが、戦争ってやつか」


 オレは、戦場の地面だった。

 まだなりかけというところだが。

 考えても見てほしい。ここも、数時間前まではただの荒野でしかなかったのだ。なのに今では火の手が上がり、血と肉と、焼けた木々の臭いが充満する地獄だ。嗅覚も狂ってしまって役に立たない。


「クソっ。オレは、何のために兵士になったんだよ……」


 ——誰のものかもわからないような血溜まりの中に、オレは転がっている。

 そこらに落ちてるガラス片には、女みたいな男の顔が映った。やっぱり、情けない顔してやがる。煤だらけで赤泥まみれの汚い姿と、非常にお似合いの顔だ。鈍く光る金色の瞳には、「絶望」だけが漂っていた。


「オレは、弱いな」


 オレ——キサラギ・ヒロはかすれた声で、自嘲する。

 なんでこんなことになってるのか。孤立しているのか。もちろん、一人で戦いに来た戦闘狂いってわけじゃない。

 戦闘開始直後は、敵味方入り混じる乱戦パーティーだった。自分の何倍も強そうなオッサンたちが、あっという間に次々とやられてくのをただ見てた。

 オレが所属している部隊の隊長。

 名前はそう、ダヤンだ。

 出撃を前にガッチガチの新兵を、彼が鼓舞してくれたことはよく覚えてる。

 ああ、凄かったさ。さすがベテランだ。激励の言葉を聞いただけで、何でもできるような気がしたぜ。

 だけど今、隊長の首は足元に転がっている。

 なあ、本当に隊長か?

 彼の顔は、目ん玉をひん剥いていた。死の間際の表情がそのまま張り付いてるわけだ。あんなに頼もしそうに見えた顔立ちが、今や哀れ。あっけなさすぎるだろ、おい。

 部隊は壊滅状態。はぐれた味方が何人生き残っているのかわからない。

 考えもまとまらない。だから、手元にある己の剣を何気なく見やる。その刀身には赤黒い血がびったりだけど、それは自分自身がつけたものじゃなく、血溜まりに落としたからであって。

 剣の扱いに慣れていても、人を斬るのはまた難しいものだった。いざ敵を前にした時、自分が何をしたか。ビビって焦って転んだだけだ。

 兵士一人の命がチリ紙よりも軽い戦場でそんなチンタラやってれば、役立たずの新兵なんて呆気なく吹き飛んじまう…………はずだったのだが。


 ——もし死神なんてものがいるんだとしたら、そいつは平等じゃないらしい。


 、敵の風魔法らしきもので吹き飛ばされ、打ちどころ悪く気を失っていたようだ。衝撃で地面に叩きつけられたことだけは覚えている。

 敵にも味方にも、死体だとでも思われていたのだろう、きっと。剣と魔法の嵐の中、無傷でいることができたのは、やっぱり幸運と言っていいのかもしれないが……。

 でも、その代償は高くついていた。

 気がついた直後の視界で、隊長の首がこんにちは、って感じだったから。

 慈悲なんてなかった。

 そもそも慈悲とは?

 彼の最期を頭から振り払い、歯を食い縛りながら、味方と合流しようと歩き出す。そういえばさっきから、腹の下が妙にムズムズしやがるのが鬱陶しい。クソ、小便でも漏らしたのか?

 ……と、誰のものかもわからない野太い悲鳴が響いてきた。近い。敵か。味方か。知るわけがない。一目散に立ち上がりその場から逃げ出す。今や、出くわすもの全てが敵にしか思えなかった。

 しかし……悪運もついに尽きる。

 黒を中心とした兵装をまとった帝国兵が三人、噴煙の中から目の前に現れた。


「——ッ⁉︎」


「敵だ! 一人見つけたぞ!」


 奴らが剣を振り上げる。やばい。鋭い刃が首を正確に狙ってくる。

 近づく死の気配。体は動かない。

 詰み、というやつだ。間違いなく詰んだ。

 剣は動かず、仲間はおらず、女の子もおらず。

 戦場でただ、無様に逃げ惑うことしかできない。

 ——まったく、何が英雄だよ。父さんの言う通り、戦争なんてロクなもんじゃなかったな……。

 思わず、目を瞑った。せめて苦しまずに死にたい。

 …………ッ。

 ………………あれ?

 いつまで経っても衝撃はやってこない。そして、

 ……なんだ?

 恐る恐る目を開くと、そこには。剣を握りしめたまま倒れてる敵兵たち。ピクリとも動きやしない。

 は。いったい、何が起きてんだ?



