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詳細

三中元克プロ芸人転職騒動

めちゃいけにほんろうされたいっぱんじんのまつろ

フジテレビの長寿バラエティ番組『めちゃ²イケてるッ!』にて、2015年7月から2016年2月にかけて起きた一大騒動。
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概要

2010年、めちゃイケの中心メンバーであった岡村隆史の病気休養による視聴率低迷を打開すべく番組が実施したプロ・アマ問わない新メンバーオーディションに応募して、一般人ながらめちゃイケのレギュラーメンバーの座を勝ち取った三中元克は、番組のマスコットキャラクター的存在として持て囃されていた。

だが、そんな彼が2016年2月27日。『めちゃイケメンバー再オーディション』という企画の下、国民投票の末にめちゃイケから『卒業』という名目で追放されてしまった。

その結末の背景にあったのが、『一般人』であった彼が『プロ芸人』になろうとした事、そして、その経緯で起こったある騒動にあった。

騒動経緯


背景

2006年、これまで『油谷さん』『スモウライダー』『山奥』といったコーナーで人気を博した極楽とんぼ山本圭壱が自身の不祥事で所属事務所の吉本興業を解雇され、それに伴いめちゃイケも降板。
さらに山本と双璧を成す中心メンバーであった岡村隆史も2010年に心身の不調から療養することとなってしまう。
山本、岡村という中心メンバーの離脱や、それに伴う視聴率の低下から、一時は番組打ち切りも検討されたが、めちゃイケは当時のフジテレビの看板番組で、そう簡単に打ち切れない事情があった。

そこで、山本や岡村に変わる新メンバーを加入させようとオーディションを行い、そこで選ばれたのがお笑い芸人枠のジャルジャルたんぽぽ、女性アイドル枠で重盛さと美、男性アイドル枠で敦士、そして一般人枠で選ばれたのが、元来のめちゃイケ、そして岡村の大ファンであった三中元克であった。

~予兆~素行不良

メンバー加入当初は「大のめちゃイケファンの青年」として、一般人ならではの朴訥な雰囲気と天然な言動を売りにし、一時期は岡村に次ぐコーナー数を持つなどまさに破竹の勢いに見えた三中だったが、メンバー入りして数年が経過すると、次第にテレビ慣れしてきた事に伴って撮影裏での素行の悪化(岡村曰く「根っこの悪い部分」具体的な内容は当人の記事を参照)が問題視されるようになっていく。
最初の内は編集で何とか誤魔化せていたが、次第にそれでも隠しきれない程に増長していったことで、番組側も本格的な三中の人格矯正が必要と判断。TPO教育も兼ねて、三中をお台場合衆国のめちゃイケブース『三中食堂』の店長や東名高速道路・足柄サービスエリアで行われた企画「めちゃイケサービスエリア」の総支配人に任命し出向させるなどして彼が良識的な性格になるよう図っていた。

しかし、それらの手段を通じてもまるで改善の兆しが見受けられなかったため、最終手段として2014年10月から社長の新崎人生が率いる「みちのくプロレス」に入団の上、プロレスラーとなりリングデビューを目指す企画を三中に挑戦させることとなった。


~前章~みちのくプロレスでレスラーデビュー挑戦企画

企画開始~入団テスト

この企画の目的には三中の悪化した素行の改善の他、2011年に発生した東日本大地震の余波で未だに復旧の目処が立たず、岩手県を中心に仮設住宅に住む多くの被災者達を元気付ける復興支援のそれも兼ねていた。

三中は自身のプロレス企画挑戦については事前に連絡されず、抜き打ちで自宅を訪れた岡村に「昼食に行こう」と誘われてそれに同行する形で、岩手県滝沢市のみちのくプロレス道場に連れてこられる。そこで出迎えてきた人生社長から初めて企画の事を知らされた(その発表時、三中は露骨に嫌そうな表情を浮かべていた)。
そうしてプロレスラーデビューを目指すにあたってまずはみちのくプロレスの練習生にならなければいけない為、看板レスラーでもある野橋太郎によるトレーナー指導を受けながら、現在の体重を減らす前提で1ヶ月後の練習生テストに合格する為のトレーニングに励むことになった。だが、三中は上述の企画発表時の態度や後のインタビューでプロレスは見るのもやるのも苦手だったと述べていたことでも解る通り、最初からこの企画に乗り気ではなかった。

しかしながら、企画が始まった当初は活発良く動く日々のトレーニングや先輩レスラーとの交流を経て「楽しいです」「明日も頑張ります」と前向きな姿勢を見せていた。トレーナーの野橋も「テレビ番組どうこうとかは関係なく、新人が来るのは嬉しいですね」とめちゃイケの番組スタッフに語り、三中にも親身に接しながら指導し可愛がっていた。

また、かつて色とり忍者の罰ゲーム執行役で綱引きの将軍様を務めていたプロレスラーのマッスル坂井も同プロレス企画に取り組み始めた三中の元を訪れ、「プロレスというのはエンターテイメントの最先端が詰まっていて、お笑いの要素も十分にあるんですよ。めちゃイケとプロレスの共通点は沢山あって、私は今までのプロレスをめちゃイケに行かせる事が出来て、逆にお笑いもプロレスに活かせるんじゃないかなと思いますよ」「めちゃイケとプロレスの共通点は、『見る人を楽しませる為に自身の生き様を曝け出して見せ付けるもの』だと感じた」と、後述のジャルジャル同様にプロレスもれっきとしたお笑い稼業の一つであると三中に語っていた。

そして練習生テストが近づくにつれ、トレーニングもさらに実践的なものとなる。しかし、トレーナーの野橋の前でこそ真面目にやっていたものの、自主トレではヘラヘラ笑いながらのふざけた態度でいい加減なやり方の練習に終始していた。そして迎えた入団テスト当日、目標の体重に減量出来ていない状態で不安に駆られながらテストに臨む事となり、言うまでもなく課せられたテスト種目は最初辺りから満足にこなせなかった上、テスト中にズルをしたり種目をやり遂げられなかったことに逆切れするかのような態度を見せるという失態を晒した。結果、試験官として臨んでいた人生社長を大きく失望させ、まだ全種目が終わっていないままでテストは中止となってしまう。その際に「自分はしっかり頑張ってきた」と弁解する三中に対し、人生社長は「それは三中が今まで生きてきたレベルの中で『頑張ってる』だけだな」という厳しくも三中の本質を突いた言葉を述べた。続けて「プロレスというのは子供の頃から本当にプロレス好きでレスラーになりたい人が入ってきても、10人に1人残るか残らないかの世界なんだよ」と、プロレスの世界が如何に厳しい世界かを説き、最後に「はっきり言ってこの1ヶ月、三中の中では頑張ったかもしれないけど、プロレスラーになるのは一度諦めてくれ」と諭し、今回の三中の入団テストについては事実上不合格という判断を下してからその場を後にしたのだった。

これには三中もこのままで終わらせたくない意思を示し、スタッフ側も三中の人格改善を目的とした企画である以上こんな形で終了させることは出来ないため、三中に「もう一度テストを受けられるようにお願いしに行こう」と促し、そのまま一同は人生社長の元に再度訪れて再テストをしてもらえるように交渉した。

結果、人生社長からもう一度だけチャンスを与えられ、一先ずは1ヶ月後に再テストを受けられることが決定。その際に社長は「もちろん、番組の企画だというのは分かっている」とした上で、「本気で苦しんで頑張る姿を見せて、『三中が頑張っているんだから俺らも頑張ろう』と思わせないと」「自分で『頑張ってます』って言うな。それは他人が言うから。その内『三中、頑張ってるな』って、他人が言ってくれるよ」と改めて厳しくも優しさを込めて三中を激励した。
その後にトレーナーの野橋から、「ホントに遊んでる暇ないよ、この(再テストまでの)1ヶ月間。そのくらい真剣にやらないと。あのリングに上がってる奴に対して失礼だと思う、中途半端な気持ちでいたら。テキトーな奴がテレビに映ってたらムカつかないか?(テレビの出演者達は)誇りを持って仕事してるだろ?」「お前が三ちゃんだろうが、めちゃイケから来てるメンバーだろうが、俺は関係ないからそんなの。それでこれからはより、お前に対しての見る目も厳しくなるから。生活態度や練習に対する態度だってそう。今までのやり方でダメだったんだから、それ以上に厳しくするしかないじゃん」「今日だって(テスト種目が)出来なくなって八つ当たりとかしてたけど、ふざけんなよお前!俺だって悔しいよ。真剣に教えてるんだから」と説教され、以降はその言葉通り厳しい指導や練習不足による肥満解消のための食事制限が三中に課せられるようになった。

1度目の脱走騒動~入団テスト合格

しかしその後も三中はプロレス企画に対してやる気が起きず消極的であった。
めちゃイケの番組収録の為に東京へ戻った某日、あろう事か必ず自主トレするようにとのみちのく側の指示を無視。そのままジャルジャルの福徳と深夜にバーへ行って食事制限で禁止されている筈の揚げ物まで注文していた上、その後にはカラオケで遊ぶ予定も入れていた。一先ずその場からは番組スタッフに連れ出されたものの、当の三中は不満タラタラで反省せず、自宅に帰っても肝心のトレーニングは一向にやろうとしない体たらくを見せていた。

そうして一人だけではいつまでも甘えてプロレス企画に真面目に取り組めない三中を見兼ねた野橋は、もう彼の自主練習には期待出来ないと判断。それからは、可能な限りで三中との練習時間を増やしながら徹底的に指導するようになり、会話の際も「練習中は俺より声をデカく出せ」「(返事の声が)小っちぇんだよお前よ!出せっつってんだろ!」と厳しく喝を入れていく。

そうした過酷な練習が続く中、三中食堂やめちゃイケSAと違い全く注目されない孤独や企画の終わりが見えないという不安に心身共に耐えられなくなっていった三中は、同年12月某日の練習終わり、同伴していた撮影スタッフに向けて抑え込んでいた感情を爆発させながら「言いたくなかったけどもう(この企画をやるのは)嫌や…」「めちゃイケ(の仕事)じゃなかったら(プロレスなんて)絶対すぐ辞めてる!」と涙ながらに本音を吐いた。それに対して撮影スタッフは「三ちゃん以外も同じ(状況)なんじゃない?他のめちゃイケメンバーも、(仕事での辛さを)我慢しているんじゃないの?」と投げ掛けるが、当の本人は聞く耳を持たず「周りから(主役の企画で)羨ましいとか言われて…何が羨ましいねん!」などと、悔し泣きで憤りながら同企画への不満を更にぶちまける。
そうしたプロレス企画を拒絶する気持ちが明らかに出ていた翌日、過酷さを極める練習に耐えかねた三中は遂に野橋と衝突。練習の腕立て伏せが途中で出来なくなり、精神的にも追い詰められたことですすり泣き始める。それに追い打ちをかけるように野橋から「自分に負けるなよ!歯を食いしばって(体を)上げろ!」「鍛えるために(自分を)追い込むねん!それで(プロレス練習生の)テストを受けるのはお前(三中自身)や、見ろよこっちを!」などと叱責され続けたことで我慢の限界が来た三中は、突然叫び声を上げながら練習を投げ出し、駄々をこねるように逃げる仕草も見せて泣き崩れる。その様にも野橋は容赦なく「辞めるんやったら辞めるってちゃんと言え!ほら、どないすんねん!」「腕立て(伏せ)をやれ!それだけや!(練習生)テストに受かればええねんお前は!練習が嫌なら出て行け!」と怒号を浴びせた。これにより自暴自棄となった三中は、そのまま合宿所の着替え室に戻ると不貞腐れた態度でみちのくプロレスのジャージを脱ぎ捨て始める。その様子に撮影スタッフが「三ちゃん、練習まだ途中だよ?」「(練習所に)戻って野橋さんに謝ろう」と促すも、当の本人は「もういい…」と耳を貸さず、自分の荷物を纏めて野橋に企画をリタイアする旨を告げる。それを野橋が了承したことで、三中はそのまま合宿所を立ち去って東京の自宅へと帰ってしまった。

その夜、三中がみちのくプロレスを逃げ出したことは番組スタッフから岡村以下めちゃイケメンバー達に伝えられた。

メンバーの各々は

えーっ!?頑張れなかったか…(by加藤)」
「いや、もう『やっぱり』って感じだな(by光浦)」

などと薄々予想していた通りだったと捉えたり、驚いたりという反応を示した。そんな中で唯一、濱口優だけは企画を投げ出した三中に対し「彼を(プロの)芸人として考えると、企画を途中で辞めたって事は芸人も失格やと思うんですよ。僕らも何時そういうもの(=過酷な企画)に行かされるかも分からないし…そう考えた時に、それ(企画を投げ出す)って…芸人としてもタレントとしても失格ですよね」と厳しい意見を述べた。そして、岡村は上記のように「企画の先が見えないから本人にとってさらに不安だと思う」と述べ、同じく矢部浩之も「今の三中には仲間が居ないから寂しいんですよ。それに手を差し伸べてくれる人が居れば...」と三中の状況を少なからず理解していた。

