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川 ゚ -゚)子守旅のようです 6:頑丈な馬鹿

 クックルは馬鹿である。

( ゚∋゚)

 ごつごつした巨躯に厳めしい顔付きをしているが、馬鹿である。
 体術に関しては人並み外れたものを持っているが、馬鹿である。

 正直なところ、単純な計算すら不安になることが間々ある。
 基本的に「知識を深める」ということが苦手なので、これの知識なら誰にも負けないぞ、というものがない。
 体を動かすことは得意だが、それも感覚に依るところが大きいため、やはり頭は使わない。

 けれども心根は穏やかでお人好しだ。
 彼は大抵の人間が自分より頭がいいということを知っているので、
 無意識の内に他者を尊重する。そこは美点と言えなくもない。


 そんな彼でも、さすがに犬猫よりは自分の方が知能的に優れているだろうと自負していたのだが──


.



▼・ェ・▼ フンフン

▼・ェ・▼ ワフッ

 だいぶ先を歩いていた犬が立ち止まり、こちらに振り返ると一声鳴いた。

 「さっさと来い」、とでも言われているような気分。

( ゚∋゚)「……」

▼・ェ・▼ フンッ

 クックルが後を追うと、犬は頷いて(本当にそう見えた)、また歩き始めた。

 この犬と旅を始めて早一ヶ月。
 クックルの飼い犬ではない。
 というより寧ろ、クックルが飼われている気さえしてくる。

 偉そうに前を歩く犬の尻をぼうっと眺めた後、
 クックルは片手に持った肩掛け鞄を見下ろし、思った。


( ゚∋゚)(犬って俺より頭いいんだなあ……)





6:頑丈な馬鹿


▼・ェ・▼ ワフワフ

 私の名はビーグルという。

 生まれてから約1年と約4万8000時間。分かりづらくて申し訳ないが、年数に換算すれば、合わせて6年半ほど。
 いわゆる小型犬。性別は雄だ。幸いにして去勢はされていない。

('ヮ`*川「よしよし。可愛いですねえ」

▼*・ェ・▼ キューン

 頭を撫でられるのは嫌いではない。
 うら若き女性の手ならば尚の事。

('ヮ`*川「スギウラさん、ほら可愛いですよ」

( ФωФ)「うわっ汚い犬であるな。そんなものを我輩に近付けるな。えんがちょ」

▼#・ェ・▼ バウッ!

(;ФωФ)「んがっ! だっ、だから犬は嫌いなのである! 躾もされておらんのか!」

 躾をされるべきは君である。
 初対面たる相手への口のきき方を知らないのだからして。



 ──カフェテリアの屋外テーブル。
 隣り合う2つのテーブルに、5人の男女と1匹の犬──私がいる。

 片方のテーブルにはペニサスという若い女と、ロマネスクという中年の男。
 そして私、ビーグル。首輪にも彫られてある誇り高き名だ。

 もう片方のテーブルには、

川 ゚ -゚)「ついにお前も派遣されたんだな、クックル」

(´・_ゝ・`)「見た目からしてお前が一番早く指名されると思ってたんだけど、だいぶ遅かったな」

( ゚∋゚)「うん」

 順にクール、デミタス、クックル。
 彼ら3人には、特殊な人材を派遣する「組織」で育てられたという共通点がある。
 一番図体の大きな男クックルは、クールとデミタスの顔を眺めてしみじみ頷いた。

 宿の一つくらいはありそうな規模の町を見付けたので、試しに入ってみたのが小一時間前。

 こうしてクックルが懐かしい顔に──とはいえ彼らの会話によれば
 時間的な隔たりは大したことがないようだが──会えたというのは、ある種、収穫であろう。

(´・_ゝ・`)「どういう条件で雇われたんだ?」

( ゚∋゚)「『体が強くて』……何だっけか……『頭を使わない奴』?」

(´・_ゝ・`)「……あー」

川 ゚ -゚)「ドンピシャじゃないか」

(´・_ゝ・`)「既にうろ覚えだもんな」

( ゚∋゚)「うん」

 クックルの長所は恵まれた体格とそれに見合った運動機能にあるが、
 反対に、おつむの方は少々足りない。
 単純に勉強が嫌いだったようだ。

 以前、野営した際、よほど暇だったのか私に身の上話を聞かせてくれたことがある。
 ほんの12歳の「なおるよ」という少年にまで学力で劣ったのは流石に危機感を抱いた、と愚痴っていたが、
 かといって改善しようとしなかったらしい程度には頭が悪い。

 一応自覚しているだけ、まだ可愛げがあるというものだが。

川 ゚ -゚)「お前の雇い主も中央を目指してるのか?」

( ゚∋゚)「いや。人探しだと思う」

(´・_ゝ・`)「『だと思う』って何だよ」

( ゚∋゚)「はっきり言われたわけじゃないからな」

(´・_ゝ・`)「目的すら教えられてないのか……」

川 ゚ -゚)「あの犬は雇い主のペットか?」

( ゚∋゚)「うん?」

 クックルは数秒停止した。そら、さっそく会話が噛み合っていないぞ。
 クールの言葉や今までのやり取りを反芻して、ゆっくり噛み砕いてから、
 彼はようやく認識の齟齬を理解した。

( ゚∋゚)「いや、ビーグルが雇い主だ」

川 ゚ -゚)「ん?」

( ゚∋゚)「あの犬が俺を雇った」

(´・_ゝ・`)「は?」

( ФωФ)「あ?」

 クールとデミタスのみならず、ロマネスクからも反応があった。
 私を抱いていたペニサスが「まあ」と呟き、私を高く持ち上げる。

('、`*川「ビーグルちゃん、お話し出来るの?」

▼・ェ・▼ …キュン?

 私を含めたほぼ全員が、ペニサスの発言に首を傾げた。
 どうやらクックルだけは彼女の言いたいことが分かったようだが。

 少し考え、私もようやく把握した。
 私が条件を提示した上でクックルを雇った、という会話の流れを踏まえ、
 私が人語を用いて条件を提示した、と考えたのだろう。

 このお嬢さんも相当に──
 まあ。独特な感性の持ち主といおうか。

 知能、いや感性が同等であったクックルにだけ意図が通じた、という点にも納得である。







 ──今から一月前。
 組織が構えるビルの前で、座り込んでいるビーグルが発見された。


 誰が追い払おうとしてもビーグルは動かない。
 首輪をしているため飼い犬だろうと「先生」は判断したが、
 ビーグルが動こうとしない以上、飼い主の元に帰そうという試みは無駄であるとも考えた。