「おまえ、大丈夫か?」



 ふと聞こえた涼やかな声。女の声だ。

 耳を震わせた方向を見やる。


 ——紅く美しい、一人の少女が立っていた。


 黒髪の少女だった。

 太腿に届くほど長い、艶やかな漆黒の髪。

 初めて会ったにもかかわらず、これほどまでに黒が似合うのは彼女しかいないと思うほどに、少女の髪は麗しい。その髪と同化するかのような、全身を覆うタイトな漆黒のスーツに細身の体躯を包んでおり、そこから伸びる艶やかで鮮やかな肢体。整い過ぎた顔立ちと、血に染まったが如き紅の双眸。

 ……ぁ。

 今まさに、危うく死にかけたばかりだっていうのに、思わず彼女に見蕩れてしまう。軍に女性兵がいないことはない。けど、戦場に女性がいるのはやっぱり珍しかった。

 でも、少女は王国軍の兵服を着ているわけじゃない。つまり正規の王国兵ではないということだろうが、オレに危害を加える様子もない。ともすれば黒ずくめなので敵と間違えそうにもなるが、どうやら味方のようだ。

 ……しかしそれにしても若い。一五歳の自分が言えた立場じゃないけれど、彼女はまだまだあどけない顔立ちで、まさに少女と呼ぶべきで。

 とはいえ、どこか気品のある雰囲気もまとってもおり、すごく大人びても見える。澄み切った……されとて吸い込まれるような赤い瞳とその立ち振る舞いは、とても印象的に映った。