その後、しばらく自宅に篭っていた三中の元に、同じめちゃイケメンバーで一番仲が良かったジャルジャルが訪れ、みちのくプロレス企画から逃げた現状について鋭く問い始める。

「人間関係が辛い」「自分は芸人になりたい。プロレスは芸人としての仕事じゃない」と言い訳する三中に対し2人は「人間関係がきついとか言うけど、ただ練習がしんどいだけなんやろ?そんな単純な理由で夢を諦めるんか?」「プロレスも立派なお笑い芸人としての仕事や!」「三ちゃんがプロレスラーになったら面白いと思うよ多分!」「毎年吉本だけで1200人くらいの若手が入ってくる中、売れてもいない芸人はどんな企画であろうとテレビに出たくて必死なんやで!」「プロレスが嫌なら、めちゃイケも辞めて、ネタのオーディション受けて、下から這い上がれよ!(今の三中では)無理やで!」などと、売れない芸人が如何に売れようと必死で頑張っているかという事、テレビに出ているにもかかわらず与えられた企画を投げ出すのは彼らにとっても失礼な事であること、ネタもろくに作ったことがない三中が芸能界で活躍する上でプロレスの経験は必ず武器になるという事を諭した上で、「三中には止めに来る仲間がおんねん!普通夢諦めるん言うたら誰も止めに来えへんわ!止めに来とんねん俺らは!」「辛い時は泣いたらええ!」と励まし、それに背中を押された事でみちのくへ戻ってプロレス企画に再挑戦することを決意。
「やり直す」という意味を込めるために理髪店で頭を丸刈りにして、ちょうどその時にお台場で開催される予定のみちのくプロレスによるイベントの準備に出向き、そこで野橋と再会。何事もなかったかのように接してくる野橋らと一緒にリング作りを行った。そして行われたイベント試合を見学し、試合終了後に人生社長に呼ばれてリングに上がる。そこで野橋から先のプロレス企画から逃げた件を咎められてから、これから更に経験する辛い事を乗り越えてプロレスラーになる覚悟があるのかと改めて問われた三中は、大勢の観客が見守る中で「はい!あります!」と返答。みちのくから脱走した件を人生社長や野橋達に謝罪しながら「二度と逃げない」と約束し、その覚悟を受け止めた野橋から禊のビンタ一発を浴びせられる。そして「次は許さないからな」と念押しされた上で、もう一度企画に挑戦する事を許された。そうして舞い戻った合宿所での練習が再開するも、トレーニングから離れていた間に体力が元に戻ってしまったことで基礎からのやり直しとなってしまう。それでもしっかり練習に打ち込んでいた最中、かつて三中と同じ素人枠で出演していた蓬田修士が訪ねてきた。

当時蓬田は鍼灸師の資格を取得しており、三中の肉体的かつ精神的苦痛をマッサージでケアし、同時に三中の今の状況を理解した蓬田は「めちゃイケや世間の為に頑張っているのはわかるけどそれでも一番辛いのは自分なんじゃないのかな」と三中の苦悩に同情した。そして、蓬田はたった一枚の手紙をフジテレビに送ったのがきっかけでそれ以降めちゃイケに頻繁に出演する様になったと自身の経緯を説明した。だが、次第に蓬田は自分の生き方に自身を無くしたのか大学卒業後は定職にも付かず、趣味で活動していたバンドも真面目に取り組めず、今の三中の様な落魄れた時期もあった。その際、岡村から「お前、真剣に夢を追いかけているのか!?」と叱責された事から奮起し、誰かのために役に立ちたいと専門学校に通い直し、鍼灸師として活動を始めたのである。更にかつて初めてめちゃイケに出演した際のビデオを見て、あの頃の様な熱い想いが蘇ったこともプラスになった。その為、蓬田は「いつか自分が壁にぶち当たった時には、初めてめちゃイケのオーディションを受けた頃を思い出せば大丈夫」と三中にいつかの頃の為に初心の頃を思い出す様にとアドバイスされ、同時に「失敗しても逃げ出しても構わない。ただ、自分が真面目に一生懸命取り組んでいた事が大事だ」と諭された。そして、「決めるのは”自分自身”なんだから、それで決めた人生や選択を他人のせいにしてはいけない」と大人としての責任感や自覚を持たされた。

こうした支援やアドバイスの甲斐もあって三中は過酷なトレーニングを耐え抜き、23キロの減量に成功。そうして万全の状態となった上で翌年の1月、プロレス練習生テストに再挑戦する。
結果、前回のテスト時には達成出来なかった腕立て伏せ、背筋×50回、腹筋100回を難なくクリアし、多くの入門希望者が挫折したスクワット500回をも、自ら提案したホームが崩れたらノーカウントでやり直すというルール付でクリア。そうして見事に全種目を制覇してテストに合格し、晴れてみちのくプロレスの練習生となった。

その際、成長した三中の姿に人生社長は感銘を受け、応援に駆け付けて来ていためちゃイケメンバーからも「内面が変わった気がする。(自分に)負けなくなった(by加藤)」、「『(三中は)頑張ったな』と思います(by福徳)」などと称賛を受ける。特にみちのくプロレス脱走の件で三中に対し厳しい意見を挙げていた濱口も「めちゃイケオーディションの時に自分らめちゃイケメンバーと一緒にやっていきたい一心だった三中が戻ってきた感じがして、心が熱くなった」と見直していた。
一方、その場に遅れて現れた「チビタイガーマスク」姿の岡村からは、脱走の一件も踏まえて「君(三中)はもう(めちゃイケに入ってきて)5年目に入ったけど、一番めちゃイケのスタッフが君に重きを置いてくれていたというのは解ってるのかな?新メンバーの中でも一番(三中が)気にかけてもらっていたのは、君が(唯一の)一般人だからです」「(仕事が)大変なんて当たり前ですよ。他の(プロの)皆は大変なとこを見せてないだけで、まだまだ(三中は)甘いと思いますよ。そろそろ一般人扱い、やめさせてもらってもいいですか?めちゃイケで。素人さん扱いさせてもらわなくてもいいですか?皆と横一線で頑張ってもらってもいいですか?頑張ってるフリ、悔しいフリ、泣くフリ。そういうのはやめましょう。これからは、本気でやっていきましょう」と叱咤激励された。その後に本気度を確かめるためのビンタの打ち合いをして、本気でプロレスラーになろうとする覚悟を認められる。

こうして三中はみちのくプロレスの練習生としてリングデビューを目指して、プロレス企画に真剣に取り組み始める。その一方、力みすぎてオナラを出してしまうなど従来の「三ちゃんらしさ」も出して少なからず周囲に笑いを誘っていた。










…が、それから数ヶ月後の2015年10月某日。
岡村より、三中を除いて急遽集められためちゃイケメンバーに衝撃の事実が告げられる。













岡村「えー、三中なんですけれども…





















実は…、みちのくプロレス…





















辞めました!


エーーーッ!?」(メンバー一同)


プロレス企画へのジレンマとフラストレーション

プロレス企画に本格的に取り組み始めた三中は基礎トレーニングや試合のセコンドとして活動するなど、みちのくプロレスの合宿所に入り浸る日々を送っていた。
しかし、この頃から内容がトレーニングとセコンドの繰り返しとマンネリ化してきた為か自身の企画がめちゃイケで取り上げられなくなった上、フジテレビの収録にも呼ばれない事が多くなる。

そして入団から半年程経った頃、4年ぶりのめちゃイケ主催による当時の27時間テレビの準備などで、めちゃイケメンバーやスタッフらは多忙となっていく。その間、みちのくプロレスでの三中の撮影担当だったスタッフもみちのくから駆り出されて不在となり、一人残された三中はスタッフから渡されたカメラで自身のプロレス企画進行に関する撮影も任されることとなった。そうしてスタッフやメンバーのプロレス企画に対する関心が著しく下がってしまった事に三中は再び不満を募らせ始め、痺れを切らして制作陣に「プロレス企画を終了して東京に戻って収録に参加したい」と願い出たが、番組スタッフは27時間テレビの準備で忙しかったため三中の企画まで見る余裕がなく、三中が真面目に取り組む姿勢が見えない限り企画を終了するつもりは無いとして、企画を続行する様に命じた。それならばと三中は「番組内で自身の企画をもっと取り上げて欲しい」と懇願したが、全く進展も無い企画を取り上げたところで何の面白味もある筈が無く、何よりも三中に甘えが出ると制作陣は判断して却下し自分だけで頑張る様に命じる。

自身の嘆願をめちゃイケ側に認めてもらえなかった三中だったが、一方でリングデビューすれば企画が終わるとも期待していたことで、人生社長へプロレス試合に出場したいとの旨を伝える。しかし人生社長は「君はまだ十分な筋力やスタミナも付いていないから出場はまだ許可できない」と却下した。それでも三中は「ここ半年間はひたすら練習してきて十分鍛え上げられましたからリングに上がる自信はあります」と食い下がるが、変わらず社長は「試合は練習と違って相手からお構いなしに攻撃してくるから、今の三中じゃあっという間に秒殺されるしそんな惨めな姿をリング上に曝け出すのはお客さんに対して失礼だ」としてリングへのデビューを許可しなかった。更に大抵の練習生は早くても一年間練習してから試合に出られると、三中がリングにデビューするのは遥か先だという現実も告げる。
仕方なく三中はそれを受け入れるが、今度は妥協案として「しばらくお休みを頂けませんか?いろいろとリフレッシュも欲しいもので」と休暇を申し出る。だがこれもトレーナーの野橋に「プロレスラーになるって決めたのはお前だろ?他の練習生だって厳しくても毎日休まずに練習しているんだぞ。リングデビューしたいなら今はただ目の前にあるやるべきことをやれ!休めばその分体力も筋力も落ちるんだからダメだ」と却下される事となり、リングデビューどころか休養すらさせてくれないみちのくに対してもますます嫌気を募らせた。

また、企画の趣旨の一つである筈の『復興支援』に積極的に関わっていたのは三中だけであった。他メンバーは仕事の都合上ほとんど参加出来ず、参加出来たとしてもほんの少し程度だった事も三中の孤独感をより増長させていった。

2度目の脱走騒動

そして、27時間テレビ本番が間近に迫っていた7月某日。遂に溜まっていた鬱憤、そして終わりの見えない事への不安が暴発する形で、三中は岡村達や野橋達との約束を破り、みちのくプロレスの練習所からまたも逃げ出してしまった

後日談で野橋が語った経緯によると、脱走までの数日間は体調不良という理由で参加せず、脱走前日はかろうじて練習には参加していた。翌日、練習所に顔を出さない事を不審に思った野橋が直接合宿所を訪れると着替えはおろか私物まで一式全て消えていた。そして、ベッドの上には普段の練習中に着ていたジャージが前回の逃げ出す直前の時と同じく脱ぎ捨てられており、枕元には『しばらく一人にさせてください』と書かれた置き手紙が残されていたという。
この事から三中は体調不良として休養していた数日の間に密かに身の回りを整理し、全ての準備が整った前夜の内に他の練習生や選手、スタッフ達の目を盗んで夜逃げした事が明らかとなった。その後、直接三中に連絡を取ろうとしても着信拒否等で繋がらなかった。最初は練習場や合宿所付近に隠れている可能性を想定して捜索するが見つからず、翌日も盛岡市内まで捜索範囲を広げるも有力な情報は得られなかった。後に盛岡駅の駅員から、脱走当日に三中らしき人物が東京方面の新幹線に乗車したという情報が入る。
一方、事態を知った人生社長も直ちに東京のフジテレビにこの一件を報告した。

前述の通り27時間テレビの本番が目前で番組サイドの多忙さもピークに差し掛かっていた時に、みちのくプロレスから三中が再び脱走したとの連絡を受けた制作陣は「なんで、よりによって今(逃げるん)だよ!?」と怒り混じりに混乱に陥りながらも、直ちに三中の捜索班を立ち上げ、自宅の近辺を張り込ませたり、三中自身の携帯宛に『今すぐにみちのくへ戻るか、フジテレビに来い』とメールや電話を送った。
しかし、三中もそれを察したのか、東京に戻っても知人の家やカプセルホテル等を転々とする形で逃げ回る。当然スタッフからの連絡にもなかなか応じようとしなかった。
それでも、この年はめちゃイケが中心となっていた27時間テレビに三中を欠席させることだけは避けなければならなかった制作陣は、みちのくプロレス側と相談の末に「27時間テレビが終わるまで、プロレス企画の件は保留にする」と譲歩案を提示する事で本番の数日前にやっとの事で三中の身柄を抑え、みちのくプロレス側に三中の無事を報告しながら27時間テレビの本番は無事に終える事ができた。
しかし、それから程無くして三中はプロレス企画について制作陣と話し合う約束を破り「心身不調による療養」を理由に今度は大阪の実家に帰省する形で再び逃亡。それに伴い、当初は三中が参加する予定だったコーナーの収録も急遽出演者を変更するか、収録自体を延期せざるを得ないに状況に陥ってしまう。

