幕間 「神との約束《CONTRACT TO GOD》」


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 ——神は、人々に願われることにより誕生する。


 ここは、輪廻転生をも司る「神界」。

 またの名を、無限につながる「平面世界」。

 悠久とも言える時の中、「下界」をぼんやりと眺めるだけの時間を過ごしていた女神は、暇で暇で仕方がなかった。

 女神かのじょの名は、アイト。

 無数に存在する世界ほしの中の一つである、剣と魔法が支配する世界、アイトスフィアを創造したとして、神だ。

 神界では、数多の神々によって、ルールが定められている。

 そのうちの一つとして、管轄内の下界の人類との直接的接触は禁じられており(間接的な天変地異などは可)、あくまで信仰され崇められる対象であれ、というルールが存在していたので、退屈しのぎもままならなかったというわけである。

 しかし…………それくらいならば、のだ。

 一番の問題点は、このアイトスフィアにおいて、アイトが「唯一神」だったということ。


「一人は…………暇だ‼︎」


 つまり……同じ世界に話し相手すらいないのだった。


 ……というわけで。

 アイトスフィアに生きとし人類が、どのような感情でどのような行動をするのか。女神かのじょはそれに興味を見出した。

 故に、膨大な時間を下界の観察に費やしていたのだ。

 ……やがて、長年の鬱憤が溜まっていった結果。



「——よし、降りよう」



 ルールを破ることにした彼女は、下界へ降りてみることにした。



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幕間 「神との約束CONTRACT TO GOD



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アイトスフィア歴六二四年七ノ月七日



 さて。

 意気揚々と下界に降り立った、剣と魔法の世界アイトスフィアの唯一神、アイト様。

 只今、大陸端の一国家であるノールエスト王国王都に降臨。

 気の赴くままにふらふらと彷徨っていたのだが、柄の悪い者どもや、食うに困った浮浪者が巣食う、街の裏側、そのまたさらに奥の裏路地に迷い込んでしまう。


 年頃の女が一人で歩くにはまずい、そんな貧民街ばしょで……唯一神はていた。


「ああ〜、お腹減ったなぁ……」


 女神かのじょの心境とは見事にかけ離れた青い空の下で、大の字になって寝転んでいる。


「でも、お腹が減るってこんな感じなんだなぁ……」


 この世の人間とは思えないほどの美貌を持つ『少女』の発言は、やはり人間らしからぬ発言であった(人間の形をもって降りているため、生理現象があるのだ)。


「——お姉さん、大丈夫?」


 ちょっと高い声が聞こえた。ふるふると震えながら、わずかに首を後ろに傾ける。

 さて、そこには。

 七の年頃くらいの少年、もしくは少女が、女神かのじょの青白い顔を覗き込んでいた。


「大丈夫じゃないかも……今にも死にそう」


「治癒術師とか呼んだ方がいい? 呼ぶのにちょっと時間かかりそうだけど、走っていくよ、オレ」


 「オレ」という一人称を聞いて、あ、男なんだな、と思いつつ、静かに首を振る。


「多分、君が帰ってくるまでには逝ってると思うから遠慮しておくよ。それよりも何か食べ物持ってないかい? 僕は消化効率が良いから、食べたら食べた分だけ元気になるんだ」


「パンならあるけど」


「パンか! 素晴らしい! 小麦かなんかで作ったあれだろ? みんなよく食べてるからきっと美味しいものなんだよね?」


「お姉さん、パン食べたことないの?」 


「ないよ。なんていうか……遠いところから来たからね」


「ふーん」興味なさそうに言いつつ、手持ち鞄から取り出した包みを丸ごと渡す少年。「全部食べていいよ。人が困ってたら……特に女の人が困ってたら助けてやれって、父さんがよく言ってたから」