「ッ……これ、あなたが倒したんですか?」


 なんとかそれだけの言葉を紡ぐ。声がまだ震えているのを感じた。


「なんだ、見ていなかったのか?」


「あまりにも一瞬でしたから……」


「見て、ないのだな。…………それなら、それでいい」


 一人納得した様子で、少女は呟く。

 彼女は長剣を一振り携えていたが、敵の兵士には不思議なことに外傷が見当たらなかった。何かの「魔法」を使ったのかもしれない。

 ……ただ、どこまでも透明な彼女の殺意が敵兵を殺したのだということは、確かに理解できた。

 ともかく立ち上がり、少女に向けて慌てて礼を伝える。


「その……ありがとう、ございます。助かりました」


「怪我はあるか?」


「いえ、おかげさまで無事です」


 全身血まみれではあるが、これは血溜まりで転んだだけだし、大きな怪我はない。


「そうか。……あちらも、どうやら終わったみたいだ」


 少女は空を見上げながら、言う。

 つられてオレも空を見上げる。明るい発光色の狼煙が打ち上げられていた。

 ——王国軍の勝利の報せだ。


「戦いに、勝った? 終わったのか……」


 もっとも味方は壊滅的な被害を受け、自分はなんの戦果も上げていない。そんな状態を勝利と呼んでいいのかはわからないけれど……。

 でも、命はある。

 とりあえずはそれだけで十分。


「おーい、ヒロぉ! 生きてるかぁ⁉︎」


 背後から自分を呼ぶ声が聞こえる。

 声の方を向くと、同じ隊の兵士のアッシュの姿が見えた。大きく手を振って自らの居場所を伝えてくる。後ろには、二人の仲間を引き連れていた。

 よかった……あいつらも無事だったのか。

 アッシュの反応を見るに、煙で視界が悪いせいか、少女の姿は見えていないようだったが。

 とにかく見知った友人の無事に安堵して、オレが返事を返そうとすると、


「おまえは、ヒロ、というのだな」


 再び背後から、声が聞こえた。

 これまた振り返ると、先ほどの毅然とした表情と違って、少女の顔はかけらばかりに緩みがあった。


「そう、ですけど」


 反して、謎の反応にオレの顔は強張るが。


「…………いや、気にするな。初めは女かと思っていたのだが、名前と声を聞く限り自分の思い違いだったようだ」


 こちらをマジマジと見て、突如そう言い放たれる。

 い、いきなり何言い出すんだこの女……。

 少なくともボディースーツに首輪をつけて……なんていうパンクなファッションな奴に言われたくはない。

 とはいえ、状況が状況……。


「あの、あなたこそ……どうして、オレを助けて?」


「味方を助けただけだ。自分は王国に雇われた……傭兵だからな」


 傭兵。

 名声と利益と己の力のみを信ずる、歴戦の強者たち。

 容姿や見た目の年齢だけを考えれば、そんな風には決して見えないがしかし、戦場での立ち振る舞いの貫禄は、まさしく戦士のそれだった。


「自分の名前は…………レイン。今はあらゆる時間が足りないようだ。また、今度話そう」


 レイン、と名乗った少女は端的に告げると振り返り、ヒールブーツで小気味よく土を踏みしめながら、走り去ってゆく。

 ……何者なんだ、いったい。

 戸惑いつつも、華奢な背中が見えなくなるまで、目で追い続けることしかできない。

 結局、アッシュたちと合流した後、友軍に回収されるのを待つことに。その合間にアッシュから簡単な報告を聞き、突然の出会いで失念していた恐怖が再び蘇る。


 同時に——。

 恐怖をものともせず戦場を駆けていった、自分とそう変わらない年齢の少女。

 その、美しくも儚げな顔が、脳裏に強く深く刻みつけられた。



   ○○○



 ノールエスト・レムナンティア戦争。

 これは、アイトスフィア大陸北部に位置する、二つの国家による争い。

 一年半前。事は起こった。

 北で勢力を拡大している大国——レムナンティア帝国。彼の国が、大陸北東端の小国であるノールエスト王国に向けて、突如として宣戦布告したのだ。

 侵攻の理由は不明。

 声明では「これは報復である」という旨だけが伝えられた。友好の証として、帝国の第三皇女をノールエスト王が娶ったにもかかわらず、だ。

 唯一考えられる理由として、その第三皇女が若くして逝去されたことが関係しているのではと噂されているが、これもまた真相は闇に包まれている。


 ——冗談じゃない、あまりにも曖昧な、現実だ。


 開戦してからというもの、戦線では水際の攻防が続いている。圧倒的に国力・兵力で劣るノールエストにら、敵軍を追い散らす程度の力すらなかった。

 今回、戦場となったジュラート荒野は、両国の国境線のノールエスト領側に広がる土地である。

 オレはこの攻防戦にノールエストの新兵として参加した。

 オレは、英雄に憧れていたのだ。

 例えば——たった一つの剣とともに、世界の平和を守ったり。

 例えば——固い絆で結ばれた仲間と、凶悪な怪物に立ち向かったり。

 例えば——助けを求める女の子の前に、颯爽と駆けつけたり。


 そして例えば——不幸なお姫様を、悪逆の王から救い出してみたり。


 そんな存在になってみたかった。


 ——憧れた理由? そんなの決まってる。原因は父さん。そう、父さんがかっこ良すぎたのが悪いんだよ。間違いねえ。

 守りたいもんを守れる力を身につけろ、と幼い頃より父から教えを得ていたので、剣で戦える自信はあった。

 けれど戦場は、半年間の訓練を終えた新兵の哀れな妄想を、ことごとくぶち壊してきた。

 ちくしょう。

 自分で選んだ道なのに、考えが甘かった。


「……、…い!」


 甘い。甘いな。この酒は、甘い……。


「おい! 聞いてんのか⁉︎」


「……ああ。聞いてるよ」


「嘘つけ! 上の空じゃねえか」


 唐突に意識は戻される。ちょっと考え事にふけってしまっていた。


「レインって名前の女傭兵について知りたいんじゃねえのかよ」


 と——端正な顔立ちと右目の泣きぼくろが特徴的な、垢抜けた薄い茶髪の男、アッシュ・グラハムは、酒が入ったジョッキをカウンターテーブルに勢いよく叩きつけながら、そう言った。


「そうだ。そうだった。どんな些細なことでもいいから、何か知ってることはないか?」


 あの地獄のような初陣から数日経った夜。

 激動の傷跡も覚めやらぬ中、通常業務を終えたオレは、同僚のアッシュと一緒に王都のとある酒場に飲みに来ていた。

 アッシュとオレは同期だ。彼の方が年齢は二つ上だが、王国軍に入隊して訓練兵になった時以来から親しくしており、共に先の初陣を生き抜いた戦友でもある。

 背はオレよりも高いが、決して大柄とは呼べず、手先が器用なくせして、片刃の大剣を豪快に扱うというアンバランスな男だ。とはいえ、初陣ではそこそこ活躍したと聞く。

 実はアッシュの父親は、グラハム商会というノールエストでは五指に入る商会の会長であるらしく、言うなれば「箔」がある家の出だ。しかし、一悶着あって喧嘩別れした後、そのまま軍の詰所の門を叩いて入隊……という、なんとも子供じみた理由で兵士になったらしく——故に、グラハムの姓を名乗るのを、アッシュはあまり好まない。

