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※捏造しかないのでIFくらいの感覚で
※ 「景元さまとお茶会」のつづき
ーーー
視線を手の中にある物へと落とす。
厚みはごく薄く、私がほんの少し力を入れただけで形を崩してしまう。
写真。
いや、この場合はブロマイドと言った方が正しいだろうか。
随分と人が多いなと遠巻きに流れていたら、どうやらそれは停雲による何かの人気商品の販売が原因のようだった。
タイムセールでもああはなるまいとばかりに人が押し寄せ、あっという間に売り切れたのかその人混みが引いていく。
そんな一連の様子をつい、最後まで見守ってしまっていた私と彼女の目が合うと、なにやらぼそりと一言呟くやいなや私の所までやってきて。
そして挨拶もそこそこに訳もわからぬまま"口止め料です"なんて渡されたそれに私は固まるほかなかった。
「これは............まぁ、人気もでるよね」
うたた寝をする油断し切った表情、談笑する朗らかな笑顔、そんな隠し撮りというより密着取材中の宣材写真のようなクオリティの高い数枚のそれにまず目を奪われて、次にほんの少し心にモヤがかかる。
無眼将軍だとか何とか言われている事は知っていた。が、同時に多くの伝説とも言うべき成果を残したことも伝わっている。
このブロマイドを欲した人の押しかけようも鑑みれば、彼がどれ程の人に慕われているかは言わずもがな。
あれかな、親しみやすいからちょっと揶揄しているだけで、本当は実力者で頼りになることをみんな分かっているとか、そういうやつなのかな。
「あら、何か貰ったの?」
手にしたそれを何だか手放すのも惜しくて、そのまま元いたテーブルへと戻れば、姫子さんが綺麗な弧を口元に描きながら尋ねてくる。
私は首を縦に振り、向かいの席に腰掛けた。
「これを、今後ともご贔屓にって......」
「何かしら。あら、」
不思議そうに手元を覗き込んだ彼女は、そこに写る人物を見て、驚きなのかもよく分からない声をあげてから、愉快そうに私の手首を見た。
「確か羅浮に来たことはまだ知らせていないのよね」
「......はい」
姫子さんの視線の先にある品を渡されたのはもうしばらく前になるだろうか。
あれから私たちは次なる開拓地に向かって、そこでの一悶着に意識を削がれていたのが半分、逃げるようにそちらに集中していたのが半分ってところだったのだけれど、そんなある日突然私を悩ませる張本人からスマホへと連絡が届いた。
連絡先を人づてに聞いたと寄越してきた彼に一瞬身構えたものの、話題はどれも当たり障りのない物で。
日常のほんの挨拶や、どんな開拓地でどんな事をしたか、彼は羅浮で起きた出来事を。
本当に思い出した時に少し、そんなやり取りを続けていた。
「折角なんだから会って行ったらいいんじゃない?」
「......」
その言葉につい、閉口してしまう。
正直、今までの向こうの催促してこない姿勢に甘えていた。少なくとも彼は、好ましい人物であると思っていたし、友好的にはしていたかったから。
「実際に会うとなると、わたし、正直何もなかった風に過ごせる自信は無いし......」
「ふふ。返事はしないの?」
「返事は、......私。......どうしたらいいか、分からなくて」
「気持ちが定まらない?」
「そういうわけじゃないんです。でも私、列車に乗ってるし、そもそも故郷のこともあるし」
分かってる。私だって馬鹿じゃない。
連絡を取り合う時間を楽しく思っているのも、彼を慕う人が多くいることに嫉妬めいた感情を抱いたのも、こうして受け取った贈り物を大事に身につけているのも。
私の気持ちなんて誰が見たって明らかだろう。
けれど、それで今になって私もだと返事をしてどうなる?
列車を降りる決意はできていない。故郷のことも進展はない。彼は特に羅浮において雲の上のような存在の人で、それに、もしかしたらあの告白は無かったことにって言われる可能性だってきっとある。
あの時は彼の立場を今ほど実感していなかったから、出自や彼への距離感が珍しくて、今まで周りにいなかったタイプだから、なんて思われていただけかもしれない。
連絡を取り合ううちに友人で良いかもしれないと思われたかもしれない。
自分の感情に気付いてしまったからこそ、臆病になる。
「意外と自分に自信がないのね」
「意外でもなんでも無いですよ......」
しょぼくれた私を見て、やっぱり姫子さんはふふ、と上品に笑うだけだ。
いつも一緒にいるみんなは、気持ちが分かってるならさっさと行ってこいって感じだし、姫子さんはこんな感じだし。ヴェルトさんもそう難しく考えなくていいんじゃないか?なんて意外と行動することを進めてくるし。
「そう難しく考えないで、自分がどうしたいのか、その欲望に忠実に動いてしまえばいいんじゃないかしら」
「欲望ですか......?」
「ええ。そうね、細かいことは置いておいて。あなたは今、彼に会いたい?」
「それは、」
その言葉を聞いて、迷うことなく浮かんだ答えに目を見開く。
「今はそれでいいんじゃない?難しい事は後から考えたってバチは当たらないわ」
「......後から」
「意外とそっちの方が向いてるかもしれないわよ?だって今までだってそうだったじゃない」
列車に乗せてくれと頼んできた時も、開拓地で新しく出会った人と交流する時も、故郷の事を調べるために動く時も。
「自分の気持ちに素直で真っ直ぐなところ、私は好きよ」
「姫子さん、」
嬉しくなって頬が少しだけ赤くなる。
そっか。思えば私、こんな故郷からかけ離れた場所にやって来てしまったのだから、もうなるようになれなんて思って意外と思うがままに行動してたんだ。
なら、いま私がどうしたいか。
そんなの決まっている。
「私......会いたいな」
写真の中の、この笑顔を直接この目で見たいんだ。
---
景元さん、こんにちは。
羅浮に来ているのですが、もしお時間があえば会えませんか?