 「帰らない」のか「帰れない」のかは分からないが。

▼・ェ・▼ ワゥッ

( ´∀`)『ここに用があるモナ?
       誰か餌付けしたんじゃないモナね?』

 先生が訊いて回ったが、誰もビーグルを知る者はいなかったし、
 ビーグルも誰かに反応を見せることはなかった。

 クックルもまた見覚えはないものの、単純に興味を覚えたので
 先生と一緒にビーグルの目的を思索する。

( ´∀`)『むーん、どうしたものか』

( ゚∋゚)『護衛を雇いに来たのでは』

 クックルが言うと、周りで聞いていた面々は様々な反応を見せた。
 吹き出す者、あからさまに馬鹿にする者、揶揄する者、聞かなかったふりをする者──

 いずれも真面目に取り合わなかったが、
 先生だけは、然もありなんといった風に頷いた。

( ´∀`)『わんちゃん、そうモナか?』

▼・ェ・▼ クゥン

 そこで初めてビーグルが動いた。

 常に傍らに置いていた肩掛け鞄を、差し出すように示してみせたのだ。
 今まで、先生や組織の者が触れようとする度に威嚇して遠ざけていた鞄だった。

( ´∀`)『開けていいモナ?』

▼・ェ・▼ ハフッ

 鳴き声なのだか吐息なのだか分からぬ音を漏らすビーグル。
 肯定と受け取り、先生が鞄を開けた。

 中には写真と本が一つずつ、それと現金が入っていた。

 写真には白衣を着た夫婦らしき男女と幼い少年少女、
 そして今よりもだいぶ小さなビーグルが写っている。
 裏に日付が書いてあった。5年前。天災が始まる少し前だ。

 ビーグルを抱く少年も、妹であろう少女も、その両親も、薄く微笑む程度に笑っている。

 ビーグルは写真に前足を乗せると、ぽんぽん叩くように足を上下させた。

( ´∀`)『君の家族モナね』

▼・ェ・▼ フンフン

 写真に鼻先を寄せ、先生を見上げ、それから今度は金を鼻で押し出した。
 紙幣やら硬貨やらがたくさん。結構な額になるだろう。

( ゚∋゚)『この金で雇うってことでしょうか』

( ´∀`)『……たとえばこの家族が、怪我か何かで来られなくて……
       わんちゃんが代わりに来た、とか?』

( ゚∋゚)『いや、この写真の人達を探しに行きたいのかも』

( ´∀`)『何故そう思うモナ?』

( ゚∋゚)『何となくそう見えました』

 我ながら馬鹿みたいな答えだと思った。
 ビーグルがクックルを見つめてくる。
 先生は黙考し、ビーグルの背を撫でてから、「そうなのか」と訊ねた。

▼・ェ・▼ ハゥ

 ビーグルは口を動かしたが、もちろん喋るわけもなく、また吐息のような返事をした。

 続けて、今度は本を押しやるのでクックルが拾う。
 小説だった。出版日は30年近く前。

( ´∀`)『ああ、僕も昔読んだことがあるモナ。
       娯楽小説だけれど、啓発的な内容もあって、それでベストセラーになってたモナ』

 なるほどたしかに「人生とは何ぞや」「幸せとは何ぞや」というような文章が多く、
 持ち主が感銘を受けたであろう箇所には印が書き込まれてあった。

 堅苦しい文章は好きではないので、クックルはすぐに本を閉じて先生に手渡した。
 ページをめくっていた先生が「おや」と声をあげる。

 とあるページの端が折られていた。
 そのページだけ、他より印が多い。
 特に重要だと言わんばかりに傍線が引かれているのは、

( ´∀`)『「傍に置いておくのに理想的な人間というものは」──』

 体が丈夫で、あまり頭を使わない者──概ね、そのようなことが書かれてある一文だった。

▼・ェ・▼ ワゥッ、ワゥッ

 賛同するように鳴き、ビーグルは再び札束を示した。

 こうなると、さすがに先生も「それ」を認めるしかないようだ。

( ´∀`)『……こういう人間を雇いに来たモナ? 家族を探すお供に?』

▼・ェ・▼ アオン

 このときもやはり、クックルには、ビーグルが頷いたように見えた。






( ゚∋゚)「──まあ、そんな流れで」

 クックルが、私に雇われるに至った経緯を語り終えた。
 昼間から酒なんぞを飲んでいたロマネスクが鼻で笑う。

( ФωФ)「貴様らの先生とやらも、随分とトチ狂っているようであるな」

 クックル、クール、デミタスの3人が同時にロマネスクを睨んだ。
 大層鋭い殺気に、反射的に私の毛が逆立つ。

 ロマネスクは椅子から跳ね上がり、素早くテーブルの下に隠れた。
 奇しくもペニサスの足元に座っていた私と正面から顔を合わせる形になった。

 先生への侮辱は、彼らにとっても最大の侮辱となる。
 道中にクックルから生い立ちを聞かされただけの私にすら分かることだというのに。
 愚かな。

▼・ェ・▼ フッ

(#ФωФ)「なっ、あっ、貴様! 犬! 笑ったか今!」

川 ゚ -゚)「話を聞く分には、先生やお前の判断はおおよそ間違ってないと思うぞ」

(´・_ゝ・`)「ああ。ちょっとそんじょそこらの犬より賢そうだな、その犬。
        まず人間の言葉を大体わかってるみたいだし」

( ゚∋゚)「やっぱりそうか。犬って皆こんなもんなのかと不安だった」

 クックルの声は凄みのある低音なのだが、時折、脳味噌の軽さが投影されたような声が出る。
 そういうときは概ね、それに見合った頭の悪そうな発言がなされる。

川 ゚ -゚)「金で人を雇うって概念を理解してたんだよな。それってかなり凄くないか?」

(´・_ゝ・`)「もしかして、その持ち歩いてた本ってのもそいつの愛読書だったりしてな。
        気に入った箇所にペンで印つけて」

( ゚∋゚)「いや、ペンとか持つことは出来ないみたいだから、それは違うと思う」

(´・_ゝ・`)「……冗談に本気のトーンで返すのやめて」

川 ゚ -゚)「ていうかペンさえ持てれば有り得るみたいな言い方」

 クックルが、旅を始めてからずっと預かってくれている肩掛け鞄を見下ろす。

 子供向けの鞄ゆえ、クックルの肩に掛けると不格好になる。なので片手で持ち歩いていた。
 それまでは私が口にくわえて引きずっていたため、ベルトに歯形があったり角が磨り減ったりしてしまっている。
 札束やら本やらが入っていた分、小型犬の私には重たかったのだ。

川 ゚ -゚)「下手するとクックルより賢いんじゃないか」

( ゚∋゚)「だと思う」

(´・_ゝ・`)「認めるのかあ」

('、`*川「えらいのねビーグルちゃん」

▼・ェ・▼ オンッ

 私を抱え上げ、ペニサスは私の頭を撫でた。
 膝の上で腹を見せてやる。腹を撫でるペニサスは楽しそうだ。

 腹から顎に手が移った。
 ダークブラウンの、自慢の首輪をペニサスの爪が軽く引っ掻いた。
 それから喉を擽る。

▼*・ェ・▼ キューン

('、`*川「よしよし」

(´・_ゝ・`)「……」

 それをじっと眺めていたデミタスが、喉を鳴らして顔を背けた。
 どうしたとクックルが問えば、

(´・_ゝ・`)「最近どうにも、首輪を見ると興奮する」

 と小声で返していた。
 ペニサスには聞こえぬ声量だが、私には聞こえた。犬なので。
 何やら気色の悪い人間と仲がいいのだなと、少々クックルを不憫に思った。

川 ゚ -゚)「本当に、あの町で何があったんだお前は……」

 クールもまた囁くようにして、デミタスを横目で見る。

 と、ほぼ同時にクックルとクールが手元のカップを持ち上げた。
 独特な香りのお茶。ここらの地域では親しまれているようだが、
 デミタスやらロマネスクやらは、鼻白むような顔付きでそれを見ている。

(´・_ゝ・`)「クール、2杯目だよな。それ美味いか……?」

川 ゚ -゚)「私は好きだ」

( ゚∋゚)「美味いと思う。東の街で初めて飲んだが、
     気に入ったからずっと水筒で持ち歩いてるぞ」

川 ゚ -゚)「水筒かあ。いいな、ここを離れる前に私も買っておくかな」

('、`*川「癖が強くて私は苦手です」

( ФωФ)「野蛮な輩は野蛮な味を好むのである」

川 ゚ -゚)「なんだとコラ」

 今度はこの地域の住人を馬鹿にするか、ロマネスク。
 いやはや恐れ入る。

 というかそろそろテーブルの下から出たまえ。







( ゚∋゚)「──おとなしくしてるんだぞ」

▼・ェ・▼ バフッ

 言われるまでもない。

 宿屋の立て看板と私の首輪を長めのロープで繋ぎ、
 クックルは惰性的な注意を口にした。
 これまでに一度でも、私が騒ぎ立てたり迷惑行為に及んだりしたことがあったか、よくよく考えてみてほしい。

 とはいえ、檻に入っていない動物は歓迎されない傾向にある。
 今まで訪れてきた宿の大半でも「犬を外に繋いでおけ」と言われた。
 客商売だ。仕方がない。

( ゚∋゚)「これ晩飯な」

 クックルは縁の欠けた皿を私の前に置いた。
 宿屋の主人から譲り受けた野菜の切れ端と、肉片の残った骨が乗っている。

( ゚∋゚)「皿は後で取りに来るから」

▼・ェ・▼ ァオン

 クックルが宿に引っ込み、私はゆっくりと食事を始めた。
 美味とは言えないが、まあ、こんなものだろう。
 骨から肉を削ぎ落とすのは些か苦労したものの、平素は肉を与えられること自体が稀なので、やや嬉しかったのも事実。

('、`*川「あ、ビーグルちゃん」

▼・ェ・▼ クン?

 声に顔を上げれば、ペニサスとデミタス、さらにその後ろにクールとロマネスクがいた。
 彼らが近付いてくる匂いにも音にも気付かぬほど食事に夢中になっていたのが、少々恥ずかしい。

('ー`*川「ご飯食べてるのねえ。美味しい? よしよし」

(´・_ゝ・`)「クックルもこの宿にしたのか」

( ФωФ)「入口に野蛮な犬畜生を放置するとは、この宿には期待できんな。
       クール、別の宿にするである」

川 ゚ -゚)「ここ以外だと、あとはもう小汚い安宿しかないぞ?」

(#ФωФ)「ったく、碌な町ではないな!」

 大声で文句を言いながら宿に入っていく度胸は認めよう。
 クールが疲弊した顔付きでロマネスクに続く。

(´・_ゝ・`)「お嬢様、私達も入りましょう」

('、`*川「もうちょっと撫でたいわ」

(´・_ゝ・`)「代わりに私を撫でていいですから。
        さあ、外は寒くなってきました。風邪を引いてしまいます」

 何を言っているのやら。
 今の台詞の前半部分も大概わけが分からない(というか薄気味悪い)が、
 それよりも後半が気になった。

 私の体感でいえば、気温はそれほど低くない。
 暖かいとまでは言わなくとも、人間が肌寒さを感じるほどでもない筈だ。







('、`*川「ん……そうね。冷えてきたわ。
     でも、デミタスを撫でてもそんなに楽しくないと思うの……」

 ぶるりと身震いしてペニサスが小首を傾げる。
 解せない。彼らが特別寒さに弱いだけか。

 私はペニサスの顔を見上げた。
 私の視力は他の犬のそれよりかは幾分発達しているが、それでも色覚は鈍い。
 ペニサスの顔色を上手く掴めない。

 声は、昼に会ったときよりやや掠れている気がする。

▼・ェ・▼(彼らは既に風邪を引いてしまっているのかもしれない)

 早く宿に入った方が良かろう。
 ペニサスの脚を、頭でぐいぐい押した。

(´・_ゝ・`)「ほら、ビーグル……も早く入れと言っています」

 あ、今、敬称を付けるか迷ったな。
 犬とはいえ仲間の雇い主だものな。

 デミタスの再三の催促に、ペニサスが渋々立ち上がる。

('、`*川「ビーグルちゃん、また明日ね」

 明日。明日か。明日も構ってくれるのか。それはありがたい。
 何時間後のことかは、知らないが。

 2人が宿へ消えた数分後に私は食事を終えた。
 見計らったかのように現れたクックルが皿を回収し、忘れて悪かった、と今度は水の入った器を置いていく。

( ゚∋゚)「おやすみビーグル」

▼・ェ・▼ フゥン

 それではまた数時間後にな、クックル。よい夢を。

 することもないので、地面に伏せて道行く人々を眺める。
 たまに私を撫でていく者もいれば、こっそりと間食を置いていく者もいる。

 が、夜も更けてくると人通りはなくなってしまった。
 しんと静まり返る中、ふと、鼻を擽る匂いに気付く。

▼・ェ・▼(最近よく嗅ぐ香りだ)

 然して強くない。風向きが変わり、私の鼻から遠ざかる。
 これといって好きでも嫌いでもない匂いなので、どうでもいい。

 また別のことへ意識を向ける。
 ペニサスとデミタスの体調は如何ほどだろう。
 あれだけで済めばいいのだが。

 その内に眠たくなってきたので、目を閉じた。

▼-ェ・▼(……ん)

 ──声がした。

 美しい声で紡がれる旋律。
 これは──子守唄か。

 宿の中から聞こえる。恐らくクールの歌声。上手いものだ。

 その波浪に身を委ね、私は穏やかな気持ちで眠りへ落ちていった。





 間もなくロマネスクのいびきに起こされた。
 睡眠を邪魔されるのが一番嫌いだ。私に今少しでも野性があったなら噛み殺していたかもしれない。









『ビーグル』

『いいかい、おもちゃを3つ投げるから、四角いものだけ持っておいで』

『──よし、いいぞビーグル! その調子だ』





『ビーグル、足し算は出来るかしら。鳴き声の回数で答えてね。4と5を合わせるといくつ?』

『正解よ! じゃあ6と2は?』

『それも正解。素晴らしいわ!』





『お父さんお母さん、ビーグルとお外で遊んできていい?』

『やった! 行こうビーグル』

『すごいね、ビーグルは頭がいいね。うちの自慢だってお父さんが言ってたよ』


『あ、もう帰らなきゃ……』

『また明日遊ぼうね、ビーグル』





▼・ェ・▼

 気付けば朝だった。
 ロマネスクのせいで眠れやしないと思っていたが、まあ慣れたらしい。

 夢の名残に囚われる頭を左右に振って、完全に目を覚ます。

( ゚∋゚)「起きてたか」

 クックルが朝食を持ってやって来た。
 私の分と、クックルの分。
 私の方は夕餉のメニューと大差ない。クックルは何の変哲もないサンドイッチだ。

 私の隣に座り、クックルが食事を始める。かと思えばすぐに食べ終えていた。早食いは良くない。

 しばし、2人(正確に言うならば1人と一匹)でぼうっとする。
 いつ出発しようかな。それほど急ぐ旅でなし、少しゆっくりしていくか。

川 ゚ -゚)「──クックル」

( ゚∋゚)「お、クール。おはよう」

 不意に宿屋から出てきたクールが、クックルを見て安堵したように息をついた。
 どうしたのだろう?