~山場~独断でお笑い芸人に転職

この切迫した状況をフジテレビ側から知らされたトレーナーの野橋は人生社長に「もう諦めましょう…。本人に戻ろうって意思がないならどうしようもないですよ」と三中を見限るよう促すが、それでも人生社長は「もう少しだけ待とう。そのうち気が変わって戻るかもしれないから」と、三中が戻ってくる可能性も考えて企画再開を諦めず、その目処が付くまで同企画は休止するという形を取った。
実は野橋や人生社長は三中のリングデビューこそまだ承認出来ないものの、彼をメインにしたミニイベント的な催しを試合の合間に組み込めないか検討しており、27時間テレビ終了後にめちゃイケ側へその事を打診しようとした矢先、此度の2度目の脱走騒動が起こってしまったのだった。
その為、人生社長は「もっと早く三中にこの話を伝えるべきであった」と、自分達も彼のモチベーションを維持させる為の配慮に欠けていたと少なからず後悔していたこともあり、まだこの時点においては、三中がまた戻って来て素直に謝罪してきたら、この2度目の脱走についても許すつもりでいた。

だが、そんな人生社長の思いとは裏腹に当人の三中は、今度こそみちのくプロレス企画に復帰する気など更々無く、この脱走期間の最中に今回のプロレス企画やその前のめちゃイケサービスエリアで番組から受けた一連の無茶振りを「“素人”という立場故に無茶苦茶な企画を強いられる」と感じた三中は、番組加入前から模索していた『プロのお笑い芸人』になる事で自身の立場を改善させようという打開策を思い付く。無論その事を制作陣やレギュラーメンバーに相談したところで却下されるだけでなく再度みちのくプロレスに戻されてしまうのがオチと考えた三中は、事もあろうに番組側には無断かつ個人で勝手にプロ芸人への転職活動もとい『お笑い就活』を始めてしまう。

手始めに一足先に芸能活動をしていた旧友の臼杵寛に声をかけてお笑いコンビ「ワンハンドレッド(のちにサンプライズへ改名)」を密かに結成。
それから幾つ(後に番組側が確認したものだけでも6社)もの芸能事務所やタレント養成所へ履歴書を送ったり、オーディションを受けた。
もう一度言うが、この一連の活動は番組側には一切の報告や相談も無しに行われた三中の完全な独断行動であった

この時、三中は売り込みをかけた事務所に対して、めちゃイケの総合演出の戸渡和孝やプロデューサーの明松功、ディレクターの遠藤達也ら番組スタッフの重鎮達や岡村などの名前を勝手に用いて、「許可は貰っている」「番組の企画の一環」等と嘘の説明をしていたが、話す内容が二転三転して辻褄が合わない事を不審に思った何社かの事務所がフジテレビに事実確認を行った。そして勿論そんな企画の趣旨など報告されていなかった局の営業部がめちゃイケの番組制作陣に一体どういう事なのかと問い詰めたことで、制作陣も三中が自分達の知らないところでとんでもない行動を起こしている事を知った。

みちのくプロレスの怒り

この事態は当然、みちのくプロレス側の逆鱗に触れることとなった。
三中の指導役であった野橋は、ただでさえもう逃げ出さないとリングの上で立てた筈の誓いを反故にした三中に怒りを覚えながらも、彼を信じて猶予を与えている人生社長の顔を立てて我慢していたところに『三中が自分達の知らぬ間に、他方でお笑い就活を始めていた』という更に不義理を重ねていた事実が舞い込んできた事でとうとう堪忍袋の緒が切れてしまい、「俺達をコケにすんのも大概にしろよ、あの大馬鹿野郎!!」と思わず壁を殴りつける程に激憤。
こっちはアイツを信じてチャンスを与えてやったし、早くリングデビューできるように色々考えてやっていたというのに…恩を仇で返しやがって!」と三中に対して完全に愛想が尽き「悪いが、俺はもう(指導役から)降りる」と彼を破門する事を宣言。
「必ず連れ戻しますから、もう一度だけ許してやってください!」と番組スタッフが嘆願するも「アイツはリングの上で交わした(「二度と逃げない」という)約束を平気で破りやがったんだぞ!?挙げ句にプロレスから逃げておいて、お笑い芸人(になる)? ふざけんじゃねぇよ! そんな野郎はもうレスラーとしても信用できねぇし、そもそも(プロレスラーに)なる資格すらない! そちらさん(めちゃイケのスタッフ)がいくら連れ戻そうが、もう俺はあいつには何も教えてやろうとは思わない!」と、今度という今度は取り付く島がなく、三中のプロレスラーデビューに向けて協力していた佐々木大地を初めとする他のレスラー達も「やってられるか!」「頭からやる気がない奴を仲間に加える程、こっちだって余裕はないんですよ」「アイツが戻ってきたところで、俺達も受け入れてやるつもりはもうありませんので」と野橋に同調する形で、断固として三中を拒絶する意志を示した。

人生社長も、怒り狂う野橋らを宥めてはいたが、三中のプロレス企画達成の為に全力で事にあたっていた自分達を蔑ろにしてお笑い就活を優先していた事については流石に擁護のしようがなく、「無理に連れ戻したところで、どうせまた逃げ出すだけじゃないかな…」「本人がやる気がない以上は何を言っても聞き入れてはくれないと思うし、そうなった以上は我々はどうすることも出来ない」と、遠回しではあるが三中にはもはやプロレスラーデビューを果たす見込みが無いとみなして彼に見切りをつける発言をし、最終的に野橋らの憤りが沈静化する兆しがないとも悟ると「申し訳ないけど…、ウチはもう(この企画への協力は)無理だよ」と、みちのくプロレスとしてもこの企画を継続するのは不可能であると制作陣に告げた。

めちゃイケスタッフとの口論

こうして、みちのくプロレス側からほぼほぼ完全な『企画協力の拒否』を突きつけられためちゃイケ側は危機感を覚え、事実確認の為に半ば強制的に実家から呼び出しつけていた三中と、今後について真剣に話し合う事になった。

その席上で三中は芸人転向を目指してお笑い就活を始めていた事を認め、無断で転職活動していたことについては謝罪する一方、上記のように誰も自分に関心を持ってくれなかった事に体力的の限界、そして他のメンバーの様に並んでお笑いをやりたかった為に芸人になったと釈明した。
それに対し制作陣のスタッフらは「君もめちゃイケメンバーの一人なんだから、こんな勝手な事されると岡村さん達や僕ら(スタッフ)皆が困るんだよ」「芸人になるのは構わないけど、プロレス企画だってちゃんとした仕事なのだから、まずはそっちに対する筋を通してもらわないと」と窘めるも、三中は「こっちだって相方(臼杵)をずっと待たせていたんです」と半ば開き直って反論する。
それでも最初は1回目の脱走騒動の時の様に穏便に諭そうとしたスタッフは「プロレスを続けながら芸人になることだって出来るんじゃない?」と妥協案を提示するが、「それ(プロレス企画とお笑いを並行)だと中途半端になるんで…」などと再び言い訳を重ねてプロレス企画再開を断固として拒否
それならばと「せめて、みちのくプロレスの皆さんにちゃんと謝りにだけは行こう。僕らも一緒に行ってあげるから」と説得するが、既にスタッフに対する信用も皆無となっていた三中は「そんな事言って、どうせ向こうについたらまた有無も言わさずに練習所に閉じ込めるつもりなんでしょ?」と疑心暗鬼になりながら、意固地に反発を繰り返した。

痺れを切らしたスタッフから続けて「みちのくプロレスさんはもう君(や企画)には付き合えないと告げていて、このままだと“企画放棄”という形でお蔵入りになっちゃうんだよ。そんな事になったら岡村さん達も絶対に唯じゃ済ましてくれないから。何より君の立場が無くなって、周囲や世間へのイメージダウンにも繋がるし、最悪の場合番組から降ろされる可能性もあるかもしれないよ」と最後通牒を突き付けられても、「そんな真似したらこっちだって黙ってませんし、たとえそんな事を言われても意地でも(芸人への転職活動は)やり続けますよ」「もしそれで(番組から)降ろされる事にでもなったら週刊誌に(ぞんざいな扱いを受けた事を)全部バラしてやりますよ? テレビ局の信用を無くしても良いんですか?」と挑発的かつ身勝手な態度を取る。挙げ句の果てには「そもそも、この企画に何の意味があるんですか!?」「お笑い番組なら、プロレスなんかじゃなくて“お笑い”をやらせてくださいよ!」「僕だってめちゃイケメンバーなんですから、少しはこっちの事も考えて下さいよ!」と制作陣の方針に直接文句まで言い出したことで、流石のスタッフらも辛抱に耐えかねて「いい加減にしろ! こっちが下手に出てるからって好き勝手な事ばっかり言うなよ!どんなに辛い目に遭ってたかは知らないけど、それが仕事なんだよ!」「めちゃイケは君一人だけの番組じゃないんだよ! “意味があるかないか”とかじゃなくて、“君が番組の為に(企画を)やれるのか、やれないのか”って話なんだよ!」と声を荒げた。

それからヒートアップしたスタッフ側は「自分の気持ちを解って欲しいならまずは作る側の気持ちや事情も解ってくれよ!こっちだって君の将来や番組の為に、企画やコーナーを作っているんだから!」と叱責するが、それに対して多少たじろぎながらも三中は「だったらもっと企画“らしい”事をさせてくださいよ!出演者がカメラ自分で回してその報告も自分でしなければならないなんて、そんなのテレビ番組でもなんでもないじゃないですか! 勝手過ぎますよ!」とプロレス企画後半以降のぞんざいな扱いによって溜まりに溜まっていた不平不満を爆発させながら反論。それに対してスタッフ側は「勝手なのはどっちだよ!?君は新メンバーオーディションの時に『めちゃイケメンバーの皆さんと一緒に“最高の番組”を作っていきたい』って言ったじゃないか!それなのにあれも嫌だ、これも嫌だって我儘ばっかり言って何様のつもりだよ?!あの時の言葉は嘘だったのか!?」と、当時のめちゃイケに純粋ながら熱い気持ちで来た三中に絆された自分達の思いを裏切った事への憤りをぶつけるが、それに対して三中は「今の僕にとっては“最低の番組”ですよ!!僕が好きだっためちゃイケも色々めちゃくちゃやってましたけど、ここまで出演タレントを放任してるとは思わなかったですよ! 挙げ句の果てには自分達は何もしないで全てみちのくさんに任せるなんて自分勝手なのはそっちじゃないですか!正直“舐めるな!”っていいたいですよ!!」と遂にはめちゃイケやフジテレビに対し非難する発言や半ば暴言を吐く姿も目立ち、結局双方は本格的に口論に縺れ込んでしまう。

このままでは埒が明かないと踏んだスタッフは一旦冷静になり、「これが最後のチャンスだよ?もう(プロレス企画に)戻る気はないの?」と尋ねるが、三中は「ありません」と即答。
「(もし僕らより偉い局の人達から直に)『もう一度みちのく(プロレス)で頑張れ』って言われたらどうするの?」という質問に対しても「例え戸渡さんに言われても『出来ません』って言います!」と宣言したことでとうとうスタッフも「……じゃあ、もう勝手にしろよ!」と精根尽き果て、「その代わり唯で済むとは思うなよ! あとで泣きを見る事になったって僕らはもう知らないから!」と匙を投げ、三中も「結構です!こっちだって、何を言われようと一切聞き入れませんし、とにかくもう(プロレスには)関わりたくもありません!」と捨て台詞を返す有様で、話し合いは完全に決裂した。

プロレス企画打ち切りとそれに対する措置

結局、三中とみちのくプロレスの双方が共に番組側からの説得や要望を悉く突っぱねた事で、再開及び継続の不可能が決定的となったプロレス企画は同年9月にYoutube上での報告動画で正式に中止が発表され、そのままお蔵入りとなった
しかも、その報告動画でプロレス企画の打ち切りを明かした時の三中は、どう見ても嬉しそうな態度ではしゃぎながら企画の終了を告げていたのだった…。