---
そんなメッセージを飛ばしてすぐ、私は列車に蜻蛉返りしていた。
本来の用事は済ませたし、何より向こうは多忙の身だ。都合が合わない可能性の方がよほど高い。
送ってしまったあとは返信が来るまで落ち着かないからと、姫子さんと、列車で待機していたなのと、3人でテーブルを囲んで気を紛らわしてもらっているところだ。
「折角だからこの時間に色々と整えるのはどう?」
「色々って」
「あ、じゃあ髪型変えてみるのとかどう?折角長いのにいっつも降ろすか、作業する時に適当に結ぶだけだったし」
「あと爪も少し整えましょ。いつも長さだけ短くして終わりでしょう?」
ああしよう、こうしようと親身になってくれる姿に口元が綻ぶ。
(こういう時間、故郷にいたときも楽しくて好きだったな)
仕事中なのだろうか、返信は中々なくて。
けれど待つ間に整えてトップコートを塗っただけの爪はいつもより手先が綺麗に見せてくれて気分が上がってくる。
乾くのが待てずに携帯を触ろうとするなのの手を姫子さんと2人で拘束すれば我慢できないと喚く姿に笑いが溢れた。
髪型は今まで出会った人のものや、私の故郷で流行っていたもの、2人がおすすめのもの、何がいいか話し合っているうちに時間もあっという間に過ぎていって。
私が嬉しくなって少し高い位置でポニーテールにした髪を揺らして遊んでいるのを写真に撮られたり、お互いに少しアレンジし合ったり。
いつもより時間をかけて丁寧に化粧をしたり、お互いに服を見せあってこの組み合わせがどうだとか、今度お互いに貸し借りしようなんて話をしたら時間なんてあっという間だ。
ピロン、とメッセージの受信を知らせる音が鳴ったのは、これで完成とばかりに3人で写真を撮っていた頃合いだったか。
あんなにはしゃいでいた部屋が一気にスマホへ集中する。
「返事がきたのかしら」
「え、うそ、返事!?返事きた!?は、早く確認しないと......!」
「う、うん!」
何て返ってきたんだろう。そんな思いでいっぱいで受信メッセージを慌てて開く。
送り主はずっと待っていた人で。
そのままメッセージを開く。
(会えますように...!)
「......」
「どう......?」
「、......今日は都合がつかないから、」
「えっ」
「明日、食事でもどうかって」
「あら、やっぱり」
「わ〜〜!やったね!!」
「うん!」
なのと両手を取り合って子供みたいに飛び跳ねれば、あんまりはしゃぎすぎるとパムに怒られちゃうわよ、なんて姫子さんに嗜められて慌てて手を離す。
何と言っても前に列車内で追いかけっこみたいになったところを見たパムがご立腹で、少し面倒だったのを私たちはお互いに経験したばかりだった。
「危ない危ないっと。でも折角お洒落したし、今日会えたらよかったのにね」
「何だか大事な仕事があって、今日は時間が読めないんだって」
「ふぅん。あっ、じゃあ今日はみんな誘って羅浮でご飯食べに行こうよ!こんなにおめかししたんだしさ。ウチは今日ずっと列車にいたから美味しいもの食べたい!」
「確かに。私も折角ならこの格好で少し外に出たいかも」
「私は用事を済ませてきたばかりだし、今回はお留守番ってことにさせてもらうわね」
「何かお使いでもあれば声かけてくだはい」
「ええ。そうするわ」
丹恒と穹も誘ってみよっか、と話しながら部屋を出てなのと2人を探しに行く。
いま2人はどこにいるだろう?
