一度、精神的に危険なところまで追い詰められた事のある人にとっては、求めるものは心の平静であり、それ以外の事は大して重要ではないという心境になるものだ。
その時点から物事の価値が根本から変わり、世界の色が変わる。
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会話
色の変わった世界ではどれがまやかしで、どれが本質であるかが分かるようになるし、自分にとって何が良いものか、何が必要ないものかが分かるようになる。
悲しみを、今後長く付き合っていく友達のようなもの、と思えれば、淡い色の景色の中に、小さな輝きが見えるようになる。
目標として頑張っていた事がなぜ目標にしていたのか分からなくなったりするのと同時に、今まで格好悪いと思っていたものが優しく響いてとても大切なものに思えたり、気にも留めなかった景色が美しくて涙が溢れたりする。世界を見る角度が変わる。
世界の色が灰色になってしまう事もあると思います。その時は負担になっている要因または「こうあるべきだ」と自分で思い込んでいる思考パターンから逃げる事も大切だと思う。
充分に休んで散歩をする。季節の風の香りや、陽が降る緑の景色を心に取り込んでみる。そうしているうちに淡い色が風景の中に戻ってくるかも知れない。
↑ツイート続き
人は「こうでなければならない、こういうものだ、自分がすべき事はこれなんだ」という思い込みに知らずのうちに縛られてしまうことがある。そこに固執すると、心や体のサインが聞こえなくなってしまう事がある。
本当は「こうでなければならない」などと言うことは何もなく、それは育って行く中で誰かに植え付けられたり、知らぬ間に思い込んでしまった事かもしれない。力を抜いてその思い込みを疑ってみる。解けていくと見える景色が変わっていき、自分にとって本当に大切なものが見えてくるかもしれない。
このツイート、これ程共感を頂いているという事は、この経済社会が人の心を無視して一人歩きをしている、社会と人間の本質が乖離をしているという所があるのではないかと思う。心がフラットであるからこそ「生きている」を感じられる。↓
もちろん生きていくために多少のお金は必要だけれど、あればあるほど幸せなどと言うことはないのだろう。心にもっと目を向けた、臨床心理学的な視点からの社会作りの様な事がもっと語られていいと思う。
そしてその状態が、死んでるのと同じどころか、それよりもマイナスな事に気づかないのが憐れ
死は永遠の平静を齎してくれるが、生きている間に手に入る平静は簡単に脅かされるもの
飯島さんが共有してくれたこの洞察は非常に深いものがあります。それは、困難な経験を通じて見える世界の新たな視点を示しています。精神的な挑戦は、私たちが何を真に価値あるものと見なすか、どのように生きるべきかを問い直すきっかけになります。
そこまで追い詰められていなくても、
喜びいらないから、悲しみもやめて、にはわりとすぐ達した。
25歳前後からそのスタンス。
世界の色が灰色、本当にその通りでした。
さらには
もうこのまま灰色でいいとさえ思っていました。
本心は抜け出したいのに…
今となっては経験してよかったと思えます。
第一に心(生活)の平穏
そしてそれでも生きなければいけないので時々必要な熱中出来る楽しみ
暴力や精神的にも危険な事をされた人は大体そう それ程命の危険を感じ最終手段を取らざるを得なかったという事
最終手段なのでそれ以上も以下も無い
そのまま
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Twitterから
昨日見た、「一度メンタルが危機的状況に陥った人は、価値観が『心穏やかに過ごすこと』にシフトし、それが人生の全てになる」というツイート、すごく共感した。
好きな人と過ごす・美味しいものを食べる・やり甲斐のある仕事をする、ではなく「心穏やかに暮らすこと」が軸になる。
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変なインフルエンサーの謎運動するより、プールで1000m泳ぐと確実に痩せる。
お腹も空くし疲れ果ててぐっすり泥のように眠れる。
ホテルのプールだと、ジャグジーとサウナあるし、帰ってきてお味噌汁のんで寝たら勝手にめちゃくちゃ痩せるしよく眠れるし体調もいい。デパスやセパゾンよりは効く
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