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 翌日、髪を整えていたユリウスは、ふとブラシの手を止め、鏡のなかの自分の姿を見つめた。一、二か月前と比べれば、ややふっくらとして女性らしい体つきになったと思う。胸も大きくなった。ドレスを着ても、やせた子どもが着ているようだったのが、年頃の娘らしく見えるようになってきた。


 若き日の父親に瓜二つとも言われたこともあったが、母親に似てきたかもしれない。その母親は、十八歳で父親の愛人になった。ユリウスももうすぐ十八歳だ。


 アンナたちの結婚は、ユリウスに結婚適齢期であることを思い知らせた。そんなことを思いめぐらしていると、侯爵の姿が脳裏をかすめ、胸がぎゅっと締めつけられる。気がつくと、近ごろはいつも侯爵の姿が頭に浮かんでばかりだ。


 ――わたしは侯爵に恋している?


 けれども、彼は妻帯者だ。だから、恋をしていることに気付いたとたんに、失恋決定だ。


 カティアは、焦る必要はないが、まずは、すてきな女性になること、と言っていた。カティアは、ときどき説教じみたことを言う。


 ――わたしは、すてきな女性だったかしら?


 ユリウスにとって、最もすてきな女性は母親だ。三十歳半ばを過ぎても美しかった。単純で、難しいことを考えることができず、あさはかな行動をすることもあったが、元来お人好しで、情にほだされやすく、父親に復讐するには優しすぎるほどだった。病身の父親と結婚したあとは、かいがいしく世話をしていたので、父親のことは嫌いではなかったのだろう。


 子どものユリウスから見ても、守ってあげなければ、と思わせる雰囲気もあった。何よりも、やわらかな笑顔がすてきだった。あの笑顔があったからこそ、ユリウスは頑張れたのだ。


 ――もし、わたしが、母さまに似ているのなら、同じような優しい笑顔になれるかしら?

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 リュドミールへの読み聞かせが終わり、部屋で寝支度をしているときに、風がますます強くなり、雪が壁を打ちつける音が聞こえた。こんな夜は、さっさとベッドにもぐりこむに限る。


 眠りかけたときだった。ばたんという音で目が覚めた。うっかり鍵をかけ忘れたのか、窓が一か所開いて雪が吹き込んでいる。ベッドから出て窓を閉めたが、胸がざわつき、息苦しくなってきた。頭も締め付けられるように痛む。


 とたんに、えたいのしれない恐怖感にユリウスはとりつかれた。以前にもあったような、どす黒いものが胸にまとわりついてくる。


 ――ヤーン⁈来るな!


 パニックになったユリウスは、とっさに廊下に飛び出して、心細い灯りの廊下を、行くあてのないまま走った。


 ――誰か助けて!

 

 階段を降りると、ようやくひとつの部屋から光がもれているのを見つけた。


 ――光だ!


 ノックもしないで、光のなかに飛び込んだ。


 「何か用か?」


 書き物をしていた侯爵が、ペンを置いて書斎机から立ち上がった。


 無我夢中になっていたユリウスは、声の主が誰であるかにかまわず、抱きついてしまった。全身にまとわりついていた黒いもやもやしたものが、すうっと消えていく。


 「窓が開いていて」


 ユリウスは、声をしぼりだすように言った。


 「ただの風のいたずらだ。さあ、調べものの邪魔をしないでくれ」


 「ひとりにしないで!吹雪はいや、吹雪の音を聞くと不安で苦しくなるの!」


 平静さを失っているユリウスを、侯爵はひとまずカウチに座らせた。


 ――侯爵のそばにいると、どうしてこんなに安心するの?