丹恒は大抵引きこもっている、ように見えて意外とフィールドワークだと外に出ていることもあるし。穹に至っては逆にあちこち出歩きすぎて行き先が読めなさすぎる。
折角だからみんなで食事したいし、できたら今日の格好も含めて男性視点のアドバイスとかも欲しいのだけれど。
(2人にも明日の事、相談に乗ってもらおう)
そうして歩き回る中で最初に会ったのはパムだった。
私たちが3人で客室に篭っているからと、主に前科のある私となのの様子を見に客室車両まで来ていたみたいで、部屋を出てすぐのご対面だった。
私を見ていつもと様子が違う事にすぐに気付いて、髪が尻尾のようじゃ!似合っておるぞ、なんて声をかけてくれる。
客室車両に2人はいなくて、そのまま移動したラウンジにはヴェルトさん。
何処が違うかばっちり気付いて、普段と印象が変わってこちらも良いなと、はなまる満点の回答を貰ったものだから思わず感心してしまう。
「ところでヨウおじちゃん、丹恒と穹がどこにいるか知らない?」
「列車にいないのなら行き先は分からないな」
「うーん、そうですか」
「どうする?ウチら2人で、......あ!噂をすれば!」
「返信きた?」
「うん。2人とも来れるから、お店だけ決めといて、だって」
「お店かぁ。どこがいいかな......ヴェルトさん、オススメのところあります?」
「逆に聞くが、将軍から勧められた店は無いのか?俺としてはそちらの方が気になるな」
「っ」
真っ先に降り立ったメンバーでもあるし、と思って聞いたのに、思いがけず返ってきたいじわるな質問にジト目でヴェルトさんを見つめる。
「......明日、会うことになったんです」
「!そうか。それは楽しみだな」
「............はい」
「なら話題にでた店に行くことになるかもしれないな。幾つか美味かった店を送っておこう」
ーーーーー
「何だか結構ちゃんとした感じのお店だね......本当にここであってる?」
「うん。その筈だけど......」
ヴェルトさんが折角だから、と予約の取ってくれたお店は、こぢんまりした広さではあるものの、上品な佇まいだ。
まるで隠れた名店といった風合いのここで、ここまでの頑張りへの労いと、私への激励会も兼ねて奢りだとコース料理を頼んでおいてくれたそうだ。
「まぁ丹恒もお客さん同士の交流無く落ち着いて食べられる場所の方がいいだろうし、」
「それもそっか。じゃ入ろ!」
「そうだね」
店内に足を踏み入れ予約の旨を告げると、半個室のような席に案内される。既に2人の姿があって、こちらに気付くとほんの少し目を見開く。
「随分と雰囲気が普段と違うな」
席にかける私達を見て丹恒が呟く。彼のこんな驚いた顔を見れることは少ないので、なのと2人で顔を見合わせて、にんまりと笑ってしまう。
「確かに。こういうのも似合ってるな」
「ほんと?」
「ああ」
「丹恒はどう思う?変じゃないかな」
「ああ、よく似合っていると思うが。何かあったのか?」
「んふふ、聞いて驚けだよ」
ほらほら、となのが私の腕を小突く。
最初のドリンクが運ばれてくる中、私に視線が集まる。
店員さんがいなくなったのを見て口を開いた。
「実は明日、景元さんに会うことになりまして」
そう言葉にすると、なんだか時間が迫っている事を実感して急に緊張が湧き上がってくる。
「あ〜〜、明日か......」
「俺は応援してるぞ」
「穹......!」
「なんでお前から報告しておいてその反応なんだ」
「たんこ〜〜」
「やめろ。俺だって上手くいくよう思ってはいるさ」
いつもの如く、賑やかなテーブルに固まった心がほぐれていく。これは付き合ってくれた3人とこの席を用意してくれたヴェルトさんに感謝しないと。というか、
「ここの料理本当に美味しい!」
「人の奢りだと尚うまいな」
「ウチもそう思う」
「はぁ......だからと言ってそんなにがっつくな。あとで食べ過ぎて気分を悪くしても知らないからな」
「確かに。食べきれなかった分は包んでもらえるかもしれないし」
「えっそうなの?」
「うん。多分だけど......前に景元さんがそんな感じのこと話してたから、割とやって貰えるのかなって」
会食のような場だと食べきれないことも多いから包んでもらって......みたいな話を聞いたことがあるような、と記憶を遡りながら話す。
「へぇ〜。なんか会食って聞くと偉い人ーって感じだねぇ」
「まぁ三月の言う"偉い人"にあたる人物だからな」