こうして、リングデビュー云々以前に酷い不義理を犯して企画を台無しにした三中であったが、彼自身は結局みちのくプロレスへ正式な詫びや挨拶すらしようともせず、最終的に当人不在のまま退団となった。ちなみに三中は、その後も人生社長や野橋達に謝罪する事もなかったばかりか、脱走の際に練習所に置き忘れた私物の回収さえもスタッフに押し付けるなど、結局後述の芸人転向後の初収録で久々に再会するまで一度も顔を合わせる事もなかったという。

実情はさておき、名目上は『復興支援』の一環も含めていた以上、本来ならば中途半端は許されない筈だった企画を、事もあろうに“打ち切り”という最悪な形で終了させてしまった事で、めちゃイケやフジテレビの面目は丸潰れとなり、みちのくプロレスや企画を支援してくれた東北各方面の企業・団体に対し、謝罪行脚と共に相当額の違約金を支払う羽目になった。
また、この騒動を通して様々な面で甚大な迷惑を被っためちゃイケスタッフ一同も、もはや三中の人格改善は不可能と見切りをつけてしまう。

その後、三中は東京に戻って何事もなかったかの様に番組収録に復帰するが、制作陣への誠意を込めた謝罪どころか反省の色も見せなかった事で、今回のプロレス企画の発案者であった放送作家の鈴木おさむが「このまま彼を、何の制裁もなくめちゃイケに出演させるのは、納得出来ない」と唱え、企画に関わっていたスタッフ達からも「なんで当事者がお咎めも受けずにいられるんですか?」「せめて方々への謝罪くらいは、本人にやらせましょうよ?」「こっちの苦労も知らないで、温々と過ごしてるアイツの顔を見ていると腹が立ってきて仕方ないです」と企画を潰した張本人でありながらのうのうと振る舞う三中の処遇について不満を訴え始める。それ以降、スタッフは当て付けで三中に対して専用の楽屋を用意しない上にスタイリストも設けず自分で着替える様にさせ、仕舞いには三中の番組内での出番を減らしたり、カメラに写った場面を意図的にカットするなど彼に対する処遇も悪くさせていった。

一方、三中も他社の雑誌のインタビューを受けた際に「正直言ってめちゃイケのスタッフは頭がイカれているんですよ。出演者である僕を平然とスタッフ扱いしますし、こっちの事情も無視してやりたい放題やらされますから。どうやったらあんな性格に仕上がるんでしょうかね?」とプロレス企画から解放された反動からか、めちゃイケはおろかフジテレビに対する不満や冒涜な発言も露骨に目立つようになってきた。更に三中はこれまで自身をぞんざいに扱ってきた鬱憤を晴らすかの如く、今までは敬語で呼んできた年上のプロデューサーやディレクターを、呼び捨てや「おっさん」、「バカ」呼ばわりし、それが原因で収録時間以外でもスタッフとの口論が頻繁に発生する様になる。

当然、この三中とスタッフが繰り広げる泥沼の争いは周囲の目にも余る事態となり、その異様な状況を目の当たりにした岡村含むめちゃイケメンバーは何かトラブルでもあったのかと三中に問いかけたが、本人やスタッフも特に大したことではないと上記の騒動についてはこの時まで伝えていなかった。

両者の関係が悪化の一途を辿る中で、事の一部始終を知ったフジテレビ上層部も事態の深刻さを憂慮していた。
というのも、当時の三中は特定のタレント事務所に所属していなかったものの、事実上は『フジテレビの準社員兼専属タレント』という立場であり、それにもかかわらず関係者に何の相談も報告も無しに他の芸能事務所に所属しようとした行為は、事実上の二重契約に他ならなかった。

その為、一連の行動は悪質な“規約違反”(ただし、三中とフジテレビとの間に明確な雇用関係があったという確証がない事から、「厳密には『二重契約』には該当しておらず、単なるフジテレビ側の方便であったのでは?」という声もある)と見做され、番組制作陣に対し、三中に然るべきペナルティを与えるよう通告が下される。それに合わせ、今回の騒動で迷惑を被ったスポンサー各企業からも同様に「相応の処置をとらなければ、今後番組への提供を差し止める事も検討する」と言い渡されてしまった。

各方面から殺到する三中に対する苦情・抗議に後押しされた事に加え、三中自身にも更なる素行の悪化や問題発言が増長している事を懸念した制作陣は、いよいよこの案件を放っておく訳にはいかなくなり、最終的に戸渡、明松、遠藤ら制作スタッフ首脳陣は「これほどの問題を起こした以上、彼を今後めちゃイケレギュラーとして雇用し続けるのは難しい」と判断を下し、予めスタッフ達が警鐘していたとおり、彼を番組から降板させる方向で話を進め始める。
しかし、先の口論を通して自我を通す為ならば自分達に噛みついてくる事も辞さない三中の姿勢を目の当たりにした制作陣は、直接彼に番組から降板するように言ったところで確実に拒絶されると考え、それにより返って自棄になった三中に新たな問題や独断行動を起こされて番組やフジテレビが更なる迷惑や損害を被る可能性も懸念。その事態を避けるべく、まずはめちゃイケメンバーに上記の行動を知らせた後に第三者も介入させ、審査員の役目を担った視聴者による三中の再オーディションを行い、結果が不合格となる前提で当人に一からお笑いを学び直させる形を取り、三中を番組レギュラーから降ろす算段を立てた…。

めちゃイケメンバーの怒り

こうして、事の次第をまず知らされたのは岡村であった。
一度目の脱走を知った時には思わず笑ってしまうだけの余裕があった岡村も、今回は脱走だけではなく独断行為やスタッフへの口答えや反抗という許容し難い行動を複数犯したとあってか、「流石に、それはマズいな……」と終始苦い顔を浮かべていた。

岡村は上記の口論の中で連発された問題発言同然な三中側の言い分に対し、「ハッキリ言ってこれ全部あいつの自分勝手の部分ばかりやん…よくこんなこと喋れるなぁ」と呆れた他、めちゃイケを「最低の番組」と言い放った事については「いくらなんでもそれだけは許されへんなぁ…。5年以上一緒にいた仲間にそこまで無碍にされるのは悲しいわ」と怒りと同時に多少の悲しみを抱いていた。

そして、2015年10月某日。岡村とスタッフから三中の二度目の脱走とプロレス企画の完全打ち切りを知らされためちゃイケメンバー達は「また逃げちゃったの!?」「ほんとすぐ逃げるよな…」「根性なさすぎやろ」と驚きや呆れの声を上げ、スタッフ同様、三中の身勝手この上ない振る舞いに対して強い反感を覚えていた。

特に最初の逃亡の際に三中を説得して立ち直らせていたジャルジャルの2人は「あの(最初の脱走の)時に僕らが何時間もかかって説き伏せたのも全部無駄になったって事ですよね…(福徳)」「こうも呆気なく(企画を)終わりにされたって聞かされると…(続けるように)説得した側としては、悔しいというかなんというか…『ふざけんな!』って気持ちになりますね。ホント…俺達一体何の為に、忙しい合間縫ってアイツんとこに行ったんだか…?(後藤)」と自分達の説得も徒労にされたとあってか、あからさまに嘆息していた。
さらに福徳は芸人転向についても「どうせお笑いもすぐに、『嫌だ』とか言って逃げ出すんじゃないですか?」と冷淡な意見を述べていた。

また、居合わせたスタッフから上記の三中との間で繰り広げられた口論の一部始終が伝えられると、有野晋哉は「アドベンチャーな奴やなぁ…」と三中の意外な度胸の強さに失笑し、たんぽぽ白鳥久美子は「スタッフの皆さんにまで楯突くとか…どうしようもないですね」と軽蔑し、光浦靖子も「ホント偉くなったな! スタッフにそんな口叩けるまでになるなんて大したもんだよ!」と不快感を顕に皮肉を吐き、重盛さと美も岡村同様に三中の口から出た『最低な番組』という暴言について「ちょっと酷いよね…みんなが三ちゃんの事、ずっと応援してきたのに…」とショックを隠せない様子だった。

加藤も「アイツの言う『お笑い』ってなんなんだよ!?プロレスだって、その気になればいくらでもお笑いに繋げる事できるじゃん!?結局、単に(みちのくプロレスから)逃げたかっただけじゃねーか!」と自身も過去にプロレスを題材にしたコント企画をやった経験もあってか、激怒する形で三中の言い分を真っ向から否定。
そして特に、一度は落ちたプロレス練習生テストに必死の努力で受かった三中を見直していた濱口も「何をいっちょ前に生意気なこと言うてんねん! そういうのは何十年も頑張っている奴のセリフやぞ!少しは自分の立場を弁えろよ!」と、膨らんでいたプロレスラーデビューへの期待を悉く裏切った当人への幻滅も合わさって、メンバーの中でもとりわけ憤慨していた。

そんな憤りの声が飛び交う中で、メンバーリーダーの矢部は「三ちゃんの気持ちも解らんでも無いけど、だからと言ってそれを直でぶつけるのはアカンな。せめて俺らにも少しは相談して欲しかったな」と三中へ多少の理解と優しさを見せながら気遣う姿勢を見せていた。
同じく雛形あきこも「正直に言って私はもう続かないと思っていました。芸歴の短い彼があんな体力企画を誰も応援しないでたった一人で遂行するのは不可能だと前々から思っていたんで…」と三中の苦悩に同情していた。

スタッフからは再度レギュラーメンバーによる説得も打診されるが、矢部は「いやもうアカンやろ? 本人がそこまで頑なになってる上に、みちのくさんの方もカンカンなんやったら…」と今更誰が説得したところでどうにもできないと返答し、三中のプロレス企画を拒む強い意思を見た加藤も「あの感じだと…(企画再開は)もう無理だよね…」と矢部の意見に同意した。
一応、岡村はジャルジャルに「もう一回説得しに行く?」と尋ねるも、後藤は「もう嫌です」と即答で断り、福徳も「今さら僕らが行ったところで聞き入れるわけないですよ」と諦め気味に拒否した。
それを聞いた岡村も「一度逃げた奴をみんなが『頑張れよ』と応援したとしても、そらまた逃げるわなぁ…」と失望かつ諦めのコメントで締めた。

それぞれ疑問や憤りを覚えながらも、メンバー一同は一先ず三中がどれだけ本気でお笑い芸人を目指しているのかを確かめようと、まずは三中が相方の臼杵と共に挑んでいるお笑い就活の様子を、その面接を受けた事務所の協力も得て隠しカメラでチェックしてから、敢えて何も知らないフリをして彼自身の口から納得のいく説明を聞けるかどうかの手筈を整えることにする。
一方で何も知らない三中は、相方と共にお笑い就活に明け暮れている現状を他のめちゃイケメンバーには隠し続けている事に限界と不安を感じ、その旨を制作スタッフに打ち明ける。これにスタッフは「だったら自分から(お笑い就活している件を他のメンバーに)報告すれば?」と、冷ややかではあるが三中がメンバーの意図に乗るように誘った。

芸人転向のカミングアウト~メンバーからの糾弾

そして後日、言われた通り三中は番組の打ち合わせの席にて他のメンバー全員に、再挑戦した筈のプロレス企画を反故にしてしまった事をまず報告。
「それってみちのくプロレスを辞めたって事?」と有野から問われてそれを認めた三中は、その理由としてお笑い芸人転向にあたってコンビの相方と同伴で事務所に所属するためのオーディションを受けている事も初めて報告する。
これに対し、既にその事情を把握していた他のメンバーは手筈通り初耳のフリをしながら彼に納得出来る説明をするよう求めるが、三中は「人間関係が上手くいかなかった」「だんだん注目されなくなって存在意義が分からなくなった」「プロレスなんかやりたくなく、お笑いの仕事がやりたかった」と自分の気持ちだけを優先した本音を述べ、結果メンバー達から手厳しい言葉を次々に浴びせられることとなった。

前述の通り、みちのくプロレスの練習生テスト合格時に脱走の件も含めて三中に発破を掛けていた岡村は、「最初からプロの芸人としてめちゃイケメンバーに入って、それで番組の企画としてプロレスに入門するという状況だったら出来てたのかな?」と彼に質問するが、それに対し三中は「出来てなかったと思います(=例えお笑い芸人になっていた上でもプロレス企画をやるのは無理だった)」と答えた。それを受けた岡村は「なかなかのワガママお笑い(=『お笑いはやりたいけど、体を張るのは嫌だ』)やな」と彼のお笑いに対する身勝手かつ矛盾した考えを問題視。その上で、「(そんなワガママばかり言ってると)仕事なくなるぞホンマ!」と怒り混じりに警告した。
続けて「(撮影のカメラが)回ってる回ってないじゃなくて、(一生懸命)やってる人はみんなやってるよ。カメラが回ってなくても」「結局どこかで『これでええわ』という感じになってたんちゃうかな?」「最初の脱走騒動の時に『素人気分は捨てろ』って言ったのに、結局捨てきれてなかったんやな」「芸人になったからって企画が甘くなる訳では無いし、三中のプロレス企画は素人だから出来るもんであって、芸人になった三中に出来る企画は何も無い」と、三中の言い分を厳しく一蹴した。

