文本力雄さん「生まれながらの名人、それが聡太」 将棋教室の恩師が明かす秘話

藤井聡太の通っていた将棋教室の先生、文本力雄さん
藤井聡太の通っていた将棋教室の先生、文本力雄さん

 藤井聡太新名人の幼少期を知る人々は、藤井名人誕生を驚いてはいなかった。藤井を5歳から指導した愛知県瀬戸市「ふみもと子供将棋教室」の主宰・文本力雄さんは「生まれながらの名人、それが聡太なので」と話した。

 藤井が名人になることを、地球上の誰よりも早く予想していたのが文本さんだった。「生まれながらの将軍が徳川家光なら、生まれながらの名人、それが聡太なので」

 5歳のとき、母親に手を引かれ、教室にやってきた藤井。小学4年生で棋士養成機関「奨励会」に入会するまで、通い続けた。「ほっぺが赤くて、ぷっくりして、髪がくるくるで女の子みたい」な少年に将棋の才があることを気づくのに時間はかからなかった。「定跡を覚えたり、詰将棋を解いたりしているうちに進歩がとても早いなと。水を得た魚みたいな感じ。5歳の12月に入って、1年で20級から4級まで昇級した。幼稚園児でそれを成し遂げたのはこの教室にはいなかった。特に詰将棋はすごい速度で伸びて、4年のときは53手詰めくらいまでやってましたね。ほかにはいないですよ」

 将棋以外では、普通の少年だった。木登りが好きで、教室では年長者相手にプロレスも。「写真を撮るときはいつもだいたい真ん中で、変なポーズしたり“アホな聡太”な感じもあったよ」

 教室に入って間もない頃は、母の膝の上に頭をのせて寝そべっていたこともあった。「けっこう甘えた(甘えん坊)でね。でも聡太を怒るときに一番効く言葉があるんです。『聡太、そんなごろにゃんやってると将棋強くならんぞ』って。その後は一回もやらなくなる」

 小学4年のとき、奨励会に合格し、最後のあいさつに来た藤井に、文本さんは「名人を目指すなら応援しない。名人の上を目指すなら応援する」と声を掛けた。藤井はじっと黙っていたという。だが、答えは数か月後に返ってきた。藤井が瀬戸市のラジオ「ラジオサンキュー」に出演。目標を聞かれた藤井はこう言った。「名人を超えたいです」

 だから、文本さんは静かに応援を続けている。「普通に棋士になって、普通にタイトルも取って、そして普通に名人にもなる。そう思ってました」。そして今、名人になった藤井。「本当の名人の上というのは、なんなのか、それは彼自身が考えていくこと。考えて考えて、考えぬいて、いつか答えを出さなきゃいけない」。ラジオから答えが返ってきたあの日のように、藤井が答えを出すその日まで、見守っていく。

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