「それくらいわかってるってば〜」
「でも確かに、こういう店に行く機会は多いんだろうな。俺もそうなりたいもんだ」
「ね!それこそ今日も実は会食でこのお店に来てばったり、なんて事もあるかもよ〜」
「なのってば、流石にそれは偶然ができすぎだって」
「噂をすれば、とも言うが」
「珍しく丹恒がなのの言い分に悪ノリしてる」
「別に可能性のひとつとして示唆しただけだ」
ふぅん、と納得したフリをしつつ、彼とこうやって気を遣うことなく言い合えるようになった事を喜んでいると、ふと、向かいに座る穹となのの視線が後ろに向く。
他の席に運ぶ料理の中に美味しそうなものでもあったのかな、と思っていたのに随分と視線が戻ってこなくて。
2人の視線の先を追うように私たちが後ろを向こうとすると、なのが慌てたように私の手を引っ張った。
「ああああのさ、もうちょっと何か追加で注文しない?」
「え、ちょ、」
「そうしよう。ほら、好きなものを選べ」
ずいと目の前に差し出されたメニューは近過ぎて文字を読めやしない。誰の邪魔も受けずに振り返った丹恒は隣でなるほど、と呟いている。
こんなあからさまな妨害を受けて何もせずにいられるだろうか。
メニューから一度距離を取ると、向かい席の2人の懇願するような必死な表情が目について、そんな2人に微笑み返してほっとした様子を見せた瞬間、くるりと後ろを振り返った。
「「あっ」」
そして、くるりと体の向きを元に戻した。
「「「......」」」
このテーブルについた時のように視線が私に集まってくる。沈黙が訪れて、みんなが私の反応を伺っていることが分かる。
まず口から溢れたのは、笑い声だった。
「っふ、」
「?」
「ふふ、......はははっ。まさかなのと丹恒の言った通りになるなんて」
なんて事だろう。
振り返った先、見えたのは明日会おうと約束していた人の横顔。近くにいる数人と、食事をこれから取るのか、終えたのかは分からないけれど、同じ日に同じ店を利用したという事は確かだ。
しかも驚くほどタイミング良く、同行している人の中にいた、すらりとした佇まいの女性が随分と距離を詰めるように側にいるのも、見えた。
なるほど、あれを見て止めてくれたわけだ。
「だ、だよねぇ。すっごい偶然!」
「だな」
「ふふ、そうだねぇ」
目の前の点心をひとくち口に含み。もぐもぐと咀嚼しながら同意する。
愉快そうに笑った私にぎこちなく同意を返した2人は、そのあと何を言おうか悩むように丹恒の方を見つめて、その後にまた、視線をこちらに戻した。
ごくり。
咀嚼を終えて飲み込むと、手に持っていた箸をそっと揃えて置く。
「......タイミング悪すぎない?」
今日初めて、テーブルに居た堪れない空気が落ちる。
いや、分かるよ。
仕事で会食だったのか、思ったより早く終わったからのみんなで食事に来たのかは別にどっちだっていい。
その席に女性がいるのだって構いはしない。
ただ、意中の人の傍に、明らかに好意を寄せているであろう距離感を示す女性がいるところを見るのは、あまりにも、
「偶然ってむごい......」
そう溢してから、どれくらいの間沈黙を保っていただろうか。
最初に口火を切ったのは穹だった。
「どうだ?」
差し出されたアルコールメニューにこくりと頷いた。
明日やることは変わらない。
だけどちょっっっっと流石にタイミング的にキツいから、少しでも気を紛らわせたくて注文をかける。
一応、今までもちょくちょく呑んだことはあるし、これくらいの量を呑むとおそらく酔いが精神状態に出るだろう、というところで必ずストップをかけてくれと頼んだので、明日に支障はない筈だ。
流石にさっきの出来事と私の反応を見たあとだからか、明確に飲酒量の上限を提示したからか、誰も止める様子は無く、そのままお酒をまずひと口煽った。
「っはぁ〜〜」
「もしかしてだけどさ、意外とお酒好き?」
「俺は付き合いの場で乾杯の一杯だけ呑んでいるのを見たことがあるくらいだな」
「まぁ好きではあるけど、そんなに強くはないからちょっとしか呑まないよ」
アルコールが入ると、少し楽観的で感情のままに振る舞う傾向にあるから、丁度いいかなって。なんて、まるで自分の酩酊状態を把握できているかのように話していた私はすっかり忘れていた。
羅浮のお酒は初めて呑むということを。
「ご馳走様でした〜」
アルコールって偉大だ。
何とかなるだろう、の精神でこうしてお店をでれるのだから。
