「THE SECOND~漫才トーナメント」を観た。
Tverでもまだ観れるよ。
tver.jp面白かったよな。
ギャロップ林のチャーハンチャンネルはたまに見てて、紹介されたお店も行ったけどな。
solomeshi.netこんな面白い漫才するコンビだったとはね。
特にギャロップの3本目のネタ、一人の料理人がプロになっていく話を、林がボケもせず延々とする感じ。
ハライチのノリツッコミを彷彿とさせる。
ハライチと違うのは、ツッコミの澤部と毛利における、スタンスの違いだ。
澤部は岩井のボケに対して、岩井に寄り添って、ボケに乗っかって、溜めて溜めて、最後、爆発させたり、させなかったり。
一方、毛利の方は、林に乗っかるわけでもなく「いつまでその話してるの…」という不快な表情を浮かべながら、「もうええわその話」という感じで、林に寄り添う。
そう、毛利の反応の方が、観客や視聴者の気持ちにも寄り添ってんだよな。
だから面白いんだ。
ハライチも面白いけど。
松ちゃんがギャロップの最後の漫才を、ドラゴンボールの元気玉に例えていたけど。
その元気玉に、視聴者や観客の感情すら、ツッコミの毛利が掬い取っているという点で、ハライチのノリツッコミを進化させたような印象を受けたな。
マシンガンズもよかった。
3本目は、ネタ切れ感があったけど。
2本目、ついさっきの出来事をエゴサーチして笑いに変える瞬発力、すごい。
松ちゃんが「平場強い」と評していたように、何回も営業で場数をこなしているだけあるよな。
しかしザ・セカンドの大会前、こういう意見もあったようだ。
news.yahoo.co.jp《現状活躍してる芸人がほぼ全員ダウンタウンに憧れてるから仕方のないことだとは思うけど、あらゆる賞レースに松本人志が関わってくる(関わらせてくる)現象個人的には冷めるタイプ》
何ぬかしてんだ、若者か?
どの賞レースにも絡んでくる、当然じゃねえかよ。
わかってねえな。
オリラジ中田の動画ばっかり観てるんじゃねえのか?
中田敦彦は、松本人志へのリスペクトに欠けている感があるからな。
news.yahoo.co.jpオリエンタルラジオは「武勇伝♪武勇伝♪でんででんでん♪」で、すぐ売れちゃったから。
あんまり、過去の芸人のネタを見聞きする機会がなかったのかもしれない。
よし、俺がラリー遠田もたぶん明らかにしていない、松本人志の笑いについて、松本人志がなぜザ・セカンドに必要だったかについて、言語化してみせよう。
《松本人志の笑いはカットインではなくフェードイン》
松本人志の笑いは、よく“シュール”と言う言葉で形容されることもあるけどな。
そのシュールは、よゐこのコントみたいに、頭に沢庵を載せたりするといった奇抜な行動で行われるカットインの笑いとは違う。
些細な会話や行動の積み重ね、日常の延長線上で徐々に異質な世界へと迷い込んでしまうようなフェードインの笑いなんだよ。
それを例証するコントを紹介しよう。
■いきなり感なくナチュラルに日常から非日常へシフトする世界観
まずはこのコントだ、ビジュアルバムのゲッタマン。
www.nicovideo.jp「ゲッタマン」のコントは、最初は単なる特撮ヒーロー番組の撮影現場だ。
原作者がいて、監督がいて、メイクさんがいる。
どこにでもありそうな、日常的な風景。
それを20分という尺を使って、非日常へと、少しずつ変えていく。
日常的な風景を、軽い提案や、誰にでもある欲求、いたって普通の行動で「いきなり」ではなく「ソフト」に、非日常へと変貌させていくんだよ。
www.youtube.comステップナーもそうだ。
このコントも、日常的な「部活動の先生と生徒のやり取り」から、「ステップナー」という、意味不明な非日常感あふれる部活の風景へと、観客や視聴者を導いていく。