 もっともこんな与太話を知っているのは、入隊して間もない頃に、明らかに近寄るなオーラを出していたオレに、ベラベラと説明を垂れたからなのだが。そのすぐ後、女だと思って声をかけたとか言われてぶん殴りたくなったものの……話してみれば案外気のいい男で、なし崩し的に仲良くなってしまった……。


 …………ある意味攻略されてやがるな、よく考えれば。


 たしかにオレの髪は、ロングと十分に呼べるくらい男にしては長く、さらに女顔でもあるから、女に間違えられるのはアッシュに始まったことじゃなかったが、やっぱり男としては複雑な気分になる。理由はあるんだぜ、一応。

 ……愚痴はともあれ、謎の少女のことが少しでもわかればな、と尋ねていたわけだが。


「うーん、聞いたことがあるような、ないような……」


「どっちなんだよ」


 歯切れ悪く答えるアッシュに、グラスを少し傾けながら不満を漏らす。他の隊士にも機会があれば聞こうと思っていたが、結局聞けずじまいで……。なので、オレが知らないだけで、ひょっとしたら彼女は有名人なのかもしれないし、思わせぶりな態度をとられても反応にいまいち困る。

 ……もっとも他の隊士と言ったって、オレが所属する部隊は今回の戦いで、オレとアッシュを含め四人しか生き残っておらず、隊長以下一九名は帰らぬ人となった。

 王国軍は戦いの後、被害を算出し部隊を再編成。そこで再びアッシュと同じ部隊になり、一応の祝杯ということで酒を飲み交わしているわけだ。


「そいつは剣士なのか?」


「帯剣してたから、たぶん剣士だとは思う。……ただ、なんでか剣を振った様子はなかった」


「はあ……そりゃあ珍しい。なに、殴り倒したの?」


 なんだそりゃ、といった様子でアッシュは目を丸くする。


「いや、一瞬のうちに外傷を与えずに、帝国軍の兵士を倒してたからな……。あれは何かの魔法だったのかもしれねえ」


「……『魔法』、ねえ」


 魔法、とは。

 人間は誰しも、多かれ少なかれ「魔力特性/魔力特性パーソナル」という超常の力を秘めており、それを用いて頭の中の想像イメージを通じて、さまざまな事象を引き起こすことを「魔法/魔法マギア」と呼んでいる。

 そして、それを行使できる者を「魔法使/魔法使ウィザード」と呼び、個人によって「才能」はあるものの、生活にせよ、戦争にせよ、多くの場所で活躍する超常の力というわけだ。

 オレも少し特殊とはいえ、一応使える。地味だけれど。

 目の前のアッシュも、実戦ではあまり役立たないが、「変身魔法メタモルフォーゼ」と分類される、なかなかユニークな魔法を持っていた。

 だから、ある程度の魔法の知識はあるが……。


「見たこともない魔法だった……ていうか、目を瞑ってて見てないから、何をしたかすらよくわからなかったけどな」


「おいおい……。そもそもお前を殺そうとした奴らはどうなったんだ?」


「確認したわけじゃないけど、あれは死んでるだろうな。……目が、死んでたんだよ」


 思い出したくもないが、あの倒れた帝国軍の兵士たちの目は、首だけになってしまった元小隊長と同じ目をしていた。


「なるほど……」アッシュは一人頷き、「一つ、奇妙な噂を聞いたことがある。傭兵かどうかすらもわからないんだが……王国軍の中に、『死神しにがみ』って呼ばれる女がいるらしいんだよ」


「その恐ろしい名前の女が、何か関係あるのか?」


「馬鹿野郎、大有りだ。その死神しにがみはな、目を見ただけで人を殺せるらしいぜ。お前の言うわけのわからん敵の死に方に、状況が近いんじゃねえのか?」


「目を、見ただけ……」


 たったそれだけで人を殺せるなんて、どれほどの脅威かは考えるまでもない。


「そんなことが本当にできるんだったら、対人戦なら無敵だな」


 だからといって、一瞬のうちに三人の兵士を殺すなんて芸当ができるかどうかはわからないけれど。


「奴の逸話はまだまだあるんだ。曰く、彼女は万の軍勢をも一人で相手取ることができる。曰く、彼女にはどんな魔法も通用しない。曰く——彼女は絶世の美女である……ってな」


 なぜか得意げに、アッシュは渾々と死神しにがみとやらの逸話を枚挙する。


「最後のは関係あるのか?」


「人間ってのは、未知のもんには大抵幻想を抱くんだよ。女の子だってんなら、綺麗に越したことはねーだろ?」


「そんなが綺麗だったところで嬉しいとは思えねえけどな」


 だいたい、恐怖の方が勝っちまうんじゃないのか?