川 ゚ -゚)「体調はどうだ? どこか悪いところはないか?」

( ゚∋゚)「特にないが」

▼・ェ・▼(頭は悪いと思うのだが)

 下らぬ冗談が脳裏を過ぎって、我ながら辟易した。ユーモアというやつは難しい。

( ゚∋゚)「どうかしたのか?」

川 ゚ -゚)「ロマネスクと、ペニサスさんとデミタスが熱を出した」

▼・ェ・▼(やあ、やはり風邪だったか)

 所見では、この町に病院は無さそうだった。
 医者にかかるとなると別の町まで移動しなければならない。
 だが風邪ならば何とかなるだろう、彼らも基本的な薬は持ち歩いている筈だし。

 そんな私の思考とは裏腹に、クールは深刻そうな顔で続けた。

川 ゚ -゚)「他の宿泊客も何人か同じ症状を訴えている。
     熱と、喉の痛みと、たまに嘔吐──」

( ゚∋゚)「風邪じゃないのか?」

川 ゚ -゚)「咳は出てない」

 クールの声からは戸惑いが窺える。
 咳が出なくとも風邪は風邪だ。必ずしも咳や発熱等がセットになっているわけではない。

 と思いきや、風邪ではないと確信するだけの根拠が別のところにあったようだ。

川 ゚ -゚)「体の一部に黄色の斑点が出てるんだ。黄疸みたいな。
     色は薄いし、出る場所も人によって違うみたいだが……」

( ゚∋゚)「うーん……?」

▼・ェ・▼ ワゥン?

 クックルなりに考えているようだが、彼には正答など浮かばないだろう。
 そもそも黄疸を理解しているかも怪しいところ。
 案の定10秒ほど後に「分からん」と正直に呟いた。

 だがクールの話はそこで終わりではなかった。
 深刻そうな顔で言葉を続ける。

川 ゚ -゚)「……困ったことに、私達が疑われている」

 それとほぼ同時に宿屋からまた誰かが飛び出してきた。
 こちらを睨みつけている。目は吊り上がり、いかにも怒っている様子。
 彼はたしか──この宿の主人だ。

<_フ#゚-゚)フ「おい、さっさと部屋で寝てる奴ら連れて出ていってくれ!」

 おお、開口一番、結構なことだな。

( ゚∋゚)「うん?」

<_フ#゚-゚)フ「あっ、そこのデカいあんたもこの女の仲間だったよな? 出てけ!
        これ以上うちで病気まき散らされちゃ困るんだよ、ほら早く!」

 ああ、そういうことか。
 ほんの十数時間前に町へ入ってきた我々が病原菌を運んできた、と。
 言い掛かりと言えなくもない。

川 ゚ -゚)「待ってくれ、あんな病人を下手に動かせない。
     荷物があるから運ぶのだって容易じゃないし──」

( ゚∋゚)「医者はいないのか?」

<_フ#゚-゚)フ「西の町と東の町にはいるけど、ここにはいないよ。
        さっき、西の方の医者を呼びに行かせた。あんたらの仲間は東に運べ!」

川 ゚ -゚)「どっちの町もかなり離れてるじゃないか。運んでいくにも時間がかかる。
     西から医者が来るのなら、私達もここで待たせてくれたっていいだろ」

<_フ#゚-゚)フ「呼びに行って連れてくるのに数日かかるんだぞ!
        その間に病人を増やさせてたまるか!」

▼・ェ・▼(医者がいない町はこれだからな)

 この時代、医師は貴重な存在だ。
 全ての町に行き渡らせることなど出来ない。

 だから病院や医者が存在しない町も非常に多い。
 住人の誰か一人でも医学の知識を持っているならばいいが、全員が全くの無知であった場合は始末に負えない。
 身近な病への対処は知っていても、こういうイレギュラーがあると途端に無茶を言う。

 何かしらの感染症にかかっただけで、罹患者を殺して焼いて埋めてしまうところもあるという。
 それに比べればこの主人殿はまだマシだろうが、それでもまあ、宜しくはない。

川;゚ -゚)「ちょっと聞いてくれ、なあ。そもそも私達が原因だと決め付けられても──」

<_フ#゚-゚)フ「他の客は、最低でも2週間以上前から滞在してるんだ。今まで何もなかった。
        なのにあんたらが来た途端こんなことになったんだから、原因は明らかだろ!」

▼・ェ・▼(短絡的すぎる)

 その程度なら、潜伏期間としてはザラにある。

 一方で、我々が町に入ってからまだ24時間も経っていない。
 さらに言えば宿に入ったのなど夜だ。12時間経過しているかいないかといったところ。

 仮に我々から感染したとすると、潜伏期間が非常に短いな?
 なのに、我々はそんな病原体を保持しておきながら一見健康体のまま宿に泊まり、
 そして他の宿泊客と全く同じタイミングで発症したと?

 ついでに君は「感染者を増やしたくないから町を出ろ」と言うが、
 我々を追い出しても、他の客──罹患者はここに残すつもりだろう。
 それでは結局、彼らからまた誰かが感染させられるのではないか。

 まず人から人へ感染するかも怪しい段階ではないのか?

 主人殿、君は焦りすぎている。
 恐いのは分かる。未知の脅威に怯えるのは仕方のないことだ。
 原因(と思っている)我々を遠ざけたくなるのも、心理としては当たり前。
 しかし対処は慎重に考えなければなるまいよ。

▼・ェ・▼(獣の身が憎い)

 ああ、私が人の言葉で話すことが出来たなら。

 幸いにしてクールが私の言いたいことを粗方言ってくれたが、完全ではなかった。
 クールもあまり、こういった方面には明るくないらしい。
 誰か医学を齧っている人間がいないものか。

 私はクックルの靴を前足で叩き、彼を見上げた。
 ああ決してクックルに知識を期待しているわけではない。悪しからず。

▼・ェ・▼ フンッ

( ゚∋゚)「……」

 クックルは私の顔をじっと見つめ、「ううん」と唸った。

( ゚∋゚)「生憎、俺もクールもデミタスも、病気のことはあまり勉強しなかった。
     横堀って奴はそこそこ詳しかったと思うんだがなあ……」

 そうか。では、言葉で主人殿を納得させることは難しいわけだ。

 ならば、最終手段に出るしかあるまい。
 これは君に期待する、クックル。

▼#・ェ・▼ シャーッ フシャーッ

 声は出さず、牙を剥いて主人殿とクックルを交互に見る。
 私なりに精一杯の「恐い顔」だ。
 主人殿はクールと言い合っているので気付いていない。

 クックルはしばらく難しい顔をして、ようやく理解したか、「嫌だなあ」と呟いた。
 嫌がっている場合ではなかろうよ。

▼・ェ・▼(雇い主の命令だぞ)

 そんな気持ちを瞳に込めると、クックルは観念した様子で一歩出た。
 クールを脇にやり、主人殿と相対する。
 クックルの巨躯に主人殿が怯んだ。いいぞ。

 持ち前の強面を更に厳めしくさせ、クックルが主人殿の胸ぐらを掴み上げた。
 おお、主人殿の足が地面から離れたぞ。

( ゚∋゚)「ごちゃごちゃ言うな。とにかくこっちだって困ってんだ。
     俺らのせいかどうかは知らんが、苦しんでる病人を追い出せってのは酷くないか」

<_フ;゚-゚)フ「ひっ! な、ちょ、離っ、」

( ゚∋゚)「なあ。なあ?」

<_フ;゚-゚)フ「分かっ……わ、分かった、分かったからっ! 下ろせっ、下ろしてえっ」

 胸ぐらを掴むのとは逆の手で拳を作った途端、主人殿は泣きそうな声をあげて頷いた。
 うむ。素晴らしいよクックル、君の体格も顔付きも、こういうことには打ってつけだ。

川 ゚ -゚)「……クックルはああいうことをする奴じゃないんだが……」

 クールが低く囁き、私を一瞥する。

 ああ、クックルは割合におとなしい性格だとも。私だって乱暴なことは好かない。
 しかし時には、やむを得ない場面だってあると思うのだ。そうだろう、クール君。
 とりわけ人間同士でありながら、言葉も通じなさそうなときには。






 宿泊客と従業員は宿から出さないようにする。罹患者も、まだ健康な者も。
 感染経路が分からない以上、下手に外へ出してはならない。

 発症している者と健康な者は部屋を離す。
 もしも新たな発症者が出れば、ふさわしい部屋に移す。
 看病はこれまでに客との接触が特に多かった従業員が行う。

 今回のことは町中に知らせる。
 他の住民は宿に近付かないようにとも言い付ける。
 手洗い等は念入りに。

 ──これらの事項は、誰が言い出すでもなく従業員が自主的に決めてくれたので助かった。


.

 昼を回った。
 今のところ、他に発症した者はいないらしい。

▼・ェ・▼ キュー

( ゚∋゚)「……暇だなあ」

 宿屋の広間。
 私とクックルは隅に座って、ぼけっとしていた。

 我々が感染源である疑いはまだ晴れていないらしく、他の客に近付くことを許されなかった。
 発症者の中でも、ロマネスク達3人だけは地下の物置部屋に寝かされているという。
 クール1人で看病をしているのだろう。可哀想に。

▼・ェ・▼(……高熱、喉の痛み、嘔吐……ペニサス達は、宿の前で寒気も訴えていたな)

 そして黄色の斑点、か。

 何の病だ?
 熱とは具体的に何度だ。咽頭の腫れは? 嘔吐の頻度は。食欲はあるのか?

▼・ェ・▼(斑点はクールの言ったとおり黄疸だろうか。白目の部分も黄色くなっていれば確実だが。
     どうなっているのか確かめたいな……)

 いくつかの病名が頭に浮かぶが、これと特定することが出来ない。

 ──そもそも現時点で医学的に認知されている病なのかどうかも分からないのだ。

 戦争、そして天災で、環境は大きく変わってしまった。
 そのうえ恐ろしい数の人間や動物が死んでしまったため、
 多くの地域では死体や廃棄物の処理も追いついていないのが現状だ。

 衛生に関して言えば、一部の地域を除いて、水準はかなり低い。

 そんな状況では新たな病が生まれてしまう。
 戦前までは存在しなかった病。現時点で治療法が分からない病──

▼・ェ・▼(今回の病気も、新種の病原体などであれば厄介だ)

 朝は否定したが、実のところ、我々が病原体を持ってきてしまった可能性だって決してゼロではないのだ。

 体質等によって、発症までにかかる時間が変わることは有り得る。
 本来ならば他の客のように12時間程度で発症するものであったが、
 ロマネスク達はたまたま潜伏期間が長時間に渡ったとか──

 あるいは。ロマネスク達が持っていた細菌をAとし、他の客が別の細菌Bを持っていたとしよう。
 彼らが接触したことにより細菌Aと細菌Bが行き交い、
 それにより初めて人体に有害となる病原体が完成したという可能性も。この可能性は高い気がする。

 いやしかし。
 彼らが宿に入ったのは夜だ。他人とそれほど触れ合う機会があっただろうか。

▼・ェ・▼ ウー

 宿以外から病人が出たという報告は無いらしい。
 まだそれほど時間が経っていないから決めつけるのは早計だが、
 仮定、あくまで仮定として、この宿でのみ発病しているとしよう。

 発症したのはロマネスク、ペニサス、デミタス。他は名も知らぬ宿泊客数人。
 それ以外の客と、主人殿含めた従業員は皆健康体そのものだ。

▼・ェ・▼(ペニサスとデミタスの件からして、初期症状は悪寒か?
     今のところ無事である者は寒気も感じていなさそうだ)

 時々広間の近くを通る従業員や客は、涼しげな服装で平気な顔をしている。

 再度断っておくが、決めつけが良くないのは分かっている。
 だからここでも仮定。現在発症していない者は、そもそも感染していないものとする。


   <_フ#゚ー゚)フ『他の客は、最低でも2週間以上前から滞在してるんだ』──


 滞在、ということは。
 宿泊客はみんな他所者か?
 我々のように旅をしている?

