沖縄で、できることないかな
大崎さんは沖縄にも足繫く通っている。2009年から毎年、沖縄国際映画祭の開催を続けると共に、エンターテインメントの人材を育成する専門学校も2018年に開校するなど、沖縄での事業展開にも力を入れている。
「沖縄には、入社してすぐの45年ぐらい前に、(笑福亭)仁鶴さんのお弟子さんの笑福亭仁智さん、今の上方落語協会の会長と船の中で余興するみたいな仕事で初めて沖縄に行ったんですけど。
まあ、良くも悪くも日本と違うなあというのがあって、なんとなく沖縄のことを調べたりしてると、やっぱり貧困の問題、特に母親と子供がすごく本土とは違うので、何かできることないかなと思いながら、ずっと通っています」
メディアやエンターテインメントの仕事となると、どうしても東京や大阪などの都市部が中心となるが、大崎さんが昔から地方や沖縄に目が行くのはなぜなのだろうか。
「元々40年ぐらい前に、(明石家)さんま君の特番で、(京都府)網野町の廃校で番組を作ったり、大分県野津町で村おこしの番組を作ったりとかやっていたので、やっぱりなんか街中だけやったらバランスが悪くなるなというのは何となくずっとあったんで。
実際にじゃあ出来てるかというと出来てないんですけど、やっぱり年に1回は海水に浸からないかんやろし、土触りながらの生活みたいなことをしとかないと。
ましてやAI(人工知能)やコンピュータやという時代になった時に、今の子供達は土がついたら汚いと払うじゃないですか。今や土が汚いものになっているというところが、それこそ個人も地球全体もバランスが悪なるんちゃうかと思って。
そういう意味ではやっぱり、田舎の人に失礼やから今さら田舎にはよう住まないですけど、通ったりはしとかないかんなと思って。それは社員、芸人の子たちにもして欲しいと思うので」