「全く、あれだけ自信満々にここまでなら問題ないと宣言してきたのに、酒の種類を考慮していなかったとはな」
「えっへへ、ごめんね。次から気をつけるし、一応今も自分が酔っ払いの自覚はあるから」
ね?と両手を合わせて丹恒を見上げる。
穹がその隣でまあまあ、と味方についてくれて、彼も仕方ないとばかりに息をついた。
確かに想定より酔いは回ってしまったけれど、まだ大人気なく理性を飛ばすまでは行っていないということでどうか許してほしい。
お店の外の冷たい風が、いつもは髪に覆われた首元を掠めていって、ほんの少し酔いが落ち着いていくような気分だ。
「ね、なの。明日も髪一緒にやってくれる?」
「もっちろん!今の髪型気に入ってくれた?」
「うん。涼しくてきもちい〜」
もう外にはあまり人はおらず、静かな空気が漂っている。
転ぶなよ、と言う声にのんびりと返事を返しながらのんびりと歩いていれば、お店から少し離れたころに規則的な足音が響いてきた。
正直な所、別に酔いとは関係なく急いで帰宅する人か、もしくはこちらに近付いているからお店の人なのかな、と思っていた。
だって足音は小走りを思わせる速度で鳴り響いていて、景元さんがそうやって急いでいるところなんて想像もつかなかったから。
つかなかったから、ちらりを視線をやって終わるくらいの感覚で見てしまったんだ。
「ああ、追いついた」
視線を向けて、みんながその相手を認識して、彼が側までやって来て言葉を発するまで。
私は阿呆みたいに彼を見つめたまま何もしなかった。
目の前に彼がいて、私たちに声をかけてくれた事があまり現実のように思えなくて、小走りだった割には全然息きれてなくて凄いなぁ、なんてぼうっと思考が少しおかしな方向に向いてしまう。
そんな私をじっと見た彼は、ふと視線を逸らしてお酒を呑んだのか、という質問を投げかけた。
もしかして質問の返事もできないほど酔っていると勘違いされているのだろうか。
「折角だから少し話してから戻ってきたら?」
「ああ。もし良ければ是非そうさせて欲しい。どうかな?」
「えっと、」
そう問いかけられてやっと言葉を返せた私は、ちらりとみんなの方を見た後に、視線を戻してこくりと頷いた。
先に戻ってるね!と言っておきながらこっちの様子を遠目に伺おうとしていたらしいなのと穹を丹恒が連行していくのを見送って、そして隣に立つ人を見上げる。
(本物だ......)
「私の顔に何かついているかな?」
いつかの会話を思わせる言葉に、けらけらと笑いが溢れてしまう。
本当重症だ。さっきの暗い気持ちが嘘みたいに無くなっていくんだもの。
「ふ、ふふ......」
私の笑い声が落ち着くのを静かに見ていた景元さんは、返事を待つように黙っていて。なんだかその視線が私を向いているというだけで、口元がむず痒いような気分だ。
「ほんものの景元さんですね」
へへ、と間の抜けた笑い方だったに違いない。
それにきっと彼はあの日と同じ返答を待っていたのかもしれないのに、つい、そんな言葉が口をついて出てしまった。
想定していたそれでなかったからか、景元さんも少し目を見開いている。
「これは参ったな......」
「?」
「少し座って話さないかい?」
「はい。えーっと、」
「こっちだ」
背中に手を添えられるまま、静かな街中を歩いていく。
「君が酒の類を嗜むとは知らなかったよ」
「羅浮では今日初めてのみました。ごめんなさい、久々に会ったのに。ちょっと酔ってるかもしれなくて」
「こうして新しい一面を見ることが出来たのは嬉しいな。普段は列車の面々と?」
「ううん、そうなるのかな。あ、あと開拓地でお酒の席があったときは少しだけ」
「ほう、」
そう話しているうちに、少し奥まった空間に辿り着いて、備え付けられたベンチへと腰を下ろした。
「こうして髪を結い上げるのも、他の開拓地でよくしていたのかな」
「たぶん今日が初めて。姫子さんとなのがやってくれたんですよ」
ふわりと柔らかく巻かれていつもより柔らかな髪が揺れる感覚はとても気に入ったのだと、そう話すと彼の手が髪へと伸びてくる。
「店で、君を見た時に目を奪われたよ」
揺れる髪を僅かに掬い上げた彼は、心地よくそよぐ風に揺られてそれが手のひらから離れていくのを見送ると、そのまま私の首を覆うようにして手のひらを触れさせた。
涼しい気候なのにぽかぽかと暖かい手のひらに首を温められ、急な体温の変化にふるりと体が震える。