「素晴らしいお父さんだ。今度お礼に向かわせてもらうよ」


「いいよ、礼なんて。それより早く食べれば?」


「おっと、そうだね。じゃあ……いただきますっ!」


 言うがいなや包みを開けると、パンにかぶりつく。四つもあったパンだったが、一分と経たぬうち、完食してしまった。


「これがパンか……。意外にパサパサしてたけど、悪くない食感だ。人間は良いものを生み出すねえ……」


「さっきから人間がどうとか言ってるけどけど、お姉さん何者? どこから来たの?」


 パンごときで喜び勇む女神かのじょに、少年はさすがに疑問がある様子。


「せっかく助けてもらったんだし、自己紹介はちゃんとしておこうか。——僕はアイト。この世界を創造した神様さ」


「神様……?」明らかに訝しむ少年。


「そう、神様。神を救った君には、きっといいことがあるぜ?」


 助けられた相手が大人だったらヘコヘコとお礼を言っておくに限るが、まさかの子供に助けられたのだ。こうやって遊ぶのも、また一興だろう。


「嘘だ。神様なんているわけないじゃん」


「いるんだよ、目の前に。ひょっとして、アイトって名前聞いたことない?」


「それなら知ってる。この世界をつくったっていう神様の名前だろ」


「おお、そうだよ、それそれ。小さい割には物知りじゃないか、少年」


「道で倒れてた人なんかに褒められても、嬉しくねえよ」


「うーん、そこを突かれると痛いね」


 ……と、それまでは呆れた感じだった少年の雰囲気が、本当に不機嫌な様相に変わる。


「大体、本当にお姉さんが神様なら、前にオレが異形ヴァリアに襲われてる時、なんで助けてくれなかったの? 神様ならオレたちのことは全部見てるんじゃないの?」


 なかなかどうして、この生意気な少年にも可愛らしい時期があったらしい。今でも十分、女の子みたいに可愛らしいが。


「ははーん、なるほど。大変だったみたいだねえ」


「ほら、やっぱり知らねえじゃん。この偽神様」


「まあまあ待て待て。神様ってのはそこまで万能じゃないんだ。だって考えてみてくれよ。たしかにどこでもなんでも見通せる僕だけど、僕の目は二つしかないんだぜ? 世界でいつどこで何が起きてるかを見通すなんて無理だよ。なんでもはできるが、なんでもは知らないんだ」


 実際、神界からは下界のどんな場所でも見渡せるが、それはあくまでアイトが、その時点で焦点を当てているところしか見れない。つまり、この少年がどこで何に襲われたかなんて、知ったこっちゃない。


「たしかに、そうかも」


「だろう?」


「…………でも、だからってお姉さんが神様かどうかはわからないじゃん」


「……あー、そうだね」


 うーん。どうして近頃の子供ってこんなに聡いんだろう……?

 親の教育が行き届いていることに、感心するしかないアイトだった。

 ……こうなれば仕方ない。神の威厳ってやつがあるんだよ、こっちには!

 そんな決意を女神かのじょが固めたところで、


「オレ、もう行くよ。実は父さんが迷子になってて探してるんだ。全く、どこへ行ったんだか」


 それって君の方が迷子なんじゃ、というツッコミを抑えつつ、アイトは大仰に言い放つ。


「よーし、わかった! 助けてくれたお礼だ。君の願いをなんでも一つ叶えてやろう。こんなの出血大サービスだぜ。世界で君が初めてだ! やったね!」


「……嘘くさい」


「まあまあ、深く考えなくていいんだ。おいしいもの食べたいとか、気になってる女の子とお付き合いしたい〜、とか。……あ、君に恋愛はまだ早かったかな? とにかくなーんでも言ってみな?」