「ま、あくまでも噂だ。当てにすんな」


 本当のところはアッシュも信じていないのか、冗談めかして肩をすくめる。


「そうする。一応、助かった。また何かわかったら教えてくれ」


「おうよ」


 そこで奴は、ジョッキの中の酒をぐびっと再び飲み干し、テーブルに置く。そうして、こちらを見てニヤっと笑いながら言った。


「……で、お前、その女のどこが気に入ったんだ?」


「ん? どういう意味だよ?」


「だって、わざわざ人に聞いてまで探してるってことは、そいつに気があるんだろ?」


 いきなり心臓を掴まれたような気分になった。


「ばっ、そんなわけねえだろ!」


 慌てて否定するが、そのとき思わず仰け反ってしまい、給仕をしていた茶髪の少女に肘をぶつけてしまった。幸い少女はよろめいただけのようで、料理を床にぶちまけずに済んだ。あたふたしながらも給仕の少女に謝る。


「っ……すみません、こぼれませんでしたか?」


「いえ、大丈夫です!」


 少女は頭を下げると、いそいそと他の客の元に料理を運びに向かう。

 少女を引きつっているであろう笑顔で見送り、アッシュに弁明をしようと振り向くと、彼は先ほどよりもさらに意地の悪い笑みを浮かべていて……。


「予想以上の反応だなぁ、おい。ひょっとして、図星か?」


「お前な……オレは彼女の名前くらいしか知らないのに、いきなり好きになったりするかよ」


 たしかに、彼女に興味がないと言えば嘘になるさ。そりゃあ、そうだろ? 唐突に名前を聞かれたり、なぜかまた後で話そうと言われたり、よくわからないことだらけだしな……。


「んじゃ、嫌いなのか?」


 ここぞと、アッシュは顔をぐいっと近づけてきて、言う。


「嫌いなんかじゃねえけど、そもそも好きだとか、そんな話じゃないだろ……」


 会ったのは一瞬。二言三言、話したぐらいだ。人となりも何も知らない。綺麗だったのは認めるけど……と、心の中だけで呟く。見蕩れてたことは内緒だ。


「はぁー。こりゃ、次の戦いは危ねえかもなぁ。死神に恋をしちまった馬鹿が同じ隊にいたんじゃ、命がいくつあっても足りやしねえぜ」


「おい……それはあくまで噂だって、お前が言ったんだろ」


「細かいことは気にすんなって! 頑張れよ!」


 アッシュが快活に笑って肩を組んできた。頬が紅潮しているので、かなりキテいるらしい。ボサボサの髪が頬に当たってくすぐったいし、息もすごく酒臭い……。

 相変わらず酒に弱いな、こいつ。だから飲むなって言ったのに。

 酔っ払いの相手なんて、してられるかよ。

 鬱陶しく絡んでくる友人を引き離すと、グラスに残った酒を飲み干し、軽くため息をつく。

 明日の非番をいいことに、すっかり酔いつぶれてしまったアッシュを、これから兵舎に連れて帰るのかと考えると億劫だ。

 吐かないでくれよ、頼むから……。


 酔っ払いたちの喧騒の中、夜が更けていった——。



   ○○○



 ——夢を見ていた。


 見晴らしのいい、どこか小高い丘の上。街が見える。

 ……ここは、なんだ? つーか、これって……。

 視線が異様に低い。目にかかった髪も

 間違いなく、今のオレは、子供だった。


「ちょっと聞いてんの、ヒロ」


 自分の名前を呼ばれる。

 声のする方に向くと、女の子が立っていた。


「なんだよ、姉ちゃんがなんでこんなとこに……」


 オレは女の子を知っている、はずだ。よく一緒に遊んでもらってる年上の女の子だ。歳が離れてるので、お姉ちゃんと呼ばさせられてるが、姉弟ではない。


「あんたは、何色が好き?」


「黒色」


 違和感。


「それは、どうして?」


「父さんが言ってたんだ。黒は“英雄”の色だって」


 違和感があるけど。


「へえ。じゃあ、私は英雄になれると思う?」


「きっとなれるよ。だって————」


 それでも、彼女には応えたい。

 この時のオレはそう、思っていたから。



アイトスフィア歴六三三年九ノ月一二日



 朝日が差し込む王国軍兵舎の一室で、オレは目を覚ます。

 どうにも変な夢を見たような気がするが、とっくに記憶は朧げになっている。

 寝ぼけ眼で壁に備え付けてある時計を見ると、長針は五時の手前を刺していた。夜が明けて少し経ったくらいだ。同室のアッシュは当然、夢の中である。

 起き上がっていつもの白シャツを羽織った後、肌身離さずと言っていいほどに常に持ち歩いている愛剣を、ベッドの下から引っ張り出してくる。

 東洋の国に古くから伝わる剣。「カタナ」と呼ばれているらしい。刀身が少し曲線を描いており片刃で、そのぶん扱いは難しいが、斬れ味は抜群である。柄の部分には、「大地ノ剣だいちのつるぎ」と銘が彫られていた。