同じく濱口も「ナイナイのカッコいい部分だけをやりたいだけやねん。ズルいよそれ、無理だよ。みんなカッコいい部分やりたいよ」「三中だけじゃなくて他のメンバーも辛い事を我慢しながら番組に参加しているんやで!」と改めて非難。加えて「(プロレスの企画から)逃げてお笑い(芸人になるつもり)なのか?ってなったら『(お笑いを)舐めんなよ!』って話やで」「(そんないい加減な奴には)全員牙剝くよ?」と、三中の番組やお笑いへの意識の軽さにメンバーの中でも一番の憤りを見せ、終いには「逃げた仕事はまた来るよ」と警鐘を鳴らしていた。

光浦も「お笑いのほうが人間関係が大変だよ。バラエティ番組っていうのは皆で作るんだから、もっと大変だよ」と、テレビやお笑いの仕事はプロレスより遥かに厳しく、失敗した時の後ろ盾が無い程に過酷だということを諭した。同時に「プロになるからには、これからの事は全部自分で責任取りなよ。後でどうなろうと私らは知らないからな」と、今後は番組も自分達レギュラーメンバーも、誰も三中の後ろ盾になるつもりはないし、プロになってから後悔する事になっても助けてあげるつもりはない意志を示す。
同じように武田真治も「プロになったら、(この糾弾の場にいる)誰も『頑張れ』とは言わないよ」と三中を突き放すようなコメントをした。 

鈴木紗理奈も、やり遂げていれば今後の番組でのお笑いに繋がっていた筈のプロレス企画を無駄にしてお笑い芸人を目指そうとしている三中の姿勢に「今やってるめちゃイケでの事(みちのくプロレス企画)ってお笑い(の仕事)じゃないの?」という的を射た鋭い疑問を真っ先に投げ掛け、「(芸能界の厳しさを)解ってない気がする。解ってたら、この(素人として色々許される)環境を捨ててまで芸人さんになろうなんて私やったら思わない」と、タレントとしての観点から三中の思慮の足りない行動を批判した。

重盛さと美は「三ちゃんは周りからイジってもらえてこそ面白いのであって、今まで三ちゃんのギャグだけで本気で笑ったことはない」、「今までの三中はあくまでも素人だったから、ショートコントを見せてもらった際にも大目に見てきたけど、実際にはつまらなかった」「そんな状態にもかかわらず、自信だけは過剰なのがすごく心配」と三中の身を案じつつも芸人転向を目指す三中からすればとても厳しいセリフを浴びせたのだった。

また、加藤も三中と同年代の頃に自分が高所恐怖症にもかかわらず強制的にスカイダイビングをさせられたというエピソードを語っており、芸人になったら嫌だと言ったことは真っ先にやらされるということ、若い頃に苦労した分それだけ報われて今の自分があると三中に語り、最後には「こうして皆に色々と言われるのを鬱陶しく思ってるかもしれないけど、(本当にお笑い芸人になったら)もう言われなくなるよ。それがプロになるという事だから」と告げた。

そうしたメンバーからの厳しい意見を受けてしどろもどろになる三中を見兼ね、雛形が「意見があるなら自分の言葉で言った方がいいよ。『はい、いいえ』ばっかりじゃなくて」と助言し、福徳も「お笑いをやりたい気持ちが強いというのをアピールしたらええんちゃう?プロレス企画を辞めたのはしんどかったからなのか、お笑いをやるためだったのかを」と促して三中の背中を押そうとするが、それを見た加藤と濱口の両名から「なんでその説明を三ちゃんが(自発的に)出来ないんだよ!?(加藤)」、「それでお笑い(芸人の仕事なんて)無理やぞ!(濱口)」とさらに一喝を食らってしまう。

めちゃイケのレギュラーメンバーの殆どが三中に総スカンをぶつける中で、矢部だけは他のメンバーの様に一方的に非難したりはせず、「芸人になるなら良くも悪くも三ちゃんに対する接し方は変わるかも」と比較的優しめに諭し、三中がプロのお笑い芸人になれば今までの様に“素人”としての優しい扱いはせず、“プロのタレント”、つまりは“同業者”として厳しく接するようにしていく旨を告げながらも、プロレス企画放棄の一件とその切っ掛けの芸人転向については特に言及しなかった。

結局、その打ち合わせの席において三中は他のメンバー全員に対し、多少のフォローを受けた上で何とかプロのお笑い芸人転向の宣言は出来たものの、みちのくプロレス企画を潰してまで優先したその理由については誰もが納得し理解を得られる説明をする事が出来ず仕舞いに終わった。

その後、レギュラーメンバー達は改めてこの問題について三中が不在の場で話し合うが、会議での三中の説明や態度をうけ、皆一様に「プロ転向に対する覚悟や誠意が感じられない」と眉を顰めていた。
岡村は「数多くの芸人の中でテレビに出演出来るのはほんのひと握り程度であり、その芸人も若手時代に苦労を重ねた末に叶えられた願いそのものである」と語り、「我々もこうして(めちゃイケに出演して様々な企画を)やらせてもらってますよ。アイツも運良く、めちゃイケメンバーに選ばれました。そこで頑張れなかった人がお笑いをやると言っています!」と特大の皮肉を言い放った。
また、一部のメンバーからは前々から積もりに積もっていた三中への不平不満が飛び出し、特に否定派の最先鋒である濱口は「本能があいつを避けてるんよね…僕は嫌な人って見えなくなってくるんですけど、だんだん三中が見えなくなってきてる」と不信の念を述べ、同じく三中に否定的な紗理奈に至っては上記の岡村の皮肉に対しても「絶対おもんないね!」と即座に反応するなど当初から芸人転向に否定的であり、「礼儀知らずだし、芸人志望のくせに企画を放棄するとか(やっていることの)意味がわからないですよ」「はっきり言って“嫌い”なんです私。三ちゃんが…」「仮に芸人になれたとしても、私は絶対に(三中の芸では)笑わんね」と明確に嫌悪する旨の発言をしていた。その中で岡村は「俺も(最初は)武田真治(のことが)大嫌いだった」とした上で、自身の経験から三中のこともそのうち好きになっていくかも知れないということ、彼も今後変わっていくかも知れないということを語った。

一方、大久保佳代子は「私はまだ完全に嫌いになったわけではない。彼にも面白いところがあるのなら、それを見てみたい気もする」と珍しく三中を擁護する意見を述べた。それを聞いた光浦は「1回自分が納得できることを(自分で)やらせた方がいいんじゃないですか。彼の中では、人に言われてやることしかやってないから、もしかしたら人のせいになっちゃうじゃないかなと思います。自分の責任でそこで負けるならいいし、勝つことができたら凄いことだし」とプロの芸人になるなら自分で責任をとることを理解するべきではないかとの旨の意見を出した。

他にも三中の処分について「芸人になるどうこう言う前に、これだけ番組やみちのくさんにも迷惑かけたんだから、落とし前は付けてもらわないと」「禊として(プロレスよりも)もっと厳しい企画をやらせるべき」「しばらく謹慎させて、頭冷やさせた方がいいのではないか?」など厳正な処置を求める声が上がる中、最終的に加藤が「皆怒る気持ちはわかるけどさぁ…三ちゃんの人生でしょ? 『お笑いをやりたいなら、やっていいんじゃないの』と思うけどね」と皆を宥め、岡村が「『お笑いの世界だって厳しいんですよ』ってことを三中に(身をもって)理解してもらいましょうよ」と折衝した事で、三中の(プロ)芸人への転身は一応は不承不承ながら認められる事となったが、それでもメンバーからの反応は「芸能界はプロレス企画とは比べ物にならないくらい厳しい。果たして三ちゃんはやっていけるのか?」「与えられた企画さえも簡単に放り出す様な奴が、お笑いの仕事なんて貰えるのか?」とかなり懐疑的であった。

また、芸人転向については仕方なく認めたメンバーだったが、芸人となった三中をこのまま番組レギュラーとして出演させることに関しては賛同する者はいなかった。
紗理奈は「そもそもアイツ“一般素人枠”として入ってきているんでしょ? それなのに芸人になっても番組に置いておくって、ちょっとおかしくないですか? 本人は芸人になった後も番組に出演する気満々みたいですけど…」と指摘し、岡村もまた、上述した通り『芸人にとってテレビ出演とは、途方もない苦労と努力の末に掴み取ってこそ価値があるもの』という考えから、何の苦労も経験せず、あまつさえ番組の企画すら頑張りきれなかったくせに、自分勝手で浅はかな理由だけで芸人に転向しようとしている三中をこのまま番組レギュラーに置いておくのは、苦労を重ねている他の若手や無名の芸人やタレント達に対して失礼にも程がある行為であり、何より三中自身をますます悪い方向へ増長させるだけではないかとも危惧していた。
そして濱口は「色々と矛盾が生じるんとちゃうか? せやったらもういっその事、芸人になった時点で切る(クビにする)べきやと思うで」と提案し、実際に制作サイドもそのつもりでいる事を知らされると納得した。

~後章~プロ芸人転身と再オーディション

再オーディション

翌年2016年2月19日に面接の審査に合格した吉本興業と契約し念願だった“プロのお笑い芸人”になったものの、その旨が発表されたコーナー「ほんとにあったフジ縛霊の怖い話」のスタジオ撮影の場にて、ゲストとして居合わせた他の先輩芸人達からはやはり歓迎される様子はなく、特にトータルテンボスの藤田は「舐めんなって話ですよ!プロのお笑いを!」と芸人としてのプロ意識が低過ぎると指摘され、板倉俊之は「日の目を見ていない芸人(テレビに出る機会すらない若手芸人達)が(企画放棄という暴挙を犯した三中に)とても立腹している」とアマチュアからプロになった彼の処遇が他の芸人に比べて甘過ぎると指摘されるなど辛辣な声が上がっていた。
同じく、藤崎マーケット千鳥大吾からも「プロになったら身体はボロボロになる程、辛い目にあうぞ」、「芸人になってテレビに出れる様になっても収録中全く話せないまま終わるケースもあるんやで!何時間もずっと待たされた挙句に無駄骨に終わる気持ちと辛さがわかるか?」と上記の光浦の発言通り芸人の仕事はプロレスよりも厳しいものだと論され、新人時代は苦労を重ねても報われないケースが多いものだと促された。同じくノブも「今の三ちゃんの仕事はめちゃイケのスタッフだから楽だけど俺達みたいな番組レギュラーのない芸人は毎回違うスタッフと打ち合わせしなければならず、その都度向こうの気分や思考が変わって来る為、その分こちら側はスタッフ側の気持ちを考えなければならない」と人間関係もプロレス時代と比べて更に複雑になっていくと三中に論した。
さらにこの収録では『三中に恨みを抱いている人達』と称して、みちのくプロレスの人生社長と三中を指導していた野橋、佐々木の3人が登場するというサプライズがあった。
これに三中は顔面蒼白になり、挨拶するどころか椅子に座ったまま動こうとせず、人生社長が「ちょっとこっち来ようか」と穏やかに促した事でようやく3人の前に立って頭を下げた。
更にはこのどさくさに紛れて、岡村のケータリング(キャスト・スタッフが収録中や休憩の時に一服する為の飲食物)として用意されていた飲み物を勝手に飲んでしまうという失態までやらかしてしまう。

それと前後して、一連の三中の挙動を見兼ねた加藤は「みちのくのお三方が入ってきた時、立って挨拶するべきだったんだよ。(それなのに)座ったままだったのが腹立ってしゃあないわ!」と厳しく指摘し、岡村も上記の三中が自身のケータリングを横取りした事を追求し「お前、礼儀知らずなのもいい加減にしろよ!」と叱責した。そんなまるで成長していない三中に対し、トレーナーだった野橋も彼を鋭く睨みつけていた。

そうした芸人以前に人としての礼儀作法に欠けた失礼な振る舞いが絶えない三中に、かつてめちゃイケ新メンバーオーディションの決勝で争っていたダイノジ大地は「このままこいつの思い通りにさせたままなのは良くないと思う!」 「芸人に対する気持ち軽すぎるでしょ!」と三中だけでなく番組に対して訴えかけ始めた。