 あ、待てよ。客に比べれば、従業員の方がロマネスクらと接触する機会が多かった筈。
 なのに従業員全員が無事ということは──

▼・ェ・▼(人から人へ感染するのではなく、
     どこかの土地から病原体を拾ってきてしまったのではないか?)

 だからこの町の住人である従業員は発症しない。
 健康な客は、感染源となる土地を通っていないから無事なのだ。
 この可能性もまた高い。

 では、発症にかかる時間はどう見ようか。

 宿泊客はいずれも336時間以上ここにいる。
 一方、ロマネスク達は約24時間前(宿に限定するならば約12時間前)に来たばかり。
 しかし発症の時期が同じ──

▼・ェ・▼(……彼らは、ほぼ同じ時期に感染地を通ったのかもしれない)

 恐らく他の感染者は、馬車か何かを使って、感染地から真っ直ぐこの町に来た。

 ロマネスクとペニサスは観光好きだと聞いている。
 ならば散々寄り道をし、時間をかけて移動してきたのだろう。

 で、あれば。この町に到着した時期が違うだけであって、
 感染した時期も、発症のタイミングも、大して変わりないのでは?

 感染地が、たとえば列車の中継地のような、
 同時刻に不特定多数が行き来する町であったなら、この偶然は起こり得る。

 ──ここまで考えて、私は嘆息した。
 仮定だ。たしかめる術もない。

▼・ェ・▼ ジーッ

( ゚∋゚)「?」

 ためしにクックルを凝視し、上記の旨を確認したいと訴えたが、
 さすがにそれほど細かい事情までは汲んでくれなかった。

( ゚∋゚)「難しいこと考えてそうだなあ」

▼・ェ・▼(そこまで分かっているなら、もう少し踏み込んできてほしい)

 まあ無理な相談であるのは重々承知している。

 私の背を撫でていたクックルが、「腹減ってないか」と訊ねてきた。
 どちらかというと、彼の方が腹を空かせたから訊いてきただけだろう。

( ゚∋゚)「昼飯もらってくる」

▼・ェ・▼ キュウ

 果たして食料を分けてもらえるものだろうか。
 さすがに何か食わせてくれるくらいの慈悲は、彼らにもあると思いたい。

▼-ェ-▼ ハァ

 目を閉じる。疲れた。
 ここで感染源がどうこうなどと考えても無駄だ。
 問題はこれからのこと。医者が来るまで、早くても48時間かかるそうだ。

 この病は命に関わるのか否か。
 完治──までは望まなくとも、症状を和らげる術はないのか。
 考えるべきは、それである。

 ──馴染みのない匂いが近付いてきた。
 目を開ければ、私の眼前に2人の男女が立っている。

「……今日の内に出発しないと、列車に間に合わないのに……」

 ぶつぶつと何か呟いている。彼らは病気にはかかっていないようだ。

 長々と漏らしていた情報を総合するに、どうやら男女は兄妹のようで、
 遠く離れた地に暮らす姉(戦争か天災で生き別れたのだろうか)の結婚式へ向かっていたらしい。
 東の町に列車が停まる時期まで、この地で時間を潰していたと。

 ならば東の町で列車を待っていれば良かったのに──などと言うなかれ。
 ここの宿の方が安かったのだろう。駅のある町は発展している場合が多く、物価も上がりがちだから。

 姉を想う彼らの気持ちはよく分かる。
 罹患していないにもかかわらず、この騒ぎで宿に足止めされてしまったのが悔しいのもよく分かる。

 しかし。
 何故それを私に言う。

 何故、鉄製の棒きれを持っている。

▼;・ェ・▼ …ワゥ…

 ──何故とは訊いたが、実のところ、君達の思考がどんな道を辿ったかも大体分かる。

 君達も我々が原因だと思っているのだろう。
 けれどクックルに文句をつけるのは恐い。クール達は地下に篭っている。

 だから私に怒りをぶつけたいのだな。

▼;・ェ・▼(……って、堪ったものじゃないぞ!)

▼;・ェ・▼ バウッ! バウッ!

 兄の方が棒を振りかざす。
 避ければいい。あんな大振りなら、小型犬である私が動き回れば当たりにくい。

 けれども。
 私の身が竦んでしまった。
 恐怖が私の体を満たした。

▼; ェ ▼ ……ッ!



 手が。

 振り上げた手が。下ろされる。
 きっと痛い。痛い。痛い。恐い。恐い──



 ──しかし、予期した痛みはいつまで経っても降ってこなかった。
 知らず知らず瞑っていた目を開けてみると、

( ゚∋゚)「何してる」

 クックルが、2人を押さえつけていた。

 ああ、すまないクックル。
 せっかくの食事を床に落としてまで止めてくれたのか。
 勿体ないことをした。私は獣らしく床に落ちたものでも食おう。しかし君はそうはいかない。すまない。

 クックルは主人殿にしたように彼らを脅しつけ、部屋へ戻した。
 それでいい。身体に痛みを与えるような暴力はいけない。

( ゚∋゚)「大丈夫か?」

 それからクックルは、私の背を撫でた。
 君のおかげで体は無事だ。心配いらない。

▼・ェ・▼ …キュゥン…

 けれども全身の震えはなかなか収まらなかった。
 一向に恐怖が抜けない。

( ゚∋゚)「……クール達の様子を見に行くか」

 その言葉で、ようやく気分が少し変わった。
 病人の様子を見られる。

 私の機嫌が持ち直したのを察したクックルは、私を撫でていた手を離し、
 落とした食事を片付けてから地下へ向かった。
 結局食べてやれなかった。重ね重ね申し訳ない。







(。ФωФ)「我輩は死ぬ……こんな汚い町の汚い宿屋の汚い地下で死んでしまうのであるぅうう……」

 病むとひどく気弱になる人種がいる。
 ロマネスクがそうであるらしい。

 めそめそ泣きながら、寝台の横に座るクールにしがみついている。みっともない。

川 ゚ -゚)「ビーグルに笑われるぞ」

(;ФωФ)「ふぎゃっ!? いつの間に犬が! 出ていけ、不潔である! 病が進行するゥ!」
  _,
▼・ェ・▼ グルゥ

 一応、必死にクックルへ意思表示をして風呂に入れてもらってきたのだが。
 どのみち、この場所では清潔さなど求めるだけ無駄だ。

 しかしまあ、叫ぶだけの元気はあるか。良いことだ、声はひどく掠れているけれど。

( ゚∋゚)「すまん、俺達も上にはいない方がいいみたいでな」

川 ゚ -゚)「気にするな。……そうだ、看病を手伝ってくれると嬉しい。
     ロマネスクの体を拭いてやってくれ」

(;ФωФ)「こんな巨人に人間の体拭けるぐらいの力加減が出来るわけなかろう!
       死んじゃう! ただでさえ弱ってる我輩死んじゃううう」

川 ゚ -゚)「弱ってるように見えないから安心しろ。──私は食事をもらってくるよ」

( ゚∋゚)「あ、結構距離あけてから声かけないと逃げられるぞ」

川 ゚ -゚)「仕方ないとはいえ腹立たしいな」

 クールが地下と地上を繋ぐ階段を上がっていく。
 それを見送ったクックルは嫌がるロマネスクを強引に剥いで、濡れタオルで腕から拭き始めた。
 見ていて楽しい光景ではない。

▼・ェ・▼ クゥン…

 私は切ない声をあげつつ目を逸らした。

 地下は、寝台を3つ並べるのがやっとといった狭さ。
 元々ここに収まっていたと思しき備品は、階段を上がった先の脇に寄せられている。

 天井から下がっているランプの明かりがあるとはいえ、やはり薄暗い。
 もちろん窓はなく、換気は難しそうだ。
 薄い毛布に埃っぽい空気。こんな場所でただ寝かされているだけでは、悪化する一方に思える。

(´・_ゝ・`)「お嬢様、お嬢様、苦しいですか? 苦しいんですか? お辛いですか? お可哀想に、お嬢様お可哀想に」

 何やら気持ち悪い男がいるなと思ったらデミタスだった。

 自分も熱があるくせに、彼は寝台から身を乗り出して
 すぐ隣の寝台に横たわるペニサスの世話をしている。
 甲斐甲斐しく手のひらで汗を拭ってやったり、襟元を緩めてやったり。

 その姿自体はいじらしいというか護衛らしく献身的と言えるが、
 なぜ恍惚としたような表情なのだろう。
 息が荒いのは熱のせいだと思いたい。

 ペニサスは彼と2人で旅をしていて大丈夫なのか。
 考え直すべきではないか。本人も了承済みであるなら、いいのだけれど。

▼・ェ・▼ ガゥッ!

 とにかくデミタスもおとなしく寝るべきだ。病人なのだから。

 私が2人の寝台の間で吠えると、デミタスは自分の布団に引っ込んだ。
 舌打ちしたのは聞こえているぞ。
 それとロマネスク、君は関係ないのだから悲鳴をあげるな。

('、`*川「……ビーグルちゃん……?」

 ペニサスは意識を遠くへやっていたようで、たったいま私に気付いたらしかった。
 ああ、良い良い、そのまま寝ていたまえ。

(´・_ゝ・`)「あっ、おい」

('、`*川「来てくれたの……」

 飛び上がった私が寝台の縁に前足を引っ掛けて彼女を覗き込むと、
 デミタスからは咎めるような声、ペニサスからは頭を撫でる左手を寄越された。

('、`*川「ビーグルちゃんは、お体、大丈夫……?」

 私は平気だ。君は自分のことを気にしていればいい。

 それにしても声が酷くか細いな。
 喋るのも辛いように見える。

▼・ェ・▼(──ん?)

 おや。何やら、目の色がおかしくないか?

 先に述べた通り、私は犬であるがゆえ色の識別は苦手だ。
 だが、前に見たペニサスの目と明らかに違うのは分かる。
 おかしいのは白目の部分。

 観察していると、デミタスの手で床へ下ろされた。
 その際に確認してみれば彼の目も同じ具合であった。

▼・ェ・▼(ではロマネスクも?)

 文句を垂れながら体を拭かれているロマネスクに近寄る。
 やはり、そちらにも異変が見られた。これは何の色だ?