 この剣は、今現在行われている戦争で戦死した父、カイトの形見だ。彼は日本の剣を持っていたが、隻腕故に対の剣を息子に託したのだ。彼は、母の形見の方を持っていった。


 ……そう、オレは母親も亡くしている。


 母さん——ベルは、オレが幼い頃に病で亡くなったらしい。

 流行りの病で、今は治療法が確立されたが、当時は為すすべもなかったと聞いている。おぼろげな記憶では、父さんが泣いたのは後にも先にもこの時だけだったと思う。

 銀色の髪と金色の瞳の、魔性の美貌を持つ女性だったそうだ。オレの異質なまでに鈍く輝いている瞳は、母さん由来のものなのだろう。

 彼らは夫婦揃って、冒険者の集う街として有名なアドベントという大都市で冒険者稼業を生業としていたが、オレが産まれるのを機に、ゆったりとできる故郷に戻ってきたとのこと。父さんは、母さんの死後より冒険者に戻ることなく一線を退き、村で働くことを選んだ。男手ひとつで自分を育ててくれたことには、感謝しても仕切れない。


 だけど戦いは、決して歴戦の戦士を逃しはしなかった……。


 戦争を開始する直前。地力では圧倒的に不利な王国軍は、戦力不足を補うために兵を急募していた。それに対し父さんは、老兵が出張ることはないと相手にしなかったが、かつて異邦の冒険者として名を轟かせていた逸材を見逃すほど、国も甘くない。手練れの人間が少しでも欲しいとのことだった。クソみたいにしつこかったのを覚えている。

 選択肢はあったものの、ほとんど強制に近いもので、嫌ならこの国から出て行けと言わんばかりの、クソみたいな対応だったことも。

 だとしても、徴兵なんて断るだろうと勝手に考えていた。……が、父さんは丸一日悩んだ後、傭兵として参加するという条件の下、召集に応じると言い出したのだ。正直、ありえねえと思った。

 なぜか尋ねると、ここはオレの故郷ふるさとだから、という父さんらしい理由だったから、ある意味では納得したけれど。



『心配すんな、ヒロ。必ず帰ってくる。戦争なんてロクでもねえモン、さっさと終わらせてきてやるよ』



 そう言って村から旅立っていった、一年後——。

 父親が戦死したことを、淡白な一枚の手紙によってオレは知った。


 その知らせを読んで、何を思ったのだったか。お国のために立ち上がったわけではないことは確かだが、父親を殺されたことへの復讐……というわけでもない。


 ただ、


 困っている人々を助け、女の子を救い、華々しい誉れとともに“英雄”になる。

 子供の頃、男なら誰もが考える夢物語。

 それを体現したかのような冒険を成し遂げてきた父さんは、幼いオレにとって理想の英雄像だった。


 でも——“英雄”は死んだ。


 だから、己の英雄あこがれが破れた戦争てきを超えたかった。


 ただ、それだけ。


 村の人たちが止めるのを跳ね除け、決して多くない全財産と、父さんが遺していった剣を持って王都へ登った。よくよく考えたらアッシュのことを馬鹿にできないくらい、自分も馬鹿だ。

 ともあれ、王都へたどり着くなり、すぐに兵士の詰め所へ押しかけた。慢性的な人員不足の王国軍は、多少なりとも剣が使えるということを聞くと、大した身分証明も必要とせずに入隊を許可した。

 正直どうかと思ったが、このような状況下でなければ、一五歳(当時は一四歳)という年齢で兵士になれたかどうかは微妙なところだったため、その点については助かった。

 けれど、軍に入れたことを幸運と取るかは、今となってはわからない。

 オレの剣の腕は、自分で言うのもなんだが、他の同期の新米兵士と比べて数段は上だろう。同期には負けたことがないし、先の戦いで戦死した元小隊長をも打ち倒したことがある。