大地は5年前の新メンバーオーディション(最終選考)にて三中にレギュラー権を奪われた時、あの時は悔しい反面、彼が『素人枠』であったが為に諦めもついていたと自身の心情を打ち明ける。だがそんな三中が実に身勝手な動機で『素人』の立場を捨てて自分達と同じお笑い芸人となり、それでいて尚もめちゃイケにレギュラーメンバーとして図々しく居続ける事が許せない旨をもぶちまけ、「お笑い番組の企画から逃げた癖にお笑い芸人になって、それで番組にはまだ残るつもりかよ!?そんなのおかしいだろ!」と、三中の一連の行為はオーディション合格の為に必死でネタ作りや一芸を磨こうと頑張っていた一般人の参加者達や、不合格だったために解散したお笑いコンビを愚弄するも同然な失礼極まりない事だと、涙ながらに彼を非難する。
終いには「それでも素人の立場を捨ててプロになりたいなら、ちゃんと『プロ』としてめちゃイケメンバーのオーディションをもう一度受け直せ!」と命じられる。

「それは理に適った提案や」と賛同した岡村や、「プロになるっちゅうのはこういう事やで」と諭す矢部からも促された事で、三中はオーディションを受け直すことに同意し、翌週の2月27日放送回で『お笑い芸人』枠としてめちゃイケレギュラーに続投すべきか否かを決める為の再オーディションが生放送で開催され、めちゃいけメンバーや、出川哲朗鈴木奈々、みちのくプロレスの人生社長などをゲストに招き、ホームページやテレビのdボタンを用いたネット投票形式で視聴者から合否を判定してもらう形式で、臼杵と共にお笑いコンビとして漫才を披露した。
しかし、その漫才はお世辞にも爆笑をかっさらう程の出来とは言い難く、それだけならまだ致し方ないものの、なんと漫才の最中に鑑賞していた人生社長に向かって土下座してプロレス企画での不義理を今更謝罪するという公私混同な演出まで加えてしまった事が響いたのか、結果は合格ラインの票を得る事ができずに不合格となってしまい、三中のめちゃイケ『卒業』=降板が決定となった

コンビ名改名

再オーディションを終えた直後、ゲスト出演していた出川からコンビ名を「dボタン」に改名するように助言される。
最初はサンプライズのままにする事に拘っていた三中だったが、出川に「わかってねぇなお前は! そんなクソみたいなプライドいらねえんだよ!絶対に今『bボタン』の方が良いんだから!みんな『bボタン』で覚えているんだから『bボタン』で良いんだよ!」と一喝されるやり取りがあった(ちなみにこの時、出川は岡村から「(正しくは)『dボタン』やから!」「『わかってへん』言うとるアンタが、一番わかってへんがな…」とツッコまれていた)。

この出来事を切っ掛けにコンビ名を「dボタン」に改名し、相方、臼杵と共にお笑い芸人として活動した。

みちのくプロレスとの和解

「dボタン」としての初仕事は、再オーディションの直後に人生社長から与えられた、翌日都内で開かれるみちのくプロレスの試合におけるMCの仕事であった。
しかし、やはりプロレス企画の一部始終を見ていたみちのくプロレスのファンからは、顔を見られるなり「どの面下げて来たんだ!」「ハクシ(人生社長)の顔に泥塗りやがって!」等と罵声・野次と共にペットボトルを投げつけられるなどした上、当然というべきか、みちのくプロレスのレスラーや裏方スタッフ達からも睨まれ、試合中も半ば蚊帳の外の様な扱いを受ける事となる。
そんな中、試合後に元指導役の野橋がリングの脇にいたdボタンの2人に向かって「三中! それに横にいる相方のお前! こっちに上がって来い!」とリングの上に呼び出される。

リング上で対峙した野橋の説教は、プロレス企画頓挫以降、トレーニングを辞めた事ですっかり企画を始める前の体型に戻ってしまった三中に「俺が1年近くお前を指導したのは、なんだったんだよ…」と皮肉を吐く事から始まった。
それから野橋は「2度目の脱走の際は、失望したというよりは凄く悔しかったし、なにより悲しかったよ…。(最初の脱走から復帰する時に)『もう逃げない』って言ったお前の言葉を信じて、指導してきた俺達の期待が見事に裏切られたんだからさぁ…」「ウチ(みちのくプロレス)を逃げ出したのは何もお前だけじゃねぇけどよ…まさか挨拶もなしに、勝手にお笑い(芸人)なろうとしてた…なんてふざけた真似しやがったのはお前が初めてだよ」と三中に対する複雑な心中を打ち明け、「本音で言わせてもらうと…お前には、もう今後一切プロレスには関わってほしくないね…それだけお前は俺達(みちのくプロレス)皆の信頼を踏みにじったんだぞ」と、プロレスを愚弄したも同然な先の不義理に関しては未だに怒っている旨を告げながらも、「本当はお前のことは許すつもりなんてなかったし、なんならここでシメてやろうかとも思っていたけど、再オーディションで漫才をするお前を見て、気が変わった」として、最終的に三中(相方の不祥事の連帯責任として臼杵も一緒に)へケジメのビンタを一発浴びせる事で手打ちとした後、「お笑いをやると決めたのはお前自身だ。どんな困難がお前を待ち受けているかは分からないが、今度はもう簡単に逃げるんじゃねぇぞ」と激励。こうして、人生社長や野橋とは一先ず和解を果たしたのだった。

そして、翌週の2016年3月12日放送の回をもって三中は番組から正式に降板となった

降板後

お笑いコンビ『dボタン』として活動を続けていたが、めちゃイケの放送終了に先立って、2018年1月にコンビ解散となり、その後は特撮作品に関する知識を生かした特撮芸人へと転向し、2019年9月に同じ特撮芸人を売りとするアマチュア芸人・京佑と新コンビ・『スーパーヒーロー』を正式に結成する。

だが、実は当初の予定では前年の2018年5月に同コンビを結成する筈だったのだが、その発表の場で「『dボタン』は捨てます!」「そもそも自分はコンビ名を『dボタン』にする気なんてなかったのに、出川さんに無理矢理変えさせられたんです」とコンビ名の名付け親であった出川からの金言を邪険に思っていた事や、「占い師にコンビ名の名を占ってもらったら、『dボタン』だと縁起が悪いと言われたので、変える事にしました」とコンビ名そのものへと責任転嫁するかのような失礼極まりない一言を述べて批判が殺到(この発言をニュースで知った臼杵も「dボタン(コンビ名)のせいにした…」と傷心していた)してしまい、その影響か定かではないが、同コンビ結成が1年以上も延期されることとなった。
そんな出鼻を挫く形でスタートとなった『スーパーヒーロー』は、やはりその後も順風満帆には程遠い活躍しか出来ず、コロナ禍による活動の制限なども重なった事が災いし、結果として『dボタン』よりも遥かに短く1年にも満たない活動期間で解散となった。

2023年現在はピン芸人・てつ丸と三度目となるコンビ『ラフリベンジャーズ』として活動中である(当人の項目を参照)。

関係各所に対する批判

一連の騒動時、企画放棄や独断行動など三中自身の行いや、それ以前から裏側で見せていた素行不良に対して厳しい声が上がったのは言うまでもないが、同時に番組側も必要以上に三中をぞんざいに扱っていた事実が発覚。ましてや自分たちが選んだ新メンバーにもかかわらず、結果的に蜥蜴の尻尾切りも同然に切り捨ててしまった杜撰な放送スタンスは、現在に至るまで非難の対象となっている。加えて岡村をはじめとするレギュラー陣の薄情さ、ドライな対応もまた問題視される結果となった。

レギュラー陣に対する批判

プロ芸人転向を発表した際、総攻撃のように三中を非難した姿勢は、ネット上でやや辛辣すぎるという声が浮上。とりわけ古参メンバーである岡村や濱口、紗理奈にその矛先が向いた。

岡村に対する批判
三中が新メンバーオーディションに参加する発端、芸能界に入る元凶となった張本人

当の三中にとっては憧れていた対象であり、休養中もひたすら代役などで番組を盛り立ていた。しかし、岡村はあろうことか三中に微塵たりとも関心を持たず公私ともに一切面倒を見ることはなく、それどころか厳しい態度を貫いていた

休日に連絡があった際も「忙しいから邪魔せんといて」と邪険に扱ったという。番組降板が決定した日でさえ、岡村の方から食事に誘っておきながら約束をすっぽかした挙句、出川と飲みに行ってしまった経緯を暴露されている。

上記のように素行不良が目立ち始めた際には、流石に岡村も見かねて素行改善するように促していたが、具体的な改善案などについてはすべてスタッフ任せだったという。さらに三中の降板処置に関しては自ら率先して動き、降板後には、自身のラジオで徹底的に彼の考え方を批判し続けたり、番組内で三中の存在に触れる度に黒歴史扱いしていた。

これら一連の経緯に関しては、視聴者は勿論、普段は三中を叩くアンチ側からでさえ「いくらなんでも冷たすぎる」という声が続出した。
さらに三中がめちゃイケSAの総支配人として出向が決まった際に彼はアパートの契約更新を終えたばかりというタイミングだったが、岡村は「それやめましょう」矢部も「向こうで家探してもらいましょ」と困惑する彼を無視して強引に足柄に転居させていたことも非難の原因になっている。

プロ芸人へ転向する意志を表明した際、三中の考えに対して「ワガママお笑い」と非難していたが、その言葉は同期であるへびいちごバッファロー吾郎からは「さんざん無茶をして体調を崩し、休養していたお前が偉そうなことを言える立場か」と説教される。それでも岡村は「お前らと違ってウチらは忙しいねん!それだけ仕事があるってことはありがたいもんなんやぞ!」と反省の色を示すどころか、逆上してしまうほど自信の考えを固定し続けた。

岡村は以前より各方面から「意外と器が狭い」ことが指摘されていた。例を挙げると、「鈴木紗理奈をクビにしてほしのあきをメンバーにする」というドッキリが行われた際、不安に駆られた紗理奈がめちゃイケメンバーはおろか全く関係のない品川祐にまで相談を持ちかけていたが、岡村だけには一切相談しなかったことが後々明らかになっている。紗理奈は理由を「岡村と一番仲が悪いから」とし、またプロデューサーを始めとするスタッフからも「壁を感じる」「スタッフの名前を覚えない」と厳しい意見が寄せられた。
また、めちゃイケ終了からしばらく後にラジオの持ち番組での不適切発言をきっかけに、後日矢部から説教を受けた際、「女性スタッフがコーヒーを入れてもお礼を言わない」と以前三中に注意していた内容と同じ愚行を犯していた事が明かされ、忽ち「お前も三中と同じ事してたんか!?」と呆れの声や「三中は岡村の態度を見て、真似してたんじゃないか?」などと皮肉めいた批判が殺到した。

そうした事から、「三中が自分と似た者同士だと分かって『芸能界の厳しさを身をもって体験させる』という建前で企画放棄騒動以前から排除しようとしていたのでは?」という意見もある。

上述の不適切発言騒動については、看板番組であっためちゃイケが終了した事やそれに伴ってナインティナインとしての活動や、自分が思うお笑いタレントらしい仕事が減少していた事などの諸々の事情から、岡村も相当ストレスを溜め込んでいた事も一因であったと認識した矢部は、可能な限り岡村を傍で支え、暴走しない様に制御すべく、コンビでの活動を再び増やすようにした。

そして岡村自身も、めちゃイケ終了や先の不適切発言騒動を介して、BPOによるお笑いに対するコンプライアンスが厳しくなった事や現代人の笑いに対する価値観の変化といった現実を前に、自身のお笑いが通用しなくなっている事を改めて実感した事。そして2020年に一般人女性と結婚した事をきっかけに考え方を改めたのか、お笑いに対する姿勢や番組でのトークなどでもめちゃイケ終了以前まで見せていたとってつけたようなハイテンションさや、無鉄砲な振る舞いが緩和され、落ち着いた物腰を見せるようになる。
それに伴って三中に対しても、「自分達が思っていた以上に番組での仕事が辛かったかも知れない」と当時の彼の苦労をようやく理解した旨の発言をすると同時に、フォローを入れていた。

また岡村は結婚した際に、矢部を介して三中から祝福のメッセージを受けており、この頃には素直に感謝の念を伝えるまでになったという。

濱口に対する批判
岡村同様、三中のことを辛辣に批判したメンバーの1人。

早い段階から三中に対して攻撃的なスタンスを取り、降板後もしばらくは一貫して辛辣だった。他番組において『芸能人のダメな例』に名指しで挙げ、「あそこまで無責任な人間は、芸能界の中でも危険人物」と反面教師にすべき人物として非難し、結果的に三中の世間からの印象をより悪くさせた。挙句の果てに「三中みたいに結果も残せず、ましてや芸も根性もない奴が売れるわけがない」と三中を引き合いに出し、他の売れない芸人までも軽視する発言を連発。その傲慢ぶりは、視聴者だけでなく相方の有野からも反感を買う。