▼・ェ・▼ アォンッ

(;ФωФ)「ぎええっ!」

 寝台に半ばぶら下がっている姿勢から、私は勢いをつけて敷布に乗り上げた。
 ロマネスクがまたぎゃあぎゃあ騒いでいるが、それに構ってやる暇はない。
 身をよじるロマネスクの周りをうろうろし、クックルの顔を見上げる。

▼・ェ・▼ オン、オンッ

 彼の状態を説明してほしい。
 私だけで診断するのは難しい。

 何度も前足でロマネスクを指しながら鳴いてみせると、
 クックルはいつものように、私の要望を解してくれた。

( ゚∋゚)「口で言えばいいのか?」

 素晴らしいよ、クックル。

 ──と同時にクールが戻ってきた。
 果物とナイフ、人数分の食器を持っている。

川 ゚ -゚)「果物なら食べられるかと思って」

 ありがとうと礼を言うデミタスにクールが頷く。
 それから彼女は椅子に座って、りんごの皮を剥き始めた。
 寝込む雇い主の布団に犬が上がり込んでいることは完全に無視か。立派な護衛だ。

 喉への負担を考えて、りんごを剥き終えたらなるべく小さく切ってやってほしい。
 まあ彼女なら、言われずともそのようにしてくれそうだが。
 ああ、そうだ喉。喉の状態も知りたい。

(;ФωФ)「クールううう……犬をどかしてくれえ……」

川 ゚ -゚)「なんて情けない声出すんだお前……すまんビーグル、どいてやってくれ」

( ゚∋゚)「待ってくれ、ビーグルが病人の様子を知りたいらしい」

川 ゚ -゚)「……は?」

 クールが顔を上げ、ペニサスが横目でこちらを見、デミタスが上半身を起こした。ロマネスクは顰めっ面。

 まあ咎める者はいないようだし、始めさせてもらおうか。

▼・ェ・▼ アウ

 まずロマネスクの口を前足で示した。
 それから喉元。

 クックルは無言で頷き、やや力ずくでロマネスクの口を大きく開かせた。
 反射だろうか、クールが立ち上がりかける。

(;ФωФ)「あがっ」

( ゚∋゚)「暗いな」

 ランプの光量が多い位置にロマネスクの頭をずらし、クックルが口内を睨む。
 ロマネスクは緊張か何かで指先まで伸びきっている。

 全員の視線がこちらに注がれる中、沈黙が広がった。
 しばらくしてクックルが顔を上げる。

( ゚∋゚)「まずい」

(;ФωФ)「ひえっ!?」

川;゚ -゚)「そんなに悪いのか?」

( ゚∋゚)「通常時が分からないから比較できない」

 全員が脱力した。
 うん、そうだな、うん。クックル。クックル。

 溜め息をついたクールが腰を上げ、口を開かされたままのロマネスクを覗き込んだ。
 先ほど無駄に驚かされたのが効いたか、ロマネスクはめそめそしながらおとなしくしている。

 クールはフォークを取って、薄く平べったい持ち手の部分で舌を押さえた。
 医者のようだとクックルが感心してみせる。彼の素直な性分は嫌いではない。

川 ゚ -゚)「すごく腫れてる、ように見える。赤いな。
     ……舌や口内は、特におかしくはない……と思う」

▼・ェ・▼ キュゥ

 そうか。そこまで報告してくれて助かる。

 口はもういい。クールの手を軽く撫でて離させる。
 クールは、明らかに意思を持って触れた私に動揺の目を向け、一歩退いた。今更。

 さあクックル、あとは、君に分かる範囲での異常を教えてほしい。
 クックルに振り返ると、彼はようやくロマネスクの口を解放した。

( ゚∋゚)「朝にクールが言った通り、肌の所々が黄色っぽい。こことか、こことか……。
     あ、それと、目が真っ赤だ」

▼・ェ・▼ ワゥ…

川 ゚ -゚)「……クックルに話しに行ったときは、少し充血してるかなという程度だった。
     少ししてから悪化したんだ」

 充血か。
 喉の腫れ、高熱、目の充血、寒気……ああ、嘔吐もあるのだったか。たしかに臭いの名残はある。

▼・ェ・▼(咽頭結膜熱だろうか? 症状が酷似している)

 待った、では黄疸のごとき斑点は何だ?

 参ったな。病名が見えてこない。
 対策も見えてこない。

 思案に暮れる私を、向こうの寝台からデミタスが見つめてくる。
 あからさまに気味悪がる顔だ。

( ゚∋゚)「──そうだ、さっき腕を拭いてて気になったんだが」

 すっかり忘れていた様子で言って、クックルがロマネスクの右手を開かせた。
 ロマネスクはやはり、されるがままだ。君はずっとそうしているべきだと思う。

( ゚∋゚)「手のひらが所々赤いんだ。全体じゃなく、指の付け根とかが……」

川 ゚ -゚)「あ、本当だ。まだらだな」

 ──手のひら?

 何だ、何かあったぞ、そういう症状がある、何だったか、あれは。
 手のひらがまだらに赤い、ええと、たしか──そうだ。

▼・ェ・▼(手掌紅斑だ!)

 デミタスが自身の手に視線を移し、「俺もだ」と呟いた。
 ならば恐らくペニサスの手も同様だろう。

▼・ェ・▼(肝臓に影響が出ているのか?)

 なら、やはり黄色の斑点は黄疸ではなかろうか?
 黄疸も手掌紅斑も、肝機能に何らかの障害が生じている際によく見られる症状だ。

 その両方がこんなにはっきりと同時に現れるケースはよく知らないが、
 ともかく彼らの肝臓に何かが起きていると見ておこう。

 ならば──

▼・ェ・▼ ウォンッ!

川;゚ -゚)「わっ、何だ!?」

 私はクックルに呼び掛け、急いで階段を上った。
 少し遅れてクックルがついてくる。

 鼻をひくつかせ、目当ての香りを辿る。
 特に匂いの強い場所へ向かうと、ちょうど主人殿が「それ」を持って厨房へ向かうところだった。

▼・ェ・▼ ワゥン!

<_フ;゚ー゚)フ「うわ!!」

 主人殿に飛びつく。
 彼は仰天し、それから後を追ってきたクックルを見付けると、
 怒りと怯えが混ざったような複雑な表情を浮かべた。

 だが非常事態に陥っている宿屋の主人として最低限の注意はすべきと思ったのか、
 目を逸らしつつも、きちんと言うことは言ってのける。

<_プー゚)フ「……あんまりうろつかないでくれ。犬も繋いどいてくれないと困る」

 その通りだ。
 朝は酷い有り様だったが、落ち着いてさえいれば良識的な人なのだろう。
 私をここに置くことを許しているところを見ても、悪い人ではない。

 ただ私が言うのも何だが、この状況で犬が宿内を歩いていることについては
 もっとがっつり、ぶん殴る勢いで叱るべきだ。本当に私が言うことではないけれど。

( ゚∋゚)「すまない。でもビーグルは賢くておとなしいから大丈夫だ」

<_プー゚)フ「今まさに飛びつかれたんだけど……」

( ゚∋゚)「なら、飛びつく必要があったってことだな」

<_プー゚)フ「何言ってんだあんた」

▼・ェ・▼ ォンッ! アォン!

 真っ直ぐに主人殿を見つめ、私は吠えた。
 腹が減っているのかと主人殿が首を傾げる。たしかに空腹ではあるが、そうではない。

 クックルが私の視線を追う。それにつられて主人殿も、そちらを見た。

( ゚∋゚)「それが欲しいらしい」

<_プー゚)フ「……これえ?」

 心底納得のいかない顔で、主人殿は自分の右手──

 もとい、そこに握っている、乾燥された花を揺らした。







川 ゚ -゚)「シタラバナ……毒性は無いな」

 植物図鑑と左手の花を見比べ、クールが呟く。
 さすがに彼女は慎重だ。
 顔馴染みであるクックルが持ってきたものでも警戒を怠らない。

 ちなみに図鑑は彼女の私物らしい。旅をしている手前、何があるか分からないものな。

▼・ェ・▼ フンッ

 やや癖のある香気が、地下室の中をふんわりと漂っている。
 私が(正確にはクックルが)主人殿から分けてもらった「シタラバナ」の香りだ。

 ここらの地域で多く見られる、白くて小振りな愛らしい花である。
 私が夜に嗅いだのも、この花の匂いだった。なんでも、宿の裏手で栽培されているとか。

('、`*川「ビーグルちゃん、お見舞いのお花持ってきてくれたの?」

(´・_ゝ・`)「はは、お嬢様。可愛らしいことを仰る」

 と言いつつ小馬鹿にするような目をペニサスに向けているぞ、デミタス。
 だが声色は本当に愛おしむような響きだ。随分と複雑なヘキを持っているようだな君は。

( ゚∋゚)「ビーグルのことだから、何か考えがあって欲しがったんだと思う」

( ФωФ)「何を馬鹿な」

川 ゚ -゚)「うーん……ん」

 クールがページの下部に目を留める。
 彼女は、それを読み上げるべく口を開いた。
 子守唄もそうだったが、朗読する声もまた美しい。

川 ゚ -゚)「『根、茎、葉をよく洗い、乾燥させた後に煎じて飲めば肝機能の改善、解熱の作用が』……」

(´・_ゝ・`)「薬草なのか?」

川 ゚ -゚)「うん……食用とも書いてある」

▼・ェ・▼ アゥ!


 ──シタラバナはキク科の花だ。ちなみに多年生。
 根と茎、葉の部分は薬になる。

 たとえば同じキク科のタンポポも肝臓病への薬効が認められているが、
 このシタラバナはタンポポのそれより効き目が強い。
 そして僅かではあるものの、解熱作用もある。

 ──これで皆の病が治るわけではないだろうが、
 少なくとも肝臓に異常が出ているのは確かなので、それだけでも症状を和らげることは出来る……筈だ。

川 ゚ -゚)「まさか、これを飲めって言ってるのか? ビーグルが?」

▼・ェ・▼ ゥン

( ゚∋゚)「そうらしい」

川;゚ -゚)「……らしいって言われても……。
     ──あれ? そういえば何でこの花、既に乾燥させてあるんだ?」

( ゚∋゚)「さあ」

 クールはしばらく黙考し、それから、シタラバナに顔を寄せた。
 さあ気付け、きっと分かる筈だ、クール。
 君なら分かる。

 私の祈りが通じたか、クールは、はっとした様子で顔を上げた。

川 ゚ -゚)「──お茶の匂いだ」

( ゚∋゚)「……あー。そうか、それだ。何か嗅いだ覚えがあると思った」

( ФωФ)「何のことである?」

川 ゚ -゚)「あのお茶と同じ匂いがする。お前らの口には合わなかったやつ」

 カフェテリアでクックル達が飲んでいた茶を思い出したか、ロマネスクは苦々しい顔をした。


 ──かの茶には、普通の茶葉の他にシタラバナの葉が混ぜ込まれていた。
 私は香りで気付いていたが、クックル達はあまり気にしていなかったらしい。
 ちなみに、香草のように肉や魚料理にも使われていた。


 シタラバナが身近に存在している地域であるため、
 食文化にも大きな関わりを持っているのだ。

 つまり町の住民は、薬草でもあるこの花を常飲・常食している。
 それ故この謎の病にかからない。
 よそ者である我々の内、茶を気に入っていたクックルとクールだけがぴんぴんしているのも恐らくそのためだ。

 他の罹患者も、茶や料理を好まなかったのではないだろうか?