 一部隊の隊長格以降には、鍛錬を積んだ貴族からなる王国騎士か、叩き上げで実力を認められた兵卒が務める。元小隊長は後者で、兵役が一〇年単位のベテランくらいしかなれない立場の兵士に、オレが一本取った直後は、場内が驚きと歓声で湧いたことを今でも強く覚えている。彼だって、悔しそうにしながらもオレの剣才を認めてくれていた。

 誰かに認められることは嬉しく、自信も確かに芽生えたはずだった。

 でも、甘かった。

 はっきりと身にしみた。

 皆が命を散らしていく中、自分は足がすくんで動けない体たらくで、震えていることしかできなかったのだから。アッシュや、他の死んでいった同期の兵士たちの方が、よっぽど勇敢に戦っていただろう。

 自分自身、危うく命を落としかけ、たまたま見知らぬ女性に命を救われる。

 笑っちゃうような、そんな有様。

 英雄への幻想は、いともたやすく打ち砕かれて。

 ただ、兵士を辞めようという気は不思議となかった。勇気でも無謀でもない、変な感覚。ただまあ、ここで逃げてしまったら何も残らないような確信はあった。

 ……物思いに耽りながらも、兵舎の裏手に向かう。

 当然だが誰もおらず、目立つものがあるとすれば、アッシュが実家で手に入れたらしい、「サクラ」とやらの樹があるのみだ(奴はこう言っていた。「絶対に他の地域では咲かないってもんをさ、咲かせてみたらかっこよくねえか?」)。いろいろ小細工を使った——魔法的ふしぎなスパイスとか——とはいえ苗木から樹と呼べるくらいの高さまで育てるなんて、思いの外、根気あると思う。

 そんな、密かに成長を見守っている若木を背にして、オレは静かに抜剣した。

 朝はいつも早起きで剣を振っている。故郷のアトラス村にいた時からの日課で、剣を振っている時が、逆に一番落ち着けるのだ。

 趣味は剣を振ることですと答えられるくらいには、オレは剣に狂っていた。

 自分ぐらいの年頃ではやはり異性を意識し始めるものらしいが、どうにも向かない。アッシュなんかはあらゆる酒場などで、給仕をしている店員に片っ端から声をかけまくっていたりするのに——もっともあれはやりすぎだと思うが——である。