一連の騒動がネットニュースで話題になった直後に「自分だって電波少年の企画を逃げてるくせに」(電波少年は現在のテレビでは到底できないようなかなり無茶苦茶な企画が多く、逃げ出したくなる事自体は許容できるが)と有野からTwitterで冷やかされた上で「ローマ字で自分の名前すら書けない奴が偉そうな口を叩くな」と説教を喰らい、更にこの騒動を知った先輩の森脇健児からも「散々鶴瓶さんやミスハワイさんから叱られてきたお前が後輩を咎める身分か!」と叱責を受け、そのやり取りを見たファンからも「他人のこと言えないじゃん」などと非難や呆れのコメントが殺到した。

また、三中が番組降板後、番組スタッフを介して鈴木おさむが当時経営していたちゃんこ屋でアルバイトとして雇われる事となったのを知った際、濱口は「アルバイトくらい一人で探せよ…自分(三中)が蒔いた種やっちゅうのになんで周りが助けたるん? なんやかんや言うときながら、おさむさんやウチのスタッフも甘いねん」と三中だけでなく鈴木や番組スタッフに対しても不満を顕にしていたが、あくまでも親切心からしている鈴木や番組スタッフの考えも軽視する発言をし、こちらにも非難が殺到した。

有野や森脇からの叱責と世間からの批判を受け、濱口は自身の行き過ぎた発言を反省すると同時に、三中への態度を軟化させる方針に切り替え、三中の出演する舞台を見に行ったりそこで当人とツーショット写真を撮るなど彼に対し多少のエールを送り、一応は修復関係に至った。

また、ラジオやYoutubeにて自身のやっていたことをなめくぢ時代も含め振り返る際には、自分達は時代と松竹芸能に助けてもらえただけで今の時代なら絶対切られてるし、自分が先輩の立場で自身の過去に出会ったら上に直談判で切らせると語るなど、自らの過去も素直に反省する様になり、また後に南明奈と結婚した事から夫としての自覚や一家の大黒柱としての責任が芽生えた為、以後はテレビ番組などでも居丈高な発言は控えるようになった。

紗理奈に対する批判
岡村同様、三中のことを辛辣に批判したメンバーの1人。

紗理奈に至っては、めちゃイケSA終了日の生放送中に息子のことを「ヒロポン(って名前)でしたっけ?」と不謹慎極まりないボケのネタにされた上に、「あの淡白なガキ」呼ばわりされるなど、(悪意はなかったとしても)三中から本番中に明確な辱めを受けた事もあってか、彼がプロ芸人へ転向する意志を表明した時点で病的なほど嫌悪しており、「嫌い」「アイツが芸人なったって絶対おもんないね!」と断言するほど、非常に険悪な関係になっており、当然降板以降も濱口以上に辛辣なスタンスを貫いていた。

『めちゃイケ』終了直前に受けたインタビューでは「アイツ(三中)の存在、完全に忘れてた」と堂々と嘯いたばかりか、他の女性メンバーが三中の降板について触れた際に「卒業」とオブラートに包んでいた中、紗理奈だけはあからさまにわざとらしく「クビ」と表現していた。無論、この発言には盟友の雛形からも「せめて“卒業”って言ってあげなよ…」と窘められた上、濱口同様に一部のメディアから「いくら三中が嫌いでも公の場で言ってはいけない言葉もある」など非難の声を浴びせられるが、それでもそのきっかけが『愛する一人息子を生放送で侮辱された』為である事を知っている者達を中心に「親として怒るのは当たり前」等と濱口とは対照的に、擁護する声も少なからず寄せられ、当人も周りから非難されても徹底的に彼を否定し続け、めちゃイケが終了しても彼との関係が修復されることはなかった。

だが、めちゃイケ終了以降は上記の行動が故かテレビでの仕事が減り、主に地方の商業施設や学園祭でのイベント出演ばかりが増え収入も激減した事から三中の現状は少なからず理解するようになった。更にマネージャーからは仕事が激減した原因は家庭ばかり考えて周りのタレントとの間に壁を作っていると指摘され、「テレビタレントとして活躍する以上は少しは周りとの関係を広げ自分の行動や発言を慎め」と咎められ「それが無理なら引退しろ」と迫られてしまう。そして、雛形からは「意地を張るのもいいけどこのままだと三ちゃんの二の舞になるよ」と警鐘され、かつての自分のようなタレントとしてのあり方を考え直し、岡村結婚のメールを雛形に仲介する形で三中に送るようになった。

加藤に対する批判
岡村同様、三中のことを辛辣に批判したメンバーの1人。

先述の3人ほどドライではなかったものの、加藤もまた「収録や打ち合わせ以外でまともな会話をしたことが1、2回しかなかった」という経緯が明かされている。

プロ芸人転向を発表した際、理に適った説教をしているかのように見えたが、視聴者の一部から「一回やったら終わりのスカイダイビングを終わりが見えないプロレス企画と比べるな」と批判する声も上がっていた。しかし、これに対し加藤はめちゃイケ終了後に発覚した吉本芸人によるお笑い芸人闇営業問題の騒動の際に芸人というのはこういう仕事で食っていくのが当たり前とコメントしておりスカイダイビングが終わってもまた別の過酷な仕事が待っており、結果的にプロレスもスカイダイビングも一緒だとコメントし、自分の考えを否定しなかった。

だが、その後は先述した闇営業などに関連する吉本興業の過剰なまでの若手芸人への締め付けに嫌気が刺した事から自身も吉本から離れ独立し、その際に無名の若手が三中のように周りから蹴落とされながら活動する姿を見兼ねて、「今の若手は三ちゃんみたいに辛いのか」とかつてのお笑いと今のお笑いとのギャップに違和感を感じるようになり、後に三中へ「辛い事があればいつでも相談しにこい」といつのまにか支援する方向へ進んでいた。

光浦に対する批判
岡村同様、三中のことを辛辣に批判したメンバーの1人。

レギュラー時代、「連絡先を交換したが、その日のうちにメールを受信拒否する」という薄情なエピソードを暴露される。この経緯に関しては、光浦自身も「(前々から)三中のことを気持ち悪いと思っていた」とカミングアウトしている。

その反面、三中の再オーディション直前には、彼が犯した不義理で翻弄された上に、未だ本人からまともな謝罪を受けていないというみちのくプロレスへの申し訳なさにいたたまれずに、自ら代理人になって企画に携わったスタッフと共に合宿所まで謝罪に赴く等、彼の起こした問題行動の尻拭いを何度かしていた事を打ち明けている。

ちなみに、この時応対したみちのくプロレスのスタッフからは「何で三中は来てないんだ!?」「本人が直接来なければ意味ないだろ!」と叱責されたといい、光浦は「同じ番組の出演者としてもう情けなくて、情けなくて…思わず涙が出たわよ。なんでこんな子供の学校に呼び出された保護者みたいな事をしなくちゃいけないんだろうって…それも自分の身内でもない(当時)25(歳)の大の大人の為に……」と三中に当てつけるかのようにぼやいていた。

その他のメンバーに対する批判
再オーディション後の残念会に参加したのはジャルジャル、たんぽぽ、重盛、敦士といった新メンバーが中心で、古参メンバーは加藤や有野が少しだけ顔を出した程度にとどまり、それ以外はすぐさま帰宅してしまった。

古参メンバーの中でも、矢部や有野、大久保、雛形といった面々は三中に対しては多少の同情や擁護する発言はあったものの(矢部や有野、大久保は若手時代は相方の影に隠れがちな所謂「じゃない方芸人」といった地味な存在であり、特に大久保は長年会社員とお笑い芸人を兼業していた時期があり、自分と似た境遇の三中に対しては比較的同情していた節があった)、概ねの古参メンバーは三中をあまり快く思っておらず、当初から無関心かつドライな対応をしていた経緯が発覚。それらの事実に関しては、当事者たちも大筋で認めている

新メンバーの態度についても厳しい声が少なからず上がっていた。特に重盛さと美の三中に対する「三ちゃんで本気で笑ったことは一度もない」と言う発言は「お前が言うな」「重盛で笑ったことだって一度もない」等のカウンター的な批判を寄せた他、三中を説得したり、助言をかけていたジャルジャルに対しても「生理的に受け付けられなかった」と元々アンチが多かったのもあってか、「出来の悪い後輩に対してマウント取る先輩みたい」「一人前に兄貴面すんな」等と否定的な声が上がっていた。
これに対し重盛は「本当は、あんな事は言いたく無かったんですけど、素人からプロになる事はそれだけ周りから厳しくなるよって教えたかったんです…」と内心ではそれ程、三中を嫌っていたわけでは無かったと弁解している。
同じくジャルジャルの福徳も「あいつはプライベートでも家でよく料理を作ってくれるんですよ。それもホンマに上手くて……だから心配なんですよ。それだけ優しいあいつが芸人になったらどんな仕打ちを受けさせされるのかが…」と本心はもっと三中寄りの立場で心配していた事を打ち明けると同時に、賛否両論だった1度目の脱走騒動の際の説得については「一見、ああいう風に厳しめに発言してたんですけど、それはただフジテレビさんから『(三中が)みちのくへ戻るって合意するまでどんな言葉使ってもいいから徹底的に説得しろ』って指示があって、ボクらはそれで言わされていただけなんで…」とコメントしており、結局は三中を徹底的に追い込みたい番組側の意向に強く押されていた事が明らかになった。

これらのエピソードに対し、各メディアからは三中の素行不良の原因は、古参メンバーの監督不行きや他のメンバーやスタッフからの冷遇が一因であると指摘された他、三中降板以降(番組の終了前後問わず)めちゃイケメンバーの誰かが失言や失態を犯して批判される立場になると、各自三中降板直前に彼に向かって投げかけた言葉や態度を引き合いに出して、ブーメラン式に批判が殺到するのも定番となった。

番組スタッフに対する批判

以前から杜撰な放映スタンスが糾弾されており、一部のスタッフは責任を問われている。

前述したとおり、三中にまつわる一連の騒動では「自分たちが三中を新メンバーに選んだにも拘わらず、使い捨て同然に降板させた挙句、その処遇を視聴者に責任転嫁させた」という対応も問題視され、失望・反感を覚えたなどの意見も見受けられた。
また、再オーディション直前には『三中が飲み屋で女性を侍らせながら浮かれ騒ぐ』という明らかにイメージダウンになるようなVTRを流したり、オーディション後には『三中の性癖を暴露して笑いものに仕立てる』等と「意図的に三中を貶めているのでは」と言う疑惑も浮上している。アンチ側も企画放棄や問題行動は擁護しないとしつつも「(当時)あそこまで問題のある人だったなら、尚更晒し者にするのは良くなかったのでは」と振り返る者もいる。

プロレス企画に関しては、「オファーシリーズ」の延長線で立ち上げられたとの事だが、「オファーシリーズ」はあらかじめ当人から同意を得ており、スタミナや精神力などを見越したうえでの参加であり、高い運動神経の持ち主として知られ、サッカー部出身でブレイクダンスの経験もあり、十分な体力や知識のある岡村なら問題無いが、運動経験や知識、体力に乏しい三中が、怪我や下手すれば死亡事故にもつながるプロレスラーを目指すという内容は、あまりに無謀な話であった。また、公式プロフィールでは三中は高校時代に柔道部に所属しており、多少のスポーツ経験はあったというが、後に臼杵から「段はおろか級すら一つも取れず、卒業まで白帯だった」事を明かされた。その為、多少のスポーツ経験はあっても全く活かせなかった。
事実、みちのくプロレスでの練習ではかなりハードな運動や、コーチ陣からの厳しい指導により、明らかに三中の顔色に疲労が隠せず、肉体的にも精神的にも限界が来ていたことがうかがえる。

また三中が耐え切れずに脱走した際は、本人の意見をまったく聞こうとはせず他のメンバーを巻き込んで強行的に企画再開を試み、それでも聞き入れられずに企画が破綻すると今度はその全責任を押しつける姿勢を取るなど、強引かつ陰湿な面がしばしば見受けられた。

この様にフジテレビ職員の出演者に対してあまりにも無責任かつ身勝手な対応が数多く見受けられたが、それでもめちゃイケメンバーはこの横暴に我慢しざる負えなかった。その理由は、岡村や矢部曰く基本的に芸人やタレントの仕事は選ばれる側の立場であり、TV局も世間に注目を浴びて視聴率を稼ぐのが彼ら仕事である為、たった一番組局にとって番組は財産そのもであるので責任をもって制作しなければならない。その為、TV局に対し納得がいかず反対したりすればその時点でTV局側の信用を無くし、永久にTVに出れる機会は失う。無論、数多くの芸人がTVに出たいのは当たり前であり、その為には局側の命令には必ず応えなければならない。