 ──ここまで来ればクールにも推理は容易いらしく、
 上記の旨を、彼女が皆へ伝えてくれた。
 こういう形での説得は、クックルには出来ないことだ。彼女がいて良かった。

川 ゚ -゚)「現時点では確定とまでは言えないが、どのみち人体に害のある花じゃない。
     お茶は簡単に手に入るんだ、騙されたと思って試してみる価値はある」

 よし。よし、クール、完璧だ。
 従業員に交渉してくる、とクックルとクールは地上へ向かった。

 一通り私の望む方向へ話は進んだ。あとは実際に、効果が出てくれればいいのだが。

 安堵し床に伏せる私を、デミタスが奇異の目で見つめている。
 おとなしく寝ていたまえ。

(´・_ゝ・`)「……何なんだ、お前。絶対に普通の犬じゃないだろう」

▼・ェ・▼ クーン

 生まれてから今まで、私はずっと犬だよ、デミタス。
 悪い魔女によって犬にされてしまった人間であった方が、却って君には現実的に思えたかもしれないがね。


.


 ──少しして、クックル達が薬缶とカップ、茶を入れるための諸々の器具を持ってきた。

川 ゚ -゚)「宿の主人にも説明はしておいた。半信半疑って感じだったな。
     だが実際、病人のほとんどは今まで、シタラバナが使われた食事に手をつけてなかったらしい」

 半疑、で済んだのか。それは僥倖。

 ならば主人殿も、他の病人に同じ処置をとってくれるだろう。
 自分達にとって馴染み深い食生活を他者に勧めるだけなのだから、リスクは低い。

 ただし逆効果という最悪の事態になれば、我々への責任追及は免れないが。
 そのときはそのとき。

( ゚∋゚)「とりあえずお茶を淹れてみるから、みんな飲んでくれ。
     それと、後で茶粥を作ってもらえることになった」

(´・_ゝ・`)「……すこぶる口に合わないが、仕方ないな……」

('、`*川「お薬って、美味しくないものね」

 デミタスとペニサスが了承してくれた。
 物分かりが良くて非常に助かる。

 ──だというのに、

( ФωФ)「……いらん……」

 この男はこれである。

川 ゚ -゚)「お前なあ」

( ФωФ)「貴様ら、本当に犬畜生が医者の真似事をしてると思っているのであるか?
       クールもデカブツも自覚がないだけで、病にかかっているのだ。
       熱で頭が茹だっている。信じられん。そんな状態の人間が淹れる茶など飲めん。そもそも不味い」

川 ゚ -゚)「死ぬかもしれないんだぞ」

(。ФωФ)「我輩はきっと死ぬである……ここで死ぬ……罰が当たったのだ……」

川 ゚ -゚)「……罰とかいう概念があったのか、お前」

 そしてまためそめそと。重症だな。別の意味で。

 クールは茶を非常に濃く煮出して、冷ましたそれを強引にロマネスクの口に流し込んだ。
 合間に甘い果汁を口直しとして飲ませてからまたお茶を、と繰り返しているが、それは逆に辛いと思う。
 ロマネスクが暴れて喚くも(元気があるのかないのか分からないな)、クールに簡単に押さえ込まれている。

川 ゚ -゚)「罰が当たったっていうなら、これも罰だ。ほら飲め飲め」

 心なしか楽しそうだなクール。

 一方でデミタスとペニサスは、クックルの淹れた茶をおとなしく飲んでいた。
 今の内に多く淹れて冷ましておいた方が、後々飲みやすいかもしれないな。
 クックルに伝えておこう、私は喋られないけれど。仕草で何とか。







 お茶や茶粥を摂取させるようにして、およそ70時間後。
 病状は明らかに良くなっていった。

(´・_ゝ・`)「お嬢様、お加減はいかがです?」

('、`*川「うん……熱も下がったし、少し怠いくらいで、大丈夫。デミタスは?」

(´・_ゝ・`)「それは何よりです。私もすっかり良くなりました」

( ФωФ)「単純な体で良かったであるな、貴様らは……我輩はどうせあと数日の命……」

川 ゚ -゚)「おまえ真っ先に熱下がって斑点とかも消えたよな」

▼・ェ・▼ フゥ

 まだ安静にしていなくてはならないが、一山は越えた。
 眠いな。ずっと様子を見ていたからあまり寝ていない。

 少し早いが昼飯の準備をしようとクールが言った直後、階上のドアがノックされた。
 階段に一番近かったクックルがドアへと向かうので私もついていく。

 ドアを開ければ、気まずそうな顔の主人殿。
 何だかんだ、看病の間は彼にも世話になった。

<_プ-゚)フ「……あ、ええと、呼んでた医者が、さっき着いた」

( ゚∋゚)「そうか、良かった」

<_プ-゚)フ「一番症状の重かったお客様を優先して診てもらってる。
       それが済んだら──こっちにも来てもらうから、病人に伝えておいてくれ」

( ゚∋゚)「ああ」

 何度か言い淀み、主人殿は足を一歩引いて、すぐに思い直したか改めてクックルと向かい合った。

<_プ-゚)フ「……あんたらに言われた通り、茶を飲ませたら皆様が快方に向かった。
       症状が重いお客様ってのは、それでも茶を飲まなかった方だ」

 クックルが満足げに頷く。
 表情は変わらないものの、私は雰囲気だけで彼の機嫌が大体分かるようになってきた。

 今にも「ビーグルが指示を出してくれたおかげで」などと言い出しそうなのが不安だ。
 それは駄目だぞクックル、せっかく向こうが態度を改めてくれているのだから。

<_プー゚)フ「……ありがとう。この間は、悪かったよ」

 クックルはあまり気にしていないよ、主人殿。
 あとでクールにも謝ってあげてくれ。






 ──結論を言うと、私の想像通り、これは戦後から確認され始めた新種の病であった。

 主に肝臓へ影響することも、特定の地で感染する風土病の一種というのも合っていた。
 私もまだまだ捨てたものではない。
 ちなみに、人から人への感染力は弱いという。やはり濡れ衣。


/ ゚、。 /「一月から二月ほどの潜伏期間を経て、突然熱を出すんです。
      肝臓というのは症状が現れにくい臓器ですから、
      基本的には熱が出るまで自覚できないんですね」

 西の街から来た医者殿は物腰穏やかで、我々にも丁寧に教えてくれた。

/ ゚、。 /「目の充血や黄疸に似た斑点といった、
      見た目に派手な症状が高熱と一緒になって唐突に現れるので
      重い病気に見えてしまいますが──
      安静にしていれば、せいぜい一週間程度で治癒するものなんですよ」

川 ゚ -゚)「……そうか」

 ほっと息をつくクールとペニサス。
 寝台に座っているデミタスが、少し考えてから質問をぶつけた。

(´・_ゝ・`)「後遺症とかはないんですか?」

/ ゚、。 /「ないですね。あと数日は気怠い感じが続くでしょうが、それが過ぎればもう大丈夫です」

 それにしても、と医者殿は言葉を続ける。

/ ゚、。 /「熱が出てから3日程度でここまで回復したというのは、あまり聞きませんよ。
      それも、医者のいない町でなんて」

( ФωФ)「日頃の行いが良かったのであろうな」

 72時間前と言っていることが違うぞ。

 医者殿はロマネスクの発言を受け流し、「処置が早かったのでしょうね」と微笑んだ。

/ ゚、。 /「シタラバナが有効だとすぐに気付けたのは幸いです。
      私のいる町では既に知られていましたが、この町にはまだ伝わっていなかったのに……。
      どなたか、そういうことにお詳しい方がいらっしゃる?」

( ゚∋゚)「びー……」

川 ゚ -゚)「たまたまです」

 ビーグル、と言いかけたクックルを遮り、クールが答える。
 ありがとう。私のことを話したところで妙な空気に陥るだけだ。

 そうですかと医者殿が頷く。
 これで一段落かと気を抜いた直後、
 診察道具を鞄にしまいながら続けられた言葉に、私は耳を疑った。

/ ゚、。 /「この病が旅人の間で流行り始めたとき、
      いち早くシタラバナの有用性を説いた方がいらっしゃいました。
      ──××という、とても有名なお医者様で……」

▼・ェ・▼ ワゥッ

 反射的に声をあげてしまう。
 医者殿が驚き、そして犬の気まぐれだろうと解釈したのか苦笑いを浮かべた。

 私はクックルの足を前足で叩いた。
 たまにズボンの裾を引っ張り、必死にアピールする。

( ゚∋゚)「……その医者っていうのは、どこに?」

/ ゚、。 /「私が来たのよりも、さらに西へ進んだ先にある街に。
      お知り合いですか?」

 私は部屋の隅に置かれていた肩掛け鞄を引っ張り、医者殿の前でやや乱暴に落とした。
 本と写真が床に飛び出る。

 これもまた犬の気まぐれと思ったか、医者殿は困ったように笑いながら写真を拾い上げた。

459 :同志名無しさん:2015/05/28(木) 21:37:02 ID:3CyoEmwY0
/ ゚、。 /「あれっ」

 そこに写る一家と私の姿を見て医者殿が目を丸くさせる。
 その反応に確信する。先ほど医者殿が口にした名は──

/ ゚、。 /「この方ですよ。あ、じゃあ、このわんちゃんはあの人達の飼い犬ですか?
      一緒に写ってるの、この子ですよね」

( ゚∋゚)「ビーグルはこの一家を探してるんだ。西に行けば会えるんだな?」

/ ゚、。 /「ええ。天災の折に、遠くの国から避難してきてからずっと、あの街に住んでます。
      ご家族4名とも、ご健在ですよ」

 ──そうか。
 そうか。
 元気で、暮らしているか。

(´・_ゝ・`)「医者のペットだったのか。……いや、だとしてもやっぱり異常だろ……」

('ヮ`*川「良かったわねビーグルちゃん、家族に会えるのね」

▼・ェ・▼ キューン…

 ならば行こう、クックル。
 彼らも治ったし、病気の正体も分かったし、気兼ねなく町を出られる。

 ズボンの裾に噛みつき、ぐいぐいと引っ張る。
 クックルは写真と本を鞄に詰め直すと、私を宥めてから歩き出した。

川 ゚ -゚)「おい、行くのか? 急すぎないか」

( ゚∋゚)「ビーグルがこんなに急いでるなら、行かなきゃいけない」

川 ゚ -゚)「でも、……いや、うん、雇い主がそうしたいって言うならしょうがないか。
     ビーグル、ありがとうな。おかげでペニサスさんとデミタスが助かった」

( ФωФ)「なぜ我輩を省く」

('、`*川「ありがとうねビーグルちゃん」

(´・_ゝ・`)「気を付けてな」

▼・ェ・▼ オンッ

 挨拶もそこそこに、地下を後にする。

 主人殿もしばらく休んでいけと気を遣ってくれたが、
 そもそも私とクックルの体調は初めから問題ない。
 超過分の宿泊料を払って、随分と久しぶりに感じる外へと飛び出した。