ああでも、きっとそれだけじゃない。
そう自覚するとなんだか気恥ずかしくなって、視線を少し落としてしまう。
「けれど、少し妬けてしまうな」
回された手がぐっと引き寄せてきたのは、それとほとんど同時だった。
「美しく着飾った意中の女性が、他の男の前で酒を煽り、挙げ句無防備に首筋を晒しているとはね」
「っ」
「しかも私に気付いてくれたのに、すぐにそっぽを向いてしまうとは。流石の私もあれは傷ついてしまうな」
「、え。き、気付いてたんですか!?」
「勿論。店に入った時、すぐに気付いたよ」
パッと顔を上げれば、口元は柔らかく笑みを浮かべているのに、視線は追い詰めるような色を宿している。
「明日会うことを楽しみにしていた女性が、他の男の前で気を許しているのも、私に気付いていたのに一向にこちらを向いてくれないのも、ひどいと思わないかい?」
「それはっ......、だって、」
「だって?」
「......お仕事での食事の場かもしれないなって」
逃げるようにそう溢すが、この回答では彼はお気に召してくれないらしい。
そう答えるのか、とばかりの表情を浮かべた後に、ぱっと手を離して距離を取られてしまう。
「成る程。気を遣ってくれたのか。うん、ならば仕方ないか」
「......」
そこで初めて私は、もっとお酒を呑んでおくのだったと後悔した。
せめてもう少しお酒の力さえ借りれれば、どうにか太刀打ちできたかもしれないのに。
全部わかっていながら底意地の悪い人。
「あまり夜更けに引き留め過ぎてもいけないね」
列車まで送ろう、なんてこちらを向いて言いながら、立ち上がる気配がないのがその証拠だ。
「......景元さん」
「うん?」
「、......さっきの、」
思ったより声が震えていて、口を一度閉じる。少し逡巡して、また口を開くまで、私を急かすような言葉は何もない。
「他の、......女性といるところ、見たくなかったって言ったら。......迷惑に、なり......ますか」
「......」
顔を上げられないことだけは許して欲しかった。こんな、きっと顔を真っ赤にして、今にも泣いてしまいそうな情けない顔をしているに違いないから。
もう癖になってしまった、ブレスレットを手で弄ぶようにして触れながら言葉を待つが、いくら待っても返事が全然返ってこなくて、赤く染まっていた顔からどんどん温度が無くなっていく。
指先で撫でていた石をきゅうと握るようにして耐えていれば、音のないまま祈るように握り込んだ手に、ふたまわりは大きいそれが重ねられた。
ゆっくり、指先をブレスレットから剥がしていくその動作に涙がこぼれ落ちそうになった瞬間、縋る先を失った手を引かれ、体が丸ごと暖かさに包まれる。
「、」
「縋るなら、こちらにしてくれ」
「っ......はい」
ぎゅうと背中に腕が回された。
暖かくて、包まれるような安心感、多幸感。そんな全部がどうしようもなく嬉しくて、すり寄るように胸元に顔を埋めれば、心臓がぎゅうと締め上げられるほどに苦しい。
ふと頭に口付けを落とされる感触がして、驚いて身じろげば、逃げるとでも思ったのか唇が性急に額や目元へと落ちてくる。
「や、待って」
「待たない」
「あっ」
止めるように胸元についた手首すら捕まって、唇を落とされて。ま今度は胸元や首筋から顎に耳へと徐々に持ち上がってくる。
「好きだ。愛している」
「っ」
耳朶に直接響くその音に、思わず口から言葉が溢れ出す。
「私も、」
「すき」
「景元さんのこと、あいしてる」
「好きなんです」
一度言ってしまえばぽろぽろと溢れるようにそれは止まらなくって、その言葉を嬉しくて仕方がないとばかりの表情で受け止めてくれるから、ふふ、とふやけた笑顔がどうにも元に戻らない。
そんな私を見た景元さんも、ちょっとだけ目元を赤く染めて楽しそうに笑いながら、こつりと額をつけ合わせて笑った。
「もう待たなくてもいいんだね」
「はい。......景元さん」
「ああ」
「だいすき」
再度、そう伝えれば彼の瞳がきゅうと細くなる。
愛おしいと言わんばかりの視線に、今日という日がこんなに良い日になるなんて、さっきのお店で凹んでいた私、今幸せだぞ、なんて考えがぽこぽこ湧いてでてきた。
そのまま頬を優しく包まれ、背中に回った腕は私をもっと傍に寄れとばかりに引き寄せて、傍に............
(側に............。あれ?)