 ……別にオレだって女の子が嫌いなわけじゃねえよ。というか、普通に好きだし。ただ特定の相手がいたことないだけだし……と、一人で言い訳してみる。

 考えれば考えるほど、何もない自分に嫌気がさす。今はその不安を打ち払うべく、こうして剣を振っているのかもしれない……。


 ただひたすらに幻想の敵と切り結ぶ時間が過ぎて——。

 三〇〇は、虚空を裂いただろうか。


「……今日はこんなもんか」


 髪の毛を伝う雫を振り払って、カタナを鞘に収める。もう十分に汗をかいた。

 通用口から自室に戻る。タオルでも持ち歩くべきか、でも邪魔だしな、なんて考えつつ。

 普段通り、それこそ己のパーソナルスペースに入って油断しきっていたところで、



「精が出る。こんな朝早くから」



 そこには、「女」がいた。


「のわッ——⁉︎」


 瞬間的にオレは構えるが、それは形だけのもので。

 女はごく自然にオレのベッドに腰掛けて、それはそれは、自分のものであるかのようにくつろいでいて。ましてや、微塵も気配を感じなくて——。


「どうしたの? 奇妙な声をあげて」


 ここ数日、戦場での恐怖と共に頭を離れなかった紅い少女——人物は、本当に不思議そうに、言う。

 おかしな存在におかしいと言われるのが、どれだけ「奇妙」に思えるか。言葉に詰まるのも致し方ないというものだろう。


「ん〜、うるせえぞ、ヒロぉ。今日は休みだろうが……」


 が、事態を理解していない第三者には関係ない。てか休みじゃねえし。

 頭上から、眠そうなアッシュな声とともにガサガサと身体を動かす音が。


「うぅん……さすがに起きてしまったか。一応、気配を消して大人しくしていたのだけど……おまえが声をあげたのも悪い」


 と、わずかながら口の端をすぼめる少女だが、あいにくオレはそれどころではなかった。


 ——まずい。これはまずい。


 年頃の女と同一空間で寄り添っているという状況が、脳内の過半数を常に「ガール」という文字で埋め尽くしている野郎の目にどう映るか——。

 これ以上、考えている余裕はなかった。


「ちょっと……こっちに!」


 少女の右腕を引っ掴んで部屋から連れ出す。オレにしては強引に事を運んだ。


「おーい、ヒロ? おーい?」


 ギリギリセーフ。

 かろうじて視線には入らなかったようだ。

 ……彼女は明らかな不審者なのだが、オレたちの不器用な行軍を通用口の衛兵が咎めないのを見るに、一応は、兵舎に入るにあたって手続きは踏んだのだろう。

 ……というわけで、再び兵舎裏に戻ってきてしまった。


「おまえ、意外に積極的」


 と、そんな声に、少女の腕を掴んでいたことを思い出す。

 パッと手を離し向き合うが、思うように言葉が出てこない。


「話をするには部屋の方がいいと思ったが、不服だっぢろうか?」


 無言を請け負った少女の問いに、合わせるように言葉を発する。


「いやだって、部屋にはアッシュがいるし……ってか、そもそもなんでオレの部屋に……」


「なんでとは……おまえに会いにきたからに決まっている」


「……オレを、探してたんですか?」


「言ったはず。また会おう、と」少女はなんでもないふうに言うが、わずかに間を置いて首筋に手をやると、「…………覚えて、ないの」


「……ジュラート荒野で助けてもらったレインさん、ですよね」


「…………そう」


「違い、ましたか?」


 歯切れの悪い返事に、ひょっとして別人か?と不安になる。

 彼女……「レイン(?)」の髪色は、透明感のある金色だった。深く暗かった漆黒の髪は見る影もなく、腰を軽く超えていた髪先も頭の低い位置で結ばれている。長い黒髪がこんなに似合う人が他にいるのかなんて思ったりしてたので、そこも違和感が大きい。

 どういう理屈だ、これ? 目の色もなんか青くなってるし……喋り方もなんか違う。


「——なんでもない。少しは覚えていたみたいでよかった」


 が、首をわずかに振った彼女は、遠慮なしといった感じでスタスタと近づいてくる。


 それこそ——剣の間合いくらいまで。


 近くで直視する彼女の服装は、一言で言って

 ところどころが拘束衣じみたピッタリとしたジャケットのせいで特大の胸ははちきれんばかりに存在を主張しており、コルセットのようなものでキュッと締められた腰と合わせて美しい造形を描いていた。そこへ繋がれるフレアがあしらわれたスカートと、太腿をキツく絞り出すロングブーツが、晒された絶対領域をより強調させている。

 戦場で纏っていた妙に艶かしい全身ボディスーツもなかなかだったが、こちらも体のラインをより良く見せるエロティックなファッションであった。

 ……ちなみに、ちょっと趣味の悪い首輪は相変わらず嵌めていた。

 呆れるほどに黒尽くめなことも含め、もはやそーいう着こなしなのかもしれない。

 ——って、何を真剣に考察してんだよ、オレは……。

 慌てて、別のことに思考を無理やり持っていく。

 そういえば傭兵と名乗っていた彼女。剣などで武装してないこともあり、今はとてもそんな風には思えない。戦場での浮世離れした雰囲気も消え、なんというか……見た目通りの「少女」という感じで。


「命の恩人を簡単に忘れないですよ」オレは変な罪悪感を覚えつつも、「……でも、髪と目の色はどうしたんですか? 随分と派手に染まってるみたいですけど」


 聞きたいことは山ほどあるが、流石にスルーできなかった。


「ああ……、こっちの方が地毛だ。自分は髪と瞳の色を変えられる」


「へえ、ひょっとして変身魔法ってやつですか」


「詳しくは自分も知らない。そしてそんなことはどうでもいい。——それにしても、兵士は辺鄙なところに住んでいる。てっきり兵舎は街の中心部だと思っていたから、先にそちらへ行ってしまった」


 と、いきなり話題が明後日の方向に飛んでいく。

 はあ、とオレは戸惑いつつも……、


「……オレたちの部隊は新参な方なので、端に飛ばされてるんですよ」


「そう。おまえも苦労してるんだ。……こう見えて自分も結構苦労したから、飲み物くらい欲しいところだけど、持っている?」


「飲み物なんて、持ってません。水道水ならあっちにありますけど」


 ……これは、冗談と捉えてもいいのか?


「なら、まあいい。……おまえの名前、ヒロで間違いない?」


「え、ああ……キサラギ・ヒロです」


 何がいいのかわからないが、とりあえず答えを返す。


「キサラギ、か。……ヒロの方が呼びやすいか。——悪くない」


 そうして息を吸った彼女に、


「ねえ、ヒロ」


 いきなり、名前を呼ばれる。

 そして、



「——自分と、セックスしてほしい」



 彼女は続けた。

 まるで、物をとってくれないかとでも言うように、軽く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク
  • LINEに送る

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る