 早く行こう。

 会いたい。早く彼らに会いたい。

 彼らに会えたら、まずは何をしよう。

 そうだな。



 喉笛を、食いちぎってやろう。









『──びーぐる。びーぐる。わかるか? びーぐる、びーぐる』


 私の最初の記憶は、何度も同じ言葉を繰り返す男の声。


 幾度か繰り返される内、自身を呼んでいるのだと気付いた。
 私の名は「びーぐる」。まずは感覚で理解する。

 透明なガラスの向こうで数人の男女がこちらを見ている。
 私を呼ぶのは、その中心の男。

▼・ェ・▼ クン

 再度「びーぐる」と呼ばれたときに返事をするように鳴いてみせると、
 彼は満足げに頷き、手元のノートに何かを書き付けた。

 名を呼ばれる度に返事をする。その都度、彼は何かを記録していく。

 そうして今度は小さな機械──いま思えば、あれは恐らく録音機器──を口元に寄せた。

『たいしょうが、ほんにん……ほんけん、か? まあいい、ほんにんのなまえをにんしき。
 だいいちだんかいはくりあした』

 正確に彼の言葉を思い出せる。
 当時は意味を理解せずに単なる「音」としか捉えていなかったが、
 今ならば一字一句、それぞれの単語の意味、それらを繋いだ文を把握できる。

 対象。本人。第一段階。クリア。

『びーぐる。いーぐる。いーうる。ぎーぎぐ。びーぐる。いーいう』

 続いて彼は、私の名と似た響きの言葉を混ぜて呼び掛けてきた。
 正しく名前を呼ばれたときにだけ反応してみせれば、彼の顔に喜色が浮かぶ。

『すばらしい! しいんのくべつがついているぞ。
 ちょうかくのかいりょうしゅじゅつはせいこうしたとみていい』

 子音。区別。聴覚の改良手術。成功。
 後で知ったことだが、犬の多くは子音の区別が苦手らしい。
 だから響きの似た言葉は混同しがちだし、長い文章を聞き取るのも得意ではないのだという。

 私の耳は、そこを改善された。
 ……元々は無かった筈の機能を勝手に付けられた場合、改善というのだろうか?
 私の記憶がここから始まっている以上、「本来の状態」との比較ができないから分からない。

 何度か呼び掛けの確認を繰り返した後に、彼は声を低くすると
 先の機械へ次の言葉を吹き込んだ。



『──それでは、……ねん、……がつ……にち。
 じっけんをかいしする』


.


 かつて私が生まれた国は、兵器の開発こそ進んでいたものの、
 圧倒的に人手が不足していた。
 戦前から出生率が下がっていたらしい。

 そこで目をつけたのが動物だ。
 犬猫は多胎動物だし、人間に比べると成長も早い。
 何より、使い捨てることへの抵抗が人間よりも少ない。


 初めは単純な作業を行えるように躾けるだけで、一般的な軍用犬と大差なかった。

 しかし、「より複雑な命令をこなしたり、時には動物自身が
 国益を判断し行動したりするようにも出来る筈だ」と一部の科学者連中が政府に訴えた。
 軍事とは、時に悪ふざけと向上心の境界が曖昧になる。


 そこで、権威ある医学者と科学者でチームが作られ、
 動物の「強化」実験が行われた。

 生まれたばかりの私に手術──改造と言うべきか──を施したのは、
 そのチームに所属する夫婦であった。


『ビーグル。昨夜、最後にお前の顔を見たのはこの中の誰だった?』

▼・ェ・▼ キュンキュン

『彼か? ──うん、当たってるな。
 昨夜会ったばかりの人間でもガラス越しに識別できるのか』


 チームの中でも細かなグループ分けがされており、
 彼らのグループは戦闘技術よりも、知能の底上げに関する研究をしていたようだった。

 通常の犬より視覚や聴覚を発達させ、五感で得る情報を増やし、
 さらにその情報を処理する能力を高めさせた。


 ──だというのに、彼らは。
 人並みの知能を持った我々に対して、
 普通の獣へ対する態度と変わらぬ姿勢を貫いていた。

 決して愛玩動物としてではない。
 敬愛も親愛も、はたまた嫌悪とも侮蔑とも程遠い──
 暖かくも冷たくもない、無感動の対応。

 訂正しようか。
 獣への対応ではなく、手に入れたばかりの道具を自分好みに馴染ませるようなそれだった。


『ビーグル、そうじゃないだろう』

▼;・ェ・▼ ギャンッ!

 粗相をすれば、口頭での注意よりも先に直接的な苦痛で分からせようとした。

 こちらとしては言葉で叱られれば理解できる、しかし向こうがそれ自体を理解できていなかった。

『計算の間違いがあるぞ。これを何とかしないと。
 単純な足し算と引き算くらいは完璧にしてくれなきゃ……』

▼;・ェ・▼(もう一度訊いてくれ! 出来るんだ、人間だって単純な計算を間違うことくらい、よくあるじゃないか!)

 ──きっと彼らが想定していた以上に、実験の効果は大きかったのだろう。

 彼らが思っている以上に、我々の知能は高いところにあった。
 しかし彼らはそれが分かっていない。
 所詮は獣だという意識が、理解を阻んでいた。


 知能実験が施されたのは大概が小動物だった。
 人間に歯向かえば、良くて「躾」、最悪の場合には処分されて終わりだ。

 そんなことを繰り返されれば、抵抗しても無駄なのだと嫌でも学習する。
 彼らに理解を求めるための方法を考えることすら放棄するようになる。

 この学習は知能の高い低いに関係なく、動物ならば大抵が持ち得るものである。
 結果、誰も彼もが人間に従うようになった。


.

『──ビーグル、元気?』

 たまに研究施設を訪れる、幼い兄妹がいた。
 私の担当である夫婦の子供だ。

 子供達は実験の詳細など知るよしもなく、
 両親の仕事をただ「動物を教育する」ものだと考えていたらしい。
 子供達にとって、私はペットと変わりなかった。



 ある日、兄妹が懇願するように両親へ訊ねた。

『お父さんお母さん、ビーグルとお外で遊んできていい?』

 両親はそれを快諾した。
 子供達は純粋に私と遊びたかったようだが、
 研究者の面々はそれもまた実験の一環と捉えたらしい。

 外へ行く前に、一家と私で写真を撮った。
 何やら私と子供達の成長に合わせた実験を定期的に行う計画があったようで、
 その記録のために撮影したそうだ。
 結局それ以降、写真を撮られることはなかったが。


 研究所の庭で兄妹と遊んだ。無論、監視付きである。
 しかし楽しかった。
 私が何か応えれば、兄妹は褒めてくれた。

『すごいね、ビーグルは頭がいいね。うちの自慢だってお父さんが言ってたよ』

 実験結果への賞賛ではなく、私自身に感心の目を向けてくれた。



 他の実験があったため、2時間も遊んでいられなかったのが残念だった。
 夫婦が兄妹を家へ連れ帰る準備を始める。
 しかし、妹の方がすっかりぐずってしまった。

 私と遊ぶのだと泣きわめき、夫婦は手を焼いていた。
 困り果てたそのとき、兄の方が妹の肩掛け鞄を借りて、私の体に引っ掛け──

『ビーグルに貸すから、明日、取りに来よう。いいよね?』

 夫婦は少し迷いつつ頷いた。
 妹も未だ名残惜しそうだったが、納得したようだった。

 去り際、幼い彼らは私に手を振って言った。


『また明日遊ぼうね、ビーグル』





 ──けれども、いくら待っても彼らは来なかった。


 鞄から彼らの匂いが薄れていっても、来なかった。


 彼らが来てくれることを支えにして「躾」に耐えても、来なかった。


 来なかった。
 来なかった。



   ──『また明日』。



▼・ェ・▼ …キューン…

 人間にとっての「明日」とは、いつのことなのだろう。



 私の「今日」はいつ終わるのだろう。




.



 全く変化のなかった研究所が、慌ただしくなった。

 天災が近付いていたのだ。


 人間が避難するのに合わせ、実験に使われていた動物達も運ばれていった。

 私は──これが最初で最後のチャンスだと思った。
 どうせこの天災で戦争は終わる。ここで人間に従えば、用済みとなった我々は処分されてしまう。

▼;・ェ・▼ ハッ、ハッ

 混乱に乗じて逃げ出した。

 安全な場所など分からない。
 野性を知らぬ私には、獣の多くが持つ、自然に対する察知能力がほとんど無い。

 しかし人間の手で殺されるくらいならば、自然によって殺された方がマシだった。





 なのに結局、生き残ってしまった。

 匂いや音の異常を感知した際に、知識を総動員させて分析をこなしつつ行動した結果なので、
 獣らしい生存方法だったとはとても言えない。


 天災が過ぎ去った後に研究所へ戻ってみると、
 私達の実験が行われていた区域は割合に無事だった。
 慌てて逃げる必要などなかったようだ。

▼・ェ・▼ ハゥ

 肩掛け鞄を見付けた。
 鞄をくわえて所内を回る。かの夫婦が使っていた研究室を覗くと、
 兄妹と遊ぶ前に撮影した写真があった。

 写真を鞄に入れる。彼らの顔を忘れてはならない。

 それから、父親の方がよく読んでいた本も鞄に入れた。
 たまに私に読み聞かせていた医学書も近くにあったが、
 それよりもこちらの方が彼の匂いが染み込んでいる。彼を探すのに役立つかもしれない。


 それから、彼らが金庫から持ち出しきれなかったと思われる金もいくらか失敬した。
 金があって困ることはないだろう。

▼・ェ・▼(……彼らを探しに行こう)

 彼らは私に知能を与えた。

 そのせいで私は知りたくもないことを知ってしまった。

 理不尽な痛み。苦しみ。恐怖。
 果たされることのない約束に縋る惨めさ、悠久のような時間。
 その光が潰える絶望。



 噛み切らねばならぬ。

 私の野蛮な牙で、噛み切らねばならぬ。

 獣に立ち返らねば。

 私は、人間に弄ばれたまま死にたくはない。









( ゚∋゚)「──そろそろ着くそうだ」

 かの町を出て90時間以上も馬車に揺られた頃、
 クックルが私の背を撫でながら呟いた。

 君を雇って良かったと思う。
 初めから、自分の力だけで探し出せなかったときには人間を利用すると決めていたのだが
 相応しい者がなかなか見付からなかったもので、とても困っていた。

 君のような扱いやすい人間がいて、本当に良かった。


.



 ──清潔な街だった。
 衛生面に気を遣っているのが見てとれる。
 病院らしき、一際大きな建物が中心部に見えた。

 市場で一家の居場所を訊ねようとしたクックルを抑える。
 君は、あまり目立たない方がいい。

▼・ェ・▼ フンフン

 本に染み付いた匂いと似た体臭を、ほのかに感じ取る。

 匂いを辿っていくと、件の病院が近付いてきた。
 やはり彼らはここにいる。

 気分が昂揚した。
 ああ、どうやって襲い掛かろうか!