 以前にも同じようなことがあった。侯爵は何をするのでもないのに、近くにいるだけで、ユリウスを脅かす何かが追い払われる。侯爵が帯びている雰囲気が、それらをはね返すようだ。


 侯爵がユリウスに背を向けると、ユリウスは不安になった。


 「どこにいくの?ひとりにしないで!」


 「あわてるな。そのかっこうでは、誘惑しにきたと思われても弁解できないぞ?」


 と言いながら侯爵は毛布を手渡した。毛布を取りに向きを変えたのだった。


 葉巻のにおいのする毛布が、ユリウスをつつみこむと、そのときになって、やっとユリウスは自分の行動を自覚した。耳まで真っ赤になった。侯爵は男で、ユリウスは女なのだ。薄い夜着しか身につけていないのが、とてつもなく恥ずかしい。少なくとも何か羽織ってくるべきだったと後悔した。


 「なぜ私のところへ来た?」


 「それは、吹雪がこわくて、灯りがついているのは、この部屋だけだったから…」


 しどろもどろで、答えになっていないことは、話しているユリウスにもわかった。そんなユリウスに、侯爵は口元をゆがめて、思いもしなかったことを口にした。


 「ほう、それで?吹雪にかこつけて誘惑しに来たのか?アレクセイ・ミハイロフのことを忘れると言ったな。次の相手を探しているのか?」


 侮辱的な言葉に、ユリウスは頬をぴしゃりとやられた感じがした。ユリウスは反射的に立ち上がり、侯爵の頬をめがけて手を振りあげた。だが、その手は、空中で、侯爵にいとも簡単に取り押さえられてしまった。


 侯爵が、ユリウスの目を見ている。ユリウスの瞳もまた、侯爵に向けられたままだ。二人の視線がからみあい、そのまま動かせなくなった。ユリウスの胸の鼓動が大きくなる。


 やがて、見えない力が働いているかのように、二人の顔が少しずつ近付いていった。そして少し離れ、また近付き、とうとう唇と唇が触れ合った。そして徐々に深く、激しくなっていった。ユリウスはおぼれそうになりながら、侯爵の首に両腕をまわした。胸が張るような感覚と、からだの中心部がきゅっとする感覚におそわれ、ますます胸がドキドキする。夢中になってキスにこたえ続けた。いつのまにか侯爵の手がユリウスの腰にまわされ、愛撫が始まった。


 ユリウスは、うっとりし、さらにキスと愛撫を求めた。さきほど立ち上がったときに、するりと落ちた毛布が足元にくるまっている。熱を帯びた侯爵の掌がユリウスの胸にまわされ、今まで他人に触られたことのない場所が、愛撫によろこんでいる。侯爵の唇がユリウスの首筋に移動した。ぞくぞくする。誰にもキスされたことがない場所だ。ユリウスは、肉体のよろこびに、あらがうことができず、この愛撫とキスがずっと続くことを願った。


 ――もっと、もっと、キスして、抱きしめて、そしてわたしを愛して


 ユリウスの体が、さらに愛撫とキスを求めているところで、侯爵の動きがぴたりと止まり、ユリウスをぎゅっと抱きしめた。ユリウスは、侯爵の力強い腕を感じて恍惚としている。侯爵のほうは、何かと葛藤しているかのように、腕にますます力が入る。


 どのくらいの間、抱きしめられただろうか。ついに侯爵は冷静さを取り戻した。そして、床に目を落とし、ユリウスを引き離した。


 「すべきでないことをした。許せ」


 ユリウスは、はっと我に返った。恥ずべき行為に気づき、言葉もなかった。


 「今のことは忘れてくれ。お互いのためだ。さあ、早く部屋に戻りなさい」


 いつもの落ち着いた口調に戻っていた侯爵にとまどいつつも、ユリウスは、はだけた胸元を直しながら、うつむいて書斎から出た。



 そのときには、書斎にかけ込む前の恐怖感は跡形もなく消え、かわりに、侯爵のまとっていた葉巻のにおい、濃厚な接吻、熱を帯びた瞳、胸を愛撫する掌や首筋を這う唇の感触に、ユリウスは支配されていた。

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