ただし、決して「いきなり」には、ステップナーの世界を押し付けてはいない。
「西高の村瀬みろ」「すみません」といった日常的な会話を織り交ぜ、すごく自然にコントの非日常的世界に「気づいたら入っていた」というように、仕向けていく。
■リアリティの保持
これは動画が見つからなかったが。
「柳田という男」というコントがある。
寸止め海峡に収録されてる。
「柳田という男」も、よくある日常の風景、母・子・先生の三者面談なんだよ。
しかし、先生の発言が少しずつ、理不尽な発言になっていき、どんどん日常が消えていくんだ。
ゲッタマンと同じく、いきなり奇抜なことをしたりギャグを言うこと等は、決してない。
徐々に非日常な世界へと導いていく。
板尾創路と松本人志の語り口調は、本当に先生が生徒を叱る時のようにシリアスで。
東野幸治の困惑は、本当に喫煙の疑惑をかけられた真面目な生徒のように無垢だ。
そのリアリティのある三者面談の光景がしっかりと、意識され、守られながら話が展開していく。
www.youtube.comごっつええ感じの「日本の匠を訪ねて」もそうだな。
このコントも、インタビュアーと職人というリアリティのある光景を、少しずつ壊していき、非日常的な違和感を持つ世界へ変えていく。
そう、つまり松本人志は、これが抜群なんだよ。
観客や視聴者を非日常世界に無意識的に導いてく力がな。
古いインタビューだが、本人も語ってる。
bigissue-online.jp『さや侍』がわりと映画らしい映画だったので、今回はとにかく振り切れるだけ振り切って、100分間でどれだけ暴れ回れるかの挑戦だった。メチャクチャな内容だからこそ、映画として成立させるために、今回初めて台本をきっちりつくり、一流のプロにも演じてもらい、とにかくおもしろくならないように、コメディにならないように意識した。
「おもしろくならないように」と、逆説的なことを言っているが、そうなんだよ。
コメディやお笑いにおける「いきなり奇抜な言動をする」「面白いことを言う」「ギャグをする」といった“わざとらしさ”や“あざとさ”を、徹底的にそぎ落としたのが松本人志だ。
笑いという非日常の世界へ、なるべく気づかれずにフェードインさせることに最もストイックに取り組んだ芸人が、松本人志なんだよ。
■柳のようになめらかな「緊張と緩和」
松本人志は、テレビで桂枝雀の「緊張と緩和」に言及することもあった。
utakahiro.hatenablog.comそう、だから松本人志の笑いには、この「緊張と緩和」理論に当てはまる点もある。
上記に紹介したいくつかのコントにおいても、緊張の発生のさせ方が、極めて繊細で、慎重なんだよ。
一方、よゐこのネタは、やはり松本人志ほどの繊細さがない。
bunshun.jp『新しい波』での美容室ネタ。客の有野が美容師の濱口に「タクアンにして…」「え…?」意味不明な頭のネットが、意味不明に新しかった
コントとしては、新しくねえんだよ。
松本人志が既にやっていたことを、雑にやってんだ。
「日常の延長線上にある些細な違和感を少しずつ積み上げていき異質な世界にしていく段階性」が、急すぎるんだよな。
たくあんを頭に載せるってのはな。
「武勇伝♪武勇伝♪でんででんでん」も、雑なんだよ。
いきなり、急に、観客や視聴者を、自分都合の、自分が生み出した非日常の世界(武勇伝)に、連れ込もうとしてるだろう?
それが松本人志と、その他芸人との違いだ。
松本人志っぽいことをやろうとしても、リアリティが欠けていたり、日常から非日常へと滑らかに遷移できていないケースが多々あるんだよ。
《まとめ》
どうだ、わかってくれたか?