 体は小さくとも、的確な位置を狙い、不意をついてやれば人を殺すことくらい出来る。
 だが、全員が無抵抗の内に素早く仕留めていくほどの技術は私にはない。
 首尾よく1人を殺せても、すぐに別の人間が私を始末するだろう。

 ──まあ、正味、殺せなくても構わないのだ。私は。

 私の牙が噛みつけられればそれでいい。
 私の恨みを思い知らせられるなら、それでいい。

 その直後にこの世を去れるのであれば上々だ。

▼・ェ・▼ クン…

 ──匂いが混じった。
 思わず立ち止まる。

 これは。気のせいか?
 しかし。いや、だが。

▼・ェ・▼(……ともかく進もう)







 民家の立ち並ぶ通りに入り、しばらく進んでいくと、大きな公園があった。

 しっかりした造りの遊具と、やや歪な遊具が点在している。
 後者は戦後に住民達が作ったものだろう。

 公園には幾人かの子供とその家族、あとは1人で行動する若者や老人がいた。
 病院が近いのもあって、入院着のような服を着た人間が何人かいる。

 公園の周りは林に囲まれており、私とクックルはそこを通って園内を見て回った。

 匂いが近付く。
 運動場──というか広場──に差し掛かったとき、
 少年の声が大きく響いた。


「ビーグル!」


 はったと声の方向を見る。
 そこには、写真の面影が残る、健康的な少年がいた。

「えらいぞビーグル!」


 彼は笑顔で手を振り──玩具をくわえて駆け寄る犬を、優しく抱き留めた。

.

「ほら、おもちゃ離して。……本当にえらいなあ、格好いいよビーグル」

 見知らぬ犬を私の名で呼んで、少年はその犬の頭を撫でた。
 犬は嬉しそうに尻尾を振り、少年の手に頭をぐいぐいと押しつけている。

 私とは似ても似つかない大型犬だ。
 少年が犬を撫で回していると、少女が走ってきて、少年のように犬の毛並みを手でたしかめた。

 少し遅れて、男女が歩いてくる。
 老け込んでいたが、あの夫婦だった。

「お父さん、ビーグルにおやつあげようよ」

「そうだなあ。よしよし、いい子だなビーグル。──うわっ!」

 食べ物の匂いにつられ、「ビーグル」が男にのしかかる。
 尻餅をついた男は、仕方がないなと朗らかに笑った。
 怒るでもなく、優しい手付きで「ビーグル」をどかし、犬用のビスケットを与えている。

 皆が幸せそうだった。
 一家も、「ビーグル」も。

▼・ェ・▼(──何をしているんだ)

 何故その犬を私の名で呼ぶ?

 何故、そんな風に触れている?

 私はここにいる。
 君達に傷付けられた私はここにいる。
 君達を憎む私はここにいる。

 なぜ笑う。なぜ撫でる。なぜ褒める。なぜ。
 どうして。


 どうして私の欲しかったものが、そこにある。


 ふざけるな。
 私は。私を。私に。君達は。私が。

 牙を突き立ててやる。
 君達も、その犬も、私が噛み殺してやる。

 私の、牙が、




.



( ゚∋゚)「ビーグル」

 クックルに名を呼ばれても、私はその場に座り、じっと前を見続けていた。

 一家と「ビーグル」は、数分前、彼らの住む家へと帰っていった。

( ゚∋゚)「……ビーグル」

 ああ、クックル、もっと名前を呼んでくれ。
 ビーグルは私だ。私がビーグルなのだ。
 彼らが私に付けた名だ。

 彼らの呼ぶ「ビーグル」は、私だけだった筈だ。

( ゚∋゚)「行こう。もう夕方だ」

 私はようやく動いた。
 公園を出て、地面の匂いを嗅ぎ、その匂いを追う。
 クックルは黙って付いてくる。


 幾度か道を曲がって、とある家に辿り着いた。
 4人で住むのには丁度いい大きさの家だった。

 庭先に立派な小屋があり、そこに寝そべる「ビーグル」が私達を一瞥して
 興味もなさそうに目を閉じた。

 家の中から、睦まじい一家の会話が聞こえてくる。
 時折「ビーグル」の名を出して、愛おしむように話している。
 そのビーグルは、私ではなく、庭でくつろぐ彼のことだ。

▼・ェ・▼ …キュ…

 私はクックルの手を見上げた。
 クックルがしっかりと私と目を合わせて頷き、
 片手に持っていた肩掛け鞄を玄関のドアノブへ引っ掛けた。

 あの鞄には、ずっと、同じものしか入れていない。
 写真。金──ああ、金はそれなりに遣ってしまったが、そもそも彼ら個人の金ではなく研究費用だ。

 そして、本。

 彼は。あなたは。
 いつもその本を持って、部下に語っていたな。
 決まって瞳を輝かせて。


   『傍に置いておくのに理想的な人間というものは』──


 たっぷりと間をあけて、勿体つけて言うのだ。
 おかげで部下達も、すっかり覚えてしまっていた。
 その様が何だか可笑しくて──微笑ましくさえあると、感じたものだ。


   『丈夫な体と、優れた直感を持つ者だ。
    頭であれこれ考えるより、本能で物事を察知して的確な行動をとれる者がいい』

.

 それは真実だと思う。

 でも、ならば──私は、あなたの理想と真逆ではないのか。

 あなたにとって最も不要なものなのではないか。



 これでは私が何のためにあなたに造られ育てられたのか、分からない。



 結局私は犬なのだ。
 まして野性を知らぬ犬なのだ。
 どれだけ厳しくされても、褒められれば尻尾を振る。撫でられれば腹を見せよう。

 そうやって尽くしても、媚びても──私は軍事目的で作られただけの道具であって、
 あなたに、あなた方に必要とされる「仲間」ではなかった。
 戦争が終わってしまった今なら、なおさら私の必要性は無くなっている。

 笑ってくれ。
 私は本当は、彼らに愛されたかった。

 私の顔を見て「ビーグル」と呼んでくれたら、
 あのときはすまなかったと謝り抱き締めてくれたら許してやろうと、
 頭のどこかで、そんな光景を夢想していた。

 お笑いだ。
 やはり私は、もう誰にとっても、いらない犬だった。

( ゚∋゚)「……帰ろうか」

 クックルが私を抱え上げて踵を返した。
 そうしてくれなければ、きっと、私はいつまでもあの場から動けなかっただろう。

 去っていく私達を、「ビーグル」が視線のみで見送る。

 「ビーグル」。君の体は頑丈そうだな。
 君は私達が危険ではないと即座に判断して、放っておいてくれたな。
 「ビーグル」。君は彼が望む通りの存在だ。彼らが欲する通りの存在だ。

 けれど、このクックルだって負けていないぞ。
 「優れた直感」という言葉を、単に頭の使わぬことだと勘違いするくらいに頭は悪いけれど。
 私の言いたいことも、感情も、正しく理解してくれる稀有な人間だ。

 あの本の内容は的を射ている。
 だからこそ、やはり、私の存在がいらぬものだと裏付けられてしまったとも言えるのだが。


   『また明日遊ぼうね、ビーグル』


 ──分かっていた。
 戦争の激化により、子供達が研究所に近付けなくなったであろうことは、ちゃんと分かっていた。

 夫婦がどういうつもりだったかは知らないが、少なくとも、
 兄妹が私を拒絶しているわけではないのだと。

 だから諦められなかった。
 きっと来てくれると、いつか会えたらまた無邪気に遊んでくれると、信じていた。

 けれども君達には、もう、毎日遊んでくれる「ビーグル」がいるのだね。



 夫婦はビーグルと名付けたあの犬を可愛がることで、
 私への罪滅ぼしをしているつもりなのだろうか。

 あの犬がいくら愛されても、私が癒されるわけではない。
 けれど彼らは、これからも多大なる愛情をあの犬に注ぐのだろう。
 そこに私への愛が、ほんの一欠片でもあるかは分からない。

▼・ェ・▼ …ウー…

 クックルは私の喉元を擽り、何も言わずに歩いていく。

 なあクックル。
 私は人間と違って、感情と涙腺が繋がってはいない。
 私が泣くとすれば、それは目に入った異物を取り除くときか、著しい緊張状態に陥ったときくらいなものだ。

 人間のように、悲しみや怒りや喜びで涙が出ることはない。

 けれど、もしも私がそういった理由で涙を流せたとしたら、
 私は今、泣いていたのだろうか。
 そしてそうだとするなら、それは、どんな感情によるものなのだろうか。

 きっと君なら分かってくれるだろう。
 私には分からない。分かることができない。理屈を捏ねる頭では答えを出せない。

 クックルが私の頭を撫でる。
 君の力加減は、とてもいい。

( ゚∋゚)「一緒に帰ろう。先生は犬や猫が好きだから、可愛がってくれる。俺もお前と一緒にいたい」

▼・ェ・▼ ……

( ゚∋゚)「暗くなってきたし、どこかに泊まって、
     明日になったら出発しような」


 明日。
 そうだな、明日になったら、そうしようか。

▼・ェ・▼ …アォン





 およそ4万8000時間に及ぶ私の「今日」は、ようやく日暮れを迎えた。









川 ゚ -゚)「よう」

 5日後、駅がある街の市場でクール達と再会した。
 彼らは中央へ向かう。私達は組織のある地へ戻る。目指す方向は逆だ。

 市場にいたのは、クールとペニサスという意外な組み合わせだった。
 たまには女だけで買い物がしたいということで、一時的に主従を交換しているらしい。
 ということはロマネスクとデミタスが一緒に行動しているわけか。すこぶる相性が悪そうだ。

('、`*川「ビーグルちゃん、ご家族には会えたの?」

( ゚∋゚)「ああ」

▼・ェ・▼ アゥン

 良かったわねとペニサスが私の頭を撫でる。

 見たところ、ペニサスの体調は完全に回復したようである。
 それこそ良かった。

 ひとしきり腹まで撫でさせてから、私は姿勢を正してクックルに振り返った。
 列車が来るのはしばらく先だが、手続きは早めに済ませておかねばなるまい。

川 ゚ -゚)「2日くらい滞在してから、適当に出発するつもりだ。
     もし良かったら、後で一緒に飯を食おう」

( ゚∋゚)「ああ。──って、俺らはもう列車代と宿代くらいしか持ってないから
     保存食でやりすごさなきゃいけなかった。すまん」

川 ゚ -゚)「何、ロマネスクが払ってくれる。
     ──もしもまたビーグルに会うことがあれば、肉の一つでも奢ってやると言ってた」

▼・ェ・▼ ハゥ

 ほう。あの男がそんなことを。
 話すクールは心なしか嬉しそうな、しかし彼への不信は健在であるような複雑な顔をしていた。

('ー`*川「ビーグルちゃん、また後でね」

 ぎゅうと一度抱き締められる。

 ああ、ペニサス、また後で会おう。
 君はきっと今夜も「また明日」と言って、そしてその通りに明日も私を構ってくれるのだろう。
 デミタスは私を鬱陶しがるかもしれないが。

( ゚∋゚)「行くか、ビーグル」

▼・ェ・▼ ワンッ!



 私の心は存外に晴れやかだ。
 考えても分からないことは、隅に押しやろう。クックルを見習って。

 色覚は相変わらず鈍いが、それでも世界が鮮やかに感じる。



 とりあえず今は、一度と言わず、明日も明後日もロマネスクに肉を買わせるための計画を立てようか。



6:賢い犬   終
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