「ね、景元さん」
「なにかな」
吐息が当たるほど近くで、優しく景元さんが答える。
「私がいるって気付いてたのに、女性が側に寄ることを許したんですか?」
その問いかけに彼の動きがぴたりと、まさしく静止するのが分かった。
「......」
「あの場にいた全員が、遠目から見ても距離が近いと思うほど、側にいることを良しとしたんですか」
彼の口元を抑えるようにして、再度そう問いかけ直す。
しっかりと見上げた先には、僅かに揺れた瞳、それから申し訳なさそうに眉尻を下げて、子犬みたいに許しを乞う表情を浮かべる。
「今日の日中、声をかける暇は無かったんだが」
「......」
「君が妬いてくれたのかと思うと、どうにもその表情が愛らしくて仕方がなかったんだ」
成る程。自分のブロマイドがそれはもうあっという間に売り尽くされたのも、私がその光景を見て浮かべていた表情も見ていたわけだ。
それを見ていた上で私のメッセージを読んでいたし、偶然とは言え店で見かけた時も、また同じような事をしてやろうと考えたって事だ。
「少し、意地悪をしてしまったね」
すまない、とあやす様に額に口付けをひとつ落として、さっきの続きとばかりに顔を近づけて来る彼の頬に今度は私から両手を添えた。
目元の黒子を親指で撫でて、この人はどうやって泣くんだろう、なんて突拍子のないことまで想像する。
もう片方の手はその長い前髪を撫であげて、普段はちらりと見え隠れする瞳を顕にさせた。
両の目はされるがまま、甘える様に頬に顔を擦り付けながら、けれど私の事をとろりとした視線で見つめてくる。
(本当、ずるい)
悔しくなった私はそのまま、さっきまでのゆったりした情緒なんて無かったことのような性急さでその唇に噛み付く様に口付けた。
目を閉じて酔いしれる様な事なんて無くて、視界に入る、不意の出来事に見開かれた瞳に僅かに満足感が満たされていく。
そして、驚きに満ちた表情を確認した私は、そかから更に深く口付けようと回された腕をぱしんとはたき落とした。
「、」
流石にこうも拒否されるとは思っていなかったらしい彼は酷く驚くと同時に悲しそうな顔を見せて。
けれど、そんなのこっちだって同じだ。
さぞ私は分かりやすかったでしょう。
連絡もなしにやってきたのが意識している証拠だ。手首には贈り物をしっかりと身につけていて、一丁前に嫉妬して、自分から会えないかとメッセージまで送ったんだから。
楽しかったでしょうとも。
意中の人が手のひらの上でくるくると悩み嫉妬に溺れていく様を眺めるのは。
「っ景元さんの、ばーーか!」
子供みたいに悪口を飛ばして立ち上がる。
こればかりは許して欲しい。だってそうしないと本当に相手を傷つけるようなニュアンスになってしまいそうだから。
ただ彼には、そういうやり方が嫌で、傷ついて、ついでに拗ねてるのを理解して欲しいだけなんだ。
今日はもう帰ります、と顔も見ずに伝えて駆け出す。
こんな面倒くさいことをしてしまうのは、お酒のせいって事にしてしまおう。
不思議と足が軽いのは、それでもやっぱり気持ちが通じ合ったのが嬉しいから。
でも、そんな意地悪をするのなら、其方からの口付けはさせてあげるものか。
私は腕の中にいる時の喜びも、唇の柔らかさも堪能させてもらった。これくらいしたってバチは当たるまい。
(それまでお預けなんだから)
そうやって考えながら駆け出した一瞬のうちに、背後からも同様に足音がする。
ばたばたと、慌てる様なリズムに思わず後ろをちらりと見やれば、それは景元さんのもので。
「え......」
それはもう慌てたような表情に今度はこちらの目が丸くなる番だ。
さっき小走りで追いかけてきた時とも違う、心底真面目そうな顔をして、長い足でどんどんと距離を詰めてくる。
「ちょ、はっ、速......なになになに怖い!」
くるりと前を見て慌ててスピードアップを狙うものの、時すでに遅し。
腕を掴まれて走るフォームが崩れる。そのまま前に進もうとした体を、逃がさない様に体に腕が回されて、前進を阻まれた私はそのまま逆に後ろ側へと引き込まれる。
「っはぁ、......待ってくれ」
背中に当たった彼の胸から、どっと大きな心臓の音が響く。そんなに慌てて追いかけてくれた事がなんだか嬉しくて、つい大人しくしてしまっていた私はハッとして身を捩った。
「ちょ、は、離してください」
「嫌だ」
「でもわた、しっ......ん、」
怒ってるんですから、と伝えようとした瞬間に生温い息がふわりと首筋をくすぐった。
突然のことに体から少し力が抜けて、そのまま唇が吸い付く様に押し付けられて、ちくりと僅かな痛みがはしる。
「まさか、......そんな見えるとこ」
彼の腕を引き剥がそうとしていた手で思わず首を後ろを抑えた。
「頼む。君を行かせたくない」
「わ、わたし」
一向に離してくれる気配がないからと、仕方なしにくるりと体を振り向かせた。
「ちょっと怒って、んぅ」
「ん......」
小鳥が啄むように急に口付けられる。
今日は怒ってるから駄目って思ってたのに!
