「子どもに裏切られるほど辛いことはない」
結局、海外メディアが書き立てたグアムでのディスカバリー申し立ては2021年2月に却下されている。ただし、麻里奈氏の保有株が消失した件は客観的に見ても財産権の侵害にあたる恐れがあり、父・韓昌祐氏側の過剰防衛だった可能性が高かった。
同年8月、ディスカバリーで決定的証拠を摑むことはできなかったものの、麻里奈氏は株主であることの確認と未払いの配当金約3億円の支払いを求め、父・韓昌祐氏とマルハンを相手取り京都地裁に裁判を起こした。審理が重ねられた後の昨年10月、先行する貸し金返還請求訴訟と併合されるのと同時に双方は訴えを取り下げた。かたや、裁判外では民事調停が成立していた。父娘間の諍いは3年を経て収まるべきところに収まったようだ。
通常訴訟事件と異なり調停の内容を外部から窺い知ることはできない。が、訴訟の最終盤、利害関係人として唐突に参加したのが冒頭の一般社団法人ルーチェであり、その代表理事である母・祥子氏だった。3週間ほど前に設立されたばかりのルーチェの目的欄にはこうある。
〈当法人は株式会社マルハン株式の分散を防止し、もって株式会社マルハン経営の安定を図ることを社員及び委託者共通の目的とし次の事業を行う……〉
公開情報で入手可能な点と点とをつなぎ合わせて行くと、こう推測できる。もともと麻里奈氏が保有していたマルハン株は新設されたルーチェに議決権行使はじめその管理を委託され、麻里奈氏は配当金受け取りの経済的利益に限り受益者としての権利を保証された――。このスキームを前提に麻里奈氏の1000万ドルを超える負債は肩代わりされたのだろう。妥当な落としどころと言える。一連の騒動が持ち上がった後の2021年4月、マルハンは役員人事を行っている。新体制では「社長」が4人並び立つ形となった。地域別と金融の4カンパニーが設けられ、二男から五男まで4人の子息がそれぞれ「社長」となったのである。韓昌祐氏の長男・哲氏は1978年、滞在先の米国で不慮の事故死を遂げている。創業者と、その長年の伴侶の心中では、あの悲劇の時とは違った形で家族に対する思いに大きな変化が生じたのではないか。
先述したホテルグランヴィア京都における面会で祥子氏は麻里奈氏に対しこうも語りかけていた。2日前、韓昌祐氏は心労で倒れ、京都市内の病院に入院していた。
「お父さんにしたら仕事で失敗したことよりも子どものことが一番ショックだと思うよ、それ分かる? 事業で失敗したのはまた頑張ればどうにでもなる。せやけど、子どもに裏切られるほど辛いことないよ」
成功を収めた経営者にとって、我が子をひとりの人間に育て上げる試みの方がはるかに難事業ということなのだろう。