だが、いくら仕事とはいえこの余りにも陰湿かつ強引な対応に対してフジテレビは世間から大批判を受けるようになり、さらにメディアや出版社からは三中を起用したのにもかかわらず問題を起こせば即解雇に加えそれを全て出演者や視聴者任せにして自分達は何もしないのはいくらなんでも無責任過ぎると指摘し、更には結局は所詮番組作りは建前でただ局の保身の事しか考えていないのかとバッシングを受けてしまう。
しかし、これに対してめちゃイケのスタッフサイドはそれぞれに以下の様な反論を述べている。


総監督:片岡飛鳥
自分達も決して生半可な気持ちで番組制作をしている訳ではなく、あくまでも世間に注目されたい一心で手掛けており、テレビスタッフも出演タレントも皆一心同体で番組を作っており、スタッフ側が傾けばその分出演者もフォローしてくれており、今でも互い持ちつ持たれつの関係を築き続けている。また、三中の件に関しては多少やり過ぎた一面もあったがそれは素人である彼を芸能界で生き残る為の厳しさや上下関係での必要最低限の礼儀を教えたつもりであり、それに応えられなかった彼は番組終了後に芸能界や社会でも現状以上に苦労すると想定した故に今回の処置を取ったのであり、決して彼をぞんざいに扱っていたつもりは無い

総合演出:戸渡和孝
世間からは我々をそういう風に捉えていると思われがちですが、これが我々の仕事なんです。我々が番組制作の際に出演者を決めるのはそれだけ責任が重く、その選択によって番組が継続できるか打ち切られるのかが判断され、もし打ち切られた場合はその後ろ盾すら無く、番組制作すら委ねらる無くなるほど常に崖っぷちなんです。我々は出演者タレントと同じ様に仕事を誇りに思っており、たとえ三中くんをぞんざいに扱った様には見えてもその分のアフターケアやアドバイスをしていたつもりです。ですが、彼の場合はその助言すらまともに受け止めようとはせず、常に独走し続けた結果、関連企業やスポンサーからの信頼を大きく損わせてしまったのは紛れもない事実であり、彼にはそれ相応の厳罰として社会的制裁を行ったのは的確な処置だったと思われます


このようにスタッフらの反論を並べて、結局フジテレビ側は最後まで自らの非を認めようとはしなかった。
一方、こうしたフジテレビの企業体質について、めちゃイケのチーフプロデューサーを務めた中嶋優一は以下のコメントで、一般的に問題があることを、暗に認めている。

かつて自分が入社したての頃に手掛けたコーナーをだった半年足らずで打ち切られた経験があるんですよ。その理由も問いかけたところただ”面白く無い”の一言だけで。その時に初めて番組を作るのは簡単では無く、どんなに自信があっても世間からの反応だけで決断されると痛感させられました。だから、企画やコーナーを作る以上は出演者タレントが過酷で辛くても世間から”面白い”と言われる限り制作し続けなければならないんです。そうしなければ出演者はおろか我々制作側の居場所すら無くなってしまうんです


後年、ナインティナインやジャルジャルも後年ラジオでめちゃイケの事を語り合った際に、三中をプロレスに挑戦させる事については、企画を知った際はかなり疑問や不安を抱いていたが、岡村曰く上記のように「当時のバラエティ番組は局やスポンサーの命令は絶対」と定められる程にその権限が大きく、出演者である芸人やタレントが番組内容に文句を言ったり、ましてや反発・放棄するのはもっての外で、そんな事をすれば忽ち、爪弾きにされる恐れがありディレクターやプロデューサーからのどんな無茶振りも目を瞑らなければならなかったという。事実、制作側の方針に逆らう真似をした三中は最終的に多くの懲罰を背負わされながら番組を追われる事となった。

こうした事情を踏まえ、岡村達は「三中にとって(めちゃイケは)過酷(な環境)だった」「(レギュラーメンバーとしてやっていく事は)難しかったのかもしれない」と三中をフォローする発言をしている。

プロレス企画に対する批判

上述の通り、さまざまな面で粗雑さが目立った本企画。

正式に打ち切りが発表された際、多くの視聴者から「企画倒れになることは目に見えていたはず」「素人相手にあんな内容で逃げるのは当然」と内容自体が無茶だったなど、冷ややかな声が寄せられる結果となり、再オーディション当日まではスタッフやフジテレビに向けての批判と三中を擁護、同情する声の方が多く寄せられていた。

一方、めちゃイケ側から今回の企画を打診され、1年近くも協力しながらも、先方の都合によって全て水泡に帰され、結果的に関係者の中では一番無駄骨を折らされる羽目になったみちのくプロレス(特に新崎人生や野橋太郎)に対する同情的な意見も少なからず寄せられた。

後に三中自身も「プロレスの現場で血だらけのレスラーを見て、これをしないといけないのだと思うと怖くなった」と再度脱走に至った理由を回顧しており、みちのくプロレスの人生社長もこれには思う部分があったのか、この騒動以降、みちのくプロレスではタレントの卵を含めた一般人を本人の了承も得ずにプロレスラーとして育成するような、プロレスの危険性を軽視した趣旨のバラエティ番組の企画などは「二度と引き受けない」事を明言し、テレビ番組からの取材には三中に諭した時のようにプロレスの世界の厳しさを重々説いたり、レスラーを志望してくる者の選定もより厳しくするようにして、三中やめちゃイケの二の舞になるような事態が起こらない様に心掛けているという。

こうした事情から、プロレス以外の企画内容だったら成功出来ていたかもしれないと一部のメディアからの意見があったが、岡村はそれに対し「ここ数年の間に、めちゃイケにおいて彼が前向きに取り組んでいた姿勢はあまり見られなかった」とコメントし、三中はプロレス企画打診前から自身が納得のいかない企画の場合は、都合の良い言い訳をついて参加を辞退したり、やむなく参加しても明らかにふざけているかの様な、いい加減な態度で挑むなどしており(それに伴い『帰れまSTEP』などのいくつかのコーナーにおいて共演者が三中の収録中の態度や姿勢について抗議した事がきっかけで、打ち切りになったという)、仮にプロレス以外の内容の企画に参加しても同じ結果を辿っていた事を示唆していた。

一方では、三中食堂の頃より、番組内での三中とスタッフのやり取りの中でスタッフが三中に対して必要以上に高圧的に接する姿を見ていた視聴者の一部からは、「スタッフがいじめているのでは?」と疑惑がかけられていた。

『新人スタッフなどを顎で使っていた』と言われているが、反面、遠藤ディレクターを始めとする中堅以上のスタッフからは、他のめちゃイケ出演者と比較しても明らかにぞんざいな扱いを受けていた事がYouTubeでアップされた『フジテレビアラカルト』チャンネル内の「コンテンツごはん」等の一部動画から窺え、中には「新人スタッフをこき使ったのは、中堅スタッフ達から受けた仕打ちに対する仕返しのつもりだったのでは?」という意見もあった。

これについて、日本放送作家協会・常務理事の高橋秀樹氏も「これらは『いじめ』と思われて仕方がない。テレビで放送しているのだから『公開いじめ』だろう。見ていい気分になるはずがない」とめちゃイケの番組スタイルの批判と視聴者からいじめを決めつけても仕方ないと苦言している。

番組終了以降も「プロレスやらせた時点で辞めさせる気だった」「楽な企画していれば続いてたのではないか?」と元々スタッフ達がクビにする予定だった疑惑と企画の調整不足が原因に挙げられている。

また、当記事の上述の『企画放棄と再オーディション』の項目に関してはwikipediaやネットニュースの記事などで一般的に定説となっている経緯を記載しているが、ネット上では

2015年7月頃に起こったという『2回目の脱走騒動』は全てデタラメで、本当は6月頃には何らかの理由で企画が頓挫しており、三中は番組やみちのくプロレス側から自宅待機(自主練習)を命じられて帰京していたが、番組側の失態にはしたくない制作陣の方針で、彼に全ての非を被せる為に、あたかもまた脱走事件を起こしたかのように演出・流言した

という説も囁かれている。

ダイノジ大地に対する批判

再オーディションの発端者であるダイノジ大地は、結果的に三中の番組降板の契機を作ったともいえ、三中の降板後、「そもそもお前が三中に再オーディション受けろなんて言ったからこんなことになった」という批判的な意見が殺到した。
それについては大地自身も多少責任や罪悪感を感じていたのか、後に自身も勤務していた鈴木おさむのちゃんこ屋にアルバイトの面接にやってきた三中と再会した際に「俺のこと恨んでる?」と尋ねるが、三中から「少しだけ」と返されて苦笑していた(それを見た鈴木や他の芸人仲間は「そこは嘘でも『いいえ』って答えなきゃダメだよ」と三中を叱責していた)。

一方、前述した通りこの再オーディションの話が上がった時点で、「めちゃイケが早くクビにさせたいから態々やっている」「責任から逃げようとしている」等のやらせを疑う声が少なくなかった事から「三中に再オーディションを受けさせる事は予め決まっており、大地はその煽り役として番組から言うように命じられただけ」と擁護する声もあった。
再オーディション後、弁護士である高橋秀樹氏の息子、高橋維新氏は視聴後に「(再オーディションは)もう使い道のなくなった三中を追い出すためにやったのが今回の企画であるとすら思っている。三中企画を餌に視聴者を引っ張る構成になっていた」と大地もやらせに加担していたと考察し、一連のやり取りは全てやらせだったと明確に指摘。ゼロテレビ『めちゃユル』のウェブサイトには投票前で「三ちゃん不合格残念会」と言い逃れできないテロップが公開していた事から(後に誤植と謝罪したが)「生放送を使って視聴率を稼ぎたい事が目的だろ」「三中が道具にされて可哀想」とやらせを疑われても仕方ない批判はあった。

総括

これらの騒動を通じ、三中はもちろん製作スタッフ、共演者を含めて誰一人として褒められた行動を取っておらず、芸能界の悪しき体制が浮き彫りになった。新メンバーオーディションや三中の不祥事は、フジテレビの後先を考えない杜撰な番組編成、責任逃れと取れる陰湿な対応がSNSなどで現在も叩かれている。

めちゃイケ終了以降、フジテレビは悪いイメージを払拭するために信頼回復へと改革を進めるが長寿番組の減少や打ち切り、スタッフやメンバーの不祥事が毎年のようにマスコミやネットニュースによって頻繁で記事に晒され、迷走中。フジテレビやメンバー達が不祥事を起こしたり、不幸な目に遭う度「クビとなった三中が怨みでフジテレビへ呪いをかけている」と冗談半分で「三中の呪い」と揶揄する声も。

その呪いも実質嘘とは言い切れず、上述のお笑い芸人闇営業問題やメンバーによる不祥事が増えた事で個々の印象が変わり始め、「本当に悪いのは三中を邪険扱いにしためちゃイケメンバー」「嫌いな芸人が消えて(フジテレビも含めて)ある意味三中が世の中を掃除してくれた」「めちゃイケ以上に仕事や活動してる」と皮肉もあるが少なからず応援や擁護する声も増えている。
フジテレビでは2014年以降は笑っていいとも!、ライオンのごきげんよう、SMAP×SMAP(こちらはSMAPの年内解散も要因)、とんねるずのみなさんのおかげでしたと長寿番組と言った改革への犠牲での打ち切りや27時間テレビでは番組減少の反動とコロナ禍の追い打ちもあって視聴率一桁だへと陥落と同時に数年間放送休止(2023年に再開を発表)となり、2022年4月には明松功と片岡飛鳥が三中の騒動とめちゃイケの打ち切りが仕事の減少の影響でフジテレビを希望退社。同じ時間帯の後継番組である『新しいカギ』も古臭い内容と面白みがないめちゃイケの劣化版との評価で視聴率一桁台、抜き打ちテストを完全にパクった番組『呼び出し先生タナカ』もめちゃイケメンバーの苦言やアンガールズ田中の心情(めちゃイケスタッフも関わってる、パクリではないかと疑惑を言及している)から制作陣や他番組でも著しくない評価が多数(明松功はコーナーで失敗した前科がある)。

それらの事情もあってか、2018年以降から現在までフジテレビの改革に対する不満や番組内の偏見報道や編集ミスでの批判が主流に変わり、三中の批判が減少。改めて三中の行動や排他的な扱いされた事に考え直す、同情する意見も増えており、更に未だに方々から叩かれながらも心折れる事なく、力量や才覚は別として地道に芸人を続けている姿勢を再評価する者も少数ながら存在する。

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