もちろんダウンタウンや松本人志は、今はコントとか漫才もしてないから、全盛期のようにはいかないという事実はあるだろうよ。
だとしても、「笑いが起こる非日常世界を、さりげなく、違和感なく生み出す匠」として、その先駆者として、笑いの歴史に名を刻む存在なんだ。
ダウンタウンや松本人志の笑いは、"シュール"や"奇抜"といった、安直な言葉には留まらないし、カテゴライズできない。
敢えて名付けるなら「フェードインの笑い」だな。
そしてオチは、カットアウトして爆笑になったり、フェードアウトして変なニヤニヤしてしまう笑いになる場合もある。
西日本番町地図のネタとかも、シュールでも奇抜でもない。
www.dailymotion.com名古屋番長の東野が悪事(万引き)を働く→九州番長の今田と喧嘩をする→今田が倒れて口上を述べる…と、序盤は日常にもありそうな不良の喧嘩の風景。
そこから少しずつ、少しずつ、リアリティを崩していく。
四国番長のホンコンが登場し、福井番長の松っちゃんが登場し、なぜか喧嘩ではなく口上合戦をしていく。
リアルと同一線上にありながら、リアルとフィクションの境界を少しずつ曖昧にして、最終的におかしくて笑ってしまうあり得ない世界に観客を導いていく。
それを生み出した、芸人なんだよ。
その歴史的事実を無視してよ、オリラジ中田の意見とか、松ちゃんディスみたいな意見に、軽々しく共感されてもよ、説得力がないし。
「この人はあまり事実や過去を調べず自分の感情優先で物事を話す人なんだな」と、思っちゃう。
いや面白いよ。
オリラジ中田の動画も面白いし、ためになる。
俺もたまにみてる。
井川意高のギャンブル依存症の話は、他人の不幸話だが、それを罪悪感なく楽しめたし、いいドキュメンタリーを観たような感じもあった。
www.youtube.comそう、オリラジ中田もいい、否定するわけじゃない。
「教養バラエティ」として、オリラジ中田の動画は面白い。
だが漫才やコントといった「お笑い」に関しては。
笑いの無い日常を、笑いが生まれる非日常に変貌させる匠として、やっぱり松本人志の名が上がるし、その匠が審査員やアンバサダーとして存在することは、その大会の価値や権威や意義を高めることになる。
松ちゃんのツッコミや場の回しも、決して奇抜じゃない。
繊細で常人では気づきにくい違和感を掬い上げて、それでいてどこか共感できる、面白いコメントを言ってくれる。
「カフェでよくかかっているJーPOPのボサノヴァカバーを歌う女の一生」という漫画に出てくる、松本人志信者の言うとおりだ。
お前に「笑い」の何がわかる
素人はすぐにこうなんだよ…すぐに今のダウンタウンの仕事ぶりを20年前のころと比較して判断しようとするんだ…まずそこからして「ハァ?」って感じだよね…たしかに今は純粋なコントやトークを楽しめる番組は少なくなっているけれど…でも「ダウンタウンDX」などの切り返しの早さやたとえツッコミのキレ味はやはりスゴイし映画でやろうとしている松本なりのチャレンジをちゃんと見てれば丸くなったなんて言ってること自体がぜんぜん「笑い」をわかってない証拠だよねそもそもダウンタウンが現在のお笑い・バラエティにどれだけの影響をおよぼしてきたかどれだけの革新的なことをやってきたかどれだけ今までの「笑い」を引っくり返してきたかということに対するリスペクトもないよね…そーいうのすっごい腹が立つよね…おまえみたいなライトユーザーが軽々しく松本は丸くなったなんて言えるのか?おまえに限らず世間はまだぜんぜん松本のスゴさを理解してないんだよ…それは浅草キッドの水道橋博士も言ってたけどね…いまだにダウンタウンを超える芸人が出てきてないこともそのスゴさの理由のひとつといえないかな?たしかにさまぁ~ずやバナナマンも面白いと思うよ?思うけどそれと今の松本およびダウンタウンと比較するようなことはオレらみたいに「笑い」に命かけてる人間は絶対しないんだよね…そのくらい松本人志って存在はずば抜けてるんだって認識をしてるししてない人に対してはちょっとどうかな?って思っちゃう…たしかに現在はわかりやすさばかりが求められてるんだよバラエティでは…それが現状で…そこで松本の発想力やアタマの中に絵を描かせる面白さを十分に発揮できる場所というのはだいぶ限られてくる…そのことを踏まえてもいまだにゴールデンのレギュラーを何本も持っていることはダウンタウンというコンビのスゴさを如実に表していると言えないかな?若手芸人もやはり見ていてダウンタウン以降ダウンタウンチルドレンとしての存在でしかないかなぁなんて思うし「笑い」におけるあらゆる表現方法を松本はやってきてしまったぶん余計に今の若手が新しいことをやりにくい状態ではあるわけでそこはちょっと同情の余地があるけどね…だからオレらみたいな人間からすると若手でラジカルなことをやろうとしても所詮ダウンタウンの切り開いた場所で建物を建てようとしているだけにすぎないというかそう見えてしまう不幸というか…
(画像引用元:「カフェでよくかかっているJーPOPのボサノヴァカバーを歌う女の一生 [渋谷直角 ]」p70-71)
まあ松本信者だとかよ、ただのお笑いファンのくせして「笑いわかってるで~」的な面下げて自分は面白いです感でマウンティングしてくる輩とかは、ちょっと気持ち悪い部分もあるけどよ。
ただ、お笑いの大きな大会にはやっぱり。
以上の理由、笑いにおける技術革新(観客・視聴者を非日常世界へ無意識的にフェードインさせていくコントや漫才)を生み出したパイオニアとして、松本人志はお笑いの権威足り得る存在だし、必要なんだよ。
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