 少年は全く信じていなさそうな目でアイトを見つめていたが、そのあまりのしつこさに観念したのか、渋々と彼は口を開いた。


「じゃあ……死にたくない」


「へ?」


 少年が端的に告げた願いに、アイトは耳を疑う。


「死に択ない……? どの択を選んでも面白そー、とかじゃなくて、死にたくない?」


「うん。オレは死ぬのが嫌だ。なんでも願いを叶えてくれるっていうんなら、オレが死なないようにしてくれよ」


 ……服装や体つき見たところ、少年は普通の少年といった感じだ。既に戦地を経験しているとか、親からの虐待を受けてたりだとか、そういうものは感じ取れない。

 そんなありふれた田舎の子供が、どうしてまあこの年で死にたくないなどと宣うのか。


 ……最高だよ。


 笑顔が、止まらなかった。


「理由を聞かせて、くれるかな?」


「死んだら、もう父さんに会えなくなる」


「それは、悲しいから?」


「違うよ。悲しいのもあるけど——」


 母さんが死んじゃった時、父さんがすごく悲しんでいたから。

 父さんをまた悲しませたくない、と。


「……そっか。君は優しいね」


 優しい。

 この少年を一言で表すのに、これ以上ないほどふさわしい言葉だった。

 死にたくない、かぁ。

 ひょっとしたら、それが人間にとって最大の願いだよなぁ……。

 不死の研究に何年何十年何世代と費やす者は、この数百年ですら数多くいたが、未だかつて永遠を生きる「人間」をアイトは見たことがない。

 もっとも、じぶんの奇跡を使えば。皮肉にも。それこそ朝飯前だ。

 しかしそれは、ただ与えられ、受け継いだだけの力であり、神の手にすら許されざるともしれない力。

 ましてや神が、己の世界に我欲で干渉しようなんて、

 ルール違反は犯さない。


 ——アイトでなければ。


「やっぱり、無理だろ」


 少年は、期待なんてしてないとばかりに呟く。


 ………………でも、



「——いいとも。約束は約束だからね!」



 決めた。

 この子は、僕のものだ。



「本気?」


「ああ! 死にたくないんだろう? じゃあ死なせないよ。何があっても、何が何でも、死なせないから——これで、君のお父さんが悲しむことはなくなる」


「…………」


「どう? 君にとっては素晴らしい提案だと思うけど?」


 アイトは、確信を持って告げたのだけど。


「……それは、なんだか違う気がする」


 そんな、薄氷よりも薄っぺらい思惑はあっさりと打ち砕かれる。


「だって、父さんが泣いたのは、母さんが死んじゃったことが悲しかったからなんだ。もう二度と会えないから、寂しいって。苦しいって。

 でも死なないことが当たり前になっちゃったら、父さんはそんな風に泣けないよ、きっと。

 オレはそんな父さんを見たくない」


 ——ああ、もう。

 

 アイトの心は絶頂する。

 君はすでに死を、尊いものだと理解できているんだね。

 わかった。わかったよ。そこまでいうなら君には告げない。

 永遠にね。

 こっちで勝手に遊んでおくけど、それを君は知らなくていい。


「あ、もちろん。そんなのが本当にできたらだけどな!」


 つい熱くなってしまったのを取り繕うように、少年は語調を強める。

 ただ、アイトはとっくに自分の世界へと入り込んでしまっていた。

 神の手を振り払った少年に、再びどう自分を売り込んでやろうかと。


「…………これはあくまでも僕のプライドの話だから、すぐに忘れてくれてもいいんだけど。もし君が考えを曲げてでも死にたくないって思った時は、みてよ。

 助けてほしい時は、本当の本気で僕に——神に願え。

 ほら、物語のヒーローってやつは無条件で人を救っちゃうけどさ、ヒーローは救いを求める人の前に現れるもんだし、一回くらいはそんな奇跡があったっていいだろ?」


 アイトは一気に捲し立てた。


「……ほんとに願えば助けてくれる?」


「本当、だ」


 少年はやっぱり信じてなさそうにアイトを睨んでいたが、真剣に視線を返す女神かのじょに根負けした形で、


「…………。わかった。覚えとく」


 それだけ言った。


「よろしい。忘れないようにね?」


「わかったから……オレ、もう行くよ。父さんが迷子になってて探してるんだ」


 もう少し話していたかったが、お開きの時間が来たようだ。


「まだ言ってるのかい。……頑張って探しなよ」


「うん。お姉さんも、こんなとこにそんな格好でいたら、おそわれるかもしれないから気をつけろよ」


「あ〜、ちょっともうその忠告は遅いかな」


 のアイトが、野盗に見ぐるみ剥がされて、いやんうふーんなことをされたのは、また別のお話だ。これが下界での洗礼かー、と全く女神かのじょの方は気にしていなかったが、それはそれとして、こんな格好の女を見ても意外と冷静でいられる少年を見て、子供はやっぱりぶっ飛んでいるなと思う。


「なにそれ。……じゃ、


 あんまり興味なさそうに言うと、タッタッと駆けていく少年。



「またね……か。ちゃんと挨拶できるとは、本当にできた子じゃないか。ますます親の顔が見てみたいよ……。——、キサラギ・ヒロくん」



 貧民街スラムの裏路地。

 すっぽんぽんの美少女が、ケタケタと笑っている異常な光景。

 「笑う全裸女の幽霊」が出没するという都市伝説が貧民街スラムで流布されるのは、また、別のお話だった。



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