「ちょ、んっ......わたし、おこって、ぁ、」
「すまない。はぁ、っ......もうしないから」
納得いかないと口を開いたタイミングを見計らって舌が入り込んでくる。
舌が触れ合ってくちゅりと音を立てた。思わずその音に逃げるけれど、狭い空間で彼から逃げ切れる訳もなく、そのまま追うように絡め取られる。
「は、ふ......ぁ」
ぬちゅぬちゅと音が響くたびに体が強張ることすらすぐに伝わってしまって、キスの合間にふっと彼が息をこぼす。
そんな彼を睨み上げれば、そこにいたのは思ったより切羽詰まった表情で。
「ふ、ぁ!っ、」
不意に上顎のくすぐったさを感じる部分をねっとりと舐め上げられると、ぞくぞくとした感覚が這い上がって、そしてふと体の力が抜けていく。
どんどん重力にすら抗えなくなる私の太い腕が持ち上げてしまうのかと言うほどに回した腕で支えてくれて、そこでやっと唇が解放された。
「っは、はぁ......なに、もう」
額を胸元に押し付けて、息も絶え絶えに文句を告げる。
「私が悪かった。どうか許してほしい」
「そうやって、」
「君に会えて、気持ちが通じ合ったことが本当に嬉しいんだ。触れることも許されずに帰したくない」
「勝手に、触れてきたじゃないですか」
はぁ、とどうにか息を整えて乱れた口元をぐっと乱暴に拭う。
妙に感覚が戻らなくて、彼の胸元についた手でどうにか体を支えるようにして見上げれば、愛おしいとばかりの視線にぐさくざと突き刺される。
顔はまだ足りない、もっと寄越せとばかりの獰猛さが滲み出ているのに、そのまま行動に移さないのは彼なりの反省の態度なのだろう。
「......わかりました。今日のことは、ゆるします」
ああもう急に子犬みたいな顔しやがって、と恨めしい声音を隠さないままそう告げれば、表情がパッと明るくなる。
「ああ。ありがとう」
乱れた前髪をそっと手直しして、そのまま親指の腹が顔を覚えるように輪郭を撫で下ろしていく。
「ただし、今日はこれでもう帰るので、列車までちゃんと送ってください」
「......分かった。そのように」
ぴたりと固まって名残惜しそうに迷いをみせた彼が、仕方なしにそう呟いた。
追いかけて捕まった時の性急さとは真逆のゆったりとした動きで体が解放されて、エスコートするように腕が差し出される。
「ありがとうございます」
意趣返しに両腕を絡ませてぴとりと側によれば、歩き出してすぐに彼がちらりと私に視線をやるのが分かった。
「ちなみにこれで帰る、というのはどこまで」
「2人で並んで歩くだけって意味です」
「これは......手厳しい」
何かを堪えるように間を置いてから、乾いた笑い声がそれを吐き出すように溢された。
「......景元さん、」
「うん」
「その。......明日は、いいですよ」
「、あまり今、そう意地の悪い事を言わないでもらえると私としてはありがたいが」
「......私だって、景元さんが意地の悪い事をしなければもっと一緒に居たかったです」
「それは......本当に申し訳ない」
帰り道はほとんどこんなやりとりばかりだった。もう本当に、ここでお別れだというところまで至ってやっと、彼がどうしても駄目か?と口付けの許可を強請ってくる。
「だめ」
「......私の恋人は意志の固いまっすぐな人だったな」
「はい。だから今日はこれだけです」
そんな甘えた顔しても許しません、と抱擁を交わす。すん、と鼻を鳴らせば彼の香りがして、今度はこちらが離れがたくなってしまう前にそっと体を離した。
「あんまり、好意を隠さずに距離を詰めて来る女性を許さないでくださいね」
「約束しよう。君こそ、他の男には容易に触れられてくれるなと、そう言ったら受け入れてくれるかい?」
「はい。自分でも我儘言ってるので、ちゃんと努力します」
「はは。これくらい我儘のうちにも入らないさ」
「......それじゃあ、」
名残惜しさを示すように繋がれたままの両手をきゅっと握る。
「うん。また明日」
「......最後にあの、ちょっと」
「?」
ちょいちょいと手招きをして、耳を、と告げれば彼が腰を曲げて耳を口元へと持ってきてくれる。
「明日は、......何しても、いいです」
「!」
がばりと勢いよく屈んでいた体が持ち上がって、言葉もなく真っ直ぐに見下ろして来る。
なんでそういう事を、という批判めいた視線の後、堪えるように口元を引き結んで、そして徐にに息を吐いた。
「、......ここまで私を翻弄したんだ。明日は覚悟しておいてくれ」
少しピリついた声音に、背筋が伸びる。
挑発し過ぎたのは明らかだった。
「......はい」
何度も立場が逆転し合って、結局最後はまな板の鯉か。
(けれど、まぁ......それもまた悪くないかもしれない)
見直してないので誤字脱字多めかも
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ありがとうございます
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目を閉じて思いを馳せる。
以前よりも更に洗練された姿。
感情の乗った表情の移り変わりは、彼女が怒っている姿すら愛おしく感じさせる。
「はぁ、」
籠る熱をどうにか消化させるように息をついた。
ゆらりと揺れる髪に無防備に見え隠れする首筋も、酒をのんで赤く上気した頬も、羞恥にうるんだ瞳も。
他の虫が付いていないか、想像する度に心穏やかでないのはこちらも同じ事。
ほんの僅かに深くした口付けひとつで乱れる様を思い出し口角が持ち上がる。
(ここまで待ったんだ。明日を待つ、なんて僅かな時間に過ぎない)
だというのに。嗚呼、長く生きてきた身でありながら何故だろうか。
こんなにも明日が待ち遠しく、こんなにも明日が遠い。